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第11話:聖泉の誘い

ー/ー



 痛み。寒さ。風は剃刀(かみそり)のようで、皮を骨から剥ぎ取っていく。

 俺は動いていた。あるいは動かされていた——引きずられていた。

(脚が……動かない。肋骨が……燃えてる)

 腕の下で、鉄のように締まる握り。魔族だ。

(まだ……行くのか。怪我を……してる。なのに……)


 閃光(せんこう)


 ——十六歳。

 親父の剣が重い。俺の手には重すぎた。

 背後で、おふくろの泣き声。止まらない。

 親父の目——光が消えかけている。だが、まだ意識がある。俺を見ている。あの目の懇願(こんがん)。「やってくれ」と。

(いや……そうじゃない。まだだ。俺はまだ——)

 光景が砕け、灰色に溶けた。

(目……開けろ。息……しろ。沈むな)

 * * *

 足手まといだと思っておった。重荷だと。

 違った。

 奴は――何だ? 未だ言葉がない。

 痛み。獅子の爪が(うろこ)と肉を引き裂いた方の肩が、溶けた鉄の塊のように燃えておる。【ヘク(人間)】の鉛のような重さを引きずるたびに、我を貫くような炎が走る。奴の呼吸は浅いが、安定しておる。

(我の【セズ(生命力)】は……低い。危険なほどに)

 鉄の臭い。奴の血の匂いが我のものと混じり、鼻腔(びこう)にまとわりつく。

(獣が来る)

(奴は重荷だ。理屈に合わぬほどの。我が【クラッカ(氏族)】の(おきて)に従うなら、我は奴をここに遺棄(いき)すべきだ)

 だが——置いていけなかった。

(なぜだ?)

 答えは出ぬ。

 一昼夜が過ぎた。火はない。危険すぎる。煙は遠くまで届いてしまう。

 夜明け——灰色で、容赦ない。尾根(おね)の向こうを偵察(ていさつ)した。奴を岩陰に残して。斜面を登る時、肩が燃えた。視界が一瞬、白く飛ぶ。

 戻った時、奴は丸くなっておった。震えがひどい。肩を掴んで引き起こした。

 震えが——少し収まった。

(……?)

 無理やり体を動かした。奴を引きずった。また一日。

(【ゴル(避難所)】……真の避難所が要る)

 消耗(しょうもう)しておっても、感覚は張り詰めておった。風の変化。空気の変化。鼻腔が動いた。

硫黄(いおう)……かすかだ。だが強くなっておるか?)

 我のペースは速まった。

 * * *

 硫黄の匂い——鋭く、鼻を刺す。その匂いが、痛みに霞んでいた俺の意識を突き刺した。

(何日……経った? 洞窟を出てから……七日か、八日か。もう正確には数えられない)

 意識が戻ってきている。断片的に。

 あいつの握り。まだ、鉄の(かせ)のようだ。下の地面は暖かい。

(この熱は……地面からか……?)

 シューシューと音。岩の亀裂(きれつ)から蒸気が漏れている。ブーツの底を通して、熱を感じた。

(この匂い……この熱……そうだ、地図の……)

 俺たちは今やその深くにいた。不気味な音を立てる噴気孔(ふんきこう)に囲まれて。

 突然、魔族の動きが変わった。頭をはね上げ、凍りつく。

(今度は何だ?)

 奴は指差した。近くの切り立った崖の基部(きぶ)へ向けて。崖の表面を、巨大な氷の(とばり)が半ば覆っていた。

「【ゴル】」

 奴の声。息のようだった。

(隠れ場所? 氷の向こうに?)

 氷で覆われた切り立った、濡れた岩しか見えなかった。通れるようには見えない。だがその時——


 ボフッ。


 濃い白い蒸気が脈打(みゃくう)つように噴き出した。氷の(とばり)の向こうから。一瞬、暗い口が覗いて、風に吹き飛ばされる前に。深く響く音。足下の石を通して、聞こえるというより振動として伝わる。

(暖かさ……あの向こうに……幻覚(げんかく)じゃ……ないのか?)

