第六編 悠遠ガイノイド
ー/ー「亡霊……ですか?」
とある街の公衆浴場にて。
シルヴィカは手ぐしで髪の絡みをほどきながら。
たまたま仲良くなったおばさんの言葉にそう聞き返した。
「そう、あなたシフの森に行くんでしょう?」
「そ、そのつもりですけど……もしかしてそこに?」
おばさんはタオルを頭に巻いて、シルヴィカの肩に手を置くと。
「東の街道は避けなさいよー?」なんて言いながら、脱衣所から出ていき。
タオルを毛束に軽く押し当てながら、シルヴィカはそれをじとりと見やった。
「怖い話だけして……」とタオルが毛先まで動くと。
シルヴィカはスリップの中に入っていたペンダントを出し。
髪の水分が取れたことを確認してから、ワンピースを着る。
腰紐をきつく締めると、そのまま荷物をまとめながら。
「亡霊と会うなんて、そうそうないと思うけどなぁ」なんて呟いて。
木製の棚に荷物がないことを確認したあと、脱衣所を出た。
* * * * *
——シルヴィカがふいに思い出したのは、数日前のそんなこと。
「普通にいた! 全然東じゃないのに‼︎」
雪の降り積もっている、深く暗い夜の森にて。
白樺の裏に隠れながら、そう思ったシルヴィカは。
ドキドキとする心臓を押さえるように、胸に手を当てると。
そのまま深呼吸をして、木の向こう側を覗き見る。
視線の先では、黙々と歩いている影があり。
それは紺色にも見えるワンピースを着ていて。
長い茶色の髪を振り乱しながら、淡々と森を進んでいる。
奇妙なことに、その影は明かりすら持っておらず。
それなのにまるで見えているかのように正確な足取りをしていて。
ときどきその女性のような影は、ヴーという低い音を鳴らすと。
何か言葉のようなものを呟いた。
「人間かどうかは、この際どうでもいい……っ」そう思いながら。
シルヴィカは影に悟られないように、少しずつ。
転ばないよう、音を立てないよう、慎重に。
シルヴィカは隠れたまま、その影から距離を取ろうと。
少しずつ、少しずつ移動を始めて。
イヤな汗を流しながら。
それが落ちる音にすら気をつかって進む。
そんなふうなことを続けていると。
ふいに、枝を踏み抜いてしまって。
シルヴィカは肩をビクッと震わせつつも、影のほうを見やってみると。
すでに影はどこかに行ったようで、先ほどの場所にはいなかった。
「動く必要、なかったなぁ」なんて自分で自分を笑いつつも。
「ふぃーっ」と、シルヴィカは変な息を洩らしながら。
ふいに、下がった視線を戻すと。
——目の前に影は立っていた。
真っ黒な瞳はシルヴィカのことを。
じっ……と、見つめてきていて。
何やら呪文のような言葉を話すと。
首をぐるりと横に傾けていたので。
それを間近で見たシルヴィカは、森の中に響き渡るほどの大声を上げた。
* * * * *
「驚キ、サセル、シテ、ゴメンナサイ」
茶色い髪をした亡霊は、腰の抜けたシルヴィカに頭を下げると。
「ワタシ、言葉、マダ、通ジル、ナイ、ダカラ、何、シバラク、話ス、シテ」
と言ったので。
シルヴィカはブンブンと素早く首を縦に振ると、それからあごに指を当ててから。
「話せって言われても私、あんまり話すの得意じゃなくて……」なんて言ったが。
じっと見つめる視線には耐えられず、シルヴィカは彼女から目を逸らすと。
それからしばらく、ちょっとした話を語り出した。
それは遺物だと騙されてただの置物を買った旅人の話や。
ケガをしたカラスを保護しようとして、そのカラスに小突かれた女の子の話。
愚痴を綴った日記の一部があやうく賞に出されるところだった女の子の話や。
仮眠をとるつもりが、丸一日眠っていた少女の話といったもので。
シルヴィカはそんな話を語り終えると。
「その、全部、私なんですけどね……?」
と付け加え、両手でしばらく顔を隠していた。
そんな様子のシルヴィカを亡霊はじっと見つめていて、それから彼女が急に目をつむると。
シルヴィカは彼女から何やら熱気が出ているのを感じた。
亡霊はしばらく小さく何かを呟きつつも。
それ以外は、ピクリとも動いていなかったので。
「えっと、何、してるんですか?」
なんて、シルヴィカは首をかしげていて。
そしてその異様な様子に、シルヴィカが少しあとずさると。
今度はパチリと、亡霊は目を見開き。
「よし、これで言葉を推論できます!」
ありがとうございます! と言った。
「えっ、あの、言葉……えっ?」
「意味は通じていますか?」
パターンから予測して話してるんですけど……
なんて、困惑するシルヴィカに亡霊は詰め寄ると。
しばらくむむむとうなってから、すぐにハッとして。
胸に手を当てながら、はっきりこう言った。
「申し遅れました。わたしはコミュノイドの『ガイノ』——」
——あなたたちの言うところの、遺物です。
そう自称した本人が語った話によると。
百二十六年前に滅んだとされる旧時代。
かつてその世界を生きていた一人がガイノだそうだが、本人いわく。
「ちょっと訳あって百年ほどぐっすりと」眠っていたそうで、つい最近目覚めたらしい。
シルヴィカはそんな彼女の説明を聴くと。
しばらくあごに指を当てていて。
