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第3話 最後のピースと、純情なる『パンツ突撃シミュレーション』

ー/ー



その夜、ヤードはもう一度あの女性の夢を見たいと思って目を瞑った。

横の布団では、姉ちゃんが寝ており、「スピスピ」と寝息を立てている。

(やっぱり、一人じゃないと集中してあの女性のこと考えられないや……)

家族がそばにいると、どうしてもあの時の罪悪感が先に来てしまう。そんな事を考えているうちに、いつのまにか寝入ってしまい、朝になっていた。

夜明け前、ヤードは起きた。

母ちゃんと姉ちゃんはいつものように台所の方で家事仕事をしていて、父親のジェイは外の小屋で漁に出る準備をしていた。ヤードも桶で顔を洗い、父親のところへ向かおうとした。

その時、母親のルーシが声をかけてきた。

「ヤード、父ちゃん呼んできな。ご飯だよって」

「うん、わかった」

父親の居る小屋に向かうと、ジェイが網の修繕をしていた。

「お、ヤードか」

「父ちゃん、網貸して。僕が修繕するよ」

「お、やってくれるか」

「うん、任せて」

ヤードは宝箱から、愛用の遺物で作った『ヤード特製の網修繕キット』を取り出し、手早く修繕していく。

その見事な手さばきを、ジェイは誇らしげに見ていた。

「ヤード、お前やっぱスゲーな! ガハハ!」

ジェイがバンバンと肩を叩いてくる。ものすごく痛い。

「父ちゃん痛いし、手元が狂うよ……」

五分ぐらいで修繕が終わり、ヤードは言った。

「また破れたら僕が直すから」

「おう、そんときは頼んだぞ! ガハハ!」

「あっ、そうだ。母ちゃんがご飯だから、父ちゃん呼んできてって言ってたよ」

「そうか。飯食ったら、今日もひと稼ぎ行くか!」

「うん!」

ヤードには、作りかけの武器(銃)があった。

部品が足りなくて諦めかけていたが、昨日の『コア事件』があって、ヤードは固く決意していた。

(あの山に行くには、絶対にあの銃を完成させなきゃいけない……!)

そのためには、毎日漁に出ながら、網にかかるあの遺物を選別する必要があったのだ。

毎日漁に出ては、休漁の日にトンカチで岩を割って「違う」と嘆き、また父親と一緒に漁に出る。

たまに、家と小屋の間に埋めたコアの無事を確認するのも怠らない。

そんな毎日を繰り返し……季節は三回巡った。

ヤードは、十五歳になっていた。

毎日の漁で鍛え上げられた身体は筋肉も太くなり、少し男らしくなっていた。あの頃の、弱々しかったヤードはもうどこにもいない。

この年になると、もうヤードと父親で一人一網ずつ投網を投げていた。効率も約二倍になり、売りに行く魚の量も増え、家計も少し楽になりつつあった。

ある漁の日。ついに、それを見つけた。

それは、父親の網にかかっていた。引き上げた網の中から、ジェイが声を上げる。

「ヤード、これ、いいんじゃねーか!」

長年ヤードの選別を見てきたこともあり、ジェイにも自然と『選別眼』がついていたのだ。

「おー! 父ちゃんスゲー! これ、良いやつだよ!」

「だろー!」

ジェイが誇らしげに笑う。

それは、細長い岩だった。

相変わらずフジツボや貝がびっしりついていたが、テコで貝を剥がし、食用の桶に放り込む。

そしてヤードは、いつもの直感で理解した。

(間違いない。これが、あの銃の大事な最後のピースだ……!)

ヤードは力強く「うん」と頷き、また海へと網を投げた。

◇ ◇ ◇

そして一週間後。ある嵐の日――そう、漁が休みの日だ。

いつものように父親の許しを得て、朝からヤードは小屋(秘密基地)に籠もっていた。

目の前には、そんなに大きくはないが、細長い楕円形のフジツボだらけの石。

その石にタガネを向け、ハンマーを打ち付けていく。

カン! ガツッ!

