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第一編 マコトのハナシ

ー/ー



 ——意気揚々と船を降りて、十数分後のこと。
 港街を出てすぐにある、石畳の街道を歩いていたシルヴィカは。
『それ』を見つけるなり、即座に近くの岩陰に隠れた。
 そしてしばらく考えて、深ーく息をしてから。
 またそれの様子を見て「ひぇっ」と声を洩らす。

 実のところ、『それ』は血まみれの青年で、背の高い草の中で倒れ込んだまま。
 もはやそういうオブジェかと思うくらい、なんとも自然に紛れていたのだ。

「あの……生きて、ますか?」

 シルヴィカは首をかしげて、一応それに声をかけるが。
 あいにく、相手からの返事はなく。
 岩からゆっくり這い出ると、おずおずそれに近づいて。
 目をギュッとつむりながらも、それの手首に指を当てる。

 見た目こそひどいがどうやら脈はあるようで。
 傷の一つ一つも浅いものに見えたことから、シルヴィカはふぅ、とため息をついて。
「えっと、どういうこと……?」と、それから呟いた。

 * * * * *

「——で、君がここに運んでくれたわけだ」
 シルヴィカの話を聴き終えると、青年はうんうんとうなずき。
 そしてにやにやと笑いながら、藁のベッドの上でそんなことを言って。
「いえ、運んだのは、通りかかった商人さんたちです。私がやったのはそっちですよ」
 とシルヴィカは椅子から身を乗り出し、青年の包帯を指さすと。
「蜂蜜漬けの、いい包帯なんです」
 なんて言いながら、したり顔をした。

 対する青年はマイペースに。
「あっ、ほんとだちょっといい匂い」
 とか言いながら自分の身体を嗅いでいたが。
 それから少し考え込むと。
「あんた薬師なの?」と言って。

 シルヴィカは青年の腕を見ると、ふいっと目線を逸らしながら。
「そ、そうです……」とぎこちなく言い。
「何その反応」と返す青年の腕を、シルヴィカは手でゆっくり指すと。
 まだ血が止まっていないのか、そこではじんわりと赤が滲んでいて。
 首をかしげる青年に、シルヴィカはうつむきながら。
「血が苦手なんで……」と言った。

「なんで薬師やってんの君」
「治療は頑張ってやりますので!」
「いや、そうじゃなくて……まあいいや」
 腕組みをしながらも青年は、少し釈然としない様子で。
「街の薬師さんが今いないそうなので、帰るまでは私が担当しますね」
 なんてシルヴィカの言葉も、考え込んでいたのか何度も聞き返す。

 そんな様子が、少し気まずく感じたシルヴィカが。
「……なんであの場所で倒れてたんですか?」
 なんて、おそるおそる訊いてみると。
 青年は、ベッドの向こう側にある窓へ視線を向ける。
 シルヴィカの見間違いでなければの話だが。
 一瞬、青年の目は見開かれ。
 それに、苦々しい表情に見えた。

「——復讐だよ」

 窓の外から、ぼんやりと。
 子どもの騒ぐ声だとか。
 船乗りのかけ声が聞こえて。
 窓からそよぎ入った風に、シルヴィカは思わず目をつむる。

 青年の黒い短髪が、静かに風に揺られると。
 振り返った彼はまた明るい顔に戻っていて。
「まっ、それで負けたからこうなってるってわけ!」
 なんて言いながら、恥ずかしそうに笑っていた。

 そんな彼に、「えっ、あぁ、あはは」なんて。
 シルヴィカが愛想笑いで返すと、それからの青年はずっと。
「領主さんがお忍びで食べたブルーベリーのパイが……」とか。
「そういやあくどい古物商がいるらしくてさ……」とか。
 そんな別の話を続けていて、まるで復讐の話なんてないかのように振る舞うので。
 シルヴィカは内心、「対応を間違えたのかな」なんて思いながらも。
 その日の問診が終わるまで、彼の復讐については訊けなかった。

 * * * * *

 マコトと名乗った彼は次の日になっても相変わらず。
 というより悪化していて。
 話題がコロコロと変わるようになっていた。

 例えば「黒い建造物ってだいたいいわれがあるらしくて……」という始まりの話が。
「犬ってアホなのか賢いのかわからんよな」というまとめになっていたり。
「その地方じゃサボテンを食べるみたいで……」という話が。
「まっ、信頼の回復には時間がかかるってこった」と締められていたりだ。

 そんなことを続けられているうちに。
 シルヴィカのほうも、「深掘りは良くないのかなぁ?」と思うようになってきていたが。
 それでもなんとなく、いろんなことを話すマコトが楽しそうに見えなくて。
 もし、彼に事情があるのなら放ってはおけないとも思ってしまい。
 そのせいでシルヴィカは、彼との話を終えるたびに頭をかかえて。
「どうすりゃいいのよこれ……」なんて呟くのが日課と化してしまっていた。

 そんな進展のない、葛藤まみれの生活をしていても、時間は残酷なまでに進むもので。
 いつのまにか、彼と会ってからすでに四日も経過していて。
 その日の朝もシルヴィカは、大荷物を持って経過観察に来ていた。

 荷物の内容は主に果物や野菜などを含む食料品であり。
 マコトの部屋を貸してくれている『聖火の会』への差し入れだった。
 彼らはどうやら傷病者の受け入れも行なっているようで。
 マコトをかかえていたシルヴィカたちを見るなり、保護を買って出てくれたのだ。

