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一話 言葉の裏

ー/ー



 弥生の終わりから卯月の始めまで続いた春嵐によって、伍頭山(ごずざん)周辺は大きな被害を受けた。
 伍頭山の山道では土砂崩れが起き道が閉ざされ、山を迂回する道しかなくなってしまった。

 幻日国(げんじつこく)のほぼ北端にある兵舎から、南端にある蜃龍山(しんりゅうざん)に向かわなければならないあぐりと祢墨にとって、伍頭山を迂回する道は時間的に余裕がない。
 兵舎から脱出した三日後、伍頭山の麓の町にあぐりと祢墨は辿り着いた。町の甘味処で休憩し、団子の香ばしい匂いに包まれながら、あぐりと祢墨はこれからの旅路を相談していた。店内の他の席にいる客も土砂崩れで足止めを食っているらしく、迂回路について話し合っていた。
 
「どうやって伍頭山を越えようかな」

 串に刺さったみたらし団子を頬張りながら祢墨はつぶやく。
「迂回するしかないと思う」と、あぐりは大福を一口食べて答えた。久しぶりに食べた甘味は、舌が痺れるほど美味しく感じる。

「締め切りは卯月の十五日でしょ。今日は卯月の六日だから、あと九日しかない。まず藤波町(ふじなみまち)を目指そうと思うんだけど、山を迂回する道で藤波町を目指したら四、五日はかかるから、だいぶ厳しくなる。やっぱり伍頭山を通りたいな。そうすれば三日目には着くんだけど」

 祢墨は団子を飲み込み、「道を逸れて、山の中を通るってこと?」と、あぐりは不安を隠せずに問いかける。

「坊やたち、伍頭山は越えられないのよ。土砂崩れで道が塞がっているから、迂回するしかないわ」

 中年の女性の店員が、あぐりたちの机に茶を置きながら言う。「土砂崩れは一か所だけなんですか?」と、祢墨は女性に尋ねた。

「聞いた話によるとそうよ。でも、範囲が広くて完全に道が崩れてしまったから、復旧までにだいぶ時間がかかるって言われているわ。もしかしたら、冬まで直らないかもって噂よ。物流も滞っているし、不便だわ」

 女性は眉を下げ溜め息を吐く。「大変ですね」と、祢墨は淡々と言って茶を飲んだ。
 
「山の中を通ろうとしちゃだめよ。切り立った崖が多いから、よほど登山に慣れた人じゃないと危険だからね」

 女性に真剣な顔で注意され、「分かりました」とあぐりは頷いた。伍頭山は標高が高く、切り立っているため簡単に越えることはできない。祢墨ならまだしも、私では無理だろうなとあぐりは思う。

 甘味を食べ終え店を出たあぐりは、「やっぱり山を迂回するしかないかな?」と隣を歩く祢墨に目を向けた。時間はかかるかもしれないが、そちらの方が確実に先に進めるはずだ。

「ううん、山に向かおう」
 
 祢墨は前を見据えたまま答え、あぐりは「え」と声をこぼす。

「や、山の中を進むの?」
「うん。町の中の会話を聞いた限りじゃ、土砂崩れは一か所だけだ。そこを越えることができれば道を歩いて行ける」

 無茶なことを平然と言う。「でも、その土砂崩れが起きた道をどうやって越えるの?」とあぐりは困惑してさらに問いかけた。

「秘密の通路がある」

 祢墨は声を潜めて返す。「秘密?」とあぐりは訊くが、「行けば分かるよ」と祢墨はそれ以上答えなかった。
 祢墨は町から去り、どんどんと伍頭山の方へと進んでいく。伍頭山の山道に通じる道は人通りが少なく、山へ向かおうとするあぐりたちはすれ違う人に怪訝そうな目で見られた。
 現在は正午に差し掛かった頃で、祢墨はいつも目立つ行動を夕方以降にするのに珍しい。しかし、そうしないと最後の試練に間に合わないということも、あぐりは理解していた。

