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#9

ー/ー



>>Iris

 ウォルターさんとの待ち合わせ時間が近いこともあり、ギルド伯邸の調査はひとまず先送りにして一度宿に戻ることにした。漠然と敵地を見るよりもアリサの話を聞く方がよほど有益だろうしね。宿への帰路、アリサはずっと無言で、考えを整理しているようだった。そして……。

「……思い出したんです、父の言葉」

 部屋に戻ると、アリサは小さな、しかししっかりとした声でそう切り出した。私とトワは耳を傾ける。さっきの老画家の話の中に何かしら彼女の中で気付きがあったのだろう。

「『母を探せ』。行方不明になる直前に、父はそう言い残しました。ずっと、私はその言葉の意味がわからなくて……でも父の言う事には何か意味があると思って。私は、ずっと母を……探していました」

 話し始めたアリサの声はどこか震えている。父親の思いを叶えるために、彼女は悪意ある視線に晒されながらこの街を彷徨っていたのか。

「母は……私が幼い頃に亡くなりました。だから、父の言う『母を探せ』という言葉の意味が、私にはわかりませんでした。でも、もしかしたら何か奇跡が起きて、母が……どこかで生きているのではないかと……そんなあり得ない希望を抱いて、街中を彷徨っていたんです」

 そう長い付き合いではないけど、アリサはおとぎ話に溺れるようなタイプではないように見えたし、現実的で理知的な少女だとも感じていた。だからこそアリサの言葉に私は少し驚いた。そんな彼女が亡き母が蘇ることを一縷の望みにして街をさまよい歩いていた事に。そんな奇跡にすがるしかない状況だったのか、この子は……。

「でも、そんなはずがないことは……私もわかっていました。母は、もう……どこにもいない」

 アリサの表情が一瞬沈む。彼女にとって母の死を再び認めることは希望を手放すのと同義。頭ではわかっていても、心の奥底で認められなかったことなんだろう。

「父がどうして『母を探せ』と言い残したのか。それがさっき、わかった気がしたんです」
「それは……?」
「もしかしたら、父が言いたかったのは『母の絵』を探せという意味だったのではないか、と」

 アリサの言葉が、私の中でひとつの仮説に形を与えていった。「母を探せ」それはアリサの母そのものではなく、母親(マリエル)にまつわる何かを指していたのだとしたら。もしかするとシノノメ支部長が残したメッセージは、母の絵を探すこと、そしてその言葉が発せられた状況から考えれば……。

 ――その絵にギルド伯の不正を暴く証拠が隠されているのではないか?

 もしかしたらシノノメ支部長は自分たちの行動がベルンハルトに監視され盗聴されていることを察知していて、あえて直接的に絵と表現しなかった可能性も考えられる。いや、未だ発見されていない不正の証拠を隠し通せているぐらいだ、おそらくこの推理は間違いではないだろう。

「その絵は、証拠として隠された鍵なのかもしれない。そしてベルンハルトへ報復するための仕掛けであるかもしれない……ってことだね?」

 そしてあの老人が話していた絵がその「母の絵」なら、シノノメ支部長はいざという時の手がかりをアリサのために残していたのだろう。さらに考えれば、ギルド伯がアリサを拷問しても証拠が見つからなかった理由も見えてくる。アリサがその絵の存在を知らなければ、彼女をいくら痛めつけても秘密は守られる。彼女が絵の存在に気付くまでは。
 そうか、シノノメ支部長は、すべて計算に入れて、あえてアリサに絵の存在とそこに隠された秘密を伝えなかったんだ……。彼の唯一の誤算は、その秘密がアリサをさらに傷つける要因となってしまった事だろう。ベルンハルトの残虐性を見抜けなかったことだけは失点だよ、シノノメさん。

「……はい。そう考えると、父の言葉の意味も……わかるような気がして」

 アリサの瞳には希望の光が戻っていた。母の姿そのものはこの世に無くとも、母が彼女の希望となる。それなら。

「その絵を見つければ、シノノメ支部長が陥れられた真相に近づけるかもしれないね」
「アイリス。その絵、探そう」

 トワに言われるまでもない。私達がすべきことは一つだ。結果としてベルンハルトの罠に倒れたシノノメ支部長だけど、彼が巡らせた策は今も生き残っている。なら、私達が彼の遺産の力を借りて……ベルンハルトを討つ。


 思わぬ手がかりが得られた。行方不明となった「母の絵」が鍵であり罠であるなら、その所在はおそらくギルド伯の手の内。そして木を隠すなら森の中、彼が横領しているであろう美術品の中だろう。
 となればギルド伯の城へ侵入することを前提とした作戦を考えておく必要がある。まずはアリサに目的地の情報、特にウォルターさんの情報にあった横領品を隠しているという地下の保管庫についての情報を確認しておかなければ。

「保管庫、ですか……?私は入ったことが無いのですが、クリスタンティアの外れ、城へ向かう途中に搬入用の入り口があることは知っています。あとは……ベルンハルトの私室からも直通で降りられる昇降機が。何度か使っているのを見たことがありますが、生体認証のようなので、そこからは侵入できない……と、思います」

