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四話 虚言の黒

ー/ー



「今からどこへ向かうの?」

 あぐりは前を行く祢墨(ねずみ)の背に向かって声をかける。

「どこって、深桜山(みおうざん)だよ。ここから西に進めばつくよ」
「それは分かるけど……。深桜山に行くまでにどこを経由するのかなって思って聞いたの」
「そういうことか。この森を抜けた先に道があって、その道を進んだら香鹿町(かしかまち)が見えてくるからまずそこに行こうと思う。準備を整えたら深桜山へ向かおう」

 香鹿町はこの辺りでは一番大きな町だ。
 あぐりも義両親の遣いで何度か訪れたことがあるが、森の中を通ったことなどないので、ここからの道順は分からない。しかし、祢墨は迷いなく森の中を歩いているので、あぐりは祢墨を信じついていった。

 二人は黙って森を歩き続ける。あぐりは祢墨に聞いてみたいことが山ほどあったが、一つも言葉にできなかった。

 一体どこからやって来たのか。
 私を義兄たちから助けたとき、どうしてあの場所にいたのか。
 殺さなければならないやつとは誰なのか。
 家族はいるのか。

 他にも色々あったが、どれも暗殺者である祢墨の深淵(しんえん)を覗いてしまう質問のような気がして、あぐりは怖くて聞けなかった。
 祢墨は祢墨であぐりにさほど興味がないらしく、何も聞いてくることはなかった。
 それがあぐりにはありがたかったため、あぐりも祢墨になにも聞かないことにした。

 ところどころで休憩しつつ、二刻ほど歩いてようやく森を抜けると、祢墨に言った通り道があった。あぐりの知らない道だ。森に沿うようにできた道で、人は誰も通っていなかった。

「ここを道なりに進めば、あと二里ほどで香鹿町につくよ。あんまり人の通らない道だから、追われる身の僕たちにとってちょうどいいでしょ」

 祢墨は道を歩きながら言い、「うん」と頷いてあぐりはあとを追った。祢墨の言葉に、自分たちが追われているということを改めて認識し、あぐりに緊張が走る。もしかしたら追手がすぐそばまで来ているかもしれないと考えると、不安で胃が重くなってきた。

「今ごろ兵たちが私を捜しているのかな……」
「そうだと思うよ。男たちは緋熊(ひぐま)に襲われたように見せておいたから、あぐりも襲われたと考えて必死に森中を捜してるころじゃない? 森を捜す組と、あぐりが逃げ延びたと考えて森周辺を捜す組とに分かれると思うな」
「……そうだよね」

 あぐりはさらに胃が重くなってくる。自分たちは徒歩だが、兵たちは馬に乗っているだろう。追いつかれるのは時間の問題のような気がしてきた。

「それよりもやっかいなのが、あぐり以外に色見がいることだね」
「どうして?」

 あぐりは首を傾げる。自分以外にも色見がいるのなら、色見の保護に兵力を割くので、自分の捜索が手薄になって良いのではないかと思ったのだ。

「試練の場所がほかの色見と同じだったら、かち合っちゃうじゃん。ほかの色見は兵に保護されて試練の場所に向かうだろうから、必然的に僕たち兵のいる場所に向かうことになっちゃうよ」

 あぐりははっとして「た、確かに……」とつぶやく。
 現在兵から逃げているのに、もし他の色見も試練の場所が深桜山なら、自ら兵のいる場所に向かっていることになる。
 やっぱり、逃げるなんて到底無理な話だったのだ。
 あぐりは絶望を感じ心を冷えさせるが、一方の祢墨は「まぁ、まずは向かってみるしかないね」とのんびりとした口調で言った。

「だ、大丈夫なの?」
「さぁ、分かんない。まだ試練の場所が一緒だって決まったわけじゃないんだし、まずは兵に捕まらないことを第一に考えよう」

 淡々と言う祢墨に、「……そうだね」とあぐりは頷くことしかできない。祢墨の言った通りではあるが、あぐりの不安は募っていくばかりだ。しかし、祢墨にはまったく迷いの色が見えず、彼についていけばなんとかなるような気もした。
 何か策があるから迷いがないのか、それとも感情がないから迷うことがないのか分からないが、祢墨の冷静さは隣にいるあぐりの心も落ち着かせてくれるようだった。

 だんだんと日が高くなり、そろそろ正午だろうかとあぐりは雲の多い空を見上げて思う。
 ふと祢墨が道の端に寄って歩いていることに気付き、「ねぇ、祢墨」とあぐりは声をかける。

「どうしてそんなに道の端を歩いているの?」
「いや、眩しいからなるべく影に入ろうと思って」
「眩しい?」

 祢墨は立ち止まりあぐりの方を振り向く。祢墨の顔を見て、あぐりは思わず「え」と声をもらしてしまった。
 祢墨は瞼を限界まで閉じ、細い目であぐりを見ていたのだ。そこまで目を細めて前が見えるのかと心配になるほどの細さである。

