藤城皐月は今日の買い物に昨日買った靴に合わせ、
芸妓の
明日美に買ってもらった黒のテーパードパンツを穿いていくことにした。
明日美に買ってもらったトップスは修学旅行まで取っておき、白いシャツにベージュのカーディガンというシンプルなコーデにした。これなら最低でも中学生には見えるだろうと思った。
もうすぐ10時になるので皐月が玄関先へ出ようとすると、
小百合も後からついてきた。
「見送りなんていいのに」
「あんたの見送りじゃないの。満にあんたのことをよろしくって言っておきたいから出てきたの」
パピヨンの角から
黄緑色の小さな車が小百合寮の前の狭い路地に入ってきた。
「満かな? あの子の車、初めて見たわ」
ゆっくりと走ってきたその車は小百合寮の前に止まった。恐ろしく背の低い、小さなオープンカーだった。狭い路地なので、どこに止めてもすれ違いはできない。だが、この道はほとんど車が通らないので、道の真ん中に止めても誰の迷惑にもならない。
車に乗っている満の姿を見て、皐月も小百合も驚いた。後から玄関まで出てきた及川親子も少し引き気味に驚いていた。
ピンクのウィッグをかぶり、サングラスをしている満は検番やお座敷で見る満とはまるで別人だ。サングラスを外して、屋根を開けた車から満が下りてきた。
黒のベロアワンピースに白のレースカラーがピンクヘアーによく合っている。靴のバックルがハートになっているのもかわいい。
「百合姐さん、おはようございます」
「満ちゃん、どうしたの? その恰好」
「カワイイでしょ? 遊びに行く時はいつもこんな感じですよ。でも今日は皐月とお買い物に行くから、一番控え目な服を着て来ました」
「それで一番控え目なの! でもかわいいわね。私も若かったら、一度こういう服を着てみたかったな」
小百合は満のことを褒めていたが、本気なのかどうかわからない。見た感じは本気にしか見えないが、母は芸妓なのでお世辞なのかもしれない。皐月は我が母親ながら、小百合のことが少し怖かった。
「満姉ちゃん、超かわいいね! まるで地下アイドルみたい」
「地下アイドルって、それ誉め言葉?」
「超誉め言葉だよ。当たり前じゃん!」
いろいろな地下アイドルを見てきた皐月だが、満ほどかわいいアイドルはそんなにはいないと思った。
「ねえ、満姉ちゃん。これって何ていう車?」
「ビート。ホンダの古い車だよ」
「満姉ちゃんもホンダなんだ。明日美もホンダの古い車に乗ってるよ」
「同じモータースで買ったからね。そこの社長ってホンダ車が好きだから、私たちにホンダばかり勧めてくるの」
ホンダのビートは1991年に発売されたオープンカーの軽自動車だ。ミッドシップに搭載されたエンジンはF1テクノロジーがつぎ込まれ、自然吸気エンジンながら当時の上限の64馬力を叩き出している。現在では珍しいMT車だ。
「満ちゃん、今日はどこへ行こうと思ってるの?」
「名古屋に行きます。栄で格好いい服を買おうか、大須で古着を探そうかって思ってます」
「皐月はすぐに大きくなっちゃうから、あまりいい服じゃなくてもいいのよ」
「そーかっ! 背が伸びるスピードが早いってことか。難しい年頃なんですね〜」
小百合は満にお金の入った封筒を渡した。
「これ、ガソリン代と食事代。足りなかったら皐月からもらって。皐月には多めにお金を渡してあるから、遠慮しなくてもいいのよ」
「百合姐さん、いいですよ。私の休日に皐月を付き合わせるようなものですから、お金なんて受け取れません」
「ダメっ! こういうお金はちゃんと受け取りなさい」
「そうですか……じゃあ、余ったお金は服代にまわしますね」
満は笑顔でお金を受け取った。皐月は小百合と明日美のこういうやりとりも見たかったなと思った。母の先輩ぶりが皐月には格好よく見えた。
「頼子さん、こんにちは」
玄関の中からこちらを眺めていた
及川頼子を見つけ、満が挨拶をした。頼子には名前に姐さんをつけないでさん付けだった。
「満さん、とってもかわいいわ。ピンクの髪もひらひらの服もよく似合ってる」
「ありがとうございます。ところで、あの子が頼子さんの娘さんですか?」
満が頼子の背後にいる
祐希のことを気にしていた。皐月は明日美が言っていた、満が女の子を好きだということを思い出した。
「そう。祐希っていうの。紹介するわね。祐希、こっちにいらっしゃい」
部屋着のパーカーとジャージ姿の祐希が恥ずかしそうに出てきた。
「はじめまして。及川祐希です」
「こんにちは。
芸妓の満です。よろしくね。頼子さんに似て美人で、羨ましいな」
客の扱いに長けている満の言うことだから、皐月にはどこまで本心なのかはわからない。だが満は祐希を見て本当に嬉しそうにしていると思った。
満とは対照的で、祐希は緊張していた。芸妓だけでなくクラブのホステスもしている満のオーラに祐希は圧倒されているように見えた。
「じゃあ百合姐さん。もう行きますね。今日は一日、皐月のことを預かります」
「何時頃に戻って来るの?」
「夕食の時間までには戻ろうと思ってるんですけど、何時までに帰って来ればいいですか?」
「そうねぇ……6時じゃ早いかしら?」
「わかりました。6時ですね」
満がビートに乗り込んで、助手席に置いていた小さな黒のリボン編上げロリータバッグを膝の上に置き、中に預かったお金を入れた。
皐月が助手席に乗り込むと満からバッグを手渡され、持っていてほしいと頼まれた。2シーターのビートには荷物を置く場所がほとんどない。
「それじゃあ、行ってきます。百合姐さん」
「気をつけてね。満ちゃん」
イグニッションキーを回してエンジンを始動すると、皐月の背中からエンジンの音と振動が伝わってきた。この車は前後の車軸の間にエンジンを搭載しているミッドシップ車だから、エンジンが皐月の背後にある。
「行ってきま〜す」
ビートはゆっくりと走り出した。屋根が開いているので、皐月は後方に流れる小百合たちの方を見ながら手を振った。