 小憎たらしい、いかにも悪党が企む周到さだ。ベルンハルトの私室から忍び込むのは無理だろう、なら、狙いは――。

「なら、搬入口」
「そうだね……警備の状況とかはわかる?」
「ごめんなさい、詳しいことは。ただ、警備シフトについて話しているのを聞いたことはあるので、規則的な警備や巡回はされていると思います」
「そのあたり、ウォルターさんが情報を持ってると良いんだけど」

 確かにアリサにそこまでの情報を求めるのは酷だろう。ウォルターさんの事だ、おそらく部下か現地協力者は用意しているはず。そのあたりは抜かりなく準備している……と信じよう。頼むよ、監察官。そう思っていると、トワに袖を引かれた。

「アイリス、見つからずに入る方法がある」
「どうやるの?」
「イグナイト。『蒼』の」

 蒼は……そうか、こういうときのトワは頭が切れる。そういえば鋼の獣(メタルビースト)の時も咄嗟に予備カートリッジをグレネード化してたっけ。
 蒼のイグナイトは一定範囲内に停滞(ステイシス)フィールドを発生させ、内部に捕らえた対象の時間を大幅に鈍化させる。
 本来停滞(ステイシス)フィールドの発生には大がかりな装置が必要だ。けどトワのイグナイトは短い効果時間と狭い範囲というデメリットこそあれど、瞬間的にフィールドを発生させる事ができるアドバンテージを持つ。見張りの生体時間を鈍化させれば、仮に侵入を直視されたとしても一瞬の影にしか見えないだろう。これなら見とがめられずに侵入する事ができる。

「昨日渡したイグナイトは?」
「うん、ちゃんと持ってるよ」
「使わなかった?」
「いや、昨日は情報収集してただけだし。そもそも街中で使ったら大問題だからね?」
「使ってたら補充しようかと」
「大丈夫だよ、お守りとしてちゃんと持ってるから」
「ならいい」

 街中で発砲したり爆発したりさせたがるなんて、まるでトリガーハッピーなヘルミナみたいじゃない。ふと、故郷の友人の事を懐かしく思いだした。彼女は……ジョッシュと上手くやっているんだろうか。一筋縄では行かない感じだったけど、幸せになっていて欲しいな。あれでも一応は友人だし。私はふと、遠い故郷に思いを馳せた。


 ウォルターさんは待ち合わせ場所のレストラン前に車を停め、待機していた。どうやら食事はせずにそのまま移動するつもりらしい。

「ご飯……奢りの、美味しいご飯は?」

 トワがちょっと悲しげに呟く。そういえば朝から楽しみにしてたよね、ご飯。でも、奢って貰うという話は聞いてなかったけど。まぁ今回は仕方ないけど、この一件が片付いたら2人で……いや、アリサとウォルターさんも誘って4人で美味しい物を食べに行こう。

「すみません、急いでおりますので……車内に軽食をご用意しました」
スラリー(どろどろ)?」
「いえいえ、流石に宇宙食ではありませんのでご安心を」
「……ちょっと残念」

 ウォルターさんはまさか、という顔で否定するけどトワは余計に残念そうな顔になってしまった。そう言えば軌道ステーションでも宇宙食を買い込んでたし、実はトワ、最初はあんなに嫌がってた宇宙食シリーズが気に入ってるんじゃない?
 それはともかくして私達はウォルターさんが調達したビークル(軽貨物車)に乗り込んだ。

 ……ん?……ビークル?あっ、しまった!気づいてしまった。そもそもギルド伯の私邸は郊外にあって、車がなければ到底たどり着けない距離だ。今朝はそんな簡単なことすら考えず、徒歩で向かっていた。確かに朝はアリサの件で頭がいっぱいだったけれど、それにしても私らしくない失態だ……。
 ふとトワを見ると、じっとこちらを見てまるでわかってるよ?とでも言いたげな表情だ。どうやら、気付かなかったことに、気付いたことを、気付かれたようだ。うん、私の失敗に気づいていたみたいだけど、あえて指摘せずにいたらしい。

「ごめんね」
「結果的に良かった。アリサのことがわかった」
「結果論だよね、それ……」
「アイリスがいつも通りになったなら、問題無い」

 なんだかんだで、妹に慰められる形になってしまった。お姉ちゃんとしての立場が……姉呼びして貰うという野望が潰えてしまう。少しがっかりした私を乗せ、ビークルは動き出した。


 私達は後部のカーゴに陣取り、ウォルターさんに運転を任せた。トワはさっそく用意されたランチボックスを開け、サンドイッチにかぶりついている。食が細そうに見えるアリサも、かなりの勢いでサンドイッチを片付けている。……この子達、こんなに食いしん坊だったっけ?嬉しそうに食べるトワとアリサを見ながらそんな事を考えていると、ウォルターさんが状況を説明してくれた。

「ギルド伯が横領した美術品の整理を始めていると、部下から報告が入っています。どうやら財政難のせいで保管していた品々を売却しようとしているようですね。もし今すぐ押収品を調査できなければ、証拠そのものが市場に流出して消えてしまう可能性が高いです。時間はあまりありません」
「えっ……」

