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#10

ー/ー



>>Towa

 アリサの案内で私達は地下保管庫へ続く搬入口までやってきた。幸運なことにもここには警備員の姿は見当たらず、監視カメラも設置されていないようだ。安全に進めるのはありがたいよね。イグナイトの予備はあるけど、なるべく温存したいところだし。
 搬入口から内部を覗くと通路が緩やかに地下へと続いているのが見えた。車両が直接保管庫にアクセスできるよう設計されてるのか、スロープはかなりなだらかに、でも延々と先まで伸びている。薄暗い中、C3による柔らかな光が間隔を置いて無機質な壁と床をぼんやりと照らしている。何かを隠すための場所にしては妙に整備が行き届いているような気がするけど、気のせい……?

「誰か来るかもしれないし、急ごうか」

 通路を覗きこんでいた私に声をかけ、アイリスが入り口を示した。

「アイリス。ブラスター、出しとく?」
「ううん、持ってない方が相手の油断を誘えると思うよ。向こうも、こっちが武器を持ってなければ撃ちにくいはずだし」
「豪胆ですね、管理官殿は」
「女の子に対して豪胆って評するのって、褒め言葉じゃないと思うけど?」

 軽口を交わしながら、私達はそっと通路に足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を刺し、地下の冷たさが体に伝わってくる。保管庫へ通じるこの通路には時折機械音が響いてくるだけで人の気配はないように思えた。

「アリサ、この通路、どれくらいの長さ?」
「そうですね……入り口の位置からして、500メートルはあると思います」
「けっこう遠い。途中で倒れそう」
「トワ、運動得意だったよね?最近軟弱になってない?」
「宇宙は体力が落ちる」
「はいはい」

 いや、疲れるというか単調な光景を見ながら歩くのに飽きたんだけどね。
 そんなやり取りをしながら、私達は足音だけが響く通路を進んでいった。周囲の静けさが逆に不安をかきたてる。もし突然どちらかから輸送車両がやってきたら、隠れる場所なんてない。壁や天井は一面冷たい金属とコンクリートで覆われていて、逃げ場も遮蔽物も存在しない。せめてもの救いは、車両の音でこちらが先に気づけるという事ぐらいかな。
 そういえばアイリスが気にしていたゲートが開かれたままだった理由については私も気になってたんだ。警戒を強めているはずなのに、どうして開けっぱなしだったんだろう。単なる怠慢なのかな?まぁ今は悩んでも仕方ないし、少しでも早く保管庫にたどり着くことが先決だよね。

 数分ほど歩いただろうか。通路の先に小さな搬入場が見えた。車が1、2台ようやく駐められるぐらいのスペースを無機質なコンクリートの壁が囲んでいるけど、天井も低めで圧迫感がある。通路と同じ薄暗いC3照明が空間を照らしているけど、どこかしら陰気な雰囲気を感じるし。
 壁際には「押収」された品が収納されていたとおぼしき梱包材やトランク、コンテナの残骸が乱雑に放置されてる。……もしかして、私達の荷物も開封されてる!?破壊されたコンテナが転がっているのをみて一瞬ドキッとしたけど、幸いにも別のコンテナみたいだった。
 ここにも監視カメラは設置されていないようだけど、位置的にすでにギルド伯の私邸の真下だからいつ巡回の警備員が現れるとも限らない。私達は壁沿いに身を潜め、奥にある扉へ慎重に歩を進める。

 と、その時。アリサが何かにつまずき、よろめいて近くに積まれていたコンテナの残骸を崩してしまった。金属が床にぶつかる甲高い音が静かな地下に響き渡る。

「……!!」

 金属が床に当たる音が静寂に包まれていた地下に、驚くほど大きく響き渡った。アリサは口を押さえ、こぼれそうになる悲鳴を必死に抑えている。私はアイリスの指示を忘れ、咄嗟にブラスターを構えてアリサを背後にかばった。アイリスとウォルターさんも動きを止め、周囲を警戒する態勢に入った。


 ……しばらくしても何の反応もない。
 だけど、通路の向こうで微かな空気が揺れたようにも感じる。ただの気のせい?でも、神経が研ぎ澄まされているせいか、一瞬それが誰かの気配のように思えた。緊張がピークに達し、耳の奥がじんじんしてきた。

 しかし、数秒、数十秒と時間が過ぎても、周囲は相変わらずの静寂に包まれている。大丈夫そうだ。ようやく私達はほっと息をついた。

「ごめんなさい……私……!」

 アリサが蒼白な顔で頭を下げたけぉ、彼女の手は震えていた。私は彼女の手を握り、声を掛ける。

「何もなかった。大丈夫」
「こちらこそごめんね、アリサ。あなたのことを気遣えなかった私達の責任だよ。怪我、してない?」

 アイリスもアリサに優しく声をかける。ウォルターさんも軽く頷いて続ける。

「保管庫の中なら身を隠す場所もあるでしょう。私達が周りを調べている間、少し休んでいてください」
「ありがとう……ございます……」

 誰もアリサを責める様子はない。もちろん、何もなかったからじゃない。皆が心の底からアリサを気遣っているからだ。彼女に私達のその想いがちゃんと伝わっていればいいんだけど。


>>Iris

 一瞬ひやっとした場面はあったけど、無事に地下保管庫へ侵入することができた。しかし、ベルンハルトの地下保管庫にはなぜかモニタリングの気配がなかった。アリサにも確認したけど、彼女もこの部屋についてはモニタリングされていると聞いた事はないとの答えが返ってくる。
 しかしギルド伯の私邸、しかも地下に広がる保管庫という場所を考えれば、監視カメラやセンサーがあってもおかしくないはずなんだけど……。

 ただ、モニタリングが行われていない理由として考えられる理由もないではない。まずここがベルンハルトの「私的コレクション」を保管している場所だということ。彼が自らのプライベート空間を守るために監視を避けている可能性はあるだろう。
 もう一つ可能性があるとすれば、この場所がかつて迎賓館として使われていた頃の「脱出経路」だったという側面も影響しているかもしれない。
 この地下保管庫はベルンハルトにとっては万一の場合の逃げ道としても想定されているはず。だからこそ、監視カメラの類いで外部に居場所を知られるような設備を設置していない可能性が考えられるわけだ。いざというときに、誰にも気づかれずに密かに脱出できるように。伝え聞くベルンハルトの性格を考慮すると、ここに監視がない理由はそういった類いのものなのだろう。
 そんなことを考えながら保管庫の扉を開く。大きな金属製の扉は施錠されておらず、微かな軋み音とともに開いた。