そんな様子を見ながらも、ガイノは話を続けた。
「わたしは昔、ある約束をしていまして……それを果たすために旅をしてるんです」
彼女のそんな言葉に、ピクリと反応をすると。
「どんな、約束なんですか?」とシルヴィカは彼女を見つめ。
それにガイノは「くだらない口約束ですよ」と返す。
あたりはしんと静まり返っていて。
月の明かりがうっすらと、木の葉の間から漏れている。
シルヴィカが思い出したかのようにランタンに火を灯すと。
ぼうっと橙色の光が広がって、二人の顔に揺れるような影が差した。
「まっ、果たすには時間かかりそうですけどね」
なんて笑いながら、ガイノは頬を掻いていて。
それにシルヴィカが首をかしげ。
「何か事情でも?」と訊くと。
「道わかんないから……」
なんて、ガイノは恥ずかしそうにしていた。
シルヴィカはそれを聞くなり、しばらくあごに指を当てると。
ガイノに対して「目的地はあるんですか?」と訊いて。
彼女の答えに、シルヴィカが満足げにうなずいてから言った。
「私、協力しますよ」
という言葉に。
「おお、土地勘あるんですね!」
なんてガイノは両手を合わせていて。
それに対してシルヴィカは「……ありません、けど?」ときょとんとした顔で言うと。
ガイノはそれに、息を飲むような音で返してから。
「えっと……? えっ?」と呟いて。
「うん? よろしくお願いします……?」と。
シルヴィカに対して手を伸ばすと。
その手をシルヴィカは握って。
「よろしく、お願いします」と言った。
「人手、一応人手だから……」
というガイノが呟いている言葉は、聞いていないことにした。
* * * * *
ともかく、そんな調子で始まった二人の旅。
それはまさに波瀾万丈と言えるもので。
ガイノのせいというよりかは。
おおよそ、二人の相乗効果らしかった。
例えばシルヴィカが紫色をしたオレンジのような果実を持ってきて。
「ガイノさん、これ、美味しいらしいですよ!」と嬉しそうに皮へナイフを入れると。
実の中からお食事中の白いイモ虫が出てきて二人揃って叫ぶはめになったり。
ガイノがある日「シルヴィカさん助けて!」と叫んでいたかと思うと。
大量の蜂に襲われていて、「出来心だったんですぅ!」と逃げ回っていたり。
とある湖でシルヴィカが湖に足を入れていたのを見て、ガイノがそこに足を入れると。
「これ、生命が入っていい水温なんですか……?」と震え出したり。
しばらくガイノが謎の言語を話す不具合に襲われたり。
シルヴィカが血の跡を恐れすぎて道を進めなかったり。
そんな旅をしていたので、シルヴィカとガイノは。
「なんで組んだ途端こんなにピンチまみれなんでしょうね……?」
なんて揃って首をかしげたこともあった。
そんなさなかの、とある日のこと。
シルヴィカはふとガイノに、こんな質問をしたことがあった。
「ガイノさんは、旅が終わったら、どうするんですか?」
それはほんの素朴な疑問で。
なんとなくから出たものだった。
パチパチと燃えるたき火の前で。
二人揃って座りながら、ぼんやりと揺れる火を眺める。
そんな光景の中で、ガイノ腕を組みながら。
「そうですねぇ……」と小さく言うと。
「そのときは、そのときです」
たいてい答えはそのときの自分にありますから。
なんて、シルヴィカのほうを向いて笑う。
シルヴィカはそれに目を見開き。
その笑顔から目を背けて。
少し考え込んでから。
「じゃあ、別の質問、なんですけど……」
と少しうつむいて、炎の向こうを見つめながらこう言った。
「なんで約束、守ってるんですか?」
シルヴィカは申し訳なさそうに、ガイノのほうを見やると。
彼女は意外にも、懐かしそうな笑みを浮かべていて。
「意味がない、ですか?」なんて首をかしげる。
それにぎこちなく、シルヴィカがうなずくと。
「うーん、難しい話ですねぇ」とガイノはしばらく繰り返してから。
「なんとなく、これをやり終えて始めて、わたしは生きていていいと思ってるんです」
なんてことを、まるで普通のことのように言っていた。
その言葉に、小さくうなずいていてから。
「でも、わからなくなりませんか?」
と言ったシルヴィカに。
ガイノは何かを察したようで。
「結局、自己満足だから……」という。
そんなシルヴィカの言葉へかぶせるように。
「わたし、この旅が楽しいんです」
あなたと会えたから。
なんて言いながら、立ち上がり。
「もう、寝ましょう?」と笑った。
ガイノの提案にうなずいたあと、シルヴィカはマントにくるまりながら。
「気、つかわせちゃったな……」と。
彼女に聞こえないよう呟く。
動物の気配すらしない森の中。
シルヴィカの視界の端では。
ガイノがずっと、たき火に木をくべていて。
「熱ちち……っ」と小さく洩らしながら。
指に息を吹きかけていた。
シルヴィカは旅を始めてすぐのこと。
遺物の街に消えた女性のことを。
頭の隅に浮かべながら。
——私は、本当にこの旅で誰かを救えているのだろうか。
結局自分のためなんじゃないか。
空回っているんじゃないか。
なんてことを考えて、答えなんて出ないまま、ぐるぐると巡る思考は。
溜まった旅の疲れから、やがて途切れ途切れになって。
