◇番外◇ 魁を守る者、陰陽を見守る者
ー/ー
「そうか……、其方は魁停止の秘密を存じておうたか」
雷龍の討伐諸々を終え、私は帝に呼び出されて内裏に参内していた。任命式で一度お会いはしているものの、きちんとした形での謁見は初めてであり、緊張のあまり再び袖を通した束帯の裾を軽く握る。
だが実際話してみる帝は物腰の柔らかい声色をしており、御簾越しで姿は見えずともお人柄の良さが滲み出ていた。
「はっ、我が父・安曇尊が残した書に記されておりました。五気術の危険性を知りながら猛威を振るった暴挙、申し訳ない所存にございます」
「いや、其方がおらねばこの平安京は終わっておった。そのようなことを申すでない、むしろ余の方も謝らなければならぬ。其方を命の危険に晒して、すまなかった」
布の擦れる音がして、帝が頭を垂れたことを悟った。
「お止めあそばされませ、お上。それを承知の上で魁の位に就いたのは私でございます、当然のことをしたまでです。それより恐れながら、私からお願いがございます」
「何だ、申してみよ」
私の言葉に帝はすぐに反応を示した。
父上や母上、暁たちが魂をかけて収めてくれた五行気の怒りを、再び巻き起こすわけにはいかない。この先、また雷龍のような強敵が現れる可能性はあるが、それでも五気術は使うべきではない。
大丈夫だ。陰陽連の者たちは皆、これからも日々精進を重ねていく。五気術がなくとも、皆で力を合わせれば何とかなろう。
私が願うことは、ただ一つ。
「魁の位を、金輪際ご停止願いたい。そして私は、それを守る存在である魁守として就任することを望みます」
魁守。それは前例のない新しい位。
だが私は魁をただ停止するのでなく、守る存在が必要であると考えた。
魁という地位は残し、祖父上・助規がそうしたように巻物の所持権は魁のまま帝へお返しし、私はそれが解禁されぬよう守り後世に伝えていく。
これが私が〝魁〟として責任を担う、最後の役目。
「うむ、魁守か……。良い考えだ、其方の望むとおりに致そう。幹部たちには余から話を通す」
「ありがとうございます」
帝の言葉に私は深々と頭を下げた。
「拓磨よ、余からも一つ頼みがある。雅章が此度の責任を負って陰陽頭を辞任すると申し出た。そうでなくとも、あの者がその席に居座ることは断じて許されぬがな」
私との戦いに敗れた雅章殿は、その後自宅で蒼士と妻に見守られながら目を覚ましたが、今回のことで憔悴しており屋敷に引きこもっているそうだ。
私があの男の心力を奪ってしまったから、彼は陰陽師としても活動することはもうできない。直に陰陽連からも除名されるであろう。辞任を申し出たのは、せめてものケジメか。
「余は其方に次代の陰陽頭を任せたい……どうだ」
帝に〝頼みがある〟と口にされてから、そんな予感はしていた。
私は下げていた頭をゆっくり上げると、御簾の向こうの帝を真っ直ぐに見据えた。
翌日。
そろそろ任命式を終えるであろう奴を、いつかのお返しと言わんばかりに内裏の外で待ち伏せしていた。奴の時と違って日和は秋晴れの快適な陽気、待っているのは苦ではない。紅葉を見ながら優雅な時間を過ごしていた。
そして式を終えて、私を見つけるや否や難しい表情をして突き進んでくる男を、私は口元に笑みを浮かべて出迎えた。
「拓磨……。何故、僕に陰陽頭を譲った。魁のお返しと言うなら殴り飛ばすぞ」
奴なら喜んでその任を受けると思ったのだが、意外と深刻に受け入れているようだ。額に青筋が浮かぶのではと思うほど、蒼士は鬼のような剣幕で迫ってきた。
そんな蒼士に怯むことなく、むしろ軽く溜め息を吐いて奴を見下ろした。
