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一話 深桜山

ー/ー



 香鹿町(かしかまち)から先の土地へ行ったことのないあぐりにとって、深桜山(みおうざん)までの道のりは全てが未知だった。
 今までとは全く違う世界に放り出されたかのような感覚だ。
 色見に選ばれるまで笹藍村(ささあいむら)と香鹿町しか知らなかったあぐりの世界は、祢墨(ねずみ)と共に旅をすることでどんどんと大きくなっていった。

 あぐりにとって見知った場所から離れることは不安と恐怖しかなかったが、三日も経てば知らない土地を歩くことにも慣れる。
 一人だったら途方に暮れていただろうが、今のあぐりには隣に祢墨がいた。
 幻日国の地理が頭に入っていると言う祢墨を信じ、あぐりは祢墨と共に深桜山を目指していった。

 深桜山の麓にある深桜町(みおうまち)に着いたのは、祢墨と旅を始めてから四日後だった。

 深桜山はその名の通り、桜の木が多く自生している山だ。弥生も下旬に入った今、山を覆い尽くさん限りの桜が花の盛りを迎えている。
 満開の桜が咲き誇る姿は、誰しもが立ち止まり仰ぎ見るほど美しい。

 毎年この時季になると、深桜町は絶景と名高い桜を一目見ようと訪れる観光客で賑わう。
 そのため宿屋が多く、あぐりと祢墨は桜を見に来た観光客として宿に泊まることにした。

 どの宿屋も満室で、あぐりたちが泊まれたのは町はずれのさびれた宿だったが、値段も安く不便はない。宿の窓からも深桜山の桜を望むことはでき、「綺麗だな……」とあぐりは感嘆する。あいにく花曇りの空だったが、桜の美しさは変わらない。

 あぐりは、花を見ることが好きだ。色彩豊かな花々が咲いている様は、見るだけで心が洗われるような感覚がする。花だけでなく、空が時間とともに色を変えていく様子や、祭りで色とりどりに飾られた街並みを見るのも好きだ。美しい色彩は、見ているだけであぐりの心を癒してくれた。

「空と似た色だから、同化してよく分かんないね」

 同じく窓から山を見ていた祢墨が言う。祢墨の言っている意味が分からず、あぐりは「どういうこと?」と問いかけた。

「あの桜の色のこと。曇り空と同じ色に見えるよ」
「え」

 雲は空色鼠(そらいろねず)で、桜は薄紅色だ。まったくもって違う色である。それなのに、祢墨には同じ色に見えるらしい。あぐりには理解できない感覚だった。

「……もしかして墨って、白黒で世界が見えているの?」
「どうなんだろ。他の人がどんな風に見えているか分からないから、自分が見えている色が何色なのか分からないよ」

 祢墨の言葉に、あぐりは共感する。色盲である祢墨とは逆に、あぐりは常人よりも多くの色を見分けることができる。普通の人が同じ色だと言っても、あぐりには違った色に見えるので、よく嘘つき呼ばわりや変人扱いされたものだ。
 それに、魂の色によって人の嘘が分かることで、義両親からは狐憑きだと言われ折檻されていた。

 常人と違うということは、それだけで虐げられる理由になるのだ。「苦労したでしょ」と、あぐりは同情を隠せずに声をかける。

「いや別に……。僕は人を殺すのが専門だったから、色盲が原因で仕事に支障が出たことはないよ」
「そうなんだ」

 祢墨は淡々と言い、そこに嘘の色は混ざらない。本当に苦労したことがないらしく、あぐりは少し驚いてしまう。色が見分けられないなんて、不便なことしかないと思っていたのだ。

「別に同情なんていらないよ」

 祢墨に見透かされたように言われ、あぐりは胸が痛くなる。同情した自分が、ひどく傲慢な人間である気がした。「ごめん」と謝ったが、祢墨は「別にいいって」と抑揚なく返してきた。
 あぐりは居心地の悪さを感じながら窓の外に視線を向ける。
 自分は美しい色を見るだけで心が洗われるというのに、祢墨はなにも感じないんだろうかと、あぐりは心悲しくなった。

「日が暮れたら行こうか」
「う、うん」

 明るいうちから行動すれば目立つので、あぐりたちは日が暮れてから深桜山に入山することにしていた。一刻半待てば日は暮れ、二人は宿を出て深桜山に向かう。
 花見客が多いためか山の麓には屋台も出ていて、人が多く賑やかだ。あぐりたちは人混みに紛れながら深桜山に入っていった。

 日が暮れても、深桜山は明るい。
 夜桜を見るために、人々が提灯を持って山に入るからだ。
 深桜山には中腹に桜の神を祀る神社があり、そこまでの山道は整備されていて、道の脇には灯籠があるためさらに明るかった。