「これは……壮観ですね」
「綺麗だけど、綺麗じゃない」

 保管庫の中を一瞥したウォルターさんとトワはそれぞれの感想を口にした。保管庫内は想像していたよりも広々としており、簡易的なパーティションでいくつかの区画に分かたれているようだ。正面には高級な装飾品や異星の珍品が整然と並べられたエリアが見える。
 一見すると豪華で華やかなそれらは、ベルンハルトが星内や税関で不正に横領していた品々なのだろう。私にはそれが、彼が愚かにも自らの罪を展示しているようにしか見えなかった。

 入り口の脇には乱雑にコンテナが積まれた区画があり、見る限りだと到着したばかりで整理されていない物品が置かれているようだった。ちらりと確認したところ、私達の荷物もそこにあった。ギルドの封印がそのままなので、どうやら未開封のまま放置されているらしいことがわかり、ひとまず安心した。中身を見られると騒ぎになるだろうからね。

「アイリス。このままでいい?」
「うん。今はまだこのままにしておこう」

 トワがコンテナを回収するかと聞いてきたけど、私達は徒歩だし今回の目的はあくまでもアリサの母親の絵だ。コンテナは大きくてかさばるから隠し持つことなんてできないし、このコンテナを正々堂々と持ち出せるようにするためにも、優先順位はしっかりと守らないとね。

 周囲の様子を伺いながら慎重に奥へ進むと、美術品がずらりと展示されたエリアが見えた。薄暗い照明の下、古代の絵画や彫刻が整然と並び、その中には空になったスペースもいくつか見受けられた。何かを展示する予定のスペースなのか、それとも既に売り払われたか処分された美術品があるんだろうか?

 そしてその展示エリアの奥に、ひっそりと隠れるように設けられているエレベータの扉を発見した。おそらくこれはベルンハルトの私室と直結している「危険な扉」だろう。ここからの奇襲には備えないといけないから、私はウォルターさんが持っていたツールキットを借りて手早く仕掛けを施すことにした。

 トワの持っていた予備のイグナイトを白、つまり閃光手榴弾(フラッシュバン)に設定変更してもらう。そしてエレベータの扉が開いた瞬間にスイッチが入り、5秒後……丁度扉が開ききって誰か……というかベルンハルトが保管庫に足を踏み入れるそのタイミングで炸裂するように細工した。
 簡単な罠だけど、これがあればエレベータ側からの急襲に備えることが出来るし、撤退する際の時間稼ぎにもなるだろう。今回トワが用意してくれたイグナイトを使い切ってしまうけど、保険として使うなら十分だし、仮に今回使わなくても……いずれベルンハルトに手痛いお仕置きを与える仕掛けにはなるだろうからね。
 それにしてもウォルターさん、こんな状況を想定してツールキットまで持っていたなんて、さすがに準備がいい。……ただ、そのせいでアリサを抱えて走るのが大変だったろうけど。

「……絵画は、あの奥みたいです……」

 アリサが指さす方向にある絵画のエリアは特に広く、相当数の絵画が展示されているようだ。ちらりと見ただけでも名画が展示されているのがわかる。時間があるならゆっくりと観覧したいところだけど、今はそんな余裕はないのが残念だ。まずはアリサの母、マリエルさんの絵を探さないと。
 でも私もトワも、スケッチを少し見ただけなのでどの肖像が正解なのかいまいち自信が持てない。見落としがあってはいけないのでここはアリサとマリエルさんの知己であるウォルターさんに任せ、私はトワの助けを借りて横領品を証拠物件として確保する準備を整えることにした。
 フォトンタブ(携帯情報端末)写真(ホロ)を撮って目録を作成しておけば、いずれベルンハルトの横領を裏付ける証拠として使えるだろうからね。


 一通り証拠集めを終えて絵画エリアに戻り、アリサと合流する。彼女が言うにはこの展示場にはベルンハルトが権力を掌握する前に行方が判らなくなった絵画も複数展示されていたらしい。それはつまり、シノノメ支部長が追求していたベルンハルトの不正や横領というのが事実だったという証だ。
 それにしてもアリサ、ざっと見ただけで絵の来歴までわかるとは……かなりの鑑定眼だ。いや、アリサの実家であるシノノメ家はペレジスでも有数の名家らしいし、本来アリサは上流階級のお嬢様のはず。なら芸術に詳しいのも当然と言えば当然か。
 そんなことを考えながら奥に視線をやるとウォルターさんがさらに奥まった展示スペースに入って行くのが見えた。気になって彼の方へ近づいたとき、かすかな呟きが耳に届く。

「……マリエル」

 どうやら彼は、「想い人」と再会できたようだ。

 絵が見つかったことに気付いたアリサも加わり、私達は件の絵の前に集まって改めてその肖像画を観察した。確かに肖像画に描かれた女性はアリサによく似ていた。彼女が感情を取り戻し、そしてもう少し年を重ねればこうなるのだろうと思えるような、柔らかく微笑むとても綺麗な女性の姿がそこにあった。

 ウォルターさんの目はまるで遠くを見るように、絵画の中の女性に注がれていた。そう、長い年月を超えてその人に語りかけているかのように。

「彼女は……私の初恋の人だったんです」

 不意にそんな言葉がウォルターさんの口から漏れ、アリサも私も息を呑んだ。ウォルターさんは言葉を選びながら、まるで思い出を一つ一つをかみしめるように話し続けた。

「私とマリエルはこの星で生まれた幼馴染みでした。彼女は名家のお嬢様で、私はしがないギルド職員の息子でしたが、スクールの同級生で家が近いこともあってよく一緒に星を見上げて未来を語ったことを覚えています。ですが成人した後、監察官の資格を取った私は広域支部のあるヘリオスへの転属が命じられました。そして……私達の刻は引き裂かれてしまった。同じ時を共に生きることは、叶わなくなった」

