表示設定
表示設定
目次 目次




第九編 旧き友との再会

ー/ー



 その日は赤日(せきじつ)、つまりは週始めで。
 シルヴィカが訪れたその街では、大規模な市場が開かれていた。

 荒野に広がる寂れた街であっても、毎週この日だけは人混みが築かれ。
 誰も彼もが大きなカゴを持って、出店を含むいろんな店へ足を運ぶ。

 宿の店主いわく、「今日食いっぱぐれたら、紫日(しじつ)までの一週間食えないからね」とのことで。
 どうやらこの街の人々は、一週間分の買い物をこの一日で済ませるらしかった。

 シルヴィカは街中央の、ちょっとした広場に向かうなり、円状に並んだベンチに座ると。
「決まった色日(しきじつ)に市開くのはフィナリアにもあったけど……」
 週一回はさすがに見たことないなぁ。
 なんて、広場の周りをぐるぐる回る人だかりを見て呟いた。

 人の壁の向こうでは、落ちた商品をしれっと棚に戻す店主や。
 トルティーヤを奪い合い暴力沙汰にまで発展させる客たちが見えて。
「これ、どうやって入ろう……」とため息をついたあと、シルヴィカは頭をかかえた。

『ツイの街』までの旅路は、もう終盤に差しかかりつつあって。
 次の地域を乗り越えるためにも、ここでの補給は必須だった。

 シルヴィカは手帳を開くと、事前に作っておいた今日買うもののリストを確認し。
 今の市場の状況を見ながら、それの修正を始める。
 そんなことをしている場合じゃない気もするが。
 なんとなく、現実逃避がしたかったのだ。

 現状必須なものは、三週間分の日持ちする食料。
 例えばチーズや干し肉、ドライフルーツ。
 水が腐った際に、混ぜても使える低度数の酒や。
 あとは消耗が気になってきた糸や布の類い、消毒液抽出用の強い酒も欲しい。

 そんなふうにまとめると、手帳を素早くしまって、しばらく眉根を寄せてから。
「よ、よぉし!」なんて、気合を入れてシルヴィカは。
 人混みへ向かって、試しに突撃してみるが。

「のわっ⁉︎」
 という変な悲鳴とともに弾き飛ばされ。

 挙げ句の果てに通行人から「綺麗な受け身だったね」なんて笑われてしまい。
 シルヴィカは顔を赤くしながら、またベンチに戻って。
「多分まずい流れだ……っ」なんて、再び頭をかかえた。

 実のところシルヴィカは、すでに二十分は広場に滞在していて。
 それなのにこの市場の人混みは、一向に減る気配がなく。
 露骨に目減りしていく近くの露店の商品を、ただ焦りながら見守るはめになっていた。

 とはいえ、このままでは旅の途中で飢えてしまう。行き倒れてしまう。
 そう考えたシルヴィカは、深呼吸を何度かすると。
 今度は人混みの流れに乗るように、混ざり込んでみるが。
 流れにこそ乗れたものの、予想していたことが起きて。
「人で、人で前が見えない‼︎」なんてことになった。

 このあたりの人は背が高いのか。
 シルヴィカの背が低いのか。
 おそらく後者だが。
 それもあって、ひたすら流れる人の川でシルヴィカはぐるぐると。
 ただただ翻弄されながら流されていき。
 そのうえ後ろから来た人に押し出されて。
 ついには人混みからせり出されてしまった。

「ぁあっとっと!」と言いながらも、バランスを取ったシルヴィカは。
 その視線を少し上へ動かすなり、そこにもまた店があることに気づいて。

 しかもその店は意外なことに、ほとんど客が来ておらず。
 背の高い建物の影にあたる、薄暗い寂れた石造りの路地で。
 ぽつんと孤独に構えられていて。
 その店たちは皆、謎の哀愁を漂わせていた。

 シルヴィカは首をかしげながらも。
 手近な出店に寄ってみて、店の看板を読んでみると。
 どうやらそこは、『異方食料品』を扱っている店らしく。
 商品棚には現物ではなく、名前に簡単なイラストを添えたプレートが置かれ。
 顔色の悪い店主の背後にある木箱たちを見るに、商品はそこにあるようだった。

「現物見たいなら言ってね」
 なんて言う店主に、シルヴィカはうなずくと。
 棚に並んだプレートを流すように見渡していく途中で、その視線を止める。
 シルヴィカはあわてて手帳を取り出し、現地の言葉のメモを開くと。
 何度かそのメモとプレートを交互に見て。

「これ、トナカイ肉……ですよね?」
 と声を裏返らせながら言った。

「お嬢ちゃんもしかしてフィナリアの人かい?」
 という言葉に、シルヴィカがブンブンうなずくと。
「ならこの肉の質もわかるんじゃないかな?」
 なんて店主は木箱から、一塊の干し肉をドンッと。
 商品棚に置いてみせて、シルヴィカはそれに感嘆の声を上げた。

