表示設定
表示設定
目次 目次




#137 絡み合う思惑 (テルサ視点)

ー/ー



「如何ですか? 色々と踊ってみて、気になる御仁でも居りましたかな?」


 シャンパンの味と香りを楽しむ間、エルゲンが話しかけてきた。


「そうね。どれも素敵な方ばかりで迷ってしまうわ」
「我が息子は如何でしたか? 未熟な面もございますが、いずれは立派に成長して我が家を継いでくれると確信しております」
「とても笑顔の素敵な方だったわね」


 ひょっとしたら、今日のダンスパートナーの中から将来の伴侶が現れるかも知れない。


『邪神の息吹』を鎮めることが目下の課題であるため、そんな話題は栄耀教会の中からも聞こえてこないが、いつかはその時が来る。
 当然、誰もが『聖女』を一族に取り込んで繁栄に繋げたいと考えており、エルゲンが息子を私のダンスパートナーに推してきたのもそういう理由からだ。


 女の賞味期限は短い。
 結婚するなら若い内が良いに決まっているが、私はこれまでの人生で恋愛感情というものを抱いたことが一度も無い。


 そんな甘ったるい夢を見ている贅沢など、前の世界では許されなかった。
 最も身近だった家族の愛情が偽善と欺瞞で歪んでいたせいで、誰かに恋して愛を育むという行為が、今でも酷く難解で気持ちの悪いもののように思えてならないのだ。


 まあ、上流階級の婚姻には胸ときめくラブロマンスなど必要無く、優先されるのは合理性や甲斐性、愛は後からでも付いて来る。
 金で愛は買えないが、金が無ければ愛など簡単に冷めて干涸(ひから)びるということを、私は前の世界で存分に思い知っている。


「気になると言えば、あの方々はどちらからいらしたの? 他の方と装いの意匠が随分異なるけれど……ひょっとして異国の方かしら?」


 あちらの世界の中国や韓国、朝鮮、モンゴルなど東アジアの民族衣装を彷彿とさせる身なりをしており、顔立ちもこの国の者たちと異なる、私と同じ東洋系だ。


「東大陸最大の国、スェンシール帝国からやって来た交易商人でございます。この帝都には彼らの商館やスェンシール人の居留地が設けられており、東大陸との窓口にもなっております」


 江戸時代の長崎港にも、来航するオランダ人を幕府監督下に置くための『出島(でじま)』があった。


「しかし、このような舞踏会に彼らが顔を出すことなど、私が知る限りでは無かったのですが……」


 そう言ってエルゲンがチラリと私を見遣ったが、その見立ては恐らく正しい。
 私に接触して来ないのは、彼らも皇室から『聖女』への接触を控えるように言われているのだと思われる。
 先程からさり気無く様子を窺っていたが、あちらとは文化や作法が異なるからだろうか、もっぱら貴族たちとの談義に花を咲かせるばかりで、彼らが舞踏に加わる様子は見られなかった。


「お楽しみ頂けているかしら?」


 グラス片手に一息吐く私に、やって来た老貴婦人が声を掛けてきた。
 以前行われた『旭日』のお披露目の際や、この舞踏会が始まる前の打ち合わせで何度か対面していたため、声だけですぐに誰か分かった。


 姿勢を正して向き直る。


「ええ、皇后様。この度は素敵な舞踏会にお招き下さり、心より御礼申し上げます」
「『聖女』様は我が国に於ける最上級の国賓ですもの。お喜び頂けて何よりだわ」


 レヴィア・ニネ・ウルヴァルゼ──この国の皇后で、ラウルの祖母に当たる人物だ。
 凡庸なケルド帝と違ってレヴィア皇后は聡明な女性で、しかも栄耀教会を快く思っていないため、彼女を頼りにする反対派も数多いと聞いている。


 当然、私にとってもあまり好ましい相手ではないのだが、皇后である以上は礼節を以て接しなくてはならない。
 レヴィア皇后にしても、嫌っているのはあくまで専横極まる栄耀教会であって、ウィルドゥ家がそうだったように『聖女』への悪感情は無いはずだ。


