最終話:英雄サイラスの真理

ー/ー



 書斎は静寂に包まれていた。ティムは、前回、語られたフィリアンの「面倒くさいから真実を語らない」という達観した理由を反芻していた。それは、希望という魔法を許容し、なおかつ真実のくだらなさを楽しむという、長寿のエルフにしか到達できない境地だった。

「師匠」

 ティムは、窓から差し込む夕日を背に、フィリアンに向き直った。彼の顔には、もはや研究者としての焦りや、伝説崩壊への絶望はなかった。ただ、晴れやかな、諦めにも似た清々しさがあった。

「私は、今日、完全に達観しました。英雄とは、『個人的な羞恥心や、リンゴ飴への執着を、うまく隠せただけの人間』であると」

「うむ。その通りだ」

「そして、その小さな動機こそが、意図せずして国を救うという、歴史の真理であると」

 フィリアンは満足そうに微笑んだ。

「その真理を、お前自身が証明する番だ、ティム。最終話は、お前が自分の些細な失敗を語り、『英雄も歴史も、所詮こんなもの』という境地に達することで、この物語は完結する」

「私、ですか?」

 ティムは少し照れたように笑い、そして話し始めた。

「実は、私も最近、大変な失敗をしました。師匠に、この半年間学んだ『火炎魔法の応用』の研究レポートを提出することになっていたのですが……」

「ほう。どうした?」

「一昨日、猫の『ジャイアン』がそのレポートの上に吐き戻しまして。完全にダメになってしまいました。明日が提出期限なのに、一から書き直す時間はもうありません」

 フィリアンは目を細めた。猫のジャイアンとは、かつてサイラスが縮小魔法で魔王封印の儀式に見せかけた、あの巨大猫の子孫だ。

「つまり、お前は落第か。私に正直に謝れば、提出期限を延ばしてやってもいいぞ」

「いえ、師匠」

 ティムはキッパリと言い放った。

「私は、レポートを『提出しました』」

「何を言っている?」

「私は、吐き戻しでぐちゃぐちゃになった部分だけを、慌てて火炎魔法で燃やしました。すると、レポートは半分ほど焼け焦げましたが、『実験中に魔法の暴走に見舞われた』という体裁になったのです。残り半分に、それっぽい結論を書き添えました」

「……」

 フィリアンは沈黙した。ティムは静かに続けた。

「師匠。レポートは無残に焼け焦げていますが、これは『火炎魔法の危険な応用に挑戦した結果、自らの研究成果を犠牲にした、純粋で高尚な探求の証』として提出できます。猫の吐瀉物による失敗という、くだらない真実を隠すために、私は『危険な魔法の暴走』という壮大な虚構を捏造しました」

 ティムは、サイラスの木彫りのハムスターをそっと元の場所に戻した。彼の表情は、もはや英雄に憧れる少年ではなかった。彼は、この国の王や賢者たちと同じ、「個人的な些細な問題を、壮大な物語で隠蔽する者」の一員となっていた。

「私の失敗も、サイラス様の『沈黙の誓い』も、王の『戦略的沈黙』も、騎士団長の『無言の鉄壁の規律』も、構造は全く同じです」

「……」

「騎士団長がただ人に話しかけられるのが怖かったという、あの真実が、国最強の規律を生んだ。くだらない真実を隠すために、やたらとスケールの大きな虚構が生まれる。そして、その虚構が、私と同じようにトラブルでレポートを燃やした学生を鼓舞する『伝説』になるかもしれません」

 ティムは満面の笑みを浮かべた。彼の目には、もはや虚無感はなかった。それは、全てを達観し、自らも虚構の側に立つことを選んだ者の、解放感だった。

「おとぎ話って、壮大でなくてもいいんですね」

 ティムはニヤリと笑いながら続ける。

「些細な動機やトラブルで、人は行動する。そしてその行動が、偶然、国を救ったり、誰かを鼓舞したりする。それが歴史の真理か…」

 フィリアンは、弟子の成長に目を細めた。そして、第1話で交わされた会話と同じ、優しい口調で、最後に茶化すように告げた。

「そ、そうだな、ティム」

「ね! そう言うことですよね、師匠!」

「う、うぅむ…。お前も、いずれ伝説になるぞ」

 フィリアンは微笑んだ。いや、苦々しくではあるが……。

「猫の吐瀉物や火炎魔法の失敗のせいでな。さあ、その『危険な応用』レポートを、私に提出しなさい。その燃えた紙切れに、私は『真理の火に身を焦がした弟子、ティムの偉大なる献身』と署名してやろう」