 昼間に見る桜も見事であるが、灯籠や提灯の温かな光に照らされた桜も美しい。
 薄紅色の花弁は夜の色が移り、ほんのりと紅紫(こうし)色に色づいている。闇夜に幻想的に浮かび上がるその姿は、昼間とはまったく違った桜が咲いているかのようだ。

「綺麗……」

 あぐりは石段の道をゆっくりと進みながら桜を堪能する。夜桜を見たのは初めてだったが、こんなに美しいとは思ってもみなかった。時折風に吹かれハラハラと花びらが舞い、石段を淡く色づけていく。いい時季に来たなと、あぐりは咲き誇る桜を見ながら思っていた。色見の試練を受けなければならないという緊張感を、桜がほぐしてくれるようだ。

「何人か兵士がいる」

 急に祢墨が言うものだから、あぐりは「え?」と立ち止まってしまう。頭が急に現実に戻されてしまった。「動揺しないで。普通に歩いて」と祢墨は静かにささやき、あぐりは歩みを再開する。動揺するなと言われても、無理である。心臓の鼓動は速くなり、嫌な汗が額に滲む。自分は普通に歩けているのだろうかと不安になってくる。

「わ、分かるの?」

 あぐりは小さな声で隣を歩く祢墨に問いかける。「うん。一般人に紛れているけど、歩き方で分かるよ」と祢墨は返してきた。そんなことも分かるのか……と、あぐりは感心する。

「……別の色見もここにいるのかな」
「それにしては兵士の数が少ない。たぶん、兵士に保護されている別の色見はもう試験を終えて、次に向かってるんだと思うよ。ここに残っているのは、あぐりを待ち構えているやつらじゃないかな」
「わ、私……」

 どうやら、色見の試験の場所は同じだったらしい。あぐりは辺りを見渡してみるが、誰が兵士なのか分からなかった。見つかったらどうしようと、あぐりの胸が小さく震え始める。

「落ち着いて。桜でも見て気を静めてよ」
「う、うん……」

 祢墨に言われた通り、あぐりは顔を上げて桜を見つめる。相変わらず桜は美しく、見惚れることに集中した。

「……みんな、ここが試練の場所だって知ってるのかな?」

 あぐりは冷や汗を流しながら祢墨に問いかける。

「普通の人が知るわけないよ。色見の居場所は秘匿にされると思う。騒ぎになっても大変だし、刺客に狙われるしね」
「そうか、そうだよね」

 冷静に考えれば、ここが色見の試練の場所だと知られているなら、騒ぎになりもっと客で賑わっていることだろう。となると、先に来た色見と兵士たちは、誰にも知られることなくここに来て試練を終えたのだ。

「なんだてめぇ! なんか文句あんのかよ‼」

 突如聞こえてきた大声に、あぐりはびくりと肩をはねさせた。見ると、四人の男たちが集まってなにかを言い合っている。

「文句も何も、酒飲んでんじゃねぇか! この山は飲酒禁止だ‼」
「はぁ? 屋台で売ってたから買って飲んでたんじゃねぇか。嫌なら売ってんじゃねぇよ!」
「そうだ! 桜以外取り柄のねぇこんな田舎に金を落としてやってんだ、感謝しろ!」
「てめぇらみてぇな酔っ払いなんざ、来てもらっても迷惑なんだよ! さっさと帰れ‼」
「なんだとこの野郎‼」

 男たちの声は大きくなり、だんだん野次馬も増えていく。なんだか殴り合いが起きそうで、物騒な雰囲気だ。

「地元の男たちと花見客が喧嘩してるみたい。無視して行こう」
「う、うん……」

 祢墨はなんでもなさそうに男たちを素通りし、あぐりも桜に顔を向けて祢墨の後を追った。こんなに花見客が来れば、中には無礼な人もいるだろう。酒を飲んで暴れる人がいれば大変だ。美しい桜を引き換えに、地元の人は苦労しているようだった。

「試験の場所は近い?」

 祢墨の問いに、「うん、近くなってると思う」とあぐりは答える。深桜町に来てから、あぐりは山から目に見えない引力を感じるようになった。まるで何者かにこっちへ来いと呼ばれているかのようだ。深桜山に入ってから、その引力は一歩進むごとに強くなってきている。

「……たぶん、こっち……」

 あぐりは立ち止まり、小さく森の中を指差した。道を外れた先に、引力を強く感じるのだ。道を外れれば灯籠はないため、森の中はただ暗い闇だけが広がっている。
 この先に試練の場所があるとは思うのに、どうやって行けばいいのか分からない。
 道をそれて森の中に入っていくのを見られたら、不審に思われるだろう。もし客に紛れている兵士に見つかったら一巻の終わりだ。

「人の視線が外れたら行こう」
「え? どういうこと?」
「ここにいる人が僕らを視界に入れていないときに、道を外れて行こうって言ってるの」
「そんなことの分かるの?」
「うん。あぐりは桜を見てていいよ。僕が合図を出すから」

