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第七編 霧の晴れたあと

ー/ー



 そこはシフの森を抜けた先にある、ダイラク地方。
 延々と広がる荒れた地に、回転草が転がっている。
 そんなひび割れた大地を、シルヴィカは歩いていた。

 真っ白なマントの下では、装いが夏用に変わっていて。
 長い亜麻色の髪も、ローポニーにまとめている。
 じわじわと照らす太陽を、シルヴィカは少し見上げると。

 水筒から口に水を注いでから、水筒を振って。
 革水筒の中から、ピチャピチャと軽い音がした。
「まずい、すごくまずい気がする……っ」

 視界一面に広がる、雲一つない青空と荒野。
 シルヴィカはそんな光景の中、もう二週間は歩いていて。
 それにも関わらず、一向に街など見えてこず。
 もしかしたら遭難するかもしれない、なんて。
 ついつい考えてしまうような状況だった。

 そんな、似たような景色に追い詰められていてばかりだったからか。
 変わったものには、自然と視線が吸い寄せられてしまい。
 シルヴィカはふいに、ぽつんと立っていた立て札を、きょとんとした目で見つめる。

 そこには『この先直進 オリ』とだけ、ひどく雑な字で書かれていた。

 * * * * *

 立て札の内容通りに進んでみると、先には確かに何かがあり。
 よく近づいてみると、そこは小さな村のようで。

 簡素な石塀に囲まれた、そんな村だが。
 その中央には雲まで届きそうなほどの、大きな大きな塔があり。

 全体が真っ黒な板で覆われているように見えるそれは。
 素材から察するに、どうやら遺物のようだった。

 シルヴィカは石塀を辿るように歩くと、ようやく木製の門を見つけ。
 開けっぱなしにされたそれを、おそるおそる通過する。

 こういう小さな村なら、たいていすぐに「旅人さんかい?」なんて。
 そんな感じの声が四方八方からかけられるものなのだが、この村ではそれがなく。
 妙な静けさと、どことなく漂う重い空気に。
 シルヴィカは思わず固唾を呑んだ。

 土でできた家の壁に、羽虫がびっしりと留まっていて。
 それに「いひぃあっ」とか洩らしながらも。
 シルヴィカは注意深く村を散策すると。
 やがて、比較的虫の少なそうな家を見つけて。
「あの、ごめんください……」と扉を軽く叩いてみるが。

 その叩いた衝撃で、キィ……ッと、ゆっくり扉が開いた。

「誰か、いませんか……?」
 声を大きくしてみるも、その声は震えていて。
 シルヴィカは返事を待ちながらも、真っ暗な家の中を見渡すと。

 しんとした暗がりから、ほのかに生ごみのような。
 ミルクの腐ったような、そんな臭いがしていて。
 シルヴィカはそれに気づくなり。
「入りますよ」と、足を踏み入れる。

 コッ、コッ、としばらく足音だけが響き。
 リビングに転がっていたものをランタンで照らすと。
 シルヴィカは思わず「ひっ……」と声を洩らした。

 そこにはよくあるイレグラ石製のナイフが転がっていたのだが。
 果物用とおぼしきそれの刀身には、焦茶色の汚れが付着していて。
 それが転がっている場所には、人の形を思わせる、黒いシミができていたのだ。

 そして、そのシミにハエが集まっていて、ブンブンと音を立ててもいた。

 そんな光景から逃れるように、あとずさったシルヴィカだったが。
 重く熱っぽい悪臭に、思わず臭いのもとへ振り返ると。
 どうやらそこは寝室だったようで、藁のベッドの上にも、人のようなシミがあり。
 その上には青緑色をしたツタが、ベッドを覆うように生い茂っていた。

 ベッドの近くには小さなテーブルがあって。
 そこにピッチャーやコップ、薬が置いてあることや。
 ベッドのすぐ近くに、汚物を溜め込んだ桶があることから。
 シルヴィカはすぐに「病死……?」と思い至って。

 その家からすぐに飛び出すが、太陽に照らされた他の家が視界に映ると。
「まさか、これ全部……?」なんて頭をよぎった考えに。
 思わずシルヴィカは、する息が荒くなった。

 養鶏場のような建物にも、シルヴィカは入ってこそみたが。
 何かを引きずったような跡や、真っ黒なシミができていて。
 その養鶏場も、他に入ってみた建物たちも。
 ほとんどがそんな跡にまみれているうえ。

 それらがある場所では、ほぼ必ず。
 青緑色のツタが茂っていたので。

 ——疫病。

 そんな結論をシルヴィカが出すのは、いわゆる当然の帰結というやつであり。
 それが出たからといって、次の行動は変わらなかった。

 * * * * *

 それからのシルヴィカはしばらく。
 入れる建物に入っては、生存者を探したが。
 あいにくそんなものは見つからず、村の半分を探し回ったあたりで。
 シルヴィカはふと地面に開けられた大穴を見て、絶句した。

 穴の中には、麻布でくるまれたものが多数あり。
 それらはシルエットからして、おそらく人を包んでいて。
 袋の節々に滲む黒い汚れだとか、引きずったような跡がこの穴に伸びていることから。
 おそらく黒いシミの正体が、ここに放り込まれているらしいことが予想でき。

 シルヴィカは作業の都合上着けていた使い捨ての手袋や。
 口を覆っていたスカーフを外すと、胸の前で指を組み。
 それからしばらく、目を閉じうつむいた。

 やがて目を開くと、シルヴィカの視線は別のほうへ向き。
 やがてその中央に、大きな黒い塔を捉えると。
 シルヴィカは重い足取りで、その塔へと向かっていく。

 妙に耳に残るようなブンブンとした羽音の中。
 シルヴィカは村を進んでいき、やがて中央。
 黒い塔のある場所へ、たどり着き。
 じっとそれを見上げて。

 青空に塔の残像が浮かびそうなくらい、それを見つめると。

 シルヴィカは塔の周りをぐるぐると歩き回って。
 しばらく、入り口を探していた。

 しかし、塔には通気口のような穴こそあるものの、出入り口なんてなくて。
 かつての船上街(せんじょうがい)のように壁が開くのかも確かめてみたが、特にそういうものもなかった。

 そんなことを続けていると、やがて周りにも目が行くもので。
 シルヴィカはふいに、塔の周りにも青緑色のツタがあるのが見え。
 さらにはそれが、村の家たちよりも多いことにも気づく。