 山道に入ってすぐ、祢墨は道を逸れ山の中へと進んだ。本気で山の中を進む気らしい。
 斜面が大きい上に土がまだ濡れているため滑りやすく、あぐりはすぐ転んでしまいそうになる。「気を付けて」と、祢墨は手を差し出し、あぐりは「ありがとう」と祢墨の手を掴み慎重に斜面を進んだ。

「秘密の通路って、他にも道があるってこと?」
「うん。白狼(びゃくろう)派の森たちが使っていた通路でね、もう僕しか知らないはず。でも、もしかしたら他の森たちにばれているかもしれないから、気を付けて行こう」
「わ、分かった……」

 半刻ほど歩くと、反り立った崖のある場所に辿り着いた。崖のてっぺんは遥か上空で、登れる気配がしない。

「もしかして、この崖を登るの?」

 あぐりはおずおずと祢墨に尋ねる。「まさか。さすがに登れないよ」と祢墨は言い、崖に沿って歩き出した。

「じゃあ、秘密の通路ってどこにあるの?」
「洞窟だよ。この崖の先にあるよ」

 一体どんな洞窟なのだろうとあぐりが考えていると、「あった」と祢墨は先の方にある崖を指差した。祢墨の指の先を見て、あぐりは「え?」と立ち止まってしまう。

 そこにあったのは、洞窟と言うよりも崖に開いた小さな穴だった。草に隠れるように開いており、這いつくばらないと入れないほど小さい。そこにあると言われないと気付けないだろう。

「洞窟ってこれ?」
「うん、入り口は小さいけど、少し進んで行けば広くなるよ。僕が先に入るから、あぐりは僕に付いてきて」

 そう言って祢墨は地面に伏せ、匍匐前進で穴の中に入っていった。暗く狭い穴の中を進んで行くことにあぐりは恐怖を感じるが、祢墨はどんどん先に行ってしまう。今更立ち止まってはいられないと自分に言い聞かせ、あぐりも祢墨に倣い、地面に伏せ穴の中へ進んで行った。
 すぐに光が届かなくなり、黒暗暗(こくあんあん)とした闇の中あぐりは黙々と祢墨の後を追う。
 湿った土の臭いが鼻をつき、二人が進む音しか聞こえてこない。狭い岩壁に肩が擦れるたび、閉塞感があぐりの胸を覆ったが、確かな祢墨の気配を信じて進み続けた。
 
 最初は肩が当たるほど狭かった穴も、しばらく進めば広くなっていくのをあぐりは感じ取った。
 穴に入って四半刻ほど経つと、ようやく立ち上がれるほど広い場所になるが、暗くて何一つ見えない。恐る恐る周囲を手で探ってみると、冷たい岩肌の感触がした。

「ここから先は分かれ道が続いていてね、右、真ん中、左、斜め右、真ん中、真ん中、左、右上、左の順に進めば抜けられるんだ。ここを通れば、土砂崩れの起きた道の向こう側まで出られるよ」

 右隣から祢墨の声が聞こえる。あぐりは祢墨が言った道順をまったく覚えられず、「すごい洞窟だね」と呆気に取られつぶやいた。
 
「森の人が造ったの?」
「ううん、元からあった洞窟だよ。暗いから手を繋ごうか」

 不意に右手に祢墨の手が触れ、あぐりはビクリと肩を揺らしてしまう。祢墨はそのままあぐりの手を握りゆっくりと歩き出した。
 この闇黒(あんこく)の中を迷わず進んで行く祢墨に、あぐりは驚きを隠せない。一欠片の光もないのに、祢墨には周囲が見えているのだろうか。
 
「……墨には前が見えているの?」
「見えないよ。音の反響で、分かれ道があるかどうか把握してる」

 思ってもみない答えに、「音の反響?」とあぐりは訊き返す。
 
「うん、こんな風に」

 不意に祢墨は立ち止まり、「カッ」と舌を鳴らした。静かな洞窟内に舌の音が響き渡る。

「ここ、分かれ道だ。右に進もう」

 祢墨は右に寄り進んで行く。何も分からないあぐりは、祢墨に手を引かれるがままになる。
 さすがの祢墨も全く光がなければ何も見えないらしいが、耳が良いので周辺の形状を把握できるようだ。相変わらず常人離れした能力である。
 祢墨は時折立ち止まり、舌を鳴らして進むのを繰り返していく。

