誘電率

ー/ー




 雨が降り注ぐ海岸通りには誰もいない。乾物屋の電気だけが付いている。

「おばちゃん!」

 声が裏返る。叫ぶのと同時に少し建付けの悪いガラス戸を引き開ける。扇風機に当たりながらテレビを見ていた乾物屋のおばちゃんが驚いて振り返る。

「あんた、斉藤さんとこの……」
「三島さんが……! 三島さんが……!」

 おばちゃんはワイドショーを消して僕に向き直った。
 
「何かあったの?」

 雷に、撃たれた。僕がそう答えるとおばちゃんは血相を変えて電話機に向かった。

「南堤防の先って、一緒にいた子が言ってるのよ。……私も今から行きます。店も閉めましたし……」

 おばちゃんは受話器を降ろすと、少し色の付いた眼鏡を掛けた。

「今からあの子のところに行くから。あんたも来るね?」

 僕は頷いて、店の裏に停めてあったトラックの助手席に乗った。ワイパーが水滴をかきわける。ラジオはザラザラしたノイズで何を言ってるか分からない。永遠にも思えた道を辿って、軽トラは堤防の手前に止まる。既に救急車が着いていて、三島さんが担架に乗せられて運ばれていくのが見えた。パトカーも止まっている。

「君が、一緒にいた子?」
「そうです」

 警察官に話しかけられる。

「僕が海に行こうって言ったんです」

 警察官は、ただ黙って聞いている。

「それで……バカやって飛び込んだんです。彼女は堤防の上でそれを見てて……雷に撃たれたんです」

 大変だったね、と呟いてから、警察官はじっと僕を見た。
     
「スマホは? 君が通報しなかったのはどうして?」
「校則で、学校に持って行けなくて」
「すまないね。浜高はそういやそうだった」

 警察官は手元の手帳にボールペンで色々書いて、最後に『事故』と書いてマルを付けた。

「あの……どうして彼女だったんですか。どうして彼女だけが雷に撃たれたんですか。僕なんか……すぐ下の、海にいたのに」

 現場にいた訳じゃないから断言は出来ないけど、と前置きして、警察官は半分骨だけになっている日傘をボールペンで指した。
  
 「恐らく、日傘に落雷したんだろう。その瞬間、君は偶然海中に完全に沈んでいたから、感電を免れた。人間よりも海水の方が、何倍も電気を通しやすいからね」

 警察官は手帳とボールペンを胸ポケットに押し込むと、僕の肩に手を置いた。
 
「今回、君はたまたま無傷だったんだ。もう絶対に、雷が鳴ってる時に海に近づくんじゃないぞ」

 ――君も、雷に撃たれてたかもしれない。

 僕はぼんやりと頷いた。雨は嘘みたいに止んで、水平線の上には雲の切れ間から青空が出ている。僕はしばらく呆然と海を眺めていた。とても静かだった。
 
 家まではおばちゃんが送ってくれた。ただいま、と言うけれど、母さんはどうも帰ってきてないみたいだった。最近付き合った人とはうまくいっているのか、最近は数日に一回くらいしか母さんの顔を見ることはない。母さんは出かけているときに、僕から連絡すると酷く激昂する。ため息とともにスマホを机の上に置いて、固定電話の数字盤を叩く。

「あの、二年三組の斉藤なんですけど……」

 出たのは担任の先生だった。三島さんのことを一通り話す。

「斉藤君、話してくれてありがとう……すぐ近くで、クラスメートがあんな状態になって――辛かったね。三島さんが病院に搬送された連絡が三島さんのご両親からあってね。重体ではあるみたいだけれども、目を覚ます可能性もゼロじゃないって」

 三島さんのご家族に直接事情を説明し謝りたい旨を先生に申し入れたが、やんわり断られた。僕は受話器を置いた後も気が気でなかった。シャワーを浴び適当に冷凍食品を胃に流し込んだ僕は布団の上に横たわった。常夜灯がいつもより眩しく思えて、重い体を持ち上げて紐スイッチを引く。闇の中目を閉じると、今度はエアコンの音がやけにうるさい。三島さん、苦しかっただろうな。怖かっただろうな。どうして何も出来ないんだろう。警察は事故だって言うけど、責任は僕だ。三島さんが元気になったら、なんて言えばいいんだろう。元気にならなかったら……僕はどうしたらいいんだろう。こういうとき、書いてる小説の主人公だったら、どうするんだろう。どうするのが、かっこいいんだろう。堂々巡りの中で、僕は何度も寝返りをうった。

