三話 虚構の幸福
ー/ー
飛炎を護衛しながら進む色見部隊は、深桜山を抜け翠光海岸へと歩を進めていた。
翠光海岸の近くにある呼魚町の宿に辿り着いた日の晩に、兵たちは隊長の呼びかけで宿の集会用の部屋に集められた。行灯の淡い光が壁に揺れ、神妙な表情をした兵士たちの顔を照らす。
「先ほど連絡が入った。篠月あぐりの義兄たちの件だが、検死の結果緋熊に襲われた傷ではないことが分かった。偽装されたようだ」
眉に深い皺を刻み、深刻な表情で隊長は言う。兵士たちは息を呑み、顔をこわばらせた。
「色見が何者かに攫われたということですか」
兵士の一人が問いかける。
「その可能性が高い。現に、かの森や笹藍村周辺を捜索しているが、色見は未だ見つからず獣に襲われた痕跡もない。攫われたと考えた方がいいだろう」
隊長が返すと、別の兵士が「他国の刺客の可能性は」と続けざまに質問した。
「刺客なら、色見もその場で殺して緋熊に襲われたように見せるはずだ。攫う利点がない」
隊長の言葉に、「なにが目的だ……?」、「国に身代金でも要求するんじゃないか?」、「それならもうとっくにしているだろう」と兵士たちはざわめく。
「あんな惨いことできるやつがいるのかよ……」
冬馬の隣で虎次郎が顔をしかめつぶやいた。冬馬も胸をざわつかせて笹藍村での出来事を思い出す。土饅頭にされ、惨たらしく殺されていた義兄たちの姿が脳裏をよぎった。工作ではないかと考えていたが、いざ人の仕業だと知らされても、そう簡単には信じられない。
「もう一つ連絡だ。深桜山の兵からの報告では、一つ目の試練の場に篠月あぐりらしき者は現れていない」
隊長は重い声で言葉を続ける。
「だが、三日前酔っ払いに絡まれ乱闘騒ぎになり、監視が一時途切れたらしい。その隙に試練の場所に入られた可能性はある」
兵士たちのざわめきが大きくなる。
「その酔っ払いが犯人では?」
「いや、本当にただの酔っ払った観光客だったようだ」
「不審な人物が深桜山に入らなかったのですか?」
「不審な人物はいなかったらしいが……今の時季あそこは花見客で賑わう。人ごみに紛れられたかもしれん」
隊長は険しい表情で矢継ぎ早の質問に答えていく。冬馬の胸騒ぎが大きくなっていった。得体の知れない化け物が、自分たちのすぐ背中まで迫ってきている感覚がする。
「もし誘拐犯が色見を一つ目の試練の場に連れて行ったのなら、そいつは相当な手練れだぞ……」
虎次郎の言葉に、冬馬は無言で頷いた。
篠月あぐりが一つ目の試練の場に姿を現すことを考え、深桜山や麓の町に何人もの兵が配置されている。そして試練の場の前には、常に二人以上の兵士を配置し見張っていたはずだ。あの監視の目をくぐり抜けたというのか。
「いずれにせよ、俺たちは飛炎を護り二つ目の試練の場に無事辿りつくことを最優先とする。翠光海岸に篠月あぐりと彼女を攫った者が現れる可能性もあるため、今まで以上に厳重体勢を取る。なんとしても色見を護り、虚色の王の元へ連れて行くぞ」
隊長は確固たる声で告げ、兵士たちは一斉に「はい」と返事をした。
その後隊長は翠光ノ祠の監視体制を説明し、解散を告げた。兵士たちは重い足取りで部屋へ戻る。
「……篠月が単独で義兄たちを殺して、兵の目をかいくぐって試練を受けたって可能性はないか?」
冬馬が布団を敷き寝る準備をしていると、すでに布団に寝っ転がっている虎次郎が尋ねてきた。「篠月は十五歳の村娘だぞ。無理だろ」と冬馬が返すと、「だよなぁ」と虎次郎はため息を吐く。
「可哀想に、怖い思いをしているだろうな」
冬馬はポツリとつぶやく。攫われている篠月あぐりのことを思うと、胸が痛かった。「あぁ、早く助けてやらないとな」と虎次郎も頷く。
