第十一編 巡り繰り返して
ー/ー 木造のその足場の下では、水が轟音を立てていて。
一枚板のすぐ下に、茶色いコプの河が流れていることを、シルヴィカは感じながら進む。
下手な灯台よりも大きなブグの木たちの枝に沿ったその通路は、ときどきコケが生えていて。
縄の手すりに留まった大きな蛾を見ると。
「うひぇ……っ」
なんて声をシルヴィカはついつい洩らして、ハーフアップにした髪が揺れた。
視界一面の葉っぱたちには、ときどき極彩色の花が生えていて。
知らない鳥がどこかで、甲高い鳴き声を響かせる。
木漏れ日が微かに見える程度の、暗い暗いコプの森を。
シルヴィカはランタンを灯しながら、ただ歩き進んでいき。
やがて革水筒を首筋に当てると、「ぬるい……」と言った。
暦の上では、すでに白月。
これは故郷フィナリアなら冬籠りを始めている季節のはずで。
シルヴィカはそんな暦の話と現状の蒸し暑さの差を実感すると。
なんとなく自分だけ、時間が停滞しているように思えて。
小さな焦りが生まれているのを感じた。
この旅が終わったら、どうしようか。
そんなことを思いながら、シルヴィカはぼんやりと先を見つめていると。
ふと薄暗い通路の先に、小さな光が一つ、浮かんでいることに気づいて。
シルヴィカは通路の脇に寄りながら、近づいてきた小さな光に、あいさつをすると。
その光もまた、中性的な声であいさつを返してきた。
「あっ、やっと人だぁ」
なんて言っていたその声の主は、茶色い髪をショートヘアにした人で。
その人物はシルヴィカの顔が見える距離まで来ると。
「ねえ、『マッレの村』ってこの先道なりだよね?」
と言いながら、地図を広げて見せ。
シルヴィカがそれに驚く声を抑えながら。
「多分、真逆に進んでますよ……?」と答えると。
「えっ……マジ?」
なんてその人は声を洩らして。
「マジ、みたいです」
とシルヴィカはコンパスを地図の近くに添えた。
その人物はコンパスをしばらく凝視したあと、地図の方向をそれに合わせ。
それから「やらかした……っ」と呟くと。
「マジでありがとう! 取り返しつかなくなるところだった!」
とシルヴィカに頭を下げながら、両手を合わせていた。
どうやらそこそこ急ぎの用事があるらしいこの人物は。
シルヴィカに対し、エイテと名乗ると。
そのままシルヴィカと並んで歩き出して。
「いやぁ、ほんとありがとね」と何度も言っていた。
シルヴィカは顔を赤くしながら、手で軽くあおぐと。
「そんなに大事なこと、なんですか?」と首をかしげて。
エイテはそれに「そうなんだよ!」と言いながら、指をパチンと鳴らす。
なんでも、エイテは十年に一度しかないある祭りの重要な役目に選ばれたらしく。
そのためにわざわざダイラク地方の田舎町からこのあたりに来たのだというが。
「でも、方向音痴でねぇー」
とエイテは付け加えると。
シルヴィカの愛想笑いに、また「マジで助かった……」と言っていた。
そんなエイテの様子が、なんとなく気になって。
「そのお祭りって、どんな催しなんですか?」と。
シルヴィカは訊いてみたのだが、エイテはしばらく考え込み。
「君、出身はどこ?」と言ってから、その答えにうなずいて。
「なら、大丈夫そうだ」と微笑むと。
「秘密だよ?」
なんて口元で人差し指を立てて、エイテは不敵な笑みを浮かべながら。
「君がいるのも、ちょうどいいしね」
と言って、語り出した。
* * * * *
——その村の名前を見て、今朝のそんなことを思い出したシルヴィカは。
長い長い通路の先にある、その村へ迷わず向かっていく。
下の河には、石と泥を積み重ねて作ったであろうダムがあり。
それのおかげなのか、村に近づく頃には河は静かになっていた。
シルヴィカはその村の詳細が見えてくると、感嘆の声を思わず洩らし。
村を下から上へ、満足するまで仰ぎ見ると。
「ほんとにそうなんだ……」と呟きながら。
手帳をウエストポーチから出そうとして、その手を止めた。