 祢墨を信じ、あぐりは桜を見上げながら合図を待った。ついに試練の場所に向かうのだ。冷静でいようと思うのに、体は緊張からどんどん熱くなっていく。失敗するのではないかと、嫌な想像ばかりが頭をよぎった。

 静かに深呼吸をして、意識を桜に集中させる。
 灯籠に照らされた桜は、あぐりの心など知りもせずしとやかに咲いていた。

「今」

 祢墨は小声ながらも鋭く言い、あぐりの手を引く。驚いたもののなんとか声は出さずに、あぐりは祢墨に手を引かれるまま森の中へ踏み出した。

「しゃがんで。草むらに隠れながら行くよ」
「うん」

 あぐりは頷き、しゃがんで草陰を進んだ。最初は道から届く灯籠の光で周囲が見えたが、すぐに暗くなり先が見えなくなる。
 しかし、こういう場面でこそ祢墨が本領を発揮するということをあぐりは分かっていた。
 今夜は曇りである上に下弦の月であるため、月明りはまったく届いていない。それでも祢墨は迷わずに森の中を進んで行く。

 しばらく歩けば、なぜか先の方からわずかな光が見えた。
 あぐりは光の方へ顔を向け、目を見開く。
 そこにあったのは、山肌にぽっかりと開いた洞穴だった。

「あそこ……」

 あぐりは洞穴を指差してささやく。色見に選ばれたあの日、頭の中に流れ込んできた試練の場所は、間違いなくあの洞穴だった。

「あの大きな洞穴が試練の場所だよと思う」
「え、どこ?」
「ほら、あの大きめの岩がある場所のすぐ右」
「……どこ?」

 あぐりの指差す先を祢墨はじっと見つめているが、本当に見えていないようだ。夜目が利くはずの祢墨になぜ見えないのかとあぐりは困惑する。

「本当に見えないの?」
「うん。色見にしか見えないんじゃない?」
「そ、そうなの?」
「だって僕にはなにも見えないよ」

 あぐりは呆然としながら先にある洞穴を見つめる。これが色見に選ばれた者の力なのかと、あぐりは得も言われぬ恐怖を感じた。

「誰かいるね、ゆっくりと近づこう」
「うん」
 
 あぐりは祢墨に倣ってゆっくりと洞穴に近づいていく。洞穴の方から見えてきた淡い光は、提灯の光だった。誰かが提灯を持って洞穴の近くに立っているのだ。
 あぐりたちは木々と草むらに隠れながら進み、人影が分かる位置まで移動した。どうやら、二人の男性が提灯を持ちながら談笑をしているようだ。

「あいつらも兵士だね。てことは、やっぱりあぐりに見えている洞穴が試練の場所みたいだ。洞穴を見張ってるんだよ」

 祢墨は小声で言う。試練の場所に見張りがいるかもしれないとは思っていたが、その通りだった。あの二人に見つからないようにしなければ、洞穴にたどりつけない。

「……殺すの?」

 あぐりは不安になって問いかける。「殺さないよ。面倒くさいことになるでしょ」と祢墨が返してきたので、あぐりはひとまず安堵した。

「僕があいつらを引き付けるから、あぐりは隙を見て洞穴に入って」
「え、隙を見るって、どうすればいいの?」

 あぐりは狼狽えながら祢墨を見る。隙を見ろと言われても、何をどうすればいいかまったく分からなかった。
「そうか……」と祢墨はつぶやき男たちを見つめる。

「見たところ二人とも二十歳を優に超えてるね。これを使える」

 祢墨は懐からなにかを取り出した。暗くてよく見えないが、小指ほどの大きさの金属の棒を二本持っているようだ。

「それはなに?」
虫声(むしせい)

 祢墨は棒をこするようにぶつける。キーンと、虫の声ような高い音が響いた。見張りに聞こえたのではないかとあぐりは焦って男たちの方を見るが、彼らは何事もなかったかのように会話を続けている。

「二十歳以上の人には聞こえない音が出る。あぐりは若いから聞こえるでしょ。これであぐりに合図を送るよ」
「そ、そんな音があるの?」
「うん」

 あぐりは驚いて虫声を見る。今の音が二十歳以上には聞こえないなんて、信じられなかった。

「ほ、本当に二十歳以上の人には聞こえないの?」
「普通はね。耳が良い人や、聴力の訓練をしている人には聞こえる場合もあるよ。もし聞こえても、虫の音にしか聞こえないから大丈夫。」

 祢墨がそう言うので、「そうなんだ」とあぐりは祢墨を信じることにした。

「あぐりは草むらに隠れながらぎりぎりまで洞穴に近づいて。僕はちょっと別のところに行くね」
「え、私を置いて行くの?」
「うん。少しだけ待ってて、合図を送るから」

 ここに独り残されるなんて心もとなさすぎる。「待って」と引き留めようとするが、祢墨は音も立てずにその場を去り、闇の中へ消えていった。
 急に独りぼっちになったあぐりは、呆然としながら闇を見つめる。背筋が冷たくなり、指先が震え出してきた。