獣にすでに殺されていることも想像していたため、彼女が生きている可能性が高いのは素直に嬉しかった。
「……こんなこと、いつまで続くんだ」
思わず声がこぼれる。
「刺客に殺されてしまった子は、まだ十二歳の女の子だったじゃないか。訳も分からず色見にされて、命を奪われてしまった。同じことが何百年も続いている。虚色の王を満足させるため、国同士で争い、罪の無い色見を殺し合わなきゃならない。あまりにも無意味だ」
色見部隊の兵として、こんなことを言うのは不適切だと分かっている。それでも、思わずにはいられなかった。篠月あぐりが逃げたのも、色見になった重圧から逃れるためだろう。様々な人の運命を狂わせる虚色の王に対して、やり場のない怒りを感じてしまう。
「虚色を示すことができて、南側の土地をどこかの国が手に入れても、どうせ土地を巡って争いが起きるぞ」
虎次郎は天井を見上げながら静かに言う。冬馬は何も言わず布団を敷き終え、腰を下ろした。
「篠月は、最初の試練を突破したと思うか?」
虎次郎は寝そべったまま冬馬に体を向け尋ねてくる。
「したんじゃないか? 突破できなかったら色見としての意味を失うし、誘拐犯はその場に色見を捨て置くだろう。誘拐犯の目的が分からないから、断言はできないけどな」
「そうだよな……」
虎次郎は頭の後ろで手を組み、また天井を見上げた。
「飛炎に内容聞いたけど、結構難しかったぜ。明度と彩度が同じ色を選べって言われたり、何千枚の花弁の中から、深桜山の桜と同じ花弁を選べって言われたりしたそうだ。うちには過去の試練内容をまとめた資料があるから、大体どんな試験がでるか目星をつけられるけど、篠月はなにも知らずに挑んだってことだろ? とんでもない色彩感覚だぞ」
虎次郎の言葉に、「確かに、そう考えるとすごいな」と冬馬は相づちを打った。
幻日国には過去幻日国の色見となった民と、色見が受けた試練の場所と内容をまとめた資料があり、厳重に保管されている。新たな色見が選ばれた際に、その色見が試練を突破できる確率を上げるため、試練の内容についての資料のみ色見と護衛の兵に開示される。
色を濃淡順に並べる試験や明度と彩度についての試験は過去にも頻出しており、桜の花弁を選ぶという試験は今回初であったが、過去には別の花で行われたことがあった。
しかし、篠月はそれを知らずに挑んだはずだ。
「お前も飛炎と話して、だいぶ仲良くなったんじゃないか?」
「馬鹿言え、仕事だから話してるだけだ。なんだって俺が色見の記録係なんかに……」
虎次郎は眉を寄せため息を吐く。
飛炎から試練の内容を聞き記録する必要があり、その役に虎次郎が選ばれたのだが、虎次郎自身嫌がっていた。
「字が上手いから選ばれたんだろ。お前の文は国の重要資料として厳重に保管されるんだぞ。誇れって」
「無理矢理押し付けられただけだっての……。あいつと話すだけでも疲れるのに、色々聴かなきゃならなくて更に疲れるんだぞ。そんなに誇りたいんなら、お前がやってくれよ」
「代わってやりたいけど、隊長から『お前はだめだ』って言われたんだよ」
「なんで?」
「さぁ」
冬馬は肩をすくめる。冬馬も虎次郎が記録係を嫌がっていることは知っていたので、代わりたいと隊長に進言したものの、却下されてしまった。
冬馬は落ち着かない気分で立ち上がり、「どこ行くんだ?」と虎次郎は声をかけてくる。「厠」と短く答え、冬馬は部屋を出た。厠に行きたかったのは本当だが、少し一人になりたい気分だった。
