返り血で染めたような、深紅の長い髪を揺らし、男は道を歩く。黒い棘を光らせる大振りの薔薇が、頭を垂れて男の歩みを見つめている。ぬかるみが男の靴を汚し、着衣の裾まで跳ねてこびり付く。
暗い雨の降る夜だった。人の寄り付かないような大きな木の枝葉の下で、腰の曲がった三人の魔女が歌っていた。
「美しいものは汚くて」
「汚いものこそ美しい」
「霧と汚れた空気の中を、漂うものこそ――」
一人の魔女の頭が弾け飛んだ。柘榴の果汁のように赤い液体が辺りに飛散し、残る二人の魔女の頬を彩った。
「な――何者だ!? 誰だ、貴様は何だ!」
ゆっくりと、頭部を失った魔女の身体が傾き倒れる。
「何だ、とは妙なことを言うね。私が人間に見えないと?」
男は心外だと言わんばかりの口調で、場違いなほどに穏やかな笑みを浮かべていた。
「貴様、は――王、いや、貴様は――」
魔女の頭がもう一つ、軽快な破裂音と共に弾けた。一人残された魔女は全身を震わせながら後ずさる。その顔は恐怖に歪み、ひび割れた唇からは泡を噴きながら、ただ叫んだ。
「偽物め! 貴様は王ではない! その皮はいずれ剥がされ――」
魔女には、その言葉を言い切ることはできなかった。目には見えない巨人の手に握り潰されるように、あるいは熟した果実が肥大に耐えきれず内側から爆ぜるように。
「それは呪詛なのかい? 予言なのかい? どちらにしても、構わないけれど」
場には頭部のない三つの亡骸と、赤い髪の男だけが残った。雨に打たれ、希釈されていく血溜まりを踏み分けながら、彼は魔女だったものに近付いた。冷え切った青白い指先が、悍ましい音を響かせながら亡骸の内側を弄っている。
誰も見ていない、誰も聞いていない。全ては雨音にかき消され、洗い流されていくだろう。
「……うん? 心臓は二つで良いのだったかな。まあ、半分に分けて詰めておけば良いか……うん、多いに越したことはない」
遠くで雷鳴が響いていた。
コーディリアは生まれつき、太ももから下が動かなかった。立ち上がることも、歩くこともできない。成長しても筋肉の薄い足は、ただただ重たく邪魔な存在でしかなかった。
偉大なるブリテン王の三男として生を受けたにも関わらず、勇猛に剣を振るうことも、王の補佐として執務をこなすこともできない。
年齢を重ねても変わらない。彼はこの世で何よりも、自分の両足を嫌っている。
コーディリアは目の前の長机に並んだ料理を無表情で見下ろした。スープから立ち上る湯気が、鼻先に香りを運んでくる。本来ならば食欲をそそるはずのそれも、今は何も感じない。
斜向かいに座る兄の顔が、蝋燭の火にゆらゆらと照らされて歪んで見えた。沈黙の支配する空間に、金属同士の擦れ合う音と咀嚼音だけが響いている。
彼らを繋いでいるものはただ一つ、ブリテン王リアの息子であるというだけだ。
不意に、扉が開かれた。
「遅れてすまないね、コーディリア」
長く伸ばした赤色の髪を揺らして現れたのは、コーディリアたち三兄弟の待ち望んだ存在だった。
「父上」
ゴネリルとリーガン、二人の兄が椅子から立ち上がって出迎える。それはコーディリアにはできないことだ。コーディリアは内心の苛立ちを抑えきれず、兄たちから目を逸らすように父の方を見た。
僅かに強張ったコーディリアの表情に気付いているのか、リアはにっこりと微笑んだ。
「可愛いコーディリア、十五歳までよく生きてきた。誕生日を迎えたお前に、贈り物があるのだよ」
「贈り物……というと」
コーディリアが首を傾げる。リアは細長い布の包みを抱えていた。
「足だよ」
リアは長机の端に、それを置いた。丁寧な仕草ではあったが、ゴトリという重みのある音はよく響いた。
「お前のために誂えた、黒檀の義足だ」
石造りの床には赤い絨毯が敷かれ、窓から差し込む冷ややかな夜風と月の光を受け止める。
食事を終えたコーディリアは、車輪の付いた椅子を両手で操り、厨房を目指していた。廊下の先、明かりが溢れている。
「父上」
入口から呼びかけると、中にいたリアが振り返った。他に人影はない。
「ああ、コーディリア。中へお入り」
片付けられた厨房の作業台の上、普段は料理人たちが出来上がった料理を次々と皿に並べる、その場所に――黒く光沢のある材質で作られた、一対の足が置かれていた。
表面は艶やかでつるりとしていて、まるで人間の足そのもののように滑らかな曲線を描いている。コーディリアが近付いて見つめていると、リアが傍にやって来てそっと義足に触れた。
「これは見た目は普通の黒檀のようだけれど、魔法の義足だ。装着すれば、お前の意のままに動く有用な足となる」
「魔法の……? そのような貴重なものを一体どうやって――」コーディリアは顔を上げて父を見た。同時に、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。今、大事なのは、そんなことではない。「――いえ、それよりも……私に、下さると言うのですか」
「そうだとも。今日はお前の誕生日だからね。ただし、もちろん代償もある」
「代償、というと?」
「お前の今の足だよ。それがあっては、この義足は着けられない。……意味は分かるね?」
「はい、父上。そのようなもの、代償と呼ぶには軽すぎる。……成程、そのためのこの場所なのですね」
コーディリアはリアに抱き上げられ、作業台の上に座った。
「少し痛いけれど……我慢できるかい?」
「勿論です、父上」
家畜の骨まで断つ包丁が、月明かりを反射して煌めき、一切の迷いなく振り下ろされる。
魔力を帯びた黒檀の義足は傷口に癒合し、そして、コーディリアは自分の意思が足の指先まで行き渡るのを感じた。膝を曲げ、足首を回す。自由自在にそれは動いた。
「よく馴染んでいるようだね、コーディリア」
リアの声が遠くに聞こえて、激しい痛みに気が遠くなりながらコーディリアはぼんやりと思った。
――ああ、なんて素晴らしい贈り物だろう。