 ウォルターさんの声には、痛ましいほどの静かな苦悩が滲んでいた。私もトワも、そしてアリサも彼の言葉を黙って聞くことしか出来ない。

「私は彼女に、自分がいなくても幸せに暮らせるように素晴らしい伴侶を見つけてほしいと願い、私はこの星を去りました。無念でしたが、ギルドの一員としてそれ以外の選択肢は無かったのです」

 彼は一瞬、言葉を切って深く息をついた。その表情は深い想いに彩られていたけど、彼の視線はずっとマリエルさんの肖像に向けられている。

「今回の任務に私が志願したのは彼女の足跡を探すためでもあったのです。マリエルがシノノメ支部長と結ばれたことは風の便りで聞いていましたが、彼女がそのことで幸せになれたのか、それとも辛い思いをさせてしまっていたのか……ずっと知りたかった」

 ウォルターさんの瞳が柔らかく揺れた。

「アリサさん、私はあなたの存在を知らなかった。けれど、こうして出会えたことに感謝しています」

 彼の声が少しだけ詰まった。アリサのこれまでの人生、その苦しみと孤独を知った彼は――。

「あなたのこれまでの苦難を、私がすべて理解できるとは思わない。けれど、せめて今からでも……できる限り支えさせてほしい。マリエルが遺したあなたに、私が寄り添うことを許して貰えるのなら」

 ウォルターさんの言葉を聞きながら、アリサはゆっくりと涙を流し、やがて小さくうなずいた。そんなアリサを見つめるウォルターさんの目には恋愛感情のようなものは浮かんでいない。むしろその視線には、守りたいという静かな決意が込められている。それは……父さんがトワに対して見せていた、無償の父性愛の様なものであるように、私には思えた。

 彼にとって、アリサは初恋の相手だったマリエルさんへの贖罪の象徴なのだろう。 同じ刻を生きられなかった過去への悔いと、それでも今できる限りのことをして報いたいという願い。 ウォルターさんはその想いを抱えて、これからもアリサを支えていくのだと、私は思った。


>>Towa

 ウォルターさんがアリサのお母さんの幼馴染みで元恋人?あまりの展開に頭が追いつかない。だけど、アリサを見るウォルターさんの目は真剣で真摯なものだ。彼ならアリサの事を守ってくれるんだと、素直に思えた。
 アリサは私の事を救いの手と言ったけど、やっぱり私は単なる切っ掛けでしかなくて、本当にアリサを助けてくれるのはアイリスやウォルターさんだよ。それに、私もアイリスも、この件が片付けばこの星を離れる。ずっとアリサの傍らで支えてくれるであろう、ウォルターさんの存在はアリサにとって何よりの救いになると思った。

 ……あ、そういえばこの絵を調べるないといけないんじゃなかったっけ?アイリスに目で訴えかけると、軽く頷いてウォルターさんに声を掛けた。

「ウォルターさん、この絵を外しても?」
「あ、ああ……すみません。お恥ずかしいところをお見せしました。任務に戻らねば」

 いつものウォルターさんに戻ったようにも見えるけど、心なしかまだ動揺しているのようにも見える。まあ、あんな告白をした後じゃしかたないだろうけど。私から見るとウォルターさんはおじさんだけど、少し動揺したように見える姿にちょっと可愛いところがあるな、と思った。
 私がそんなことを考えている間にもウォルターさんは慎重に肖像画を壁から外し、裏側を調べ始めた。もしここに「証拠」がなければ手詰まりになる。シノノメさん、信じてるからね……?

 私も取り外された額縁を見てみたけど、ぱっと見では不審な点はないし、どこにも「証拠」らしいものが見当たらなかった。だけど、ウォルターさんは額縁の厚みに違和感を感じたようだ。

「思ったよりも厚みがありますね」
「……そういう場合、よくある手は……」
「はい、裏板を外してみましょうか」

 アイリスとウォルターさんが当たり前のように頷き合っている。えっ、ちょっと待って?証拠の隠し方に「定番」なんてあるの?誰が何のためにそんなに頻繁に何かを隠しているんだろう。私が驚いている間に、ウォルターさんは手慣れた様子で額縁の裏板を外し始めた。
 ずいぶんと手際がいいけど、監察官ってこんなことを日常的にしているんだろうか。いや、監察官のウォルターさんはまだ判るけど、どうして私の姉がそんな事に手慣れてるの?少なくとも故郷ではそんな場面に出会ったことは一度も無かったはずだけど。

「……やはり、ここだったね」
「ええ、当たりのようです」

 二人が確信に満ちた声で言うので、私とアリサも慌てて覗き込む。裏板と絵の間に、切り欠きが施された厚めの台紙が挟まっていて、台紙の切り取られた部分に小さな手帳がすっぽりと収められていた。

「これは……父が愛用していた、手帳です。いつも肌身離さず持っていたのに、なぜここに……?」

 アリサの呟きこそが、手帳がここに隠されていた理由なんだと私は思った。この手帳はずっとベルンハルトの近くにあった。それも、彼が愛でていた美術品の中に。まったく皮肉な話だよね、自分を裁く鍵を抱えていたなんて。ベルンハルトがこれを知ったら、どんな顔をするだろう。
 そんなシーンに出くわすことが出来たら、シノノメ支部長にもそのベルンハルトの顔を報告してあげたいと思った。時間は掛かったかもしれないけど、あなたの策はちゃんと成功したんだよ……って。

 アリサは手帳を取り出し、まるで大切な思い出を抱くように表紙をそっと撫でている。ずっと探していた母と父の痕跡に触れたことで、彼女の瞳にはほんの少し光が戻っているような気がする。
 アリサは深呼吸をしてから静かにページをめくり始めた。私達も息を潜めてアリサの手元を見つめる。古びたページに現れた文字の断片に、みんなの視線が吸い寄せられる。
 ベルンハルトの名前と共に書かれた日付や短いメモ。それらが無造作に走り書きされているけど……正直、読めば読むほど私は違和感を覚えた。