「この洞窟、結構広いの?」
「うん、向こうに出るまで二刻近くはかかるかな」
「広いね……」

 こんな何も見えない闇黒の中を二刻も歩き続けると思うと、気が滅入りそうだ。すでに暗すぎて目が痛くなっているあぐりは、この状況に二刻も耐えられるだろうかと不安になってきた。
 そんなあぐりの心を見透かすように、「なにか話しながら行こうか」と祢墨が提案する。

「試練の監督に言われたんでしょ? 虚色の王の見たいものは虚色じゃなくて、見たことのない色だって。どういう意味なんだろうね」

 祢墨は話し出し、「その話か……」とあぐりは頭を悩ませる。試練の話は周囲に誰もいないときにしか話せないので、今は絶好の機会だった。
 
「王の見たことのない色なんて、どうやって示せばいいんだろう。王が今までに見たことのない色なんて分からないよ」
「常人には見えないけど、あぐりには見える色を示せばいいんじゃない? そのために色見に選ばれたんでしょ」
「そうは言われても、常人がどういう風に色を見ているか分からないから……。墨が教えてくれるなら分かるかも」
「僕、色盲だから役に立たないよ」
「あ、そうだった」

 墨も私も常人にどんな風に色が見えているのか分からないんだったな、とあぐりは今更になって思い出した。
 
「そう言えば、他の三人の王の望みはすぐに叶ったけど、虚色の王の願いだけ未だに叶えられていない理由を考えろって言われたよ」
「結構色々教えてくれるんだね、その監督って人」
「うん……。答えは教えてくれないんだけどね」
「答えを教えたらだめに決まってるでしょ」

 手厳しい祢墨の言葉に、「そうだよね」とあぐりは苦笑する。監督が答えを教えてくれるのなら、当の昔に虚色の王の願いは叶えられているだろう。「次の分かれ道左だから、左に寄るね」と祢墨はあぐりの手を軽く引っ張った。
 
「確か、美食の王と奏音の王の願いは比較的早めに叶ったはずだよ。美食の王には食べたことのない料理を、奏音の王には常人に聞こえない声で鳴く虫を持って行ったって伝わってるよね。そう考えると、やっぱり虚色の王の願いも王が見たことの無い色で、常人には見えない色を示せばいいってことになる気がするけど……」

 あぐりは四王の御伽話を思い出しながら振り返る。やはり、皆が思う通り色見にしか見えない色を示せばいいのだろうか。
 
「逆に夢見の王の願いが一番近いんじゃない?」

 祢墨が唐突に言い、「どういうこと?」とあぐりは首を傾げた。
 
「夢見の王の願いは『良い夢を見たい』だったけど、その理由は夢見の王が万年悪夢に悩まされていたからだったでしょ。夢見の王の本当の願いは、悪夢を見たくないってことだったんだよ。だから毒殺されても、もう悪夢を見なくて済むから満足したんだ」

 淡々とした祢墨の言葉に、あぐりははっとして「言葉の裏を考えろってことだね」とこぼす。その視点は無かったので、あぐりは目が覚めたような気持ちになった。

「でも、見たことのない色を見たいの裏ってなんだろう?」
「見えている色を見たくない」
「……どういう意味?」
「さぁ」

 祢墨の素っ気ない声に、あぐりはさらに分からなくなる。見えている色を見たくないと願う王に、一体何色を示せばいいのだろうか。そもそも虚色の王は、本当に色を示して欲しいを思っているのだろうか。
 
