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第五編 花咲く薬師の村

ー/ー



 そこはエルク地方南方にある、ちょっとした平原地帯。

 薄緑色の草たちがそよ風に揺られ波打つと。
 太陽の光が反射して、真っ白な波紋が広がる。
 さらさらとしたぬるい風が、シルヴィカの肌をそっと撫で。
 そんな風に乗せられて、亜麻色の髪が静かになびいた。

 青空の輪郭をなぞるような、ただ広がっている平原の。
 果てまでずっと築かれた一本の街道を、シルヴィカはただ歩く。
 はるか遠方に小さく、風車のようが見えていて。
 それを目指しながら、もう数時間は移動を続けていた。

「暑いし……長い……っ」
 なんて、ヒィヒィ言いながら。

 汗をだらだらと流しながら。
 シルヴィカは歩いていた。
 張りついた前髪を指で退けて。
 商人たちの噂を、半ばやけくそ気味に信じて。
 シルヴィカはひたすらに、ある村を目指していた。

 それは、ドーミスから十日ほど南下した先にある平原地帯にある小さな村であり。

 そこはコドゥス・ラウスの影響からくる、温暖かつ湿潤な気候や。
 近くまで伸びてきているエルク山から与えられた、豊富な水脈。
 そして太陽の光を遮るもののない、平原という地形状況。
 これら三つの要素から、非常に植物の育ちやすい村だそうで。
 本来『キュエイマ』という名前がちゃんとあるのだが……
 どうやら商人たちにとっては別の名前のほうがふさわしく思えたらしく。

『薬師の村』と、たいていの場合呼ばれていた。

 シルヴィカは革水筒から口へ水を注ぎ。
 それから額の汗を拭うと。
 重くなった足取りを止めず。
 しばらく、ずっと、歩き続け、無心で前だけを見続ける。

 そうして気づいたときには、微かな甘い香りとともに頭上で風車が回っていて。
 村の木柵や、木組みの簡素な家がようやく見える頃には。
 シルヴィカはすっかり、足が棒になっていた。

 * * * * *

 しばしの休憩を終えたシルヴィカが真っ先に向かった場所。
 それはこの村唯一の薬屋だった。

 店の扉を開けるなり。
「んぁ……」と変な声を洩らし。
 シルヴィカは自然と、店の奥へと歩いていく。

 巨大な木造店舗の中、所狭しと並んだ薬棚。
 その様相はまるで大図書館のようであり。
 ドームのような天井から、細い光りが降り注ぎ。
 ずらりと並んだ薬瓶や、奇妙な形のアンプルが。
 それを反射して、丸く歪んだ虚像を映し出していた。

 商品のラベルを見ても、その種類は多種多様で。
『咳止め』のようなよくあるものから。
『虫刺されの治癒促進』という変わり種まで。
 まさに薬師の村にふさわしいほどの品揃えだった。

「参考に、一つだけ……」なんて、目を輝かせたシルヴィカが。
 できるだけ変わったものを選ぼうと、どんどん奥へ歩いていくと。
『局所麻酔 単位あたり方貨(ほうか)一枚』というラベルを見つけて、サッと血の気が引いた。

『ご購入を検討の人は、必ず店主の問答を受けて貰います』
 と併記されたそれに近づかないよう、シルヴィカは慎重に離れると。
 今度は『鎮痛剤 単位あたり大貨(だいか)六枚』が目に入って。
 隣の薬には『緩和処置薬 単位あたり大貨七枚』

「えっと、見るエリアが悪いのかな……?」
 と引きつった笑いをしながら、別の棚へ向かっても。
『抗流行性感冒(かんぼう)薬 単位あたり大貨二枚』とあった。

 シルヴィカは店中を回りながら、ラベルを一つ一つ確認してみるが。
 どうやらそのほとんどが高額な価格で売られているようで。
 アンプルに入ったものに至っては、方貨数枚分もの値が設定されていた。

 そんな光景を眺めているうちに、薬屋にいるのになぜか気分が悪くなってきたシルヴィカが。
 棚や商品へ自分の身体が当たらないように、ゆっくりと出入り口へ向かっていると。
「あいよ、方貨二枚ね」という店主の声が、やがて背後から聞こえて。

 シルヴィカはその声を尻目に店を出ると。
 それから、店の中には聞こえないであろう距離まで歩いてから。
「聞いてたけど、さすがに高いよ……っ」とうなだれ、ため息をついた。