「お肉の質は、わかりません、けど……トナカイですね」
 真っ黒なその肉には、何やらスパイスのようなものがかかっていおり。
 それをしばらく、じっくりと見つめるシルヴィカに店主は。
「輸入品だから高いんだけど、今なら半額だよ」
 なんて微笑みながらに言っていて。

「いくらですか?」とまだ見つめるシルヴィカに。
 店主は指を三本立てながら、「小貨(しょうか)三枚!」と返した。

 その言葉にシルヴィカは顔をほころばせつつも。
 ポーチから財布を取り出そうと手を動かし。
 それに少し手間取っている間に背後から。
「ちょっと嬢ちゃんごめんよ。俺にも見せてね」
 なんて、明るい調子の声とともに、青年が現れ。

「あっ、ごめんなさい」なんて、シルヴィカは脇へ避けると。
「えっ、見たことねぇんだけど、おやじこれなんの肉?」
 と彼は訊いていて、店主は「トナカイだよ。小貨六枚」と返していた。

 ようやくシルヴィカが財布を出したときには、青年はもう「買った!」と言い出していて。
 それに対して店主は「ああ、でもその子に……」とシルヴィカを手で指す。
「えぇ、そうなのか?」なんて、青年は言うと。
 シルヴィカのほうへ振り向いて、それから。

「……シルヴィカ?」と小さく言った。

 微かに風が吹いたのか、青年の短い黒髪が揺れて。
 彼は干し肉に当たらないように、朱色の羽織りを手で押さえる。
 そんな青年をじっと見ながら、シルヴィカは開いた口を片手で覆い。
「マコトさん……?」と、やがて言うと。

「人違いじゃない感じ……?」
 なんて青年は返し、シルヴィカはそれにうなずく。

 その青年はシルヴィカが故郷を発ってから初めて出会った人物であり。
 かつて戦友を二度殺めた後悔を秘めていた、包帯の青年。
 そんな彼が包帯の取れた元気な姿で、目を見開いているので。
 そんな様子をシルヴィカは、覗き込むように眺めた。

 それからしばらく二人は、無言で見つめ合うと。
「マジかひさしぶり!」とか。
「お元気、でしたか?」とか。
「そりゃもう快復よ。半年以上経ってんだぜ?」だとか。
 そう互いに交わし始めて。

 そんな言葉を店主は、大げさな咳払いで遮るなり。
「で、どっちが買うんだい?」
 小貨六枚だけど。なんて。
 眉根を寄せつつも、にこやかに二人を交互に見つめる。
 そうして生まれた沈黙の内側で、シルヴィカとマコトは二人で見つめ合うと。
 互いに小貨を三枚、財布から取り出した。

 * * * * *

 それからやがて、昼過ぎになり。
 街中の店たちが商品を根こそぎ買われたあと。
 シルヴィカとマコトは、カゴいっぱいの荷物を持って、特に目的もなく歩いていた。

 広場近くに来てみると、ほとんどの出店が店の解体や施錠をしていて。
 それをぼんやりと見つめたあとに、シルヴィカはマコトへ。
「今日はほんと、ありがとうございます」と伝え。

「まさか『盾になれ』と言われるとはな……」というマコトの返事に。
「そんな言いかた、してません!」と頬を膨らませた。

 二人はベンチに座り込むと、カゴを自身の脇に置いて。
「ふぃーっ」だの。
「すげぇ人混みだったなぁ」だの。
 好き勝手に声を洩らしながら、しばらく脱力する。

 街の中では、カゴに大荷物を詰めた人たちが、談笑しながら歩いていて。
 そうしてやがて、それぞれの家とおぼしき場所へ、入っていく。
 しばらくすると、その家たちから子どもたちが出てきながら。
「やっと自由だ!」なんて言っている。
 そんな光景を、シルヴィカはぼんやりと見つめていたのだが。
 ふいに、『レストラン』と書かれた看板を見つけた。

 それはこの地域では珍しい、木造の建物に添えてあり。
 よく見ると、街の人も何人かはそこに向かっていた。

「マコトさん、あれ……」とそれを指さしたシルヴィカに。
「おっ、いいねぇ」なんてマコトは言っていて。
 シルヴィカは彼のほうを見ると。
「今日のお礼、で、その、奢ります」と言った。

 マコトはそんな言葉に、にやりとした笑みを浮かべ。
「金あんのかぁ?」とか言っていたが。
「自重してくださいね」とシルヴィカが返すと。
 二人は同時に、のっしりとした動きで立ち上がって。
 そのままカゴを両手にかかえ、レストランへと歩いていく。