その村は静かな、茶色い水面の上に築かれていて。
ブグの木たちに寄り添うように、建物が建てられていた。
高床式の家や船着場を行き交うボートたちの上には。
まるで巨大なツリーハウスのような。
あるいは鳥の巣箱のような。
そんな樹上都市が作り上げられていて。
その家々たちは、複雑に入り組んだ足場や階段で結ばれ。
場所によっては最下層まで直通のスロープまで設けられているようで。
子どもたちが歓声を上げながら滑り下り、大きな水しぶきを立てながら、河に落ちていた。
子どもの親らしき人たちの怒声が響く中、シルヴィカはその村へ入っていき。
それから、声をかけてくる村人たちに愛想笑いを向けながら、足場を進んでいくと。
手すりすら無いうえに、妙に急な階段を。
おずおずとシルヴィカは上って。
「これ、もし落ちたら……」
とか言いながらも、足場をゆっくり歩いていき。
やがて、奥のほうにある民家へと真っ直ぐ向かった。
薄い板が乗っかったような、簡素な屋根をしたその建物は。
入り口付近に、何やら人だかりができていて。
「おめでとう」だの。
「いやぁ、めでたいめでたい」だのと。
その構成員たちは口々に、家の中の人影に言っていて。
中には派手な色の花を束にして贈っている者もいた。
シルヴィカがその人たちに、おそるおそる近づいて。
「何か、あったんですか?」と、手近な者に訊いてみると。
歯抜けのおばあさんが笑いながら。
「雨入りだよ」と言っていて。
その家の玄関を見る限り、何やら葉っぱの飾りがされているようで。
人混みの声から察するに、めでたいことでもあるようだが。
その視線の先にいる少女は、少し迷惑そうにしていた。
彼女は真っ白なワンピース状の服装を着て、頭には花飾り。
黒い髪と褐色の肌をしたその少女は、あわあわと人混みを見上げており。
シルヴィカがそんな様子に、なんとなく親近感を覚えていると。
「あっ、お姉さん! 遅いよ! 何してたの⁉︎」とか言いながら。
少女はシルヴィカのほうを指さし、それから腕を組むと。
「えっ、あの、私——」というシルヴィカに。
「言いわけはあとで聞くから‼︎」
とか言いながら、どこかへ引っ張り始めて。
「わたし、ちょっとこの人と話ありますから!」
なんて、人混みの中を強引に押し進むと。
シルヴィカを連れて走り出して。
やがて周囲の声が聞こえないくらい離れると、人混みのほうをチラリと見やってから。
「ごめんなさい、ちょっと話合わせてください」と、シルヴィカに小声で言い。
シルヴィカはそれに「わかりました」と小さく答えた。
少女は走りながらシルヴィカの手を引き。
複雑な足場を迷いなく進んでいくと。
やがて村の最下層にまで下り。
この村唯一と言えそうな土の地面に着くと、ようやく止まる。
小島を彷彿とさせる、水面にぽつりとあるその地面で。
少女はシルヴィカの手を離すと。
「ふう、やっと静かだぁ」とか言いながら。
ぐぐっと伸びをして、それからため息をついた。
シルヴィカのほうへ、少女は振り返ると。
「ありがとうございます。手伝ってくれて」と言って。
それにシルヴィカは「いえいえ」と返しながら。
「でもどうして、あんなことに?」と首をかしげる。
村を頭上から見下ろす、真っ白な太陽を。
少女は手の指越しに見つめると。
「わたし、今日のお祭りの主役なんです」
……バカみたい。
なんて言って、それからうつむいた。
彼女が言うには、今日行われる祭りは『雨入り』と呼ばれるものだそうで。
この村が信仰する雨の神に、村で選ばれた未婚の女性が嫁入りをするというものらしい。
雨入りの主役に選ばれた女性は、夜になれば村最奥の神殿に向かい。
大勢の村人たちが鳴らす太鼓の音に祝福されながら。
やがて雨の神にその身を捧げるのだという。
「——歴代のお嫁さん、帰ってきてないんです」
少女はそう言いながら、シルヴィカのほうへ歩み寄ると。
「おじいちゃんたちはみんな『雲の都に行った』って言うけど……」
