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第八編 ちいさな同行者

ー/ー



 いまだ終わらない荒野は、日暮れとともに空気を冷やし。
 白い息を吐きながら、シルヴィカはその中を走っていた。

 その背後では黒い影が、カッカッと鳴らしながら低い姿勢で駆けていて。

 そのとてつもない速さに、シルヴィカはすぐに追いつかれ。
 そして、その勢いのまま押し倒される。

「うっぐ……っ」と小さくうめくと。
 すぐにシルヴィカは、相手との距離がまさに目と鼻の先であることに気づき。
 追手の熱くてドブのような臭いをした息が、シルヴィカの顔にかかった。

 シルヴィカはランタンを、相手の顔にバッと向けるが。
 相手はまったく怯む様子を見せず。
 ハー、ハー、と荒い息をしたまま視線を合わせてくるので。

「君、ほんとなんなの……?」と、相手に言ってみると。
 明かりに照らされた柴犬は、シルヴィカの上で首をかしげていて。
「うーん、ほんと何……?」
 なんてシルヴィカの声が、暗闇の中でむなしく消えていった。

 * * * * *

  次の日の朝になっても、その犬は相変わらずそこにいて。

 荒野を進んでいたシルヴィカの前に、突如現れた赤毛のこの犬は。
 どういうわけか彼女は、シルヴィカ本人とそのカバンにご執心なようで。
 何かあるたびカバンに寄り添っては、その匂いを延々と嗅いでいた。

 逃げたとしても、昨日のように追いつかれるので。
 シルヴィカは仕方なく犬の同行を許可して。
 そのまま旅を続けていたのだが。
 この犬については、いくつかの謎があった。

 例えば黒い首輪をしていることから、この犬が飼い犬であることがわかるのだが。
 しかし出会った付近を探しても飼い主らしき人はおらず。
 近くの街に寄ってみても、犬を探す者すらいなかった。

 シルヴィカやカバンに執着している理由も謎で。
 一度試しに犬が食べられる食料を置いて逃げてみたが、真っ先にシルヴィカが追われた。

 つまりこの犬の狙いはシルヴィカなのだが、彼女に追われる理由は特に思い至らず。
「もしかしたら、すごく賢い犬……?」なんていちるの望みに賭けてみて。
「君は、私に何かさせたいの?」と質問したシルヴィカだったが。
 犬はそれに尻を向けるという返事をしてきて。

「お腹空いてたから寄ってきたの?」という問いには。
 振った尻尾で脚をはたいてくるという返事だったので。
 シルヴィカはじとりとした目で、すぐに「うん、普通の犬だこの子」という結論に至った。

 しかもこの犬は遊びたい盛りなのか、よくシルヴィカの歩く足の間に入ってきて。
 そのたびにシルヴィカは「歩きづらいよ!」と言い。
 それを聞くとこの犬は、シルヴィカの周りを駆け回る。

 そしてそんなことをしているので、犬はすぐに疲れ果て。
 そのたびにシルヴィカは木皿に水を注いでやり。
 ペロペロとそれを飲む犬を見ながら。
「こういうことするからかなぁ……」と、苦笑いをすることも多かった。

 そのあとはほぼお決まりのように、シルヴィカが犬を抱きかかえ。
「君はほっとけない子だねぇ」とか言い出すと。
 この犬はだいたい、にやりと笑みを浮かべながら。
 前脚でシルヴィカの頭をはたくので。

 この犬との旅の中でシルヴィカは、数えきれないくらいの。
「君ほんとなんなの……?」という言葉をこぼしていた。

 * * * * *

 今のところ、犬自体には害はなく。
 水を与えて確かめてみても、狂犬病の疑いもなかったため。
 なんとなくこの謎の犬との旅を許容していたシルヴィカだったが。
「ちょっとまずいかもしれない……っ」
 なんて、ある日ふと思い至る。

 犬そのものには害はなかった。
 だが、『犬との旅』には問題があったのだ。

 それは主に食料や水の問題であり、その消費量が三割増しになったこととか。
 犬が食べられないものを避けると、必然的にシルヴィカの食べるものが偏ることがそうだ。

「これはダメ! ほんとにダメなやつ‼︎」
 なんて言いながら、シルヴィカは毎日のように犬から逃げて。
 その手にはほぼ毎回、スパイスのよく効いた干し肉が握られている。

 よりによって肉なので、犬もやたらに食べようと執着してきて、毎晩決死の攻防になり。
 そんなことをやると必然的にお腹が空き、食料や水の消費が増える。
 ——完全な悪循環だった。