 * * * * *

 しばらくシルヴィカはうろついて。
 この村に宿屋の類いがないことに気づくと。
 ふと、空を見上げる。

 太陽は落ち始めたあたりで。
 白い雲たちに混じって、灰色のものも浮いていた。
 それらをぼんやりと見ながら、シルヴィカはあごに指を当てて。
「早く村を出て、野宿したほうが次のためかなぁ」なんて考えると。

 それから一人でうなずいて「よし決めた!」とマントを整えて。
 おそらく半日も滞在していないであろうこの村に、さほど情緒のない別れを告げると。
 そのままシルヴィカは村の門を目指す。
 背の低い木柵でただ囲まれているだけの村だったが。
 やはり、門から出たほうが雰囲気が出る気がしたのだ。

 そうしてなんとなくあたりを見ながら、村の中央を歩いていると。
 この村に来てから漂っていた、熱を持った甘ったるい匂いが強くなっていることに気づき。
 シルヴィカは匂いを辿るように、ゆっくりと首を動かして。
 それから、ある一点を見て動きを止めた。

「多分あれだ……」と半ば確信しながら。
 シルヴィカが真っ直ぐ向かったのは、広大な花畑。

 なぜか村の端に追いやられていたその花たちに歩み寄ると。
 甘い匂いが強くなり、シルヴィカは顔をしかめながらも、どんどん近づいて。

 その真っ白な花の姿が、レースを丸く折り重ねたような見た目であることとか。
 花の下に爪の先ほどの小さな黄色い実があることが見えるようになると。
 シルヴィカはふと、首をかしげた。

 まるでメープルシロップを煮詰めたような、甘い匂い。
 そんな匂いを村中に漂わせているのなら、虫の一匹くらいはいそうだが。
 よほどていていに手入れされているのか、まったくその姿がなかったのだ。

 シルヴィカは花畑の周りを歩きながら、あごに指を当てて。
「何か特殊な方法でも使ってるのかな……」と考えるが。
 そんな様子の彼女は、どうやら目立っていたようで。
逆明星(さかみょうじょう)っていうんですよ。それ」なんて。
 背後からやわらかな声がした。

 振り向いた先には、シルヴィカと歳の近そうな少女がいて。
 彼女は陽光の透けそうな金髪と、珍しい紫色の瞳をしており。
 そのいでたちや持っていたカゴから、まるで絵画の登場人物のようだったが。
 両手にしっかりはめられた、分厚い革の手袋が、シルヴィカにはその分物々しく映った。

「あっ、すみません。つい、気になって……」と頭を下げるシルヴィカに。
「いえ、綺麗ですもの。わかりますよ」なんて少女は微笑んで。

 それから少女は、腰にさげていたハサミを手に取ると。
 パチン、パチン、と。慣れた手つきで花の実を切り落とし。
 そしてそれを、繊細な指さばきでカゴの中に置いていった。

「その実、薬効があるんですか?」
 少女の手袋を見ながら、シルヴィカは首をかしげて。
 それに少女は視線を花に向けたまま、「そうらしいですね」と返すと。
 それから少しの間、軽く咳き込んだ。

「だ、大丈夫ですか?」なんて。
 シルヴィカが歩み寄ろうとして。
 少女は手でそれを制止すると。
「いつものことですから」
 とか言いながらまた作業を始め、その様子をシルヴィカは心配そうに眺める。

 最初こそ平然としていた少女も、次第にやりづらそうにし始め。
 それに気づいたシルヴィカは、ぎこちなくそっぽを向いた。

 しばらくの沈黙が気まずくて。
 かといって去るのもなんだかなと。
 そんなふうに思いながら、シルヴィカはあたりを見渡し。
「いつから、この仕事を……?」なんて、少女にまた声をかける。

 少女は自分の胸をトントンと叩きながら、それにうなずくと。
「うちの家系は、昔からそうみた、いで」
 と何やら途切れ途切れに言っていて。

 咳き込みながら、深呼吸をする音を聞きながら。
 シルヴィカは片手で、カバンを漁り始める。

「立ち話もなんですし、少し、休みませんか?」
 と言いながら、シルヴィカは少女の肩に手を置くが。

「ノルマ、あるから……」と、少女はまた深呼吸。

 シルヴィカはカバンから出したものを、目視で確認すると。
 それをハンカチでよく拭いて、またカバンを漁り出す。

 シルヴィカのそんな動向に、少女は首をかしげつつ。
「どう、し——」なんて言おうとするが。
 言い切れずに彼女は急にむせ始め、その呼吸の音には。
 笛のようなヒューヒューとした音が混じっていた。

 シルヴィカは「やっぱり——っ」と言いつつも。
 あたりをキョロキョロと見渡して。
 苦々しい顔をしながら、少女を花畑から連れて。
 そのまま地面にカバンを置くと、少女をそこに座らせる。