 魔族は慎重にそれに向かって動き、俺を引っ張っていった。きらめく氷の(とばり)の前で立ち止まり、一時的に俺を放す。冷たく、濡れた崖の表面にもたれかかり、(あえ)いだ。奴もまた消耗していた。傷の肩をかばいながら、深い疲労が姿勢に出ている。

 魔族は手を伸ばした。慎重に。光をかすかに通す氷の向こうに見える暗い隙間へ向けて。内側から、暖かく湿った空気が流れ出てきて、鉱物(こうぶつ)の重い匂いを運んでくる。中を覗き込んだ。全身を緊張させている。くぐもった轟音(ごうおん)の上でじっと耳を澄ませているようだ。

 しばらくして、あいつの肩の力が抜けた。一瞬だけ。

 俺を振り返った。表情は厳しい。決然(けつぜん)として。そして短く、鋭くうなずいた。

(隠れ場所……これで……休める、のか……?)

 * * *

 魔族が動いた。俺を引きずり上げる。氷の向こうに、暖かさがあるはずだ。噛みつくような山の空気から抜け出したい。その一心で、俺は暗い隙間へ向かった。

(……頼む。これが本当であってくれ……)

 狭い開口部を通るのは骨が折れた。半ば落ち、半ば滑り込む。魔族が俺の背を無理やり押し込んだ。無事な方の肩で。容赦なく。

 氷の帳を抜けた瞬間。


 暖かさが壁のように押し寄せてきた。


 肺が締め付けられる。皮膚がちくちくする。優しくなんかない。外の氷との対比(たいひ)で、むしろ火傷(やけど)しそうだった。

 寒さが剥がれていく。

 低い湯の音が奥から響いている。足下の石を通して、かすかな振動が伝わってくる。さっきまでの風の叫びとは別世界だ。空気は濃く、湿っていた。硫黄、湿った土、鉱物の熱。

 風の轟音が、ぴたりと消えた。

 代わりに、深い静けさ。ポタリ、ポタリ。滴る水の音だけが、それを破る。

(……血の匂いが、硫黄と湿気に押し流されていく)

 * * *

 魔族が後から滑り込んできた。一瞬、人影が開口部に縁取(ふちど)られる。すぐに闇に飲み込まれた。

 魔族は湿った壁にもたれかかった。目を閉じている。雪獅子と戦って以来、初めて見る姿だった。緊張が、あいつの体から抜けていく。尾を洞窟の床に静かに置いて。普段は警戒のために巻いているはずの尾が、力なく横たわっている。

(……あの魔族でさえ、限界か)

 俺も、もう進めなかった。湿った壁を伝って崩れ落ちる。凸凹(でこぼこ)の石の上に、山のように倒れ込んだ。

(……暖かい。……静かだ。ここは……安全、か?)

 通路の熱が染み込んでくる。だが濡れて凍った衣服が、今度は体温を奪う厄介者に変わっていた。

 魔族と視線が合った。奴は俺を見渡した。泥まみれのブーツ。震える体。ずぶ濡れの上着とズボン。それから自分自身を見下ろす。奴自身の、暗く湿った服を。

 * * *

 俺は装備を脱ぎ始めた。痛みを伴う、ぎこちない作業だ。胴着(どうぎ)の革は、もう凍って硬くはない。だが湿気で重い。(しび)れた指で紐をいじくり回す。外套、胴着、脛当(すねあ)て。すべて床にずぶ濡れの山となって落ちた。

 魔族の方へ一瞥(いちべつ)を投げた。

 奴はすでに動いていた。手際がいい。あれだけ消耗してるのに。狭い通路でも、同じ鋭さで、無駄なく外側の層を剥いでいく。重い外套が床に落ちる。ベルトを外す。長い上着を頭から引き抜く。鱗が見えた。腕と肩を覆う、暗いやつ。角。黒い髪。——目を逸らした。

 一瞬、視線が合った。値踏みするような目だ。俺の弱さを。俺が人間であることを。

(あの目……今の俺は、どう見えてる?)

