エディターが落とした「透明なジャム」の一滴。それはマージンの足元の泥に触れた瞬間、波紋のように光を広げた。
「無駄だと言ったはずだ、エディター。俺の庭には、もう書くべき言葉なんて……」
マージンが吐き捨てようとした言葉は、足元から突き上げてきた「記憶の芳香」に遮られた。
ドロドロに腐っていたはずの蔦の根元から、黒い刺を押し破って、透き通るような白粉色の小さな花が、猛烈な勢いで咲き始めたのだ。
「……っ!? これは、あいつの……」
マージンが息を呑む。
その花は、彼がかつて完璧主義のあまり「未熟だ」と切り捨て、ゴミ箱に放り込んだはずの、最初の自作小説に登場させた架空の花だった。
「マージン。君が『余白(マージン)』という境界線の中に閉じ込めて、見ないふりをしてきたのは、他人じゃない。自分自身の、瑞々しい感性そのものだったんじゃないのか?」
エディターの声が、静かに隣の庭へ浸透していく。
ジャムの力で呼び覚まされたのは、理屈(フォント)になる前の、形にならない「書きたい」という純粋な願い。
ルビがその光景を見て、長いしっぽをゆっくりと左右に振った。
「見て、エディター。鉄条網が……解けていくわ」
刺々しかった蔦は、花が咲くのと同時に柔らかい蔓へと姿を変え、マージンの体を縛り付けていたコートの汚れさえも浄化していく。
隣の庭を覆っていた暗雲が割れ、そこから差し込んだ光が、エディターの庭の「小さな芽」にも届いた。
「…………負けだよ、エディター」
マージンは錆びついたペンを地面に落とした。そのペンは土に触れると、古い枝のように自然へと還っていった。
「俺は、完璧な終わり方(ピリオド)を探しすぎて、書き始めることを忘れていたようだ」
マージンがそう呟いた瞬間、二つの庭を隔てていた生垣が、サラサラと音を立てて崩れ、一つの大きな「余白」となった。
「ルビ、僕たちの庭に、新しい『住人(ガーデナー)』が増えたようだね」
エディターが微笑むと、ルビはマージンの足元に駆け寄り、彼の脛に長いしっぽをくるりと巻き付けた。
「マージン、次はもっとマシな物語を書きなさいよ。……まずは、この花の『続き』からね」