 翌日、母さんはいつの間にか帰ってきていた。タバコと香水の混じったにおいがする。昔から僕はこのにおいが嫌いだった。

「死んだんだって。女の子」
 
 母さんは僕の前にビニールのA4メッシュケースを投げた。
 それは、三島さんが亡くなったことを知らせる緊急の回覧板だった。脂汗が全身の毛穴から吹き出るような感覚がした。
 
「何? あんたの彼女なの?」
「いや、そうじゃないけど……」

 報告しないわけにいかない。僕は母さんに昨日のことを話した。話が進むにつれ、母さんはガタガタと貧乏ゆすりを始めた。
 
「あんたが海行こうなんて言ったんじゃないわよね」
 
 僕は否定できずに俯いていた。

「最低ね! あんたのせいなんじゃないの?」

 母さんの声は震えていた。

「でも警察の人は……」
「言い訳しないでよ!」

 衝撃。母さんが僕の頬を平手打ちしていた。

「はあほんと最悪……今の人と再婚できなかったらあんたのせいだからね!」

 母さんを残して逃げるように僕は部屋に戻った。少し丸い文字で「続き待ってるね」と書かれたうさぎの付箋を、小説のノートから剥がして手のひらに乗せてしばらく眺めていた。三島さんがもういないという実感が、湧かなかった。今からでも図書室に行けば、いつもの席であの長いまつげを伏せて、本を読んでいそうな気さえしていた。
  やがて、西陽が射し込む部屋で、僕はジャージを脱いで学生服に袖を通した。吐きそうだ。蒸し暑い廊下を抜けリビングに入ると、いつもは黒なんて着ない母さんが喪服に身を包んでいた。

「知らない人の葬式なんて行きたくないのに」
「……通夜だよ」

 僕は、俯きながら三島さんの通夜の会場に入った。受付を済ませた人たちが声を潜めながら話している。

「……斉藤さん、ですよね」

 声を掛けてきた女の人は三島さんに目元がよく似ていて、すぐに血の繋がりがある人なんだと分かった。僕が挨拶をしようとした矢先、

「あなたがあかりを連れてったのよね?」

 会場が静まり返るくらいハッキリと、身を裂くような問いが投げられた。僕は頭を勢いよく下げた。

「三島さんのお母様……ですよね。本当に申し訳ございませんでした!」
「あなたが謝って……それであかりは帰ってこないですよね」

 僕は、何も言えなかった。

「あのねえ……あの子はね、雷の日に海に行くほど馬鹿な子じゃないの……!」

 三島さんのお母さんは、わっと泣き出した。

「あなたが連れて行ったんでしょう!? 馬鹿じゃないの!? あんな天気の日に海なんて!」
「全く、その通りだと、思います。僕のせいです。本当に、すみませんでした……」

 僕は必死に頭を下げた。担任の先生が血相を変えて走ってくる。

「三島さん、どうか、どうか落ち着かれてください。お願いします……」

 先生が宥めるのも振り払って、三島さんのお母さんは捻り出すように吐き捨てる。
 
「あなたが……一人で行けばよかったのよ……あなたが勝手に行けばよかったのよ……」
「三島さん……! 斉藤くんも目の前で、クラスメートが……」

 先生は、三島さんのお母さんがあまりにも苦しそうな顔をしているのに気づいて、やりきれなさそうに唇を噛んだ。母さんはばつが悪そうにそっぽを向いていた。僕はただただ俯くしかなかった。すると、聞き覚えのある声が空気を裂いた。
  
「その子はね、あたしんとこに必死で走ってきたよ」

 乾物屋のおばちゃんだった。僕と三島さんのお母さんの間に立ち塞がる。

「あんたの娘さんを助けるために、やれることを……やってたよ」

 三島さんのお母さんは泣き崩れた。悲痛な叫びを上げる彼女を、どこからか走ってきた三島さんのお父さんがすみません、すみません、と謝りながら引き取っていく。その後も通夜は鉛のような空気だった。

 棺桶の中にいる三島さんの顔は、あの日のまま、眠っているようだった。僕は三島さんを、真っ直ぐ見れなかった。

 帰った僕はすぐに風呂場に向かった。三島さんのお母さんの言葉が耳の底でずっと聴こえるような気がして、シャワーの音で誤魔化したかった。洗っても洗っても、焼香の匂いが自分の身体からするような気がした。風呂が長いとごねる母さんに短く謝って、僕は部屋に戻って布団に身体を埋めた。三島さんのお母さんの辛さなんて、僕の想像なんかじゃ届かないだろう。それでも、少しでも想像しようとすることが、僅かでも償いになると信じて、僕は通夜でのことをずっと反芻していた。