『──「新たな資材流用」の話、彼(ベルンハルト)が主導』
『不明瞭な資金の流れ……どこへ?』
『証拠……ステーション倉庫のB区画、輸送管理の記録?』

 ほとんどのページは簡潔なメモで埋められているけれど、いくつか特定の場所や書類を示唆するような断片的な記述も混じってる。けれどそれらはどれもあくまでも手がかりのように曖昧で、これだけでは確証にはならない……そう、決定力とかいうものに欠けてるように思えたんだ。
 もしかしたらこれを読んだ人間がさらに追跡調査することを前提にしてるのかな? これまでに触れたシノノメ支部長の慎重で思慮深い性格を考えると、そんな仕掛けになっているんだろうと思えた。
 アリサがページをめくると、次々と短いメモが目に入る。

『ギルドを裏切る背信行為……統括局への報告は不可(自力で解決するしかない?)』
『備えとして、旧ギルド保管庫へ』
『評議員D、H、Mは信用できない』
『クジョウも向こう側?いやむしろ彼が』
『アリサを、必ず守ること(※最重要)』

 最後のページに書かれた「アリサを守る」という言葉が胸に刺さる。シノノメ支部長は、もし自分が倒れたとき、この手帳がアリサを守る道標になることを望んでいたんだろうか。それとも、彼は自らの命を賭してでもアリサのことを守りたかったんだろうか。
 どちらにしても……シノノメ支部長がどれほどアリサを愛していたかなんて、疑う余地もない。

「お父様……」

 ――そして、その愛情がアリサに伝わっていることも。

 さて、問題はこの手帳だよね。このままではあまりにも断片的すぎるから決定的な証拠にならないのは素人の私にだって判る。ベルンハルトにこれを突きつけても言い逃れをされる可能性は高いだろうね。なら、この手帳が示すものを追えば、もしかしたらより詳しい証拠が手に入るかも……?
 そう思ってアイリスの方を見ると、何故かアイリスは手帳をじっと見つめたまま考え込んでいた。断片的な記述の中から何かを読み取ってる?もしかしたら、私が気付かないだけでこれは暗号になってるとか?慎重なシノノメ支部長のことだから、ありえない話じゃないけど。

「アイリス?」

 邪魔をしちゃいけないと思いながらもつい声を掛けてしまった。はっとした様子のアイリスはアイリスは小さく首を振った後、何かを決意したような目で私を見返してきた。

「……大丈夫。これで大丈夫」

 その一言に、私は希望と共に若干の違和感を感じた。これで、大丈夫?この手帳は「完璧な証拠」には程遠いのに?
 私達は今、ベルンハルトを追い詰めるための断片を手にしているのは確かなんだけど……。もう少し手帳を調べないと、と思っていたその時だ。遠くから低く唸るようなフォトンドライブの音が聞こえてきたのは。
 ――地下通路の方から、車両が近づいてくる!

「……車が来る」

 私があげた警告の声に、3人は慌てた様に入り口の方へ視線を送る。アイリスとウォルターさんはややや不審げな表情で。アリサははっとした表情で。

「何も聞こえないけど……トワが言うなら間違いないよ。取りあえず、あそこのコンテの影へ移動しよう」
「手帳はアリサさんに、絵は私が!」

 アイリスの鋭い指示にウォルターさんが小声で答え、私達は入り口の近くまで移動して壁際に乱雑に積まれたコンテナの影に身を潜めることにした。完全に身を隠せるわけではないけど、今はここしかない。暗がりに身を潜め、息を殺して耳を澄ます。


 フォトンドライブの駆動音が停止し、やがてビークルのドアが開く重い音が響いた。私達は息を潜め、音の主の様子を確認しようと保管庫の外に注意を向ける。

「……い、このコ……テナ……くず……」

 聞こえてきた声はぼそぼそと断片的だったが、すぐに緊張が背中を走った。今の言葉、男たちはどうやら侵入の痕跡を見つけたってことだよね?アイリスの方を見るが、まだ何も気付いていないように見える。……そうか、今の声が聞き取れなかったんだね。
 聞こえた内容をアイリスに伝えるか迷っているうちに保管庫の扉が静かに開き、ブラスターを構えた警備兵らしき3人が慎重に左右の様子を伺いながらゆっくりと保管庫に入ってきた。視線を巡らせ、辺りの異常を見逃すまいとしている。私達にはまだ気づいていないけど……その手際の良さから、彼らがただの警備兵以上に厄介な相手なんじゃないかと感じた。

「……人の気配は無さそうだが……一応、警戒しておけよ。あのコンテナが崩れてたのは偶然かもしれねぇが、万が一の可能性もある」

 その言葉で私は気がついた。さっき断片的に聞こえたのは保管庫に入る前にアリサが崩してしまった廃コンテナの山、あれに気づかれたってことだったんだ。

「オレは雑に積んであったモノが勝手に崩れただけと思うがねぇ?まぁ警戒しすぎる方が長生きできるのは事実だがよ」

 もう1人の警備兵は軽口を叩きつつも、その視線は周囲をしっかりと捉えている。冗談を言っているようで、警戒は怠っていない。面倒な相手のようだ。

「昨日街で騒ぎを起こしたヤツがいたって聞いたっすけど、その連中っすかね?」
「バカ言え、そんなチンピラが伯爵様の美術品を狙って来るかよ」
「まぁ……でも美術品が無くなってたら、伯爵様がキレるのは確かだな」

 敵が徐々に警戒を高めているのがわかる。気を抜いている風を装いつつも、彼らの目は保管庫内を鋭く見回している。逃げ場はどんどん狭まっていくように感じる。いや、実際に彼らが探索範囲を広げるごとに私達が見つかる可能性は――。

「よし、俺たちは奥を見てくる。新入り、お前はここで入口を見張っとけ」
「うっす」

 二人が奥の美術品エリアへと向かい、扉の前には新入りと呼ばれた一人が立って、入り口を見張り始めた。出入口を押さえられている状況だと、いずれ袋のネズミになるよね?
 ここにいると私達の存在が完全に露見してしまう。この状況をどう切り抜けるか、頭の中で次々と策を巡らせるけど、考えがまとまらない。どうしよう。どうしたらいいの?