 その攻防はたいてい、犬が不服そうにパンやチーズを食べて終わるのだが。
「私の気持ちもそろそろ考えて……」
 なんてシルヴィカが呟くのも、同じくらいよくあった。

 そんな犬との旅を始めて、数日ほど経った日の夜。
 たき火から犬を離しつつ地図を広げたシルヴィカが。
「『ヨーグの村』までもう少し……」なんて呟いていると。

 なんとなく、犬の行動が目の端に入り込んでいて。
「落ち着きないなぁ」とシルヴィカは思いつつ、あごに指を当てる。

 最初こそたき火がイヤなのかと思っていたシルヴィカだったが。
 犬が特定の方向に向かって、そして戻ってくるという行動を。
 先ほどから何度も何度もしていることに気づくと。
 シルヴィカはその方角をコンパスで確認してみて、それから地図を眺めた。

「君、もしかして……」なんて。
 シルヴィカが見やった先の犬は。
 相変わらずの間抜け面をしていたが。
「明日はちょっと急ごうか」と声をかけてみると。
 犬はシルヴィカの横で伏せて、それからくしゃみをする。

 そんな姿に微笑みながら、シルヴィカがチーズの欠片を手渡すと。
 犬はガジガジとそれを咀嚼し始めて。
 やがて飲み込むと、シルヴィカの手元を見つめた。

 荒野に吹きすさぶ冷たい風に、炎がボボボと音を立てて。
 揺らいで暴れるそのたき火を、シルヴィカはじっと見つめると。
 ウエストポーチから封筒を、ていねいな手つきで取り出す。
『シルヴィカさんへ』と綴られたそれを。
 開かずそのまま眺めてから。
「目的地、一緒なのかもね」
 なんて言ったシルヴィカに。
 犬はゆっくり歩み寄ると、座ったシルヴィカのひざに頭を乗せ。

 そんな犬の頭をシルヴィカが優しく撫でると。
 犬の耳がぺたんと横向きに倒れてから。
 しばらく犬は、シルヴィカのなすがままになり。

「やっと、わかった気がする……」
 なんてシルヴィカの言葉を。
 わかってるのかそうでないのか、犬は目をつむると。
 シルヴィカも、やがてゆっくり目をつむって。
 二人の穏やかな息の音と、パチパチとした炎の音。
 そして回転草の転がる、カサッとした音が。
 あたりに小さく響いた。

 * * * * *

 次の日の早朝、日が昇る前からシルヴィカたちは動き出し。
 前日の『急ごうか』という言葉を理解していたのか、犬も無駄な動きはせず。
 昨晩に向かおうとしていた方向へ、揃って一直線に歩き続けていた。

 シルヴィカたちは休まずに、ただその荒野を進んでいき。
 やがて、犬がペースダウンし始めたのを見ると。
「向きはわかってるから」とシルヴィカは犬をかかえた。

 そんなシルヴィカを犬は、またにやつきながら前脚ではたき。
 シルヴィカは犬に、「それ、飼い主さんいたら告げ口するからね」と返しつつも。
 それから延々と歩き続けて。

「そろそろ自分で……」
 なんて犬を降ろしたシルヴィカは。
 犬がじっと、はるか先の影を。
 ぼんやりと見える、村のようなものを見つめていることに気づいたので。

「——走ろう!」と声をかけると。
 それに犬は、うなずいて。
 二人揃って、走り出した。

 ひび割れた地面の隙間に、ときどき足を取られながら。
 ゴツゴツとしたその大地を、シルヴィカたちは駆けていき。
 やがて太陽が昇る頃になると、どんどん村の輪郭が見えてきて。

 柵すらないその見た目とか。
 石造りの建物たちとか。
 そんなものまで目に入ると。
 犬はますますスピードを上げて。

 シルヴィカはそれに「うわっ、ちょっと⁉︎」なんて情けない声を上げたあと。
 足がもつれて勢いよく、「ぶっ」とシルヴィカはすっ転ぶが。
 犬はそれを察知していたかのように、はるか先で待っていた。

 やがて犬が駆け寄ってくると、シルヴィカはそのあごを撫でて。
「慣れないこと、するもんじゃないね……」
 なんて言いながら、村のほうへまた進む。

 小さな山のふもとに築かれた、ほんの小さな村。
 その村がはっきり見える頃には、犬もシルヴィカの背後に周り。
 シルヴィカの脚をひたすら鼻先で押し続けて。

 擦りむいたその片ひじを、シルヴィカは軽く押さえながら。
 するりと足の間を抜けた、犬の進むほうへ歩くと。

 犬が誘導していたのは村の端にある、一軒の建物があるほうのようで。
 犬はやがてその前に着き、ちょこんと座り込むと振り向いて。
「ここが……?」と言うシルヴィカに。
 犬は、ワンと鳴いた。

『薬屋』と書かれた看板が、その建物の前に置かれていて。
 中央に向けて窪んだ屋根や大きな窓をした、この地方でよく見る建物に。
 シルヴィカはゆっくりと歩み寄り、そして軽くノックすると。

「お客さん、今日は緑日(りょくじつ)だから休みって外に——」
 なんて、若い女性が言いながら出てきて。
 彼女はシルヴィカの背後を見るなり目を見開いて。
「失礼!」と、すぐにその扉を閉じる。