 石で作られたドーム状の寺院の前で、シルヴィカは荷物を脇にかかえ。
 それからいつものように、暗い色の木戸をノックしようとするが。
 その日はそれよりも先に、シルヴィカの肩が叩かれる。
 振り向いた先にいたのは、灰色のローブを着た女性で。
 シルヴィカは彼女を見るなり、すぐに誰かわかった。

 それはこの寺院で暮らす女性で、マコトを診ているうちに仲良くなった女性だ。
「レッカさん、どうかしました?」なんてシルヴィカが首をかしげると。
 レッカはシルヴィカを手招いて。
「ちょっと告げ口したいことが……」と、寄ってきたシルヴィカの手首を掴み。
 そのままそそくさと、どこかへ移動を始める。

「えっ、あの、レッカさん?」
「ここじゃマズいと思うの」
 という会話をしながら、シルヴィカたちは寺院の裏にきて。
 レッカは生垣の裏や花壇を見渡すと、またシルヴィカを手招いて。
 それからそっと、耳打ちをした。

「マコトさん、夜中に出歩いてるみたいなの」

 シルヴィカは振り向いて。
「見逃したんですか……?」と言うが。
 レッカは「まさか!」と返し。
 耳を押さえるシルヴィカに、レッカは小さく謝ると。
「同じ部屋の子が見たのよ。あの子夜の火番だから」
 なんて腰に手を当てて、又聞きの話を続けた。

 いわく、少なくとも二日目の時点で彼は外出していたようで。
 レッカは手をひらひらとさせながら。
「あの人、一応安静なのよね?」と続け、シルヴィカはそれにうなずいた。
「あの傷だと、歩くだけで痛むはずですし……」
 むむむと声を洩らしながら、シルヴィカはしばらく首をかしげ。
 それから、ハッとしたような顔になり。

「この告げ口、マコトさん本人は知ってるんですか?」
 という問いに、レッカが首を横に振ると。
 シルヴィカは胸に手を当てて。
「なら、私に任せてください!」と彼女に言い切った。

「止めてくれるならまあいいけど……」と洩らすレッカに。
「そこまではちょっと、自信ないですね」とうつむくが。
 すぐに、眉根を寄せる相手を見上げて。
「私は英雄でも探偵さんでもありませんけど」

 ——やれることを、やりたいんです。

 なんて、シルヴィカは微笑む。
 そんな様子のシルヴィカに、レッカは。
「つまり、『任せて』っていうのはただのお願い……?」なんて腕を組んでいて。
「……はい」と、消え入りそうな声でシルヴィカはそれにうなずいた。

 * * * * *

 ともかく。
 失敗できないことに、事前情報は必須だ。
 マコトの経過観察を終えるなり、シルヴィカはすぐに街へ繰り出すと。
 しばらくうろちょろしてから覚悟を決めて、手当たり次第にいろんな人へ声をかけていく。

 例えば港で雑談をしている漁師たちだとか。
 客が一瞬途絶えた八百屋の店主だとか。
 そういう『この街に住む人』を中心に、シルヴィカは声をかけていったのだが。

 この街のあらゆる商売人たちによる「冷やかしに言うことはないよ」という。
 面白いくらいの異口同音に晒されて、どんどんシルヴィカの荷物は増えていき。
 太陽が真上に浮かぶ頃には、カゴいっぱいの荷物をかかえて歩くはめになっていた。

 ヨタヨタとした歩きかたで、左右に小刻みに揺れながら。
 シルヴィカはようやく着いたベンチに荷物を置くと。
「ふぃーっ」と、変なため息を洩らして、そのまま崩れるように座り込む。

 ベンチからの眺めは海で。
 太陽に照らされキラキラと白んだ波と水面の上には、ときどき、小さな影が浮かんでいて。
 ちいさな白いマストたちが、ちまちま行き来をしていた。

 そんな光景を見ていると、時間のせいかお腹が鳴っていて。
 シルヴィカは荷物を崩さないよう慎重な手つきでカゴを漁ると。
 押しつけられたブルーベリーのパイを手に取る。
 作ってから時間が経っているのか、湿り気と重さのあるそれを。
 シルヴィカはしばらく無心で、もさもさと頬張り。
「明日は焼きたて買おう」なんて決意をしていたのだが。

 ふいに、視界の端が気になった。
 単純に、人が見えたというのもあるが。
 その見える人の中に、剣を帯びた者が多くいるよう感じたのだ。
 彼らもシルヴィカと同じように、街の人々に聞き込みをしているようで。
 その様子はどこか、一定の真剣さと物騒な雰囲気を感じさせた。
 彼らを視界に捉えながら、シルヴィカはパイを水で流し込み。
 それからすっくと立ち上がって、すぐに彼らのほうへ駆ける。

 寄ってくるシルヴィカを見た彼らは、一瞬怪訝な目をしたが。
 旅の薬師だと言うと、すんなりとその事情を話してくれた。
「ああ、実はな——」なんて、武装した彼らが言うには。
 この街には『クレス』という隻腕の男がいるそうで。
 彼は世話焼きな人で、半ば有名人と化していたそうだ。
 しかし、その彼が少し前から行方不明になっていて。
 彼らのような街の自警団は、一応殺人の線も考慮してかれこれ四日捜査をしているそうだ。

「前はガラの悪い仕事してたらしいし」
 案外それ関連の復讐なのかもな。

 なんて、自警の男たちは言っていて。
 彼らに礼を述べると、そそくさとその場を立ち去ってから。
 しばらく、あごに指を当てながら、シルヴィカはベンチに座って考え始める。

