六話 旅立ちの薄虹
ー/ー
「あぐり、そろそろ起きて」
誰かに体を揺すられあぐりははっと目を覚ます。
目の前には祢墨がおり、「ここを発つ準備をするよ」と告げた。
いつの間にか壁に寄りかかって眠っていたようだ。慌てて壁を見ると、やはり髪染めが移り黒い染みができてしまっていた。
「ど、どうしよう……」とあぐりは焦るが、「そのままでいいよ」と祢墨はなんてことなさそうに言った。髪は乾いたようだが、臭いはまだ消えていない。しかし、鼻が麻痺してきたようで臭いが気にならなくなっていた。
体を見回してみると着物の肩や背中にも黒い染料がついており、茅色の着物には目立つ。
「着物にも色がついてる……」
「別にいいよ。着替えるから」
そう言って祢墨は鈍色の着物をあぐりの前に置いた。よく見れば、祢墨も黒い着物から紺鼠色の着物に着替えていた。これも変装の一種なのだろう。
「あぐりの着替えが終わったらここを出ていくから、早く着替えて」
「わ、分かったけど、あっちを向いていてほしい……」
あぐりがおずおずと言えば、「分かった」と祢墨は素直に背を向けた。
あぐりは気恥ずかしさを感じながらいそいそと服を着替える。
「脱いだ服はどうすればいいの?」
「ここに置いていけばいいよ。家の人が処分してくれるから」
あの人が処分してくれるのだろうか、とあぐりは初老の男性の顔を思い浮かべる。床には昨晩切った髪の毛が散らばっており、申し訳ない気持ちになった。
「じゃあ行こうか」
祢墨は部屋の中にあった笠をあぐりに差し出す。笠を受け取ったあぐりは祢墨とともに部屋を出て、一階に下り裏口へ向かった。祢墨は裏口の扉に耳をあて、「今誰もいないから出よう」と静かに扉を開けた。
外はすでに明るく、昨日とはうって変わって晴天だった。祢墨はすぐさま笠をかぶり、あぐりも同じくかぶる。笠は顔を隠すためのものだと思ったが、祢墨にとって目を守るためでもあるんだなとあぐりは思う。
二人は裏通りを抜け、表通りの喧騒に足を踏み入れた。表通りには大勢の人が行き交い賑わっており、どこかしこから売り子の声が響き、屋台からは食べ物の香ばしい匂いがただよっている。商店にはいつも以上に活気があり、町のあちこちが色鮮やかな飾りで彩られていた。人々の表情も湧き立っているかのように色づいて見える。
「なんだか祭りをやっているみたいだね」
あぐりは隣を歩く祢墨に話しかける。
「二十五年ぶりに色見が誕生したから、盛り上がってるんじゃない?」
「あ、そうか」
あぐりははっとする。確かに、色見が誕生し虚色の王の元へ行くというのは、国にとって一大事だ。祭りのような騒ぎになっていてもおかしくはない。皆二十五年に一度の色見誕生を祝い、無事新たな虚色の王へとなれるように祈っているのだろう。
当事者のあぐりとしては、ここまで祝われているのに王になれなかったらどう思われてしまうのだろうかと、不安が募るばかりである。心が重圧に押し潰されそうだ。
「……綺麗だね」
あぐりは飾り付けられた町中を見渡し感嘆する。
町のあちこちに幻日国の神獣である蜃龍を模した幟が上がっており、薄虹色の鱗をはためかせながら青空を悠々と泳いでいた。
「そうなの?」
祢墨が聞き返し、「え、だって、色とりどりの飾りつけがされていて綺麗だよ?」とあぐりは返した。
「そうなんだ。僕、色が見分けられないから、よく分かんないんだよね」
あぐりは言葉に詰まる。彼が色を見分けることができないということをすっかり忘れていた。自分の目には色鮮やかで華やかに見える町並みも、彼にとってはそうでないのだろう。一体、彼の目にこの世界はどう映っているのだろうかと、あぐりは不思議な気持ちで空を泳ぐ蜃龍に目を遣った。
「色見を見抜く道具だよ!」
人混みの中から聞こえてきた声に、あぐりはドキリとして立ち止まり声の方向を見てしまう。
そこは雑貨屋であり、店の前で実演販売をしていた。店員と思しき男性とあぐりは目が合ってしまい、「お、そこのお嬢ちゃん、気になるかい? こっちに来て見てみなよ!」と男性は笑顔で手招きした。