「阿呆か。私は魁守という任に就いたし、朝廷からの任務を受けるという仕事の内容は変わっておらぬ。そんな人間が陰陽頭の責任まで果たせるか。それに……、部下たちを束ねていくのは、私ではなくお前の方が相応しいと思ったからだ」
雪音・氷雨と最後に対峙した時、蒼士の覇気迫る威勢に皆がついていき、命がけで私を守ってくれた。あれは日頃の蒼士に対する皆の信頼の証である。これまで寮に顔を出してこなかった私とは絆の深さが違うのだ。
帝にご提案した時、雅章の息子とあって懸念を示されていたが、説得の成果と私の推薦ということも相まって、最後にはご承諾くださった。
私の言葉を聞いた蒼士はしばらく睨みを利かせていたが、舌打ちをすると諦めて私から一歩引き盛大に溜め息を吐いた。
「ふん、上手いこと言いおって。面倒事を僕に押しつけただけではないか」
小言を言いながらも、口元は少しニヤけていた。
やはり少しは嬉しいようである。
「聞いたか。帝は此度のことで責任を取って、ご出家あそばされるそうだぞ。父上がやらかしたことだけに、僕も心が痛む」
「あぁ……、私もそこまでは考えていなかったのだがな」
内裏の前で立ち話も何なので、私たちは寮へ歩きながら話をした。
帝が退位すれば時代も変わる。今生の帝にはまだこの国を治めていてほしかったのだが、帝自身のご決断であれば誰も文句は言えまい。雅章殿を陰陽頭に任命したのが帝であることは、紛れもない事実だ。
それに信じていた雅章殿に襲撃をされたことが心労となったのか、少しご体調も優れないそうだ。帝からの信頼も厚かったのに、あの男は何を何処で間違えたのか。
そんなに憎かったのか。嘉納を脅かした安曇の存在が。
「あの帝のことだ、我々の意思は必ず次代の帝へと引き継いでくださるだろう」
「だと良いのだがなぁ。……僕もついに陰陽頭か~、時は流れるものよのう。拓磨」
……訂正、かなり喜んでいる。
そんな茶番はさて置き、先ほど浮かんだ疑問が私と蒼士の今後に不安を抱く。
私は蒼士とであれば、共にこの都の安泰を守っていきたいと思っている。
だが奴はどうだ。彼も嘉納の人間、私と手を取るのは面白くないのではないか。
「なぁ、蒼――」
「だが僕が陰陽頭になったからといって、敬う必要はないぞ拓磨。お前が僕の部下というのも気色悪いしな。これからは嘉納も安曇も対等な立場を保ち、陰陽連を見守っていこうではないか」
楽しそうに笑う蒼士を見ていて、私は言葉を飲んだ。
小馬鹿にされている気がしなくもないが……どうやら心配無用のようだ。
蒼士も此度のことで考えが改められ、一人の陰陽師として先を見据えている。我々はこれからも交わる必要はないが、いがみ合う必要もないのだ。切磋琢磨し互いに精進できる関係であることを私も望む。
この友であり生涯の好敵手、嘉納蒼士という男と共に。
私は奴の提案に小さく「あぁ」と答えた。
「ところでお前、何故火の気がないのに五気術を使えたのだ。その絡繰りを僕は聞いていないぞ」
私の心境など知る由もなく、蒼士は勝手にトントンと次の話を進めた。
しかし言われてみれば私はまだ、その説明をしていなかった。
「あれは五気混合術ならではの特質だ。五行相生の性質はお前も分かっているであろう」
それは五行思想の基本中の基本。木が燃えて火を生み、火から灰が生まれて土を作り、土から金が取れ、金に付く水滴で水を生み、水がまた木を育てる。この世の基本はこの五つの循環で生まれているという思想だ。
その五行の気全てを要する五気混合術は、だからこそ五気が揃わずとも発動できるのである。
「そうか、術を構成する過程で気を生み出すことができるのか」
蒼士もその特質に気づき、納得するように呟いた。
我々が普段使う術は必要な五行の物体から気を取り込む必要があるが、五気術は恐らく二つくらい欠けても相生の輪廻で生み出すことが可能なのだ。