「僕、普通の人よりも光に弱くてさ、昼の光とか眩しくて仕方ないんだよね」
「そ、そんなに眩しいの?」
「うん。眩しすぎて痛い。だからこう、なるべく木の影に入ろうと思って端に寄ってる」

 そう言って祢墨は木の影に入って歩き出した。あぐりも太陽を直接見れば眩しすぎて痛くなるので感覚は分かるが、昼間普通に歩いているだけで目が痛くなることはないので、なんだか祢墨が可哀想に思う。

「光に敏感なんだね……」
「うん。でも、そのおかげで夜目が利くから、悪いことばかりじゃないよ」

 祢墨は平然と言って歩いていく。そういう考え方もあるんだな、とあぐりは思いながら祢墨のあとを追った。
 しばらく歩けばだんだんと雲が多くなり、灰色の雲が太陽を覆うようになった。なんだか雨が降りそうな気配がする。太陽光が雲に遮られたおかげで祢墨も目が痛くなくなったらしく、目を少しだけ細めて道の真ん中を歩くようになった。

 あと一刻ほど歩けば町につくだろうかと考えていると、道の先に女性が座り込んでいるのが見え、あぐりは彼女に目を向ける。胸を押さえ呼吸を乱しており、明らかに体調が悪そうだ。声をかけるべきかあぐりは悩むが、祢墨は気にする素振りを見せず進んでいくので、あぐりは良心を痛ませながら祢墨についていった。

 今、自分たちは追われる身である。
 こんなところで人助けをしている時間はない。
 そう自分に言い聞かせあぐりは女性の横を通り過ぎようとしたが、「あの、すみません……」と女性にか細い声で声をかけられ、思わず「は、はい」と立ち止まってしまった。

 そして女性の顔を見た瞬間、あぐりは言葉を失った。
 どす黒かったのだ。
 今まで義家族の魂の色が最も淀んだ色だと思っていたが、その比ではないほど淀み黒くなっている。
 三十歳前後だろうその女性は、色気があり美しい顔立ちをしていたが、魂の色が濁り過ぎていて台無しである。

「心臓が急に痛み出して……。申し訳ありませんが、家まで肩を貸していただけませんでしょうか。家に薬がありますので、それを飲めば楽になりますので……」

 女性の口から出る言葉一つ一つがどす黒い色を纏っている。明らかに嘘を吐いている色だ。この女性を信じてはいけない。なんとかしてこの場を切り抜けなければならないと、あぐりは冷や汗を流しながら思った。

「家はどこにあるんですか」

 呆然としているあぐりをよそに、祢墨は緊張感のない声で女性に問いかける。あぐりは驚いて祢墨を見た。彼女の嘘に気付いていないのだろうか。

「この林道を歩いた先です」

 女性は苦しそうに顔をしかめながら、あぐりたちがいる道から逸れた先にある林道を指さす。

「じゃぁ、僕が肩を貸しましょう。それでいいよね、ねーちゃん」
「ね……⁉」

 あぐりはさらに驚いて目を丸くさせる。ねーちゃんとは私のことか。いや、私以外いるわけがない。それでも彼にねーちゃんと言われるのは衝撃で、胸がなんだかぞわぞわする。
 そんなあぐりの様子など気にせず、祢墨は女性に肩を貸して立たせ、ゆっくりと林道の方へと歩いて行ってしまう。

「ね……す、墨」

 あぐりは祢墨のあとを追いながら恐る恐る声をかける。人前で彼を「ねずみ」と呼ぶのが憚られたため、あぐりは「(すみ)」と呼ぶことにした。
 祢墨は顔だけをあぐりの方へ向け、右手の人差し指を立て口元に当てる。何もしゃべるなということだろう。あぐりはぞくりと背中を震わせ、黙ってついていくことにした。
 祢墨は、女性の嘘に気付いている。気付いてなお女性の罠にかかろうとしているのだ。
 一体何を考えているのだろうかと不安を感じながら、あぐりは歩いていくことしかできなかった。

 四半刻ほど歩けば本当に家が見え、女性は苦しそうな顔をしたまま家に入り、あぐりたちにも入るように促した。小さくはあるが、至って普通の茅葺屋根の家だ。あぐりは警戒しながら家の中に入ったが、祢墨はどこまでも平然としていた。
 女性はすぐに棚の中から薬を取り出して飲んだ。

「……ありがとうございます。これで楽になりますわ」

 薬を飲み切った女性はあぐりたちに向かって微笑む。通常であるならば美しい笑顔だと思えるのだが、そのどす黒い色のせいで逆に恐ろしく見えてくる。

「わたくし、昔から心臓が悪くて……。今日は調子がいいから町の方まで行こうと思ったら、途中で痛み出してしまったの。あなたたちが通って本当に運が良かったわ」

 女性は黒い色を出しながら言葉を継ぐ。嘘とは分かっていながらも、話を合わせておかないといけないと思ったあぐりは、「そうですね」となんとか相槌を打った。

「お二人は姉弟なの?」
「はい。親の遣いで町に行くところでした」

 祢墨は平然と言うが、魂の色がわずかに揺らいだ。祢墨は続けて「この家には一人で住んでいるんですか?」と問いかけ、「えぇ、三年前に主人を亡くしてから、一人で住んでいますわ」と女性は黒い声で返した。