厠へ行き、部屋に戻ろうと静まりきった廊下を冬馬は歩く。足音が木の床に響き、遠くから吹く海風が戸を揺らしている。夜の静かな冷気が足元から忍び寄り、冬馬はふるりと背を震わせた。
ふと飛炎がいる部屋から漏れる行灯の光に気付き、冬馬は足を止める。彼はまだ起きているらしい。
明日には第二の試練の場に着くし、激励の言葉の一つでもかけてやるか。
常に冷静なあいつが、緊張しているわけないだろうけど。
そんなことを考えながら冬馬は飛炎の部屋に近づき、「冬馬だ、入るぞ」と声をかける。向こうから返事はなかったが、冬馬は気にせず扉を開けた。
部屋の中にいた飛炎と目が合う。相変わらず氷のように冷ややかな視線だ。
試練の資料を読んでいるのかと思ったが、彼は特になにをするでもなく床に座っていた。行灯の柔らかな光が、飛炎の影を畳の上に伸ばしている。なにか考えているのか、それともただ休んでいるのか、冬馬には分からない。
「資料に目を通しておかなくていいのか? 明日には翠光海岸につくぞ」
「全て頭に入れた」
冬馬はわずかに目を見開く。過去五百年に渡る色見の試練に関しての資料は、莫大な量に及んでいる。それを全て暗記したというのか。にわかには信じられないが、冬馬は「そうか」と頷いた。
「食べたいものはあるか? お前は大事な色見だ。少しぐらいわがままを言っても許されるぞ」
「ない」
にべもない返事に、「そうか……」と冬馬はまた頷く。飛炎と出会ってから二週間近く経ったが、彼は一切心を開こうとしない。必要最低限の会話以外しようともせず、いつも無表情に黙っているので、本当に人の形をした傀儡のように見える。
兵士たちは皆飛炎を気味悪がって避けているが、冬馬は彼と対話することを諦めたくなかった。
「虚色の王になれたらなにを願う?」
冬馬は穏やかに問いかける。「願いなどない」と飛炎は淡々と言葉を継いだ。
「お前も聞いているだろう。森を抜けるのは、死ぬときだけだ。俺は色見の役目を果たしたら死ぬ。王になろうが、なれまいがな」
昏い飛炎の瞳に、冬馬は胸が詰まる。
飛炎は色見になったが故に森を抜け、色見の役目を終えたら自刃することになっていた。国の機密情報を知っている彼を、野放しにはできないからだ。それならば、森に戻ればよいのでないかと思ったが、掟によって一度森を抜けたものは二度と戻れないらしい。
森を抜けることができるのは、死ぬときだけだと聞いた時、なんて馬鹿らしい掟なのかと冬馬は思った。
国のため、感情を殺して生きてきたというのに、不要になれば自刃を命じられる。
冬馬も兵士として国に忠誠を誓っているが、飛炎の森に対する思いは忠誠とは違う。ただの洗脳だ。
「生きたくはないのか」
冬馬は語尾が強くなる。
「虚色の王になれば、幻王から望みを叶えてもらえるじゃないか。生きたいと願えばいい」
色見が新たな虚色の王になれば、島の南側の土地を支配する権利を得る。その権利を幻日国の王である幻王に渡せば、褒美としてどのような願いも叶えてもらえるのだ。王位を譲れといった国に大きく影響することは無理だが、大抵の願いは叶えてもらえる。
なんの不自由なく生きることができるだろう。
「生きる意味などない」
「そんな悲しいこと言うなよ。自分の幸せのために生きればいい」
「幸福など虚構だ。そんなもの、望んだことなどない」
感情無く言う飛炎に、冬馬は絶句する。
うら若い少年の口から出た言葉とは思えない。幸福が虚構だなどと、どんな生き方をすればそんな考えになるのだろうか。彼にこんなことを言わせるなんて、森とは一体なんなのかと、冬馬は背筋の凍るような恐怖を覚えた。
「おい、冬馬」