 扉越しに「お父さん! ケラヤが‼︎」なんてくぐもった声が聞こえて。
 ドタバタとした足音やいろんな物音まで鳴っている。

 そんな薬屋を気にしつつも、シルヴィカが犬のあごを撫でていると。
 やがて扉が勢いよく開いて、先ほどの女性が出てきながら。
「お入りになってください。父がぜひ『礼をしたい』と……」
 なんて言うので、シルヴィカは犬と顔を見合わせた。

 * * * * *

 女性に案内された奥の部屋では、老人が杖をつきながら、よたよたどこかへ歩いていて。
 シルヴィカがその老人を支えると、彼は「そうか君が……」と言った。

 老人の指さした先にある、安楽椅子までの移動を手伝うと。
 彼はゆっくりとそこに座り込み、笑いながら。
「君も好きなとこに座りなさい」と言い。
 シルヴィカが手近な木椅子に座ると。
 老人はゴホゴホと咳き込んで。
 また立とうとしたシルヴィカを、彼は手で制止した。

「薬師さんや、まずは礼を言わせておくれ」
 うちのケラヤと、また会わせてくれてありがとう。

 老人はむせながらもそう言って、懐から黒い瓶を取り出すと、その蓋の中身を飲み干す。
 飲んでいるさなかであっても中身が補充されているあたり、それは遺物のようだった。

「なぜ私が、薬師だと……?」そう前のめるシルヴィカに。
「それは——」と言いかけた老人は、部屋に入ってきた犬を両手で出迎え。
「それは、この子なら薬師を呼ぶだろうと思ったからじゃよ」と続ける。

「この子……ケラヤちゃんが?」
「そうとも」
 老人は黒い瓶の中身をまた飲むと、深呼吸をしてから。
「それにわしも、薬師の端くれじゃからな」と言って。

 うんうんと、何度かうなずいた老人は。
 聞き返そうとするシルヴィカに、笑みを向けると。
 そのまま暖かな口調で、世間話のように語り出した。

 * * * * *

 老人は昔、別の村で薬師をしていたそうで。
 村には人が少ないこともあり、店は子どもたちのたまり場になっていたそうだ。

 しかし、そんな日常も長く続かず、村には奇妙な疫病が流行り。
 老人は早い段階でそれが『不治の病』であることに気づいてしまった。
 やがて、村を出る者も増えてきて。
 娘の生命を守るためにも村を捨てた老人は。

 新たな故郷を探す旅の中で偶然ケガをした犬を見つけ、それにケラヤと名付けた。

 娘は「そんな余裕はない」と反対していたのだが。
 老人はどうしてもケラヤを連れて行きたかった。

 ケラヤの雰囲気は、どことなく村の子どもたちに似ていたのだ。

 そんな老人の様子に、娘は深いため息をわざとらしくしていたが。
「お父さんは知らないんだろうけど、私犬嫌いなのよ」と言いながらも、許可してくれた。

 やがて親子と一匹は旅の果てに、このヨーグの村へとたどり着き。
 老人はかつての贖罪もあって、また薬師として活動を始めた。

 ケラヤも娘も、老人にとっては看板娘のようなもので。
 彼女らの手伝いもあって、老人は自分の店と、村での居場所を手に入れた。

 新しい居場所での生活も、幸せだった。
 村のことが頭から抜け落ちそうなくらい、順風満帆だった。

 しかし、逃げ出した人間には、相応の代償があるもので。
 たいていの場合、その代償はあと払いのものだ。

 当時一人で店を営んでいた老人はある日激しい胸痛に襲われ。
 抵抗すらできずに、息すらできずに、その場に倒れ込んだ老人は。
 心配そうに見つめるケラヤへ、必死に笑みを向けながら、そのまま意識を失った。
 娘はすでに嫁入りをしていて、当時老人は娘夫婦と別居していたのもまずかった。

 しかし、どうやら店に来た客が、倒れていた老人を見つけたようで。
 やがて駆けつけた娘にも知識があったことで、なんとか一命を取り留めた老人だったが。

 * * * * *

「——そこにケラヤはおらんかった」

 老人はにやりと笑みを浮かべながら、ケラヤの頭をそっと撫で。
 それに気づいたシルヴィカは、自分の頭をさすりながら苦笑いを浮かべた。

「すぐにわかったよ。賢い子じゃから」
 自分がケガしたときのこと、覚えてたんじゃろうな。

 ケラヤは老人とシルヴィカの間を行ったり来たりすると、ちょうど真ん中に寝そべり。
 その尻尾をよく見ると、ブンブンと激しく左右に振られていた。

「それで私が……案内されたと?」
 老人はゆっくりとうなずいて。
 それからまた、激しい咳をした。

 シルヴィカがあわてて駆け寄ると、老人は服のボタンを外し。
 その褐色をした胸元の、皮膚のすぐ下には、何やら糸のようなものが見え。
 シルヴィカはそれに目を見開くと、「オリの村……ですか?」と言って。
 老人はぎこちない動きでシルヴィカのほうを向くと。
「知っておったか……」と言った。