「両手はひざに。深呼吸はできるときだけ」
 少女の上体を軽く前に倒し、浅い息をする彼女に。
 筒状のホイッスルのようなものを出すと。
 その下に小袋を取り付けて。
 シルヴィカは少女に咥えさせた。

「吸ってください。できるだけ強く」

 そんな言葉を聞くなり、少女はギュッと目をつむると。
 ヒュッという小さな音がして、シルヴィカは平べったくなった小袋をつまんだ。

 筒を少女の口から離して、真剣な目で少女を見つめると。
 それからもしばらくの間、少女の咳や呼吸の異音が続いていたが。
 やがてそれは鳴りをひそめ、小さく咳き込みながらも、だんだん落ち着いていく。

 少女は目元の涙を指で拭いながら、何度か浅い息をして。
「薬師さん、だったんですね」と、少し咳をしながらに言った。

 シルヴィカはそれにうなずきながら、少女に水筒の場所を訊くと。
 彼女の水筒の中身が水かを確認して、うがいをさせる。

「ありがとうございます……」
 口元に軽くハンカチを当てて、少女は頭を下げるなり。
「さっきの笛、なんだったんですか?」と言っていて。
 シルヴィカはカバンの中身を漁りながら。
「そういう呼吸系の症状の患部だけに、直接薬を届ける道具ですよ」
 ほんとは薬を一定量だけ使う機能もあるらしいんですけど……
 旧時代の技術は、今じゃまだ再現できないみたいで。

 中身がからになった袋をいじりつつ。
 シルヴィカがそう、申し訳なさそうに答えると。

 少女は考え込んだあとに、もう一回うがいをしてから。
「でも、あるだけありがたいですよ」と笑った。

 それから二人はしばらくの間。
 また発作が起きないか警戒しつつも。
 少女の作業の合間に、談笑を続けていて。
 太陽が風車に呑まれそうになる頃、よくやく少女は作業を止めた。

 * * * * *

 そして日も暮れつつある頃。
 テニヤと名乗った少女の厚意で、シルヴィカは彼女の家に泊まることとなり。

 そのついでと宿泊代という大義名分もあったので。
 シルヴィカは少女の家に着くなり。
「発作はいつから続いていますか?」とか。
「現在使用している薬があれば持ってきてくれますか?」とか。
「以前に食べたり近づいたりして、体調を崩したものはありますか?」とか。

 そんなことを細かく訊くと、「じゃあこれで大丈夫そうですね」なんて言いつつ。
 昼間に使った薬を出しながら、「発作が起きたときはこれを使ってください」
 空気の通り道をリラックスさせる薬です。と伝えて。

 それに加えて、何やら葉巻のような見た目のものを取り出すと。
「こっちは毎日一回吸ってください」
 症状を制御する薬ですので。
 なんて説明をした。

 一ヶ月分の薬を並べたシルヴィカは、テニヤのほうへ向き直すと。
「一応、私が診れるのは今回だけですから……」
 症状が悪化したらすぐにこの薬はやめてくれて結構です。
 でも、その逆なら治まったと思っても続けてください。なんて人差し指を立てて。
 それにうなずきながら何やらメモをとったあと。
「これ、どういう病気なんですか?」と言ったテニヤに対し。

「病気じゃありませんよ」
 とシルヴィカは返して、それから。

 人には悪いものを弾く機能があるんですけど。
 それがたいして悪くもない特定の物質に、過剰反応する体質があるんです。
 それのせいで湿疹とか、呼吸困難とか、鼻水とか。
 そういう病気みたいな症状が出てくるんですよ。
 花粉症もそれの一種なんです。

 という解説を足すと、それを聴きつつテニヤは少し考え込み。
「まあ、その、治すというのは難しいですけど……」
 かといって軽視してはいけないものですから。
 命に関わるものですし、環境を変えるのが一番ですね。
 なんてシルヴィカが横から言うと。

 テニヤは「それは難しそうです」と小さく言って。
「納得のいくよう、ゆっくり考えてくださいね」とシルヴィカは返した。

 そんな言葉の効力はともかく。
 どうやらテニヤは何かとりあえずの結論が出たようで。
「とにかく、わたし足掻いてみます」なんてシルヴィカに言うと。
 彼女は「そうと決まったらご飯ですね」と、明るい声で言い出して。
 そのまま家の奥のほうへ向かっていった。

「何を手伝えば……」とシルヴィカが。
 マントを置いて髪をまとめ始めるが。
「なら座っててください」なんてじとりと見られ。
 そのままテニヤに台所を追い出されてしまったので。
 シルヴィカは大部屋の真ん中にある四角いテーブルの、席に座った。

 そこには花柄のテーブルクロスが敷かれていて。
 真ん中に置かれた燭台の小さな光が、あたりを橙に染める。
 物の少ないその部屋の、四角い窓を眺めると。
 外の風景の代わりに、シルヴィカの顔が映っていた。

 今回は祖母から学んだ薬を使えたし、ストックもあったから助けられた。
 でもこれが未知の病だったり、持ち合わせのない薬を要するものだったら。
 もし、そんな事態が起きて、また目の前で人が死んだら。

 ——自分は耐えられるのだろうか?