「……墨は、常人と同じように色が見たいって思う?」

 ふと思い立ってあぐりは祢墨に訊いてみる。「う~ん……」と、祢墨は間延びした声を出した。
 
「ちょっと興味あるけど、夜目が利かなくなったら困るから、このままでいいかな。そんなに不便でもないし」
「そっか」

 祢墨の答えにあぐりは頷く。
 あぐりも常人と違う景色が見えており、そのせいで嫌な目に遭ったこともあるが、それでもこの色彩を無くしてほしいとは微塵も思わなかった。

 その後しばらく沈黙が続いたり、また話したりしながら洞窟の中を進んで行くと、ようやく道の先にわずかに光が見えてきた。
 最後の分かれ道を左に進むと、目の前に出口が見え、あぐりの目が一瞬眩んだ。外からの風が頬を撫で、暗闇から脱出できたことにあぐりは感激してしまう。
 洞窟から出ると、鬱蒼とした木々が周囲を覆っており、どこにも道らしきものは見えなかった。木々の隙間からわずかに差し込む陽光が、あぐりの顔を照らしている。まだ日は沈んでおらず、祢墨の言う通り二刻で洞窟を出られたのなら、今は八ノ刻を過ぎた頃だろう。

「ここから西に一刻ほど進めば山道があるから、そこを目指そう。さっきよりかは歩きやすいはずだよ」
「分かった」

 洞窟を出ても、祢墨はあぐりの手を離さずに進み、あぐりもその手をほどくことはしなかった。
 ぬかるむ道を、あぐりたちは慎重に進んでいく。
 
「そもそも、なんで王たちは亡霊になったんだろう? 昔話では、四王島を創った神様を怒らせたからだとか、大陸から来た侵略者たちに殺されたからだとか、色んな説があるけど……」

 あぐりはゆっくりと斜面を下りながら、洞窟での話の続きをする。

「昔話なんて、時が経つにつれて色々変わっていくからね。僕が聞いたのは、島を厄災が襲って、四王が呪われる代わりにその厄災を封印したとか、厄災が実は神様で、神に逆らった王が……」

 祢墨は言葉を不自然に途切れさせたかと思うと、あぐりの手を離し一瞬のうちに気配を変えた。
 体中から白銀を沸き立たせ、近くにいるだけで背中が(おのの)くほどの殺気を溢れさせている。