「やりたいことは、やれたのかい?」と訊くマコトに。
 シルヴィカは少し目を伏せながら。
「もうちょっと、ですかね」と。
 そんなことを返しながら、レストランの扉を開いて。
 その扉の動きに、カランコロンと、陶器製の小さなベルが鳴った。

 * * * * *

 ウェイトレスに案内され、四角いテーブルを挟んで座った二人は。
 それぞれ荷物を置きながら、メニュー表を開いて。

「俺このパイみたいなやつ気になるなぁ」
「お腹いっぱい、食べていいんですよ?」
「いいのかぁ? お前破産するぞ?」
「怖っ……」
 とかなんとか言い合いながら注文を決めると、ウェイトレスにそれを伝えた。

 店内は買い物帰りの人たちでごった返していて。
 薄暗い店内の中で、それぞれの日常の会話が混ざり合い。
 一つの環境音ともいえるものを作り上げている。

 テーブルの中央に、小さな花瓶が置いてあり。
 そこにはこの地方で『光り草』と呼ばれる植物がその中で。
 ぼんやりと、青白い光でテーブルの上を照らしていた。

 やがて注文していた飲み物が先に届き。
 シルヴィカは届いた紅茶に口をつけながら。
 マコトが白濁とした酒を飲んでいることに気づき。
「お酒、強いんですか?」なんて首をかしげると。

「紅茶が好かないだけだよ」とマコトは言い。
 シルヴィカはそれに、「飲んでる人の前で……」と呟く。

 しばしの沈黙の中で、ふと目を逸らしたシルヴィカは。
 ただぼんやりと、窓の外を見つめていたが。
 どことなく、マコトの視線を感じて。
 彼のほうへ向き直してから。
「あれから、どうでした?」と訊いてみると。

 マコトは酒の入った木のコップを揺らしながら。
「街の薬師に『完治でいいと思うよぉ』とか言われたんでな」
 クレスの一件もあったし、贖罪がてら寂しい寂しい一人旅って感じだ。
 ……知りたいことも、できたしさ。と言った。

「知りたいこと……?」
 シルヴィカの言葉に、マコトはうなずくと。
「ああ、興味本位だけどな」
 なんて言ってから、にししと笑う。

 シルヴィカは彼の言葉に、ほっと胸を撫で下ろし。
「そっか、よかった」と優しく微笑んでから。
 紅茶の揺れる赤色を、じっと見下ろすと。
「まっ、まだまだ死ねないってことだな!」
 なんてマコトは軽く言い放って、それに対して。
 シルヴィカは一瞬、目を見開いた。

 彼女の顔をちらりと見るなり。
「ん?」なんて言いながら。
 マコトは酒を飲み込むと。
「なあ、ちょっと賭けをしないか?」と急に言い出し。
 買ったものの入ったカゴを漁ると、何やら紙箱を取り出し始めて。

「あの、私、そこまでお金は……」と返すシルヴィカに。
「割り勘したものがあるだろ?」
 あれの余りを賭けるんだよ。
 とか言いながら、箱から何やら市松模様をした板を出し。
 ついでのように箱から落ちてきた、小さな紙を眺めながら。
 コイン状をした駒を、互いに隣接しないよう板の上に並べ始めたので。

 そんな彼を見つめてシルヴィカは、あごに指を当てると。
「こうですか?」と、見様見真似で駒を配置していき。
 それにマコトはにやりとしながら。
「交渉成立だな!」と言った。

 やがて駒を並べて終わると、マコトは先ほど見ていた紙をまた広げ。
「ちょっと待てよ……あ、ここか」とか言ってから。
『ドラフツ』のルールとやらを神妙な口調で語り始める。

「まず、『ゲームは付属している縦横十マスのボード上で行います』……敬語略すわ」
 通常の駒は斜め前方一マスに動ける。
 味方の駒があるマスは原則として通過できない。
 敵の駒は飛び越えて、その先のマスに移動可能である。
 飛び越える際は斜め後ろでも良く、飛び越された駒は取り除かれる。
 ただし、飛び越えることが可能なら必ず『最も多くの駒を取り除けるルート』を選ぶこと。
 また、敵駒を飛び越えられる場合は必ず実行すること。
 板の最奥、敵陣に行った駒は裏返りキングとなる。
 キングは斜め方向なら好きな距離動ける。
 駒がなくなるなりして、相手が駒を動かせなくなったら勝利。

「……まあ、やったらわかるだろ」
 長々と語った挙げ句そう締めたマコトは、紙を懐にしまうと。
「ちなみに、このゲームやったことある?」と首をかしげてみせて。
 シルヴィカは首を横に振った。

 マコトが駒を動かすと。
 それに対応するようにシルヴィカも動かし。

 互いに駒が取られないように、盤面は動いていき。
 一手ごとに、白黒二色の駒たちは。
 まるで水と油のように。
 歪みながらぶつかっていて。
 シルヴィカがその手番を終えると。
 盤面は膠着状態になり、マコトがどう動かしても駒が取られる形になった。