「まさか……」

 そう呟きながらに、シルヴィカがランタンで照らしたのは。
 塔の周りにある通気口たちであり、そこには青緑色のコケが微かに付いていて。

 この色のコケとツタという組み合わせ。
 そしてかつてガイノとの旅で見た残骸の記憶から。
 このツタそのものが遺物であるという説がシルヴィカの脳裏をよぎる。

 目を見開いて見上げようと、黒い塔は相変わらずで。
 見上げたシルヴィカの目は、やがて伏せるように変わった。

 塔から数歩あとずさり、しばらくあごに指を当てると。
 シルヴィカはそのまま塔に背を向けて、村を離れることに決め。
 しばらく村の中を目を伏せながらに歩いていたとき。
 ほんの少し遠くから、シルヴィカの背後のほうから。

「塔に入ったの?」

 という声がして。
 シルヴィカがそれに、勢いよく振り返ると。
 声の主は褐色の肌をした黒髪の少女だったようで。
 彼女はボサボサの長い髪を揺らしながら。
「答えて」と眉根を寄せた。

「え、えっと、そもそも入り口が、無くて……」
 なんて、わたわたと答えるシルヴィカに対して。
 その少女はふぅ……、というため息をつくと。
「ならよかった」
 と平坦な声で言って。

 そんな様子の少女を、シルヴィカはしばらく見つめてから。
 やがて「あの、あなたは……?」というふうに問いかけると。
「カルファ。ここに住んでる」なんて、少女は返した。

「ここにって……」
 シルヴィカはあたりを見渡し。
 それから視線をカルファに戻すと。
 カルファはシルヴィカの目を、まるで見透かすように覗き込む。

 そして、何かに気づいたかのような反応を見せると。
「付いてきて」とカルファは歩き出す。

 それは件の塔の方向で。
「えっ、あの、待ってください!」と。
 シルヴィカは言いながら追いかける。

 カルファは塔の横を抜けて、村の反対側を進み。
 とうもろこしのたくさん育っている畑の間を歩いていく。
「この村、何があったんです?」
 と問いかけるシルヴィカに。
「話が長くなる」とカルファ。
「どこに向かってるんですか?」には。
「私の住んでるとこ。そこが一番安全」と返しながら。

 しばらく歩いていたカルファは、やがて立ち止まり。
 村の中でもひときわ大きな、煙突のある民家を見ながら「ここ」と言った。

「ここがあなたの……?」
 なんて首をかしげるシルヴィカに。

「厳密には村長の家。借りてる」とカルファは。
 南京錠をカチャカチャ鳴らしながら外すと。
「入って」と扉を開けながら言った。

 木戸で閉ざされた窓から。
 微かに光が漏れていて。
 その光に照らされて、埃がキラキラと輝く。
 真っ暗なその部屋の真ん中に、上等そうなソファがあり。
 カルファはそこに座り込むと、「どうぞ」と軽く言っていた。

「教えてください。この村のこと」
 シルヴィカはソファに座りながら、カルファの顔を覗き込み。
 カルファはそれに気づくと、小さく微笑んでみせる。

「……始めは、子どもたちの冒険だった」

 そんなふうに語り出したカルファは。
 視線をふと、壁のほうへ向けて。
 その視線の先にかかっていた絵画には。
 あの黒い塔が描かれていた。

 * * * * *

「オリカスの塔をさ、探検しようぜ」
 その日、ある少年はそう言って仲間を誘った。

 オリカスというのは、あの黒い塔のことで。
 あの塔は村では禁足地という扱いだった。

 それゆえに、始めこそ皆乗り気ではなかったが。
 ふいに誰かが言った「入ったら祟られるぞ」という、そんな言葉に。

 ついつい盛り上がってしまい、ついには断るやつは腰抜けという話になっていき。
 その危うい盛り上がりが気がかりで、年長者だったカルファは同行することに決めた。

 そして、探検決行の日となり、子どもたちは続々と塔の前に集うと、すぐに侵入をした。

 あの塔の壁には押せる板があり、それを押すことで壁がせり動き、中に入れる構造で。
 塔の中に侵入した子どもたちは、最初は怖がっていたのか。
 入った瞬間に内部が明るく照らされたときには、軽いパニックだった。

 しかし、子どもの適応力はすごいもので。
 しばらくすれば、もはや塔とは関係のない話をしていた。

 塔の内部は意外と狭く、ほんの十数分もすれば全部回れてしまうほどで。
 あまりに簡単に探検が終わるのを危惧した子どもたちは、最奥の部屋に集まると。
 ちょうど機械の多い部屋だったので、「なんか戦利品探そうぜ」という話になった。

 その雰囲気に流されてしまったカルファは、何かを探すフリをしつつも。
 しばらく子どもたちの様子を伺っていたが。
 ふいに、近くにあった薄い板に気づくと、注意はすぐにそちらを向いた。

 何やら角ばった、珍妙な文字のようなものが羅列された、そんな板は。
 何やら赤い四角形を提示してきているようで。
 それに対してカルファは、しばらく首をかしげる。

 そんな板について考えていると、ふいに背後から。
「うげっ、骨なんてあるぞ‼︎」
 なんて大声がして。
 それにカルファは驚いて、板を落としそうになった。

 さいわい、寸前でキャッチすることができたのだが。
 そのときにフォン、という音が聞こえた気がして。
 あわててカルファが板を見ると、板は別の文字を羅列していた。

 それから急に部屋が暗くなり、呪文のような音を鳴らし出すと。
 子どもたちは最初の恐怖を思い出したかのように、そのまま逃げ出して。
 その日は特に得られたものも変わったこともないまま、解散することになり。
 カルファも不安で怖いことが終わって、ほっとしながら家に帰った。

 ——だが、その次の日から、事件は始まった。

 始めたに異常をきたしたのは、養鶏場の鶏で。
 養鶏場は運悪く、あの塔の近くに建てられていた。

 朝になれば鳴くはずの雌鶏たちが、その日は暴れていて。
 やがて血にまみれた青緑色の物体を吐きながら、皆死んでいった。

 病は時とともに、人にも拡がっていき、多くの場合は胸元や耳の中。
 あとは鼻や口の中から、例のツタが生えてきて、たくさんの人が死に始めた。

 カルファの両親は早いうちにその病に冒され、死んでしまった。
 村の薬師も最初こそ尽力していたが、やがて諦めてしまった。

 村にはいつしか緑色の濃霧が立ち込め。
 それに長く触れていた者ほど病はひどくなった。

 病を看る者も、死者を弔う者も。
 皆、ツタに冒された。
 村を出ていく者もたくさん出た。

 子どもたちの冒険が明らかになって。
 特に信心深かった一部の村人は塔の前で必死に謝ったが、返事はツタの病だった。

 あの冒険からたった数日で、平和だった村は変わってしまった。

 死体はそのあたりに放置され。
 大人たちはやがて、行き場のない怒りをいだき。
 元凶の子どもたちへとその矛先を向けた。

 それを止めるような者は。
 ほとんどがすでに死んでいるか、村から逃げていた。

 カルファは早期に親を亡くしていたことがさいわいし。
 村長に匿って貰え、そのおかげで暴力から逃れられた。
 村長が言うには、別の誰かの死体を使ってカルファはもういないことにしたらしい。