ボロっ……と、ゴツゴツした石が少しずつ砕けていく。カン!

最後は、やはり一気に割れた。

中から出てきた物。それは、白銀に輝く短い鉄の棒だった。

これこそが、ヤードがこの三年間、ずっと探し求めていた『最後のピース(銃身)』だった。

九つのピースを組み合わせて、初めてその真の性能を露わにする遺物兵器。これからヤードが向かう『絶対防壁』の中腹への冒険に、絶対に必要なものだった。

「よし! よしよし!」

ヤードは歓喜し、これから自分が向かう未知の冒険に胸を高鳴らせた。ひとまず完成した銃を、宝箱に丁重に収納する。

そして……ヤードは、漁が休みのときの『もう一つの楽しみ』を始めることにした。

ヤードは人一倍手先が器用で、想像力も豊かだ。

彼が組み立てたのは、地面に立つようにして作った、黒い布のスカート(※決して姉のではない)を穿かせた『カカシ』だった。普段はただの棒と布切れにしか見えないよう、完璧な組み立て式になっている。

ヤードは、無駄に器用で賢かった。

もう慣れた手つきでカカシを組み立て、あの夜、ホログラムの女性が現れた位置に正確に調整する。スカートの長さから広がり具合まで、完全再現である。まさに『器用さの無駄遣い』だ。

おもむろに仰向けになり、小屋の入り口の安全を確認してから、足を使って少しずつ、少しずつスカートの下へと近づいていく。

(ハァハァ……!)

心臓が早鐘を打ち出す。

(ハァハァハァハァ……!)

あと少し。

(パンツ……! ハァハァ……!)

あと少しでパンツ……! 下腹部が熱く、痛い。

(ハァハァ……!)

あと十センチ……!

(ハァッハッァハ……!)

興奮が最高潮に達する――が、決してそこから先へは進まない。

『寸止め』。それこそが、十五歳のヤードの流儀だった。

その頃、家の中では、父親と母親が姉に聞こえないようにヒソヒソと話をしていた。

母親のルーシがジェイに言う。

「またあの子、小屋にこもって……」

ジェイは答える。

「男の子だからな、しょうがないんだよルーちゃん。見ないふりしてあげてくれな」

「まぁ、あなたの子だものね。ウフフ」

「まぁそういうことだな、ガハハ!」

「何? どうしたの?」

食器を洗っていたリヴが話に割り込んでくる。

「おっ、リヴ。そういやお前、隣村のカッシに交際申し込まれたみたいだが、どうすんだ?」

ジェイは慌てて話を逸らした。

「うるさい! お父ちゃん!」

リヴは顔を赤くして、自分の部屋に行ってしまった。

「ちょっとあんた、ジェイ! なんであんたは昔から女心がわからないの? あんたはいつもいつも……!」

「いや、すまんかったルーちゃん。つい……」

ルーシのお小言は続く。スケベ心はよくわかっても、女心は絶望的にわからないジェイだった。そしてこの後、しばらくリヴに口をきいてもらえなくなる。

その頃ヤードは、三回目の『パンツ突撃シミュレーション』を小屋で存分に楽しんでいた。

両親に、全てがバレているとも知らないで――。

◇ ◇ ◇

月日は少し経ち――。

今日、ヤードは父親のジェイに連れられ、山側にある三千人規模の街へと来ていた。

街といっても建物が密集しているのは商業施設と街運営機関のある一部だけで、あちこちに麦畑や野菜畑が広がる、のどかな農村・畜産の街だ。森を切り開き、畑を耕す。人類はここで、大地と共にその生命の息吹を再び吹き返そうとしていた。