 すごい、この二人嘘しか吐いていない……とあぐりは半ば感心しながら二人の会話を聞いた。
 あぐりは物心ついたときから魂の色が見え、人の声にも色がついて見えたので、自分なりに研究し嘘を吐くと色がどうなるか分かっている。
 嘘を吐く人間の声には黒色が混ざる。嘘を吐くのが上手い人なら色は混ざらないが、それでも魂の色はわずかに揺らぐ。
 女性が嘘を吐いていると指摘していいことはなさそうなので、あぐりは黙って二人の会話を聞くことしかできなかった。

「お遣いの最中に手間取らせて申し訳なかったわね。せめてものお礼に、これを食べていってちょうだい」

 女性はそう言って、あぐりたちの前にいくつもの饅頭の乗った皿と茶の入った湯呑みを差し出した。あぐりは思わずつばを呑み込む。半日以上歩き続け疲労しきった体に、饅頭はあまりにも魅力的だった。しかし、絶対に怪しい。

「町で人気のお店の饅頭でね。わたくし好きでよく買ってくるの。遠慮せず食べて、あなたたちは恩人ですからね」

 女性は優しく微笑みながら言うが、声がどす黒いので絶対に裏がある。
 どうしよう、饅頭が苦手だと言おうかとあぐりは迷ったが、「いただきます」と祢墨は平気で饅頭を食べ始めた。
 あぐりが驚いて固まっていると、「どうしたのねーちゃん?」と祢墨はもぐもぐと口を動かしながら聞いてくる。
 つまり、食べろということだろうか。

「どうしたの? おいしいですよ」

 女性も皿から饅頭を食べてみせた。毒は入っていないのかもしれない。

「い、いただきます」

 あぐりは意を決して饅頭に手を伸ばし、一口食べた。
 薄皮で餡子がぎっしりと入っており、甘くてとてもおいしい。こんなにおいしいものを食べるのは本当に久しぶりなので、あぐりは思わず涙が出てしまいそうだった。
 お茶で喉を潤しながらあぐりは黙々と饅頭を味わっていく。
 祢墨も同じように饅頭を食べていた。
 女性はその様子をひどく優しい顔で見つめており、そこであぐりの意識は途切れてしまった。

 体がなぜか重くてあぐりは目を覚ました。
 すると暗闇の中、見知らぬ男が自分に覆いかぶさっていることに気付き、あぐりは反射的に叫び声を上げようとする。しかし、男に口を塞がれ声を出すことはできなかった。
 口も鼻も塞がれ、息ができない。
 苦しい、このままでは窒息してしまう。
 あぐりは混乱しながら男を振りほどこうとするが、体格のいい男の体はびくともしない。
 まずい、本当に死んでしまう。
 あぐりは涙を滲ませ力の限り抵抗していると、不意に男の手が緩まった。次の瞬間男は呻き声を上げて倒れこみ、あぐりは激しく呼吸をしながら男から逃れる。
 男はしばらく苦しそうに悶えたあと、おもむろに動かなくなった。
 一体なにが起こっているのかと、あぐりはせき込みながらなんとか立ち上がり状況を理解しようとする。

「大丈夫あぐり?」

 横から急に祢墨(ねずみ)の声が聞こえ、あぐりは「きゃぁ⁉」と声を上げる。薄暗くてよく見えないが、祢墨がそこに立っていることが分かりあぐりは少し安心できた。

「あんた⁉ どうしたんだい⁉」

 急に部屋の扉が開き、蝋燭の乗った燭台を持った女性が入って来た。蝋燭の明かりで辺りが見えるようになり、どうやらここは女性の家で、あぐりたちが饅頭を食べた部屋であることが分かった。
 しかし、日は完全に沈んでおり、夜になっている。
 あぐりは混乱したまま、「だ、男性が急に襲ってきて……」と倒れた男性を指さし震えながら女性に言った。

「あんたら、旦那に一体なにをした‼」

 女性は鬼の形相であぐりに近づき殴りかかろうとする。あぐりは悲鳴を上げその場から逃げようとするが、祢墨が即座に女性の背後に回り込み何かを首に刺した。

「う……な、なにを……⁉」

 女性は首を押さえ呻き声を上げて祢墨を睨む。すぐに女性は倒れこみ、男性と同じように悶えたあとしばらくして動かなくなった。
 あぐりは呆然として女性を見下ろしていたが、祢墨は冷静に「危ない」と落ちた蝋燭を拾い燭台に立たせていた。

「な、なにをしたの……⁉」

 いまだ状況が呑み込めないあぐりは、震える声で祢墨に尋ねる。すると祢墨は「毒針を刺してだけ」となんてことない様子で返してきた。

「こ、殺したの……?」
「うん」
「なんで……?」
「なんでって、こいつら俺たちのこと殺そうとしてたんだぞ。その前に殺すに決まってんじゃん」

 祢墨は眉を寄せ怪訝そうな顔をしてあぐりを見る。
 義兄たちを殺したときと同じで、躊躇いなど一切なかった。祢墨にとって、人を殺すことなど本当に日常的なことなのだろう。
 しかし、あぐりはそうもいかない。義家族に虐げられてはいたが、普通に生きていたあぐりにとって、人を殺すという発想がそもそもないのだ。