突然背中から声をかけられ振り向くと、部屋の扉をわずかに開けてこちらを見ている虎次郎と目が合った。「来い」と手招きされ、冬馬は「じゃあな、ゆっくり休めよ」と飛炎に言い部屋を出る。冬馬が廊下に出ると虎次郎はすぐに扉を閉め、「長い厠だと思ったら、なにやってんだよ」と呆れ顔で冬馬を見た。
「あんまりあいつに肩入れするなよ。お前の身が心配だ。森についてなにか知っちまったら、お前が消されるかもしれないんだぞ」
廊下を歩きながら、虎次郎は声を潜めて言う。虎次郎の言う通り、飛炎は森についてのことを他言しないか常に見張られていた。一体どこに潜んでいるのか分からないが、今のやり取りも森がどこかで監視していたはずだ。
「大丈夫だ。森についてのことは聞いていない」
「あいつがぽろっとしゃべるかもしれないだろ」
虎次郎ははぁとため息を吐く。
「……どうせこの旅が終わればあいつは死ぬんだ。仲が良くなってもいいことはないぞ」
虎次郎は神妙な表情で冷然と言った。
「そうは言ってもな……。たぶん、あいつはまだ十六、七くらいだろ? もっとのびのびとしていい歳だ。森から抜けたのに、感情を殺したまま死ぬなんて可哀想すぎる」
虎次郎の言い分も分かるが、それでも冬馬は飛炎に少しでも人間らしく生きてほしかった。森を抜けたというのに、このままでは飛炎は色見という道具として扱われて終わってしまう。そんなの、あまりにも可哀想だ。
不意に虎次郎は立ち止まり、冬馬も足を止める。
虎次郎は呆れたような、憐れんでいるかのような顔で口を開いた。
「お前があいつの記録係になれない理由が分かったよ」
虎次郎は小さく息を吐き、眉を下げて冬馬を見る。
「お前は優しすぎるんだ、冬馬。あいつに心を尽くしすぎる」
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。
|飛炎《ひえん》を護衛しながら進む色見部隊は、|深桜山《みおうざん》を抜け|翠光《すいこう》海岸へと歩を進めていた。
翠光海岸の近くにある|呼魚町《こうおまち》の宿に辿り着いた日の晩に、兵たちは隊長の呼びかけで宿の集会用の部屋に集められた。行灯の淡い光が壁に揺れ、神妙な表情をした兵士たちの顔を照らす。
「先ほど連絡が入った。|篠月《しのつき》あぐりの義兄たちの件だが、検死の結果|緋熊《ひぐま》に襲われた傷ではないことが分かった。偽装されたようだ」
眉に深い皺を刻み、深刻な表情で隊長は言う。兵士たちは息を呑み、顔をこわばらせた。
「色見が何者かに攫われたということですか」
兵士の一人が問いかける。
「その可能性が高い。現に、かの森や|笹藍村《ささあいむら》周辺を捜索しているが、色見は未だ見つからず獣に襲われた痕跡もない。攫われたと考えた方がいいだろう」
隊長が返すと、別の兵士が「他国の刺客の可能性は」と続けざまに質問した。
「刺客なら、色見もその場で殺して緋熊に襲われたように見せるはずだ。攫う利点がない」
隊長の言葉に、「なにが目的だ……?」、「国に身代金でも要求するんじゃないか?」、「それならもうとっくにしているだろう」と兵士たちはざわめく。
「あんな|惨《むご》いことできるやつがいるのかよ……」
|冬馬《とうま》の隣で|虎次郎《こじろう》が顔をしかめつぶやいた。冬馬も胸をざわつかせて笹藍村での出来事を思い出す。土饅頭にされ、惨たらしく殺されていた義兄たちの姿が脳裏をよぎった。工作ではないかと考えていたが、いざ人の仕業だと知らされても、そう簡単には信じられない。
「もう一つ連絡だ。深桜山の兵からの報告では、一つ目の試練の場に篠月あぐりらしき者は現れていない」
隊長は重い声で言葉を続ける。