 本当に見張りを引き付けてくれるのだろうか。どうやるのか分からないが、祢墨の声に嘘はなかった。きっとうまく対処してくれる。彼を信じよう。
 あぐりは心を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。不意に祢墨が引いてくれた手の温もりを思い出す。闇の中を進む不安を、あの温もりは溶かしてくれた。

(墨を信じるなら、私も動かないと)

 あぐりは拳を握りしめてなんとか震えを止め、ゆっくりと草むらの中を進み洞穴に近づいていった。

✿ ✿ ✿

 祢墨は音を立てずに山道へと戻っていく。先ほど男たちが喧嘩をしていた場所に行くと、まだ喧嘩は続いており、野次馬も集まってさらに騒がしくなっていた。

「酒くらい好きに飲ませろよ! せっかくの花見だろうが!」
「さっきここを通ったやつだって酒を持ってただろ? なんであいつがよくて俺らはだめなんだよ!」
「あれはこの先の神社に納める酒だ! だからいいんだよ!」
「はぁ? じゃぁ俺の持ってるこれも神様用だね! 先に味見したんだよ!」
「つべこべ言うんじゃねぇよこの酔っ払い‼」

 男たちは血気盛んに叫んでいる。まだ殴り合いにはなっておらず、口喧嘩だけだが、そろそろ手が出てもおかしくはない。
 祢墨は気配を消して野次馬の中に紛れ、小さく息を吸った。

「森の中に入って隠れて酒飲んでるやつもいんのに、なんで俺らだけ文句言われなきゃいけねぇんだ!」

 祢墨は低く、しわがれた声で叫ぶ。「なに⁉」と数人が祢墨の声に反応した。

「そうだそうだ!」
「森ん中で騒いでるやつの方が性質(たち)わりぃじゃねぇか!」

 酔っ払いたちが祢墨に同調して叫ぶ。
「なんだって? そいつらどこにいる?」と男の一人が人混みに向かって声を上げた。

「こっから南に行った先の、山肌が見える場所さ。桜を折って持ち帰るって言ってたぜ」

 祢墨はまたしわがれた声で返す。
「なんて野郎どもだ!」、「捕まえてやれ‼」と男たちは盛り上がり、道を逸れ森の中へ入っていった。酔っ払いや面白がっている野次馬も後を追って入り、森の中は騒がしくなっていく。

✿ ✿ ✿

 あぐりは祢墨に言われた通り、草むらに隠れながらぎりぎりまで洞穴に近づいて行った。あまりにも近づいたら見張りの男たちに気付かれそうだ。祢墨がいなくなってから少ししか経っていないはずなのに、半刻は経ったのではないかと思うほど時間の流れが遅い。
 相手に気付かれてはいけないという緊張感が全身を覆っている。あぐりは草むらに身を縮め、息を殺した。
 
 ふと、山道がある方向から声が聞こえてきた。
 見張りたちにも聞こえたようで、彼らは話すのをやめ声の方向に顔を向ける。あぐりもゆっくりと視線を向けると、いくつもの提灯の灯りが見えた。

「お前ら、そんなとこで何やってやがる‼」

 急な怒声が響く。
 山道の方向から何人もの男たちが現れ、見張りの男たちに向かって声を上げ始めた。
「桜を見てただけだ」と、見張りの男は冷静に返す。

「こんなところでかぁ? 怪しいやつらだな!」
「酒を隠し持ってるに違いねぇ!」
「折った桜を見せろ‼」

 男たちは有無を言わせぬ形相で見張りたちに掴みかかった。辺りは一気に騒がしくなる。
 突然の出来事に固まっていると、キーンと虫声の音がかすかに聞こえた。あぐりの冷えた体が、一瞬のうちに熱を持つ。

 今だ。

 あぐりは草むらから飛び出し、一心に洞穴に向かっていった。
 どうか気付かれませんようにと祈り、洞穴の中へと入る。

 その瞬間、空気が変わった。
 先ほどまで濃い森の匂いと桜の柔らかな香りがしていたのに、急になんの匂いもしなくなった。男たちの喧騒も聞こえなくなり、冷たい空気が肌を刺す。

(ど、どうなったの?)