正に負けなしの超最強術。だからこそ、その代償も大きいといえる。
ちなみに五芒結星も唯一誰もが使える五気混合術だが、あれは印を刻む際に五気が必要である故、この特質には当てはまらない。
「そんな大層なもの、お前よく使えたな。あの生成法でなければ、あっという間に心力切れになるぞ」
確かに蒼士の言うとおりだ。五気術はその威力が故、消費する心力量も半端ではない。父上が発案した相生循環生成のお陰といっても過言ではない。使い方を間違えなければ、祈祷などにも心力を使う我々陰陽師にとっては願ってもない生成法だ。
「蒼士。相生循環生成を皆にも広めたいなら……陰陽頭の判断に任せるぞ」
蒼士は目を見開いて驚いていたが、少し考える素振りをして「いや」と口にした。
「人は力を持てば牙を剥く。皆がどんなに良い奴でも、心の闇までは分からぬ。それが分かるにはもっと僕自身が経験を積まなければ」
彼は寂しそうな目をして、そう言った。
蒼士は今、雅章殿のことを思っているのだろう。大罪を犯しても、あの男は己の尊敬した偉大な父なのだ。毅然に振る舞っているが、見捨てることも許すこともできず、心の底では悩んでいるに違いない。
だがその教訓には同感だ。
やはり、この男を陰陽頭に押し上げて良かった。
「それより大事なのは今やるべきことだ! 仕事は山積みだぞ。僕を推奨した責任として、今日はとことん手伝ってもらうからな、拓磨!」
――と思ったが、前言撤回するべきか。
鼻息荒く先に寮に入っていく蒼士の背を眺め、私は思わず頭を抱えた。
まぁ。今日はまだ長いし、仕方がない。
陰陽の未来を担う、陰陽頭様直々のご命令だ。付き合ってやるか。
快晴の青空を一目見て、私は蒼士を追って寮の中へと一歩を踏み出した。
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「そうか……、|其方《そなた》は魁停止の秘密を存じておうたか」
雷龍の討伐諸々を終え、私は帝に呼び出されて内裏に参内していた。任命式で一度お会いはしているものの、きちんとした形での謁見は初めてであり、緊張のあまり再び袖を通した|束帯《そくたい》の裾を軽く握る。
だが実際話してみる帝は物腰の柔らかい声色をしており、|御簾《みす》越しで姿は見えずともお人柄の良さが滲み出ていた。
「はっ、我が父・安曇尊が残した書に記されておりました。五気術の危険性を知りながら猛威を振るった暴挙、申し訳ない所存にございます」
「いや、其方がおらねばこの平安京は終わっておった。そのようなことを申すでない、むしろ余の方も謝らなければならぬ。其方を命の危険に晒して、すまなかった」
布の擦れる音がして、帝が頭を垂れたことを悟った。
「お止めあそばされませ、お上。それを承知の上で魁の位に就いたのは私でございます、当然のことをしたまでです。それより恐れながら、私からお願いがございます」
「何だ、申してみよ」
私の言葉に帝はすぐに反応を示した。
父上や母上、暁たちが魂をかけて収めてくれた五行気の怒りを、再び巻き起こすわけにはいかない。この先、また雷龍のような強敵が現れる可能性はあるが、それでも五気術は使うべきではない。
大丈夫だ。陰陽連の者たちは皆、これからも日々精進を重ねていく。五気術がなくとも、皆で力を合わせれば何とかなろう。
私が願うことは、ただ一つ。
「魁の位を、金輪際ご停止願いたい。そして私は、それを守る存在である|魁守《さきがけのもり》として就任することを望みます」
魁守。それは前例のない新しい位。
だが私は魁をただ停止するのでなく、守る存在が必要であると考えた。
魁という地位は残し、祖父上・|助規《たすき》がそうしたように巻物の所持権は魁のまま帝へお返しし、私はそれが解禁されぬよう守り後世に伝えていく。