 ウォルターさんの言葉に絶句してしまった。よりによってこのタイミグで、美術品を処分している……!?それはまずい。とてもまずい。

「それに、ギルド伯が不穏な動きを察知している様子もあります。彼の意向に逆らっている者がいると気づいたのか、美術品の整理を急いでいる形跡があります。警戒レベルも微妙に上がっているようですし」

 もしかしたら、昨日トワが遭遇した自警団の一件が影響しているのかもしれない。街中で公然と反旗を翻し、自身の管理下に置いていたアリサを連れ去った。その行動がベルンハルトの目に留まったのだろうか。私はいてもたってもいられなかった。ウォルターさんはまだアリサの母の絵のことを知らないから、比較的冷静に話しているけど……私の頭の中は危機感でいっぱいだ。

「ウォルターさん、私達からも重大な報告があります」

 私は自分の声に緊張が滲んでしまうのを感じながら、説明を始める。

「実は私達、シノノメ前支部長が隠したギルド伯の不正を暴く証拠の手がかりを得ました」
「なんと?それは素晴らしい!それで、どんな手がかりなんですか?」
「アリサの母君が描かれた絵画です。私達はその中に証拠が眠っていると見ています」
「……絵画?」
「ええ、美術品の一種である、絵画です」
「……その母君というのは、マリエルの、ことですか?」
「ええ、彼女が描かれた絵画です。間に合いそうですか?」
「……間に合わせますっ!」
「ひゃあ!」

 ウォルターさんがビークルを急加速させたせいで、お茶を注いでいたトワがコップをひっくり返して騒いでいる。だが、今はそんなことを気にしている余裕はない。証拠が無事であることを祈るしかない。

 ……でも、どうしてウォルターさんはアリサの母親の名前を知っていたのだろう?それにウォルターさんが「マリエル」という名前を口にした瞬間、微かに声が震えた気がした。彼はギルドの監察官だから、過去の支部長やその家族について知っていても不思議ではないけど……もしかして、彼女と面識があったのだろうか?
 いや、憶測は控えよう。ウォルターさんは職務に私情を挟む人とは思えない。

 それでも彼が一瞬見せた揺らぎが、どうしても心に残ってしまった。


>>Towa

 ウォルターさんが用意してくれていたのがアイスティーで良かった。ホットティーなら大惨事だったよ……。

 あと、サンドイッチは美味しかった。


>>Iris

 アリサの説明によると保管庫は迎賓館として利用されていた時代に作られた、緊急脱出用の地下通路を拡張したものらしい。脱出ゲートへ至る道は秘匿性を高めるためか非常に狭くなっていて大型車両が通れる幅ではなかった。そのため今は封鎖された上で放置されていて、その代わりに大型車両が通れるようにギルド伯の私邸へ続く道路脇に新たな搬入口が設けられたのだと言う。
 私達が今、様子をうかがっているのはその新しい「臨時物資搬入口」だ。私邸へ正規の物資を搬入する場所ではなく、横領品などの後ろぐらい物品をこっそり運び込むための場所らしく、出入りする車両の姿はしばらく待っても見当たらない。木々に遮られたこの場所は薄暗く、周囲に動きがないこの状況がかえって不穏な気配を漂わせているようにも思えた。

 不用心にも開いたままになっているゲートの前には警備員が一人、所在なげに立っているだけだ。服装や立ち居振る舞いから見るとギルドの職員やゴロツキの類いと言うよりは軍人、それも雇われの傭兵か何かのようにも見える。
 見た限りでは表向きの警備は手薄に思えるけど、油断はできない。高く頑丈な壁で敷地全体は囲まれているし、ゲートそのものも分厚く強固な造りになっている。開いているうちはまだしも、一度扉が閉ざされれば突破は容易ではないだろう。

 しかしゲートが開いたままなのは少々気になる。美術品の搬出作業が予定されているとは聞いているけと、車両の到着が遅れてるのだろうか?それに、ゲート前にいる警備員も特に緊張感がない。何かを待っているようだが……物腰はプロのそれのわりには士気が低いのか面倒そうにあくびを隠しもしない。日常的に用いられる搬入口ではない、退屈な持ち場ということなんだろうか……?
 一見すると侵入しやすそうな状況だけど、今の状態はもしかすると侵入を誘っているのかもしれない。私達がここへ来ることを見越した罠の可能性も――

「アイリス、眉間に皺よってる。美少女だいなし」

 難しい顔をしていたのか、トワにそんな事を言われた。気楽に行くわけにはいかないけど、気を張りすぎるのも良くない、か。

「では可能な限り近づいてからトワさんに停滞フィールドを展開して頂くということで」
「うん、まかせて」
「トワ、どれぐらいの時間展開できそう?あと具体的な効果範囲も」
「アイリスが指定した通りに設定する」
「えっ?……ああ、そういうことか」

 ゲートと見張りの位置、私達が気付かれずに接近できる距離。諸々を考えると……1/50に速度を鈍化させ、10秒ほど維持できれば安全にゲート内へ走り込めそうだ。
 ……いや、待て。これじゃダメだ。アリサのことを失念していた。彼女は足が不自由だから走るのは難しい。かといってここに残していくわけにもいかない。マリエルの絵の発見には彼女が必要だし、それ以上に危険な場所に一人で残すわけにはいかないからね。そんなことを考えていたら、不意にアリサが小さな声で呟いた。