 あぐりは胸元を押さえながら周囲を見渡すも、薄暗くてよく見えない。

 後ろを振り向くと、たった今入ってきたはずの洞穴の入口が無くなっており愕然とする。
 なにが起こっているのか分からず、困惑しながらあぐりは立ち尽くした。なにもない闇の中に放り出されてしまったかのようだ。

 不安で涙が滲みそうになったとき、辺りがわずかに明るくなった。
 灯籠が石壁に沿って並んでいて、それに火が灯り始めたのだ。宙には丸い提灯がいくつも浮いており、それにもぽつりぽつりと火が灯って淡く揺れる。
 だんだんと薄暗闇に目が慣れてきて、周りが石壁に囲まれていることが分かった。どうやら洞穴の中ではあるようだ。

「ようやく来たか、二人目の色見」

 突然背後から冷たい声が響いた。
 あぐりは小さく悲鳴を上げ声の方を見る。
 そこには、白い着物をまとい、白虎の面をつけた十歳前後の子供が立っていた。


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 深桜山はその名の通り、桜の木が多く自生している山だ。弥生も下旬に入った今、山を覆い尽くさん限りの桜が花の盛りを迎えている。
 満開の桜が咲き誇る姿は、誰しもが立ち止まり仰ぎ見るほど美しい。
 毎年この時季になると、深桜町は絶景と名高い桜を一目見ようと訪れる観光客で賑わう。
 そのため宿屋が多く、あぐりと祢墨は桜を見に来た観光客として宿に泊まることにした。
 どの宿屋も満室で、あぐりたちが泊まれたのは町はずれのさびれた宿だったが、値段も安く不便はない。宿の窓からも深桜山の桜を望むことはでき、「綺麗だな……」とあぐりは感嘆する。あいにく花曇りの空だったが、桜の美しさは変わらない。
 あぐりは、花を見ることが好きだ。色彩豊かな花々が咲いている様は、見るだけで心が洗われるような感覚がする。花だけでなく、空が時間とともに色を変えていく様子や、祭りで色とりどりに飾られた街並みを見るのも好きだ。美しい色彩は、見ているだけであぐりの心を癒してくれた。
「空と似た色だから、同化してよく分かんないね」
 同じく窓から山を見ていた祢墨が言う。祢墨の言っている意味が分からず、あぐりは「どういうこと?」と問いかけた。
「あの桜の色のこと。曇り空と同じ色に見えるよ」
「え」
 雲は|空色鼠《そらいろねず》で、桜は薄紅色だ。まったくもって違う色である。それなのに、祢墨には同じ色に見えるらしい。あぐりには理解できない感覚だった。
「……もしかして墨って、白黒で世界が見えているの?」
「どうなんだろ。他の人がどんな風に見えているか分からないから、自分が見えている色が何色なのか分からないよ」
 祢墨の言葉に、あぐりは共感する。色盲である祢墨とは逆に、あぐりは常人よりも多くの色を見分けることができる。普通の人が同じ色だと言っても、あぐりには違った色に見えるので、よく嘘つき呼ばわりや変人扱いされたものだ。
 それに、魂の色によって人の嘘が分かることで、義両親からは狐憑きだと言われ折檻されていた。
 常人と違うということは、それだけで虐げられる理由になるのだ。「苦労したでしょ」と、あぐりは同情を隠せずに声をかける。
「いや別に……。僕は人を殺すのが専門だったから、色盲が原因で仕事に支障が出たことはないよ」
「そうなんだ」
 祢墨は淡々と言い、そこに嘘の色は混ざらない。本当に苦労したことがないらしく、あぐりは少し驚いてしまう。色が見分けられないなんて、不便なことしかないと思っていたのだ。
「別に同情なんていらないよ」
 祢墨に見透かされたように言われ、あぐりは胸が痛くなる。同情した自分が、ひどく傲慢な人間である気がした。「ごめん」と謝ったが、祢墨は「別にいいって」と抑揚なく返してきた。
 あぐりは居心地の悪さを感じながら窓の外に視線を向ける。
 自分は美しい色を見るだけで心が洗われるというのに、祢墨はなにも感じないんだろうかと、あぐりは心悲しくなった。
「日が暮れたら行こうか」
「う、うん」
 明るいうちから行動すれば目立つので、あぐりたちは日が暮れてから深桜山に入山することにしていた。一刻半待てば日は暮れ、二人は宿を出て深桜山に向かう。
 花見客が多いためか山の麓には屋台も出ていて、人が多く賑やかだ。あぐりたちは人混みに紛れながら深桜山に入っていった。
 日が暮れても、深桜山は明るい。
 夜桜を見るために、人々が提灯を持って山に入るからだ。
 深桜山には中腹に桜の神を祀る神社があり、そこまでの山道は整備されていて、道の脇には灯籠があるためさらに明るかった。