行かなくてもいいと頭で分かっているものの、基本的に断るということができないあぐりは、おずおずと店員の方へと近づいて行く。祢墨に何か言われるかと思ったが、彼は何も言わずあぐりについてきた。
「ここに色のついた六枚の木の板があるだろう?」
店員は店の前に置かれた机の上を指差して言う。確かに、店員の言う通り色のついた六枚の木の板が並べられている。それぞれ手のひらほどの大きさで、長方形で持ちやすそうだ。六枚とも色が違い、緑色系が三枚と赤色系が三枚ある。
「この木の板を色別に分けてみなよ。どういう風に分けるかで、お嬢ちゃんに色見の才能があるかどうか分かるよ」
店員はそう言うが、あぐりはどうすればいいか分からず固まってしまう。緑色系と赤色系に分ければいいのだろうか。いや、自分の思うがままに色分けしてしまっては、色見とばれてしまうかもしれない。しかし、普通の人がどういう風に分けるか分からないので、なにが正解なのかさっぱり分からなかった。
「分けるもなにも、全部同じ色に見えるよ」
あぐりの横に立った祢墨が言うと、「おや、そうなのかい?」と店員は目を丸くして声をこぼした。
「わ、私も全部同じ色に見える……」
あぐりは祢墨に同調することにした。「君たちは姉弟かい?」と店員が尋ねてきたので、あぐりは「はい」と緊張しながら頷いた。
「そうか……、じゃぁ血筋なんだね。じつはこの木の板は大抵の人はこの三枚が赤色でこの三枚が緑色に見えるんだ」
そう言って店員は木の板を緑色系の三枚と赤色系の三枚に分ける。
「でも、お嬢ちゃんたちみたいに色の見分けがつかない人は全部同じ色だって答えるし、逆に色見は全部が違う色だと答えるらしいんだ」
あぐりはまたドキリとしながら「そうなんですね……」と返した。どうやら普通の人は緑色系の三枚が同じ色で、赤色系の三枚も同じ色に見えるらしい。一方の祢墨は全て同じ色に見えるようだ。あぐりはと言うと、緑色系の三枚は全て違う色だし、赤色系の三枚も違う色に見えている。
「……どうして色見は全部違う色に見えるって分かるんですか? 色見が試したことがあるんですか?」
あぐりが緊張しながら店員に問いかけると、店員は人当たりよい笑顔を浮かべる。
「うちの先々代が五十年前色見に選ばれた男と知り合いでね、その色見に頼んで一緒にこの商品を作ったのさ。色見が選ばれるこの時期には結構売れるんだよ」
店員はにこにこしながら答えたあと、「でもまぁ、もう色見は選ばれたからそろそろ売れなくなるだろうけどね」と付け足した。
「君たちも見たかい? 四日前にどこからか空に現れた白い光が東の方へ落ちたのを。あれは色見を選ぶって言う虚色の王の矢に違いない。噂によると、笹藍村の子が選ばれたらしいよ」
あぐりの心臓が跳ねる。笹藍村は、あぐりの出身村である。すでに噂は広がりつつあるらしい。
「そろそろ行こうよ」
祢墨に袖を引かれ、「う、うん」とあぐりは頷き店員に軽く頭を下げてその場を離れた。
「あんまり人と関わらないで」
祢墨に鋭く言われ、あぐりは「ごめん……」と返す。華やかに沸き立っている町並みとは裏腹に、あぐりの心は暗く沈んでいた。もしかしたら、私が色見に選ばれたという話はすでに国中に広がっているのかもしれない。私が虚色を示すことができなかったら、この国の人々はどう思うのだろうか。役立たずの色見だと思うだろうか。
少なくとも、義両親と笹藍村の人たちはそう思うだろう。
「ねぇ、墨」
あぐりは祢墨にだけ聞こえる声で尋ねる。「なに?」と祢墨はあぐりの方を見ずに言った。
「本当に私のこと殺してくれる?」
あぐりが少し声を震わせて問うと、祢墨は一瞬だけ視線をあぐりに向けた。
「うん。僕が未鷹を殺すことができたなら、あぐりのことを殺してあげる」
祢墨は感情のない白銀の声で静かに返す。
その言葉が、あぐりの心にかすかな希望として温かに輝いた。
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「あぐり、そろそろ起きて」