 カルファはそれからずっと村長の家にある、地下室で暮らして。
 毎日、毎日。村長のくれるご飯と水で時間を判断した。

 やがてその村長も、地下室には来なくなったが。
 それでもカルファは震えながら、水だけで生活を続けた。
 そうして水すら尽きる頃、おそるおそる外に出ると。

 村はひどく静かになっていて。
 霧が晴れていた代わりに。
 あたりで村人たちが腐臭を漂わせていた。

 * * * * *

「——それで、昨日まで私は、みんなを片付けてたの」

 カルファがそう言い終えると、シルヴィカは胸元のペンダントを握り。
「そう、だったんですね……」と呟いた。

 ソファから立ち上がると、カルファはシルヴィカの手を引き。
「霧はないけど、まだ危ないかもしれないから」
 と、何やら床のタイルを剥がして。
 そのタイルの下に広がる石階段を指さしながら。
「旅人さんは今日、ここで寝るといい」なんて言った。

 シルヴィカはしばらくあごに指を当てて。
 カルファのほうを見上げると。
「どうして、そこまで……?」
 なんてことを言って。
 それに対してカルファは。
「私とあなた、目が似てるから」と微笑む。

「目……ですか?」
「うん、多分似てるの」
 そう言うカルファの瞳は、黒曜石のような真っ黒で。

 シルヴィカは自分の目元に手を寄せると。
「うーん?」と小さくうなった。

 先導するカルファに付いていき。
 石の階段を慎重に進むと。
 その先には小さな部屋があり。
 中には藁のベッドと小さなチェストだけがあった。

 チェストの上に置いてあった、反りの付いた本をしまうと。
 カルファはシルヴィカへ振り向いてから。
「コーヒー飲める?」と訊いてきたので。
 シルヴィカはそれにうなずく。
 スタスタと階段を上っていくカルファに。
「私、返せるものありませんよ?」と言って。
 それに対してカルファは、しばらく立ち止まると。

「いらないけど……うん、考えとく」
 と返してから、シルヴィカを置いて地上に行く。

 シルヴィカはそんな背中を、なんとなくで見送って。
 それから、ベッドにゆっくり座り込んだ。

 チェストとベッド。たったそれだけの部屋を眺め。
「ほんとに避難用なんだ……」
 なんて、上のカルファに聞こえないようシルヴィカは言うと。
 思い出したかのようにウエストポーチから手帳を取り出して、それを開く。

 ペラペラと素早くページを巡っていくと。
 それに伴い、さまざまな病状のメモが巡っていき。
 やがて手帳は、白紙のページを見せ始める。

 シルヴィカはもう一度メモをていねいに確認していくが。
 やはりこの村の病は載っておらず、シルヴィカの認識通り遺物のようだった。

 やがて上から、足音が寄ってきて。
 両手に木のコップを持ったカルファが現れると。
「お返し、決めたよ」と、それを手渡しながらに言っていて。

「ありがとうございます」
 なんて言いながら、コーヒーを受け取るシルヴィカを。
 カルファは立ったまま見下ろした。

 そんな彼女を見上げながら、シルヴィカは首をかしげて。
「私は、何をすれば……?」と言うと。

 カルファは優しく微笑んで。
「旅人さんのことを教えて」
 それが、今日の宿代。
 なんてことを、返した。

 * * * * *

 シルヴィカはそれからしばらく。
 これまでの旅のことや。
 なぜこの旅をしているのかという。
 そんな話を続けていて、その途中で。
 なぜカルファが自身を指して『目が似ている』と言ったのか。
 その意味がなんとなくわかってきた気がした。

 二人とも『今が見えていない』のだ。

 どのタイミングであっても、過去の出来事が。
 それがもたらした深い傷が、思考をよぎっていくのだ。
 きっと、傷が深過ぎるのだろう。
 癒えるには、まだ時間が足りないのだろう。
 それゆえに、揃いも揃って目の焦点が今に合っていない。
 それが彼女の言う『同じ目』なのだろう。

 そんなことを考えながら、シルヴィカはやがて話を終え。
「——だから私は、この約束を捨てられないんですよ」なんて締めくくると。
 それを黙って聴いていたカルファは、「そっか」と小さく答えて。
 それからしばらく、考えごとをしているようだった。

 シルヴィカは視線をコーヒーに落とし。
 残り少ないそれを、くるくると回していると。
「変な質問、なんだけど……」と、やがてカルファが口を開いて。

「シルヴィカさんは、誕生日のときから……変われた?」

 なんて、シルヴィカのほうを見つめた。
 その真っ直ぐな視線に晒されると。
 なんとなしにシルヴィカは。
 彼女に対して、嘘をつきたくないと思え。

 きっと、今まで自分に対して真実を話してくれた人にも、自分はこう映っていたのだろう。

 そんな内心が洩れように「ずるい目ですね……」なんて、シルヴィカは小さく言ってから。
 しばらくあごに指を当てて、それから目を伏せて答える。

「まだ、変われていないと、思います」

 私は結局、逃げてるんですよ。
 あの日から、立ち直ることにです。
 旅はもちろん楽しいんですけど……
 楽しいときこそ、他でもない自分が過去を突きつけてくるんです。

『お前にできるはずがない』
『お前は幸せになってはいけない』って。

「——だから、私はあの日のままで、今も足掻いているのかも、しれませんね」
 そう言いながらシルヴィカは、カルファに愛想笑いをすると。
 それを見たカルファが、一瞬目を見開いた気がした。

 * * * * *

 そして、翌日の朝。

 シルヴィカは村を出ることにして。
 カルファとともに、村の門まで歩いていた。

 土壁をまとった家たちは、相変わらず羽虫まみれだったが。
 なんとなく理解者ができたからか、それとも慣れただけなのか。
 前日ほどの重々しさをシルヴィカは感じなかった。

 しばらく二人は黙ったまま、オリカスの塔の下を行き。
 そんな中ふいに、カルファは口を開いて。
「私、この生活をやめようと思う」と言ったので。

「アテはあるんですか?」とシルヴィカが答えると。
 カルファはそれに、沈黙で答える。

 それを見つめたシルヴィカは、意味もなく伸びをすると。
「最初は怖いですけど、旅も案外楽しいですよ」
 なんて言ってから。
 カルファのほうをちらりと見やって。
 ふいに、二人の目が合った。

