第5話 繋がれた命

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 卓上の白きマウザーグレイルが、紫苑の灯をひと筋返していた。鞘口から覗く刀身もまた白く、刃は立たない。

 柄へ伸ばしかけた指が止まり、指先だけが先に冷えた。

「そんな、いきなり言われても無理よ。わたしは父さまから剣を教わっていないの。だって……触れることさえ許されなかったのだから……」

 言い終えたあと、唇の内側が乾き、声が耳に届くまでほんの少し遅れた。

 ヴィルはしばらく黙し、深く溜息をつく。その息には懐かしさが混じり、苦みがわずかに残る。

「なるほど、あいつらしいな……」

 短い一言に父をよく知る者の確信が宿り、灯の芯がかすかに鳴った。

「剣を握るってのは、敵の矢面に立つってことだ。傷は避けられん。あいつはそれを嫌というほど味わってきた。――だからだ」

 言葉が沈み、肋の内側でゆっくり重さに変わる。視線をヴィルの手へ落とす。無数の傷痕が刻まれた手。幾多の修羅場を潜ってきた証が、淡光の下で凹凸になって残っていた。

「そんなことくらい、わかってるわよ。だから……」

 みぞおちがきゅっと縮み、鞘の白が父の優しさを静かに突きつけてくる。

 ヴィルは再び剣に視線を戻し、じっくりと観察する。呼吸は静かに揃っていた。

「それと、この剣だが……これは斬るための剣じゃない」

「ええ、見ての通りよ。とても軽くて頑丈ではあるけど、刃なんてないし……」

 わたしは覗かせた刀身の縁へ一瞬だけ目を落とす。刃がない。そう言うほうが、いまの説明にはいちばん近い。

「普通に考えれば、あいつがこんな剣を実戦で使うはずがない。戦場じゃ、一本折れりゃ次を拾う。それをしない男でもなかった。最後にこれを握ったなら、それだけ追い詰められていたってことだ――ただ、お前を守りたい一心でな」

 返す言葉は見つからず、もう一度、小さく頷く。指がわずかに震え、木卓の縁を探して止まる。

「刀身が真っ白というのも妙だが……見たところ、これは魔道具だ。魔術師専用の個人兵装、『魔導兵装』――そういう類いのものだろう。違うか?」

 鼓動がひとつ跳ね、すぐに落ち着こうとして失敗する。

「ええ、そんなものかしら……」

 静かな声が、空気へ溶けた。

「何もかもお見通しということね」

 そう告げると、ヴィルは目を細め、懐かしむように低く漏らす。

「あいつとは長い付き合いだ。剣に命を託してきた男が、これを大切にしていた以上、そこに何らかの深い理由があるはずだ」

 父への理解の深さが逆に内をざわつかせ、呼吸を整えて問いを投げる。

「それが分かっていて、どうして? わたしが魔術師で、剣士ではないことくらい、わかるでしょう?」

 鞘口から覗く白がひどく遠く、わたしの力がこの世界の魔術理の外にあることだけが皮膚の裏で冷える。

「そんなことは承知の上だ」

 揺らがない声に、肩の強張りがわずかに解ける。

「なによそれ。無茶苦茶じゃない。理屈になってない……」

 問いが頭の中で循環し、出口のない道をぐるぐる回って息苦しい。

「そうでもない」

「お前は小さい時分から、ずっと親父を見てきたんだろう? あいつが剣を握る姿を。日常の何気ない仕草や癖を。――そういうものは、骨のどこかに残る」

 唾を飲み込む音だけが、やけに大きく聞こえた。

 幼い日の光景が、心の底から浮かぶ。父の鋭い眼差し、骨ばった大きな手、そして流麗な剣筋。小さな木刀を握り、影に隠れるように素振りを重ねた日々。

 前世を取り戻してからも、父の残像をなぞるみたいに剣を振ってきた。けれど未熟は消えない。手には違和感が残り、体は思うように動かない。それでも剣を握るたび思う。この行為の先に、父の残したものがまだある、と。