その夜シルヴィカは、ひどく懐かしくて、つらい夢を見た。
* * * * *
そして翌日になり。
ガイノとの旅が一週間続いていることに気づいたシルヴィカは。
「もう一週間に経つんですねぇ」
なんて言いながら空を眺めていた。
ガイノはあたりを見渡して。
つい最近まで雪まみれの森だった周囲が。
いつのまにか、青々とした草むらに変わっているのを見ると。
「言われるとそうですね」なんて微笑んで。
「すっかり、変わっちゃって……」と。
少しの間、うつむいていた。
それに気づいたシルヴィカが。
「あの、もしよければ、教えてくれませんか? あなたの時代のこと」と。
そう言いながら首をかしげると、ガイノはそれに笑みを向ける。
「昔は背の高い建物が、いっぱいあったんです」
ビーハイブっていう、いろんな家が集まった建物にわたしは住んでいて。
そこにわたしの持ち主……ローファちゃんも住んでました。
それである日、わたしは壊れちゃったんですよ。
でも、タイミングが悪かったんです。
「タイミング……?」
その目を見つめるシルヴィカに。
ガイノはうつむきで返して。
「旧時代の人は、金属っていう素材に依存していまして……」
それが枯渇かけていて、わたしたちは生活が立ちいかなくなる可能性があったから。
大きな船で、空の向こう側へ引っ越せっていう命令が偉い人から出たんですよ。
わたしが壊れたのは、その一週間前。
修理は間に合いそうになかったんです。
それでも、ローファちゃんはわたしを連れて行くって聞かなくて。
だからわたしは、せめてもの気休めに言ったんですよ。
「『絶対にあとで追いつくから、船で待ってて』って……」
ガイノはそう語り終えると、シルヴィカのほうへ向き直し。
「追いつけるはず、ないんですけどね」と。
ぎこちなく笑っていた。
そんな様子にシルヴィカは、ほんの少しうつむいて。
「でも、果たしたいんですよね?」と、それから顔を上げた。
シルヴィカの言葉を聞いて、ガイノは少し微笑むと。
「そういうことです!」
やっぱりわかります? と、伸びをしたので。
シルヴィカもつられて身体を伸ばし。
ガイノはそれを見ながら、口元に手を当てつつ。
「なんか話すの恥ずかし——」と言いかけて、止まった。
「ガイノさん……?」
首をかしげながら、彼女の視線をシルヴィカが追うと。
その先では何やら黒い建造物のような、そんな残骸が散らばっていた。
まるで勢いよく落ちたかのような、大きな溝の先にそれはあって。
箱舟のような形であったが、その大きさは街一つ分はありそう。
真っ黒な外装と、ところどころ裂けたパイプを見て。
シルヴィカは、かつてエルクの内海で見た船上街を思い出した。
脇目も振らず駆け出したガイノを、シルヴィカはあわてて追いかけると。
草むらを身体でかき分けながら。
ガイノは「番号、番号を……っ」と言っていて。
シルヴィカは地面につまずきながらも、必死にガイノを追いかけて。
やがて急に立ち止まった彼女の背中へ、勢いよくぶつかった。
「〇二九……」と、ガイノは消え入りそうな声で呟き。
それから、ひざから崩れ落ちるように座り込む。
その残骸は、落ちてから長い時が流れているのか。
見たこともない青緑色のツタが生えていて。
その表面は、それと同じ色のコケに覆われていた。
「ガイノさん……」と、シルヴィカはガイノの肩に手を置くが。
ガイノは特に、反応を示さなくて。
シルヴィカはその様子に、目を伏せるが。
それから歯を食いしばると、その残骸に目を向けた。
残骸の中へ入ると、入り口付近でシルヴィカは比較的小さな欠片を退け始め。
ひたすらに、ものの裏や地面へ視界を巡らせる。
こんな終わりかたはあんまりだ。
せめて、報いがあってほしい。
シルヴィカは機械に混じった、いろんな家具や日用品をひっくり返して。
一人用ソファのようなものの裏にこびり付いた、真っ黒な血の跡を見つけると。
目をギュッとつむりながら、乱雑にそのソファを押し退けた。
地面の骨を避けようとして、落ちてきた真っ黒な板を頭に受けても。
それすら意に介さずに、地面にしゃがみ込んで、シルヴィカは作業を続けるが。
遺物掘りたちがもう漁ったのか、全然物が見つからない。
せめて、遺品でもあれば……っ。
そんなことを思いながら。
「ガイノさん、ローファさんの持ち物で思いつくものは——」
なんて、ガイノのほうへ向いたとき、すでに彼女はシルヴィカの真後ろにいて。
シルヴィカの傷だらけになった手を、そっと掴んだ。
「いいんですよ。やらなくて」
ガイノのそんな、優しい声に。
「……こんなの、あんまりですよ」と、シルヴィカが震えた声で返すと。
「あなたはちょっと、優しすぎますね」なんて、ガイノは言っていた。
二人はしばらく黙り込み。
どこかの物が落ちる、カンッという音が。
じんわりあたりに響くと、シルヴィカはゆっくり立ち上がって。
「これから、どうしましょうか……」そう言い出したガイノに。
シルヴィカは小さく、「明日、考えましょう」と返す。
太陽は傾きつつあって、東の空には藍色が滲み始めていた。
* * * * *
やがてまた日が昇り、次の日が始まった頃。