 それに対してカルファは、少し申し訳なさそうに。
 何やらウエストポーチを漁ると、やがて小さな封筒を取り出して。
「読めるかわかんなかったから、簡単な言葉で書いた」
 言った彼女に突き出す。
 シルヴィカはその封筒を、両手で受け取るが。
 そのまま開こうとした手を、カルファは強く制止して。

「恥ずかしい……から、夜以降に、読んで」
 なんて、目を伏せながらに言っていた。

 そんな様子にシルヴィカは。
「わかりました」と微笑んで、それをポーチにしまい込む。

 気がつくと二人は、門のすぐ近くに来ていた。

 カルファはしばらく村を見渡すと、それからふうっと息を吐いて。
「それじゃあカルファさん、お元気で」という言葉に。
「いい旅になるといいね」と返すと。
 二人は互いに背を向けて、それぞれの道を進んでいく。

 シルヴィカは手紙を取り出すと、しばらく胸にそれをかかえて。
「幸せになれるよう、陰ながら祈っていますね」と、小さく呟いた。

 * * * * *

 その日の夜になって。
 シルヴィカはたき火に当たりながら、荒野の真ん中で。
 火の粉が当たらないように、少しあとずさってから封筒を開く。

 異郷出身のシルヴィカを気づかってか、簡単な語で書かれたその手紙を。
 シルヴィカは優しい目で、読み始め。
 それを半分も読まないうちに、ポーチへしまうと。

 たき火を消して、すぐに荷物をまとめた。

 消した火を視界の端で確認すると。
 シルヴィカはすぐに走り始め。

「お願い、間違いであって……っ」
 なんてことを思いながら。
 オリの村を目指して。
 ひたすら。
 ただひたすらに。
 一心に足を動かした。

 ——勘違いであってほしかった。

 * * * * *

 シルヴィカさんへ。
 名前の綴り、これで合っていますか?
 間違っていたらごめんなさい。

 昨日はありがとうございました。
 私、しばらく一人だったから、ひさびさに人と話せて楽しかったです。
 つらいであろうことや、言いづらいことまで、正直に話してくれたことも。
 なんとなく、私に向き合ってくれた気がして、とても嬉しかった。

 でも、謝罪させてください。

 私はあなたに、恩返しをできません。
 きっとこの手紙を渡すときにも、嘘をついています。

 私はあなたのように強くはないから、足掻く力を持っていないから。
 あの日触った板のこと、ツタに冒されているかもしれないこと。
 そんな疑念が、どうしても拭えずにいるんです。

 今日の私が迷っていなければ、村のことを知る人はいなくなります。
 でも、もしあなたがこんな私のわがままをまだ聞いてくれるのなら。
 私のエゴを、まだ許してくれるのなら。
 せめてあなただけは、私のことをよい思い出として覚えていてください。

 本当にごめんなさい。

 * * * * *

 痛くなった胸を押さえながら。
 足にじんじんと広がる痛みを堪えながら。
 口の中に血の臭いがしても、シルヴィカは走って。
 ようやく、石の門へ着くと。

 そのまま真っ直ぐに。
 村長の家へと走る。

 呼吸はもう役に立たない。
 気合いだけで、気力だけで。
 その扉の前に立つと。
 そこに南京錠は、かかっていなかった。

 シルヴィカは身体で押すように。
 扉の向こうへ駆け込むと。
 剥がれた床のタイルへ向かい。
 そのまま石の階段を駆け下りる。

 昨日よりも、ずっと。
 ずっと長く感じる。
 そんな階段の向こうでは。
 カルファがベッドの上に寝ていて。

 その胸元には、ナイフが刺さっていた。

「——カルファさん‼︎」
 しっかりしてください。
 今処置を……っ。

 シルヴィカが触れたその肌は。
 すでに冷たくなっていて。
 胸元から流れる血すらも。
 もう赤黒く変わっていた。

「カルファ……さん?」
 持ち上げたその身体は重くて。
 だらりと、冷たい腕が垂れてくると。
 開いた彼女の瞳孔や。
 リズムの途絶えたその脈に。
 そのまま言葉を失って。
 あたりには、シルヴィカの不規則な息の音が響く。

 シルヴィカはしばらくうつむいて。
 暴れる心臓を押さえながら。

「麻布……探さないと……」と。
 カルファから目を逸らして。
 地上の部屋から、麻布を探し出すと。
 何も言わずに、それでカルファを包んでいって。

 そしてシルヴィカはカルファをかかえると。
 そのまま村を歩いていき。
 村に開いた大穴の中へ。
 遺体をそっと置いた。

 その大穴をじっと見ると。
 シルヴィカはふらりと、崩れ落ち。
 荒くなる息や、止まらない震えを押さえるように。
 しばらく、自分を腕で抱いていた。

 その脳裏によぎるのは。
 昨日のカルファとの会話であり。

『シルヴィカさんは、誕生日のときから……変われた?』
 という彼女の言葉だった。

 ——私が、最後のひと押しをしたんじゃないか。
『変われていない』と言ったから、絶望させたんじゃないか。

 何が『嘘をつきたくない』だ。
 自分のエゴで殺したんじゃないか。

 身内が死ぬつらさなんて、わかっていたはずだろ。
 どれだけ尾を引くものなのか、知っていたはずだろ。
 予想できたのに、救えたはずの命なのに。
 私だけは、わかってなきゃいけなかったのに。
『そんなはずない』って。
 見ないフリをしたんだろ。

 結局私がまた死なせたんだ。
 あのときと同じだ。
 ずっと、ずっとそうだ。

 マコトさんには無駄に踏み込んで。
 そのくせアンネさんとはロクに話さず。
 レイエカさんだって、本当の話だったかもしれないのに。
 テニヤさんも、本当に善意だったかもしれないのに。
 それなのにあんな……あんな別れかたをして。
 ガイノさんにも、何度も何度も気をつかわせて。
 みんなに迷惑ばかり、イヤな思いばかりさせて。

 何ならできるんだ。
 お祖母様に何を習ったんだ。
 こういうときのためだろうに。
 何もできやしないくせに。
 人助けのフリばかり。
 相手に希望だけ持たせて。
 ただできないよりタチが悪い。

 そりゃそうだ。私は他人との約束を言いわけにして。
 望まれてもないのに生きてるだけなんだから。
 そんなクズが人助けなんてできるわけない。
 こんなことならあのときに。

 私が死ねばよかったんだ。

 心の底から、真っ黒なものがじわじわと湧いてくると。
 考えたくもないのに、そんな思考が止まらなくて。

 シルヴィカは過呼吸になりながらその場にうずくまると。
 今までの全部が間違いな気がして。
 全部が申し訳なくて。
 跡がつくくらいの強さで、手首をギュッと握った。