村のみんな、裏ではわかってるんですよ。
ただの口減らしだって。
なんて言って、少女はシルヴィカを見上げながら。
「ねえ、旅人さん……」と、消え入りそうな声を出すが。
シルヴィカは少女の頭を、そっと撫でながら。
「私には、このあたりの土地勘がありません」
あなたのお願いを聞くには、力不足です。
と目を伏せながら返して。
少女はそれに「……ごめんなさい」と言った。
そんな彼女にシルヴィカは、やりづらそうな目を向けて。
「でも……」と声をかけてみるが。
「大丈夫、わかってましたから」
なんて少女は言っていて。
「いや、そうじゃなくて」
「お姉さんの気持ちもわかりますから」
「いやほんと話聞いてください」
というようなやり取りを、二人はしばらく続けてから。
シルヴィカは少女の耳元に、そっと顔を近づけて。
「……ですよ」と、耳打ちをした途端に。
少女はシルヴィカの顔を、思わず見つめる。
彼女の手に、シルヴィカは手帳の切れ端を握らせると。
微笑みながら、口元で人差し指を立て。
少女は切れ端を開くなり、涙ぐむ。
真上に浮かぶ太陽を、シルヴィカはふと見上げると。
その光の眩しさに、思わず顔をしかめるが。
すぐに優しい笑みへと表情を変え、少女へ視線を戻した。
* * * * *
シルヴィカは少女と別れたものの、特にすることもないので。
村の人たちに、祭りについて訊いてみたのだが。
「うーん、外の人には教えられないなぁ」とか。
「祭りって言っても出店とかないわよ?」だとか。
なんとも微妙な情報ばかり手に入り。
シルヴィカは村で一人、うなだれていた。
すっかり日は沈みかけているうえに、村の風景もすっかり変わり。
村中の建物の前に、何やらさかずきのようなものが置かれているので。
シルヴィカはそれを蹴らないように、慎重に通路を歩いていくと。
やがて少女の家の前へ到着し、道の端にできた人だかりの中に混じった。
シルヴィカが混ざった場所の近くには、どうやら昼に会った人もいたようで。
「あら、お昼ぶりねぇ」なんてときどきする声に。
「あっ、はい、そうですね」と震えた声を返すことが何度かあった。
そんな妙な気まずさが漂う空間で、しばらく待ち続けていると。
ドンッ。
と腹に響くような太鼓の音が鳴って。
その残響が消えゆく間すら惜しむように。
トトト、トト、トトトン。
とまた太鼓の音がする。
少女の家のほうからは、笛のような音がして。
高く波打つその音に、太鼓は勢いを増していた。
少女の家からぬるりと出てきた、何人かの男性が。
手に持った松明に火を灯すと、揺らめく赤いその光を頭上に掲げ。
それから足並みを揃えながら、間隔を開けた二列になって歩き出すと。
やがて男たちの真ん中で、昼間の少女が歩いているのがシルヴィカには見えた。
シルヴィカはその集団が進む先を、人をかき分けながらに追っていき。
少女たちがだんだん下層に下り、水辺をボートで進んで。
そして何やら石で作られた建物に入るのを確認すると。
それからシルヴィカは、村の出入り口へ向かった。
出入り口の近くにも、何人かの村人はいたようで。
「しっかしご愁傷様だね」
「同じ家から二人も出るとはな」
「あれだろ? 村長と仲悪いって」
「目つきの悪い娘だったからな」
なんて言っている彼らを、シルヴィカはちらりと見やると。
そのまま何も言わずに、村を出て行く。
空に響く太鼓や笛の音へ、やがてかけ声が混じって。
赤い光から逃れるように歩みを進める。
『村のみんな、裏ではわかってるんですよ。ただの口減らしだって』
という、少女の言葉。
村に受け継がれるその連鎖に。
なんとなく思うところがありつつも。
シルヴィカはふぅ、とため息をついて。
何度か振り返ってみてから。
それからようやく、ランタンに火を灯した。
手元以外が見えないような、そんな真っ暗闇の中。
シルヴィカは慎重に、一歩ずつ、その通路を進んでいき。
葉々の擦れる音とか、自分の足音だとか。
そんなものしか聞こえなくなる頃に。