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>>Towa
 アリサの案内で私達は地下保管庫へ続く搬入口までやってきた。幸運なことにもここには警備員の姿は見当たらず、監視カメラも設置されていないようだ。安全に進めるのはありがたいよね。イグナイトの予備はあるけど、なるべく温存したいところだし。
 搬入口から内部を覗くと通路が緩やかに地下へと続いているのが見えた。車両が直接保管庫にアクセスできるよう設計されてるのか、スロープはかなりなだらかに、でも延々と先まで伸びている。薄暗い中、C3による柔らかな光が間隔を置いて無機質な壁と床をぼんやりと照らしている。何かを隠すための場所にしては妙に整備が行き届いているような気がするけど、気のせい……?
「誰か来るかもしれないし、急ごうか」
 通路を覗きこんでいた私に声をかけ、アイリスが入り口を示した。
「アイリス。ブラスター、出しとく?」
「ううん、持ってない方が相手の油断を誘えると思うよ。向こうも、こっちが武器を持ってなければ撃ちにくいはずだし」
「豪胆ですね、管理官殿は」
「女の子に対して豪胆って評するのって、褒め言葉じゃないと思うけど?」
 軽口を交わしながら、私達はそっと通路に足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を刺し、地下の冷たさが体に伝わってくる。保管庫へ通じるこの通路には時折機械音が響いてくるだけで人の気配はないように思えた。
「アリサ、この通路、どれくらいの長さ?」
「そうですね……入り口の位置からして、500メートルはあると思います」
「けっこう遠い。途中で倒れそう」
「トワ、運動得意だったよね?最近軟弱になってない?」
「宇宙は体力が落ちる」
「はいはい」
 いや、疲れるというか単調な光景を見ながら歩くのに飽きたんだけどね。
 そんなやり取りをしながら、私達は足音だけが響く通路を進んでいった。周囲の静けさが逆に不安をかきたてる。もし突然どちらかから輸送車両がやってきたら、隠れる場所なんてない。壁や天井は一面冷たい金属とコンクリートで覆われていて、逃げ場も遮蔽物も存在しない。せめてもの救いは、車両の音でこちらが先に気づけるという事ぐらいかな。
 そういえばアイリスが気にしていたゲートが開かれたままだった理由については私も気になってたんだ。警戒を強めているはずなのに、どうして開けっぱなしだったんだろう。単なる怠慢なのかな?まぁ今は悩んでも仕方ないし、少しでも早く保管庫にたどり着くことが先決だよね。
 数分ほど歩いただろうか。通路の先に小さな搬入場が見えた。車が1、2台ようやく駐められるぐらいのスペースを無機質なコンクリートの壁が囲んでいるけど、天井も低めで圧迫感がある。通路と同じ薄暗いC3照明が空間を照らしているけど、どこかしら陰気な雰囲気を感じるし。
 壁際には「押収」された品が収納されていたとおぼしき梱包材やトランク、コンテナの残骸が乱雑に放置されてる。……もしかして、私達の荷物も開封されてる!?破壊されたコンテナが転がっているのをみて一瞬ドキッとしたけど、幸いにも別のコンテナみたいだった。
 ここにも監視カメラは設置されていないようだけど、位置的にすでにギルド伯の私邸の真下だからいつ巡回の警備員が現れるとも限らない。私達は壁沿いに身を潜め、奥にある扉へ慎重に歩を進める。
 と、その時。アリサが何かにつまずき、よろめいて近くに積まれていたコンテナの残骸を崩してしまった。金属が床にぶつかる甲高い音が静かな地下に響き渡る。
「……!!」
 金属が床に当たる音が静寂に包まれていた地下に、驚くほど大きく響き渡った。アリサは口を押さえ、こぼれそうになる悲鳴を必死に抑えている。私はアイリスの指示を忘れ、咄嗟にブラスターを構えてアリサを背後にかばった。アイリスとウォルターさんも動きを止め、周囲を警戒する態勢に入った。
 ……しばらくしても何の反応もない。
 だけど、通路の向こうで微かな空気が揺れたようにも感じる。ただの気のせい?でも、神経が研ぎ澄まされているせいか、一瞬それが誰かの気配のように思えた。緊張がピークに達し、耳の奥がじんじんしてきた。
 しかし、数秒、数十秒と時間が過ぎても、周囲は相変わらずの静寂に包まれている。大丈夫そうだ。ようやく私達はほっと息をついた。
「ごめんなさい……私……!」
 アリサが蒼白な顔で頭を下げたけぉ、彼女の手は震えていた。私は彼女の手を握り、声を掛ける。
「何もなかった。大丈夫」
「こちらこそごめんね、アリサ。あなたのことを気遣えなかった私達の責任だよ。怪我、してない?」
 アイリスもアリサに優しく声をかける。ウォルターさんも軽く頷いて続ける。
「保管庫の中なら身を隠す場所もあるでしょう。私達が周りを調べている間、少し休んでいてください」
「ありがとう……ございます……」
 誰もアリサを責める様子はない。もちろん、何もなかったからじゃない。皆が心の底からアリサを気遣っているからだ。彼女に私達のその想いがちゃんと伝わっていればいいんだけど。
>>Iris
 一瞬ひやっとした場面はあったけど、無事に地下保管庫へ侵入することができた。しかし、ベルンハルトの地下保管庫にはなぜかモニタリングの気配がなかった。アリサにも確認したけど、彼女もこの部屋についてはモニタリングされていると聞いた事はないとの答えが返ってくる。
 しかしギルド伯の私邸、しかも地下に広がる保管庫という場所を考えれば、監視カメラやセンサーがあってもおかしくないはずなんだけど……。
 ただ、モニタリングが行われていない理由として考えられる理由もないではない。まずここがベルンハルトの「私的コレクション」を保管している場所だということ。彼が自らのプライベート空間を守るために監視を避けている可能性はあるだろう。
 もう一つ可能性があるとすれば、この場所がかつて迎賓館として使われていた頃の「脱出経路」だったという側面も影響しているかもしれない。