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 雨が降り注ぐ海岸通りには誰もいない。乾物屋の電気だけが付いている。
「おばちゃん!」
 声が裏返る。叫ぶのと同時に少し建付けの悪いガラス戸を引き開ける。扇風機に当たりながらテレビを見ていた乾物屋のおばちゃんが驚いて振り返る。
「あんた、斉藤さんとこの……」
「三島さんが……! 三島さんが……!」
 おばちゃんはワイドショーを消して僕に向き直った。
「何かあったの?」
 雷に、撃たれた。僕がそう答えるとおばちゃんは血相を変えて電話機に向かった。
「南堤防の先って、一緒にいた子が言ってるのよ。……私も今から行きます。店も閉めましたし……」
 おばちゃんは受話器を降ろすと、少し色の付いた眼鏡を掛けた。
「今からあの子のところに行くから。あんたも来るね?」
 僕は頷いて、店の裏に停めてあったトラックの助手席に乗った。ワイパーが水滴をかきわける。ラジオはザラザラしたノイズで何を言ってるか分からない。永遠にも思えた道を辿って、軽トラは堤防の手前に止まる。既に救急車が着いていて、三島さんが担架に乗せられて運ばれていくのが見えた。パトカーも止まっている。
「君が、一緒にいた子?」
「そうです」
 警察官に話しかけられる。
「僕が海に行こうって言ったんです」
 警察官は、ただ黙って聞いている。
「それで……バカやって飛び込んだんです。彼女は堤防の上でそれを見てて……雷に撃たれたんです」
 大変だったね、と呟いてから、警察官はじっと僕を見た。
「スマホは? 君が通報しなかったのはどうして?」
「校則で、学校に持って行けなくて」
「すまないね。浜高はそういやそうだった」
 警察官は手元の手帳にボールペンで色々書いて、最後に『事故』と書いてマルを付けた。
「あの……どうして彼女だったんですか。どうして彼女だけが雷に撃たれたんですか。僕なんか……すぐ下の、海にいたのに」
 現場にいた訳じゃないから断言は出来ないけど、と前置きして、警察官は半分骨だけになっている日傘をボールペンで指した。
 「恐らく、日傘に落雷したんだろう。その瞬間、君は偶然海中に完全に沈んでいたから、感電を免れた。人間よりも海水の方が、何倍も電気を通しやすいからね」
 警察官は手帳とボールペンを胸ポケットに押し込むと、僕の肩に手を置いた。
「今回、君はたまたま無傷だったんだ。もう絶対に、雷が鳴ってる時に海に近づくんじゃないぞ」
 ――君も、雷に撃たれてたかもしれない。
 僕はぼんやりと頷いた。雨は嘘みたいに止んで、水平線の上には雲の切れ間から青空が出ている。僕はしばらく呆然と海を眺めていた。とても静かだった。
 家まではおばちゃんが送ってくれた。ただいま、と言うけれど、母さんはどうも帰ってきてないみたいだった。最近付き合った人とはうまくいっているのか、最近は数日に一回くらいしか母さんの顔を見ることはない。母さんは出かけているときに、僕から連絡すると酷く激昂する。ため息とともにスマホを机の上に置いて、固定電話の数字盤を叩く。
「あの、二年三組の斉藤なんですけど……」
 出たのは担任の先生だった。三島さんのことを一通り話す。
「斉藤君、話してくれてありがとう……すぐ近くで、クラスメートがあんな状態になって――辛かったね。三島さんが病院に搬送された連絡が三島さんのご両親からあってね。重体ではあるみたいだけれども、目を覚ます可能性もゼロじゃないって」
 三島さんのご家族に直接事情を説明し謝りたい旨を先生に申し入れたが、やんわり断られた。僕は受話器を置いた後も気が気でなかった。シャワーを浴び適当に冷凍食品を胃に流し込んだ僕は布団の上に横たわった。常夜灯がいつもより眩しく思えて、重い体を持ち上げて紐スイッチを引く。闇の中目を閉じると、今度はエアコンの音がやけにうるさい。三島さん、苦しかっただろうな。怖かっただろうな。どうして何も出来ないんだろう。警察は事故だって言うけど、責任は僕だ。三島さんが元気になったら、なんて言えばいいんだろう。元気にならなかったら……僕はどうしたらいいんだろう。こういうとき、書いてる小説の主人公だったら、どうするんだろう。どうするのが、かっこいいんだろう。堂々巡りの中で、僕は何度も寝返りをうった。