「……分かっていたんでしょ。女性が嘘を吐いていたって」
「うん。慣れた手口だったね。同じようにあの道を通った人を誘い込んで、女性しかいないと油断させて睡眠薬の入ったお茶で眠らせ、日が沈んで帰って来た男に襲わせていたんだろうね」
「分かっていて、どうして罠にかかったの?」

 あぐりは困惑しながら問いかける。嘘だと分かっていたのなら、女性を無視して進めばよかったし、それか家まで送っても出されたものを口にせず帰ればよかったのだ。わざわざ危険な目に遭ってまで殺す必要はない。

「路銀のため」

 予想だにしない祢墨の返答に、あぐりは「え?」と呆けた声が出る。祢墨は蝋燭を持って棚に近づいて行き、中を見た。

「ほら、こいつら襲った人間から金品を奪ってるから、だいぶ貯めこんでる。これを路銀としてもらっていこう。深桜山(みおうざん)まで遠いからさ、少しでもお金があった方がいいよ」

 あぐりは呆然としたまま祢墨を見つめる。彼が何を言っているのか分からなかった。

「……お金のために、わざと罠にかかって、殺したってこと……?」
「うん。あぐりは嘘を見抜くのはうまいけど、嘘を吐くのは下手だね。顔がこわばりすぎだよ」
「こ、殺すことなかったんじゃ……」
「なに甘いこと言ってんの?」

 祢墨は強い瞳であぐりを射貫き、あぐりは声が出せなくなる。怒鳴られたわけでも、睨まれたわけでもないのに、なぜか祢墨の静かな純黒の瞳が恐ろしくて仕方がなかった。

「こいつらは何人も殺してきたんだぞ。この先も同じ手口で何人も襲うだろう。殺されても仕方がないやつらだ。そいつらを殺すことないだなんて甘すぎる」

 祢墨は静かながらも威圧感のある声で続ける。彼の纏う白銀の輝きが、言葉に合わせて一層強く輝き出した。

「俺はお前に虚色の王のところへ連れて行ってもらわなきゃいけない。そのためならなんだってする。立ちはだかるやつがいるなら、全員殺す」

 祢墨はあぐりの元へ近づいてくる。あぐりは恐怖で体が竦んでいるというのに、こんな状況でなお白銀の輝きに見惚れそうになっていた。

「もし嫌だと言うなら、殺すよ」

 祢墨はあぐりの真正面に立ち、あぐりを見据えたまま真っ直ぐに言う。
 なんの感情も宿していない白銀の魂が、一切の汚れなく悠然と輝いている。「……いや、この脅しは効果がないか。お前は俺に殺して欲しいんだもんな。ここに置いていくって言った方がいいか」と、祢墨は付け足した。

 祢墨になぜ迷いがないのか分かったような気がした。
 迷わずに殺せるからだ。
 たとえこの先向かう深桜山に兵がいようとも、全員殺す気なのだ。
 人を殺す覚悟ができているから、こんなにも平然としているのだ。

 彼について行くということは、血濡れの道を進むことになるのだと悟りあぐりは愕然とする。すでに昨日今日で五人も殺した。自らの血の中に沈む義兄たちの顔は、ふとしたとき唐突に頭をよぎるし、目の前で死んでいる盗賊夫婦の顔も一生忘れることはできないのだろう。
 こんな思いを、この先何度も経験しなければならないのか。
 得体の知れない恐怖が足元から背中を這うように襲い、あぐりはぶるりと体を震わせる。

「……できれば、殺さないでほしい」

 あぐりはやっとのことで声を出す。人を殺す覚悟など、あぐりにできるはずがなかった。

「分かってるよ。人が死ねば役人が動くし、騒ぎが大きくなれば動きづらくなる。必要最小限しか殺さないよ。殺すにしても、他殺とばれないようにするって。ここは人通りも少ないし、この死体に誰かが気付くまで時間がかかるだろうから大丈夫でしょ。森も近いし、獣が死体を食べに来てくれれば都合がいいんだけどな」

 いや、そういうことじゃないんだけど……、とは思ったが、あぐりは口にしなかった。単純に人が死ぬところを見たくないだけなのだが、祢墨は理解してくれないような気がしたのだ。

 祢墨は家の中の物色に戻り、ようやく震えが落ち着いてきたあぐりは横目で男の死体を見る。先ほど体に覆いかぶさり窒息させようとしてきたこと思い出し、あぐりは恐怖がぶり返してきた。