 シルヴィカはふと、そんな思考がよぎって。
 それを振り切るかのように、首を横に振ると。
 自分の頬を持ち上げて、無理矢理笑顔を作り出し。
 窓に映った自分も、間抜けな笑顔を向けていたが。

「あれ? 何やってるんですか?」なんて。
 テニヤの声が聞こえると。
 シルヴィカはすぐに、表情を戻し。
「え、笑顔の練習……?」と苦笑いをして。
 それに対してテニヤは、ぎこちなく愛想笑いをしていた。

 シルヴィカはテニヤと手分けして料理を置いていき。
 ピザや、色とりどりなサラダを眺めると。
「噂通りなんですねぇ」とふいに洩らして。
「……どんな噂なんですか?」
 とテニヤは訊いた。

 シルヴィカは少し恥ずかしそうに。
「実は、商人さんたちから聞くまで、この村のこと知らなくて……」
 なんて余計なことを言いながら、このキュエイマという村についての噂を語る。

 それは『この世のほとんどの植物が集まる村』だとか。
『それゆえに自然と腕利きの薬師が集まる村』だとか。
 そういうものであり、それを聴いたテニヤは。
「そう好評だと誇らしいです」と微笑む。

 彼女はピザに手をつけると。
 シルヴィカのほうを見やって。
「食べないんですか?」と言うので。
 シルヴィカは胸の前で組んだ指を解いてから。
「そういえば、この赤いものはなんですか?」なんて首をかしげる。

 するとテニヤは、ひとくちも食べていないピザを皿に置いてから。
「トマトですよ」
 近所の人がくれたんです。と言って。
 それに「へぇ、生なんて初めて……」とか言いながら、シルヴィカはピザを手に取り。

 ——すぐにまた皿へ戻した。

 シルヴィカはちらりと、テニヤのほうを向き。
 ニコニコとした彼女に対し、ぎこちなく。
「その、作って貰って悪いんですけど……」
 なんて言いながら、シルヴィカは席を立つと。

「今日中に、行かなきゃいけないところ、あるの思い出しちゃって……」なんて。
 荷物をまとめてマントを手に取り、玄関のほうへ小走りをする。
 それに対して一瞬目を見開いたテニヤは、シルヴィカの手を掴むと。

「もったいないし、せめて一口だけでもどうですか?」とぎこちなく微笑んで。
 その様子をシルヴィカは、ひどく悲しそうに見上げた。

「私は何も、知りませんから」
 そう言いながらシルヴィカは、テニヤの手をていねいに剥がすと。
「急いでるんで、もう行きますね?」と無理矢理笑い。
 玄関扉を開けると、テニヤのほうすら見ずに。
「……家業でも、やらなきゃいけないわけじゃないんですよ?」と言って。

 テニヤはそれに「わかってますよ」と返したのを聴くと。
 シルヴィカは、そのまま外へ駆けていった。

 * * * * *

 シルヴィカはときどき振り返りながら。
 真っ暗な平原を、ランタンも点けずに走って。

 そして、しばらくそれを続けると、ゆっくりと速度を落とし、止まって肩で息をした。
 シルヴィカは自分の手を、そっと顔に近づけると。

 それからまた、少しずつ足を動かし始め。
 一寸先すら見えないような、そんな暗闇の中を。
 シルヴィカは汗を拭いながら、ひたすらに進んでいく。

 その脳裏に浮かんでいたものは、キュエイマに関する噂であり。
 テニヤに対して言っていない内容のことだった。

『あの村は人体実験をしている』
『村原産の特殊な薬草を使って、旅人を捕らえている』
『村の薬が高額なのは、実験に人間を使う分高コストだからだ』

 商人たちがキュエイマについて語るとき、付け加えてくるそんな言説。
 そのほとんどが根も葉もない噂であり、面白半分で伝えられているのだろう。

 だが、あの家でピザを手に取ったとき。
 ——微かに逆明星の匂いがした。

 香り付けだったのだろうか。
 思い違いだったのだろうか。

 だが、どうしてもシルヴィカには。
 分厚い手袋をして扱うあの花が。
 食してはいけないものだとか。
『虫すら寄りつかない』ものに思えて。
 念には念を入れざるを得なかったのだ。