 四日間の捜査と。
 復讐というワード。
 これはシルヴィカとマコトが会ってからの期間と。
 他でもないマコト自身の発言と符合している。
 これだけならマコトが犯人に思えるのだが……
 夜中に外出する理由の説明がまだつかない気がしたのだ。

 シルヴィカは頭をかかえながら、しばらくうなって。
 「いっそマコトさんが自分で本当のこと言ってくれたら……」と。
 そんなことをふと呟いたとき。

「今、マコトさんって……言いました?」
 なんて背後から声がして。
 振り返るとそこには、初老の女性が立っていた。
 シルヴィカがその女性に対して、ぎこちなくうなずくと。
 彼女が「隣、いいですか?」と訊くので。
 シルヴィカは荷物をよける。
 それを見ると初老の女性は、会釈をしてきて。
 それから、シルヴィカの隣に上品な仕草で座ると、ゆっくりと語り始めた。
「息子から、置き手紙があったんです」と紙片を取り出しながら。

 * * * * *

 その日の夜のこと。
 ぼんやり浮かぶ満月は、流れる雲で薄明と化し。
 黒いベールのように、暗がりが視界を覆っていた。
 あたりに人の姿はなくて、風が窓や扉を叩く音と。
 あずきを流したような波の音だけが、夜の街に響き渡る。
 そんな静けさの中一人、シルヴィカは建物の陰にいた。

 ランタンも灯さず、その視界の先に寺院を捉えて。
 シルヴィカはひっそりと、真っ白なマントにくるまる。
 そんなことを、もう一時間は続けていた。

 それでもしばらく待つと、寺院の壁から一つ、影のようなものが飛び降りてきて。
 その影はあたりをキョロキョロと見渡したあと、そのままよろよろ歩き始める。
 影が向かう先は、どうやら街の門のようで。
 それを確認するなりシルヴィカは、その影を追った。

 影は門を越えると、そのまま街道を進んでいき。
 石畳の道の先で、ペタペタとした足音が鳴る。
 やがてそんな足音に、さらさらとした音が混じって。
 シルヴィカは影を追って、草むらの中に入っていく。

 だんだん道は険しくなり。
 それでもペースの崩れない影に。
 シルヴィカはなんとか喰らいついて。
 上りも、下りも、急カーブも。
 何度も滑りそうになりながら。
 転びそうになりながらも。
 シルヴィカはそれに付いていき。
 いつのまにか周りは、針葉樹林になっていた。

 湿ってふわふわとした地面を、シルヴィカは慎重に進むと。
 やがて、開けた場所が目に入る。
 その場所の真ん中に、影はぽつりと立っていて。
 朱色の羽織りが、ひらひらと風に揺れていた。

「そんなに俺のこと気になる?」

 なんて明るい調子の声で、影は言って。
 振り向いた影の顔を見て、シルヴィカは少しそっぽを向く。
「……だって、つらそうだったから」
 シルヴィカがようやくランタンに火を灯し。
 影が照らされ見えたのは。
 案の定、マコトだった。

 彼はシルヴィカのほうを、じっと見つめてから。
「技術の発展は常に犠牲が——」と言いかけるが。
「マコトさん」と、シルヴィカがそれを遮って。

「……わかったよ」
 なんて返したマコトは、しばらく黙り込む。

 彼は指で横を指し、シルヴィカがそこに明かりを向けると。
 人の手で埋められたかのように、そこの地面だけ様子が違って。
 その中央には、剣が一本刺さっていた。

「クレスさん、ですか?」
「知ってたのか?」
「彼のお母様から、事情は聞きました」

 シルヴィカはウエストポーチから紙切れを出し。
 それをマコトに手渡すと、彼はぽつりと。
「きったねぇ字……右利きだもんなぁ」
 なんて言っていた。
「『正統な決闘だからどっちが勝っても責めないでくれ』だってよ」
 あいつらしい。と、マコトは乾いた笑い声を出すと。
 その場にへたりと座り込んで。
「横、座んなよ」とシルヴィカに手招きをした。

「そこ、地べたなんですけど」と言いたい気持ちを我慢しながら。
 シルヴィカはスカートの裾を上げながらしゃがみ込むと。
 湿った土の匂いが、漂っているのを感じた。

 そんなシルヴィカをじっと見てから。
 視線を刺さった剣に向けると。
「復讐っていうのは、俺がされるほうだったんだ」
 なんて。
 マコトは妙に穏やかな声で。
 他人事のように、語り始める。

「俺、孤児でさ。そういう子どもって奉公とか孤児院に送られるんだけど」
 俺の場合はそのまま売られて、傭兵まがいのことしてるやつらに買われたんだ。
 クレスと会ったのはそいつらの拠点で……
 まあ、俺より年上だったし、あいつはいろいろ知ってたよ。
 剣の持ちかたから、応急処置、受け身の取りかた。
 事実上俺の教育係みたいになってて、それで仲良くなった。
 大人になってからも、腐れ縁みたいになってさ。
 二人でよく一緒に飲んだよ。
「——あの日まではな」

 * * * * *

 マコトいわく、その日の戦場も、ぱっと見はいつも通りで。
 いつものように前金を得て。
 いつものように目的を果たし。
 そして、いつものように報酬も貰う。
 そんな、親の顔より見た光景のはずだった。
 マコトも仲間たちも、それを疑ってすらいなかった。