 マコトは盤面の上で、手を右往左往させてから。
 その手を頭の後ろに回して、そのまま席にもたれる。

「そういや、そっちはあれからどうだったんだ?」
「えっと、どうって……?」

「旅のこと、話してくれないか?」
 そう言われたシルヴィカは、しばらくあごに指を当てて。
 そして一瞬うつむくと、ぽつりと話を始める。

 それはマコトと別れてからの旅の話であり。
 救えなかった、命の話。

 シルヴィカはオリの村やその生き残りたちとのことを話すと、ペンダントをギュッと握り。
「……私にできること、ほんとに少ないんだなって」と小さく言ってから。
 うつむいて、目を閉じた。

 マコトは駒を動かすと、「そっか」と返して。
 シルヴィカはぎこちない動きで、マコトの駒を取る。

「悔しかったか?」

 マコトは二つ、駒を取って。
 うなずきながらシルヴィカは、一つ駒を取る。

「全部、間違いだったんじゃないかって」
 意味も、なかったんじゃないかって。

 マコトが駒を動かすと。
 シルヴィカはその駒を取り。
 マコトはシルヴィカの動かした駒を動かして。
 自分の駒を、盤面から取り除いた。

「あっ、取れたんだ……すみません……」と言うシルヴィカに。
「いろいろあったんだな」と返したマコトは。
 シルヴィカの駒を二つ取ると、キングを作って。
 それにより開いたマスを使って、シルヴィカは駒を一つ倒す。

「……俺さ、『あの森』以来、ごまかしはしないって決めたんだよ」
 だから今から言うのは、全部ほんとな。

 マコトはキングで駒を取りながら、そんなことを言うと。
 駒を動かしたシルヴィカが、その目を見るのをじっと待って。
 それから、深呼吸をしてから。

「——お前に感謝しているやつは、ここにいる」
 これだけは絶対に、間違いなんかじゃない。
 お前は命と同じくらい、大事なものを救えるんだよ。
 もしお前が不安になったら、俺は何度だって言うよ。

「お前には、心を救う力があるって」

 真っ直ぐな目で、そう言うと。
 それからしばらくシルヴィカの目を見ていて。

 そこからさらに時間が経つと、だんだん顔が赤くなり。
 そして彼はついにそっぽを向き始め。
「あの、反応……くれませんかね」
 と消え入りそうな声で言った。

 シルヴィカはそんな彼に、しばらく微笑んでいたが。
 やがて、両手で顔を覆いながらうつむくと。
 小刻みにその身体を震わせて、ついには吹き出し、笑い声を上げる。

「おまっ、真剣な話だからな⁉︎」
 シルヴィカは口元を押さえながら。
 しばらくずっと笑い続けていて。

 やがて、涙を指で拭うと。
「だってぇ、耳まで真っ赤……っ」とまた笑う。
「はいはい、俺が悪ぅございました!」
 とマコトが口をとんがらせつつ駒を動かすと。
 シルヴィカはその斜め前に駒を動かしながらも。
「あはは、おかしい……」とまだ言っていて。
 そんな様子のシルヴィカに、マコトが優しい目で。
「元気、出たかよ?」と言うと。

「誰かさんのおかげで」
 なんて、シルヴィカは笑った。

 * * * * *

 それからの勝負は、あっさりと決着を迎え。
「いいか? ここで切るからな?」と皿に乗せた干し肉へナイフを当てるマコトに。
「そのナイフ洗ってます……?」とシルヴィカが首をかしげると。

「洗ってる——よっと!」という声とともに。
 トンッという小気味いい音が響いて。
 等分でない比率に切れた干し肉を、それから二人は分け合った。

「そういやお前、なんでトナカイ肉欲しがってたの?」
 なんて、肉を眺めながら言うマコトに対し。
「故郷の味ですから」とシルヴィカが返すなり。

「あっ……そっか、そうだわ」
 とかマコトは言い出して、しばらくの間彼はずっと。

「そうかお前、ああ、北方系だから……そうだよなぁ」
 と目元を手で覆いながら言い続けていたので。

 シルヴィカは横から覗き込むと、彼へにやりとした笑みを見せて。
「干し肉、交換してもいいんですよ?」と言うが。
「ふん、勝ちは勝ちさ」とマコトは返した。

 ——ちなみに。

 なぜ一人旅をしているマコトが、二人用ゲームであるドラフツを買っていたのか。
 その理由をシルヴィカは、彼と別れる直前に一度訊いてみたのだが。
『あのとき誰かさんが追っかけてきた理由と一緒』
 なんて、本人は言っていた。