シルヴィカの目元に隈ができているのを見たガイノが。
「さては寝てませんね?」と言うと。
それにシルヴィカは、あくびで返事をして。
ガイノは干しりんごでシルヴィカの頬をぺちぺち叩いてから。
「気持ちはわかりますけどねぇ」と言って、それを口に入れてもごもごしていた。
ガイノはしばらく、巨大な残骸を眺めて。
そんな彼女を見つめながら、シルヴィカはふと。
「どうしましょっか……」と訊いてみる。
ガイノはしばらく「うーん」と洩らして。
それから目をつむると、またうなった。
そうして「あっ」と聞こえたので。
「決まりました?」とシルヴィカが言うと。
ガイノは首を横に振り、シルヴィカの背後を指さして。
シルヴィカが首をかしげつつ、彼女の指すほうへ目を向けると。
昨日にはなかったものを見つけ。
「えっ」と思わず同じように洩らしていた。
そこにいたのは、十歳ほどの少年で。
残骸の上に座りながら、足をパタパタさせていた彼は。
「あ、話終わった?」と言ってから。
残骸の上から飛び降りると、そのまま二人のもとへ駆け寄って。
「オレ、人を探してるんだけど——」
あんたらのどっちかが『ガイノ』だったりする? と、そんなことを言い出したので。
シルヴィカはガイノを手で指して。
ガイノは自分のことを、指で指していた。
「おっ、マジで? やった! これで早起きしなくて済む‼︎」
なんて一人で喜んでいる少年をしばらく呆然として眺めていた二人だったが。
「あ、あの、君はどういう事情で……?」と。
シルヴィカが困惑混じりに言い出して。
少年はそれに対して、したり顔で語り出す。
「うちのおばあちゃんがね、ガイノをずっと探してるんだよ」
毎日毎日、朝っぱらからここに来るの。
んで一日中ここに立ってるっていう感じ。
間違いなく変人なんだけどね……
まあ自分で立てなくなってからはオレが代役。
『あの人は追いつくから』って、しつこいくらい言うから仕方なしにやってるんだ。
語るうちに、だんだん恥ずかしそうな様子になって、ついにはそっぽを向いた少年。
そんな彼の事情を聴くなり、ガイノは彼の肩を掴むと。
「おばあさんの名前は⁉︎」と訊いて。
少年はしばらくうなったが。
「確か……ローファ?」と返したので。
シルヴィカとガイノは、目を見合わせて喜んだ。
「よかった、ほんとによかった……っ」
ガイノは胸に手を当てて、味わうようにそう言うと。
「よかった……ほんとに……っ」と、何度も何度も言っていて。
やがて彼女の目から、ぽたぽたと涙がこぼれ始めた。
「あれ……? すみません……勝手に……」
なんて、ガイノは指でそれを拭うが。
どんどん、涙は増えてきて。
彼女は小さく、嗚咽を洩らし出した。
シルヴィカからハンカチを受け取ると。
ガイノの泣く声は大きくなり。
それはまるで、百年の想いが溢れたよう。
「覚えて、たんだ……っ、ずっと……」
忘れてても、怒らないのに……っ。
そんなことを言いながら。
子どものように、泣きじゃくる。
そんなガイノのことを、シルヴィカが無言で抱きしめると。
ガイノはますます、その想いを溢れさせた。
どんどん昇る太陽が。
影をぐるりと回らせて。
黄色く照らされた中で。
シルヴィカは静かに、その嗚咽を見守る。
「わたし……この旅をしてて……よかったです……っ」と言うガイノに。
シルヴィカはぐっと手を伸ばし、彼女の頭を撫でると。
「ありがとう、ほんとに……っ」なんて。
ガイノは笑み混じりに泣いていた。
* * * * *
それから、ガイノはかつての持ち主と暮らすことを決め。
経路のかぶる場所までは、三人一緒に歩いていたが。
いざ別れるとなると、シルヴィカもガイノも。
くだらない話をし続けることで、名残惜しさを誤魔化していた。
そんな誤魔化しの途中。
「わたし、お手紙いっぱい書きますね!」
「受け取れませんよ⁉︎」
なんてやり取りをしていると。
ふと、少しの沈黙が生まれて。
それに割り込むかのように、少年は口を開く。
「ほんとによかったの? あと一人は住めそうだけど……」
シルヴィカは少年の頭を、そっと撫でてやると。
「私も、やりたいこと、ありますから」
なんて優しく言って。
少年はじとりとシルヴィカを見上げると。
「そ、そう? じゃあ頑張れよ」とぶっきらぼうに言っていて。
シルヴィカがそれへにこやかに、「頑張ります!」と返すと。
そんな言葉にガイノは、何やら小さくうなずいてから。
「わたしも、応援してますね」と。
右手をそっと差し出した。
シルヴィカはそれを見やると。
「ありがとうございます」
と言いながら、その手を握り、何度か軽くそれを振ると。
これまでの躊躇がなかったかのように、自然とシルヴィカたちは足が動き出す。
その向かう先は、まったく違う場所だったが。
「お前ら話長すぎ」なんて言っている少年や。
それに謝るガイノを見ていると。
シルヴィカはなんとなく、自分も相手も想いは同じな気がした。
友人の幸せを祈りながら、一歩を踏み出したシルヴィカを。
青々とした草たちが、さらさらと取り囲んでいて。
はるか高い青空に、入道雲が浮いていた。
とある街の公衆浴場にて。