 だが、敵の砦はいともたやすくマコトたちを招き入れ。
 いともたやすく奥へ進軍させ。

 そして、内側から爆ぜた。

 響くような轟音のあと。
 耳がしばらくキンとして。
 目の前を進んでいた仲間が、あっという間に声すら上げなくなっていた。
 飛び散ったものが当たって、しばらく意識を失っているうちに。
 あたりは瓦礫と欠片が散らばっていて。
 戦場は、阿鼻叫喚となっていた。

 壮絶な光景だった。
 自分より強いはずの。
 心身を鍛えた男たちが。
 まるで子どもみたいに悲鳴を上げていて。
 それもだんだん、炎のパチパチとした音にかき消される。

 荒い息をしながらも、マコトはなんとか立ち上がって。
 向こうからやってくる敵兵を気合いで睨みつけると。
 すれ違いざまに腹を割き。
 カウンター気味に腕を落とす。
 足払いを用いては。
 手のサーベルで喉を狩った。

 喉の奥が焼けるような。
 目が炙られているような。
 そんな感覚の中でも、自然と身体は動いていて。
 動かなくなった仲間を見つけるたびに。
 その戦いぶりは加速していった。

 そしてようやく、あたりの敵を殲滅して。
 生き残った仲間を探し出したあたりでマコトは。

 ——クレスを見つけた。

 その右半身は瓦礫に潰されていて。
 クレスがうめいてもがくたび、イヤな音が響いた。
 瓦礫と地面の間に、サーベルの先を刺して。
「まっ、待ってろ‼︎ 今——」
 なんて。
 マコトが咄嗟に、言いかけたとき。

 撤退合図の太鼓が鳴って。
 ふいに顔を上げた瞬間。
 はるか遠くに、上質な織り物のような。
 陣形による幾何学模様が見えて。
 マコトは思わず、剣を落とした。

 撤退の合図だ。
 クレスはどうする。
 間に合うわけがない。
 友だちなんだ。
 増援が来てる。

 冷や汗がどんどん湧いてきて。
 落ち着いたはずの、息も乱れる。
 ぐるぐると回る思考の中、ふいに視線を落とすと。
 クレスは何かを言いたそうに、口をパクパクさせていて。
 その期待と諦めの混じったような、赤くなった目を見てしまい。
 マコトはふるふると首を横に振ると。
「すまん、すまん……っ」と。
 クレスに背を向け、走り出した。

 仕方なかった。
 あいつだってそうした。
 死にたくなかった。
 どうせ助からない。

 そんな言いわけすらかき消すように。
 マコトはただ脇目も振らず。
 走って。
 走り続けて。
 やがて知らない場所にたどり着き、ようやく倒れ込んだ。

 * * * * *

「——そのときからだよ。クレスの声が聞こえるようになったのは」
 この街に来てからはもっとひどくなってさ。
 ……必死に考えないようにしてるけど。
 俺、頭おかしくなってるのかもな。

 そう言い終えると、マコトはうつむいて。
 震える手を手で押さえながら、彼は深呼吸をしてむせた。
 コロコロと変わる、彼の話題。それはきっと、彼なりの正気を保つ方法なのだろう。
 シルヴィカは自身の胸に手を当てて、悲しそうな顔で。
「……あなたは、正気過ぎるんですよ」とこぼすが。
「どのみち秒読みだろうよ」とマコトは言う。

 彼は折れそうなくらいの力で、自分の手首を握り。
「死んだと思ってた。あいつには母親がいるから、せめて訃報をって……」
 それから手を離して、額の脂汗を拭うと。
「でも生きてて、俺を恨んでた」
 俺も最初は、やられても仕方ないって。
 こいつならまあいいかって。
 でも土壇場で、死にたくなくなって……っ。
 息を吸って、吸って。
 やがてマコトは、絞り出すような声で。

「クレスを……した」と。
 何かを、言った。

 彼は両手で目元を覆い。
「あいつ、俺より強いんだよ」
 俺なんかに、負けるはずないんだよ。
 もしかしたら、また生きてるんじゃないかって……
 なんてうわ言のように言っていて。

 その光景にシルヴィカは、思わず目を背けた。
 彼が自分のことを話してくれた理由。
 それはきっと観念したからでも、話して楽になりたかったからでもないのだろう。

 叱責も、慰めも、どんなに言葉を選んでも、きっと、マコトを傷つけるだけだ。
 そう思えてしまったシルヴィカは、ただ何も言えず。
 それでも、なんとかしたくて、考えて考えて。
 考えても、結局上手い言葉なんて出なくて。
 それでも思考を止めずに、しばらく悩んだのち。
 シルヴィカは小さく「よしっ」と呟く。

「マコトさん」
「……なんだよ?」
 振り向いたマコトを確認して、シルヴィカはまぶたを閉じると。

 ——そのまま彼に、抱きついた。

「ちょっ、はぁ⁉︎」ともがくマコトに。

「私には、かけられる言葉がなくて……」
 その、こういうのしか、思いつかなくて。
 それでもよければ、こうさせてください。

 なんて優しい声で言って。
 シルヴィカは腕の力を強めると。
「私、後悔があって、薬師になったんです」
 だから、あなたの気持ちはわかりませんけど。
 つらいことだっていうのは、わかるんです。
 と言葉を続けて、マコトの背をトントンと叩く。