 この地下保管庫はベルンハルトにとっては万一の場合の逃げ道としても想定されているはず。だからこそ、監視カメラの類いで外部に居場所を知られるような設備を設置していない可能性が考えられるわけだ。いざというときに、誰にも気づかれずに密かに脱出できるように。伝え聞くベルンハルトの性格を考慮すると、ここに監視がない理由はそういった類いのものなのだろう。
 そんなことを考えながら保管庫の扉を開く。大きな金属製の扉は施錠されておらず、微かな軋み音とともに開いた。
「これは……壮観ですね」
「綺麗だけど、綺麗じゃない」
 保管庫の中を一瞥したウォルターさんとトワはそれぞれの感想を口にした。保管庫内は想像していたよりも広々としており、簡易的なパーティションでいくつかの区画に分かたれているようだ。正面には高級な装飾品や異星の珍品が整然と並べられたエリアが見える。
 一見すると豪華で華やかなそれらは、ベルンハルトが星内や税関で不正に横領していた品々なのだろう。私にはそれが、彼が愚かにも自らの罪を展示しているようにしか見えなかった。
 入り口の脇には乱雑にコンテナが積まれた区画があり、見る限りだと到着したばかりで整理されていない物品が置かれているようだった。ちらりと確認したところ、私達の荷物もそこにあった。ギルドの封印がそのままなので、どうやら未開封のまま放置されているらしいことがわかり、ひとまず安心した。中身を見られると騒ぎになるだろうからね。
「アイリス。このままでいい?」
「うん。今はまだこのままにしておこう」
 トワがコンテナを回収するかと聞いてきたけど、私達は徒歩だし今回の目的はあくまでもアリサの母親の絵だ。コンテナは大きくてかさばるから隠し持つことなんてできないし、このコンテナを正々堂々と持ち出せるようにするためにも、優先順位はしっかりと守らないとね。
 周囲の様子を伺いながら慎重に奥へ進むと、美術品がずらりと展示されたエリアが見えた。薄暗い照明の下、古代の絵画や彫刻が整然と並び、その中には空になったスペースもいくつか見受けられた。何かを展示する予定のスペースなのか、それとも既に売り払われたか処分された美術品があるんだろうか?
 そしてその展示エリアの奥に、ひっそりと隠れるように設けられているエレベータの扉を発見した。おそらくこれはベルンハルトの私室と直結している「危険な扉」だろう。ここからの奇襲には備えないといけないから、私はウォルターさんが持っていたツールキットを借りて手早く仕掛けを施すことにした。
 トワの持っていた予備のイグナイトを白、つまり|閃光手榴弾《フラッシュバン》に設定変更してもらう。そしてエレベータの扉が開いた瞬間にスイッチが入り、5秒後……丁度扉が開ききって誰か……というかベルンハルトが保管庫に足を踏み入れるそのタイミングで炸裂するように細工した。
 簡単な罠だけど、これがあればエレベータ側からの急襲に備えることが出来るし、撤退する際の時間稼ぎにもなるだろう。今回トワが用意してくれたイグナイトを使い切ってしまうけど、保険として使うなら十分だし、仮に今回使わなくても……いずれベルンハルトに手痛いお仕置きを与える仕掛けにはなるだろうからね。
 それにしてもウォルターさん、こんな状況を想定してツールキットまで持っていたなんて、さすがに準備がいい。……ただ、そのせいでアリサを抱えて走るのが大変だったろうけど。
「……絵画は、あの奥みたいです……」
 アリサが指さす方向にある絵画のエリアは特に広く、相当数の絵画が展示されているようだ。ちらりと見ただけでも名画が展示されているのがわかる。時間があるならゆっくりと観覧したいところだけど、今はそんな余裕はないのが残念だ。まずはアリサの母、マリエルさんの絵を探さないと。
 でも私もトワも、スケッチを少し見ただけなのでどの肖像が正解なのかいまいち自信が持てない。見落としがあってはいけないのでここはアリサとマリエルさんの知己であるウォルターさんに任せ、私はトワの助けを借りて横領品を証拠物件として確保する準備を整えることにした。
 |フォトンタブ《携帯情報端末》で|写真《ホロ》を撮って目録を作成しておけば、いずれベルンハルトの横領を裏付ける証拠として使えるだろうからね。
 一通り証拠集めを終えて絵画エリアに戻り、アリサと合流する。彼女が言うにはこの展示場にはベルンハルトが権力を掌握する前に行方が判らなくなった絵画も複数展示されていたらしい。それはつまり、シノノメ支部長が追求していたベルンハルトの不正や横領というのが事実だったという証だ。
 それにしてもアリサ、ざっと見ただけで絵の来歴までわかるとは……かなりの鑑定眼だ。いや、アリサの実家であるシノノメ家はペレジスでも有数の名家らしいし、本来アリサは上流階級のお嬢様のはず。なら芸術に詳しいのも当然と言えば当然か。
 そんなことを考えながら奥に視線をやるとウォルターさんがさらに奥まった展示スペースに入って行くのが見えた。気になって彼の方へ近づいたとき、かすかな呟きが耳に届く。
「……マリエル」
 どうやら彼は、「想い人」と再会できたようだ。
 絵が見つかったことに気付いたアリサも加わり、私達は件の絵の前に集まって改めてその肖像画を観察した。確かに肖像画に描かれた女性はアリサによく似ていた。彼女が感情を取り戻し、そしてもう少し年を重ねればこうなるのだろうと思えるような、柔らかく微笑むとても綺麗な女性の姿がそこにあった。
 ウォルターさんの目はまるで遠くを見るように、絵画の中の女性に注がれていた。そう、長い年月を超えてその人に語りかけているかのように。
「彼女は……私の初恋の人だったんです」
 不意にそんな言葉がウォルターさんの口から漏れ、アリサも私も息を呑んだ。ウォルターさんは言葉を選びながら、まるで思い出を一つ一つをかみしめるように話し続けた。