誰かに体を揺すられあぐりははっと目を覚ます。
目の前には|祢墨《ねずみ》がおり、「ここを発つ準備をするよ」と告げた。
いつの間にか壁に寄りかかって眠っていたようだ。慌てて壁を見ると、やはり髪染めが移り黒い染みができてしまっていた。
「ど、どうしよう……」とあぐりは焦るが、「そのままでいいよ」と祢墨はなんてことなさそうに言った。髪は乾いたようだが、臭いはまだ消えていない。しかし、鼻が麻痺してきたようで臭いが気にならなくなっていた。
体を見回してみると着物の肩や背中にも黒い染料がついており、|茅《かや》色の着物には目立つ。
「着物にも色がついてる……」
「別にいいよ。着替えるから」
そう言って祢墨は|鈍《にび》色の着物をあぐりの前に置いた。よく見れば、祢墨も黒い着物から|紺鼠《こんねず》色の着物に着替えていた。これも変装の一種なのだろう。
「あぐりの着替えが終わったらここを出ていくから、早く着替えて」
「わ、分かったけど、あっちを向いていてほしい……」
あぐりがおずおずと言えば、「分かった」と祢墨は素直に背を向けた。
あぐりは気恥ずかしさを感じながらいそいそと服を着替える。
「脱いだ服はどうすればいいの?」
「ここに置いていけばいいよ。家の人が処分してくれるから」
あの人が処分してくれるのだろうか、とあぐりは初老の男性の顔を思い浮かべる。床には昨晩切った髪の毛が散らばっており、申し訳ない気持ちになった。
「じゃあ行こうか」
祢墨は部屋の中にあった笠をあぐりに差し出す。笠を受け取ったあぐりは祢墨とともに部屋を出て、一階に下り裏口へ向かった。祢墨は裏口の扉に耳をあて、「今誰もいないから出よう」と静かに扉を開けた。
外はすでに明るく、昨日とはうって変わって晴天だった。祢墨はすぐさま笠をかぶり、あぐりも同じくかぶる。笠は顔を隠すためのものだと思ったが、祢墨にとって目を守るためでもあるんだなとあぐりは思う。
二人は裏通りを抜け、表通りの喧騒に足を踏み入れた。表通りには大勢の人が行き交い賑わっており、どこかしこから売り子の声が響き、屋台からは食べ物の香ばしい匂いがただよっている。商店にはいつも以上に活気があり、町のあちこちが色鮮やかな飾りで彩られていた。人々の表情も湧き立っているかのように色づいて見える。
「なんだか祭りをやっているみたいだね」
あぐりは隣を歩く祢墨に話しかける。
「二十五年ぶりに|色見《いろみ》が誕生したから、盛り上がってるんじゃない?」
「あ、そうか」
あぐりははっとする。確かに、色見が誕生し|虚色《きょしょく》の王の元へ行くというのは、国にとって一大事だ。祭りのような騒ぎになっていてもおかしくはない。皆二十五年に一度の色見誕生を祝い、無事新たな虚色の王へとなれるように祈っているのだろう。
当事者のあぐりとしては、ここまで祝われているのに王になれなかったらどう思われてしまうのだろうかと、不安が募るばかりである。心が重圧に押し潰されそうだ。
「……綺麗だね」
あぐりは飾り付けられた町中を見渡し感嘆する。
町のあちこちに|幻日国《げんじつこく》の神獣である|蜃龍《しんりゅう》を模した|幟《のぼり》が上がっており、薄虹色の鱗をはためかせながら青空を悠々と泳いでいた。
「そうなの?」
祢墨が聞き返し、「え、だって、色とりどりの飾りつけがされていて綺麗だよ?」とあぐりは返した。
「そうなんだ。僕、色が見分けられないから、よく分かんないんだよね」
あぐりは言葉に詰まる。彼が色を見分けることができないということをすっかり忘れていた。自分の目には色鮮やかで華やかに見える町並みも、彼にとってはそうでないのだろう。一体、彼の目にこの世界はどう映っているのだろうかと、あぐりは不思議な気持ちで空を泳ぐ蜃龍に目を遣った。
「色見を見抜く道具だよ!」
人混みの中から聞こえてきた声に、あぐりはドキリとして立ち止まり声の方向を見てしまう。