 彼の骨ばった背中の、傷を避けるように。
 あやすように、それを続けると。

 やがてシルヴィカの肩に、ため息のかかる感触がして。
「血、苦手だったんじゃないのかよ」
 というマコトの言葉に。
「もう固まってますよ」とシルヴィカは返して。
 マコトは小さく「そうかい」と言った。

 雲から顔を出した満月が。
 森を明るく照らして。
 黄色く染まった光景で。
 木々がざわざわ言っていた。

 少し肌寒い風の中。
 二人はしばらくそうしていて。
 あたりには、息の音だけが響く。
 やがてまた月が隠れ。
 二人の鼓動がゆっくりと。
 ペースを遅くする頃に。
 どこか遠くで、船鐘の鳴る音がした。

 * * * * *

 次の日になり、帰ってきた街の薬師への引き継ぎを終えると。
 シルヴィカはすぐに、出発の準備を始めた。

 地図をしばらく眺めながら、港街の中を歩き。
 赤い屋根の家たちを、ぼんやり見渡しながら進む。
 やがて、街の門前にまで来ると。
「もう出るのか?」なんて声がして。

 振り返ると、マコトが手をひらひらと振っていて。
「やりたいことが、ありますから」とシルヴィカが微笑むと。
「そっか」とマコトは笑いながら、そのまますぐ踵を返し。
「ありがとな」と言った。
 シルヴィカはその背を眺めながら。

「お大事に」
 と投げかけて。
 真っ白なマントをはたいてから、街の外へ踏み出す。

 マコトはもう、心配ない。
 そう思えていたせいか、その足取りは軽くて。
「最初の街で五日かぁ」なんてぼやきも、どこか明るい声色。

 港街から伸びていく、長い長い街道を。
 やがてシルヴィカは、のんびりと歩き出す。
 深緑色の草たちが、さらさらと風に揺られていて。
 潮風香るその道を、真っ白な太陽が、ただうららかに見下ろしていた。