「……私。足手まとい、ですよね」

 私が一瞬、アリサの脚に視線をやった事に気付いたのか、アリサが謝ってきた。なんてことだ。私はまた、彼女を傷つけてしまった……。

「……ごめん。そんなつもりじゃなくて、ただ、あなたの安全を最優先にしたくて」

 一生懸命フォローしようとするものの、自分の言葉がどうにも歯切れが悪いことを痛感する。私がどう言い繕っても彼女の抱く気持ちを和らげる事は出来ないだろう。なにせ、彼女が走れないことは事実なのだから。最初からそれを計算に入れていれば、彼女にそんな思いをさせなくて済んだのに。自己嫌悪が胸に広がる。
 すると、その沈黙を破るようにウォルターさんが声を上げた。

「アイリスさん、アリサ嬢の脚のことですよね?でしたら、私が彼女を背負って走れば問題は解決するのでは?」

 その言葉に、私もアリサも驚いてウォルターさんの顔を見た。彼は至って真剣な表情で、まるで当然のことを言ったとでもいうような様子だ。ウォルターさんの助け船に私は少しだけ肩の力を抜くことができたけど、アリサの目には一瞬怯えたような表情が浮かんだようにも見えた。
 ……彼女の過去と現状を考えれば、男性との接触を忌避するのは当然だろう。だけど、今は少しだけ我慢してもらうしかない。結局、どういう手段を選んでも私は彼女の傷をえぐってしまうんだ。今は自己嫌悪している場合じゃないけど、やはり気が滅入る。


 私の指定通りに再調整(リチューン)されたイグナイトは設定通りの効果を発揮した。自覚の無いまま急激に体感時間が鈍化した警備員の脇を、私達は一気に駆け抜ける。途中、アリサを背負ったウォルターさんが躓きそうになったが、それでもなんとか効果時間内に無事、駆け抜ける事が出来た。

 ゲートから少し離れた敷地の内側、警備員からも搬入口へ至る道路からも死角になる場所へ移動して一息つく。身一つで走った私とトワは息を整える必要も無い程度だったけど、アリサを背負って走ったウォルターさんは息を切らしてその場にしゃがみこんだ。まぁ、無理もないよね……いくら細身なアリサが軽いとはいえ、屈強な体格とは言い難い彼には相当な負担だっただろうし。

「す、すみません……ウォルターさん。私のせいで……」

 アリサはウォルターさんの背から降り、座り込んだ彼に申し訳なさそうに声を掛ける。ウォルターさんは顔を上げて、かすかに笑みを浮かべた。

「いや、いいんですよ。むしろ、私のほうがお礼を言いたいくらいです。貴女のことを支える機会が持てて感謝しているくらいで」
「??」

 そう言って、彼はふと遠くを見るような目をした。どこか懐かしむような、言葉にしがたい表情で。アリサとトワが不思議そうな顔でウォルターさんを見つめている。もっとも、二人とも基本は無表情なので、あくまでも不思議そう毎日に思ってるんだろうな……と私が感じてるだけだけど。

「……貴女の、お母様に。昔、とてもお世話になったんですよ」

 だが、彼が続けて口にした言葉にアリサが驚きの表情を浮かべた。ウォルターさんはそれ以上は何も言わず、ただ笑っている。

 私はその言葉を聞いてウォルターさんとアリサの母、マリエルさんがかつて深い関係にあったことを確信した。どういう関係かまではわからないけど、おそらく彼にとってマリエルさんは特別な存在だったのだろう。アリサを背負うと申し出たのは彼のマリエルさんに対する想いがあっての事だったのかもしれない。

「ウォルターさん」

 思わず彼の名を呼び言葉をかけようとした私に、彼は少しおどけたように笑って手を軽く上げた。

「管理監殿、ギルド憲章第22条第3項でお願いできれば」
「……わかりました」

 そう言って、彼はウインクしてみせた。その仕草に私も思わず小さく微笑む。
 ギルド憲章第22条第3項。それは「業務で知り得た内容に関する守秘義務の徹底」だ。ウォルターさんの胸に秘められた思い。それをそっと見守るのが、今の私にできる最善なんだろう。

 トワとアリサの二人は私達の会話が理解出来ないのか、首をかしげて顔を見合わせている。いや、二人ともギルドの一員でしょ?特にアリサ、あなた実務から離れてるとは言え管理官補なんでしょ?ギルド憲章ぐらい覚えておきなさいよ。そんなことを考えていると、アリサがトワのそばに近寄り何事かを話しかけていた。

「そういえば、トワ様……」
「うん?」
「あの、先ほどの……停滞フィールド、というのは?確か、大型の装置が必要だと……」
「小型化した。褒めて」
「トワ様、凄いです……!」

 薄い胸を張って称賛を求めるトワの姿に苦笑してしまうが、アリサの方はと言うと妙にキラキラした瞳でトワを見つめている。心なしか頬が赤くなってる気がするけど、気のせいだよね?今更だけど、アリサって何故かトワだけ「様」付けで呼んでるよね……。アリサのそれ、もしかして恋する乙女の表情じゃないよね?