 翌日、母さんはいつの間にか帰ってきていた。タバコと香水の混じったにおいがする。昔から僕はこのにおいが嫌いだった。
「死んだんだって。女の子」
 母さんは僕の前にビニールのA4メッシュケースを投げた。
 それは、三島さんが亡くなったことを知らせる緊急の回覧板だった。脂汗が全身の毛穴から吹き出るような感覚がした。
「何? あんたの彼女なの?」
「いや、そうじゃないけど……」
 報告しないわけにいかない。僕は母さんに昨日のことを話した。話が進むにつれ、母さんはガタガタと貧乏ゆすりを始めた。
「あんたが海行こうなんて言ったんじゃないわよね」
 僕は否定できずに俯いていた。
「最低ね! あんたのせいなんじゃないの?」
 母さんの声は震えていた。
「でも警察の人は……」
「言い訳しないでよ!」
 衝撃。母さんが僕の頬を平手打ちしていた。
「はあほんと最悪……今の人と再婚できなかったらあんたのせいだからね!」
 母さんを残して逃げるように僕は部屋に戻った。少し丸い文字で「続き待ってるね」と書かれたうさぎの付箋を、小説のノートから剥がして手のひらに乗せてしばらく眺めていた。三島さんがもういないという実感が、湧かなかった。今からでも図書室に行けば、いつもの席であの長いまつげを伏せて、本を読んでいそうな気さえしていた。
  やがて、西陽が射し込む部屋で、僕はジャージを脱いで学生服に袖を通した。吐きそうだ。蒸し暑い廊下を抜けリビングに入ると、いつもは黒なんて着ない母さんが喪服に身を包んでいた。
「知らない人の葬式なんて行きたくないのに」
「……通夜だよ」
 僕は、俯きながら三島さんの通夜の会場に入った。受付を済ませた人たちが声を潜めながら話している。
「……斉藤さん、ですよね」
 声を掛けてきた女の人は三島さんに目元がよく似ていて、すぐに血の繋がりがある人なんだと分かった。僕が挨拶をしようとした矢先、
「あなたがあかりを連れてったのよね?」
 会場が静まり返るくらいハッキリと、身を裂くような問いが投げられた。僕は頭を勢いよく下げた。
「三島さんのお母様……ですよね。本当に申し訳ございませんでした!」
「あなたが謝って……それであかりは帰ってこないですよね」
 僕は、何も言えなかった。
「あのねえ……あの子はね、雷の日に海に行くほど馬鹿な子じゃないの……!」
 三島さんのお母さんは、わっと泣き出した。
「あなたが連れて行ったんでしょう!? 馬鹿じゃないの!? あんな天気の日に海なんて!」
「全く、その通りだと、思います。僕のせいです。本当に、すみませんでした……」
 僕は必死に頭を下げた。担任の先生が血相を変えて走ってくる。
「三島さん、どうか、どうか落ち着かれてください。お願いします……」
 先生が宥めるのも振り払って、三島さんのお母さんは捻り出すように吐き捨てる。
「あなたが……一人で行けばよかったのよ……あなたが勝手に行けばよかったのよ……」
「三島さん……! 斉藤くんも目の前で、クラスメートが……」
 先生は、三島さんのお母さんがあまりにも苦しそうな顔をしているのに気づいて、やりきれなさそうに唇を噛んだ。母さんはばつが悪そうにそっぽを向いていた。僕はただただ俯くしかなかった。すると、聞き覚えのある声が空気を裂いた。
「その子はね、あたしんとこに必死で走ってきたよ」
 乾物屋のおばちゃんだった。僕と三島さんのお母さんの間に立ち塞がる。
「あんたの娘さんを助けるために、やれることを……やってたよ」
 三島さんのお母さんは泣き崩れた。悲痛な叫びを上げる彼女を、どこからか走ってきた三島さんのお父さんがすみません、すみません、と謝りながら引き取っていく。その後も通夜は鉛のような空気だった。
 棺桶の中にいる三島さんの顔は、あの日のまま、眠っているようだった。僕は三島さんを、真っ直ぐ見れなかった。
 帰った僕はすぐに風呂場に向かった。三島さんのお母さんの言葉が耳の底でずっと聴こえるような気がして、シャワーの音で誤魔化したかった。洗っても洗っても、焼香の匂いが自分の身体からするような気がした。風呂が長いとごねる母さんに短く謝って、僕は部屋に戻って布団に身体を埋めた。三島さんのお母さんの辛さなんて、僕の想像なんかじゃ届かないだろう。それでも、少しでも想像しようとすることが、僅かでも償いになると信じて、僕は通夜でのことをずっと反芻していた。