その街の『採れたて市場』に、ヤード親子は朝獲れたばかりの魚を売りに来ているのだ。

ヤードは、目の前にそびえる『絶対防壁』に完全に釘付けになっていた。

あの超巨大山脈をこんなに近くで見るのは、生まれて初めてだった。まるで空そのものを切り裂くようにそびえ立ち、圧倒的な質量で視界を覆い尽くしてくる。

今にもこちらに向かって倒れて来るんじゃないかと思えるほど高く、頂いただきには万年雪を抱える、まさに人間を拒絶する絶対的な『壁』だった。

(俺は、あの山に行くのか……)

ヤードは少し怖気づいたが、即座に心の中で「パンツ、パンツ……!」と熱く唱え、己の純情なスケベ欲求でその巨大な恐怖を見事に塗り替えていた。いつの間にか、ヤードの冒険の最大の目的は『あの綺麗な女性のパンツを見ること』へと完全に昇華されていたのだ。

父親のジェイは、息子が山を見上げながらそんな不純極まりない思考をフル回転させているとは露知らず、豪快に笑いかけた。

「ヤード、どうした? あの山か? ……たけーよな。実はよ、父ちゃんも子供の頃、あの山の向こうに行こうと思ってた時期があったんだ」

「え!?」

ヤードは心底驚いた。

「父ちゃん、あの山って怖い怪物とかいるんじゃないの? それに山の向こうにも、もっとすげぇ怪物が……!」

「怪物? ヤード、お前なに言ってんだ……あっ、そうか。おっ、ヤードちょっと待ってな、客だ」

ジェイはすかさず愛想のいい顔になる。

「ホイ! 獲れたてだぜ、どうだいお客さん!」

「その貝を、十個ほど貰おうかしら」

「はい、おつりの、二十ポインだ! 毎度あり! ありがとよ!」

「うん、何の話だったか? あ、そうそう、山の話か。……あー、あの山は越えられねーよ。あの雪を見てみろ。そしてあの岩肌、ほぼ直角だぜ。途中までは行けるとしても、人間じゃあ頂上は越えられねーよ。落ちて死ぬか、寒くて凍え死ぬかだな、ガハハ!」

「じゃあ、どうやって山の向こうに行くの?」

ヤードが食い下がると、ジェイは北の方角をビシッと指差した。

「この方向だ。海を左に見て、右にあの山を置く。すると、ほら、ずーっと平らな平野が見えるだろ? それをひたすら北へ進んで行ったところに、俺たちを治めてる『国』の偉い人がいる、大きな都市があるんだ。そこの関所ってところを通るんだよ。……『国』って、お前もう分かるだろ?」

「うん」

ヤードは答える。

しかし答えたものの、ヤードの頭の中では全然イメージが湧いていなかった。彼の中での世界(国)は、『隣村』と『そのまた隣村』という狭いくくりで終わっていたのだ。

「お前、小さい頃から想像力っていうか、妄想が凄かったからな! ガハハ! ……それでも、全く安全ってわけじゃねーぞ。腹を空かせた狼とか、でかい熊とかはいるらしいからな。ま、こんな街にはめったに降りてこないらしいけどな!」

父親ジェイは豪快に笑った。

ヤードの頭の中は、大混乱と少しの恥ずかしさで一杯だった。

今まで自分の頭の中だけで創り上げてきた『この世界の世界観』が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。子供の妄想とは、得てしてこんなものである。人口三百人の村という小さなコミュニティの中しか知らなかったのだから、それは仕方のないことでもあった。

しかしヤードには、父親が話したことが事実ならば、ますます『パンツを見る日』が現実味を帯びてきたように思えた。むしろ、山の向こうからパンツが「早く見に来て」と呼んでいる気さえした。

(※そんなわけはないのだが)