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>>Iris
 ウォルターさんとの待ち合わせ時間が近いこともあり、ギルド伯邸の調査はひとまず先送りにして一度宿に戻ることにした。漠然と敵地を見るよりもアリサの話を聞く方がよほど有益だろうしね。宿への帰路、アリサはずっと無言で、考えを整理しているようだった。そして……。
「……思い出したんです、父の言葉」
 部屋に戻ると、アリサは小さな、しかししっかりとした声でそう切り出した。私とトワは耳を傾ける。さっきの老画家の話の中に何かしら彼女の中で気付きがあったのだろう。
「『母を探せ』。行方不明になる直前に、父はそう言い残しました。ずっと、私はその言葉の意味がわからなくて……でも父の言う事には何か意味があると思って。私は、ずっと母を……探していました」
 話し始めたアリサの声はどこか震えている。父親の思いを叶えるために、彼女は悪意ある視線に晒されながらこの街を彷徨っていたのか。
「母は……私が幼い頃に亡くなりました。だから、父の言う『母を探せ』という言葉の意味が、私にはわかりませんでした。でも、もしかしたら何か奇跡が起きて、母が……どこかで生きているのではないかと……そんなあり得ない希望を抱いて、街中を彷徨っていたんです」
 そう長い付き合いではないけど、アリサはおとぎ話に溺れるようなタイプではないように見えたし、現実的で理知的な少女だとも感じていた。だからこそアリサの言葉に私は少し驚いた。そんな彼女が亡き母が蘇ることを一縷の望みにして街をさまよい歩いていた事に。そんな奇跡にすがるしかない状況だったのか、この子は……。
「でも、そんなはずがないことは……私もわかっていました。母は、もう……どこにもいない」
 アリサの表情が一瞬沈む。彼女にとって母の死を再び認めることは希望を手放すのと同義。頭ではわかっていても、心の奥底で認められなかったことなんだろう。
「父がどうして『母を探せ』と言い残したのか。それがさっき、わかった気がしたんです」
「それは……?」
「もしかしたら、父が言いたかったのは『母の絵』を探せという意味だったのではないか、と」
 アリサの言葉が、私の中でひとつの仮説に形を与えていった。「母を探せ」それはアリサの母そのものではなく、|母親《マリエル》にまつわる何かを指していたのだとしたら。もしかするとシノノメ支部長が残したメッセージは、母の絵を探すこと、そしてその言葉が発せられた状況から考えれば……。
 ――その絵にギルド伯の不正を暴く証拠が隠されているのではないか?
 もしかしたらシノノメ支部長は自分たちの行動がベルンハルトに監視され盗聴されていることを察知していて、あえて直接的に絵と表現しなかった可能性も考えられる。いや、未だ発見されていない不正の証拠を隠し通せているぐらいだ、おそらくこの推理は間違いではないだろう。
「その絵は、証拠として隠された鍵なのかもしれない。そしてベルンハルトへ報復するための仕掛けであるかもしれない……ってことだね?」
 そしてあの老人が話していた絵がその「母の絵」なら、シノノメ支部長はいざという時の手がかりをアリサのために残していたのだろう。さらに考えれば、ギルド伯がアリサを拷問しても証拠が見つからなかった理由も見えてくる。アリサがその絵の存在を知らなければ、彼女をいくら痛めつけても秘密は守られる。彼女が絵の存在に気付くまでは。
 そうか、シノノメ支部長は、すべて計算に入れて、あえてアリサに絵の存在とそこに隠された秘密を伝えなかったんだ……。彼の唯一の誤算は、その秘密がアリサをさらに傷つける要因となってしまった事だろう。ベルンハルトの残虐性を見抜けなかったことだけは失点だよ、シノノメさん。
「……はい。そう考えると、父の言葉の意味も……わかるような気がして」
 アリサの瞳には希望の光が戻っていた。母の姿そのものはこの世に無くとも、母が彼女の希望となる。それなら。
「その絵を見つければ、シノノメ支部長が陥れられた真相に近づけるかもしれないね」
「アイリス。その絵、探そう」
 トワに言われるまでもない。私達がすべきことは一つだ。結果としてベルンハルトの罠に倒れたシノノメ支部長だけど、彼が巡らせた策は今も生き残っている。なら、私達が彼の遺産の力を借りて……ベルンハルトを討つ。
 思わぬ手がかりが得られた。行方不明となった「母の絵」が鍵であり罠であるなら、その所在はおそらくギルド伯の手の内。そして木を隠すなら森の中、彼が横領しているであろう美術品の中だろう。
 となればギルド伯の城へ侵入することを前提とした作戦を考えておく必要がある。まずはアリサに目的地の情報、特にウォルターさんの情報にあった横領品を隠しているという地下の保管庫についての情報を確認しておかなければ。
「保管庫、ですか……?私は入ったことが無いのですが、クリスタンティアの外れ、城へ向かう途中に搬入用の入り口があることは知っています。あとは……ベルンハルトの私室からも直通で降りられる昇降機が。何度か使っているのを見たことがありますが、生体認証のようなので、そこからは侵入できない……と、思います」