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 なんて言いながら、したり顔をした。
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 とか言いながら自分の身体を嗅いでいたが。
 それから少し考え込むと。
「あんた薬師なの?」と言って。
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「そ、そうです……」とぎこちなく言い。
「何その反応」と返す青年の腕を、シルヴィカは手でゆっくり指すと。
 まだ血が止まっていないのか、そこではじんわりと赤が滲んでいて。
 首をかしげる青年に、シルヴィカはうつむきながら。
「血が苦手なんで……」と言った。
「なんで薬師やってんの君」
「治療は頑張ってやりますので!」
「いや、そうじゃなくて……まあいいや」
 腕組みをしながらも青年は、少し釈然としない様子で。
「街の薬師さんが今いないそうなので、帰るまでは私が担当しますね」
 なんてシルヴィカの言葉も、考え込んでいたのか何度も聞き返す。
 そんな様子が、少し気まずく感じたシルヴィカが。
「……なんであの場所で倒れてたんですか?」
 なんて、おそるおそる訊いてみると。
 青年は、ベッドの向こう側にある窓へ視線を向ける。
 シルヴィカの見間違いでなければの話だが。
 一瞬、青年の目は見開かれ。
 それに、苦々しい表情に見えた。
「——復讐だよ」
 窓の外から、ぼんやりと。
 子どもの騒ぐ声だとか。
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 窓からそよぎ入った風に、シルヴィカは思わず目をつむる。
 青年の黒い短髪が、静かに風に揺られると。
 振り返った彼はまた明るい顔に戻っていて。
「まっ、それで負けたからこうなってるってわけ!」
 なんて言いながら、恥ずかしそうに笑っていた。
 そんな彼に、「えっ、あぁ、あはは」なんて。
 シルヴィカが愛想笑いで返すと、それからの青年はずっと。
「領主さんがお忍びで食べたブルーベリーのパイが……」とか。
「そういやあくどい古物商がいるらしくてさ……」とか。
 そんな別の話を続けていて、まるで復讐の話なんてないかのように振る舞うので。
 シルヴィカは内心、「対応を間違えたのかな」なんて思いながらも。
 その日の問診が終わるまで、彼の復讐については訊けなかった。
 * * * * *
 マコトと名乗った彼は次の日になっても相変わらず。
 というより悪化していて。
 話題がコロコロと変わるようになっていた。
 例えば「黒い建造物ってだいたいいわれがあるらしくて……」という始まりの話が。
「犬ってアホなのか賢いのかわからんよな」というまとめになっていたり。
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「まっ、信頼の回復には時間がかかるってこった」と締められていたりだ。
 そんなことを続けられているうちに。
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 レッカはシルヴィカを手招いて。
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 そのままそそくさと、どこかへ移動を始める。
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「ここじゃマズいと思うの」
 という会話をしながら、シルヴィカたちは寺院の裏にきて。
 レッカは生垣の裏や花壇を見渡すと、またシルヴィカを手招いて。
 それからそっと、耳打ちをした。
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 シルヴィカは振り向いて。
「見逃したんですか……?」と言うが。
 レッカは「まさか!」と返し。
 耳を押さえるシルヴィカに、レッカは小さく謝ると。
「同じ部屋の子が見たのよ。あの子夜の火番だから」
 なんて腰に手を当てて、又聞きの話を続けた。
 いわく、少なくとも二日目の時点で彼は外出していたようで。
 レッカは手をひらひらとさせながら。
「あの人、一応安静なのよね?」と続け、シルヴィカはそれにうなずいた。
「あの傷だと、歩くだけで痛むはずですし……」
 むむむと声を洩らしながら、シルヴィカはしばらく首をかしげ。
 それから、ハッとしたような顔になり。
「この告げ口、マコトさん本人は知ってるんですか?」
 という問いに、レッカが首を横に振ると。
 シルヴィカは胸に手を当てて。
「なら、私に任せてください!」と彼女に言い切った。
「止めてくれるならまあいいけど……」と洩らすレッカに。
「そこまではちょっと、自信ないですね」とうつむくが。
 すぐに、眉根を寄せる相手を見上げて。
「私は英雄でも探偵さんでもありませんけど」
 ——やれることを、やりたいんです。
 なんて、シルヴィカは微笑む。
 そんな様子のシルヴィカに、レッカは。
「つまり、『任せて』っていうのはただのお願い……?」なんて腕を組んでいて。
「……はい」と、消え入りそうな声でシルヴィカはそれにうなずいた。
 * * * * *
 ともかく。
 失敗できないことに、事前情報は必須だ。
 マコトの経過観察を終えるなり、シルヴィカはすぐに街へ繰り出すと。
 しばらくうろちょろしてから覚悟を決めて、手当たり次第にいろんな人へ声をかけていく。
 例えば港で雑談をしている漁師たちだとか。
 客が一瞬途絶えた八百屋の店主だとか。
 そういう『この街に住む人』を中心に、シルヴィカは声をかけていったのだが。
 この街のあらゆる商売人たちによる「冷やかしに言うことはないよ」という。
 面白いくらいの異口同音に晒されて、どんどんシルヴィカの荷物は増えていき。
 太陽が真上に浮かぶ頃には、カゴいっぱいの荷物をかかえて歩くはめになっていた。
 ヨタヨタとした歩きかたで、左右に小刻みに揺れながら。
 シルヴィカはようやく着いたベンチに荷物を置くと。
「ふぃーっ」と、変なため息を洩らして、そのまま崩れるように座り込む。
 ベンチからの眺めは海で。
 太陽に照らされキラキラと白んだ波と水面の上には、ときどき、小さな影が浮かんでいて。
 ちいさな白いマストたちが、ちまちま行き来をしていた。
 そんな光景を見ていると、時間のせいかお腹が鳴っていて。
 シルヴィカは荷物を崩さないよう慎重な手つきでカゴを漁ると。
 押しつけられたブルーベリーのパイを手に取る。