 どうやらマコトは、回りくどくて不器用な人間らしい。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第十編 同じ道と別の道


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 その日は|赤日《せきじつ》、つまりは週始めで。
 シルヴィカが訪れたその街では、大規模な市場が開かれていた。
 荒野に広がる寂れた街であっても、毎週この日だけは人混みが築かれ。
 誰も彼もが大きなカゴを持って、出店を含むいろんな店へ足を運ぶ。
 宿の店主いわく、「今日食いっぱぐれたら、|紫日《しじつ》までの一週間食えないからね」とのことで。
 どうやらこの街の人々は、一週間分の買い物をこの一日で済ませるらしかった。
 シルヴィカは街中央の、ちょっとした広場に向かうなり、円状に並んだベンチに座ると。
「決まった|色日《しきじつ》に市開くのはフィナリアにもあったけど……」
 週一回はさすがに見たことないなぁ。
 なんて、広場の周りをぐるぐる回る人だかりを見て呟いた。
 人の壁の向こうでは、落ちた商品をしれっと棚に戻す店主や。
 トルティーヤを奪い合い暴力沙汰にまで発展させる客たちが見えて。
「これ、どうやって入ろう……」とため息をついたあと、シルヴィカは頭をかかえた。
『ツイの街』までの旅路は、もう終盤に差しかかりつつあって。
 次の地域を乗り越えるためにも、ここでの補給は必須だった。
 シルヴィカは手帳を開くと、事前に作っておいた今日買うもののリストを確認し。
 今の市場の状況を見ながら、それの修正を始める。
 そんなことをしている場合じゃない気もするが。
 なんとなく、現実逃避がしたかったのだ。
 現状必須なものは、三週間分の日持ちする食料。
 例えばチーズや干し肉、ドライフルーツ。
 水が腐った際に、混ぜても使える低度数の酒や。
 あとは消耗が気になってきた糸や布の類い、消毒液抽出用の強い酒も欲しい。
 そんなふうにまとめると、手帳を素早くしまって、しばらく眉根を寄せてから。
「よ、よぉし!」なんて、気合を入れてシルヴィカは。
 人混みへ向かって、試しに突撃してみるが。
「のわっ⁉︎」
 という変な悲鳴とともに弾き飛ばされ。
 挙げ句の果てに通行人から「綺麗な受け身だったね」なんて笑われてしまい。
 シルヴィカは顔を赤くしながら、またベンチに戻って。
「多分まずい流れだ……っ」なんて、再び頭をかかえた。
 実のところシルヴィカは、すでに二十分は広場に滞在していて。
 それなのにこの市場の人混みは、一向に減る気配がなく。
 露骨に目減りしていく近くの露店の商品を、ただ焦りながら見守るはめになっていた。
 とはいえ、このままでは旅の途中で飢えてしまう。行き倒れてしまう。
 そう考えたシルヴィカは、深呼吸を何度かすると。
 今度は人混みの流れに乗るように、混ざり込んでみるが。
 流れにこそ乗れたものの、予想していたことが起きて。
「人で、人で前が見えない‼︎」なんてことになった。
 このあたりの人は背が高いのか。
 シルヴィカの背が低いのか。
 おそらく後者だが。
 それもあって、ひたすら流れる人の川でシルヴィカはぐるぐると。
 ただただ翻弄されながら流されていき。
 そのうえ後ろから来た人に押し出されて。
 ついには人混みからせり出されてしまった。
「ぁあっとっと!」と言いながらも、バランスを取ったシルヴィカは。
 その視線を少し上へ動かすなり、そこにもまた店があることに気づいて。
 しかもその店は意外なことに、ほとんど客が来ておらず。
 背の高い建物の影にあたる、薄暗い寂れた石造りの路地で。
 ぽつんと孤独に構えられていて。
 その店たちは皆、謎の哀愁を漂わせていた。
 シルヴィカは首をかしげながらも。
 手近な出店に寄ってみて、店の看板を読んでみると。
 どうやらそこは、『異方食料品』を扱っている店らしく。
 商品棚には現物ではなく、名前に簡単なイラストを添えたプレートが置かれ。
 顔色の悪い店主の背後にある木箱たちを見るに、商品はそこにあるようだった。
「現物見たいなら言ってね」
 なんて言う店主に、シルヴィカはうなずくと。
 棚に並んだプレートを流すように見渡していく途中で、その視線を止める。
 シルヴィカはあわてて手帳を取り出し、現地の言葉のメモを開くと。
 何度かそのメモとプレートを交互に見て。
「これ、トナカイ肉……ですよね?」
 と声を裏返らせながら言った。