 小憎たらしい、いかにも悪党が企む周到さだ。ベルンハルトの私室から忍び込むのは無理だろう、なら、狙いは――。
「なら、搬入口」
「そうだね……警備の状況とかはわかる?」
「ごめんなさい、詳しいことは。ただ、警備シフトについて話しているのを聞いたことはあるので、規則的な警備や巡回はされていると思います」
「そのあたり、ウォルターさんが情報を持ってると良いんだけど」
 確かにアリサにそこまでの情報を求めるのは酷だろう。ウォルターさんの事だ、おそらく部下か現地協力者は用意しているはず。そのあたりは抜かりなく準備している……と信じよう。頼むよ、監察官。そう思っていると、トワに袖を引かれた。
「アイリス、見つからずに入る方法がある」
「どうやるの?」
「イグナイト。『蒼』の」
 蒼は……そうか、こういうときのトワは頭が切れる。そういえば|鋼の獣《メタルビースト》の時も咄嗟に予備カートリッジをグレネード化してたっけ。
 蒼のイグナイトは一定範囲内に|停滞《ステイシス》フィールドを発生させ、内部に捕らえた対象の時間を大幅に鈍化させる。
 本来|停滞《ステイシス》フィールドの発生には大がかりな装置が必要だ。けどトワのイグナイトは短い効果時間と狭い範囲というデメリットこそあれど、瞬間的にフィールドを発生させる事ができるアドバンテージを持つ。見張りの生体時間を鈍化させれば、仮に侵入を直視されたとしても一瞬の影にしか見えないだろう。これなら見とがめられずに侵入する事ができる。
「昨日渡したイグナイトは?」
「うん、ちゃんと持ってるよ」
「使わなかった?」
「いや、昨日は情報収集してただけだし。そもそも街中で使ったら大問題だからね?」
「使ってたら補充しようかと」
「大丈夫だよ、お守りとしてちゃんと持ってるから」
「ならいい」
 街中で発砲したり爆発したりさせたがるなんて、まるでトリガーハッピーなヘルミナみたいじゃない。ふと、故郷の友人の事を懐かしく思いだした。彼女は……ジョッシュと上手くやっているんだろうか。一筋縄では行かない感じだったけど、幸せになっていて欲しいな。あれでも一応は友人だし。私はふと、遠い故郷に思いを馳せた。
 ウォルターさんは待ち合わせ場所のレストラン前に車を停め、待機していた。どうやら食事はせずにそのまま移動するつもりらしい。
「ご飯……奢りの、美味しいご飯は?」
 トワがちょっと悲しげに呟く。そういえば朝から楽しみにしてたよね、ご飯。でも、奢って貰うという話は聞いてなかったけど。まぁ今回は仕方ないけど、この一件が片付いたら2人で……いや、アリサとウォルターさんも誘って4人で美味しい物を食べに行こう。
「すみません、急いでおりますので……車内に軽食をご用意しました」
「|スラリー《どろどろ》?」
「いえいえ、流石に宇宙食ではありませんのでご安心を」
「……ちょっと残念」
 ウォルターさんはまさか、という顔で否定するけどトワは余計に残念そうな顔になってしまった。そう言えば軌道ステーションでも宇宙食を買い込んでたし、実はトワ、最初はあんなに嫌がってた宇宙食シリーズが気に入ってるんじゃない?
 それはともかくして私達はウォルターさんが調達した|ビークル《軽貨物車》に乗り込んだ。
 ……ん?……ビークル?あっ、しまった!気づいてしまった。そもそもギルド伯の私邸は郊外にあって、車がなければ到底たどり着けない距離だ。今朝はそんな簡単なことすら考えず、徒歩で向かっていた。確かに朝はアリサの件で頭がいっぱいだったけれど、それにしても私らしくない失態だ……。
 ふとトワを見ると、じっとこちらを見てまるでわかってるよ?とでも言いたげな表情だ。どうやら、気付かなかったことに、気付いたことを、気付かれたようだ。うん、私の失敗に気づいていたみたいだけど、あえて指摘せずにいたらしい。
「ごめんね」
「結果的に良かった。アリサのことがわかった」
「結果論だよね、それ……」
「アイリスがいつも通りになったなら、問題無い」
 なんだかんだで、妹に慰められる形になってしまった。お姉ちゃんとしての立場が……姉呼びして貰うという野望が潰えてしまう。少しがっかりした私を乗せ、ビークルは動き出した。
 私達は後部のカーゴに陣取り、ウォルターさんに運転を任せた。トワはさっそく用意されたランチボックスを開け、サンドイッチにかぶりついている。食が細そうに見えるアリサも、かなりの勢いでサンドイッチを片付けている。……この子達、こんなに食いしん坊だったっけ?嬉しそうに食べるトワとアリサを見ながらそんな事を考えていると、ウォルターさんが状況を説明してくれた。
「ギルド伯が横領した美術品の整理を始めていると、部下から報告が入っています。どうやら財政難のせいで保管していた品々を売却しようとしているようですね。もし今すぐ押収品を調査できなければ、証拠そのものが市場に流出して消えてしまう可能性が高いです。時間はあまりありません」
「えっ……」