「す、墨?」

 あぐりの問いかけに、祢墨は答えない。
 目を鋭く開き、純黒の瞳で真っ直ぐに前を睨みつけている。
 あぐりは戸惑いながら祢墨の見つめる先に視線を向け、声を失った。

「よかった、わたしが当たりだ」

 木々の間から現れたのは、この場にそぐわないほど美しい女性だった。


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 弥生の終わりから卯月の始めまで続いた春嵐によって、|伍頭山《ごずざん》周辺は大きな被害を受けた。
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 |幻日国《げんじつこく》のほぼ北端にある兵舎から、南端にある|蜃龍山《しんりゅうざん》に向かわなければならないあぐりと祢墨にとって、伍頭山を迂回する道は時間的に余裕がない。
 兵舎から脱出した三日後、伍頭山の麓の町にあぐりと祢墨は辿り着いた。町の甘味処で休憩し、団子の香ばしい匂いに包まれながら、あぐりと祢墨はこれからの旅路を相談していた。店内の他の席にいる客も土砂崩れで足止めを食っているらしく、迂回路について話し合っていた。
「どうやって伍頭山を越えようかな」
 串に刺さったみたらし団子を頬張りながら祢墨はつぶやく。
「迂回するしかないと思う」と、あぐりは大福を一口食べて答えた。久しぶりに食べた甘味は、舌が痺れるほど美味しく感じる。
「締め切りは卯月の十五日でしょ。今日は卯月の六日だから、あと九日しかない。まず|藤波町《ふじなみまち》を目指そうと思うんだけど、山を迂回する道で藤波町を目指したら四、五日はかかるから、だいぶ厳しくなる。やっぱり伍頭山を通りたいな。そうすれば三日目には着くんだけど」
 祢墨は団子を飲み込み、「道を逸れて、山の中を通るってこと?」と、あぐりは不安を隠せずに問いかける。
「坊やたち、伍頭山は越えられないのよ。土砂崩れで道が塞がっているから、迂回するしかないわ」
 中年の女性の店員が、あぐりたちの机に茶を置きながら言う。「土砂崩れは一か所だけなんですか?」と、祢墨は女性に尋ねた。
「聞いた話によるとそうよ。でも、範囲が広くて完全に道が崩れてしまったから、復旧までにだいぶ時間がかかるって言われているわ。もしかしたら、冬まで直らないかもって噂よ。物流も滞っているし、不便だわ」
 女性は眉を下げ溜め息を吐く。「大変ですね」と、祢墨は淡々と言って茶を飲んだ。
「山の中を通ろうとしちゃだめよ。切り立った崖が多いから、よほど登山に慣れた人じゃないと危険だからね」
 女性に真剣な顔で注意され、「分かりました」とあぐりは頷いた。伍頭山は標高が高く、切り立っているため簡単に越えることはできない。祢墨ならまだしも、私では無理だろうなとあぐりは思う。
 甘味を食べ終え店を出たあぐりは、「やっぱり山を迂回するしかないかな?」と隣を歩く祢墨に目を向けた。時間はかかるかもしれないが、そちらの方が確実に先に進めるはずだ。
「ううん、山に向かおう」
 祢墨は前を見据えたまま答え、あぐりは「え」と声をこぼす。
「や、山の中を進むの?」
「うん。町の中の会話を聞いた限りじゃ、土砂崩れは一か所だけだ。そこを越えることができれば道を歩いて行ける」
 無茶なことを平然と言う。「でも、その土砂崩れが起きた道をどうやって越えるの?」とあぐりは困惑してさらに問いかけた。
「秘密の通路がある」
 祢墨は声を潜めて返す。「秘密?」とあぐりは訊くが、「行けば分かるよ」と祢墨はそれ以上答えなかった。
 祢墨は町から去り、どんどんと伍頭山の方へと進んでいく。伍頭山の山道に通じる道は人通りが少なく、山へ向かおうとするあぐりたちはすれ違う人に怪訝そうな目で見られた。
 現在は正午に差し掛かった頃で、祢墨はいつも目立つ行動を夕方以降にするのに珍しい。しかし、そうしないと最後の試練に間に合わないということも、あぐりは理解していた。
 山道に入ってすぐ、祢墨は道を逸れ山の中へと進んだ。本気で山の中を進む気らしい。
 斜面が大きい上に土がまだ濡れているため滑りやすく、あぐりはすぐ転んでしまいそうになる。「気を付けて」と、祢墨は手を差し出し、あぐりは「ありがとう」と祢墨の手を掴み慎重に斜面を進んだ。
「秘密の通路って、他にも道があるってこと?」
「うん。|白狼《びゃくろう》派の森たちが使っていた通路でね、もう僕しか知らないはず。でも、もしかしたら他の森たちにばれているかもしれないから、気を付けて行こう」