 昼間に見る桜も見事であるが、灯籠や提灯の温かな光に照らされた桜も美しい。
 薄紅色の花弁は夜の色が移り、ほんのりと|紅紫《こうし》色に色づいている。闇夜に幻想的に浮かび上がるその姿は、昼間とはまったく違った桜が咲いているかのようだ。
「綺麗……」
 あぐりは石段の道をゆっくりと進みながら桜を堪能する。夜桜を見たのは初めてだったが、こんなに美しいとは思ってもみなかった。時折風に吹かれハラハラと花びらが舞い、石段を淡く色づけていく。いい時季に来たなと、あぐりは咲き誇る桜を見ながら思っていた。色見の試練を受けなければならないという緊張感を、桜がほぐしてくれるようだ。
「何人か兵士がいる」
 急に祢墨が言うものだから、あぐりは「え?」と立ち止まってしまう。頭が急に現実に戻されてしまった。「動揺しないで。普通に歩いて」と祢墨は静かにささやき、あぐりは歩みを再開する。動揺するなと言われても、無理である。心臓の鼓動は速くなり、嫌な汗が額に滲む。自分は普通に歩けているのだろうかと不安になってくる。
「わ、分かるの?」
 あぐりは小さな声で隣を歩く祢墨に問いかける。「うん。一般人に紛れているけど、歩き方で分かるよ」と祢墨は返してきた。そんなことも分かるのか……と、あぐりは感心する。
「……別の色見もここにいるのかな」
「それにしては兵士の数が少ない。たぶん、兵士に保護されている別の色見はもう試験を終えて、次に向かってるんだと思うよ。ここに残っているのは、あぐりを待ち構えているやつらじゃないかな」
「わ、私……」
 どうやら、色見の試験の場所は同じだったらしい。あぐりは辺りを見渡してみるが、誰が兵士なのか分からなかった。見つかったらどうしようと、あぐりの胸が小さく震え始める。
「落ち着いて。桜でも見て気を静めてよ」
「う、うん……」
 祢墨に言われた通り、あぐりは顔を上げて桜を見つめる。相変わらず桜は美しく、見惚れることに集中した。
「……みんな、ここが試練の場所だって知ってるのかな?」
 あぐりは冷や汗を流しながら祢墨に問いかける。
「普通の人が知るわけないよ。色見の居場所は秘匿にされると思う。騒ぎになっても大変だし、刺客に狙われるしね」
「そうか、そうだよね」
 冷静に考えれば、ここが色見の試練の場所だと知られているなら、騒ぎになりもっと客で賑わっていることだろう。となると、先に来た色見と兵士たちは、誰にも知られることなくここに来て試練を終えたのだ。
「なんだてめぇ! なんか文句あんのかよ‼」
 突如聞こえてきた大声に、あぐりはびくりと肩をはねさせた。見ると、四人の男たちが集まってなにかを言い合っている。
「文句も何も、酒飲んでんじゃねぇか! この山は飲酒禁止だ‼」
「はぁ? 屋台で売ってたから買って飲んでたんじゃねぇか。嫌なら売ってんじゃねぇよ!」
「そうだ! 桜以外取り柄のねぇこんな田舎に金を落としてやってんだ、感謝しろ!」
「てめぇらみてぇな酔っ払いなんざ、来てもらっても迷惑なんだよ! さっさと帰れ‼」
「なんだとこの野郎‼」
 男たちの声は大きくなり、だんだん野次馬も増えていく。なんだか殴り合いが起きそうで、物騒な雰囲気だ。
「地元の男たちと花見客が喧嘩してるみたい。無視して行こう」
「う、うん……」
 祢墨はなんでもなさそうに男たちを素通りし、あぐりも桜に顔を向けて祢墨の後を追った。こんなに花見客が来れば、中には無礼な人もいるだろう。酒を飲んで暴れる人がいれば大変だ。美しい桜を引き換えに、地元の人は苦労しているようだった。
「試験の場所は近い?」
 祢墨の問いに、「うん、近くなってると思う」とあぐりは答える。深桜町に来てから、あぐりは山から目に見えない引力を感じるようになった。まるで何者かにこっちへ来いと呼ばれているかのようだ。深桜山に入ってから、その引力は一歩進むごとに強くなってきている。
「……たぶん、こっち……」
 あぐりは立ち止まり、小さく森の中を指差した。道を外れた先に、引力を強く感じるのだ。道を外れれば灯籠はないため、森の中はただ暗い闇だけが広がっている。
 この先に試練の場所があるとは思うのに、どうやって行けばいいのか分からない。
 道をそれて森の中に入っていくのを見られたら、不審に思われるだろう。もし客に紛れている兵士に見つかったら一巻の終わりだ。
「人の視線が外れたら行こう」
「え? どういうこと?」
「ここにいる人が僕らを視界に入れていないときに、道を外れて行こうって言ってるの」
「そんなことの分かるの?」
「うん。あぐりは桜を見てていいよ。僕が合図を出すから」