シルヴィカは手ぐしで髪の絡みをほどきながら。
たまたま仲良くなったおばさんの言葉にそう聞き返した。
「そう、あなたシフの森に行くんでしょう?」
「そ、そのつもりですけど……もしかしてそこに?」
おばさんはタオルを頭に巻いて、シルヴィカの肩に手を置くと。
「東の街道は避けなさいよー?」なんて言いながら、脱衣所から出ていき。
タオルを毛束に軽く押し当てながら、シルヴィカはそれをじとりと見やった。
「怖い話だけして……」とタオルが毛先まで動くと。
シルヴィカはスリップの中に入っていたペンダントを出し。
髪の水分が取れたことを確認してから、ワンピースを着る。
腰紐をきつく締めると、そのまま荷物をまとめながら。
「亡霊と会うなんて、そうそうないと思うけどなぁ」なんて呟いて。
木製の棚に荷物がないことを確認したあと、脱衣所を出た。
* * * * *
——シルヴィカがふいに思い出したのは、数日前のそんなこと。
「普通にいた! 全然東じゃないのに‼︎」
雪の降り積もっている、深く暗い夜の森にて。
白樺の裏に隠れながら、そう思ったシルヴィカは。
ドキドキとする心臓を押さえるように、胸に手を当てると。
そのまま深呼吸をして、木の向こう側を覗き見る。
視線の先では、黙々と歩いている影があり。
それは紺色にも見えるワンピースを着ていて。
長い茶色の髪を振り乱しながら、淡々と森を進んでいる。
奇妙なことに、その影は明かりすら持っておらず。
それなのにまるで見えているかのように正確な足取りをしていて。
ときどきその女性のような影は、ヴーという低い音を鳴らすと。
何か言葉のようなものを呟いた。
「人間かどうかは、この際どうでもいい……っ」そう思いながら。
シルヴィカは影に悟られないように、少しずつ。
転ばないよう、音を立てないよう、慎重に。
シルヴィカは隠れたまま、その影から距離を取ろうと。
少しずつ、少しずつ移動を始めて。
イヤな汗を流しながら。
それが落ちる音にすら気をつかって進む。
そんなふうなことを続けていると。
ふいに、枝を踏み抜いてしまって。
シルヴィカは肩をビクッと震わせつつも、影のほうを見やってみると。
すでに影はどこかに行ったようで、先ほどの場所にはいなかった。
「動く必要、なかったなぁ」なんて自分で自分を笑いつつも。
「ふぃーっ」と、シルヴィカは変な息を洩らしながら。
ふいに、下がった視線を戻すと。
——目の前に影は立っていた。
真っ黒な瞳はシルヴィカのことを。
じっ……と、見つめてきていて。
何やら呪文のような言葉を話すと。
首をぐるりと横に傾けていたので。
それを間近で見たシルヴィカは、森の中に響き渡るほどの大声を上げた。
* * * * *
「驚キ、サセル、シテ、ゴメンナサイ」
茶色い髪をした亡霊は、腰の抜けたシルヴィカに頭を下げると。
「ワタシ、言葉、マダ、通ジル、ナイ、ダカラ、何、シバラク、話ス、シテ」
と言ったので。
シルヴィカはブンブンと素早く首を縦に振ると、それからあごに指を当ててから。
「話せって言われても私、あんまり話すの得意じゃなくて……」なんて言ったが。
じっと見つめる視線には耐えられず、シルヴィカは彼女から目を逸らすと。
それからしばらく、ちょっとした話を語り出した。
それは遺物だと騙されてただの置物を買った旅人の話や。
ケガをしたカラスを保護しようとして、そのカラスに小突かれた女の子の話。
愚痴を綴った日記の一部があやうく賞に出されるところだった女の子の話や。
仮眠をとるつもりが、丸一日眠っていた少女の話といったもので。
シルヴィカはそんな話を語り終えると。
「その、全部、私なんですけどね……?」
と付け加え、両手でしばらく顔を隠していた。
そんな様子のシルヴィカを亡霊はじっと見つめていて、それから彼女が急に目をつむると。
シルヴィカは彼女から何やら熱気が出ているのを感じた。
亡霊はしばらく小さく何かを呟きつつも。
それ以外は、ピクリとも動いていなかったので。
「えっと、何、してるんですか?」
なんて、シルヴィカは首をかしげていて。
そしてその異様な様子に、シルヴィカが少しあとずさると。
今度はパチリと、亡霊は目を見開き。
「よし、これで言葉を推論できます!」
ありがとうございます! と言った。
「えっ、あの、言葉……えっ?」
「意味は通じていますか?」
パターンから予測して話してるんですけど……
なんて、困惑するシルヴィカに亡霊は詰め寄ると。
しばらくむむむとうなってから、すぐにハッとして。
胸に手を当てながら、はっきりこう言った。
「申し遅れました。わたしはコミュノイドの『ガイノ』——」
——あなたたちの言うところの、遺物です。
そう自称した本人が語った話によると。
百二十六年前に滅んだとされる旧時代。
かつてその世界を生きていた一人がガイノだそうだが、本人いわく。
「ちょっと訳あって百年ほどぐっすりと」眠っていたそうで、つい最近目覚めたらしい。
シルヴィカはそんな彼女の説明を聴くと。
しばらくあごに指を当てていて。
そんな様子を見ながらも、ガイノは話を続けた。
「わたしは昔、ある約束をしていまして……それを果たすために旅をしてるんです」