「拝見していましたが、実に見事なダンスでしたわ。若い頃のわたくしとは大違い。何せ人生初の舞踏会で陛下の足を踏み付けてしまいましたもの」
「まあ……」


 レヴィア皇后が見遣った先では、ケルド帝が例の交易商人たちと談笑していた。


「どうかしら? 陛下が御手隙になられたら、一曲踊られては?」
「私と皇帝陛下で、ですか?」
「ええ。勿論、無理にとは申しませんが」


 婚約者や配偶者が居る相手と踊るのはマナー的に好ましいことではないが、今回は他でもないレヴィア皇后が勧めているのだから問題は無いはず。
 両陛下としては、国家最大の切り札である『聖女』をいつまでも栄耀教会に独占させている訳にもいかないので、この機会に少しでも親密な関係を築いておきたいという狙いがあるのだろう。


 皇后直々の提案なのだから、正当な理由無く断るなど以ての(ほか)だということは私でも分かるし、エルゲンとラウルも承諾すべきと視線で訴えている。


「陛下と踊れるだなんて光栄の極みです。私で良ければ喜んでお相手致しますとお伝え下さい」
「良きお返事、ありがとうございます。陛下もお喜びになるでしょう」


 話が一旦終わった所で、レヴィア皇后が表情を変える。


「『聖女』様、もう少しだけお時間宜しいかしら? お話ししたいことがあるの」
「何でしょう?」
「ここでは人目がありますので、場所を移しましょうか」


 歩き出したレヴィア皇后に従って、私もグラスをテーブルに置く。


「テルサ様、お供致しましょうか?」
「大丈夫よ。ここで待ってて」


 ラウルとエルゲンを待機させ、皇后と共に二階のバルコニーへ移動した。


 酒と熱で上気した素肌に夜風が心地良く当たる。
 弧を描く月が星明かりに囲まれて、静かな輝きを放っていた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む #138 聖女と皇后 (テルサ視点)