「だが、三日前酔っ払いに絡まれ乱闘騒ぎになり、監視が一時途切れたらしい。その隙に試練の場所に入られた可能性はある」
兵士たちのざわめきが大きくなる。
「その酔っ払いが犯人では?」
「いや、本当にただの酔っ払った観光客だったようだ」
「不審な人物が深桜山に入らなかったのですか?」
「不審な人物はいなかったらしいが……今の時季あそこは花見客で賑わう。人ごみに紛れられたかもしれん」
隊長は険しい表情で矢継ぎ早の質問に答えていく。冬馬の胸騒ぎが大きくなっていった。得体の知れない化け物が、自分たちのすぐ背中まで迫ってきている感覚がする。
「もし誘拐犯が色見を一つ目の試練の場に連れて行ったのなら、そいつは相当な手練れだぞ……」
虎次郎の言葉に、冬馬は無言で頷いた。
篠月あぐりが一つ目の試練の場に姿を現すことを考え、深桜山や麓の町に何人もの兵が配置されている。そして試練の場の前には、常に二人以上の兵士を配置し見張っていたはずだ。あの監視の目をくぐり抜けたというのか。
「いずれにせよ、俺たちは飛炎を護り二つ目の試練の場に無事辿りつくことを最優先とする。翠光海岸に篠月あぐりと彼女を攫った者が現れる可能性もあるため、今まで以上に厳重体勢を取る。なんとしても色見を護り、虚色の王の元へ連れて行くぞ」
隊長は確固たる声で告げ、兵士たちは一斉に「はい」と返事をした。
その後隊長は翠光ノ祠の監視体制を説明し、解散を告げた。兵士たちは重い足取りで部屋へ戻る。
「……篠月が単独で義兄たちを殺して、兵の目をかいくぐって試練を受けたって可能性はないか?」
冬馬が布団を敷き寝る準備をしていると、すでに布団に寝っ転がっている虎次郎が尋ねてきた。「篠月は十五歳の村娘だぞ。無理だろ」と冬馬が返すと、「だよなぁ」と虎次郎はため息を吐く。
「可哀想に、怖い思いをしているだろうな」
冬馬はポツリとつぶやく。攫われている篠月あぐりのことを思うと、胸が痛かった。「あぁ、早く助けてやらないとな」と虎次郎も頷く。
獣にすでに殺されていることも想像していたため、彼女が生きている可能性が高いのは素直に嬉しかった。
「……こんなこと、いつまで続くんだ」
思わず声がこぼれる。
「刺客に殺されてしまった子は、まだ十二歳の女の子だったじゃないか。訳も分からず色見にされて、命を奪われてしまった。同じことが何百年も続いている。虚色の王を満足させるため、国同士で争い、罪の無い色見を殺し合わなきゃならない。あまりにも無意味だ」
色見部隊の兵として、こんなことを言うのは不適切だと分かっている。それでも、思わずにはいられなかった。篠月あぐりが逃げたのも、色見になった重圧から逃れるためだろう。様々な人の運命を狂わせる虚色の王に対して、やり場のない怒りを感じてしまう。
「虚色を示すことができて、南側の土地をどこかの国が手に入れても、どうせ土地を巡って争いが起きるぞ」
虎次郎は天井を見上げながら静かに言う。冬馬は何も言わず布団を敷き終え、腰を下ろした。
「篠月は、最初の試練を突破したと思うか?」
虎次郎は寝そべったまま冬馬に体を向け尋ねてくる。
「したんじゃないか? 突破できなかったら色見としての意味を失うし、誘拐犯はその場に色見を捨て置くだろう。誘拐犯の目的が分からないから、断言はできないけどな」
「そうだよな……」
虎次郎は頭の後ろで手を組み、また天井を見上げた。
「飛炎に内容聞いたけど、結構難しかったぜ。明度と彩度が同じ色を選べって言われたり、何千枚の花弁の中から、深桜山の桜と同じ花弁を選べって言われたりしたそうだ。うちには過去の試練内容をまとめた資料があるから、大体どんな試験がでるか目星をつけられるけど、篠月はなにも知らずに挑んだってことだろ? とんでもない色彩感覚だぞ」