「お嬢ちゃんもしかしてフィナリアの人かい?」
 という言葉に、シルヴィカがブンブンうなずくと。
「ならこの肉の質もわかるんじゃないかな?」
 なんて店主は木箱から、一塊の干し肉をドンッと。
 商品棚に置いてみせて、シルヴィカはそれに感嘆の声を上げた。
「お肉の質は、わかりません、けど……トナカイですね」
 真っ黒なその肉には、何やらスパイスのようなものがかかっていおり。
 それをしばらく、じっくりと見つめるシルヴィカに店主は。
「輸入品だから高いんだけど、今なら半額だよ」
 なんて微笑みながらに言っていて。
「いくらですか?」とまだ見つめるシルヴィカに。
 店主は指を三本立てながら、「|小貨《しょうか》三枚!」と返した。
 その言葉にシルヴィカは顔をほころばせつつも。
 ポーチから財布を取り出そうと手を動かし。
 それに少し手間取っている間に背後から。
「ちょっと嬢ちゃんごめんよ。俺にも見せてね」
 なんて、明るい調子の声とともに、青年が現れ。
「あっ、ごめんなさい」なんて、シルヴィカは脇へ避けると。
「えっ、見たことねぇんだけど、おやじこれなんの肉?」
 と彼は訊いていて、店主は「トナカイだよ。小貨六枚」と返していた。
 ようやくシルヴィカが財布を出したときには、青年はもう「買った!」と言い出していて。
 それに対して店主は「ああ、でもその子に……」とシルヴィカを手で指す。
「えぇ、そうなのか?」なんて、青年は言うと。
 シルヴィカのほうへ振り向いて、それから。
「……シルヴィカ?」と小さく言った。
 微かに風が吹いたのか、青年の短い黒髪が揺れて。
 彼は干し肉に当たらないように、朱色の羽織りを手で押さえる。
 そんな青年をじっと見ながら、シルヴィカは開いた口を片手で覆い。
「マコトさん……?」と、やがて言うと。
「人違いじゃない感じ……?」
 なんて青年は返し、シルヴィカはそれにうなずく。
 その青年はシルヴィカが故郷を発ってから初めて出会った人物であり。
 かつて戦友を二度殺めた後悔を秘めていた、包帯の青年。
 そんな彼が包帯の取れた元気な姿で、目を見開いているので。
 そんな様子をシルヴィカは、覗き込むように眺めた。
 それからしばらく二人は、無言で見つめ合うと。
「マジかひさしぶり!」とか。
「お元気、でしたか?」とか。
「そりゃもう快復よ。半年以上経ってんだぜ?」だとか。
 そう互いに交わし始めて。
 そんな言葉を店主は、大げさな咳払いで遮るなり。
「で、どっちが買うんだい?」
 小貨六枚だけど。なんて。
 眉根を寄せつつも、にこやかに二人を交互に見つめる。
 そうして生まれた沈黙の内側で、シルヴィカとマコトは二人で見つめ合うと。
 互いに小貨を三枚、財布から取り出した。
 * * * * *
 それからやがて、昼過ぎになり。
 街中の店たちが商品を根こそぎ買われたあと。
 シルヴィカとマコトは、カゴいっぱいの荷物を持って、特に目的もなく歩いていた。
 広場近くに来てみると、ほとんどの出店が店の解体や施錠をしていて。
 それをぼんやりと見つめたあとに、シルヴィカはマコトへ。
「今日はほんと、ありがとうございます」と伝え。
「まさか『盾になれ』と言われるとはな……」というマコトの返事に。
「そんな言いかた、してません!」と頬を膨らませた。
 二人はベンチに座り込むと、カゴを自身の脇に置いて。
「ふぃーっ」だの。
「すげぇ人混みだったなぁ」だの。
 好き勝手に声を洩らしながら、しばらく脱力する。
 街の中では、カゴに大荷物を詰めた人たちが、談笑しながら歩いていて。
 そうしてやがて、それぞれの家とおぼしき場所へ、入っていく。
 しばらくすると、その家たちから子どもたちが出てきながら。
「やっと自由だ!」なんて言っている。
 そんな光景を、シルヴィカはぼんやりと見つめていたのだが。
 ふいに、『レストラン』と書かれた看板を見つけた。
 それはこの地域では珍しい、木造の建物に添えてあり。
 よく見ると、街の人も何人かはそこに向かっていた。
「マコトさん、あれ……」とそれを指さしたシルヴィカに。
「おっ、いいねぇ」なんてマコトは言っていて。
 シルヴィカは彼のほうを見ると。
「今日のお礼、で、その、奢ります」と言った。
 マコトはそんな言葉に、にやりとした笑みを浮かべ。
「金あんのかぁ?」とか言っていたが。
「自重してくださいね」とシルヴィカが返すと。
 二人は同時に、のっしりとした動きで立ち上がって。