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「如何ですか? 色々と踊ってみて、気になる御仁でも居りましたかな?」
 シャンパンの味と香りを楽しむ間、エルゲンが話しかけてきた。
「そうね。どれも素敵な方ばかりで迷ってしまうわ」
「我が息子は如何でしたか? 未熟な面もございますが、いずれは立派に成長して我が家を継いでくれると確信しております」
「とても笑顔の素敵な方だったわね」
 ひょっとしたら、今日のダンスパートナーの中から将来の伴侶が現れるかも知れない。
『邪神の息吹』を鎮めることが目下の課題であるため、そんな話題は栄耀教会の中からも聞こえてこないが、いつかはその時が来る。
 当然、誰もが『聖女』を一族に取り込んで繁栄に繋げたいと考えており、エルゲンが息子を私のダンスパートナーに推してきたのもそういう理由からだ。
 女の賞味期限は短い。
 結婚するなら若い内が良いに決まっているが、私はこれまでの人生で恋愛感情というものを抱いたことが一度も無い。
 そんな甘ったるい夢を見ている贅沢など、前の世界では許されなかった。
 最も身近だった家族の愛情が偽善と欺瞞で歪んでいたせいで、誰かに恋して愛を育むという行為が、今でも酷く難解で気持ちの悪いもののように思えてならないのだ。
 まあ、上流階級の婚姻には胸ときめくラブロマンスなど必要無く、優先されるのは合理性や甲斐性、愛は後からでも付いて来る。
 金で愛は買えないが、金が無ければ愛など簡単に冷めて|干涸《ひから》びるということを、私は前の世界で存分に思い知っている。
「気になると言えば、あの方々はどちらからいらしたの? 他の方と装いの意匠が随分異なるけれど……ひょっとして異国の方かしら?」
 あちらの世界の中国や韓国、朝鮮、モンゴルなど東アジアの民族衣装を彷彿とさせる身なりをしており、顔立ちもこの国の者たちと異なる、私と同じ東洋系だ。
「東大陸最大の国、スェンシール帝国からやって来た交易商人でございます。この帝都には彼らの商館やスェンシール人の居留地が設けられており、東大陸との窓口にもなっております」
 江戸時代の長崎港にも、来航するオランダ人を幕府監督下に置くための『|出島《でじま》』があった。
「しかし、このような舞踏会に彼らが顔を出すことなど、私が知る限りでは無かったのですが……」
 そう言ってエルゲンがチラリと私を見遣ったが、その見立ては恐らく正しい。
 私に接触して来ないのは、彼らも皇室から『聖女』への接触を控えるように言われているのだと思われる。
 先程からさり気無く様子を窺っていたが、あちらとは文化や作法が異なるからだろうか、もっぱら貴族たちとの談義に花を咲かせるばかりで、彼らが舞踏に加わる様子は見られなかった。
「お楽しみ頂けているかしら?」
 グラス片手に一息吐く私に、やって来た老貴婦人が声を掛けてきた。
 以前行われた『旭日』のお披露目の際や、この舞踏会が始まる前の打ち合わせで何度か対面していたため、声だけですぐに誰か分かった。
 姿勢を正して向き直る。
「ええ、皇后様。この度は素敵な舞踏会にお招き下さり、心より御礼申し上げます」
「『聖女』様は我が国に於ける最上級の国賓ですもの。お喜び頂けて何よりだわ」
 レヴィア・ニネ・ウルヴァルゼ──この国の皇后で、ラウルの祖母に当たる人物だ。
 凡庸なケルド帝と違ってレヴィア皇后は聡明な女性で、しかも栄耀教会を快く思っていないため、彼女を頼りにする反対派も数多いと聞いている。
 当然、私にとってもあまり好ましい相手ではないのだが、皇后である以上は礼節を以て接しなくてはならない。
 レヴィア皇后にしても、嫌っているのはあくまで専横極まる栄耀教会であって、ウィルドゥ家がそうだったように『聖女』への悪感情は無いはずだ。
「拝見していましたが、実に見事なダンスでしたわ。若い頃のわたくしとは大違い。何せ人生初の舞踏会で陛下の足を踏み付けてしまいましたもの」
「まあ……」
 レヴィア皇后が見遣った先では、ケルド帝が例の交易商人たちと談笑していた。
「どうかしら? 陛下が御手隙になられたら、一曲踊られては?」
「私と皇帝陛下で、ですか?」
「ええ。勿論、無理にとは申しませんが」
 婚約者や配偶者が居る相手と踊るのはマナー的に好ましいことではないが、今回は他でもないレヴィア皇后が勧めているのだから問題は無いはず。
 両陛下としては、国家最大の切り札である『聖女』をいつまでも栄耀教会に独占させている訳にもいかないので、この機会に少しでも親密な関係を築いておきたいという狙いがあるのだろう。
 皇后直々の提案なのだから、正当な理由無く断るなど以ての|外《ほか》だということは私でも分かるし、エルゲンとラウルも承諾すべきと視線で訴えている。
「陛下と踊れるだなんて光栄の極みです。私で良ければ喜んでお相手致しますとお伝え下さい」
「良きお返事、ありがとうございます。陛下もお喜びになるでしょう」
 話が一旦終わった所で、レヴィア皇后が表情を変える。
「『聖女』様、もう少しだけお時間宜しいかしら? お話ししたいことがあるの」
「何でしょう?」
「ここでは人目がありますので、場所を移しましょうか」
 歩き出したレヴィア皇后に従って、私もグラスをテーブルに置く。
「テルサ様、お供致しましょうか?」
「大丈夫よ。ここで待ってて」
 ラウルとエルゲンを待機させ、皇后と共に二階のバルコニーへ移動した。
 酒と熱で上気した素肌に夜風が心地良く当たる。
 弧を描く月が星明かりに囲まれて、静かな輝きを放っていた。