これが私が〝魁〟として責任を担う、最後の役目。
「うむ、魁守か……。良い考えだ、其方の望むとおりに致そう。幹部たちには余から話を通す」
「ありがとうございます」
帝の言葉に私は深々と頭を下げた。
「拓磨よ、余からも一つ頼みがある。雅章が|此度《こたび》の責任を負って陰陽頭を辞任すると申し出た。そうでなくとも、あの者がその席に居座ることは断じて許されぬがな」
私との戦いに敗れた雅章殿は、その後自宅で蒼士と妻に見守られながら目を覚ましたが、今回のことで憔悴しており屋敷に引きこもっているそうだ。
私があの男の心力を奪ってしまったから、彼は陰陽師としても活動することはもうできない。直に陰陽連からも除名されるであろう。辞任を申し出たのは、せめてものケジメか。
「余は其方に次代の陰陽頭を任せたい……どうだ」
帝に〝頼みがある〟と口にされてから、そんな予感はしていた。
私は下げていた頭をゆっくり上げると、御簾の向こうの帝を真っ直ぐに見据えた。
翌日。
そろそろ任命式を終えるであろう《《奴》》を、いつかのお返しと言わんばかりに内裏の外で待ち伏せしていた。奴の時と違って日和は秋晴れの快適な陽気、待っているのは苦ではない。紅葉を見ながら優雅な時間を過ごしていた。
そして式を終えて、私を見つけるや否や難しい表情をして突き進んでくる男を、私は口元に笑みを浮かべて出迎えた。
「拓磨……。何故、僕に陰陽頭を譲った。魁のお返しと言うなら殴り飛ばすぞ」
奴なら喜んでその任を受けると思ったのだが、意外と深刻に受け入れているようだ。額に青筋が浮かぶのではと思うほど、蒼士は鬼のような剣幕で迫ってきた。
そんな蒼士に怯むことなく、むしろ軽く溜め息を吐いて奴を見下ろした。
「阿呆か。私は魁守という任に就いたし、朝廷からの任務を受けるという仕事の内容は変わっておらぬ。そんな人間が陰陽頭の責任まで果たせるか。それに……、部下たちを束ねていくのは、私ではなくお前の方が相応しいと思ったからだ」
雪音・氷雨と最後に対峙した時、蒼士の覇気迫る威勢に皆がついていき、命がけで私を守ってくれた。あれは日頃の蒼士に対する皆の信頼の証である。これまで寮に顔を出してこなかった私とは絆の深さが違うのだ。
帝にご提案した時、雅章の息子とあって懸念を示されていたが、説得の成果と私の推薦ということも相まって、最後にはご承諾くださった。
私の言葉を聞いた蒼士はしばらく睨みを利かせていたが、舌打ちをすると諦めて私から一歩引き盛大に溜め息を吐いた。
「ふん、上手いこと言いおって。面倒事を僕に押しつけただけではないか」
小言を言いながらも、口元は少しニヤけていた。
やはり少しは嬉しいようである。
「聞いたか。帝は此度のことで責任を取って、ご出家あそばされるそうだぞ。父上がやらかしたことだけに、僕も心が痛む」
「あぁ……、私もそこまでは考えていなかったのだがな」
内裏の前で立ち話も何なので、私たちは寮へ歩きながら話をした。
帝が退位すれば時代も変わる。今生の帝にはまだこの国を治めていてほしかったのだが、帝自身のご決断であれば誰も文句は言えまい。雅章殿を陰陽頭に任命したのが帝であることは、紛れもない事実だ。
それに信じていた雅章殿に襲撃をされたことが心労となったのか、少しご体調も優れないそうだ。帝からの信頼も厚かったのに、あの男は何を何処で間違えたのか。
そんなに憎かったのか。嘉納を脅かした安曇の存在が。
「あの帝のことだ、我々の意思は必ず次代の帝へと引き継いでくださるだろう」
「だと良いのだがなぁ。……僕もついに陰陽頭か~、時は流れるものよのう。拓磨」
……訂正、《《かなり》》喜んでいる。