ふいにシルヴィカの背後から。
「お疲れさん」
なんて、中性的な声が聞こえて。
シルヴィカはそれにビクッと肩を跳ねさせたが。
やがて状況を理解すると「ほんっと、緊張しましたよ……」と言って、ランタンを向ける。
橙色の光に照らされたのは、エイテと昼間の少女であり。
エイテは「ごめんて」と言いながら、えへへと笑った。
* * * * *
マッレの村で十年に一度行われる『雨入り』の祭り。
それは天災を避けるために受け継がれてきた、生け贄の連鎖。
しかしいつからか、この祭りには村の者が知らない続きが存在していたのだ。
「——あくまで、『私には』土地勘がないという話ですよ」
昼間シルヴィカは、少女にそう言って。
エイテの書いたメモを、彼女に手渡した。
そこに書かれていたのは、神殿内部から出る方法で。
それはいつからか開いていた抜け道の場所であり。
『歴代の花嫁たちが』通ってきた道の歩きかただった。
そしてその道を当代に教えるのは、先代の花嫁の仕事であり。
本来ならエイテが今日任されていた大事な役目だったのだ。
「君は自分でやってくださいね?」なんて。
シルヴィカは少女と目線を合わせて言うと。
「仕方ないでしょ? 私方向音痴なんだから」
もしものことあったら、次の代以降みんな失敗しちゃうよ。
とエイテは口を尖らせ、それを見た少女は愛想笑いをしていた。
エイテは腰に手を当てると、それからぐぐっと伸びをして。
「もしかしたら、雨の神様も生け贄は望んでないのかもね」
と言ってから、しばらく空を見上げて。
それから歩き出すと、すぐに振り返る。
「道、こっちで合ってる?」
そんな彼女の言葉に、シルヴィカと少女は目を合わせると。
それからエイテのほうへ小走りをして。
「多分、合ってますよ」とか。
「わたしのほうが道詳しそう」とか。
そんなことを口々に言って。
やがてシルヴィカと二人が別れるまで。
三人はずっと、くだらない話をした。
一枚板のすぐ下に、茶色いコプの河が流れていることを、シルヴィカは感じながら進む。
下手な灯台よりも大きなブグの木たちの枝に沿ったその通路は、ときどきコケが生えていて。
縄の手すりに留まった大きな蛾を見ると。
「うひぇ……っ」
なんて声をシルヴィカはついつい洩らして、ハーフアップにした髪が揺れた。
視界一面の葉っぱたちには、ときどき極彩色の花が生えていて。
知らない鳥がどこかで、甲高い鳴き声を響かせる。
木漏れ日が微かに見える程度の、暗い暗いコプの森を。
シルヴィカはランタンを灯しながら、ただ歩き進んでいき。
やがて革水筒を首筋に当てると、「ぬるい……」と言った。
暦の上では、すでに白月。
これは故郷フィナリアなら冬籠りを始めている季節のはずで。
シルヴィカはそんな暦の話と現状の蒸し暑さの差を実感すると。
なんとなく自分だけ、時間が停滞しているように思えて。
小さな焦りが生まれているのを感じた。
この旅が終わったら、どうしようか。
そんなことを思いながら、シルヴィカはぼんやりと先を見つめていると。
ふと薄暗い通路の先に、小さな光が一つ、浮かんでいることに気づいて。
シルヴィカは通路の脇に寄りながら、近づいてきた小さな光に、あいさつをすると。
その光もまた、中性的な声であいさつを返してきた。
「あっ、やっと人だぁ」
なんて言っていたその声の主は、茶色い髪をショートヘアにした人で。
その人物はシルヴィカの顔が見える距離まで来ると。
「ねえ、『マッレの村』ってこの先道なりだよね?」
と言いながら、地図を広げて見せ。
シルヴィカがそれに驚く声を抑えながら。
「多分、真逆に進んでますよ……?」と答えると。
「えっ……マジ?」
なんてその人は声を洩らして。
「マジ、みたいです」
とシルヴィカはコンパスを地図の近くに添えた。
その人物はコンパスをしばらく凝視したあと、地図の方向をそれに合わせ。
それから「やらかした……っ」と呟くと。