 うめき声すらも満足に上げられないまま。
 シルヴィカはごろんと寝そべると。
 襟からこぼれたペンダントが。
 白く、星の光を反射していて。

 シルヴィカがそれをしばらく。
 虚ろな瞳で見つめていると。

『せめてあなただけは、私のことをよい思い出として覚えていてください』
『じゃあ観に行くか? 本物』
 なんて。

 カルファの手紙の言葉とか、彼女自身の声だとか。
 もうおぼろげな両親の声まで、頭にガンガンと響いてくるから。
 シルヴィカは両手で目元を覆って。
「くっそぉ……っ」と声を絞った。

 わかった。
 わかったよ。
 わかってるよ。

 そう声たちに返しながら、シルヴィカは腕の力を抜くと。
 パンッと渇いた音とともに、腕にじんわりと痛みが走る。

 視界に広がる満天は、光がだんだん弱まっていて。
 上のほうから白み始めたその空を。
 シルヴィカは眺めて、ゆっくり上体を起こす。

「わかってる。気が済んだら、また歩くよ」
 ペンダントを手のひらに乗せ、誰に聞かせるでもなくそう言うと。

「でも、今だけは……」
 せめて今だけは、こうさせて。

 なんて心で繰り返しながらシルヴィカは。
 カルファのわがままに誓うように。
 手紙をギュッと、胸の前に抱えた。


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 妙な静けさと、どことなく漂う重い空気に。
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 それに「いひぃあっ」とか洩らしながらも。
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 コッ、コッ、としばらく足音だけが響き。
 リビングに転がっていたものをランタンで照らすと。
 シルヴィカは思わず「ひっ……」と声を洩らした。
 そこにはよくあるイレグラ石製のナイフが転がっていたのだが。
 果物用とおぼしきそれの刀身には、焦茶色の汚れが付着していて。
 それが転がっている場所には、人の形を思わせる、黒いシミができていたのだ。
 そして、そのシミにハエが集まっていて、ブンブンと音を立ててもいた。
 そんな光景から逃れるように、あとずさったシルヴィカだったが。
 重く熱っぽい悪臭に、思わず臭いのもとへ振り返ると。
 どうやらそこは寝室だったようで、藁のベッドの上にも、人のようなシミがあり。
 その上には青緑色をしたツタが、ベッドを覆うように生い茂っていた。
 ベッドの近くには小さなテーブルがあって。
 そこにピッチャーやコップ、薬が置いてあることや。
 ベッドのすぐ近くに、汚物を溜め込んだ桶があることから。
 シルヴィカはすぐに「病死……?」と思い至って。
 その家からすぐに飛び出すが、太陽に照らされた他の家が視界に映ると。
「まさか、これ全部……?」なんて頭をよぎった考えに。
 思わずシルヴィカは、する息が荒くなった。
 養鶏場のような建物にも、シルヴィカは入ってこそみたが。
 何かを引きずったような跡や、真っ黒なシミができていて。
 その養鶏場も、他に入ってみた建物たちも。
 ほとんどがそんな跡にまみれているうえ。
 それらがある場所では、ほぼ必ず。
 青緑色のツタが茂っていたので。
 ——疫病。
 そんな結論をシルヴィカが出すのは、いわゆる当然の帰結というやつであり。
 それが出たからといって、次の行動は変わらなかった。
 * * * * *
 それからのシルヴィカはしばらく。
 入れる建物に入っては、生存者を探したが。
 あいにくそんなものは見つからず、村の半分を探し回ったあたりで。
 シルヴィカはふと地面に開けられた大穴を見て、絶句した。
 穴の中には、麻布でくるまれたものが多数あり。
 それらはシルエットからして、おそらく人を包んでいて。
 袋の節々に滲む黒い汚れだとか、引きずったような跡がこの穴に伸びていることから。
 おそらく黒いシミの正体が、ここに放り込まれているらしいことが予想でき。
 シルヴィカは作業の都合上着けていた使い捨ての手袋や。
 口を覆っていたスカーフを外すと、胸の前で指を組み。
 それからしばらく、目を閉じうつむいた。
 やがて目を開くと、シルヴィカの視線は別のほうへ向き。
 やがてその中央に、大きな黒い塔を捉えると。
 シルヴィカは重い足取りで、その塔へと向かっていく。
 妙に耳に残るようなブンブンとした羽音の中。
 シルヴィカは村を進んでいき、やがて中央。
 黒い塔のある場所へ、たどり着き。
 じっとそれを見上げて。
 青空に塔の残像が浮かびそうなくらい、それを見つめると。
 シルヴィカは塔の周りをぐるぐると歩き回って。
 しばらく、入り口を探していた。
 しかし、塔には通気口のような穴こそあるものの、出入り口なんてなくて。
 かつての|船上街《せんじょうがい》のように壁が開くのかも確かめてみたが、特にそういうものもなかった。
 そんなことを続けていると、やがて周りにも目が行くもので。
 シルヴィカはふいに、塔の周りにも青緑色のツタがあるのが見え。
 さらにはそれが、村の家たちよりも多いことにも気づく。
「まさか……」
 そう呟きながらに、シルヴィカがランタンで照らしたのは。
 塔の周りにある通気口たちであり、そこには青緑色のコケが微かに付いていて。
 この色のコケとツタという組み合わせ。
 そしてかつてガイノとの旅で見た残骸の記憶から。
 このツタそのものが遺物であるという説がシルヴィカの脳裏をよぎる。
 目を見開いて見上げようと、黒い塔は相変わらずで。
 見上げたシルヴィカの目は、やがて伏せるように変わった。
 塔から数歩あとずさり、しばらくあごに指を当てると。
 シルヴィカはそのまま塔に背を向けて、村を離れることに決め。
 しばらく村の中を目を伏せながらに歩いていたとき。
 ほんの少し遠くから、シルヴィカの背後のほうから。
「塔に入ったの?」
 という声がして。
 シルヴィカがそれに、勢いよく振り返ると。
 声の主は褐色の肌をした黒髪の少女だったようで。
 彼女はボサボサの長い髪を揺らしながら。
「答えて」と眉根を寄せた。
「え、えっと、そもそも入り口が、無くて……」
 なんて、わたわたと答えるシルヴィカに対して。
 その少女はふぅ……、というため息をつくと。
「ならよかった」
 と平坦な声で言って。
 そんな様子の少女を、シルヴィカはしばらく見つめてから。
 やがて「あの、あなたは……?」というふうに問いかけると。