 そのままカゴを両手にかかえ、レストランへと歩いていく。
「やりたいことは、やれたのかい?」と訊くマコトに。
 シルヴィカは少し目を伏せながら。
「もうちょっと、ですかね」と。
 そんなことを返しながら、レストランの扉を開いて。
 その扉の動きに、カランコロンと、陶器製の小さなベルが鳴った。
 * * * * *
 ウェイトレスに案内され、四角いテーブルを挟んで座った二人は。
 それぞれ荷物を置きながら、メニュー表を開いて。
「俺このパイみたいなやつ気になるなぁ」
「お腹いっぱい、食べていいんですよ?」
「いいのかぁ? お前破産するぞ?」
「怖っ……」
 とかなんとか言い合いながら注文を決めると、ウェイトレスにそれを伝えた。
 店内は買い物帰りの人たちでごった返していて。
 薄暗い店内の中で、それぞれの日常の会話が混ざり合い。
 一つの環境音ともいえるものを作り上げている。
 テーブルの中央に、小さな花瓶が置いてあり。
 そこにはこの地方で『光り草』と呼ばれる植物がその中で。
 ぼんやりと、青白い光でテーブルの上を照らしていた。
 やがて注文していた飲み物が先に届き。
 シルヴィカは届いた紅茶に口をつけながら。
 マコトが白濁とした酒を飲んでいることに気づき。
「お酒、強いんですか?」なんて首をかしげると。
「紅茶が好かないだけだよ」とマコトは言い。
 シルヴィカはそれに、「飲んでる人の前で……」と呟く。
 しばしの沈黙の中で、ふと目を逸らしたシルヴィカは。
 ただぼんやりと、窓の外を見つめていたが。
 どことなく、マコトの視線を感じて。
 彼のほうへ向き直してから。
「あれから、どうでした?」と訊いてみると。
 マコトは酒の入った木のコップを揺らしながら。
「街の薬師に『完治でいいと思うよぉ』とか言われたんでな」
 クレスの一件もあったし、贖罪がてら寂しい寂しい一人旅って感じだ。
 ……知りたいことも、できたしさ。と言った。
「知りたいこと……?」
 シルヴィカの言葉に、マコトはうなずくと。
「ああ、興味本位だけどな」
 なんて言ってから、にししと笑う。
 シルヴィカは彼の言葉に、ほっと胸を撫で下ろし。
「そっか、よかった」と優しく微笑んでから。
 紅茶の揺れる赤色を、じっと見下ろすと。
「まっ、まだまだ死ねないってことだな!」
 なんてマコトは軽く言い放って、それに対して。
 シルヴィカは一瞬、目を見開いた。
 彼女の顔をちらりと見るなり。
「ん?」なんて言いながら。
 マコトは酒を飲み込むと。
「なあ、ちょっと賭けをしないか?」と急に言い出し。
 買ったものの入ったカゴを漁ると、何やら紙箱を取り出し始めて。
「あの、私、そこまでお金は……」と返すシルヴィカに。
「割り勘したものがあるだろ?」
 あれの余りを賭けるんだよ。
 とか言いながら、箱から何やら市松模様をした板を出し。
 ついでのように箱から落ちてきた、小さな紙を眺めながら。
 コイン状をした駒を、互いに隣接しないよう板の上に並べ始めたので。
 そんな彼を見つめてシルヴィカは、あごに指を当てると。
「こうですか?」と、見様見真似で駒を配置していき。
 それにマコトはにやりとしながら。
「交渉成立だな!」と言った。
 やがて駒を並べて終わると、マコトは先ほど見ていた紙をまた広げ。
「ちょっと待てよ……あ、ここか」とか言ってから。
『ドラフツ』のルールとやらを神妙な口調で語り始める。
「まず、『ゲームは付属している縦横十マスのボード上で行います』……敬語略すわ」
 通常の駒は斜め前方一マスに動ける。
 味方の駒があるマスは原則として通過できない。
 敵の駒は飛び越えて、その先のマスに移動可能である。
 飛び越える際は斜め後ろでも良く、飛び越された駒は取り除かれる。
 ただし、飛び越えることが可能なら必ず『最も多くの駒を取り除けるルート』を選ぶこと。
 また、敵駒を飛び越えられる場合は必ず実行すること。
 板の最奥、敵陣に行った駒は裏返りキングとなる。
 キングは斜め方向なら好きな距離動ける。
 駒がなくなるなりして、相手が駒を動かせなくなったら勝利。
「……まあ、やったらわかるだろ」
 長々と語った挙げ句そう締めたマコトは、紙を懐にしまうと。
「ちなみに、このゲームやったことある?」と首をかしげてみせて。
 シルヴィカは首を横に振った。
 マコトが駒を動かすと。
 それに対応するようにシルヴィカも動かし。
 互いに駒が取られないように、盤面は動いていき。
 一手ごとに、白黒二色の駒たちは。
 まるで水と油のように。