「マジでありがとう! 取り返しつかなくなるところだった!」
とシルヴィカに頭を下げながら、両手を合わせていた。
どうやらそこそこ急ぎの用事があるらしいこの人物は。
シルヴィカに対し、エイテと名乗ると。
そのままシルヴィカと並んで歩き出して。
「いやぁ、ほんとありがとね」と何度も言っていた。
シルヴィカは顔を赤くしながら、手で軽くあおぐと。
「そんなに大事なこと、なんですか?」と首をかしげて。
エイテはそれに「そうなんだよ!」と言いながら、指をパチンと鳴らす。
なんでも、エイテは十年に一度しかないある祭りの重要な役目に選ばれたらしく。
そのためにわざわざダイラク地方の田舎町からこのあたりに来たのだというが。
「でも、方向音痴でねぇー」
とエイテは付け加えると。
シルヴィカの愛想笑いに、また「マジで助かった……」と言っていた。
そんなエイテの様子が、なんとなく気になって。
「そのお祭りって、どんな催しなんですか?」と。
シルヴィカは訊いてみたのだが、エイテはしばらく考え込み。
「君、出身はどこ?」と言ってから、その答えにうなずいて。
「なら、大丈夫そうだ」と微笑むと。
「秘密だよ?」
なんて口元で人差し指を立てて、エイテは不敵な笑みを浮かべながら。
「君がいるのも、ちょうどいいしね」
と言って、語り出した。
* * * * *
——その村の名前を見て、今朝のそんなことを思い出したシルヴィカは。
長い長い通路の先にある、その村へ迷わず向かっていく。
下の河には、石と泥を積み重ねて作ったであろうダムがあり。
それのおかげなのか、村に近づく頃には河は静かになっていた。
シルヴィカはその村の詳細が見えてくると、感嘆の声を思わず洩らし。
村を下から上へ、満足するまで仰ぎ見ると。
「ほんとにそうなんだ……」と呟きながら。
手帳をウエストポーチから出そうとして、その手を止めた。
その村は静かな、茶色い水面の上に築かれていて。
ブグの木たちに寄り添うように、建物が建てられていた。
高床式の家や船着場を行き交うボートたちの上には。
まるで巨大なツリーハウスのような。
あるいは鳥の巣箱のような。
そんな樹上都市が作り上げられていて。
その家々たちは、複雑に入り組んだ足場や階段で結ばれ。
場所によっては最下層まで直通のスロープまで設けられているようで。
子どもたちが歓声を上げながら滑り下り、大きな水しぶきを立てながら、河に落ちていた。
子どもの親らしき人たちの怒声が響く中、シルヴィカはその村へ入っていき。
それから、声をかけてくる村人たちに愛想笑いを向けながら、足場を進んでいくと。
手すりすら無いうえに、妙に急な階段を。
おずおずとシルヴィカは上って。
「これ、もし落ちたら……」
とか言いながらも、足場をゆっくり歩いていき。
やがて、奥のほうにある民家へと真っ直ぐ向かった。
薄い板が乗っかったような、簡素な屋根をしたその建物は。
入り口付近に、何やら人だかりができていて。
「おめでとう」だの。
「いやぁ、めでたいめでたい」だのと。
その構成員たちは口々に、家の中の人影に言っていて。
中には派手な色の花を束にして贈っている者もいた。
シルヴィカがその人たちに、おそるおそる近づいて。
「何か、あったんですか?」と、手近な者に訊いてみると。
歯抜けのおばあさんが笑いながら。
「雨入りだよ」と言っていて。
その家の玄関を見る限り、何やら葉っぱの飾りがされているようで。
人混みの声から察するに、めでたいことでもあるようだが。
その視線の先にいる少女は、少し迷惑そうにしていた。
彼女は真っ白なワンピース状の服装を着て、頭には花飾り。
黒い髪と褐色の肌をしたその少女は、あわあわと人混みを見上げており。
シルヴィカがそんな様子に、なんとなく親近感を覚えていると。
「あっ、お姉さん! 遅いよ! 何してたの⁉︎」とか言いながら。
少女はシルヴィカのほうを指さし、それから腕を組むと。
「えっ、あの、私——」というシルヴィカに。