そこは雑貨屋であり、店の前で実演販売をしていた。店員と思しき男性とあぐりは目が合ってしまい、「お、そこのお嬢ちゃん、気になるかい? こっちに来て見てみなよ!」と男性は笑顔で手招きした。
行かなくてもいいと頭で分かっているものの、基本的に断るということができないあぐりは、おずおずと店員の方へと近づいて行く。祢墨に何か言われるかと思ったが、彼は何も言わずあぐりについてきた。
「ここに色のついた六枚の木の板があるだろう?」
店員は店の前に置かれた机の上を指差して言う。確かに、店員の言う通り色のついた六枚の木の板が並べられている。それぞれ手のひらほどの大きさで、長方形で持ちやすそうだ。六枚とも色が違い、緑色系が三枚と赤色系が三枚ある。
「この木の板を色別に分けてみなよ。どういう風に分けるかで、お嬢ちゃんに色見の才能があるかどうか分かるよ」
店員はそう言うが、あぐりはどうすればいいか分からず固まってしまう。緑色系と赤色系に分ければいいのだろうか。いや、自分の思うがままに色分けしてしまっては、色見とばれてしまうかもしれない。しかし、普通の人がどういう風に分けるか分からないので、なにが正解なのかさっぱり分からなかった。
「分けるもなにも、全部同じ色に見えるよ」
あぐりの横に立った祢墨が言うと、「おや、そうなのかい?」と店員は目を丸くして声をこぼした。
「わ、私も全部同じ色に見える……」
あぐりは祢墨に同調することにした。「君たちは姉弟かい?」と店員が尋ねてきたので、あぐりは「はい」と緊張しながら頷いた。
「そうか……、じゃぁ血筋なんだね。じつはこの木の板は大抵の人はこの三枚が赤色でこの三枚が緑色に見えるんだ」
そう言って店員は木の板を緑色系の三枚と赤色系の三枚に分ける。
「でも、お嬢ちゃんたちみたいに色の見分けがつかない人は全部同じ色だって答えるし、逆に色見は全部が違う色だと答えるらしいんだ」
あぐりはまたドキリとしながら「そうなんですね……」と返した。どうやら普通の人は緑色系の三枚が同じ色で、赤色系の三枚も同じ色に見えるらしい。一方の祢墨は全て同じ色に見えるようだ。あぐりはと言うと、緑色系の三枚は全て違う色だし、赤色系の三枚も違う色に見えている。
「……どうして色見は全部違う色に見えるって分かるんですか? 色見が試したことがあるんですか?」
あぐりが緊張しながら店員に問いかけると、店員は人当たりよい笑顔を浮かべる。
「うちの先々代が五十年前色見に選ばれた男と知り合いでね、その色見に頼んで一緒にこの商品を作ったのさ。色見が選ばれるこの時期には結構売れるんだよ」
店員はにこにこしながら答えたあと、「でもまぁ、もう色見は選ばれたからそろそろ売れなくなるだろうけどね」と付け足した。
「君たちも見たかい? 四日前にどこからか空に現れた白い光が東の方へ落ちたのを。あれは色見を選ぶって言う虚色の王の矢に違いない。噂によると、|笹藍村《ささあいむら》の子が選ばれたらしいよ」
あぐりの心臓が跳ねる。笹藍村は、あぐりの出身村である。すでに噂は広がりつつあるらしい。
「そろそろ行こうよ」
祢墨に袖を引かれ、「う、うん」とあぐりは頷き店員に軽く頭を下げてその場を離れた。
「あんまり人と関わらないで」
祢墨に鋭く言われ、あぐりは「ごめん……」と返す。華やかに沸き立っている町並みとは裏腹に、あぐりの心は暗く沈んでいた。もしかしたら、私が色見に選ばれたという話はすでに国中に広がっているのかもしれない。私が虚色を示すことができなかったら、この国の人々はどう思うのだろうか。役立たずの色見だと思うだろうか。
少なくとも、義両親と笹藍村の人たちはそう思うだろう。
「ねぇ、墨」
あぐりは祢墨にだけ聞こえる声で尋ねる。「なに?」と祢墨はあぐりの方を見ずに言った。
「本当に私のこと殺してくれる?」
あぐりが少し声を震わせて問うと、祢墨は一瞬だけ視線をあぐりに向けた。
「うん。僕が|未鷹《みたか》を殺すことができたなら、あぐりのことを殺してあげる」
祢墨は感情のない白銀の声で静かに返す。
その言葉が、あぐりの心にかすかな希望として温かに輝いた。