「ヤード、どーした? 魚も売れたし、母ちゃんたちに頼まれた麦と肉と野菜を買って帰るぞ」

「うん、帰ろう父ちゃん!」

ヤードは上機嫌だった。未知の世界への恐怖はすっかり消え去り、これからの冒険が楽しみで仕方なかったのだ。






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その夜、ヤードはもう一度あの女性の夢を見たいと思って目を瞑った。
横の布団では、姉ちゃんが寝ており、「スピスピ」と寝息を立てている。
(やっぱり、一人じゃないと集中してあの女性のこと考えられないや……)
家族がそばにいると、どうしてもあの時の罪悪感が先に来てしまう。そんな事を考えているうちに、いつのまにか寝入ってしまい、朝になっていた。
夜明け前、ヤードは起きた。
母ちゃんと姉ちゃんはいつものように台所の方で家事仕事をしていて、父親のジェイは外の小屋で漁に出る準備をしていた。ヤードも桶で顔を洗い、父親のところへ向かおうとした。
その時、母親のルーシが声をかけてきた。
「ヤード、父ちゃん呼んできな。ご飯だよって」
「うん、わかった」
父親の居る小屋に向かうと、ジェイが網の修繕をしていた。
「お、ヤードか」
「父ちゃん、網貸して。僕が修繕するよ」
「お、やってくれるか」
「うん、任せて」
ヤードは宝箱から、愛用の遺物で作った『ヤード特製の網修繕キット』を取り出し、手早く修繕していく。
その見事な手さばきを、ジェイは誇らしげに見ていた。
「ヤード、お前やっぱスゲーな! ガハハ!」
ジェイがバンバンと肩を叩いてくる。ものすごく痛い。
「父ちゃん痛いし、手元が狂うよ……」
五分ぐらいで修繕が終わり、ヤードは言った。
「また破れたら僕が直すから」
「おう、そんときは頼んだぞ! ガハハ!」
「あっ、そうだ。母ちゃんがご飯だから、父ちゃん呼んできてって言ってたよ」
「そうか。飯食ったら、今日もひと稼ぎ行くか!」
「うん!」
ヤードには、作りかけの武器(銃)があった。
部品が足りなくて諦めかけていたが、昨日の『コア事件』があって、ヤードは固く決意していた。
(あの山に行くには、絶対にあの銃を完成させなきゃいけない……!)
そのためには、毎日漁に出ながら、網にかかるあの遺物を選別する必要があったのだ。
毎日漁に出ては、休漁の日にトンカチで岩を割って「違う」と嘆き、また父親と一緒に漁に出る。
たまに、家と小屋の間に埋めたコアの無事を確認するのも怠らない。
そんな毎日を繰り返し……季節は三回巡った。
ヤードは、十五歳になっていた。
毎日の漁で鍛え上げられた身体は筋肉も太くなり、少し男らしくなっていた。あの頃の、弱々しかったヤードはもうどこにもいない。
この年になると、もうヤードと父親で一人一網ずつ投網を投げていた。効率も約二倍になり、売りに行く魚の量も増え、家計も少し楽になりつつあった。
ある漁の日。ついに、それを見つけた。
それは、父親の網にかかっていた。引き上げた網の中から、ジェイが声を上げる。
「ヤード、これ、いいんじゃねーか!」
長年ヤードの選別を見てきたこともあり、ジェイにも自然と『選別眼』がついていたのだ。
「おー! 父ちゃんスゲー! これ、良いやつだよ!」
「だろー!」
ジェイが誇らしげに笑う。
それは、細長い岩だった。
相変わらずフジツボや貝がびっしりついていたが、テコで貝を剥がし、食用の桶に放り込む。
そしてヤードは、いつもの直感で理解した。
(間違いない。これが、あの銃の大事な最後のピースだ……!)
ヤードは力強く「うん」と頷き、また海へと網を投げた。
◇ ◇ ◇
そして一週間後。ある嵐の日――そう、漁が休みの日だ。