 祢墨を信じ、あぐりは桜を見上げながら合図を待った。ついに試練の場所に向かうのだ。冷静でいようと思うのに、体は緊張からどんどん熱くなっていく。失敗するのではないかと、嫌な想像ばかりが頭をよぎった。
 静かに深呼吸をして、意識を桜に集中させる。
 灯籠に照らされた桜は、あぐりの心など知りもせずしとやかに咲いていた。
「今」
 祢墨は小声ながらも鋭く言い、あぐりの手を引く。驚いたもののなんとか声は出さずに、あぐりは祢墨に手を引かれるまま森の中へ踏み出した。
「しゃがんで。草むらに隠れながら行くよ」
「うん」
 あぐりは頷き、しゃがんで草陰を進んだ。最初は道から届く灯籠の光で周囲が見えたが、すぐに暗くなり先が見えなくなる。
 しかし、こういう場面でこそ祢墨が本領を発揮するということをあぐりは分かっていた。
 今夜は曇りである上に下弦の月であるため、月明りはまったく届いていない。それでも祢墨は迷わずに森の中を進んで行く。
 しばらく歩けば、なぜか先の方からわずかな光が見えた。
 あぐりは光の方へ顔を向け、目を見開く。
 そこにあったのは、山肌にぽっかりと開いた洞穴だった。
「あそこ……」
 あぐりは洞穴を指差してささやく。色見に選ばれたあの日、頭の中に流れ込んできた試練の場所は、間違いなくあの洞穴だった。
「あの大きな洞穴が試練の場所だよと思う」
「え、どこ?」
「ほら、あの大きめの岩がある場所のすぐ右」
「……どこ?」
 あぐりの指差す先を祢墨はじっと見つめているが、本当に見えていないようだ。夜目が利くはずの祢墨になぜ見えないのかとあぐりは困惑する。
「本当に見えないの?」
「うん。色見にしか見えないんじゃない?」
「そ、そうなの?」
「だって僕にはなにも見えないよ」
 あぐりは呆然としながら先にある洞穴を見つめる。これが色見に選ばれた者の力なのかと、あぐりは得も言われぬ恐怖を感じた。
「誰かいるね、ゆっくりと近づこう」
「うん」
 あぐりは祢墨に倣ってゆっくりと洞穴に近づいていく。洞穴の方から見えてきた淡い光は、提灯の光だった。誰かが提灯を持って洞穴の近くに立っているのだ。
 あぐりたちは木々と草むらに隠れながら進み、人影が分かる位置まで移動した。どうやら、二人の男性が提灯を持ちながら談笑をしているようだ。
「あいつらも兵士だね。てことは、やっぱりあぐりに見えている洞穴が試練の場所みたいだ。洞穴を見張ってるんだよ」
 祢墨は小声で言う。試練の場所に見張りがいるかもしれないとは思っていたが、その通りだった。あの二人に見つからないようにしなければ、洞穴にたどりつけない。
「……殺すの?」
 あぐりは不安になって問いかける。「殺さないよ。面倒くさいことになるでしょ」と祢墨が返してきたので、あぐりはひとまず安堵した。
「僕があいつらを引き付けるから、あぐりは隙を見て洞穴に入って」
「え、隙を見るって、どうすればいいの?」
 あぐりは狼狽えながら祢墨を見る。隙を見ろと言われても、何をどうすればいいかまったく分からなかった。
「そうか……」と祢墨はつぶやき男たちを見つめる。
「見たところ二人とも二十歳を優に超えてるね。これを使える」
 祢墨は懐からなにかを取り出した。暗くてよく見えないが、小指ほどの大きさの金属の棒を二本持っているようだ。
「それはなに?」
「|虫声《むしせい》」
 祢墨は棒をこするようにぶつける。キーンと、虫の声ような高い音が響いた。見張りに聞こえたのではないかとあぐりは焦って男たちの方を見るが、彼らは何事もなかったかのように会話を続けている。
「二十歳以上の人には聞こえない音が出る。あぐりは若いから聞こえるでしょ。これであぐりに合図を送るよ」
「そ、そんな音があるの?」
「うん」
 あぐりは驚いて虫声を見る。今の音が二十歳以上には聞こえないなんて、信じられなかった。
「ほ、本当に二十歳以上の人には聞こえないの?」
「普通はね。耳が良い人や、聴力の訓練をしている人には聞こえる場合もあるよ。もし聞こえても、虫の音にしか聞こえないから大丈夫。」
 祢墨がそう言うので、「そうなんだ」とあぐりは祢墨を信じることにした。
「あぐりは草むらに隠れながらぎりぎりまで洞穴に近づいて。僕はちょっと別のところに行くね」
「え、私を置いて行くの?」
「うん。少しだけ待ってて、合図を送るから」
 ここに独り残されるなんて心もとなさすぎる。「待って」と引き留めようとするが、祢墨は音も立てずにその場を去り、闇の中へ消えていった。
 急に独りぼっちになったあぐりは、呆然としながら闇を見つめる。背筋が冷たくなり、指先が震え出してきた。