 やがてパタパタと降り始めた雨の中。
 シルヴィカがふと村のほうへ振り向いても。
 風車なんて全然見えやしなくて。
 あの花の匂いも、もうしなかった。


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 青空の輪郭をなぞるような、ただ広がっている平原の。
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 はるか遠方に小さく、風車のようが見えていて。
 それを目指しながら、もう数時間は移動を続けていた。
「暑いし……長い……っ」
 なんて、ヒィヒィ言いながら。
 汗をだらだらと流しながら。
 シルヴィカは歩いていた。
 張りついた前髪を指で退けて。
 商人たちの噂を、半ばやけくそ気味に信じて。
 シルヴィカはひたすらに、ある村を目指していた。
 それは、ドーミスから十日ほど南下した先にある平原地帯にある小さな村であり。
 そこはコドゥス・ラウスの影響からくる、温暖かつ湿潤な気候や。
 近くまで伸びてきているエルク山から与えられた、豊富な水脈。
 そして太陽の光を遮るもののない、平原という地形状況。
 これら三つの要素から、非常に植物の育ちやすい村だそうで。
 本来『キュエイマ』という名前がちゃんとあるのだが……
 どうやら商人たちにとっては別の名前のほうがふさわしく思えたらしく。
『薬師の村』と、たいていの場合呼ばれていた。
 シルヴィカは革水筒から口へ水を注ぎ。
 それから額の汗を拭うと。
 重くなった足取りを止めず。
 しばらく、ずっと、歩き続け、無心で前だけを見続ける。
 そうして気づいたときには、微かな甘い香りとともに頭上で風車が回っていて。
 村の木柵や、木組みの簡素な家がようやく見える頃には。
 シルヴィカはすっかり、足が棒になっていた。
 * * * * *
 しばしの休憩を終えたシルヴィカが真っ先に向かった場所。
 それはこの村唯一の薬屋だった。
 店の扉を開けるなり。
「んぁ……」と変な声を洩らし。
 シルヴィカは自然と、店の奥へと歩いていく。
 巨大な木造店舗の中、所狭しと並んだ薬棚。
 その様相はまるで大図書館のようであり。
 ドームのような天井から、細い光りが降り注ぎ。
 ずらりと並んだ薬瓶や、奇妙な形のアンプルが。
 それを反射して、丸く歪んだ虚像を映し出していた。
 商品のラベルを見ても、その種類は多種多様で。
『咳止め』のようなよくあるものから。
『虫刺されの治癒促進』という変わり種まで。
 まさに薬師の村にふさわしいほどの品揃えだった。
「参考に、一つだけ……」なんて、目を輝かせたシルヴィカが。
 できるだけ変わったものを選ぼうと、どんどん奥へ歩いていくと。
『局所麻酔 単位あたり|方貨《ほうか》一枚』というラベルを見つけて、サッと血の気が引いた。
『ご購入を検討の人は、必ず店主の問答を受けて貰います』
 と併記されたそれに近づかないよう、シルヴィカは慎重に離れると。
 今度は『鎮痛剤 単位あたり|大貨《だいか》六枚』が目に入って。
 隣の薬には『緩和処置薬 単位あたり大貨七枚』
「えっと、見るエリアが悪いのかな……?」
 と引きつった笑いをしながら、別の棚へ向かっても。
『抗流行性|感冒《かんぼう》薬 単位あたり大貨二枚』とあった。
 シルヴィカは店中を回りながら、ラベルを一つ一つ確認してみるが。
 どうやらそのほとんどが高額な価格で売られているようで。
 アンプルに入ったものに至っては、方貨数枚分もの値が設定されていた。
 そんな光景を眺めているうちに、薬屋にいるのになぜか気分が悪くなってきたシルヴィカが。
 棚や商品へ自分の身体が当たらないように、ゆっくりと出入り口へ向かっていると。
「あいよ、方貨二枚ね」という店主の声が、やがて背後から聞こえて。
 シルヴィカはその声を尻目に店を出ると。
 それから、店の中には聞こえないであろう距離まで歩いてから。
「聞いてたけど、さすがに高いよ……っ」とうなだれ、ため息をついた。
 * * * * *
 しばらくシルヴィカはうろついて。
 この村に宿屋の類いがないことに気づくと。
 ふと、空を見上げる。
 太陽は落ち始めたあたりで。
 白い雲たちに混じって、灰色のものも浮いていた。
 それらをぼんやりと見ながら、シルヴィカはあごに指を当てて。
「早く村を出て、野宿したほうが次のためかなぁ」なんて考えると。