 老人はまた黒い瓶の中身を飲み込むと。
「村は、オリカスは、どうなっていたんじゃ?」なんて目を伏せていて。
 シルヴィカはそれに「カルファさんを除き、皆亡くなっていました」と答えてから。
 カルファさんもそのあとに……と付け加える。

 老人はしばらく黙ってから。
「カルファが……そうか……」とうなずき。
「優しい、責任感のある子じゃったよ」と手の甲をポリポリと掻いてから。
「なら君は、ロウイを訪ねにも来たのか」なんて言い出したので。
「なんでそこまで……」と、それにシルヴィカは呟く。

 老人は黒い瓶を揺らしながら、シルヴィカに優しい目を向けて。
「これは、そのロウイの贈り物でな」
 わしも君と同じ理由で、この村に来たんじゃよ。

 そんな言葉に、思わず前のめりになったシルヴィカは、ついた手を椅子に移すと。
「遺物に詳しい人がいるって、そう聞いたんです」と言いながら、老人の目をじっと見て。

「君の知りたいことは、オリカスのことじゃろう?」なんて言った老人に。
 シルヴィカはゆっくりうなずいた。

 老人は瓶の中身をまた飲んで、それから遠い目をすると。
「あの『ヤドリギ』は、本来文明を……遺物を自然に還すものなんじゃよ」
 人型の遺物もあるそうじゃから、わしらの村は、そのとばっちりを受けたんじゃろうな。
 なんて言ってから、へっへっへっ、なんて笑い声を出していて。
 それがだんだん小さくなると。

「迷惑な話じゃな……」とうつむいて。
 それにシルヴィカは「すみません」と言った。

「君が謝ることじゃないさ。運が悪かっただけじゃ」
「でも、カルファさんは……」
「なら、覚えていてやっておくれ」

 老人はシルヴィカの手を、弱々しく握ると。
「わしは老い先短いし、きっとほとんど保たんからな」
 そう悲しそうに笑って、やがてその視線はケラヤのほうへ向いた。

 ケラヤはいつのまにか、立って二人の様子を見つめていて。
 シルヴィカはそんな二人の様子に、思わず泣きそうになるも。
 目をギュッとつむって、それを我慢してから。
「忘れたら、悲しみますもんね」と。
 ぎこちなく、笑みを向けた。

 * * * * *

 老人のいた部屋からシルヴィカが出ると、老人の娘から声をかけられ。
「わたしからも、お礼を言わせてください」と彼女は言った。

 シルヴィカはそんな娘さんの、頭をなんとか上げさせると。
「ケラヤちゃん自身の力ですよ」と、なんとか愛想笑いをし。

 そして娘へゆっくり歩み寄ると、シルヴィカは数枚の小さな紙を手渡して。
「これは……?」という老人の娘に。
「ケシの実から、苦痛を緩和する薬を作る方法です」
 最後の一枚は薬の使いかたで、本人にも同じものを渡しています。
 本人が苦しそうにしているときだけ。
 本当につらそうなときだけ、使ってください。
 という説明をすると、いくつかの小袋を手渡してから。

「ケシがこのあたりにあるのかわかりませんから……現物も。一ヶ月は保つはずです」
 なんてシルヴィカは伏し目がちに言って、それに娘はお礼を言いながら、また頭を下げる。

「今日は、ここに泊まっていってください」と。
 老人の娘は言っていたが、シルヴィカはそれに対して首を横に振り。

「二人の思い出を、もっと作ってほしいですから」
 と言いながら、店を出ようとするが。
 そんなシルヴィカのもとに、ケラヤがカチャカチャ鳴らしながらやって来て。
 玄関の前に来るなり彼女は、シルヴィカのことをじっと見つめた。

「おじいさんをよろしくね」
 なんて言って、シルヴィカはケラヤを撫でながら。

 ケラヤが自分のことをどう思っているのかとか。
 自分との旅を彼女が楽しめたかとか。
 そんなことをふと考えてしまい。

 ケラヤはそれを見透かすかのように、シルヴィカの頭を前脚ではたくと。
 それから、にやりとした笑みを浮かべるので。
 シルヴィカはそれに釣られてか、つい微笑んでいて。

「元気でね」
 というシルヴィカの声を聞いたケラヤは、ゆっくりとその場から動いてくれた。

 ほんの六日程度の間だけ、ともに旅をしたケラヤ。
 言葉すら通じているのかわからない。
 何を考えているのかもわからない。
 そんな、謎の多い彼女だが。

 シルヴィカはなんとなく、本当になんとなくだが。
 しばらく一緒に旅をしたという縁があるだけの。
 このちいさな同行者に、幸多き未来があってほしいと。
 そんなふうなことが、ふと心に浮かんで。