いつものように父親の許しを得て、朝からヤードは小屋(秘密基地)に籠もっていた。
目の前には、そんなに大きくはないが、細長い楕円形のフジツボだらけの石。
その石にタガネを向け、ハンマーを打ち付けていく。
カン! ガツッ!
ボロっ……と、ゴツゴツした石が少しずつ砕けていく。カン!
最後は、やはり一気に割れた。
中から出てきた物。それは、白銀に輝く短い鉄の棒だった。
これこそが、ヤードがこの三年間、ずっと探し求めていた『最後のピース(銃身)』だった。
九つのピースを組み合わせて、初めてその真の性能を露わにする遺物兵器。これからヤードが向かう『絶対防壁』の中腹への冒険に、絶対に必要なものだった。
「よし! よしよし!」
ヤードは歓喜し、これから自分が向かう未知の冒険に胸を高鳴らせた。ひとまず完成した銃を、宝箱に丁重に収納する。
そして……ヤードは、漁が休みのときの『もう一つの楽しみ』を始めることにした。
ヤードは人一倍手先が器用で、想像力も豊かだ。
彼が組み立てたのは、地面に立つようにして作った、黒い布のスカート(※決して姉のではない)を穿かせた『カカシ』だった。普段はただの棒と布切れにしか見えないよう、完璧な組み立て式になっている。
ヤードは、無駄に器用で賢かった。
もう慣れた手つきでカカシを組み立て、あの夜、ホログラムの女性が現れた位置に正確に調整する。スカートの長さから広がり具合まで、完全再現である。まさに『器用さの無駄遣い』だ。
おもむろに仰向けになり、小屋の入り口の安全を確認してから、足を使って少しずつ、少しずつスカートの下へと近づいていく。
(ハァハァ……!)
心臓が早鐘を打ち出す。
(ハァハァハァハァ……!)
あと少し。
(パンツ……! ハァハァ……!)
あと少しでパンツ……! 下腹部が熱く、痛い。
(ハァハァ……!)
あと十センチ……!
(ハァッハッァハ……!)
興奮が最高潮に達する――が、決してそこから先へは進まない。
『寸止め』。それこそが、十五歳のヤードの流儀だった。
その頃、家の中では、父親と母親が姉に聞こえないようにヒソヒソと話をしていた。
母親のルーシがジェイに言う。
「またあの子、小屋にこもって……」
ジェイは答える。
「男の子だからな、しょうがないんだよルーちゃん。見ないふりしてあげてくれな」
「まぁ、あなたの子だものね。ウフフ」
「まぁそういうことだな、ガハハ!」
「何? どうしたの?」
食器を洗っていたリヴが話に割り込んでくる。
「おっ、リヴ。そういやお前、隣村のカッシに交際申し込まれたみたいだが、どうすんだ?」
ジェイは慌てて話を逸らした。
「うるさい! お父ちゃん!」
リヴは顔を赤くして、自分の部屋に行ってしまった。
「ちょっとあんた、ジェイ! なんであんたは昔から女心がわからないの? あんたはいつもいつも……!」
「いや、すまんかったルーちゃん。つい……」
ルーシのお小言は続く。スケベ心はよくわかっても、女心は絶望的にわからないジェイだった。そしてこの後、しばらくリヴに口をきいてもらえなくなる。
その頃ヤードは、三回目の『パンツ突撃シミュレーション』を小屋で存分に楽しんでいた。
両親に、全てがバレているとも知らないで――。
◇ ◇ ◇
月日は少し経ち――。
今日、ヤードは父親のジェイに連れられ、山側にある三千人規模の街へと来ていた。
街といっても建物が密集しているのは商業施設と街運営機関のある一部だけで、あちこちに麦畑や野菜畑が広がる、のどかな農村・畜産の街だ。森を切り開き、畑を耕す。人類はここで、大地と共にその生命の息吹を再び吹き返そうとしていた。
その街の『採れたて市場』に、ヤード親子は朝獲れたばかりの魚を売りに来ているのだ。