 それから一人でうなずいて「よし決めた!」とマントを整えて。
 おそらく半日も滞在していないであろうこの村に、さほど情緒のない別れを告げると。
 そのままシルヴィカは村の門を目指す。
 背の低い木柵でただ囲まれているだけの村だったが。
 やはり、門から出たほうが雰囲気が出る気がしたのだ。
 そうしてなんとなくあたりを見ながら、村の中央を歩いていると。
 この村に来てから漂っていた、熱を持った甘ったるい匂いが強くなっていることに気づき。
 シルヴィカは匂いを辿るように、ゆっくりと首を動かして。
 それから、ある一点を見て動きを止めた。
「多分あれだ……」と半ば確信しながら。
 シルヴィカが真っ直ぐ向かったのは、広大な花畑。
 なぜか村の端に追いやられていたその花たちに歩み寄ると。
 甘い匂いが強くなり、シルヴィカは顔をしかめながらも、どんどん近づいて。
 その真っ白な花の姿が、レースを丸く折り重ねたような見た目であることとか。
 花の下に爪の先ほどの小さな黄色い実があることが見えるようになると。
 シルヴィカはふと、首をかしげた。
 まるでメープルシロップを煮詰めたような、甘い匂い。
 そんな匂いを村中に漂わせているのなら、虫の一匹くらいはいそうだが。
 よほどていていに手入れされているのか、まったくその姿がなかったのだ。
 シルヴィカは花畑の周りを歩きながら、あごに指を当てて。
「何か特殊な方法でも使ってるのかな……」と考えるが。
 そんな様子の彼女は、どうやら目立っていたようで。
「|逆明星《さかみょうじょう》っていうんですよ。それ」なんて。
 背後からやわらかな声がした。
 振り向いた先には、シルヴィカと歳の近そうな少女がいて。
 彼女は陽光の透けそうな金髪と、珍しい紫色の瞳をしており。
 そのいでたちや持っていたカゴから、まるで絵画の登場人物のようだったが。
 両手にしっかりはめられた、分厚い革の手袋が、シルヴィカにはその分物々しく映った。
「あっ、すみません。つい、気になって……」と頭を下げるシルヴィカに。
「いえ、綺麗ですもの。わかりますよ」なんて少女は微笑んで。
 それから少女は、腰にさげていたハサミを手に取ると。
 パチン、パチン、と。慣れた手つきで花の実を切り落とし。
 そしてそれを、繊細な指さばきでカゴの中に置いていった。
「その実、薬効があるんですか?」
 少女の手袋を見ながら、シルヴィカは首をかしげて。
 それに少女は視線を花に向けたまま、「そうらしいですね」と返すと。
 それから少しの間、軽く咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」なんて。
 シルヴィカが歩み寄ろうとして。
 少女は手でそれを制止すると。
「いつものことですから」
 とか言いながらまた作業を始め、その様子をシルヴィカは心配そうに眺める。
 最初こそ平然としていた少女も、次第にやりづらそうにし始め。
 それに気づいたシルヴィカは、ぎこちなくそっぽを向いた。
 しばらくの沈黙が気まずくて。
 かといって去るのもなんだかなと。
 そんなふうに思いながら、シルヴィカはあたりを見渡し。
「いつから、この仕事を……?」なんて、少女にまた声をかける。
 少女は自分の胸をトントンと叩きながら、それにうなずくと。
「うちの家系は、昔からそうみた、いで」
 と何やら途切れ途切れに言っていて。
 咳き込みながら、深呼吸をする音を聞きながら。
 シルヴィカは片手で、カバンを漁り始める。
「立ち話もなんですし、少し、休みませんか?」
 と言いながら、シルヴィカは少女の肩に手を置くが。
「ノルマ、あるから……」と、少女はまた深呼吸。
 シルヴィカはカバンから出したものを、目視で確認すると。
 それをハンカチでよく拭いて、またカバンを漁り出す。
 シルヴィカのそんな動向に、少女は首をかしげつつ。
「どう、し——」なんて言おうとするが。
 言い切れずに彼女は急にむせ始め、その呼吸の音には。
 笛のようなヒューヒューとした音が混じっていた。
 シルヴィカは「やっぱり——っ」と言いつつも。
 あたりをキョロキョロと見渡して。
 苦々しい顔をしながら、少女を花畑から連れて。
 そのまま地面にカバンを置くと、少女をそこに座らせる。
「両手はひざに。深呼吸はできるときだけ」
 少女の上体を軽く前に倒し、浅い息をする彼女に。
 筒状のホイッスルのようなものを出すと。
 その下に小袋を取り付けて。
