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第6話 あなたがいてくれるから

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 夜の冷気が耳の縁をかすめ、肌に細い針を落とす。まばらな街灯が光と影をまだらに混ぜ、石畳へ薄い陰を落としていく。

 ヴィルと別れたあと、わたしは夜闇の通りを、歩幅だけ揃えて歩いた。靴底が石を打つたび、小さな音が凍てた空気に溶ける。喉の手前だけが冷たいまま、ほどけない。

 別れ際、わたしはヴィルに告げた。

 唇の裏が乾き、言葉の順番だけを舌先で確かめる。

『夜も更けたし、さすがに表で騒ぎを起こすわけにはいかないわ。明日の昼過ぎにでも、ハンターギルドの奥の修練場に来てちょうだい。そこなら、誰にも迷惑をかけずに済むはずだから』

 ヴィルは即座に頷いた。

『いいだろう。楽しみにしているぞ』

 歩幅は揃えているはずなのに、踵が一度だけ石の継ぎ目を探し、舌が上顎に貼りつく。揺れない相手の輪郭だけがはっきりして、こちらの指先だけが落ち着かない。

 宿に辿り着くころには、一日の疲れが肩から腰へと重く沈み込んでいた。

 木の扉を押し開けると、冷たい空気が肌にしんと触れ、背筋がひとつ伸びる。けれど部屋に入った途端、その張りつめはほどけた。革の鎧を外し、白い剣を抱えたまま、硬いベッドへ身を投げ出す。

 マットレスの綿がひやりと沈み、冷えが膝裏から上がった。古い弾みがわずかに返り、骨の軋みまでほどけていく。

「茉凜、今いい?」

 瞼を閉じ、柄に触れた指が金属の奥の温度を拾う。

 闇の粒子が瞼の裏で集まり、懐かしい輪郭を結ぶ。ミルクティーブラウンのショートヘアが春の花びらみたいにふわりと揺れ、大きな瞳がこちらを見つめ、淡い微笑みが唇に灯る。