ヤードは、目の前にそびえる『絶対防壁』に完全に釘付けになっていた。
あの超巨大山脈をこんなに近くで見るのは、生まれて初めてだった。まるで空そのものを切り裂くようにそびえ立ち、圧倒的な質量で視界を覆い尽くしてくる。
今にもこちらに向かって倒れて来るんじゃないかと思えるほど高く、頂いただきには万年雪を抱える、まさに人間を拒絶する絶対的な『壁』だった。
(俺は、あの山に行くのか……)
ヤードは少し怖気づいたが、即座に心の中で「パンツ、パンツ……!」と熱く唱え、己の純情なスケベ欲求でその巨大な恐怖を見事に塗り替えていた。いつの間にか、ヤードの冒険の最大の目的は『あの綺麗な女性のパンツを見ること』へと完全に昇華されていたのだ。
父親のジェイは、息子が山を見上げながらそんな不純極まりない思考をフル回転させているとは露知らず、豪快に笑いかけた。
「ヤード、どうした? あの山か? ……たけーよな。実はよ、父ちゃんも子供の頃、あの山の向こうに行こうと思ってた時期があったんだ」
「え!?」
ヤードは心底驚いた。
「父ちゃん、あの山って怖い怪物とかいるんじゃないの? それに山の向こうにも、もっとすげぇ怪物が……!」
「怪物? ヤード、お前なに言ってんだ……あっ、そうか。おっ、ヤードちょっと待ってな、客だ」
ジェイはすかさず愛想のいい顔になる。
「ホイ! 獲れたてだぜ、どうだいお客さん!」
「その貝を、十個ほど貰おうかしら」
「はい、おつりの、二十ポインだ! 毎度あり! ありがとよ!」
「うん、何の話だったか? あ、そうそう、山の話か。……あー、あの山は越えられねーよ。あの雪を見てみろ。そしてあの岩肌、ほぼ直角だぜ。途中までは行けるとしても、人間じゃあ頂上は越えられねーよ。落ちて死ぬか、寒くて凍え死ぬかだな、ガハハ!」
「じゃあ、どうやって山の向こうに行くの?」
ヤードが食い下がると、ジェイは北の方角をビシッと指差した。
「この方向だ。海を左に見て、右にあの山を置く。すると、ほら、ずーっと平らな平野が見えるだろ? それをひたすら北へ進んで行ったところに、俺たちを治めてる『国』の偉い人がいる、大きな都市があるんだ。そこの関所ってところを通るんだよ。……『国』って、お前もう分かるだろ?」
「うん」
ヤードは答える。
しかし答えたものの、ヤードの頭の中では全然イメージが湧いていなかった。彼の中での世界(国)は、『隣村』と『そのまた隣村』という狭いくくりで終わっていたのだ。
「お前、小さい頃から想像力っていうか、妄想が凄かったからな! ガハハ! ……それでも、全く安全ってわけじゃねーぞ。腹を空かせた狼とか、でかい熊とかはいるらしいからな。ま、こんな街にはめったに降りてこないらしいけどな!」
父親ジェイは豪快に笑った。
ヤードの頭の中は、大混乱と少しの恥ずかしさで一杯だった。
今まで自分の頭の中だけで創り上げてきた『この世界の世界観』が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。子供の妄想とは、得てしてこんなものである。人口三百人の村という小さなコミュニティの中しか知らなかったのだから、それは仕方のないことでもあった。
しかしヤードには、父親が話したことが事実ならば、ますます『パンツを見る日』が現実味を帯びてきたように思えた。むしろ、山の向こうからパンツが「早く見に来て」と呼んでいる気さえした。
(※そんなわけはないのだが)
「ヤード、どーした? 魚も売れたし、母ちゃんたちに頼まれた麦と肉と野菜を買って帰るぞ」
「うん、帰ろう父ちゃん!」
ヤードは上機嫌だった。未知の世界への恐怖はすっかり消え去り、これからの冒険が楽しみで仕方なかったのだ。