 作ってから時間が経っているのか、湿り気と重さのあるそれを。
 シルヴィカはしばらく無心で、もさもさと頬張り。
「明日は焼きたて買おう」なんて決意をしていたのだが。
 ふいに、視界の端が気になった。
 単純に、人が見えたというのもあるが。
 その見える人の中に、剣を帯びた者が多くいるよう感じたのだ。
 彼らもシルヴィカと同じように、街の人々に聞き込みをしているようで。
 その様子はどこか、一定の真剣さと物騒な雰囲気を感じさせた。
 彼らを視界に捉えながら、シルヴィカはパイを水で流し込み。
 それからすっくと立ち上がって、すぐに彼らのほうへ駆ける。
 寄ってくるシルヴィカを見た彼らは、一瞬怪訝な目をしたが。
 旅の薬師だと言うと、すんなりとその事情を話してくれた。
「ああ、実はな——」なんて、武装した彼らが言うには。
 この街には『クレス』という隻腕の男がいるそうで。
 彼は世話焼きな人で、半ば有名人と化していたそうだ。
 しかし、その彼が少し前から行方不明になっていて。
 彼らのような街の自警団は、一応殺人の線も考慮してかれこれ四日捜査をしているそうだ。
「前はガラの悪い仕事してたらしいし」
 案外それ関連の復讐なのかもな。
 なんて、自警の男たちは言っていて。
 彼らに礼を述べると、そそくさとその場を立ち去ってから。
 しばらく、あごに指を当てながら、シルヴィカはベンチに座って考え始める。
 四日間の捜査と。
 復讐というワード。
 これはシルヴィカとマコトが会ってからの期間と。
 他でもないマコト自身の発言と符合している。
 これだけならマコトが犯人に思えるのだが……
 夜中に外出する理由の説明がまだつかない気がしたのだ。
 シルヴィカは頭をかかえながら、しばらくうなって。
 「いっそマコトさんが自分で本当のこと言ってくれたら……」と。
 そんなことをふと呟いたとき。
「今、マコトさんって……言いました?」
 なんて背後から声がして。
 振り返るとそこには、初老の女性が立っていた。
 シルヴィカがその女性に対して、ぎこちなくうなずくと。
 彼女が「隣、いいですか?」と訊くので。
 シルヴィカは荷物をよける。
 それを見ると初老の女性は、会釈をしてきて。
 それから、シルヴィカの隣に上品な仕草で座ると、ゆっくりと語り始めた。
「息子から、置き手紙があったんです」と紙片を取り出しながら。
 * * * * *
 その日の夜のこと。
 ぼんやり浮かぶ満月は、流れる雲で薄明と化し。
 黒いベールのように、暗がりが視界を覆っていた。
 あたりに人の姿はなくて、風が窓や扉を叩く音と。
 あずきを流したような波の音だけが、夜の街に響き渡る。
 そんな静けさの中一人、シルヴィカは建物の陰にいた。
 ランタンも灯さず、その視界の先に寺院を捉えて。
 シルヴィカはひっそりと、真っ白なマントにくるまる。
 そんなことを、もう一時間は続けていた。
 それでもしばらく待つと、寺院の壁から一つ、影のようなものが飛び降りてきて。
 その影はあたりをキョロキョロと見渡したあと、そのままよろよろ歩き始める。
 影が向かう先は、どうやら街の門のようで。
 それを確認するなりシルヴィカは、その影を追った。
 影は門を越えると、そのまま街道を進んでいき。
 石畳の道の先で、ペタペタとした足音が鳴る。
 やがてそんな足音に、さらさらとした音が混じって。
 シルヴィカは影を追って、草むらの中に入っていく。
 だんだん道は険しくなり。
 それでもペースの崩れない影に。
 シルヴィカはなんとか喰らいついて。
 上りも、下りも、急カーブも。
 何度も滑りそうになりながら。
 転びそうになりながらも。
 シルヴィカはそれに付いていき。
 いつのまにか周りは、針葉樹林になっていた。
 湿ってふわふわとした地面を、シルヴィカは慎重に進むと。
 やがて、開けた場所が目に入る。
 その場所の真ん中に、影はぽつりと立っていて。
 朱色の羽織りが、ひらひらと風に揺れていた。
「そんなに俺のこと気になる?」
 なんて明るい調子の声で、影は言って。
 振り向いた影の顔を見て、シルヴィカは少しそっぽを向く。
「……だって、つらそうだったから」
 シルヴィカがようやくランタンに火を灯し。
 影が照らされ見えたのは。
 案の定、マコトだった。
 彼はシルヴィカのほうを、じっと見つめてから。
「技術の発展は常に犠牲が——」と言いかけるが。
「マコトさん」と、シルヴィカがそれを遮って。
「……わかったよ」
 なんて返したマコトは、しばらく黙り込む。
 彼は指で横を指し、シルヴィカがそこに明かりを向けると。
 人の手で埋められたかのように、そこの地面だけ様子が違って。
 その中央には、剣が一本刺さっていた。
「クレスさん、ですか?」
「知ってたのか?」
「彼のお母様から、事情は聞きました」
 シルヴィカはウエストポーチから紙切れを出し。
 それをマコトに手渡すと、彼はぽつりと。
「きったねぇ字……右利きだもんなぁ」
 なんて言っていた。
「『正統な決闘だからどっちが勝っても責めないでくれ』だってよ」
 あいつらしい。と、マコトは乾いた笑い声を出すと。
 その場にへたりと座り込んで。
「横、座んなよ」とシルヴィカに手招きをした。
「そこ、地べたなんですけど」と言いたい気持ちを我慢しながら。
 シルヴィカはスカートの裾を上げながらしゃがみ込むと。
 湿った土の匂いが、漂っているのを感じた。
 そんなシルヴィカをじっと見てから。
 視線を刺さった剣に向けると。
「復讐っていうのは、俺がされるほうだったんだ」
 なんて。
 マコトは妙に穏やかな声で。
 他人事のように、語り始める。
「俺、孤児でさ。そういう子どもって奉公とか孤児院に送られるんだけど」
 俺の場合はそのまま売られて、傭兵まがいのことしてるやつらに買われたんだ。
 クレスと会ったのはそいつらの拠点で……
 まあ、俺より年上だったし、あいつはいろいろ知ってたよ。
 剣の持ちかたから、応急処置、受け身の取りかた。
 事実上俺の教育係みたいになってて、それで仲良くなった。
 大人になってからも、腐れ縁みたいになってさ。
 二人でよく一緒に飲んだよ。
「——あの日まではな」
 * * * * *
 マコトいわく、その日の戦場も、ぱっと見はいつも通りで。
 いつものように前金を得て。
 いつものように目的を果たし。
 そして、いつものように報酬も貰う。
 そんな、親の顔より見た光景のはずだった。
 マコトも仲間たちも、それを疑ってすらいなかった。
 だが、敵の砦はいともたやすくマコトたちを招き入れ。
 いともたやすく奥へ進軍させ。
 そして、内側から爆ぜた。