「カルファ。ここに住んでる」なんて、少女は返した。
「ここにって……」
 シルヴィカはあたりを見渡し。
 それから視線をカルファに戻すと。
 カルファはシルヴィカの目を、まるで見透かすように覗き込む。
 そして、何かに気づいたかのような反応を見せると。
「付いてきて」とカルファは歩き出す。
 それは件の塔の方向で。
「えっ、あの、待ってください!」と。
 シルヴィカは言いながら追いかける。
 カルファは塔の横を抜けて、村の反対側を進み。
 とうもろこしのたくさん育っている畑の間を歩いていく。
「この村、何があったんです?」
 と問いかけるシルヴィカに。
「話が長くなる」とカルファ。
「どこに向かってるんですか?」には。
「私の住んでるとこ。そこが一番安全」と返しながら。
 しばらく歩いていたカルファは、やがて立ち止まり。
 村の中でもひときわ大きな、煙突のある民家を見ながら「ここ」と言った。
「ここがあなたの……?」
 なんて首をかしげるシルヴィカに。
「厳密には村長の家。借りてる」とカルファは。
 南京錠をカチャカチャ鳴らしながら外すと。
「入って」と扉を開けながら言った。
 木戸で閉ざされた窓から。
 微かに光が漏れていて。
 その光に照らされて、埃がキラキラと輝く。
 真っ暗なその部屋の真ん中に、上等そうなソファがあり。
 カルファはそこに座り込むと、「どうぞ」と軽く言っていた。
「教えてください。この村のこと」
 シルヴィカはソファに座りながら、カルファの顔を覗き込み。
 カルファはそれに気づくと、小さく微笑んでみせる。
「……始めは、子どもたちの冒険だった」
 そんなふうに語り出したカルファは。
 視線をふと、壁のほうへ向けて。
 その視線の先にかかっていた絵画には。
 あの黒い塔が描かれていた。
 * * * * *
「オリカスの塔をさ、探検しようぜ」
 その日、ある少年はそう言って仲間を誘った。
 オリカスというのは、あの黒い塔のことで。
 あの塔は村では禁足地という扱いだった。
 それゆえに、始めこそ皆乗り気ではなかったが。
 ふいに誰かが言った「入ったら祟られるぞ」という、そんな言葉に。
 ついつい盛り上がってしまい、ついには断るやつは腰抜けという話になっていき。
 その危うい盛り上がりが気がかりで、年長者だったカルファは同行することに決めた。
 そして、探検決行の日となり、子どもたちは続々と塔の前に集うと、すぐに侵入をした。
 あの塔の壁には押せる板があり、それを押すことで壁がせり動き、中に入れる構造で。
 塔の中に侵入した子どもたちは、最初は怖がっていたのか。
 入った瞬間に内部が明るく照らされたときには、軽いパニックだった。
 しかし、子どもの適応力はすごいもので。
 しばらくすれば、もはや塔とは関係のない話をしていた。
 塔の内部は意外と狭く、ほんの十数分もすれば全部回れてしまうほどで。
 あまりに簡単に探検が終わるのを危惧した子どもたちは、最奥の部屋に集まると。
 ちょうど機械の多い部屋だったので、「なんか戦利品探そうぜ」という話になった。
 その雰囲気に流されてしまったカルファは、何かを探すフリをしつつも。
 しばらく子どもたちの様子を伺っていたが。
 ふいに、近くにあった薄い板に気づくと、注意はすぐにそちらを向いた。
 何やら角ばった、珍妙な文字のようなものが羅列された、そんな板は。
 何やら赤い四角形を提示してきているようで。
 それに対してカルファは、しばらく首をかしげる。
 そんな板について考えていると、ふいに背後から。
「うげっ、骨なんてあるぞ‼︎」
 なんて大声がして。
 それにカルファは驚いて、板を落としそうになった。
 さいわい、寸前でキャッチすることができたのだが。
 そのときにフォン、という音が聞こえた気がして。
 あわててカルファが板を見ると、板は別の文字を羅列していた。
 それから急に部屋が暗くなり、呪文のような音を鳴らし出すと。
 子どもたちは最初の恐怖を思い出したかのように、そのまま逃げ出して。
 その日は特に得られたものも変わったこともないまま、解散することになり。
 カルファも不安で怖いことが終わって、ほっとしながら家に帰った。
 ——だが、その次の日から、事件は始まった。
 始めたに異常をきたしたのは、養鶏場の鶏で。
 養鶏場は運悪く、あの塔の近くに建てられていた。
 朝になれば鳴くはずの雌鶏たちが、その日は暴れていて。
 やがて血にまみれた青緑色の物体を吐きながら、皆死んでいった。
 病は時とともに、人にも拡がっていき、多くの場合は胸元や耳の中。
 あとは鼻や口の中から、例のツタが生えてきて、たくさんの人が死に始めた。
 カルファの両親は早いうちにその病に冒され、死んでしまった。
 村の薬師も最初こそ尽力していたが、やがて諦めてしまった。
 村にはいつしか緑色の濃霧が立ち込め。
 それに長く触れていた者ほど病はひどくなった。
 病を看る者も、死者を弔う者も。
 皆、ツタに冒された。
 村を出ていく者もたくさん出た。
 子どもたちの冒険が明らかになって。
 特に信心深かった一部の村人は塔の前で必死に謝ったが、返事はツタの病だった。
 あの冒険からたった数日で、平和だった村は変わってしまった。
 死体はそのあたりに放置され。
 大人たちはやがて、行き場のない怒りをいだき。
 元凶の子どもたちへとその矛先を向けた。
 それを止めるような者は。
 ほとんどがすでに死んでいるか、村から逃げていた。
 カルファは早期に親を亡くしていたことがさいわいし。
 村長に匿って貰え、そのおかげで暴力から逃れられた。
 村長が言うには、別の誰かの死体を使ってカルファはもういないことにしたらしい。
 カルファはそれからずっと村長の家にある、地下室で暮らして。
 毎日、毎日。村長のくれるご飯と水で時間を判断した。
 やがてその村長も、地下室には来なくなったが。
 それでもカルファは震えながら、水だけで生活を続けた。
 そうして水すら尽きる頃、おそるおそる外に出ると。
 村はひどく静かになっていて。
 霧が晴れていた代わりに。
 あたりで村人たちが腐臭を漂わせていた。
 * * * * *
「——それで、昨日まで私は、みんなを片付けてたの」
 カルファがそう言い終えると、シルヴィカは胸元のペンダントを握り。
「そう、だったんですね……」と呟いた。
 ソファから立ち上がると、カルファはシルヴィカの手を引き。
「霧はないけど、まだ危ないかもしれないから」
 と、何やら床のタイルを剥がして。
 そのタイルの下に広がる石階段を指さしながら。