「言いわけはあとで聞くから‼︎」
とか言いながら、どこかへ引っ張り始めて。
「わたし、ちょっとこの人と話ありますから!」
なんて、人混みの中を強引に押し進むと。
シルヴィカを連れて走り出して。
やがて周囲の声が聞こえないくらい離れると、人混みのほうをチラリと見やってから。
「ごめんなさい、ちょっと話合わせてください」と、シルヴィカに小声で言い。
シルヴィカはそれに「わかりました」と小さく答えた。
少女は走りながらシルヴィカの手を引き。
複雑な足場を迷いなく進んでいくと。
やがて村の最下層にまで下り。
この村唯一と言えそうな土の地面に着くと、ようやく止まる。
小島を彷彿とさせる、水面にぽつりとあるその地面で。
少女はシルヴィカの手を離すと。
「ふう、やっと静かだぁ」とか言いながら。
ぐぐっと伸びをして、それからため息をついた。
シルヴィカのほうへ、少女は振り返ると。
「ありがとうございます。手伝ってくれて」と言って。
それにシルヴィカは「いえいえ」と返しながら。
「でもどうして、あんなことに?」と首をかしげる。
村を頭上から見下ろす、真っ白な太陽を。
少女は手の指越しに見つめると。
「わたし、今日のお祭りの主役なんです」
……バカみたい。
なんて言って、それからうつむいた。
彼女が言うには、今日行われる祭りは『雨入り』と呼ばれるものだそうで。
この村が信仰する雨の神に、村で選ばれた未婚の女性が嫁入りをするというものらしい。
雨入りの主役に選ばれた女性は、夜になれば村最奥の神殿に向かい。
大勢の村人たちが鳴らす太鼓の音に祝福されながら。
やがて雨の神にその身を捧げるのだという。
「——歴代のお嫁さん、帰ってきてないんです」
少女はそう言いながら、シルヴィカのほうへ歩み寄ると。
「おじいちゃんたちはみんな『雲の都に行った』って言うけど……」
村のみんな、裏ではわかってるんですよ。
ただの口減らしだって。
なんて言って、少女はシルヴィカを見上げながら。
「ねえ、旅人さん……」と、消え入りそうな声を出すが。
シルヴィカは少女の頭を、そっと撫でながら。
「私には、このあたりの土地勘がありません」
あなたのお願いを聞くには、力不足です。
と目を伏せながら返して。
少女はそれに「……ごめんなさい」と言った。
そんな彼女にシルヴィカは、やりづらそうな目を向けて。
「でも……」と声をかけてみるが。
「大丈夫、わかってましたから」
なんて少女は言っていて。
「いや、そうじゃなくて」
「お姉さんの気持ちもわかりますから」
「いやほんと話聞いてください」
というようなやり取りを、二人はしばらく続けてから。
シルヴィカは少女の耳元に、そっと顔を近づけて。
「……ですよ」と、耳打ちをした途端に。
少女はシルヴィカの顔を、思わず見つめる。
彼女の手に、シルヴィカは手帳の切れ端を握らせると。
微笑みながら、口元で人差し指を立て。
少女は切れ端を開くなり、涙ぐむ。
真上に浮かぶ太陽を、シルヴィカはふと見上げると。
その光の眩しさに、思わず顔をしかめるが。
すぐに優しい笑みへと表情を変え、少女へ視線を戻した。
* * * * *
シルヴィカは少女と別れたものの、特にすることもないので。
村の人たちに、祭りについて訊いてみたのだが。
「うーん、外の人には教えられないなぁ」とか。
「祭りって言っても出店とかないわよ?」だとか。
なんとも微妙な情報ばかり手に入り。
シルヴィカは村で一人、うなだれていた。
すっかり日は沈みかけているうえに、村の風景もすっかり変わり。
村中の建物の前に、何やらさかずきのようなものが置かれているので。
シルヴィカはそれを蹴らないように、慎重に通路を歩いていくと。
やがて少女の家の前へ到着し、道の端にできた人だかりの中に混じった。
シルヴィカが混ざった場所の近くには、どうやら昼に会った人もいたようで。
「あら、お昼ぶりねぇ」なんてときどきする声に。