彼女のそんな言葉に、ピクリと反応をすると。
「どんな、約束なんですか?」とシルヴィカは彼女を見つめ。
それにガイノは「くだらない口約束ですよ」と返す。
あたりはしんと静まり返っていて。
月の明かりがうっすらと、木の葉の間から漏れている。
シルヴィカが思い出したかのようにランタンに火を灯すと。
ぼうっと橙色の光が広がって、二人の顔に揺れるような影が差した。
「まっ、果たすには時間かかりそうですけどね」
なんて笑いながら、ガイノは頬を掻いていて。
それにシルヴィカが首をかしげ。
「何か事情でも?」と訊くと。
「道わかんないから……」
なんて、ガイノは恥ずかしそうにしていた。
シルヴィカはそれを聞くなり、しばらくあごに指を当てると。
ガイノに対して「目的地はあるんですか?」と訊いて。
彼女の答えに、シルヴィカが満足げにうなずいてから言った。
「私、協力しますよ」
という言葉に。
「おお、土地勘あるんですね!」
なんてガイノは両手を合わせていて。
それに対してシルヴィカは「……ありません、けど?」ときょとんとした顔で言うと。
ガイノはそれに、息を飲むような音で返してから。
「えっと……? えっ?」と呟いて。
「うん? よろしくお願いします……?」と。
シルヴィカに対して手を伸ばすと。
その手をシルヴィカは握って。
「よろしく、お願いします」と言った。
「人手、一応人手だから……」
というガイノが呟いている言葉は、聞いていないことにした。
* * * * *
ともかく、そんな調子で始まった二人の旅。
それはまさに波瀾万丈と言えるもので。
ガイノのせいというよりかは。
おおよそ、二人の相乗効果らしかった。
例えばシルヴィカが紫色をしたオレンジのような果実を持ってきて。
「ガイノさん、これ、美味しいらしいですよ!」と嬉しそうに皮へナイフを入れると。
実の中からお食事中の白いイモ虫が出てきて二人揃って叫ぶはめになったり。
ガイノがある日「シルヴィカさん助けて!」と叫んでいたかと思うと。
大量の蜂に襲われていて、「出来心だったんですぅ!」と逃げ回っていたり。
とある湖でシルヴィカが湖に足を入れていたのを見て、ガイノがそこに足を入れると。
「これ、生命が入っていい水温なんですか……?」と震え出したり。
しばらくガイノが謎の言語を話す不具合に襲われたり。
シルヴィカが血の跡を恐れすぎて道を進めなかったり。
そんな旅をしていたので、シルヴィカとガイノは。
「なんで組んだ途端こんなにピンチまみれなんでしょうね……?」
なんて揃って首をかしげたこともあった。
そんなさなかの、とある日のこと。
シルヴィカはふとガイノに、こんな質問をしたことがあった。
「ガイノさんは、旅が終わったら、どうするんですか?」
それはほんの素朴な疑問で。
なんとなくから出たものだった。
パチパチと燃えるたき火の前で。
二人揃って座りながら、ぼんやりと揺れる火を眺める。
そんな光景の中で、ガイノ腕を組みながら。
「そうですねぇ……」と小さく言うと。
「そのときは、そのときです」
たいてい答えはそのときの自分にありますから。
なんて、シルヴィカのほうを向いて笑う。
シルヴィカはそれに目を見開き。
その笑顔から目を背けて。
少し考え込んでから。
「じゃあ、別の質問、なんですけど……」
と少しうつむいて、炎の向こうを見つめながらこう言った。
「なんで約束、守ってるんですか?」
シルヴィカは申し訳なさそうに、ガイノのほうを見やると。
彼女は意外にも、懐かしそうな笑みを浮かべていて。
「意味がない、ですか?」なんて首をかしげる。
それにぎこちなく、シルヴィカがうなずくと。
「うーん、難しい話ですねぇ」とガイノはしばらく繰り返してから。
「なんとなく、これをやり終えて始めて、わたしは生きていていいと思ってるんです」
なんてことを、まるで普通のことのように言っていた。
その言葉に、小さくうなずいていてから。
「でも、わからなくなりませんか?」
と言ったシルヴィカに。
ガイノは何かを察したようで。
「結局、自己満足だから……」という。
そんなシルヴィカの言葉へかぶせるように。
「わたし、この旅が楽しいんです」
あなたと会えたから。
なんて言いながら、立ち上がり。
「もう、寝ましょう?」と笑った。
ガイノの提案にうなずいたあと、シルヴィカはマントにくるまりながら。
「気、つかわせちゃったな……」と。
彼女に聞こえないよう呟く。
動物の気配すらしない森の中。
シルヴィカの視界の端では。
ガイノがずっと、たき火に木をくべていて。
「熱ちち……っ」と小さく洩らしながら。
指に息を吹きかけていた。
シルヴィカは旅を始めてすぐのこと。
遺物の街に消えた女性のことを。
頭の隅に浮かべながら。
——私は、本当にこの旅で誰かを救えているのだろうか。
結局自分のためなんじゃないか。
空回っているんじゃないか。
なんてことを考えて、答えなんて出ないまま、ぐるぐると巡る思考は。
溜まった旅の疲れから、やがて途切れ途切れになって。
その夜シルヴィカは、ひどく懐かしくて、つらい夢を見た。