「旅人さんは今日、ここで寝るといい」なんて言った。
 シルヴィカはしばらくあごに指を当てて。
 カルファのほうを見上げると。
「どうして、そこまで……?」
 なんてことを言って。
 それに対してカルファは。
「私とあなた、目が似てるから」と微笑む。
「目……ですか?」
「うん、多分似てるの」
 そう言うカルファの瞳は、黒曜石のような真っ黒で。
 シルヴィカは自分の目元に手を寄せると。
「うーん?」と小さくうなった。
 先導するカルファに付いていき。
 石の階段を慎重に進むと。
 その先には小さな部屋があり。
 中には藁のベッドと小さなチェストだけがあった。
 チェストの上に置いてあった、反りの付いた本をしまうと。
 カルファはシルヴィカへ振り向いてから。
「コーヒー飲める?」と訊いてきたので。
 シルヴィカはそれにうなずく。
 スタスタと階段を上っていくカルファに。
「私、返せるものありませんよ?」と言って。
 それに対してカルファは、しばらく立ち止まると。
「いらないけど……うん、考えとく」
 と返してから、シルヴィカを置いて地上に行く。
 シルヴィカはそんな背中を、なんとなくで見送って。
 それから、ベッドにゆっくり座り込んだ。
 チェストとベッド。たったそれだけの部屋を眺め。
「ほんとに避難用なんだ……」
 なんて、上のカルファに聞こえないようシルヴィカは言うと。
 思い出したかのようにウエストポーチから手帳を取り出して、それを開く。
 ペラペラと素早くページを巡っていくと。
 それに伴い、さまざまな病状のメモが巡っていき。
 やがて手帳は、白紙のページを見せ始める。
 シルヴィカはもう一度メモをていねいに確認していくが。
 やはりこの村の病は載っておらず、シルヴィカの認識通り遺物のようだった。
 やがて上から、足音が寄ってきて。
 両手に木のコップを持ったカルファが現れると。
「お返し、決めたよ」と、それを手渡しながらに言っていて。
「ありがとうございます」
 なんて言いながら、コーヒーを受け取るシルヴィカを。
 カルファは立ったまま見下ろした。
 そんな彼女を見上げながら、シルヴィカは首をかしげて。
「私は、何をすれば……?」と言うと。
 カルファは優しく微笑んで。
「旅人さんのことを教えて」
 それが、今日の宿代。
 なんてことを、返した。
 * * * * *
 シルヴィカはそれからしばらく。
 これまでの旅のことや。
 なぜこの旅をしているのかという。
 そんな話を続けていて、その途中で。
 なぜカルファが自身を指して『目が似ている』と言ったのか。
 その意味がなんとなくわかってきた気がした。
 二人とも『今が見えていない』のだ。
 どのタイミングであっても、過去の出来事が。
 それがもたらした深い傷が、思考をよぎっていくのだ。
 きっと、傷が深過ぎるのだろう。
 癒えるには、まだ時間が足りないのだろう。
 それゆえに、揃いも揃って目の焦点が今に合っていない。
 それが彼女の言う『同じ目』なのだろう。
 そんなことを考えながら、シルヴィカはやがて話を終え。
「——だから私は、この約束を捨てられないんですよ」なんて締めくくると。
 それを黙って聴いていたカルファは、「そっか」と小さく答えて。
 それからしばらく、考えごとをしているようだった。
 シルヴィカは視線をコーヒーに落とし。
 残り少ないそれを、くるくると回していると。
「変な質問、なんだけど……」と、やがてカルファが口を開いて。
「シルヴィカさんは、誕生日のときから……変われた?」
 なんて、シルヴィカのほうを見つめた。
 その真っ直ぐな視線に晒されると。
 なんとなしにシルヴィカは。
 彼女に対して、嘘をつきたくないと思え。
 きっと、今まで自分に対して真実を話してくれた人にも、自分はこう映っていたのだろう。
 そんな内心が洩れように「ずるい目ですね……」なんて、シルヴィカは小さく言ってから。
 しばらくあごに指を当てて、それから目を伏せて答える。
「まだ、変われていないと、思います」
 私は結局、逃げてるんですよ。
 あの日から、立ち直ることにです。
 旅はもちろん楽しいんですけど……
 楽しいときこそ、他でもない自分が過去を突きつけてくるんです。
『お前にできるはずがない』
『お前は幸せになってはいけない』って。
「——だから、私はあの日のままで、今も足掻いているのかも、しれませんね」
 そう言いながらシルヴィカは、カルファに愛想笑いをすると。
 それを見たカルファが、一瞬目を見開いた気がした。
 * * * * *
 そして、翌日の朝。
 シルヴィカは村を出ることにして。
 カルファとともに、村の門まで歩いていた。
 土壁をまとった家たちは、相変わらず羽虫まみれだったが。
 なんとなく理解者ができたからか、それとも慣れただけなのか。
 前日ほどの重々しさをシルヴィカは感じなかった。
 しばらく二人は黙ったまま、オリカスの塔の下を行き。
 そんな中ふいに、カルファは口を開いて。
「私、この生活をやめようと思う」と言ったので。
「アテはあるんですか?」とシルヴィカが答えると。
 カルファはそれに、沈黙で答える。
 それを見つめたシルヴィカは、意味もなく伸びをすると。
「最初は怖いですけど、旅も案外楽しいですよ」
 なんて言ってから。
 カルファのほうをちらりと見やって。
 ふいに、二人の目が合った。
 それに対してカルファは、少し申し訳なさそうに。
 何やらウエストポーチを漁ると、やがて小さな封筒を取り出して。
「読めるかわかんなかったから、簡単な言葉で書いた」
 言った彼女に突き出す。
 シルヴィカはその封筒を、両手で受け取るが。
 そのまま開こうとした手を、カルファは強く制止して。
「恥ずかしい……から、夜以降に、読んで」
 なんて、目を伏せながらに言っていた。
 そんな様子にシルヴィカは。
「わかりました」と微笑んで、それをポーチにしまい込む。
 気がつくと二人は、門のすぐ近くに来ていた。
 カルファはしばらく村を見渡すと、それからふうっと息を吐いて。
「それじゃあカルファさん、お元気で」という言葉に。
「いい旅になるといいね」と返すと。
 二人は互いに背を向けて、それぞれの道を進んでいく。
 シルヴィカは手紙を取り出すと、しばらく胸にそれをかかえて。
「幸せになれるよう、陰ながら祈っていますね」と、小さく呟いた。
 * * * * *
 その日の夜になって。
 シルヴィカはたき火に当たりながら、荒野の真ん中で。
 火の粉が当たらないように、少しあとずさってから封筒を開く。