「……さっきはありがとう。でも、よく目覚められたね」
「寝たふりしてただけだよ。僕、あんまり毒が効かないんだよね」
「そうなんだ……すごいね」

 夜目が利く上に毒が効かないとなると、いよいよ彼が人間ではないような気がしてきた。

「……さっきはなんで私のことを『ねーちゃん』って呼んだの?」
「身長的に僕の方が弟に見られるかなって思ったから。それと、あぐりの名前を出さない方がいいと思って。国はあぐりのことを捜しているはずだから、この先は偽名を使おう。僕のことは墨でいいよ。あぐりは花子にする?」
「う、うん」

 偽名を使うことにはあぐりも賛成である。そして、初めて会ったときから疑問に思っていたことを訊いてみることにした。

「……墨って何歳なの?」
「十九歳」
「十九……⁉ 私より四つも上なの⁉」

 あぐりは目を丸くする。自分と同じくらいかと思いきや、まさか四つも年上だとは思わなかった。少年かと思いきや、普通に青年であった。「そんなに驚く?」と祢墨は眉を寄せてあぐりを見る。

「驚くよ……。どうが……若々しい顔をしているから」
「まぁ、確かに十代前半に見られるかな。暗殺には都合がいいんだよ。相手が僕を子供だと思って油断するから」
「そうなんだ……」

 小柄であることも、童顔であることも、祢墨にとって取るに足りないことらしい。それどころか、自分の武器としている。なんてたくましいのだろうとあぐりは感心してしまう。

「さて、行こう」

 室内を物色し終えた祢墨はあぐりに声をかける。

「え、夜なのに行くの?」
「夜だから行くの。あぐりも充分休めたでしょ?」

 確かに、薬を飲まされたとはいえ正午から夜までぐっすり眠ったので、頭の重さは取れている。体のだるさもだいぶいい。しかし、寝たふりをしていたという祢墨は昨晩から一睡もしていないことになる。

「墨は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」

 祢墨はなんてことないように言い、蝋燭の火を消して燭台を床に置いた。急に室内が暗くなり、目が慣れずあぐりは瞬きする。

「手を引くよ」

 そう言うと同時に、祢墨はあぐりの左手を握ってゆっくり歩き出した。あぐりは少し驚いたが、昨晩森の中を歩いたときも同じように手を引かれていたので慣れてはいた。
 外に出ると、雲が空を覆っており月明かりが遮られ暗かった。
 それでも祢墨は全てが見えているようでどんどんと進んで行く。

「……こんな夜に町に行ってどうするの? 店は全部閉まってると思うよ」

 あぐりの問いに、「大丈夫だよ。静かにしてて」とだけ祢墨は答えた。一体どこに向かっているのか分からずあぐりは不安になるが、祢墨の言う通り黙って彼についていくことにした。


