「実際のところ、杉野はどうするつもりなのかしら」
帰り道。二人で並びながら歩いていると椎名は俺に聞いてきた。
何の話かは決まっていた。田島についてだ。
「どうって……まぁ、とりあえず田島と話すよ」
「つまりノープランってことね」
「……そうだけど」
椎名はやや呆れたようにため息をついた。
何ですか。その呆れ顔は。
「あれだけ大見得を切って、ノープランなのは杉野らしいわね」
「それ、褒めてます?」
「ええ褒めているわよ。最高の劇、なかなか出てくる言葉じゃないわ」
「本当に褒めてます!?」
俺のツッコミにくすくすと笑う椎名。
随分と上機嫌な様子だった。
「何はともあれ、栞を説得できたのは大きいわ。一度決めた考えを改めるタイプじゃないから……」
「そうだな……」
増倉が俺の意見に賛同してくれたのは、ある種奇跡に近い出来事だった。
それはいつも言い争っている椎名が一番よく分かっているのだろう。
けど俺からしたらそれは椎名もだった。
「椎名の意見にも驚いたけどな」
「そうかしら? 私なりに自分の譲れないものを考えた結果よ」
さらっと答える椎名。本人は自覚がないのかもしれないが、俺からしたらそれは大きな変化だった。
今までの、全国を目指すためならシビアになる椎名じゃなくて田島のことを考えての意見だったのは、きっとみんなで全国を目指すという渇望に変わったことが大きいのだろう。それか先輩としての成長なのかもしれない。
そのことが、俺は嬉しくてたまらなかった。
「どうしたの? そんなニヤニヤして」
「あ、いや、何でもない」
俺はそう言って椎名から顔をそらして前を向く。
本人に伝えるには、どうも照れ臭かった。
椎名は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに話を戻す。
「それで田島のことだけど、大会まで残り数日しかないけど、大丈夫なのよね?」
「ああ、大丈夫だ」
俺ははっきりと即答する。
あのアドリブをして、俺の中には田島に対して確信したことがあった。
「そう。ならいいわ」
「あっさりと引くんだな」
「ええ、信じているもの」
これまた平然した態度で椎名は微笑む。
ああ、そうかい。と口の中で呟く。きっと今の俺は笑顔になっていることだろう。
数秒の心地いい静寂の後、今度は真剣な表情になる椎名。
「杉野。分かっていると思うけど、春大会は田島だけに構っていてはいけないわ」
「……ああ、そうだな」
俺はその忠告を素直に受け入れた。
全くもってその通りだ。二年生として俺たちは一年生たちをしっかり導かないといけないし、三年の先輩たちが安心できるように立派にやり遂げないといけない。
「金子については、裏方として木崎先輩と津田先輩がついているからそこまで心配はないのかもしれないけど、池本は初舞台よ」
「だな。本人のやる気も相まって、空振りしなきゃいいけど」
「それを防ぐのも、先輩としての務めだわ」
どこか叱るような口調で椎名が俺に言う。
それは確かにそうなのかもしれない。だが、何事においても本番っていうのは何が起こるか分からない。
「椎名も分かってんだろ。舞台には魔物が棲んでいるってやつ」
「ええ、それは分かっているわ。ましてや春大会は一回きりの勝負」
「……昔、森本先輩に言われたよ。練習で出来ないことは本番でも出来ないって」
「真理ね」
ああ、俺もそう思う。
そしてその言葉通りなら、今の稽古の出来具合以上の劇は出来ないということだ。
俺は恐る恐る椎名に聞いた。
「椎名から見て、今回の劇はどうだ?」
「……そう、ね。良いところまでは行くんじゃないかしら。ただ、正直最優秀賞を取れるまで行くのは難しいと思っているわ」
「そっか……俺も似たこと思ってた」
「台本が悪いけどではないと思うわ。けど、今のクオリティじゃ絶対勝てるとは言えないわ」
演劇において、平等な評価というものは難しく、場合によっては存在しないという意見すらある。
それは言ってしまえば、評価がされにくい題材、難しい題材があるということであり、今回俺たちがやるのはそういう劇だ。
そして、椎名の言うようにクオリティも高いわけではない。これは俺たちの技量不足だ。
そんなことを考えていると、椎名は「ただ」と言葉を続ける。
「今日の杉野と田島の演技が本番でも出来るなら、個人賞は狙えると思うわ」
客観的なようなその評価の裏側には、椎名の想いが隠れているようで、俺は何とも言えなかった。
だってそうだろ? その言い草じゃ、まるで自分自身は諦めているようじゃないか。
けれど俺には聞く勇気はなかった。
「だといいんだがな」
そう曖昧な返事をした。
――人はなんとなく自分の力量や順位を知っている。自分の中に知らぬ間に客観性を持ってしまう。それは時に利点にも、時に欠点にもなってしまう。
椎名はすでに春大会での自分の順位をつけてしまっているのだろう。
順当に行くと賞を取ることは難しいと思いながら、でもそれに抗うように稽古して、努力し続けている。
気づくと、すぐそこは駅だった。
「ここまでかしら」
「ああ」
「じゃあ杉野、また明日」
「ああ、また明日」
そういって椎名は駅のホームへと向かって行った。
俺は振り返らない彼女の背中をただ黙って、見送った。