 歪みながらぶつかっていて。
 シルヴィカがその手番を終えると。
 盤面は膠着状態になり、マコトがどう動かしても駒が取られる形になった。
 マコトは盤面の上で、手を右往左往させてから。
 その手を頭の後ろに回して、そのまま席にもたれる。
「そういや、そっちはあれからどうだったんだ?」
「えっと、どうって……?」
「旅のこと、話してくれないか?」
 そう言われたシルヴィカは、しばらくあごに指を当てて。
 そして一瞬うつむくと、ぽつりと話を始める。
 それはマコトと別れてからの旅の話であり。
 救えなかった、命の話。
 シルヴィカはオリの村やその生き残りたちとのことを話すと、ペンダントをギュッと握り。
「……私にできること、ほんとに少ないんだなって」と小さく言ってから。
 うつむいて、目を閉じた。
 マコトは駒を動かすと、「そっか」と返して。
 シルヴィカはぎこちない動きで、マコトの駒を取る。
「悔しかったか?」
 マコトは二つ、駒を取って。
 うなずきながらシルヴィカは、一つ駒を取る。
「全部、間違いだったんじゃないかって」
 意味も、なかったんじゃないかって。
 マコトが駒を動かすと。
 シルヴィカはその駒を取り。
 マコトはシルヴィカの動かした駒を動かして。
 自分の駒を、盤面から取り除いた。
「あっ、取れたんだ……すみません……」と言うシルヴィカに。
「いろいろあったんだな」と返したマコトは。
 シルヴィカの駒を二つ取ると、キングを作って。
 それにより開いたマスを使って、シルヴィカは駒を一つ倒す。
「……俺さ、『あの森』以来、ごまかしはしないって決めたんだよ」
 だから今から言うのは、全部ほんとな。
 マコトはキングで駒を取りながら、そんなことを言うと。
 駒を動かしたシルヴィカが、その目を見るのをじっと待って。
 それから、深呼吸をしてから。
「——お前に感謝しているやつは、ここにいる」
 これだけは絶対に、間違いなんかじゃない。
 お前は命と同じくらい、大事なものを救えるんだよ。
 もしお前が不安になったら、俺は何度だって言うよ。
「お前には、心を救う力があるって」
 真っ直ぐな目で、そう言うと。
 それからしばらくシルヴィカの目を見ていて。
 そこからさらに時間が経つと、だんだん顔が赤くなり。
 そして彼はついにそっぽを向き始め。
「あの、反応……くれませんかね」
 と消え入りそうな声で言った。
 シルヴィカはそんな彼に、しばらく微笑んでいたが。
 やがて、両手で顔を覆いながらうつむくと。
 小刻みにその身体を震わせて、ついには吹き出し、笑い声を上げる。
「おまっ、真剣な話だからな⁉︎」
 シルヴィカは口元を押さえながら。
 しばらくずっと笑い続けていて。
 やがて、涙を指で拭うと。
「だってぇ、耳まで真っ赤……っ」とまた笑う。
「はいはい、俺が悪ぅございました!」
 とマコトが口をとんがらせつつ駒を動かすと。
 シルヴィカはその斜め前に駒を動かしながらも。
「あはは、おかしい……」とまだ言っていて。
 そんな様子のシルヴィカに、マコトが優しい目で。
「元気、出たかよ?」と言うと。
「誰かさんのおかげで」
 なんて、シルヴィカは笑った。
 * * * * *
 それからの勝負は、あっさりと決着を迎え。
「いいか? ここで切るからな?」と皿に乗せた干し肉へナイフを当てるマコトに。
「そのナイフ洗ってます……?」とシルヴィカが首をかしげると。
「洗ってる——よっと!」という声とともに。
 トンッという小気味いい音が響いて。
 等分でない比率に切れた干し肉を、それから二人は分け合った。
「そういやお前、なんでトナカイ肉欲しがってたの?」
 なんて、肉を眺めながら言うマコトに対し。
「故郷の味ですから」とシルヴィカが返すなり。
「あっ……そっか、そうだわ」
 とかマコトは言い出して、しばらくの間彼はずっと。
「そうかお前、ああ、北方系だから……そうだよなぁ」
 と目元を手で覆いながら言い続けていたので。
 シルヴィカは横から覗き込むと、彼へにやりとした笑みを見せて。
「干し肉、交換してもいいんですよ?」と言うが。
「ふん、勝ちは勝ちさ」とマコトは返した。
 ——ちなみに。
 なぜ一人旅をしているマコトが、二人用ゲームであるドラフツを買っていたのか。
 その理由をシルヴィカは、彼と別れる直前に一度訊いてみたのだが。
『あのとき誰かさんが追っかけてきた理由と一緒』
 なんて、本人は言っていた。
 どうやらマコトは、回りくどくて不器用な人間らしい。