 それでその瞬間は終わった。奴は目を()らした。濡れた衣服の山を通路の隅に押しやる。俺も同じだ。震える手で、最後の濡れた布を剥ぎ取った。

(生きるためだ。それだけだ)

 * * *

 魔族が壁から体を離した。短い休息は終わりだ。

「【シュラク(動け?だっけ?)】」奴がつぶやいた。足で俺を軽く突く。

(動け、か。より深く。入口から離れて)

 俺は最初、這った。それから自分を引き起こし、壁にもたれながら奴に続いた。

 通路が突然、小さな部屋へと開けた。低いアーチ型の天井から、絶えず(しずく)が落ちている。白と淡い黄色の鉱物の塊が、凍った滝のように湿った壁に張り付いていた。

 熱。中央から——蒸気が立ち上っている。


 乳白色(にゅうはくしょく)の水面。光を受けて——いや、内側から光っているのか。


 池だ。

(……嘘だろ)

 泡が時々、柔らかい音で割れる。周囲の石は滑らかで、熱を放っていた。

 俺はそれに向かってよろめいた。端でついに力尽きた。崩れるように暖かな岩にもたれる。

 痛い。だが——温かい。指先が、ようやく動く。

 * * *

 立ち上る蒸気の(かすみ)を通して、魔族が動き回っているのが見えた。部屋の周囲を軽い足取りで、意図的に。壁を確かめ、天井を見上げ、奥を覗き込んでいる。

 奴が無言で調査を終えた後。ようやく奴は池のそばに落ち着いた。俺の近くに。

(どこにでも座れたはずだ)

 俺はぼんやりと思った。だが奴は俺の側を選んだ。なぜかは聞かなかった。

 奴の負傷した肩が泉に触れたのだろう。その近くで、かすかな染みが水を暗くしていた。

 俺はまばたきした。焦点が移る。

 池の端の滑らかな石に、何かがしがみついている。苔だ。深い緑——密で、しぶとい。

 俺は即座に分かった。冒険者の基本だ。

(この苔……傷薬になる。すり潰せば、化膿(かのう)止めに)

