硝子の中の静寂
ー/ー 街外れのバス停の横に、古びた公衆電話ボックスがあった。
かつては鮮やかであっただろう電話は、陽の光に焼けて淡い緑に変色している。
テレホンカードの挿入口に、最後にカードが差し込まれたのはいつなのか。今日も悪戯で紙が押し込まれていた。
潰された空き缶、お菓子の袋。踏みつけられたガム。
誰も見向きもしない電話ボックスを、毎週土曜日の朝、決まって掃除に来る男がいる。
男の名は、佐藤といった。
ゴミをひとつひとつ拾いまとめ、手際よく掃除を始める。
使い古したネル生地の布を手に、丁寧に、壊れ物を扱うような手つきで硝子を拭く。
排気ガスでくすんだ透明度が戻るたび、ボックス内の景色はゆっくりと現代へ引き戻される。
「……よしよし、今日も綺麗になったな」
独り言をつぶやき、最後に受話器を磨き上げたときだった。
彼はふと思い出したように、その冷たい受話器を耳に当てた。
受話器の向こう側にいるはずのない誰かへ向かって、小さく呟いた。
「ああ。元気か?」
十年前、この場所で、公衆電話から家へ電話をかけようとして事故に遭った息子。
携帯電話を持たせるにはまだ早すぎると、佐藤は頑なに買い与えなかった。
その日、息子はこの場所で最期を迎えた。
それ以来、彼はこの場所を磨き続けている。
誰に頼まれたわけでもない。
ただ、硝子の向こう側を、きれいに磨き上げ、ゴミを片付けていれば、いつかふらりと、息子がここへ戻ってくるのではないか……
そんな、理屈では説明のつかない思いだけが、彼の腕を動かしていた。
佐藤が受話器を置くと、眼前の空間は再び、沈黙を守る古びた公衆電話に戻った。
道具をまとめ、立ち上がる。
電話ボックスの足元に、小さな青い花が咲いていた。いつの間に咲いたのか。まだ冷たい風の中で精一杯咲く姿に、彼はふと笑みをこぼした。
「じゃあ、また来るからな」
磨き上げられた硝子は、朝の光を反射して、まるで宝石のように輝いている。
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