 本当に見張りを引き付けてくれるのだろうか。どうやるのか分からないが、祢墨の声に嘘はなかった。きっとうまく対処してくれる。彼を信じよう。
 あぐりは心を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。不意に祢墨が引いてくれた手の温もりを思い出す。闇の中を進む不安を、あの温もりは溶かしてくれた。
(墨を信じるなら、私も動かないと)
 あぐりは拳を握りしめてなんとか震えを止め、ゆっくりと草むらの中を進み洞穴に近づいていった。
✿ ✿ ✿
 祢墨は音を立てずに山道へと戻っていく。先ほど男たちが喧嘩をしていた場所に行くと、まだ喧嘩は続いており、野次馬も集まってさらに騒がしくなっていた。
「酒くらい好きに飲ませろよ! せっかくの花見だろうが!」
「さっきここを通ったやつだって酒を持ってただろ? なんであいつがよくて俺らはだめなんだよ!」
「あれはこの先の神社に納める酒だ! だからいいんだよ!」
「はぁ? じゃぁ俺の持ってるこれも神様用だね! 先に味見したんだよ!」
「つべこべ言うんじゃねぇよこの酔っ払い‼」
 男たちは血気盛んに叫んでいる。まだ殴り合いにはなっておらず、口喧嘩だけだが、そろそろ手が出てもおかしくはない。
 祢墨は気配を消して野次馬の中に紛れ、小さく息を吸った。
「森の中に入って隠れて酒飲んでるやつもいんのに、なんで俺らだけ文句言われなきゃいけねぇんだ!」
 祢墨は低く、しわがれた声で叫ぶ。「なに⁉」と数人が祢墨の声に反応した。
「そうだそうだ!」
「森ん中で騒いでるやつの方が|性質《たち》わりぃじゃねぇか!」
 酔っ払いたちが祢墨に同調して叫ぶ。
「なんだって? そいつらどこにいる?」と男の一人が人混みに向かって声を上げた。
「こっから南に行った先の、山肌が見える場所さ。桜を折って持ち帰るって言ってたぜ」
 祢墨はまたしわがれた声で返す。
「なんて野郎どもだ!」、「捕まえてやれ‼」と男たちは盛り上がり、道を逸れ森の中へ入っていった。酔っ払いや面白がっている野次馬も後を追って入り、森の中は騒がしくなっていく。
✿ ✿ ✿
 あぐりは祢墨に言われた通り、草むらに隠れながらぎりぎりまで洞穴に近づいて行った。あまりにも近づいたら見張りの男たちに気付かれそうだ。祢墨がいなくなってから少ししか経っていないはずなのに、半刻は経ったのではないかと思うほど時間の流れが遅い。
 相手に気付かれてはいけないという緊張感が全身を覆っている。あぐりは草むらに身を縮め、息を殺した。
 ふと、山道がある方向から声が聞こえてきた。
 見張りたちにも聞こえたようで、彼らは話すのをやめ声の方向に顔を向ける。あぐりもゆっくりと視線を向けると、いくつもの提灯の灯りが見えた。
「お前ら、そんなとこで何やってやがる‼」
 急な怒声が響く。
 山道の方向から何人もの男たちが現れ、見張りの男たちに向かって声を上げ始めた。
「桜を見てただけだ」と、見張りの男は冷静に返す。
「こんなところでかぁ? 怪しいやつらだな!」
「酒を隠し持ってるに違いねぇ!」
「折った桜を見せろ‼」
 男たちは有無を言わせぬ形相で見張りたちに掴みかかった。辺りは一気に騒がしくなる。
 突然の出来事に固まっていると、キーンと虫声の音がかすかに聞こえた。あぐりの冷えた体が、一瞬のうちに熱を持つ。
 今だ。
 あぐりは草むらから飛び出し、一心に洞穴に向かっていった。
 どうか気付かれませんようにと祈り、洞穴の中へと入る。
 その瞬間、空気が変わった。
 先ほどまで濃い森の匂いと桜の柔らかな香りがしていたのに、急になんの匂いもしなくなった。男たちの喧騒も聞こえなくなり、冷たい空気が肌を刺す。
(ど、どうなったの?)
 あぐりは胸元を押さえながら周囲を見渡すも、薄暗くてよく見えない。
 後ろを振り向くと、たった今入ってきたはずの洞穴の入口が無くなっており愕然とする。
 なにが起こっているのか分からず、困惑しながらあぐりは立ち尽くした。なにもない闇の中に放り出されてしまったかのようだ。
 不安で涙が滲みそうになったとき、辺りがわずかに明るくなった。
 灯籠が石壁に沿って並んでいて、それに火が灯り始めたのだ。宙には丸い提灯がいくつも浮いており、それにもぽつりぽつりと火が灯って淡く揺れる。
 だんだんと薄暗闇に目が慣れてきて、周りが石壁に囲まれていることが分かった。どうやら洞穴の中ではあるようだ。
「ようやく来たか、二人目の色見」
 突然背後から冷たい声が響いた。
 あぐりは小さく悲鳴を上げ声の方を見る。
 そこには、白い着物をまとい、白虎の面をつけた十歳前後の子供が立っていた。