 ——使える。


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 痛み。寒さ。風は|剃刀《かみそり》のようで、皮を骨から剥ぎ取っていく。
 俺は動いていた。あるいは動かされていた——引きずられていた。
(脚が……動かない。肋骨が……燃えてる)
 腕の下で、鉄のように締まる握り。魔族だ。
(まだ……行くのか。怪我を……してる。なのに……)
 |閃光《せんこう》。
 ——十六歳。
 親父の剣が重い。俺の手には重すぎた。
 背後で、おふくろの泣き声。止まらない。
 親父の目——光が消えかけている。だが、まだ意識がある。俺を見ている。あの目の|懇願《こんがん》。「やってくれ」と。
(いや……そうじゃない。まだだ。俺はまだ——)
 光景が砕け、灰色に溶けた。
(目……開けろ。息……しろ。沈むな)
 * * *
 足手まといだと思っておった。重荷だと。
 違った。
 奴は――何だ? 未だ言葉がない。
 痛み。獅子の爪が|鱗《うろこ》と肉を引き裂いた方の肩が、溶けた鉄の塊のように燃えておる。【|ヘク《人間》】の鉛のような重さを引きずるたびに、我を貫くような炎が走る。奴の呼吸は浅いが、安定しておる。
(我の【|セズ《生命力》】は……低い。危険なほどに)
 鉄の臭い。奴の血の匂いが我のものと混じり、|鼻腔《びこう》にまとわりつく。
(獣が来る)
(奴は重荷だ。理屈に合わぬほどの。我が【|クラッカ《氏族》】の|掟《おきて》に従うなら、我は奴をここに|遺棄《いき》すべきだ)
 だが——置いていけなかった。
(なぜだ?)
 答えは出ぬ。
 一昼夜が過ぎた。火はない。危険すぎる。煙は遠くまで届いてしまう。
 夜明け——灰色で、容赦ない。|尾根《おね》の向こうを|偵察《ていさつ》した。奴を岩陰に残して。斜面を登る時、肩が燃えた。視界が一瞬、白く飛ぶ。
 戻った時、奴は丸くなっておった。震えがひどい。肩を掴んで引き起こした。
 震えが——少し収まった。
(……?)
 無理やり体を動かした。奴を引きずった。また一日。
(【|ゴル《避難所》】……真の避難所が要る)
 |消耗《しょうもう》しておっても、感覚は張り詰めておった。風の変化。空気の変化。鼻腔が動いた。
(|硫黄《いおう》……かすかだ。だが強くなっておるか?)
 我のペースは速まった。
 * * *
 硫黄の匂い——鋭く、鼻を刺す。その匂いが、痛みに霞んでいた俺の意識を突き刺した。
(何日……経った? 洞窟を出てから……七日か、八日か。もう正確には数えられない)
 意識が戻ってきている。断片的に。
 あいつの握り。まだ、鉄の|枷《かせ》のようだ。下の地面は暖かい。
(この熱は……地面からか……?)
 シューシューと音。岩の|亀裂《きれつ》から蒸気が漏れている。ブーツの底を通して、熱を感じた。
(この匂い……この熱……そうだ、地図の……)
 俺たちは今やその深くにいた。不気味な音を立てる|噴気孔《ふんきこう》に囲まれて。
 突然、魔族の動きが変わった。頭をはね上げ、凍りつく。
(今度は何だ?)
 奴は指差した。近くの切り立った崖の|基部《きぶ》へ向けて。崖の表面を、巨大な氷の|帳《とばり》が半ば覆っていた。
「【ゴル】」
 奴の声。息のようだった。
(隠れ場所? 氷の向こうに?)
 氷で覆われた切り立った、濡れた岩しか見えなかった。通れるようには見えない。だがその時——
 ボフッ。
 濃い白い蒸気が|脈打《みゃくう》つように噴き出した。氷の|帳《とばり》の向こうから。一瞬、暗い口が覗いて、風に吹き飛ばされる前に。深く響く音。足下の石を通して、聞こえるというより振動として伝わる。
(暖かさ……あの向こうに……|幻覚《げんかく》じゃ……ないのか?)
 魔族は慎重にそれに向かって動き、俺を引っ張っていった。きらめく氷の|帳《とばり》の前で立ち止まり、一時的に俺を放す。冷たく、濡れた崖の表面にもたれかかり、|喘《あえ》いだ。奴もまた消耗していた。傷の肩をかばいながら、深い疲労が姿勢に出ている。
 魔族は手を伸ばした。慎重に。光をかすかに通す氷の向こうに見える暗い隙間へ向けて。内側から、暖かく湿った空気が流れ出てきて、|鉱物《こうぶつ》の重い匂いを運んでくる。中を覗き込んだ。全身を緊張させている。くぐもった|轟音《ごうおん》の上でじっと耳を澄ませているようだ。
 しばらくして、あいつの肩の力が抜けた。一瞬だけ。
 俺を振り返った。表情は厳しい。|決然《けつぜん》として。そして短く、鋭くうなずいた。
(隠れ場所……これで……休める、のか……?)