* * * * *
そして翌日になり。
ガイノとの旅が一週間続いていることに気づいたシルヴィカは。
「もう一週間に経つんですねぇ」
なんて言いながら空を眺めていた。
ガイノはあたりを見渡して。
つい最近まで雪まみれの森だった周囲が。
いつのまにか、青々とした草むらに変わっているのを見ると。
「言われるとそうですね」なんて微笑んで。
「すっかり、変わっちゃって……」と。
少しの間、うつむいていた。
それに気づいたシルヴィカが。
「あの、もしよければ、教えてくれませんか? あなたの時代のこと」と。
そう言いながら首をかしげると、ガイノはそれに笑みを向ける。
「昔は背の高い建物が、いっぱいあったんです」
ビーハイブっていう、いろんな家が集まった建物にわたしは住んでいて。
そこにわたしの持ち主……ローファちゃんも住んでました。
それである日、わたしは壊れちゃったんですよ。
でも、タイミングが悪かったんです。
「タイミング……?」
その目を見つめるシルヴィカに。
ガイノはうつむきで返して。
「旧時代の人は、金属っていう素材に依存していまして……」
それが枯渇かけていて、わたしたちは生活が立ちいかなくなる可能性があったから。
大きな船で、空の向こう側へ引っ越せっていう命令が偉い人から出たんですよ。
わたしが壊れたのは、その一週間前。
修理は間に合いそうになかったんです。
それでも、ローファちゃんはわたしを連れて行くって聞かなくて。
だからわたしは、せめてもの気休めに言ったんですよ。
「『絶対にあとで追いつくから、船で待ってて』って……」
ガイノはそう語り終えると、シルヴィカのほうへ向き直し。
「追いつけるはず、ないんですけどね」と。
ぎこちなく笑っていた。
そんな様子にシルヴィカは、ほんの少しうつむいて。
「でも、果たしたいんですよね?」と、それから顔を上げた。
シルヴィカの言葉を聞いて、ガイノは少し微笑むと。
「そういうことです!」
やっぱりわかります? と、伸びをしたので。
シルヴィカもつられて身体を伸ばし。
ガイノはそれを見ながら、口元に手を当てつつ。
「なんか話すの恥ずかし——」と言いかけて、止まった。
「ガイノさん……?」
首をかしげながら、彼女の視線をシルヴィカが追うと。
その先では何やら黒い建造物のような、そんな残骸が散らばっていた。
まるで勢いよく落ちたかのような、大きな溝の先にそれはあって。
箱舟のような形であったが、その大きさは街一つ分はありそう。
真っ黒な外装と、ところどころ裂けたパイプを見て。
シルヴィカは、かつてエルクの内海で見た船上街を思い出した。
脇目も振らず駆け出したガイノを、シルヴィカはあわてて追いかけると。
草むらを身体でかき分けながら。
ガイノは「番号、番号を……っ」と言っていて。
シルヴィカは地面につまずきながらも、必死にガイノを追いかけて。
やがて急に立ち止まった彼女の背中へ、勢いよくぶつかった。
「〇二九……」と、ガイノは消え入りそうな声で呟き。
それから、ひざから崩れ落ちるように座り込む。
その残骸は、落ちてから長い時が流れているのか。
見たこともない青緑色のツタが生えていて。
その表面は、それと同じ色のコケに覆われていた。
「ガイノさん……」と、シルヴィカはガイノの肩に手を置くが。
ガイノは特に、反応を示さなくて。
シルヴィカはその様子に、目を伏せるが。
それから歯を食いしばると、その残骸に目を向けた。
残骸の中へ入ると、入り口付近でシルヴィカは比較的小さな欠片を退け始め。
ひたすらに、ものの裏や地面へ視界を巡らせる。
こんな終わりかたはあんまりだ。
せめて、報いがあってほしい。
シルヴィカは機械に混じった、いろんな家具や日用品をひっくり返して。
一人用ソファのようなものの裏にこびり付いた、真っ黒な血の跡を見つけると。
目をギュッとつむりながら、乱雑にそのソファを押し退けた。
地面の骨を避けようとして、落ちてきた真っ黒な板を頭に受けても。
それすら意に介さずに、地面にしゃがみ込んで、シルヴィカは作業を続けるが。
遺物掘りたちがもう漁ったのか、全然物が見つからない。
せめて、遺品でもあれば……っ。
そんなことを思いながら。
「ガイノさん、ローファさんの持ち物で思いつくものは——」
なんて、ガイノのほうへ向いたとき、すでに彼女はシルヴィカの真後ろにいて。
シルヴィカの傷だらけになった手を、そっと掴んだ。
「いいんですよ。やらなくて」
ガイノのそんな、優しい声に。
「……こんなの、あんまりですよ」と、シルヴィカが震えた声で返すと。
「あなたはちょっと、優しすぎますね」なんて、ガイノは言っていた。
二人はしばらく黙り込み。
どこかの物が落ちる、カンッという音が。
じんわりあたりに響くと、シルヴィカはゆっくり立ち上がって。
「これから、どうしましょうか……」そう言い出したガイノに。
シルヴィカは小さく、「明日、考えましょう」と返す。
太陽は傾きつつあって、東の空には藍色が滲み始めていた。
* * * * *
やがてまた日が昇り、次の日が始まった頃。
シルヴィカの目元に隈ができているのを見たガイノが。