 響くような轟音のあと。
 耳がしばらくキンとして。
 目の前を進んでいた仲間が、あっという間に声すら上げなくなっていた。
 飛び散ったものが当たって、しばらく意識を失っているうちに。
 あたりは瓦礫と欠片が散らばっていて。
 戦場は、阿鼻叫喚となっていた。
 壮絶な光景だった。
 自分より強いはずの。
 心身を鍛えた男たちが。
 まるで子どもみたいに悲鳴を上げていて。
 それもだんだん、炎のパチパチとした音にかき消される。
 荒い息をしながらも、マコトはなんとか立ち上がって。
 向こうからやってくる敵兵を気合いで睨みつけると。
 すれ違いざまに腹を割き。
 カウンター気味に腕を落とす。
 足払いを用いては。
 手のサーベルで喉を狩った。
 喉の奥が焼けるような。
 目が炙られているような。
 そんな感覚の中でも、自然と身体は動いていて。
 動かなくなった仲間を見つけるたびに。
 その戦いぶりは加速していった。
 そしてようやく、あたりの敵を殲滅して。
 生き残った仲間を探し出したあたりでマコトは。
 ——クレスを見つけた。
 その右半身は瓦礫に潰されていて。
 クレスがうめいてもがくたび、イヤな音が響いた。
 瓦礫と地面の間に、サーベルの先を刺して。
「まっ、待ってろ‼︎ 今——」
 なんて。
 マコトが咄嗟に、言いかけたとき。
 撤退合図の太鼓が鳴って。
 ふいに顔を上げた瞬間。
 はるか遠くに、上質な織り物のような。
 陣形による幾何学模様が見えて。
 マコトは思わず、剣を落とした。
 撤退の合図だ。
 クレスはどうする。
 間に合うわけがない。
 友だちなんだ。
 増援が来てる。
 冷や汗がどんどん湧いてきて。
 落ち着いたはずの、息も乱れる。
 ぐるぐると回る思考の中、ふいに視線を落とすと。
 クレスは何かを言いたそうに、口をパクパクさせていて。
 その期待と諦めの混じったような、赤くなった目を見てしまい。
 マコトはふるふると首を横に振ると。
「すまん、すまん……っ」と。
 クレスに背を向け、走り出した。
 仕方なかった。
 あいつだってそうした。
 死にたくなかった。
 どうせ助からない。
 そんな言いわけすらかき消すように。
 マコトはただ脇目も振らず。
 走って。
 走り続けて。
 やがて知らない場所にたどり着き、ようやく倒れ込んだ。
 * * * * *
「——そのときからだよ。クレスの声が聞こえるようになったのは」
 この街に来てからはもっとひどくなってさ。
 ……必死に考えないようにしてるけど。
 俺、頭おかしくなってるのかもな。
 そう言い終えると、マコトはうつむいて。
 震える手を手で押さえながら、彼は深呼吸をしてむせた。
 コロコロと変わる、彼の話題。それはきっと、彼なりの正気を保つ方法なのだろう。
 シルヴィカは自身の胸に手を当てて、悲しそうな顔で。
「……あなたは、正気過ぎるんですよ」とこぼすが。
「どのみち秒読みだろうよ」とマコトは言う。
 彼は折れそうなくらいの力で、自分の手首を握り。
「死んだと思ってた。あいつには母親がいるから、せめて訃報をって……」
 それから手を離して、額の脂汗を拭うと。
「でも生きてて、俺を恨んでた」
 俺も最初は、やられても仕方ないって。
 こいつならまあいいかって。
 でも土壇場で、死にたくなくなって……っ。
 息を吸って、吸って。
 やがてマコトは、絞り出すような声で。
「クレスを……した」と。
 何かを、言った。
 彼は両手で目元を覆い。
「あいつ、俺より強いんだよ」
 俺なんかに、負けるはずないんだよ。
 もしかしたら、また生きてるんじゃないかって……
 なんてうわ言のように言っていて。
 その光景にシルヴィカは、思わず目を背けた。
 彼が自分のことを話してくれた理由。
 それはきっと観念したからでも、話して楽になりたかったからでもないのだろう。
 叱責も、慰めも、どんなに言葉を選んでも、きっと、マコトを傷つけるだけだ。
 そう思えてしまったシルヴィカは、ただ何も言えず。
 それでも、なんとかしたくて、考えて考えて。
 考えても、結局上手い言葉なんて出なくて。
 それでも思考を止めずに、しばらく悩んだのち。
 シルヴィカは小さく「よしっ」と呟く。
「マコトさん」
「……なんだよ?」
 振り向いたマコトを確認して、シルヴィカはまぶたを閉じると。
 ——そのまま彼に、抱きついた。
「ちょっ、はぁ⁉︎」ともがくマコトに。
「私には、かけられる言葉がなくて……」
 その、こういうのしか、思いつかなくて。
 それでもよければ、こうさせてください。
 なんて優しい声で言って。
 シルヴィカは腕の力を強めると。
「私、後悔があって、薬師になったんです」
 だから、あなたの気持ちはわかりませんけど。
 つらいことだっていうのは、わかるんです。
 と言葉を続けて、マコトの背をトントンと叩く。
 彼の骨ばった背中の、傷を避けるように。
 あやすように、それを続けると。
 やがてシルヴィカの肩に、ため息のかかる感触がして。
「血、苦手だったんじゃないのかよ」
 というマコトの言葉に。
「もう固まってますよ」とシルヴィカは返して。
 マコトは小さく「そうかい」と言った。
 雲から顔を出した満月が。
 森を明るく照らして。
 黄色く染まった光景で。
 木々がざわざわ言っていた。
 少し肌寒い風の中。
 二人はしばらくそうしていて。
 あたりには、息の音だけが響く。
 やがてまた月が隠れ。
 二人の鼓動がゆっくりと。
 ペースを遅くする頃に。
 どこか遠くで、船鐘の鳴る音がした。
 * * * * *
 次の日になり、帰ってきた街の薬師への引き継ぎを終えると。
 シルヴィカはすぐに、出発の準備を始めた。
 地図をしばらく眺めながら、港街の中を歩き。
 赤い屋根の家たちを、ぼんやり見渡しながら進む。
 やがて、街の門前にまで来ると。
「もう出るのか?」なんて声がして。
 振り返ると、マコトが手をひらひらと振っていて。
「やりたいことが、ありますから」とシルヴィカが微笑むと。
「そっか」とマコトは笑いながら、そのまますぐ踵を返し。
「ありがとな」と言った。
 シルヴィカはその背を眺めながら。
「お大事に」
 と投げかけて。
 真っ白なマントをはたいてから、街の外へ踏み出す。
 マコトはもう、心配ない。
 そう思えていたせいか、その足取りは軽くて。
「最初の街で五日かぁ」なんてぼやきも、どこか明るい声色。
 港街から伸びていく、長い長い街道を。
 やがてシルヴィカは、のんびりと歩き出す。
 深緑色の草たちが、さらさらと風に揺られていて。
 潮風香るその道を、真っ白な太陽が、ただうららかに見下ろしていた。