 シルヴィカは少女に咥えさせた。
「吸ってください。できるだけ強く」
 そんな言葉を聞くなり、少女はギュッと目をつむると。
 ヒュッという小さな音がして、シルヴィカは平べったくなった小袋をつまんだ。
 筒を少女の口から離して、真剣な目で少女を見つめると。
 それからもしばらくの間、少女の咳や呼吸の異音が続いていたが。
 やがてそれは鳴りをひそめ、小さく咳き込みながらも、だんだん落ち着いていく。
 少女は目元の涙を指で拭いながら、何度か浅い息をして。
「薬師さん、だったんですね」と、少し咳をしながらに言った。
 シルヴィカはそれにうなずきながら、少女に水筒の場所を訊くと。
 彼女の水筒の中身が水かを確認して、うがいをさせる。
「ありがとうございます……」
 口元に軽くハンカチを当てて、少女は頭を下げるなり。
「さっきの笛、なんだったんですか?」と言っていて。
 シルヴィカはカバンの中身を漁りながら。
「そういう呼吸系の症状の患部だけに、直接薬を届ける道具ですよ」
 ほんとは薬を一定量だけ使う機能もあるらしいんですけど……
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 中身がからになった袋をいじりつつ。
 シルヴィカがそう、申し訳なさそうに答えると。
 少女は考え込んだあとに、もう一回うがいをしてから。
「でも、あるだけありがたいですよ」と笑った。
 それから二人はしばらくの間。
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 太陽が風車に呑まれそうになる頃、よくやく少女は作業を止めた。
 * * * * *
 そして日も暮れつつある頃。
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「発作はいつから続いていますか?」とか。
「現在使用している薬があれば持ってきてくれますか?」とか。
「以前に食べたり近づいたりして、体調を崩したものはありますか?」とか。
 そんなことを細かく訊くと、「じゃあこれで大丈夫そうですね」なんて言いつつ。
 昼間に使った薬を出しながら、「発作が起きたときはこれを使ってください」
 空気の通り道をリラックスさせる薬です。と伝えて。
 それに加えて、何やら葉巻のような見た目のものを取り出すと。
「こっちは毎日一回吸ってください」
 症状を制御する薬ですので。
 なんて説明をした。
 一ヶ月分の薬を並べたシルヴィカは、テニヤのほうへ向き直すと。
「一応、私が診れるのは今回だけですから……」
 症状が悪化したらすぐにこの薬はやめてくれて結構です。
 でも、その逆なら治まったと思っても続けてください。なんて人差し指を立てて。
 それにうなずきながら何やらメモをとったあと。
「これ、どういう病気なんですか?」と言ったテニヤに対し。
「病気じゃありませんよ」
 とシルヴィカは返して、それから。
 人には悪いものを弾く機能があるんですけど。
 それがたいして悪くもない特定の物質に、過剰反応する体質があるんです。
 それのせいで湿疹とか、呼吸困難とか、鼻水とか。
 そういう病気みたいな症状が出てくるんですよ。
 花粉症もそれの一種なんです。
 という解説を足すと、それを聴きつつテニヤは少し考え込み。
「まあ、その、治すというのは難しいですけど……」
 かといって軽視してはいけないものですから。
 命に関わるものですし、環境を変えるのが一番ですね。
 なんてシルヴィカが横から言うと。
 テニヤは「それは難しそうです」と小さく言って。
「納得のいくよう、ゆっくり考えてくださいね」とシルヴィカは返した。
 そんな言葉の効力はともかく。
 どうやらテニヤは何かとりあえずの結論が出たようで。
「とにかく、わたし足掻いてみます」なんてシルヴィカに言うと。
 彼女は「そうと決まったらご飯ですね」と、明るい声で言い出して。
 そのまま家の奥のほうへ向かっていった。
「何を手伝えば……」とシルヴィカが。
 マントを置いて髪をまとめ始めるが。
「なら座っててください」なんてじとりと見られ。
 そのままテニヤに台所を追い出されてしまったので。
 シルヴィカは大部屋の真ん中にある四角いテーブルの、席に座った。
 そこには花柄のテーブルクロスが敷かれていて。
 真ん中に置かれた燭台の小さな光が、あたりを橙に染める。
 物の少ないその部屋の、四角い窓を眺めると。