 それを口にしないまま、薬屋から出ていくシルヴィカに。
 背後からケラヤが「ワン」と鳴いていた。


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 いまだ終わらない荒野は、日暮れとともに空気を冷やし。
 白い息を吐きながら、シルヴィカはその中を走っていた。
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 そのとてつもない速さに、シルヴィカはすぐに追いつかれ。
 そして、その勢いのまま押し倒される。
「うっぐ……っ」と小さくうめくと。
 すぐにシルヴィカは、相手との距離がまさに目と鼻の先であることに気づき。
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 シルヴィカはランタンを、相手の顔にバッと向けるが。
 相手はまったく怯む様子を見せず。
 ハー、ハー、と荒い息をしたまま視線を合わせてくるので。
「君、ほんとなんなの……?」と、相手に言ってみると。
 明かりに照らされた柴犬は、シルヴィカの上で首をかしげていて。
「うーん、ほんと何……?」
 なんてシルヴィカの声が、暗闇の中でむなしく消えていった。
 * * * * *
  次の日の朝になっても、その犬は相変わらずそこにいて。
 荒野を進んでいたシルヴィカの前に、突如現れた赤毛のこの犬は。
 どういうわけか彼女は、シルヴィカ本人とそのカバンにご執心なようで。
 何かあるたびカバンに寄り添っては、その匂いを延々と嗅いでいた。
 逃げたとしても、昨日のように追いつかれるので。
 シルヴィカは仕方なく犬の同行を許可して。
 そのまま旅を続けていたのだが。
 この犬については、いくつかの謎があった。
 例えば黒い首輪をしていることから、この犬が飼い犬であることがわかるのだが。
 しかし出会った付近を探しても飼い主らしき人はおらず。
 近くの街に寄ってみても、犬を探す者すらいなかった。
 シルヴィカやカバンに執着している理由も謎で。
 一度試しに犬が食べられる食料を置いて逃げてみたが、真っ先にシルヴィカが追われた。
 つまりこの犬の狙いはシルヴィカなのだが、彼女に追われる理由は特に思い至らず。
「もしかしたら、すごく賢い犬……?」なんていちるの望みに賭けてみて。
「君は、私に何かさせたいの?」と質問したシルヴィカだったが。
 犬はそれに尻を向けるという返事をしてきて。
「お腹空いてたから寄ってきたの?」という問いには。
 振った尻尾で脚をはたいてくるという返事だったので。
 シルヴィカはじとりとした目で、すぐに「うん、普通の犬だこの子」という結論に至った。
 しかもこの犬は遊びたい盛りなのか、よくシルヴィカの歩く足の間に入ってきて。
 そのたびにシルヴィカは「歩きづらいよ!」と言い。
 それを聞くとこの犬は、シルヴィカの周りを駆け回る。
 そしてそんなことをしているので、犬はすぐに疲れ果て。
 そのたびにシルヴィカは木皿に水を注いでやり。
 ペロペロとそれを飲む犬を見ながら。
「こういうことするからかなぁ……」と、苦笑いをすることも多かった。
 そのあとはほぼお決まりのように、シルヴィカが犬を抱きかかえ。
「君はほっとけない子だねぇ」とか言い出すと。
 この犬はだいたい、にやりと笑みを浮かべながら。
 前脚でシルヴィカの頭をはたくので。
 この犬との旅の中でシルヴィカは、数えきれないくらいの。
「君ほんとなんなの……?」という言葉をこぼしていた。
 * * * * *
 今のところ、犬自体には害はなく。
 水を与えて確かめてみても、狂犬病の疑いもなかったため。
 なんとなくこの謎の犬との旅を許容していたシルヴィカだったが。
「ちょっとまずいかもしれない……っ」
 なんて、ある日ふと思い至る。
 犬そのものには害はなかった。
 だが、『犬との旅』には問題があったのだ。
 それは主に食料や水の問題であり、その消費量が三割増しになったこととか。
 犬が食べられないものを避けると、必然的にシルヴィカの食べるものが偏ることがそうだ。
「これはダメ! ほんとにダメなやつ‼︎」
 なんて言いながら、シルヴィカは毎日のように犬から逃げて。
 その手にはほぼ毎回、スパイスのよく効いた干し肉が握られている。
 よりによって肉なので、犬もやたらに食べようと執着してきて、毎晩決死の攻防になり。
 そんなことをやると必然的にお腹が空き、食料や水の消費が増える。
 ——完全な悪循環だった。
 その攻防はたいてい、犬が不服そうにパンやチーズを食べて終わるのだが。
「私の気持ちもそろそろ考えて……」