 異郷出身のシルヴィカを気づかってか、簡単な語で書かれたその手紙を。
 シルヴィカは優しい目で、読み始め。
 それを半分も読まないうちに、ポーチへしまうと。
 たき火を消して、すぐに荷物をまとめた。
 消した火を視界の端で確認すると。
 シルヴィカはすぐに走り始め。
「お願い、間違いであって……っ」
 なんてことを思いながら。
 オリの村を目指して。
 ひたすら。
 ただひたすらに。
 一心に足を動かした。
 ——勘違いであってほしかった。
 * * * * *
 シルヴィカさんへ。
 名前の綴り、これで合っていますか?
 間違っていたらごめんなさい。
 昨日はありがとうございました。
 私、しばらく一人だったから、ひさびさに人と話せて楽しかったです。
 つらいであろうことや、言いづらいことまで、正直に話してくれたことも。
 なんとなく、私に向き合ってくれた気がして、とても嬉しかった。
 でも、謝罪させてください。
 私はあなたに、恩返しをできません。
 きっとこの手紙を渡すときにも、嘘をついています。
 私はあなたのように強くはないから、足掻く力を持っていないから。
 あの日触った板のこと、ツタに冒されているかもしれないこと。
 そんな疑念が、どうしても拭えずにいるんです。
 今日の私が迷っていなければ、村のことを知る人はいなくなります。
 でも、もしあなたがこんな私のわがままをまだ聞いてくれるのなら。
 私のエゴを、まだ許してくれるのなら。
 せめてあなただけは、私のことをよい思い出として覚えていてください。
 本当にごめんなさい。
 * * * * *
 痛くなった胸を押さえながら。
 足にじんじんと広がる痛みを堪えながら。
 口の中に血の臭いがしても、シルヴィカは走って。
 ようやく、石の門へ着くと。
 そのまま真っ直ぐに。
 村長の家へと走る。
 呼吸はもう役に立たない。
 気合いだけで、気力だけで。
 その扉の前に立つと。
 そこに南京錠は、かかっていなかった。
 シルヴィカは身体で押すように。
 扉の向こうへ駆け込むと。
 剥がれた床のタイルへ向かい。
 そのまま石の階段を駆け下りる。
 昨日よりも、ずっと。
 ずっと長く感じる。
 そんな階段の向こうでは。
 カルファがベッドの上に寝ていて。
 その胸元には、ナイフが刺さっていた。
「——カルファさん‼︎」
 しっかりしてください。
 今処置を……っ。
 シルヴィカが触れたその肌は。
 すでに冷たくなっていて。
 胸元から流れる血すらも。
 もう赤黒く変わっていた。
「カルファ……さん?」
 持ち上げたその身体は重くて。
 だらりと、冷たい腕が垂れてくると。
 開いた彼女の瞳孔や。
 リズムの途絶えたその脈に。
 そのまま言葉を失って。
 あたりには、シルヴィカの不規則な息の音が響く。
 シルヴィカはしばらくうつむいて。
 暴れる心臓を押さえながら。
「麻布……探さないと……」と。
 カルファから目を逸らして。
 地上の部屋から、麻布を探し出すと。
 何も言わずに、それでカルファを包んでいって。
 そしてシルヴィカはカルファをかかえると。
 そのまま村を歩いていき。
 村に開いた大穴の中へ。
 遺体をそっと置いた。
 その大穴をじっと見ると。
 シルヴィカはふらりと、崩れ落ち。
 荒くなる息や、止まらない震えを押さえるように。
 しばらく、自分を腕で抱いていた。
 その脳裏によぎるのは。
 昨日のカルファとの会話であり。
『シルヴィカさんは、誕生日のときから……変われた?』
 という彼女の言葉だった。
 ——私が、最後のひと押しをしたんじゃないか。
『変われていない』と言ったから、絶望させたんじゃないか。
 何が『嘘をつきたくない』だ。
 自分のエゴで殺したんじゃないか。
 身内が死ぬつらさなんて、わかっていたはずだろ。
 どれだけ尾を引くものなのか、知っていたはずだろ。
 予想できたのに、救えたはずの命なのに。
 私だけは、わかってなきゃいけなかったのに。
『そんなはずない』って。
 見ないフリをしたんだろ。
 結局私がまた死なせたんだ。
 あのときと同じだ。
 ずっと、ずっとそうだ。
 マコトさんには無駄に踏み込んで。
 そのくせアンネさんとはロクに話さず。
 レイエカさんだって、本当の話だったかもしれないのに。
 テニヤさんも、本当に善意だったかもしれないのに。
 それなのにあんな……あんな別れかたをして。
 ガイノさんにも、何度も何度も気をつかわせて。
 みんなに迷惑ばかり、イヤな思いばかりさせて。
 何ならできるんだ。
 お祖母様に何を習ったんだ。
 こういうときのためだろうに。
 何もできやしないくせに。
 人助けのフリばかり。
 相手に希望だけ持たせて。
 ただできないよりタチが悪い。
 そりゃそうだ。私は他人との約束を言いわけにして。
 望まれてもないのに生きてるだけなんだから。
 そんなクズが人助けなんてできるわけない。
 こんなことならあのときに。
 私が死ねばよかったんだ。
 心の底から、真っ黒なものがじわじわと湧いてくると。
 考えたくもないのに、そんな思考が止まらなくて。
 シルヴィカは過呼吸になりながらその場にうずくまると。
 今までの全部が間違いな気がして。
 全部が申し訳なくて。
 跡がつくくらいの強さで、手首をギュッと握った。
 うめき声すらも満足に上げられないまま。
 シルヴィカはごろんと寝そべると。
 襟からこぼれたペンダントが。
 白く、星の光を反射していて。
 シルヴィカがそれをしばらく。
 虚ろな瞳で見つめていると。
『せめてあなただけは、私のことをよい思い出として覚えていてください』
『じゃあ観に行くか? 本物』
 なんて。
 カルファの手紙の言葉とか、彼女自身の声だとか。
 もうおぼろげな両親の声まで、頭にガンガンと響いてくるから。
 シルヴィカは両手で目元を覆って。
「くっそぉ……っ」と声を絞った。
 わかった。
 わかったよ。
 わかってるよ。
 そう声たちに返しながら、シルヴィカは腕の力を抜くと。
 パンッと渇いた音とともに、腕にじんわりと痛みが走る。
 視界に広がる満天は、光がだんだん弱まっていて。
 上のほうから白み始めたその空を。
 シルヴィカは眺めて、ゆっくり上体を起こす。
「わかってる。気が済んだら、また歩くよ」
 ペンダントを手のひらに乗せ、誰に聞かせるでもなくそう言うと。
「でも、今だけは……」
 せめて今だけは、こうさせて。
 なんて心で繰り返しながらシルヴィカは。
 カルファのわがままに誓うように。
 手紙をギュッと、胸の前に抱えた。