 温度のある声が背の奥へ沁み、背中のこわばりがひとつ解ける。

「ごめんね、『急に黙ってて』なんて言って……。あなたにも、言いたいことがきっとあったはずなのに」

 茉凜は首をふるりと振り、髪の先で光の粒が遊んだ。


「ありがとう……」

 胸の奥に、じんとした熱が沈殿する。空いた隣のシーツを見つめると、そこだけが妙にあたたかく見えて、肩が少しだけ落ちた。

 茉凜は、わたしの手を包む仕草をする。感触はない。けれど、そこにあるはずの体温を、記憶が補完する。


 わたしは小さく頷く。シーツの布目が頬に硬く触れた。

「うん……。ああは言ってみたけど、正直、自信なんて全然ない」

 茉凜は柔らかな笑みを深め、握る素振りの手にそっと力を込める。


 毛布の縁が鼻先をかすめ、鼓動の拍が半拍ゆるむ。

「そうかな……」


 明るい声音が、内側の冷えを少しずつゆるめていく。指の力が抜け、剣の重さが腕から離れていった。

「うん……。あなたがいてくれるだけで、本当に心強い……」

 大きな瞳を見つめ返す。身体の中心がじわりと温まり、脈の音が静かにそろう。触れられなくても、言葉が支えになる――その確かさだけで、瞼が重くなる。

「茉凜、いつも本当にありがとう……」


 窓の外で風が鳴り、硝子戸がカタと揺れた。

「うん、おやすみ、茉凜……」


 その微笑みを記憶に抱き、意識を深く沈める。闇の奥で、声と笑顔が静かな子守歌になり、脈の揺れをゆるめていく。

 窓の外、空はわずかに白みはじめた気配。薄い冷気が頬を撫で、明日の線が遠くに生まれる。

 ――明日の昼過ぎ。

 耳の奥で、鞘の金具が触れ合う音だけが先に鳴った気がした。

 シーツの冷えが指先の熱をさらい、白い鞘の輪郭が瞼の裏でゆっくりほどけていった。





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 夜の冷気が耳の縁をかすめ、肌に細い針を落とす。まばらな街灯が光と影をまだらに混ぜ、石畳へ薄い陰を落としていく。
 ヴィルと別れたあと、わたしは夜闇の通りを、歩幅だけ揃えて歩いた。靴底が石を打つたび、小さな音が凍てた空気に溶ける。喉の手前だけが冷たいまま、ほどけない。
 別れ際、わたしはヴィルに告げた。
 唇の裏が乾き、言葉の順番だけを舌先で確かめる。
『夜も更けたし、さすがに表で騒ぎを起こすわけにはいかないわ。明日の昼過ぎにでも、ハンターギルドの奥の修練場に来てちょうだい。そこなら、誰にも迷惑をかけずに済むはずだから』
 ヴィルは即座に頷いた。
『いいだろう。楽しみにしているぞ』
 歩幅は揃えているはずなのに、踵が一度だけ石の継ぎ目を探し、舌が上顎に貼りつく。揺れない相手の輪郭だけがはっきりして、こちらの指先だけが落ち着かない。
 宿に辿り着くころには、一日の疲れが肩から腰へと重く沈み込んでいた。
 木の扉を押し開けると、冷たい空気が肌にしんと触れ、背筋がひとつ伸びる。けれど部屋に入った途端、その張りつめはほどけた。革の鎧を外し、白い剣を抱えたまま、硬いベッドへ身を投げ出す。
 マットレスの綿がひやりと沈み、冷えが膝裏から上がった。古い弾みがわずかに返り、骨の軋みまでほどけていく。
「茉凜、今いい?」
 瞼を閉じ、柄に触れた指が金属の奥の温度を拾う。
 闇の粒子が瞼の裏で集まり、懐かしい輪郭を結ぶ。ミルクティーブラウンのショートヘアが春の花びらみたいにふわりと揺れ、大きな瞳がこちらを見つめ、淡い微笑みが唇に灯る。
《《おつかれさま、美鶴。さっきは大変だったね》》
 温度のある声が背の奥へ沁み、背中のこわばりがひとつ解ける。
「ごめんね、『急に黙ってて』なんて言って……。あなたにも、言いたいことがきっとあったはずなのに」
 茉凜は首をふるりと振り、髪の先で光の粒が遊んだ。
《《ううん、気にしないで。『ミツル』にとって、とっても大事な話だったから、わたしが口を挟むことじゃないと思ったの》》
「ありがとう……」
 胸の奥に、じんとした熱が沈殿する。空いた隣のシーツを見つめると、そこだけが妙にあたたかく見えて、肩が少しだけ落ちた。
 茉凜は、わたしの手を包む仕草をする。感触はない。けれど、そこにあるはずの体温を、記憶が補完する。
《《ヴィルとのこと、やっぱり気にしてるんだね》》
 わたしは小さく頷く。シーツの布目が頬に硬く触れた。
「うん……。ああは言ってみたけど、正直、自信なんて全然ない」
 茉凜は柔らかな笑みを深め、握る素振りの手にそっと力を込める。
《《美鶴なら、きっと大丈夫だよ》》
 毛布の縁が鼻先をかすめ、鼓動の拍が半拍ゆるむ。
「そうかな……」
《《もちろんだよ。わたしは柚羽美鶴を信じてる。それとあなたが目覚める前の、ミツルという女の子が生きてきた時間も、お父さんとお母さんとの絆も、全部がいまのあなたを支えてる。それに、わたしがついてるんだから、絶対無敵だよ》》
 明るい声音が、内側の冷えを少しずつゆるめていく。指の力が抜け、剣の重さが腕から離れていった。
「うん……。あなたがいてくれるだけで、本当に心強い……」
 大きな瞳を見つめ返す。身体の中心がじわりと温まり、脈の音が静かにそろう。触れられなくても、言葉が支えになる――その確かさだけで、瞼が重くなる。
「茉凜、いつも本当にありがとう……」
《《どういたしまして。わたしはいつでもあなたのそばにいるからね。安心して》》
 窓の外で風が鳴り、硝子戸がカタと揺れた。
「うん、おやすみ、茉凜……」
《《おやすみ、美鶴……》》
 その微笑みを記憶に抱き、意識を深く沈める。闇の奥で、声と笑顔が静かな子守歌になり、脈の揺れをゆるめていく。
 窓の外、空はわずかに白みはじめた気配。薄い冷気が頬を撫で、明日の線が遠くに生まれる。
 ――明日の昼過ぎ。
 耳の奥で、鞘の金具が触れ合う音だけが先に鳴った気がした。
 シーツの冷えが指先の熱をさらい、白い鞘の輪郭が瞼の裏でゆっくりほどけていった。