「私とマリエルはこの星で生まれた幼馴染みでした。彼女は名家のお嬢様で、私はしがないギルド職員の息子でしたが、スクールの同級生で家が近いこともあってよく一緒に星を見上げて未来を語ったことを覚えています。ですが成人した後、監察官の資格を取った私は広域支部のあるヘリオスへの転属が命じられました。そして……私達の刻は引き裂かれてしまった。同じ時を共に生きることは、叶わなくなった」
 ウォルターさんの声には、痛ましいほどの静かな苦悩が滲んでいた。私もトワも、そしてアリサも彼の言葉を黙って聞くことしか出来ない。
「私は彼女に、自分がいなくても幸せに暮らせるように素晴らしい伴侶を見つけてほしいと願い、私はこの星を去りました。無念でしたが、ギルドの一員としてそれ以外の選択肢は無かったのです」
 彼は一瞬、言葉を切って深く息をついた。その表情は深い想いに彩られていたけど、彼の視線はずっとマリエルさんの肖像に向けられている。
「今回の任務に私が志願したのは彼女の足跡を探すためでもあったのです。マリエルがシノノメ支部長と結ばれたことは風の便りで聞いていましたが、彼女がそのことで幸せになれたのか、それとも辛い思いをさせてしまっていたのか……ずっと知りたかった」
 ウォルターさんの瞳が柔らかく揺れた。
「アリサさん、私はあなたの存在を知らなかった。けれど、こうして出会えたことに感謝しています」
 彼の声が少しだけ詰まった。アリサのこれまでの人生、その苦しみと孤独を知った彼は――。
「あなたのこれまでの苦難を、私がすべて理解できるとは思わない。けれど、せめて今からでも……できる限り支えさせてほしい。マリエルが遺したあなたに、私が寄り添うことを許して貰えるのなら」
 ウォルターさんの言葉を聞きながら、アリサはゆっくりと涙を流し、やがて小さくうなずいた。そんなアリサを見つめるウォルターさんの目には恋愛感情のようなものは浮かんでいない。むしろその視線には、守りたいという静かな決意が込められている。それは……父さんがトワに対して見せていた、無償の父性愛の様なものであるように、私には思えた。
 彼にとって、アリサは初恋の相手だったマリエルさんへの贖罪の象徴なのだろう。 同じ刻を生きられなかった過去への悔いと、それでも今できる限りのことをして報いたいという願い。 ウォルターさんはその想いを抱えて、これからもアリサを支えていくのだと、私は思った。
>>Towa
 ウォルターさんがアリサのお母さんの幼馴染みで元恋人?あまりの展開に頭が追いつかない。だけど、アリサを見るウォルターさんの目は真剣で真摯なものだ。彼ならアリサの事を守ってくれるんだと、素直に思えた。
 アリサは私の事を救いの手と言ったけど、やっぱり私は単なる切っ掛けでしかなくて、本当にアリサを助けてくれるのはアイリスやウォルターさんだよ。それに、私もアイリスも、この件が片付けばこの星を離れる。ずっとアリサの傍らで支えてくれるであろう、ウォルターさんの存在はアリサにとって何よりの救いになると思った。
 ……あ、そういえばこの絵を調べるないといけないんじゃなかったっけ?アイリスに目で訴えかけると、軽く頷いてウォルターさんに声を掛けた。
「ウォルターさん、この絵を外しても?」
「あ、ああ……すみません。お恥ずかしいところをお見せしました。任務に戻らねば」
 いつものウォルターさんに戻ったようにも見えるけど、心なしかまだ動揺しているのようにも見える。まあ、あんな告白をした後じゃしかたないだろうけど。私から見るとウォルターさんはおじさんだけど、少し動揺したように見える姿にちょっと可愛いところがあるな、と思った。
 私がそんなことを考えている間にもウォルターさんは慎重に肖像画を壁から外し、裏側を調べ始めた。もしここに「証拠」がなければ手詰まりになる。シノノメさん、信じてるからね……?
 私も取り外された額縁を見てみたけど、ぱっと見では不審な点はないし、どこにも「証拠」らしいものが見当たらなかった。だけど、ウォルターさんは額縁の厚みに違和感を感じたようだ。
「思ったよりも厚みがありますね」
「……そういう場合、よくある手は……」
「はい、裏板を外してみましょうか」
 アイリスとウォルターさんが当たり前のように頷き合っている。えっ、ちょっと待って?証拠の隠し方に「定番」なんてあるの?誰が何のためにそんなに頻繁に何かを隠しているんだろう。私が驚いている間に、ウォルターさんは手慣れた様子で額縁の裏板を外し始めた。
 ずいぶんと手際がいいけど、監察官ってこんなことを日常的にしているんだろうか。いや、監察官のウォルターさんはまだ判るけど、どうして私の姉がそんな事に手慣れてるの?少なくとも故郷ではそんな場面に出会ったことは一度も無かったはずだけど。
「……やはり、ここだったね」
「ええ、当たりのようです」
 二人が確信に満ちた声で言うので、私とアリサも慌てて覗き込む。裏板と絵の間に、切り欠きが施された厚めの台紙が挟まっていて、台紙の切り取られた部分に小さな手帳がすっぽりと収められていた。
「これは……父が愛用していた、手帳です。いつも肌身離さず持っていたのに、なぜここに……?」
 アリサの呟きこそが、手帳がここに隠されていた理由なんだと私は思った。この手帳はずっとベルンハルトの近くにあった。それも、彼が愛でていた美術品の中に。まったく皮肉な話だよね、自分を裁く鍵を抱えていたなんて。ベルンハルトがこれを知ったら、どんな顔をするだろう。
 そんなシーンに出くわすことが出来たら、シノノメ支部長にもそのベルンハルトの顔を報告してあげたいと思った。時間は掛かったかもしれないけど、あなたの策はちゃんと成功したんだよ……って。
 アリサは手帳を取り出し、まるで大切な思い出を抱くように表紙をそっと撫でている。ずっと探していた母と父の痕跡に触れたことで、彼女の瞳にはほんの少し光が戻っているような気がする。
 アリサは深呼吸をしてから静かにページをめくり始めた。私達も息を潜めてアリサの手元を見つめる。古びたページに現れた文字の断片に、みんなの視線が吸い寄せられる。