 * * *
 魔族が動いた。俺を引きずり上げる。氷の向こうに、暖かさがあるはずだ。噛みつくような山の空気から抜け出したい。その一心で、俺は暗い隙間へ向かった。
(……頼む。これが本当であってくれ……)
 狭い開口部を通るのは骨が折れた。半ば落ち、半ば滑り込む。魔族が俺の背を無理やり押し込んだ。無事な方の肩で。容赦なく。
 氷の帳を抜けた瞬間。
 暖かさが壁のように押し寄せてきた。
 肺が締め付けられる。皮膚がちくちくする。優しくなんかない。外の氷との|対比《たいひ》で、むしろ|火傷《やけど》しそうだった。
 寒さが剥がれていく。
 低い湯の音が奥から響いている。足下の石を通して、かすかな振動が伝わってくる。さっきまでの風の叫びとは別世界だ。空気は濃く、湿っていた。硫黄、湿った土、鉱物の熱。
 風の轟音が、ぴたりと消えた。
 代わりに、深い静けさ。ポタリ、ポタリ。滴る水の音だけが、それを破る。
(……血の匂いが、硫黄と湿気に押し流されていく)
 * * *
 魔族が後から滑り込んできた。一瞬、人影が開口部に|縁取《ふちど》られる。すぐに闇に飲み込まれた。
 魔族は湿った壁にもたれかかった。目を閉じている。雪獅子と戦って以来、初めて見る姿だった。緊張が、あいつの体から抜けていく。尾を洞窟の床に静かに置いて。普段は警戒のために巻いているはずの尾が、力なく横たわっている。
(……あの魔族でさえ、限界か)
 俺も、もう進めなかった。湿った壁を伝って崩れ落ちる。|凸凹《でこぼこ》の石の上に、山のように倒れ込んだ。
(……暖かい。……静かだ。ここは……安全、か?)
 通路の熱が染み込んでくる。だが濡れて凍った衣服が、今度は体温を奪う厄介者に変わっていた。
 魔族と視線が合った。奴は俺を見渡した。泥まみれのブーツ。震える体。ずぶ濡れの上着とズボン。それから自分自身を見下ろす。奴自身の、暗く湿った服を。
 * * *
 俺は装備を脱ぎ始めた。痛みを伴う、ぎこちない作業だ。|胴着《どうぎ》の革は、もう凍って硬くはない。だが湿気で重い。|痺《しび》れた指で紐をいじくり回す。外套、胴着、|脛当《すねあ》て。すべて床にずぶ濡れの山となって落ちた。
 魔族の方へ|一瞥《いちべつ》を投げた。
 奴はすでに動いていた。手際がいい。あれだけ消耗してるのに。狭い通路でも、同じ鋭さで、無駄なく外側の層を剥いでいく。重い外套が床に落ちる。ベルトを外す。長い上着を頭から引き抜く。鱗が見えた。腕と肩を覆う、暗いやつ。角。黒い髪。——目を逸らした。
 一瞬、視線が合った。値踏みするような目だ。俺の弱さを。俺が人間であることを。
(あの目……今の俺は、どう見えてる?)
 それでその瞬間は終わった。奴は目を|逸《そ》らした。濡れた衣服の山を通路の隅に押しやる。俺も同じだ。震える手で、最後の濡れた布を剥ぎ取った。
(生きるためだ。それだけだ)
 * * *
 魔族が壁から体を離した。短い休息は終わりだ。
「【|シュラク《動け?だっけ?》】」奴がつぶやいた。足で俺を軽く突く。
(動け、か。より深く。入口から離れて)
 俺は最初、這った。それから自分を引き起こし、壁にもたれながら奴に続いた。
 通路が突然、小さな部屋へと開けた。低いアーチ型の天井から、絶えず|滴《しずく》が落ちている。白と淡い黄色の鉱物の塊が、凍った滝のように湿った壁に張り付いていた。
 熱。中央から——蒸気が立ち上っている。
 |乳白色《にゅうはくしょく》の水面。光を受けて——いや、内側から光っているのか。
 池だ。
(……嘘だろ)
 泡が時々、柔らかい音で割れる。周囲の石は滑らかで、熱を放っていた。
 俺はそれに向かってよろめいた。端でついに力尽きた。崩れるように暖かな岩にもたれる。
 痛い。だが——温かい。指先が、ようやく動く。
 * * *
 立ち上る蒸気の|霞《かすみ》を通して、魔族が動き回っているのが見えた。部屋の周囲を軽い足取りで、意図的に。壁を確かめ、天井を見上げ、奥を覗き込んでいる。
 奴が無言で調査を終えた後。ようやく奴は池のそばに落ち着いた。俺の近くに。
(どこにでも座れたはずだ)
 俺はぼんやりと思った。だが奴は俺の側を選んだ。なぜかは聞かなかった。
 奴の負傷した肩が泉に触れたのだろう。その近くで、かすかな染みが水を暗くしていた。
 俺はまばたきした。焦点が移る。
 池の端の滑らかな石に、何かがしがみついている。苔だ。深い緑——密で、しぶとい。
 俺は即座に分かった。冒険者の基本だ。
(この苔……傷薬になる。すり潰せば、|化膿《かのう》止めに)
 ——使える。