「……見てきた。でも、それだけじゃなにも……」

 声は弱く、喉の手前で一度つかえた。

「いいや、それで十分だ。特にお前のように強い意志を持っているならなおさらな」

 迷いのない視線。奥まで覗かれるみたいで、呼吸が一拍だけ止まる。

「お前の体には、あいつの血が流れているんだろう? だったら見せてくれ。俺が見たいのは、そんな『受け継がれた命』なんだ」

 音が届き、眠っていた何かが、静かに眼を開けた。

 父が託した命の意味。その重み。その価値。もし本当にわたしの中に生きているのなら、示したい。

 木卓の縁の指が白くなり、息の逃げ道まで音もなく塞がっていく。内側で、小さな芽音がする。

「いいわ……。その申し出、受けようじゃない!」

 思いのほか力強い声が自分の口から出て、わたしがいちばん驚いた。腹の底から溢れた意志が、そのまま言葉になったのだ。

 ヴィルは微かに口元を緩め、静かに頷く。瞳は鋭いまま、真っ直ぐに。

「そう来なくちゃな」

 白い鞘が、灯の下で一度だけ冷たく光った。

 拳だけが、音もなく震えていた。




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 卓上の白きマウザーグレイルが、紫苑の灯をひと筋返していた。鞘口から覗く刀身もまた白く、刃は立たない。
 柄へ伸ばしかけた指が止まり、指先だけが先に冷えた。
「そんな、いきなり言われても無理よ。わたしは父さまから剣を教わっていないの。だって……触れることさえ許されなかったのだから……」
 言い終えたあと、唇の内側が乾き、声が耳に届くまでほんの少し遅れた。
 ヴィルはしばらく黙し、深く溜息をつく。その息には懐かしさが混じり、苦みがわずかに残る。
「なるほど、あいつらしいな……」
 短い一言に父をよく知る者の確信が宿り、灯の芯がかすかに鳴った。
「剣を握るってのは、敵の矢面に立つってことだ。傷は避けられん。あいつはそれを嫌というほど味わってきた。――だからだ」
 言葉が沈み、肋の内側でゆっくり重さに変わる。視線をヴィルの手へ落とす。無数の傷痕が刻まれた手。幾多の修羅場を潜ってきた証が、淡光の下で凹凸になって残っていた。
「そんなことくらい、わかってるわよ。だから……」
 みぞおちがきゅっと縮み、鞘の白が父の優しさを静かに突きつけてくる。
 ヴィルは再び剣に視線を戻し、じっくりと観察する。呼吸は静かに揃っていた。
「それと、この剣だが……これは斬るための剣じゃない」
「ええ、見ての通りよ。とても軽くて頑丈ではあるけど、刃なんてないし……」
 わたしは覗かせた刀身の縁へ一瞬だけ目を落とす。刃がない。そう言うほうが、いまの説明にはいちばん近い。
「普通に考えれば、あいつがこんな剣を実戦で使うはずがない。戦場じゃ、一本折れりゃ次を拾う。それをしない男でもなかった。最後にこれを握ったなら、それだけ追い詰められていたってことだ――ただ、お前を守りたい一心でな」
 返す言葉は見つからず、もう一度、小さく頷く。指がわずかに震え、木卓の縁を探して止まる。
「刀身が真っ白というのも妙だが……見たところ、これは魔道具だ。魔術師専用の個人兵装、『魔導兵装』――そういう類いのものだろう。違うか?」
 鼓動がひとつ跳ね、すぐに落ち着こうとして失敗する。
「ええ、そんなものかしら……」
 静かな声が、空気へ溶けた。
「何もかもお見通しということね」
 そう告げると、ヴィルは目を細め、懐かしむように低く漏らす。
「あいつとは長い付き合いだ。剣に命を託してきた男が、これを大切にしていた以上、そこに何らかの深い理由があるはずだ」
 父への理解の深さが逆に内をざわつかせ、呼吸を整えて問いを投げる。
「それが分かっていて、どうして? わたしが魔術師で、剣士ではないことくらい、わかるでしょう?」
 鞘口から覗く白がひどく遠く、わたしの力がこの世界の魔術理の外にあることだけが皮膚の裏で冷える。
「そんなことは承知の上だ」
 揺らがない声に、肩の強張りがわずかに解ける。
「なによそれ。無茶苦茶じゃない。理屈になってない……」
 問いが頭の中で循環し、出口のない道をぐるぐる回って息苦しい。
「そうでもない」
「お前は小さい時分から、ずっと親父を見てきたんだろう? あいつが剣を握る姿を。日常の何気ない仕草や癖を。――そういうものは、骨のどこかに残る」
 唾を飲み込む音だけが、やけに大きく聞こえた。
 幼い日の光景が、心の底から浮かぶ。父の鋭い眼差し、骨ばった大きな手、そして流麗な剣筋。小さな木刀を握り、影に隠れるように素振りを重ねた日々。
 前世を取り戻してからも、父の残像をなぞるみたいに剣を振ってきた。けれど未熟は消えない。手には違和感が残り、体は思うように動かない。それでも剣を握るたび思う。この行為の先に、父の残したものがまだある、と。
「……見てきた。でも、それだけじゃなにも……」
 声は弱く、喉の手前で一度つかえた。
「いいや、それで十分だ。特にお前のように強い意志を持っているならなおさらな」
 迷いのない視線。奥まで覗かれるみたいで、呼吸が一拍だけ止まる。
「お前の体には、あいつの血が流れているんだろう? だったら見せてくれ。俺が見たいのは、そんな『受け継がれた命』なんだ」
 音が届き、眠っていた何かが、静かに眼を開けた。
 父が託した命の意味。その重み。その価値。もし本当にわたしの中に生きているのなら、示したい。
 木卓の縁の指が白くなり、息の逃げ道まで音もなく塞がっていく。内側で、小さな芽音がする。
「いいわ……。その申し出、受けようじゃない!」
 思いのほか力強い声が自分の口から出て、わたしがいちばん驚いた。腹の底から溢れた意志が、そのまま言葉になったのだ。
 ヴィルは微かに口元を緩め、静かに頷く。瞳は鋭いまま、真っ直ぐに。
「そう来なくちゃな」
 白い鞘が、灯の下で一度だけ冷たく光った。
 拳だけが、音もなく震えていた。