「わ、分かった……」
 半刻ほど歩くと、反り立った崖のある場所に辿り着いた。崖のてっぺんは遥か上空で、登れる気配がしない。
「もしかして、この崖を登るの?」
 あぐりはおずおずと祢墨に尋ねる。「まさか。さすがに登れないよ」と祢墨は言い、崖に沿って歩き出した。
「じゃあ、秘密の通路ってどこにあるの?」
「洞窟だよ。この崖の先にあるよ」
 一体どんな洞窟なのだろうとあぐりが考えていると、「あった」と祢墨は先の方にある崖を指差した。祢墨の指の先を見て、あぐりは「え?」と立ち止まってしまう。
 そこにあったのは、洞窟と言うよりも崖に開いた小さな穴だった。草に隠れるように開いており、這いつくばらないと入れないほど小さい。そこにあると言われないと気付けないだろう。
「洞窟ってこれ?」
「うん、入り口は小さいけど、少し進んで行けば広くなるよ。僕が先に入るから、あぐりは僕に付いてきて」
 そう言って祢墨は地面に伏せ、匍匐前進で穴の中に入っていった。暗く狭い穴の中を進んで行くことにあぐりは恐怖を感じるが、祢墨はどんどん先に行ってしまう。今更立ち止まってはいられないと自分に言い聞かせ、あぐりも祢墨に倣い、地面に伏せ穴の中へ進んで行った。
 すぐに光が届かなくなり、|黒暗暗《こくあんあん》とした闇の中あぐりは黙々と祢墨の後を追う。
 湿った土の臭いが鼻をつき、二人が進む音しか聞こえてこない。狭い岩壁に肩が擦れるたび、閉塞感があぐりの胸を覆ったが、確かな祢墨の気配を信じて進み続けた。
 最初は肩が当たるほど狭かった穴も、しばらく進めば広くなっていくのをあぐりは感じ取った。
 穴に入って四半刻ほど経つと、ようやく立ち上がれるほど広い場所になるが、暗くて何一つ見えない。恐る恐る周囲を手で探ってみると、冷たい岩肌の感触がした。
「ここから先は分かれ道が続いていてね、右、真ん中、左、斜め右、真ん中、真ん中、左、右上、左の順に進めば抜けられるんだ。ここを通れば、土砂崩れの起きた道の向こう側まで出られるよ」
 右隣から祢墨の声が聞こえる。あぐりは祢墨が言った道順をまったく覚えられず、「すごい洞窟だね」と呆気に取られつぶやいた。
「森の人が造ったの?」
「ううん、元からあった洞窟だよ。暗いから手を繋ごうか」
 不意に右手に祢墨の手が触れ、あぐりはビクリと肩を揺らしてしまう。祢墨はそのままあぐりの手を握りゆっくりと歩き出した。
 この|闇黒《あんこく》の中を迷わず進んで行く祢墨に、あぐりは驚きを隠せない。一欠片の光もないのに、祢墨には周囲が見えているのだろうか。
「……墨には前が見えているの?」
「見えないよ。音の反響で、分かれ道があるかどうか把握してる」
 思ってもみない答えに、「音の反響?」とあぐりは訊き返す。
「うん、こんな風に」
 不意に祢墨は立ち止まり、「カッ」と舌を鳴らした。静かな洞窟内に舌の音が響き渡る。
「ここ、分かれ道だ。右に進もう」
 祢墨は右に寄り進んで行く。何も分からないあぐりは、祢墨に手を引かれるがままになる。
 さすがの祢墨も全く光がなければ何も見えないらしいが、耳が良いので周辺の形状を把握できるようだ。相変わらず常人離れした能力である。
 祢墨は時折立ち止まり、舌を鳴らして進むのを繰り返していく。
「この洞窟、結構広いの?」
「うん、向こうに出るまで二刻近くはかかるかな」
「広いね……」
 こんな何も見えない闇黒の中を二刻も歩き続けると思うと、気が滅入りそうだ。すでに暗すぎて目が痛くなっているあぐりは、この状況に二刻も耐えられるだろうかと不安になってきた。
 そんなあぐりの心を見透かすように、「なにか話しながら行こうか」と祢墨が提案する。
「試練の監督に言われたんでしょ? 虚色の王の見たいものは虚色じゃなくて、見たことのない色だって。どういう意味なんだろうね」
 祢墨は話し出し、「その話か……」とあぐりは頭を悩ませる。試練の話は周囲に誰もいないときにしか話せないので、今は絶好の機会だった。
「王の見たことのない色なんて、どうやって示せばいいんだろう。王が今までに見たことのない色なんて分からないよ」
「常人には見えないけど、あぐりには見える色を示せばいいんじゃない? そのために色見に選ばれたんでしょ」
「そうは言われても、常人がどういう風に色を見ているか分からないから……。墨が教えてくれるなら分かるかも」
「僕、色盲だから役に立たないよ」
「あ、そうだった」
