大事を取って一晩だけ入院して、帰って来た自宅。
事故後に顔を合わせて以来、母は青葉、……「若葉」から片時も離れようとはしなかった。
病室でも、年齢的に付き添い不要と告げられたにもかかわらずパイプ椅子に腰掛けたままずっとベッドの横に詰めていたのだ。
学校に行くようになったのは、「青葉」の葬儀を挟んで一週間後。
それも母が出した「送り迎えをする」という条件付きだ。
「若葉ちゃん、──もういいの?」
「……うん。わたしはケガもしてないし──」
《《若葉のように》》伏し目がちでぼそぼそと呟く青葉に、クラスメイトは掛ける言葉に迷う素振りは見せつつも不審を抱く様子は一切誰からも感じなかった。担任の教員からも。
腫れ物に触るかのような接し方も、一週間が過ぎると少しずつ緩んでくる。
「ただいま、ママ」
「ああ、若葉ちゃん。おかえりなさい。何も困ったことなかった?」
一か月が経ち、ようやく送り迎えも断って一人登下校を始めた青葉が帰宅すると、リビングから玄関先に小走りで掛けて来た母の心配が滲む声。
「大丈夫。お友達も先生もやさしくしてくれるから」
妹ならきっとこう言う、と探りながらの会話にも不安などはなかった。
二人揃っていた時から、頻繁に入れ替って「若葉」になり切っていた経験が今役立っている。
姉妹二人の部屋は、今は青葉だけのものになった。
いつの間にか「青葉」の私物は、目に見える場所からは姿を消している。青葉が学校に行って家を空けている間に、母が片付けたのだろう。
妹の服や持ち物だけが、最初からそうだったかのように配置された子ども部屋。
青葉はその中で『若葉』としての生活を送っていた。
「若葉」の服を着て、「若葉」の友人たちに囲まれる日々。
その誰もが青葉を「若葉」として認識している。
両親の視線も言葉も、今は常に青葉だけに向けられていた。
すべて青葉が望んだとおりになったのだ。
「若葉ちゃん、手を洗ったらおやつにしましょう。ママね、久しぶりにお菓子作ったのよ。若葉ちゃんの好きなチーズケーキ」
「ありがとう、ママ。じゃあすぐ用意するから……」
母に微笑みで応え、自室のドアを開けた。
青葉は大して好きではないが、食べられないわけではないチーズケーキ。「母が自分のために作ってくれた」菓子という事実が重要なのだ。
ランドセルを下ろして、放り投げたい気持ちを抑えそっと椅子に置く。「若葉」ならきっとこうだから。
──ほらね。あたしならあの子のまねなんてカンタンなのよ。だってあたしは若葉よりずっと……。
弾む気持ちを出さないように、静かな足取りで洗面所に向かう。
手を洗って拭き、ふと鏡を見た。
映っているのは青葉だ。
世界中の誰もが『若葉』だと見做す、青葉の姿。
「ママ、このケーキすごくおいしい」
チーズケーキをフォークで切り取って口に運びながら、飲み込んだタイミングで母に笑い掛ける。
記憶のどこにもみつけられない、『邪魔』の入らない母と二人きりで向き合う時間を噛み締める。幼心に切望して手に入れた幸せを。
「そう、よかったわ。ねえ、若葉ちゃん。ママは《《若葉ちゃんさえいれば》》もうそれだけでいいの。だからお願い、あなただけは元気で──」
青葉の身を満たしていた喜びが一瞬で霧散した。
──今なんて言ったの? ママ、「死んだのが青葉の方で良かった」ってそういう意味なの……!?
生きてここにいるのは間違いなく『青葉』であるのに、周囲の皆が己に見るのは、もうこの世に存在しない妹なのだ。
鏡の中のもうひとりを消そうとして、青葉は「自分」を消してしまった。
この家に「ただいま」と言って帰れるのは、青葉ではない。ずっと、一生、青葉は『若葉』として生きなければならない。
……自分自身としてではなく、それでも愛され認められるために。
~END~