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「今からどこへ向かうの?」
 あぐりは前を行く|祢墨《ねずみ》の背に向かって声をかける。
「どこって、|深桜山《みおうざん》だよ。ここから西に進めばつくよ」
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 あぐりも義両親の遣いで何度か訪れたことがあるが、森の中を通ったことなどないので、ここからの道順は分からない。しかし、祢墨は迷いなく森の中を歩いているので、あぐりは祢墨を信じついていった。
 二人は黙って森を歩き続ける。あぐりは祢墨に聞いてみたいことが山ほどあったが、一つも言葉にできなかった。
 一体どこからやって来たのか。
 私を義兄たちから助けたとき、どうしてあの場所にいたのか。
 殺さなければならないやつとは誰なのか。
 家族はいるのか。
 他にも色々あったが、どれも暗殺者である祢墨の|深淵《しんえん》を覗いてしまう質問のような気がして、あぐりは怖くて聞けなかった。
 祢墨は祢墨であぐりにさほど興味がないらしく、何も聞いてくることはなかった。
 それがあぐりにはありがたかったため、あぐりも祢墨になにも聞かないことにした。
 ところどころで休憩しつつ、二刻ほど歩いてようやく森を抜けると、祢墨に言った通り道があった。あぐりの知らない道だ。森に沿うようにできた道で、人は誰も通っていなかった。
「ここを道なりに進めば、あと二里ほどで香鹿町につくよ。あんまり人の通らない道だから、追われる身の僕たちにとってちょうどいいでしょ」
 祢墨は道を歩きながら言い、「うん」と頷いてあぐりはあとを追った。祢墨の言葉に、自分たちが追われているということを改めて認識し、あぐりに緊張が走る。もしかしたら追手がすぐそばまで来ているかもしれないと考えると、不安で胃が重くなってきた。
「今ごろ兵たちが私を捜しているのかな……」
「そうだと思うよ。男たちは|緋熊《ひぐま》に襲われたように見せておいたから、あぐりも襲われたと考えて必死に森中を捜してるころじゃない? 森を捜す組と、あぐりが逃げ延びたと考えて森周辺を捜す組とに分かれると思うな」
「……そうだよね」
 あぐりはさらに胃が重くなってくる。自分たちは徒歩だが、兵たちは馬に乗っているだろう。追いつかれるのは時間の問題のような気がしてきた。
「それよりもやっかいなのが、あぐり以外に色見がいることだね」
「どうして?」
 あぐりは首を傾げる。自分以外にも色見がいるのなら、色見の保護に兵力を割くので、自分の捜索が手薄になって良いのではないかと思ったのだ。
「試練の場所がほかの色見と同じだったら、かち合っちゃうじゃん。ほかの色見は兵に保護されて試練の場所に向かうだろうから、必然的に僕たち兵のいる場所に向かうことになっちゃうよ」
 あぐりははっとして「た、確かに……」とつぶやく。
 現在兵から逃げているのに、もし他の色見も試練の場所が深桜山なら、自ら兵のいる場所に向かっていることになる。
 やっぱり、逃げるなんて到底無理な話だったのだ。
 あぐりは絶望を感じ心を冷えさせるが、一方の祢墨は「まぁ、まずは向かってみるしかないね」とのんびりとした口調で言った。
「だ、大丈夫なの?」
「さぁ、分かんない。まだ試練の場所が一緒だって決まったわけじゃないんだし、まずは兵に捕まらないことを第一に考えよう」
 淡々と言う祢墨に、「……そうだね」とあぐりは頷くことしかできない。祢墨の言った通りではあるが、あぐりの不安は募っていくばかりだ。しかし、祢墨にはまったく迷いの色が見えず、彼についていけばなんとかなるような気もした。
 何か策があるから迷いがないのか、それとも感情がないから迷うことがないのか分からないが、祢墨の冷静さは隣にいるあぐりの心も落ち着かせてくれるようだった。
 だんだんと日が高くなり、そろそろ正午だろうかとあぐりは雲の多い空を見上げて思う。
 ふと祢墨が道の端に寄って歩いていることに気付き、「ねぇ、祢墨」とあぐりは声をかける。
「どうしてそんなに道の端を歩いているの?」
「いや、眩しいからなるべく影に入ろうと思って」
「眩しい?」
 祢墨は立ち止まりあぐりの方を振り向く。祢墨の顔を見て、あぐりは思わず「え」と声をもらしてしまった。
 祢墨は瞼を限界まで閉じ、細い目であぐりを見ていたのだ。そこまで目を細めて前が見えるのかと心配になるほどの細さである。
「僕、普通の人よりも光に弱くてさ、昼の光とか眩しくて仕方ないんだよね」
「そ、そんなに眩しいの?」
「うん。眩しすぎて痛い。だからこう、なるべく木の影に入ろうと思って端に寄ってる」
 そう言って祢墨は木の影に入って歩き出した。あぐりも太陽を直接見れば眩しすぎて痛くなるので感覚は分かるが、昼間普通に歩いているだけで目が痛くなることはないので、なんだか祢墨が可哀想に思う。
「光に敏感なんだね……」
「うん。でも、そのおかげで夜目が利くから、悪いことばかりじゃないよ」
 祢墨は平然と言って歩いていく。そういう考え方もあるんだな、とあぐりは思いながら祢墨のあとを追った。
 しばらく歩けばだんだんと雲が多くなり、灰色の雲が太陽を覆うようになった。なんだか雨が降りそうな気配がする。太陽光が雲に遮られたおかげで祢墨も目が痛くなくなったらしく、目を少しだけ細めて道の真ん中を歩くようになった。