 外の風景の代わりに、シルヴィカの顔が映っていた。
 今回は祖母から学んだ薬を使えたし、ストックもあったから助けられた。
 でもこれが未知の病だったり、持ち合わせのない薬を要するものだったら。
 もし、そんな事態が起きて、また目の前で人が死んだら。
 ——自分は耐えられるのだろうか?
 シルヴィカはふと、そんな思考がよぎって。
 それを振り切るかのように、首を横に振ると。
 自分の頬を持ち上げて、無理矢理笑顔を作り出し。
 窓に映った自分も、間抜けな笑顔を向けていたが。
「あれ? 何やってるんですか?」なんて。
 テニヤの声が聞こえると。
 シルヴィカはすぐに、表情を戻し。
「え、笑顔の練習……?」と苦笑いをして。
 それに対してテニヤは、ぎこちなく愛想笑いをしていた。
 シルヴィカはテニヤと手分けして料理を置いていき。
 ピザや、色とりどりなサラダを眺めると。
「噂通りなんですねぇ」とふいに洩らして。
「……どんな噂なんですか?」
 とテニヤは訊いた。
 シルヴィカは少し恥ずかしそうに。
「実は、商人さんたちから聞くまで、この村のこと知らなくて……」
 なんて余計なことを言いながら、このキュエイマという村についての噂を語る。
 それは『この世のほとんどの植物が集まる村』だとか。
『それゆえに自然と腕利きの薬師が集まる村』だとか。
 そういうものであり、それを聴いたテニヤは。
「そう好評だと誇らしいです」と微笑む。
 彼女はピザに手をつけると。
 シルヴィカのほうを見やって。
「食べないんですか?」と言うので。
 シルヴィカは胸の前で組んだ指を解いてから。
「そういえば、この赤いものはなんですか?」なんて首をかしげる。
 するとテニヤは、ひとくちも食べていないピザを皿に置いてから。
「トマトですよ」
 近所の人がくれたんです。と言って。
 それに「へぇ、生なんて初めて……」とか言いながら、シルヴィカはピザを手に取り。
 ——すぐにまた皿へ戻した。
 シルヴィカはちらりと、テニヤのほうを向き。
 ニコニコとした彼女に対し、ぎこちなく。
「その、作って貰って悪いんですけど……」
 なんて言いながら、シルヴィカは席を立つと。
「今日中に、行かなきゃいけないところ、あるの思い出しちゃって……」なんて。
 荷物をまとめてマントを手に取り、玄関のほうへ小走りをする。
 それに対して一瞬目を見開いたテニヤは、シルヴィカの手を掴むと。
「もったいないし、せめて一口だけでもどうですか?」とぎこちなく微笑んで。
 その様子をシルヴィカは、ひどく悲しそうに見上げた。
「私は何も、知りませんから」
 そう言いながらシルヴィカは、テニヤの手をていねいに剥がすと。
「急いでるんで、もう行きますね?」と無理矢理笑い。
 玄関扉を開けると、テニヤのほうすら見ずに。
「……家業でも、やらなきゃいけないわけじゃないんですよ?」と言って。
 テニヤはそれに「わかってますよ」と返したのを聴くと。
 シルヴィカは、そのまま外へ駆けていった。
 * * * * *
 シルヴィカはときどき振り返りながら。
 真っ暗な平原を、ランタンも点けずに走って。
 そして、しばらくそれを続けると、ゆっくりと速度を落とし、止まって肩で息をした。
 シルヴィカは自分の手を、そっと顔に近づけると。
 それからまた、少しずつ足を動かし始め。
 一寸先すら見えないような、そんな暗闇の中を。
 シルヴィカは汗を拭いながら、ひたすらに進んでいく。
 その脳裏に浮かんでいたものは、キュエイマに関する噂であり。
 テニヤに対して言っていない内容のことだった。
『あの村は人体実験をしている』
『村原産の特殊な薬草を使って、旅人を捕らえている』
『村の薬が高額なのは、実験に人間を使う分高コストだからだ』
 商人たちがキュエイマについて語るとき、付け加えてくるそんな言説。
 そのほとんどが根も葉もない噂であり、面白半分で伝えられているのだろう。
 だが、あの家でピザを手に取ったとき。
 ——微かに逆明星の匂いがした。
 香り付けだったのだろうか。
 思い違いだったのだろうか。
 だが、どうしてもシルヴィカには。
 分厚い手袋をして扱うあの花が。
 食してはいけないものだとか。
『虫すら寄りつかない』ものに思えて。
 念には念を入れざるを得なかったのだ。
 やがてパタパタと降り始めた雨の中。
 シルヴィカがふと村のほうへ振り向いても。
 風車なんて全然見えやしなくて。
 あの花の匂いも、もうしなかった。