そんな茶番はさて置き、先ほど浮かんだ疑問が私と蒼士の今後に不安を抱く。
私は蒼士とであれば、共にこの都の安泰を守っていきたいと思っている。
だが奴はどうだ。彼も嘉納の人間、私と手を取るのは面白くないのではないか。
「なぁ、蒼――」
「だが僕が陰陽頭になったからといって、敬う必要はないぞ拓磨。お前が僕の部下というのも気色悪いしな。これからは嘉納も安曇も対等な立場を保ち、陰陽連を見守っていこうではないか」
楽しそうに笑う蒼士を見ていて、私は言葉を飲んだ。
小馬鹿にされている気がしなくもないが……どうやら心配無用のようだ。
蒼士も此度のことで考えが改められ、一人の陰陽師として先を見据えている。我々はこれからも交わる必要はないが、いがみ合う必要もないのだ。切磋琢磨し互いに精進できる関係であることを私も望む。
この《《友》》であり生涯の好敵手、嘉納蒼士という男と共に。
私は奴の提案に小さく「あぁ」と答えた。
「ところでお前、何故|火《か》の気がないのに五気術を使えたのだ。その絡繰りを僕は聞いていないぞ」
私の心境など知る由もなく、蒼士は勝手にトントンと次の話を進めた。
しかし言われてみれば私はまだ、その説明をしていなかった。
「あれは五気混合術ならではの特質だ。五行|相生《そうしょう》の性質はお前も分かっているであろう」
それは五行思想の基本中の基本。木が燃えて火を生み、火から灰が生まれて土を作り、土から金が取れ、金に付く水滴で水を生み、水がまた木を育てる。この世の基本はこの五つの循環で生まれているという思想だ。
その五行の気全てを要する五気混合術は、だからこそ《《五気が揃わず》》とも発動できるのである。
「そうか、術を構成する過程で気を生み出すことができるのか」
蒼士もその特質に気づき、納得するように呟いた。
我々が普段使う術は必要な五行の物体から気を取り込む必要があるが、五気術は恐らく二つくらい欠けても相生の輪廻で生み出すことが可能なのだ。
正に負けなしの超最強術。だからこそ、その代償も大きいといえる。
ちなみに|五芒結星《ごぼうけっせい》も唯一誰もが使える五気混合術だが、あれは印を刻む際に五気が必要である故、この特質には当てはまらない。
「そんな大層なもの、お前よく使えたな。あの生成法でなければ、あっという間に心力切れになるぞ」
確かに蒼士の言うとおりだ。五気術はその威力が故、消費する心力量も半端ではない。父上が発案した相生循環生成のお陰といっても過言ではない。使い方を間違えなければ、祈祷などにも心力を使う我々陰陽師にとっては願ってもない生成法だ。
「蒼士。相生循環生成を皆にも広めたいなら……|陰陽頭《お前》の判断に任せるぞ」
蒼士は目を見開いて驚いていたが、少し考える素振りをして「いや」と口にした。
「人は力を持てば牙を剥く。皆がどんなに良い奴でも、心の闇までは分からぬ。それが分かるにはもっと僕自身が経験を積まなければ」
彼は寂しそうな目をして、そう言った。
蒼士は今、雅章殿のことを思っているのだろう。大罪を犯しても、あの男は己の尊敬した偉大な父なのだ。毅然に振る舞っているが、見捨てることも許すこともできず、心の底では悩んでいるに違いない。
だがその教訓には同感だ。
やはり、この男を陰陽頭に押し上げて良かった。
「それより大事なのは今やるべきことだ! 仕事は山積みだぞ。僕を推奨した責任として、今日はとことん手伝ってもらうからな、拓磨!」
――と思ったが、前言撤回するべきか。
鼻息荒く先に寮に入っていく蒼士の背を眺め、私は思わず頭を抱えた。
まぁ。今日はまだ長いし、仕方がない。
陰陽の未来を担う、陰陽頭様直々のご命令だ。付き合ってやるか。
快晴の青空を一目見て、私は蒼士を追って寮の中へと一歩を踏み出した。