 ウォルターさんの言葉に絶句してしまった。よりによってこのタイミグで、美術品を処分している……!?それはまずい。とてもまずい。
「それに、ギルド伯が不穏な動きを察知している様子もあります。彼の意向に逆らっている者がいると気づいたのか、美術品の整理を急いでいる形跡があります。警戒レベルも微妙に上がっているようですし」
 もしかしたら、昨日トワが遭遇した自警団の一件が影響しているのかもしれない。街中で公然と反旗を翻し、自身の管理下に置いていたアリサを連れ去った。その行動がベルンハルトの目に留まったのだろうか。私はいてもたってもいられなかった。ウォルターさんはまだアリサの母の絵のことを知らないから、比較的冷静に話しているけど……私の頭の中は危機感でいっぱいだ。
「ウォルターさん、私達からも重大な報告があります」
 私は自分の声に緊張が滲んでしまうのを感じながら、説明を始める。
「実は私達、シノノメ前支部長が隠したギルド伯の不正を暴く証拠の手がかりを得ました」
「なんと?それは素晴らしい!それで、どんな手がかりなんですか?」
「アリサの母君が描かれた絵画です。私達はその中に証拠が眠っていると見ています」
「……絵画?」
「ええ、美術品の一種である、絵画です」
「……その母君というのは、マリエルの、ことですか?」
「ええ、彼女が描かれた絵画です。間に合いそうですか?」
「……間に合わせますっ!」
「ひゃあ!」
 ウォルターさんがビークルを急加速させたせいで、お茶を注いでいたトワがコップをひっくり返して騒いでいる。だが、今はそんなことを気にしている余裕はない。証拠が無事であることを祈るしかない。
 ……でも、どうしてウォルターさんはアリサの母親の名前を知っていたのだろう?それにウォルターさんが「マリエル」という名前を口にした瞬間、微かに声が震えた気がした。彼はギルドの監察官だから、過去の支部長やその家族について知っていても不思議ではないけど……もしかして、彼女と面識があったのだろうか?
 いや、憶測は控えよう。ウォルターさんは職務に私情を挟む人とは思えない。
 それでも彼が一瞬見せた揺らぎが、どうしても心に残ってしまった。
>>Towa
 ウォルターさんが用意してくれていたのがアイスティーで良かった。ホットティーなら大惨事だったよ……。
 あと、サンドイッチは美味しかった。
>>Iris
 アリサの説明によると保管庫は迎賓館として利用されていた時代に作られた、緊急脱出用の地下通路を拡張したものらしい。脱出ゲートへ至る道は秘匿性を高めるためか非常に狭くなっていて大型車両が通れる幅ではなかった。そのため今は封鎖された上で放置されていて、その代わりに大型車両が通れるようにギルド伯の私邸へ続く道路脇に新たな搬入口が設けられたのだと言う。
 私達が今、様子をうかがっているのはその新しい「臨時物資搬入口」だ。私邸へ正規の物資を搬入する場所ではなく、横領品などの後ろぐらい物品をこっそり運び込むための場所らしく、出入りする車両の姿はしばらく待っても見当たらない。木々に遮られたこの場所は薄暗く、周囲に動きがないこの状況がかえって不穏な気配を漂わせているようにも思えた。
 不用心にも開いたままになっているゲートの前には警備員が一人、所在なげに立っているだけだ。服装や立ち居振る舞いから見るとギルドの職員やゴロツキの類いと言うよりは軍人、それも雇われの傭兵か何かのようにも見える。
 見た限りでは表向きの警備は手薄に思えるけど、油断はできない。高く頑丈な壁で敷地全体は囲まれているし、ゲートそのものも分厚く強固な造りになっている。開いているうちはまだしも、一度扉が閉ざされれば突破は容易ではないだろう。
 しかしゲートが開いたままなのは少々気になる。美術品の搬出作業が予定されているとは聞いているけと、車両の到着が遅れてるのだろうか?それに、ゲート前にいる警備員も特に緊張感がない。何かを待っているようだが……物腰はプロのそれのわりには士気が低いのか面倒そうにあくびを隠しもしない。日常的に用いられる搬入口ではない、退屈な持ち場ということなんだろうか……?
 一見すると侵入しやすそうな状況だけど、今の状態はもしかすると侵入を誘っているのかもしれない。私達がここへ来ることを見越した罠の可能性も――
「アイリス、眉間に皺よってる。美少女だいなし」
 難しい顔をしていたのか、トワにそんな事を言われた。気楽に行くわけにはいかないけど、気を張りすぎるのも良くない、か。
「では可能な限り近づいてからトワさんに停滞フィールドを展開して頂くということで」
「うん、まかせて」
「トワ、どれぐらいの時間展開できそう?あと具体的な効果範囲も」
「アイリスが指定した通りに設定する」
「えっ?……ああ、そういうことか」
 ゲートと見張りの位置、私達が気付かれずに接近できる距離。諸々を考えると……1/50に速度を鈍化させ、10秒ほど維持できれば安全にゲート内へ走り込めそうだ。