 あと一刻ほど歩けば町につくだろうかと考えていると、道の先に女性が座り込んでいるのが見え、あぐりは彼女に目を向ける。胸を押さえ呼吸を乱しており、明らかに体調が悪そうだ。声をかけるべきかあぐりは悩むが、祢墨は気にする素振りを見せず進んでいくので、あぐりは良心を痛ませながら祢墨についていった。
 今、自分たちは追われる身である。
 こんなところで人助けをしている時間はない。
 そう自分に言い聞かせあぐりは女性の横を通り過ぎようとしたが、「あの、すみません……」と女性にか細い声で声をかけられ、思わず「は、はい」と立ち止まってしまった。
 そして女性の顔を見た瞬間、あぐりは言葉を失った。
 どす黒かったのだ。
 今まで義家族の魂の色が最も淀んだ色だと思っていたが、その比ではないほど淀み黒くなっている。
 三十歳前後だろうその女性は、色気があり美しい顔立ちをしていたが、魂の色が濁り過ぎていて台無しである。
「心臓が急に痛み出して……。申し訳ありませんが、家まで肩を貸していただけませんでしょうか。家に薬がありますので、それを飲めば楽になりますので……」
 女性の口から出る言葉一つ一つがどす黒い色を纏っている。明らかに嘘を吐いている色だ。この女性を信じてはいけない。なんとかしてこの場を切り抜けなければならないと、あぐりは冷や汗を流しながら思った。
「家はどこにあるんですか」
 呆然としているあぐりをよそに、祢墨は緊張感のない声で女性に問いかける。あぐりは驚いて祢墨を見た。彼女の嘘に気付いていないのだろうか。
「この林道を歩いた先です」
 女性は苦しそうに顔をしかめながら、あぐりたちがいる道から逸れた先にある林道を指さす。
「じゃぁ、僕が肩を貸しましょう。それでいいよね、ねーちゃん」
「ね……⁉」
 あぐりはさらに驚いて目を丸くさせる。ねーちゃんとは私のことか。いや、私以外いるわけがない。それでも彼にねーちゃんと言われるのは衝撃で、胸がなんだかぞわぞわする。
 そんなあぐりの様子など気にせず、祢墨は女性に肩を貸して立たせ、ゆっくりと林道の方へと歩いて行ってしまう。
「ね……す、墨」
 あぐりは祢墨のあとを追いながら恐る恐る声をかける。人前で彼を「ねずみ」と呼ぶのが憚られたため、あぐりは「|墨《すみ》」と呼ぶことにした。
 祢墨は顔だけをあぐりの方へ向け、右手の人差し指を立て口元に当てる。何もしゃべるなということだろう。あぐりはぞくりと背中を震わせ、黙ってついていくことにした。
 祢墨は、女性の嘘に気付いている。気付いてなお女性の罠にかかろうとしているのだ。
 一体何を考えているのだろうかと不安を感じながら、あぐりは歩いていくことしかできなかった。
 四半刻ほど歩けば本当に家が見え、女性は苦しそうな顔をしたまま家に入り、あぐりたちにも入るように促した。小さくはあるが、至って普通の茅葺屋根の家だ。あぐりは警戒しながら家の中に入ったが、祢墨はどこまでも平然としていた。
 女性はすぐに棚の中から薬を取り出して飲んだ。
「……ありがとうございます。これで楽になりますわ」
 薬を飲み切った女性はあぐりたちに向かって微笑む。通常であるならば美しい笑顔だと思えるのだが、そのどす黒い色のせいで逆に恐ろしく見えてくる。
「わたくし、昔から心臓が悪くて……。今日は調子がいいから町の方まで行こうと思ったら、途中で痛み出してしまったの。あなたたちが通って本当に運が良かったわ」
 女性は黒い色を出しながら言葉を継ぐ。嘘とは分かっていながらも、話を合わせておかないといけないと思ったあぐりは、「そうですね」となんとか相槌を打った。
「お二人は姉弟なの?」
「はい。親の遣いで町に行くところでした」
 祢墨は平然と言うが、魂の色がわずかに揺らいだ。祢墨は続けて「この家には一人で住んでいるんですか?」と問いかけ、「えぇ、三年前に主人を亡くしてから、一人で住んでいますわ」と女性は黒い声で返した。
 すごい、この二人嘘しか吐いていない……とあぐりは半ば感心しながら二人の会話を聞いた。
 あぐりは物心ついたときから魂の色が見え、人の声にも色がついて見えたので、自分なりに研究し嘘を吐くと色がどうなるか分かっている。
 嘘を吐く人間の声には黒色が混ざる。嘘を吐くのが上手い人なら色は混ざらないが、それでも魂の色はわずかに揺らぐ。
 女性が嘘を吐いていると指摘していいことはなさそうなので、あぐりは黙って二人の会話を聞くことしかできなかった。
「お遣いの最中に手間取らせて申し訳なかったわね。せめてものお礼に、これを食べていってちょうだい」
 女性はそう言って、あぐりたちの前にいくつもの饅頭の乗った皿と茶の入った湯呑みを差し出した。あぐりは思わずつばを呑み込む。半日以上歩き続け疲労しきった体に、饅頭はあまりにも魅力的だった。しかし、絶対に怪しい。
「町で人気のお店の饅頭でね。わたくし好きでよく買ってくるの。遠慮せず食べて、あなたたちは恩人ですからね」
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 どうしよう、饅頭が苦手だと言おうかとあぐりは迷ったが、「いただきます」と祢墨は平気で饅頭を食べ始めた。
 あぐりが驚いて固まっていると、「どうしたのねーちゃん?」と祢墨はもぐもぐと口を動かしながら聞いてくる。
 つまり、食べろということだろうか。
「どうしたの? おいしいですよ」
 女性も皿から饅頭を食べてみせた。毒は入っていないのかもしれない。
「い、いただきます」
 あぐりは意を決して饅頭に手を伸ばし、一口食べた。