 墨も私も常人にどんな風に色が見えているのか分からないんだったな、とあぐりは今更になって思い出した。
「そう言えば、他の三人の王の望みはすぐに叶ったけど、虚色の王の願いだけ未だに叶えられていない理由を考えろって言われたよ」
「結構色々教えてくれるんだね、その監督って人」
「うん……。答えは教えてくれないんだけどね」
「答えを教えたらだめに決まってるでしょ」
 手厳しい祢墨の言葉に、「そうだよね」とあぐりは苦笑する。監督が答えを教えてくれるのなら、当の昔に虚色の王の願いは叶えられているだろう。「次の分かれ道左だから、左に寄るね」と祢墨はあぐりの手を軽く引っ張った。
「確か、美食の王と奏音の王の願いは比較的早めに叶ったはずだよ。美食の王には食べたことのない料理を、奏音の王には常人に聞こえない声で鳴く虫を持って行ったって伝わってるよね。そう考えると、やっぱり虚色の王の願いも王が見たことの無い色で、常人には見えない色を示せばいいってことになる気がするけど……」
 あぐりは四王の御伽話を思い出しながら振り返る。やはり、皆が思う通り色見にしか見えない色を示せばいいのだろうか。
「逆に夢見の王の願いが一番近いんじゃない?」
 祢墨が唐突に言い、「どういうこと?」とあぐりは首を傾げた。
「夢見の王の願いは『良い夢を見たい』だったけど、その理由は夢見の王が万年悪夢に悩まされていたからだったでしょ。夢見の王の本当の願いは、悪夢を見たくないってことだったんだよ。だから毒殺されても、もう悪夢を見なくて済むから満足したんだ」
 淡々とした祢墨の言葉に、あぐりははっとして「言葉の裏を考えろってことだね」とこぼす。その視点は無かったので、あぐりは目が覚めたような気持ちになった。
「でも、見たことのない色を見たいの裏ってなんだろう?」
「見えている色を見たくない」
「……どういう意味?」
「さぁ」
 祢墨の素っ気ない声に、あぐりはさらに分からなくなる。見えている色を見たくないと願う王に、一体何色を示せばいいのだろうか。そもそも虚色の王は、本当に色を示して欲しいを思っているのだろうか。
「……墨は、常人と同じように色が見たいって思う?」
 ふと思い立ってあぐりは祢墨に訊いてみる。「う~ん……」と、祢墨は間延びした声を出した。
「ちょっと興味あるけど、夜目が利かなくなったら困るから、このままでいいかな。そんなに不便でもないし」
「そっか」
 祢墨の答えにあぐりは頷く。
 あぐりも常人と違う景色が見えており、そのせいで嫌な目に遭ったこともあるが、それでもこの色彩を無くしてほしいとは微塵も思わなかった。
 その後しばらく沈黙が続いたり、また話したりしながら洞窟の中を進んで行くと、ようやく道の先にわずかに光が見えてきた。
 最後の分かれ道を左に進むと、目の前に出口が見え、あぐりの目が一瞬眩んだ。外からの風が頬を撫で、暗闇から脱出できたことにあぐりは感激してしまう。
 洞窟から出ると、鬱蒼とした木々が周囲を覆っており、どこにも道らしきものは見えなかった。木々の隙間からわずかに差し込む陽光が、あぐりの顔を照らしている。まだ日は沈んでおらず、祢墨の言う通り二刻で洞窟を出られたのなら、今は八ノ刻を過ぎた頃だろう。
「ここから西に一刻ほど進めば山道があるから、そこを目指そう。さっきよりかは歩きやすいはずだよ」
「分かった」
 洞窟を出ても、祢墨はあぐりの手を離さずに進み、あぐりもその手をほどくことはしなかった。
 ぬかるむ道を、あぐりたちは慎重に進んでいく。
「そもそも、なんで王たちは亡霊になったんだろう? 昔話では、四王島を創った神様を怒らせたからだとか、大陸から来た侵略者たちに殺されたからだとか、色んな説があるけど……」
 あぐりはゆっくりと斜面を下りながら、洞窟での話の続きをする。
「昔話なんて、時が経つにつれて色々変わっていくからね。僕が聞いたのは、島を厄災が襲って、四王が呪われる代わりにその厄災を封印したとか、厄災が実は神様で、神に逆らった王が……」
 祢墨は言葉を不自然に途切れさせたかと思うと、あぐりの手を離し一瞬のうちに気配を変えた。
 体中から白銀を沸き立たせ、近くにいるだけで背中が|戦《おのの》くほどの殺気を溢れさせている。
「す、墨?」
 あぐりの問いかけに、祢墨は答えない。
 目を鋭く開き、純黒の瞳で真っ直ぐに前を睨みつけている。
 あぐりは戸惑いながら祢墨の見つめる先に視線を向け、声を失った。
「よかった、わたしが当たりだ」
 木々の間から現れたのは、この場にそぐわないほど美しい女性だった。