 ……いや、待て。これじゃダメだ。アリサのことを失念していた。彼女は足が不自由だから走るのは難しい。かといってここに残していくわけにもいかない。マリエルの絵の発見には彼女が必要だし、それ以上に危険な場所に一人で残すわけにはいかないからね。そんなことを考えていたら、不意にアリサが小さな声で呟いた。
「……私。足手まとい、ですよね」
 私が一瞬、アリサの脚に視線をやった事に気付いたのか、アリサが謝ってきた。なんてことだ。私はまた、彼女を傷つけてしまった……。
「……ごめん。そんなつもりじゃなくて、ただ、あなたの安全を最優先にしたくて」
 一生懸命フォローしようとするものの、自分の言葉がどうにも歯切れが悪いことを痛感する。私がどう言い繕っても彼女の抱く気持ちを和らげる事は出来ないだろう。なにせ、彼女が走れないことは事実なのだから。最初からそれを計算に入れていれば、彼女にそんな思いをさせなくて済んだのに。自己嫌悪が胸に広がる。
 すると、その沈黙を破るようにウォルターさんが声を上げた。
「アイリスさん、アリサ嬢の脚のことですよね?でしたら、私が彼女を背負って走れば問題は解決するのでは?」
 その言葉に、私もアリサも驚いてウォルターさんの顔を見た。彼は至って真剣な表情で、まるで当然のことを言ったとでもいうような様子だ。ウォルターさんの助け船に私は少しだけ肩の力を抜くことができたけど、アリサの目には一瞬怯えたような表情が浮かんだようにも見えた。
 ……彼女の過去と現状を考えれば、男性との接触を忌避するのは当然だろう。だけど、今は少しだけ我慢してもらうしかない。結局、どういう手段を選んでも私は彼女の傷をえぐってしまうんだ。今は自己嫌悪している場合じゃないけど、やはり気が滅入る。
 私の指定通りに|再調整《リチューン》されたイグナイトは設定通りの効果を発揮した。自覚の無いまま急激に体感時間が鈍化した警備員の脇を、私達は一気に駆け抜ける。途中、アリサを背負ったウォルターさんが躓きそうになったが、それでもなんとか効果時間内に無事、駆け抜ける事が出来た。
 ゲートから少し離れた敷地の内側、警備員からも搬入口へ至る道路からも死角になる場所へ移動して一息つく。身一つで走った私とトワは息を整える必要も無い程度だったけど、アリサを背負って走ったウォルターさんは息を切らしてその場にしゃがみこんだ。まぁ、無理もないよね……いくら細身なアリサが軽いとはいえ、屈強な体格とは言い難い彼には相当な負担だっただろうし。
「す、すみません……ウォルターさん。私のせいで……」
 アリサはウォルターさんの背から降り、座り込んだ彼に申し訳なさそうに声を掛ける。ウォルターさんは顔を上げて、かすかに笑みを浮かべた。
「いや、いいんですよ。むしろ、私のほうがお礼を言いたいくらいです。貴女のことを支える機会が持てて感謝しているくらいで」
「??」
 そう言って、彼はふと遠くを見るような目をした。どこか懐かしむような、言葉にしがたい表情で。アリサとトワが不思議そうな顔でウォルターさんを見つめている。もっとも、二人とも基本は無表情なので、あくまでも不思議そう毎日に思ってるんだろうな……と私が感じてるだけだけど。
「……貴女の、お母様に。昔、とてもお世話になったんですよ」
 だが、彼が続けて口にした言葉にアリサが驚きの表情を浮かべた。ウォルターさんはそれ以上は何も言わず、ただ笑っている。
 私はその言葉を聞いてウォルターさんとアリサの母、マリエルさんがかつて深い関係にあったことを確信した。どういう関係かまではわからないけど、おそらく彼にとってマリエルさんは特別な存在だったのだろう。アリサを背負うと申し出たのは彼のマリエルさんに対する想いがあっての事だったのかもしれない。
「ウォルターさん」
 思わず彼の名を呼び言葉をかけようとした私に、彼は少しおどけたように笑って手を軽く上げた。
「管理監殿、ギルド憲章第22条第3項でお願いできれば」
「……わかりました」
 そう言って、彼はウインクしてみせた。その仕草に私も思わず小さく微笑む。
 ギルド憲章第22条第3項。それは「業務で知り得た内容に関する守秘義務の徹底」だ。ウォルターさんの胸に秘められた思い。それをそっと見守るのが、今の私にできる最善なんだろう。
 トワとアリサの二人は私達の会話が理解出来ないのか、首をかしげて顔を見合わせている。いや、二人ともギルドの一員でしょ?特にアリサ、あなた実務から離れてるとは言え管理官補なんでしょ?ギルド憲章ぐらい覚えておきなさいよ。そんなことを考えていると、アリサがトワのそばに近寄り何事かを話しかけていた。
「そういえば、トワ様……」
「うん?」
「あの、先ほどの……停滞フィールド、というのは?確か、大型の装置が必要だと……」
「小型化した。褒めて」
「トワ様、凄いです……!」
 薄い胸を張って称賛を求めるトワの姿に苦笑してしまうが、アリサの方はと言うと妙にキラキラした瞳でトワを見つめている。心なしか頬が赤くなってる気がするけど、気のせいだよね?今更だけど、アリサって何故かトワだけ「様」付けで呼んでるよね……。アリサのそれ、もしかして恋する乙女の表情じゃないよね?