 なんてシルヴィカが呟くのも、同じくらいよくあった。
 そんな犬との旅を始めて、数日ほど経った日の夜。
 たき火から犬を離しつつ地図を広げたシルヴィカが。
「『ヨーグの村』までもう少し……」なんて呟いていると。
 なんとなく、犬の行動が目の端に入り込んでいて。
「落ち着きないなぁ」とシルヴィカは思いつつ、あごに指を当てる。
 最初こそたき火がイヤなのかと思っていたシルヴィカだったが。
 犬が特定の方向に向かって、そして戻ってくるという行動を。
 先ほどから何度も何度もしていることに気づくと。
 シルヴィカはその方角をコンパスで確認してみて、それから地図を眺めた。
「君、もしかして……」なんて。
 シルヴィカが見やった先の犬は。
 相変わらずの間抜け面をしていたが。
「明日はちょっと急ごうか」と声をかけてみると。
 犬はシルヴィカの横で伏せて、それからくしゃみをする。
 そんな姿に微笑みながら、シルヴィカがチーズの欠片を手渡すと。
 犬はガジガジとそれを咀嚼し始めて。
 やがて飲み込むと、シルヴィカの手元を見つめた。
 荒野に吹きすさぶ冷たい風に、炎がボボボと音を立てて。
 揺らいで暴れるそのたき火を、シルヴィカはじっと見つめると。
 ウエストポーチから封筒を、ていねいな手つきで取り出す。
『シルヴィカさんへ』と綴られたそれを。
 開かずそのまま眺めてから。
「目的地、一緒なのかもね」
 なんて言ったシルヴィカに。
 犬はゆっくり歩み寄ると、座ったシルヴィカのひざに頭を乗せ。
 そんな犬の頭をシルヴィカが優しく撫でると。
 犬の耳がぺたんと横向きに倒れてから。
 しばらく犬は、シルヴィカのなすがままになり。
「やっと、わかった気がする……」
 なんてシルヴィカの言葉を。
 わかってるのかそうでないのか、犬は目をつむると。
 シルヴィカも、やがてゆっくり目をつむって。
 二人の穏やかな息の音と、パチパチとした炎の音。
 そして回転草の転がる、カサッとした音が。
 あたりに小さく響いた。
 * * * * *
 次の日の早朝、日が昇る前からシルヴィカたちは動き出し。
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 昨晩に向かおうとしていた方向へ、揃って一直線に歩き続けていた。
 シルヴィカたちは休まずに、ただその荒野を進んでいき。
 やがて、犬がペースダウンし始めたのを見ると。
「向きはわかってるから」とシルヴィカは犬をかかえた。
 そんなシルヴィカを犬は、またにやつきながら前脚ではたき。
 シルヴィカは犬に、「それ、飼い主さんいたら告げ口するからね」と返しつつも。
 それから延々と歩き続けて。
「そろそろ自分で……」
 なんて犬を降ろしたシルヴィカは。
 犬がじっと、はるか先の影を。
 ぼんやりと見える、村のようなものを見つめていることに気づいたので。
「——走ろう!」と声をかけると。
 それに犬は、うなずいて。
 二人揃って、走り出した。
 ひび割れた地面の隙間に、ときどき足を取られながら。
 ゴツゴツとしたその大地を、シルヴィカたちは駆けていき。
 やがて太陽が昇る頃になると、どんどん村の輪郭が見えてきて。
 柵すらないその見た目とか。
 石造りの建物たちとか。
 そんなものまで目に入ると。
 犬はますますスピードを上げて。
 シルヴィカはそれに「うわっ、ちょっと⁉︎」なんて情けない声を上げたあと。
 足がもつれて勢いよく、「ぶっ」とシルヴィカはすっ転ぶが。
 犬はそれを察知していたかのように、はるか先で待っていた。
 やがて犬が駆け寄ってくると、シルヴィカはそのあごを撫でて。
「慣れないこと、するもんじゃないね……」
 なんて言いながら、村のほうへまた進む。
 小さな山のふもとに築かれた、ほんの小さな村。
 その村がはっきり見える頃には、犬もシルヴィカの背後に周り。
 シルヴィカの脚をひたすら鼻先で押し続けて。
 擦りむいたその片ひじを、シルヴィカは軽く押さえながら。
 するりと足の間を抜けた、犬の進むほうへ歩くと。
 犬が誘導していたのは村の端にある、一軒の建物があるほうのようで。
 犬はやがてその前に着き、ちょこんと座り込むと振り向いて。
「ここが……?」と言うシルヴィカに。
 犬は、ワンと鳴いた。
『薬屋』と書かれた看板が、その建物の前に置かれていて。
 中央に向けて窪んだ屋根や大きな窓をした、この地方でよく見る建物に。
 シルヴィカはゆっくりと歩み寄り、そして軽くノックすると。
「お客さん、今日は|緑日《りょくじつ》だから休みって外に——」
 なんて、若い女性が言いながら出てきて。