「さては寝てませんね?」と言うと。
それにシルヴィカは、あくびで返事をして。
ガイノは干しりんごでシルヴィカの頬をぺちぺち叩いてから。
「気持ちはわかりますけどねぇ」と言って、それを口に入れてもごもごしていた。
ガイノはしばらく、巨大な残骸を眺めて。
そんな彼女を見つめながら、シルヴィカはふと。
「どうしましょっか……」と訊いてみる。
ガイノはしばらく「うーん」と洩らして。
それから目をつむると、またうなった。
そうして「あっ」と聞こえたので。
「決まりました?」とシルヴィカが言うと。
ガイノは首を横に振り、シルヴィカの背後を指さして。
シルヴィカが首をかしげつつ、彼女の指すほうへ目を向けると。
昨日にはなかったものを見つけ。
「えっ」と思わず同じように洩らしていた。
そこにいたのは、十歳ほどの少年で。
残骸の上に座りながら、足をパタパタさせていた彼は。
「あ、話終わった?」と言ってから。
残骸の上から飛び降りると、そのまま二人のもとへ駆け寄って。
「オレ、人を探してるんだけど——」
あんたらのどっちかが『ガイノ』だったりする? と、そんなことを言い出したので。
シルヴィカはガイノを手で指して。
ガイノは自分のことを、指で指していた。
「おっ、マジで? やった! これで早起きしなくて済む‼︎」
なんて一人で喜んでいる少年をしばらく呆然として眺めていた二人だったが。
「あ、あの、君はどういう事情で……?」と。
シルヴィカが困惑混じりに言い出して。
少年はそれに対して、したり顔で語り出す。
「うちのおばあちゃんがね、ガイノをずっと探してるんだよ」
毎日毎日、朝っぱらからここに来るの。
んで一日中ここに立ってるっていう感じ。
間違いなく変人なんだけどね……
まあ自分で立てなくなってからはオレが代役。
『あの人は追いつくから』って、しつこいくらい言うから仕方なしにやってるんだ。
語るうちに、だんだん恥ずかしそうな様子になって、ついにはそっぽを向いた少年。
そんな彼の事情を聴くなり、ガイノは彼の肩を掴むと。
「おばあさんの名前は⁉︎」と訊いて。
少年はしばらくうなったが。
「確か……ローファ?」と返したので。
シルヴィカとガイノは、目を見合わせて喜んだ。
「よかった、ほんとによかった……っ」
ガイノは胸に手を当てて、味わうようにそう言うと。
「よかった……ほんとに……っ」と、何度も何度も言っていて。
やがて彼女の目から、ぽたぽたと涙がこぼれ始めた。
「あれ……? すみません……勝手に……」
なんて、ガイノは指でそれを拭うが。
どんどん、涙は増えてきて。
彼女は小さく、嗚咽を洩らし出した。
シルヴィカからハンカチを受け取ると。
ガイノの泣く声は大きくなり。
それはまるで、百年の想いが溢れたよう。
「覚えて、たんだ……っ、ずっと……」
忘れてても、怒らないのに……っ。
そんなことを言いながら。
子どものように、泣きじゃくる。
そんなガイノのことを、シルヴィカが無言で抱きしめると。
ガイノはますます、その想いを溢れさせた。
どんどん昇る太陽が。
影をぐるりと回らせて。
黄色く照らされた中で。
シルヴィカは静かに、その嗚咽を見守る。
「わたし……この旅をしてて……よかったです……っ」と言うガイノに。
シルヴィカはぐっと手を伸ばし、彼女の頭を撫でると。
「ありがとう、ほんとに……っ」なんて。
ガイノは笑み混じりに泣いていた。
* * * * *
それから、ガイノはかつての持ち主と暮らすことを決め。
経路のかぶる場所までは、三人一緒に歩いていたが。
いざ別れるとなると、シルヴィカもガイノも。
くだらない話をし続けることで、名残惜しさを誤魔化していた。
そんな誤魔化しの途中。
「わたし、お手紙いっぱい書きますね!」
「受け取れませんよ⁉︎」
なんてやり取りをしていると。
ふと、少しの沈黙が生まれて。
それに割り込むかのように、少年は口を開く。
「ほんとによかったの? あと一人は住めそうだけど……」
シルヴィカは少年の頭を、そっと撫でてやると。
「私も、やりたいこと、ありますから」
なんて優しく言って。
少年はじとりとシルヴィカを見上げると。
「そ、そう? じゃあ頑張れよ」とぶっきらぼうに言っていて。
シルヴィカがそれへにこやかに、「頑張ります!」と返すと。
そんな言葉にガイノは、何やら小さくうなずいてから。
「わたしも、応援してますね」と。
右手をそっと差し出した。
シルヴィカはそれを見やると。
「ありがとうございます」
と言いながら、その手を握り、何度か軽くそれを振ると。
これまでの躊躇がなかったかのように、自然とシルヴィカたちは足が動き出す。
その向かう先は、まったく違う場所だったが。
「お前ら話長すぎ」なんて言っている少年や。
それに謝るガイノを見ていると。
シルヴィカはなんとなく、自分も相手も想いは同じな気がした。
友人の幸せを祈りながら、一歩を踏み出したシルヴィカを。
青々とした草たちが、さらさらと取り囲んでいて。
はるか高い青空に、入道雲が浮いていた。
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