虎次郎の言葉に、「確かに、そう考えるとすごいな」と冬馬は相づちを打った。
|幻日国《げんじつこく》には過去幻日国の色見となった民と、色見が受けた試練の場所と内容をまとめた資料があり、厳重に保管されている。新たな色見が選ばれた際に、その色見が試練を突破できる確率を上げるため、試練の内容についての資料のみ色見と護衛の兵に開示される。
色を濃淡順に並べる試験や明度と彩度についての試験は過去にも頻出しており、桜の花弁を選ぶという試験は今回初であったが、過去には別の花で行われたことがあった。
しかし、篠月はそれを知らずに挑んだはずだ。
「お前も飛炎と話して、だいぶ仲良くなったんじゃないか?」
「馬鹿言え、仕事だから話してるだけだ。なんだって俺が色見の記録係なんかに……」
虎次郎は眉を寄せため息を吐く。
飛炎から試練の内容を聞き記録する必要があり、その役に虎次郎が選ばれたのだが、虎次郎自身嫌がっていた。
「字が上手いから選ばれたんだろ。お前の文は国の重要資料として厳重に保管されるんだぞ。誇れって」
「無理矢理押し付けられただけだっての……。あいつと話すだけでも疲れるのに、色々聴かなきゃならなくて更に疲れるんだぞ。そんなに誇りたいんなら、お前がやってくれよ」
「代わってやりたいけど、隊長から『お前はだめだ』って言われたんだよ」
「なんで?」
「さぁ」
冬馬は肩をすくめる。冬馬も虎次郎が記録係を嫌がっていることは知っていたので、代わりたいと隊長に進言したものの、却下されてしまった。
冬馬は落ち着かない気分で立ち上がり、「どこ行くんだ?」と虎次郎は声をかけてくる。「厠」と短く答え、冬馬は部屋を出た。厠に行きたかったのは本当だが、少し一人になりたい気分だった。
厠へ行き、部屋に戻ろうと静まりきった廊下を冬馬は歩く。足音が木の床に響き、遠くから吹く海風が戸を揺らしている。夜の静かな冷気が足元から忍び寄り、冬馬はふるりと背を震わせた。
ふと飛炎がいる部屋から漏れる行灯の光に気付き、冬馬は足を止める。彼はまだ起きているらしい。
明日には第二の試練の場に着くし、激励の言葉の一つでもかけてやるか。
常に冷静なあいつが、緊張しているわけないだろうけど。
そんなことを考えながら冬馬は飛炎の部屋に近づき、「冬馬だ、入るぞ」と声をかける。向こうから返事はなかったが、冬馬は気にせず扉を開けた。
部屋の中にいた飛炎と目が合う。相変わらず氷のように冷ややかな視線だ。
試練の資料を読んでいるのかと思ったが、彼は特になにをするでもなく床に座っていた。行灯の柔らかな光が、飛炎の影を畳の上に伸ばしている。なにか考えているのか、それともただ休んでいるのか、冬馬には分からない。
「資料に目を通しておかなくていいのか? 明日には翠光海岸につくぞ」
「全て頭に入れた」
冬馬はわずかに目を見開く。過去五百年に渡る色見の試練に関しての資料は、莫大な量に及んでいる。それを全て暗記したというのか。にわかには信じられないが、冬馬は「そうか」と頷いた。
「食べたいものはあるか? お前は大事な色見だ。少しぐらいわがままを言っても許されるぞ」
「ない」
にべもない返事に、「そうか……」と冬馬はまた頷く。飛炎と出会ってから二週間近く経ったが、彼は一切心を開こうとしない。必要最低限の会話以外しようともせず、いつも無表情に黙っているので、本当に人の形をした傀儡のように見える。
兵士たちは皆飛炎を気味悪がって避けているが、冬馬は彼と対話することを諦めたくなかった。