「あっ、はい、そうですね」と震えた声を返すことが何度かあった。
そんな妙な気まずさが漂う空間で、しばらく待ち続けていると。
ドンッ。
と腹に響くような太鼓の音が鳴って。
その残響が消えゆく間すら惜しむように。
トトト、トト、トトトン。
とまた太鼓の音がする。
少女の家のほうからは、笛のような音がして。
高く波打つその音に、太鼓は勢いを増していた。
少女の家からぬるりと出てきた、何人かの男性が。
手に持った松明に火を灯すと、揺らめく赤いその光を頭上に掲げ。
それから足並みを揃えながら、間隔を開けた二列になって歩き出すと。
やがて男たちの真ん中で、昼間の少女が歩いているのがシルヴィカには見えた。
シルヴィカはその集団が進む先を、人をかき分けながらに追っていき。
少女たちがだんだん下層に下り、水辺をボートで進んで。
そして何やら石で作られた建物に入るのを確認すると。
それからシルヴィカは、村の出入り口へ向かった。
出入り口の近くにも、何人かの村人はいたようで。
「しっかしご愁傷様だね」
「同じ家から二人も出るとはな」
「あれだろ? 村長と仲悪いって」
「目つきの悪い娘だったからな」
なんて言っている彼らを、シルヴィカはちらりと見やると。
そのまま何も言わずに、村を出て行く。
空に響く太鼓や笛の音へ、やがてかけ声が混じって。
赤い光から逃れるように歩みを進める。
『村のみんな、裏ではわかってるんですよ。ただの口減らしだって』
という、少女の言葉。
村に受け継がれるその連鎖に。
なんとなく思うところがありつつも。
シルヴィカはふぅ、とため息をついて。
何度か振り返ってみてから。
それからようやく、ランタンに火を灯した。
手元以外が見えないような、そんな真っ暗闇の中。
シルヴィカは慎重に、一歩ずつ、その通路を進んでいき。
葉々の擦れる音とか、自分の足音だとか。
そんなものしか聞こえなくなる頃に。
ふいにシルヴィカの背後から。
「お疲れさん」
なんて、中性的な声が聞こえて。
シルヴィカはそれにビクッと肩を跳ねさせたが。
やがて状況を理解すると「ほんっと、緊張しましたよ……」と言って、ランタンを向ける。
橙色の光に照らされたのは、エイテと昼間の少女であり。
エイテは「ごめんて」と言いながら、えへへと笑った。
* * * * *
マッレの村で十年に一度行われる『雨入り』の祭り。
それは天災を避けるために受け継がれてきた、生け贄の連鎖。
しかしいつからか、この祭りには村の者が知らない続きが存在していたのだ。
「——あくまで、『私には』土地勘がないという話ですよ」
昼間シルヴィカは、少女にそう言って。
エイテの書いたメモを、彼女に手渡した。
そこに書かれていたのは、神殿内部から出る方法で。
それはいつからか開いていた抜け道の場所であり。
『歴代の花嫁たちが』通ってきた道の歩きかただった。
そしてその道を当代に教えるのは、先代の花嫁の仕事であり。
本来ならエイテが今日任されていた大事な役目だったのだ。
「君は自分でやってくださいね?」なんて。
シルヴィカは少女と目線を合わせて言うと。
「仕方ないでしょ? 私方向音痴なんだから」
もしものことあったら、次の代以降みんな失敗しちゃうよ。
とエイテは口を尖らせ、それを見た少女は愛想笑いをしていた。
エイテは腰に手を当てると、それからぐぐっと伸びをして。
「もしかしたら、雨の神様も生け贄は望んでないのかもね」
と言ってから、しばらく空を見上げて。
それから歩き出すと、すぐに振り返る。
「道、こっちで合ってる?」
そんな彼女の言葉に、シルヴィカと少女は目を合わせると。
それからエイテのほうへ小走りをして。
「多分、合ってますよ」とか。
「わたしのほうが道詳しそう」とか。
そんなことを口々に言って。
やがてシルヴィカと二人が別れるまで。
三人はずっと、くだらない話をした。
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