 彼女はシルヴィカの背後を見るなり目を見開いて。
「失礼!」と、すぐにその扉を閉じる。
 扉越しに「お父さん! ケラヤが‼︎」なんてくぐもった声が聞こえて。
 ドタバタとした足音やいろんな物音まで鳴っている。
 そんな薬屋を気にしつつも、シルヴィカが犬のあごを撫でていると。
 やがて扉が勢いよく開いて、先ほどの女性が出てきながら。
「お入りになってください。父がぜひ『礼をしたい』と……」
 なんて言うので、シルヴィカは犬と顔を見合わせた。
 * * * * *
 女性に案内された奥の部屋では、老人が杖をつきながら、よたよたどこかへ歩いていて。
 シルヴィカがその老人を支えると、彼は「そうか君が……」と言った。
 老人の指さした先にある、安楽椅子までの移動を手伝うと。
 彼はゆっくりとそこに座り込み、笑いながら。
「君も好きなとこに座りなさい」と言い。
 シルヴィカが手近な木椅子に座ると。
 老人はゴホゴホと咳き込んで。
 また立とうとしたシルヴィカを、彼は手で制止した。
「薬師さんや、まずは礼を言わせておくれ」
 うちのケラヤと、また会わせてくれてありがとう。
 老人はむせながらもそう言って、懐から黒い瓶を取り出すと、その蓋の中身を飲み干す。
 飲んでいるさなかであっても中身が補充されているあたり、それは遺物のようだった。
「なぜ私が、薬師だと……?」そう前のめるシルヴィカに。
「それは——」と言いかけた老人は、部屋に入ってきた犬を両手で出迎え。
「それは、この子なら薬師を呼ぶだろうと思ったからじゃよ」と続ける。
「この子……ケラヤちゃんが?」
「そうとも」
 老人は黒い瓶の中身をまた飲むと、深呼吸をしてから。
「それにわしも、薬師の端くれじゃからな」と言って。
 うんうんと、何度かうなずいた老人は。
 聞き返そうとするシルヴィカに、笑みを向けると。
 そのまま暖かな口調で、世間話のように語り出した。
 * * * * *
 老人は昔、別の村で薬師をしていたそうで。
 村には人が少ないこともあり、店は子どもたちのたまり場になっていたそうだ。
 しかし、そんな日常も長く続かず、村には奇妙な疫病が流行り。
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 やがて、村を出る者も増えてきて。
 娘の生命を守るためにも村を捨てた老人は。
 新たな故郷を探す旅の中で偶然ケガをした犬を見つけ、それにケラヤと名付けた。
 娘は「そんな余裕はない」と反対していたのだが。
 老人はどうしてもケラヤを連れて行きたかった。
 ケラヤの雰囲気は、どことなく村の子どもたちに似ていたのだ。
 そんな老人の様子に、娘は深いため息をわざとらしくしていたが。
「お父さんは知らないんだろうけど、私犬嫌いなのよ」と言いながらも、許可してくれた。
 やがて親子と一匹は旅の果てに、このヨーグの村へとたどり着き。
 老人はかつての贖罪もあって、また薬師として活動を始めた。
 ケラヤも娘も、老人にとっては看板娘のようなもので。
 彼女らの手伝いもあって、老人は自分の店と、村での居場所を手に入れた。
 新しい居場所での生活も、幸せだった。
 村のことが頭から抜け落ちそうなくらい、順風満帆だった。
 しかし、逃げ出した人間には、相応の代償があるもので。
 たいていの場合、その代償はあと払いのものだ。
 当時一人で店を営んでいた老人はある日激しい胸痛に襲われ。
 抵抗すらできずに、息すらできずに、その場に倒れ込んだ老人は。
 心配そうに見つめるケラヤへ、必死に笑みを向けながら、そのまま意識を失った。
 娘はすでに嫁入りをしていて、当時老人は娘夫婦と別居していたのもまずかった。
 しかし、どうやら店に来た客が、倒れていた老人を見つけたようで。
 やがて駆けつけた娘にも知識があったことで、なんとか一命を取り留めた老人だったが。
 * * * * *
「——そこにケラヤはおらんかった」
 老人はにやりと笑みを浮かべながら、ケラヤの頭をそっと撫で。
 それに気づいたシルヴィカは、自分の頭をさすりながら苦笑いを浮かべた。
「すぐにわかったよ。賢い子じゃから」
 自分がケガしたときのこと、覚えてたんじゃろうな。
 ケラヤは老人とシルヴィカの間を行ったり来たりすると、ちょうど真ん中に寝そべり。
 その尻尾をよく見ると、ブンブンと激しく左右に振られていた。
「それで私が……案内されたと?」
 老人はゆっくりとうなずいて。
 それからまた、激しい咳をした。
 シルヴィカがあわてて駆け寄ると、老人は服のボタンを外し。
 その褐色をした胸元の、皮膚のすぐ下には、何やら糸のようなものが見え。