 ベルンハルトの名前と共に書かれた日付や短いメモ。それらが無造作に走り書きされているけど……正直、読めば読むほど私は違和感を覚えた。
『──「新たな資材流用」の話、彼(ベルンハルト)が主導』
『不明瞭な資金の流れ……どこへ?』
『証拠……ステーション倉庫のB区画、輸送管理の記録?』
 ほとんどのページは簡潔なメモで埋められているけれど、いくつか特定の場所や書類を示唆するような断片的な記述も混じってる。けれどそれらはどれもあくまでも手がかりのように曖昧で、これだけでは確証にはならない……そう、決定力とかいうものに欠けてるように思えたんだ。
 もしかしたらこれを読んだ人間がさらに追跡調査することを前提にしてるのかな? これまでに触れたシノノメ支部長の慎重で思慮深い性格を考えると、そんな仕掛けになっているんだろうと思えた。
 アリサがページをめくると、次々と短いメモが目に入る。
『ギルドを裏切る背信行為……統括局への報告は不可(自力で解決するしかない?)』
『備えとして、旧ギルド保管庫へ』
『評議員D、H、Mは信用できない』
『クジョウも向こう側?いやむしろ彼が』
『アリサを、必ず守ること(※最重要)』
 最後のページに書かれた「アリサを守る」という言葉が胸に刺さる。シノノメ支部長は、もし自分が倒れたとき、この手帳がアリサを守る道標になることを望んでいたんだろうか。それとも、彼は自らの命を賭してでもアリサのことを守りたかったんだろうか。
 どちらにしても……シノノメ支部長がどれほどアリサを愛していたかなんて、疑う余地もない。
「お父様……」
 ――そして、その愛情がアリサに伝わっていることも。
 さて、問題はこの手帳だよね。このままではあまりにも断片的すぎるから決定的な証拠にならないのは素人の私にだって判る。ベルンハルトにこれを突きつけても言い逃れをされる可能性は高いだろうね。なら、この手帳が示すものを追えば、もしかしたらより詳しい証拠が手に入るかも……?
 そう思ってアイリスの方を見ると、何故かアイリスは手帳をじっと見つめたまま考え込んでいた。断片的な記述の中から何かを読み取ってる?もしかしたら、私が気付かないだけでこれは暗号になってるとか?慎重なシノノメ支部長のことだから、ありえない話じゃないけど。
「アイリス?」
 邪魔をしちゃいけないと思いながらもつい声を掛けてしまった。はっとした様子のアイリスはアイリスは小さく首を振った後、何かを決意したような目で私を見返してきた。
「……大丈夫。これで大丈夫」
 その一言に、私は希望と共に若干の違和感を感じた。これで、大丈夫?この手帳は「完璧な証拠」には程遠いのに?
 私達は今、ベルンハルトを追い詰めるための断片を手にしているのは確かなんだけど……。もう少し手帳を調べないと、と思っていたその時だ。遠くから低く唸るようなフォトンドライブの音が聞こえてきたのは。
 ――地下通路の方から、車両が近づいてくる!
「……車が来る」
 私があげた警告の声に、3人は慌てた様に入り口の方へ視線を送る。アイリスとウォルターさんはややや不審げな表情で。アリサははっとした表情で。
「何も聞こえないけど……トワが言うなら間違いないよ。取りあえず、あそこのコンテの影へ移動しよう」
「手帳はアリサさんに、絵は私が!」
 アイリスの鋭い指示にウォルターさんが小声で答え、私達は入り口の近くまで移動して壁際に乱雑に積まれたコンテナの影に身を潜めることにした。完全に身を隠せるわけではないけど、今はここしかない。暗がりに身を潜め、息を殺して耳を澄ます。
 フォトンドライブの駆動音が停止し、やがてビークルのドアが開く重い音が響いた。私達は息を潜め、音の主の様子を確認しようと保管庫の外に注意を向ける。
「……い、このコ……テナ……くず……」
 聞こえてきた声はぼそぼそと断片的だったが、すぐに緊張が背中を走った。今の言葉、男たちはどうやら侵入の痕跡を見つけたってことだよね?アイリスの方を見るが、まだ何も気付いていないように見える。……そうか、今の声が聞き取れなかったんだね。
 聞こえた内容をアイリスに伝えるか迷っているうちに保管庫の扉が静かに開き、ブラスターを構えた警備兵らしき3人が慎重に左右の様子を伺いながらゆっくりと保管庫に入ってきた。視線を巡らせ、辺りの異常を見逃すまいとしている。私達にはまだ気づいていないけど……その手際の良さから、彼らがただの警備兵以上に厄介な相手なんじゃないかと感じた。
「……人の気配は無さそうだが……一応、警戒しておけよ。あのコンテナが崩れてたのは偶然かもしれねぇが、万が一の可能性もある」
 その言葉で私は気がついた。さっき断片的に聞こえたのは保管庫に入る前にアリサが崩してしまった廃コンテナの山、あれに気づかれたってことだったんだ。
「オレは雑に積んであったモノが勝手に崩れただけと思うがねぇ?まぁ警戒しすぎる方が長生きできるのは事実だがよ」
 もう1人の警備兵は軽口を叩きつつも、その視線は周囲をしっかりと捉えている。冗談を言っているようで、警戒は怠っていない。面倒な相手のようだ。
「昨日街で騒ぎを起こしたヤツがいたって聞いたっすけど、その連中っすかね?」
「バカ言え、そんなチンピラが伯爵様の美術品を狙って来るかよ」
「まぁ……でも美術品が無くなってたら、伯爵様がキレるのは確かだな」
 敵が徐々に警戒を高めているのがわかる。気を抜いている風を装いつつも、彼らの目は保管庫内を鋭く見回している。逃げ場はどんどん狭まっていくように感じる。いや、実際に彼らが探索範囲を広げるごとに私達が見つかる可能性は――。
「よし、俺たちは奥を見てくる。新入り、お前はここで入口を見張っとけ」
「うっす」
 二人が奥の美術品エリアへと向かい、扉の前には新入りと呼ばれた一人が立って、入り口を見張り始めた。出入口を押さえられている状況だと、いずれ袋のネズミになるよね?
 ここにいると私達の存在が完全に露見してしまう。この状況をどう切り抜けるか、頭の中で次々と策を巡らせるけど、考えがまとまらない。どうしよう。どうしたらいいの?