「虚色の王になれたらなにを願う?」
冬馬は穏やかに問いかける。「願いなどない」と飛炎は淡々と言葉を継いだ。
「お前も聞いているだろう。森を抜けるのは、死ぬときだけだ。俺は色見の役目を果たしたら死ぬ。王になろうが、なれまいがな」
昏い飛炎の瞳に、冬馬は胸が詰まる。
飛炎は色見になったが故に森を抜け、色見の役目を終えたら自刃することになっていた。国の機密情報を知っている彼を、野放しにはできないからだ。それならば、森に戻ればよいのでないかと思ったが、掟によって一度森を抜けたものは二度と戻れないらしい。
森を抜けることができるのは、死ぬときだけだと聞いた時、なんて馬鹿らしい掟なのかと冬馬は思った。
国のため、感情を殺して生きてきたというのに、不要になれば自刃を命じられる。
冬馬も兵士として国に忠誠を誓っているが、飛炎の森に対する思いは忠誠とは違う。ただの洗脳だ。
「生きたくはないのか」
冬馬は語尾が強くなる。
「虚色の王になれば、|幻王《げんおう》から望みを叶えてもらえるじゃないか。生きたいと願えばいい」
色見が新たな虚色の王になれば、島の南側の土地を支配する権利を得る。その権利を幻日国の王である幻王に渡せば、褒美としてどのような願いも叶えてもらえるのだ。王位を譲れといった国に大きく影響することは無理だが、大抵の願いは叶えてもらえる。
なんの不自由なく生きることができるだろう。
「生きる意味などない」
「そんな悲しいこと言うなよ。自分の幸せのために生きればいい」
「幸福など虚構だ。そんなもの、望んだことなどない」
感情無く言う飛炎に、冬馬は絶句する。
うら若い少年の口から出た言葉とは思えない。幸福が虚構だなどと、どんな生き方をすればそんな考えになるのだろうか。彼にこんなことを言わせるなんて、森とは一体なんなのかと、冬馬は背筋の凍るような恐怖を覚えた。
「おい、冬馬」
突然背中から声をかけられ振り向くと、部屋の扉をわずかに開けてこちらを見ている虎次郎と目が合った。「来い」と手招きされ、冬馬は「じゃあな、ゆっくり休めよ」と飛炎に言い部屋を出る。冬馬が廊下に出ると虎次郎はすぐに扉を閉め、「長い厠だと思ったら、なにやってんだよ」と呆れ顔で冬馬を見た。
「あんまりあいつに肩入れするなよ。お前の身が心配だ。森についてなにか知っちまったら、お前が消されるかもしれないんだぞ」
廊下を歩きながら、虎次郎は声を潜めて言う。虎次郎の言う通り、飛炎は森についてのことを他言しないか常に見張られていた。一体どこに潜んでいるのか分からないが、今のやり取りも森がどこかで監視していたはずだ。
「大丈夫だ。森についてのことは聞いていない」
「あいつがぽろっとしゃべるかもしれないだろ」
虎次郎ははぁとため息を吐く。
「……どうせこの旅が終わればあいつは死ぬんだ。仲が良くなってもいいことはないぞ」
虎次郎は神妙な表情で冷然と言った。
「そうは言ってもな……。たぶん、あいつはまだ十六、七くらいだろ? もっとのびのびとしていい歳だ。森から抜けたのに、感情を殺したまま死ぬなんて可哀想すぎる」
虎次郎の言い分も分かるが、それでも冬馬は飛炎に少しでも人間らしく生きてほしかった。森を抜けたというのに、このままでは飛炎は色見という道具として扱われて終わってしまう。そんなの、あまりにも可哀想だ。
不意に虎次郎は立ち止まり、冬馬も足を止める。
虎次郎は呆れたような、憐れんでいるかのような顔で口を開いた。
「お前があいつの記録係になれない理由が分かったよ」
虎次郎は小さく息を吐き、眉を下げて冬馬を見る。
「お前は優しすぎるんだ、冬馬。あいつに心を尽くしすぎる」