 シルヴィカはそれに目を見開くと、「オリの村……ですか?」と言って。
 老人はぎこちない動きでシルヴィカのほうを向くと。
「知っておったか……」と言った。
 老人はまた黒い瓶の中身を飲み込むと。
「村は、オリカスは、どうなっていたんじゃ?」なんて目を伏せていて。
 シルヴィカはそれに「カルファさんを除き、皆亡くなっていました」と答えてから。
 カルファさんもそのあとに……と付け加える。
 老人はしばらく黙ってから。
「カルファが……そうか……」とうなずき。
「優しい、責任感のある子じゃったよ」と手の甲をポリポリと掻いてから。
「なら君は、ロウイを訪ねにも来たのか」なんて言い出したので。
「なんでそこまで……」と、それにシルヴィカは呟く。
 老人は黒い瓶を揺らしながら、シルヴィカに優しい目を向けて。
「これは、そのロウイの贈り物でな」
 わしも君と同じ理由で、この村に来たんじゃよ。
 そんな言葉に、思わず前のめりになったシルヴィカは、ついた手を椅子に移すと。
「遺物に詳しい人がいるって、そう聞いたんです」と言いながら、老人の目をじっと見て。
「君の知りたいことは、オリカスのことじゃろう?」なんて言った老人に。
 シルヴィカはゆっくりうなずいた。
 老人は瓶の中身をまた飲んで、それから遠い目をすると。
「あの『ヤドリギ』は、本来文明を……遺物を自然に還すものなんじゃよ」
 人型の遺物もあるそうじゃから、わしらの村は、そのとばっちりを受けたんじゃろうな。
 なんて言ってから、へっへっへっ、なんて笑い声を出していて。
 それがだんだん小さくなると。
「迷惑な話じゃな……」とうつむいて。
 それにシルヴィカは「すみません」と言った。
「君が謝ることじゃないさ。運が悪かっただけじゃ」
「でも、カルファさんは……」
「なら、覚えていてやっておくれ」
 老人はシルヴィカの手を、弱々しく握ると。
「わしは老い先短いし、きっとほとんど保たんからな」
 そう悲しそうに笑って、やがてその視線はケラヤのほうへ向いた。
 ケラヤはいつのまにか、立って二人の様子を見つめていて。
 シルヴィカはそんな二人の様子に、思わず泣きそうになるも。
 目をギュッとつむって、それを我慢してから。
「忘れたら、悲しみますもんね」と。
 ぎこちなく、笑みを向けた。
 * * * * *
 老人のいた部屋からシルヴィカが出ると、老人の娘から声をかけられ。
「わたしからも、お礼を言わせてください」と彼女は言った。
 シルヴィカはそんな娘さんの、頭をなんとか上げさせると。
「ケラヤちゃん自身の力ですよ」と、なんとか愛想笑いをし。
 そして娘へゆっくり歩み寄ると、シルヴィカは数枚の小さな紙を手渡して。
「これは……?」という老人の娘に。
「ケシの実から、苦痛を緩和する薬を作る方法です」
 最後の一枚は薬の使いかたで、本人にも同じものを渡しています。
 本人が苦しそうにしているときだけ。
 本当につらそうなときだけ、使ってください。
 という説明をすると、いくつかの小袋を手渡してから。
「ケシがこのあたりにあるのかわかりませんから……現物も。一ヶ月は保つはずです」
 なんてシルヴィカは伏し目がちに言って、それに娘はお礼を言いながら、また頭を下げる。
「今日は、ここに泊まっていってください」と。
 老人の娘は言っていたが、シルヴィカはそれに対して首を横に振り。
「二人の思い出を、もっと作ってほしいですから」
 と言いながら、店を出ようとするが。
 そんなシルヴィカのもとに、ケラヤがカチャカチャ鳴らしながらやって来て。
 玄関の前に来るなり彼女は、シルヴィカのことをじっと見つめた。
「おじいさんをよろしくね」
 なんて言って、シルヴィカはケラヤを撫でながら。
 ケラヤが自分のことをどう思っているのかとか。
 自分との旅を彼女が楽しめたかとか。
 そんなことをふと考えてしまい。
 ケラヤはそれを見透かすかのように、シルヴィカの頭を前脚ではたくと。
 それから、にやりとした笑みを浮かべるので。
 シルヴィカはそれに釣られてか、つい微笑んでいて。
「元気でね」
 というシルヴィカの声を聞いたケラヤは、ゆっくりとその場から動いてくれた。
 ほんの六日程度の間だけ、ともに旅をしたケラヤ。
 言葉すら通じているのかわからない。
 何を考えているのかもわからない。
 そんな、謎の多い彼女だが。
 シルヴィカはなんとなく、本当になんとなくだが。
 しばらく一緒に旅をしたという縁があるだけの。
 このちいさな同行者に、幸多き未来があってほしいと。
 そんなふうなことが、ふと心に浮かんで。
 それを口にしないまま、薬屋から出ていくシルヴィカに。
 背後からケラヤが「ワン」と鳴いていた。