 ティムは満面の笑みとともに、深くお辞儀をした。

「ありがとうございます、フィリアン師匠。では、伝説の弟子として、このレポートを提出します」

 ティムが書斎を後にすると、フィリアンは一人、再び窓の外の街並みを見た。

「英雄伝説の真実……か」

 フィリアンは、サイラスとの最初の出会いを思い出し、目を細めた。そういや、あいつもこんな事ばかり言っていたな、と。



『コミュ障英雄と長寿エルフの達観レッスン』は、ここに完結した。





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 書斎は静寂に包まれていた。ティムは、前回、語られたフィリアンの「面倒くさいから真実を語らない」という達観した理由を反芻していた。それは、希望という魔法を許容し、なおかつ真実のくだらなさを楽しむという、長寿のエルフにしか到達できない境地だった。
「師匠」
 ティムは、窓から差し込む夕日を背に、フィリアンに向き直った。彼の顔には、もはや研究者としての焦りや、伝説崩壊への絶望はなかった。ただ、晴れやかな、諦めにも似た清々しさがあった。
「私は、今日、完全に達観しました。英雄とは、『個人的な羞恥心や、リンゴ飴への執着を、うまく隠せただけの人間』であると」
「うむ。その通りだ」
「そして、その小さな動機こそが、意図せずして国を救うという、歴史の真理であると」
 フィリアンは満足そうに微笑んだ。
「その真理を、お前自身が証明する番だ、ティム。最終話は、お前が自分の些細な失敗を語り、『英雄も歴史も、所詮こんなもの』という境地に達することで、この物語は完結する」
「私、ですか?」
 ティムは少し照れたように笑い、そして話し始めた。
「実は、私も最近、大変な失敗をしました。師匠に、この半年間学んだ『火炎魔法の応用』の研究レポートを提出することになっていたのですが……」
「ほう。どうした?」
「一昨日、猫の『ジャイアン』がそのレポートの上に吐き戻しまして。完全にダメになってしまいました。明日が提出期限なのに、一から書き直す時間はもうありません」
 フィリアンは目を細めた。猫のジャイアンとは、かつてサイラスが縮小魔法で魔王封印の儀式に見せかけた、あの巨大猫の子孫だ。
「つまり、お前は落第か。私に正直に謝れば、提出期限を延ばしてやってもいいぞ」
「いえ、師匠」
 ティムはキッパリと言い放った。
「私は、レポートを『提出しました』」
「何を言っている?」
「私は、吐き戻しでぐちゃぐちゃになった部分だけを、慌てて火炎魔法で燃やしました。すると、レポートは半分ほど焼け焦げましたが、『実験中に魔法の暴走に見舞われた』という体裁になったのです。残り半分に、それっぽい結論を書き添えました」
「……」
 フィリアンは沈黙した。ティムは静かに続けた。
「師匠。レポートは無残に焼け焦げていますが、これは『火炎魔法の危険な応用に挑戦した結果、自らの研究成果を犠牲にした、純粋で高尚な探求の証』として提出できます。猫の吐瀉物による失敗という、くだらない真実を隠すために、私は『危険な魔法の暴走』という壮大な虚構を捏造しました」
 ティムは、サイラスの木彫りのハムスターをそっと元の場所に戻した。彼の表情は、もはや英雄に憧れる少年ではなかった。彼は、この国の王や賢者たちと同じ、「個人的な些細な問題を、壮大な物語で隠蔽する者」の一員となっていた。
「私の失敗も、サイラス様の『沈黙の誓い』も、王の『戦略的沈黙』も、騎士団長の『無言の鉄壁の規律』も、構造は全く同じです」
「……」
「騎士団長がただ人に話しかけられるのが怖かったという、あの真実が、国最強の規律を生んだ。くだらない真実を隠すために、やたらとスケールの大きな虚構が生まれる。そして、その虚構が、私と同じようにトラブルでレポートを燃やした学生を鼓舞する『伝説』になるかもしれません」
 ティムは満面の笑みを浮かべた。彼の目には、もはや虚無感はなかった。それは、全てを達観し、自らも虚構の側に立つことを選んだ者の、解放感だった。
「おとぎ話って、壮大でなくてもいいんですね」
 ティムはニヤリと笑いながら続ける。
「些細な動機やトラブルで、人は行動する。そしてその行動が、偶然、国を救ったり、誰かを鼓舞したりする。それが歴史の真理か…」
 フィリアンは、弟子の成長に目を細めた。そして、第1話で交わされた会話と同じ、優しい口調で、最後に茶化すように告げた。
「そ、そうだな、ティム」
「ね! そう言うことですよね、師匠!」
「う、うぅむ…。お前も、いずれ伝説になるぞ」
 フィリアンは微笑んだ。いや、苦々しくではあるが……。
「猫の吐瀉物や火炎魔法の失敗のせいでな。さあ、その『危険な応用』レポートを、私に提出しなさい。その燃えた紙切れに、私は『真理の火に身を焦がした弟子、ティムの偉大なる献身』と署名してやろう」
 ティムは満面の笑みとともに、深くお辞儀をした。
「ありがとうございます、フィリアン師匠。では、伝説の弟子として、このレポートを提出します」
 ティムが書斎を後にすると、フィリアンは一人、再び窓の外の街並みを見た。
「英雄伝説の真実……か」
 フィリアンは、サイラスとの最初の出会いを思い出し、目を細めた。そういや、あいつもこんな事ばかり言っていたな、と。
『コミュ障英雄と長寿エルフの達観レッスン』は、ここに完結した。