 薄皮で餡子がぎっしりと入っており、甘くてとてもおいしい。こんなにおいしいものを食べるのは本当に久しぶりなので、あぐりは思わず涙が出てしまいそうだった。
 お茶で喉を潤しながらあぐりは黙々と饅頭を味わっていく。
 祢墨も同じように饅頭を食べていた。
 女性はその様子をひどく優しい顔で見つめており、そこであぐりの意識は途切れてしまった。
 体がなぜか重くてあぐりは目を覚ました。
 すると暗闇の中、見知らぬ男が自分に覆いかぶさっていることに気付き、あぐりは反射的に叫び声を上げようとする。しかし、男に口を塞がれ声を出すことはできなかった。
 口も鼻も塞がれ、息ができない。
 苦しい、このままでは窒息してしまう。
 あぐりは混乱しながら男を振りほどこうとするが、体格のいい男の体はびくともしない。
 まずい、本当に死んでしまう。
 あぐりは涙を滲ませ力の限り抵抗していると、不意に男の手が緩まった。次の瞬間男は呻き声を上げて倒れこみ、あぐりは激しく呼吸をしながら男から逃れる。
 男はしばらく苦しそうに悶えたあと、おもむろに動かなくなった。
 一体なにが起こっているのかと、あぐりはせき込みながらなんとか立ち上がり状況を理解しようとする。
「大丈夫あぐり?」
 横から急に|祢墨《ねずみ》の声が聞こえ、あぐりは「きゃぁ⁉」と声を上げる。薄暗くてよく見えないが、祢墨がそこに立っていることが分かりあぐりは少し安心できた。
「あんた⁉ どうしたんだい⁉」
 急に部屋の扉が開き、蝋燭の乗った燭台を持った女性が入って来た。蝋燭の明かりで辺りが見えるようになり、どうやらここは女性の家で、あぐりたちが饅頭を食べた部屋であることが分かった。
 しかし、日は完全に沈んでおり、夜になっている。
 あぐりは混乱したまま、「だ、男性が急に襲ってきて……」と倒れた男性を指さし震えながら女性に言った。
「あんたら、旦那に一体なにをした‼」
 女性は鬼の形相であぐりに近づき殴りかかろうとする。あぐりは悲鳴を上げその場から逃げようとするが、祢墨が即座に女性の背後に回り込み何かを首に刺した。
「う……な、なにを……⁉」
 女性は首を押さえ呻き声を上げて祢墨を睨む。すぐに女性は倒れこみ、男性と同じように悶えたあとしばらくして動かなくなった。
 あぐりは呆然として女性を見下ろしていたが、祢墨は冷静に「危ない」と落ちた蝋燭を拾い燭台に立たせていた。
「な、なにをしたの……⁉」
 いまだ状況が呑み込めないあぐりは、震える声で祢墨に尋ねる。すると祢墨は「毒針を刺してだけ」となんてことない様子で返してきた。
「こ、殺したの……?」
「うん」
「なんで……?」
「なんでって、こいつら俺たちのこと殺そうとしてたんだぞ。その前に殺すに決まってんじゃん」
 祢墨は眉を寄せ怪訝そうな顔をしてあぐりを見る。
 義兄たちを殺したときと同じで、躊躇いなど一切なかった。祢墨にとって、人を殺すことなど本当に日常的なことなのだろう。
 しかし、あぐりはそうもいかない。義家族に虐げられてはいたが、普通に生きていたあぐりにとって、人を殺すという発想がそもそもないのだ。
「……分かっていたんでしょ。女性が嘘を吐いていたって」
「うん。慣れた手口だったね。同じようにあの道を通った人を誘い込んで、女性しかいないと油断させて睡眠薬の入ったお茶で眠らせ、日が沈んで帰って来た男に襲わせていたんだろうね」
「分かっていて、どうして罠にかかったの?」
 あぐりは困惑しながら問いかける。嘘だと分かっていたのなら、女性を無視して進めばよかったし、それか家まで送っても出されたものを口にせず帰ればよかったのだ。わざわざ危険な目に遭ってまで殺す必要はない。
「路銀のため」
 予想だにしない祢墨の返答に、あぐりは「え?」と呆けた声が出る。祢墨は蝋燭を持って棚に近づいて行き、中を見た。
「ほら、こいつら襲った人間から金品を奪ってるから、だいぶ貯めこんでる。これを路銀としてもらっていこう。|深桜山《みおうざん》まで遠いからさ、少しでもお金があった方がいいよ」
 あぐりは呆然としたまま祢墨を見つめる。彼が何を言っているのか分からなかった。
「……お金のために、わざと罠にかかって、殺したってこと……?」
「うん。あぐりは嘘を見抜くのはうまいけど、嘘を吐くのは下手だね。顔がこわばりすぎだよ」
「こ、殺すことなかったんじゃ……」
「なに甘いこと言ってんの?」
 祢墨は強い瞳であぐりを射貫き、あぐりは声が出せなくなる。怒鳴られたわけでも、睨まれたわけでもないのに、なぜか祢墨の静かな純黒の瞳が恐ろしくて仕方がなかった。
「こいつらは何人も殺してきたんだぞ。この先も同じ手口で何人も襲うだろう。殺されても仕方がないやつらだ。そいつらを殺すことないだなんて甘すぎる」
 祢墨は静かながらも威圧感のある声で続ける。彼の纏う白銀の輝きが、言葉に合わせて一層強く輝き出した。
「俺はお前に虚色の王のところへ連れて行ってもらわなきゃいけない。そのためならなんだってする。立ちはだかるやつがいるなら、全員殺す」
 祢墨はあぐりの元へ近づいてくる。あぐりは恐怖で体が竦んでいるというのに、こんな状況でなお白銀の輝きに見惚れそうになっていた。
「もし嫌だと言うなら、殺すよ」
 祢墨はあぐりの真正面に立ち、あぐりを見据えたまま真っ直ぐに言う。
 なんの感情も宿していない白銀の魂が、一切の汚れなく悠然と輝いている。「……いや、この脅しは効果がないか。お前は俺に殺して欲しいんだもんな。ここに置いていくって言った方がいいか」と、祢墨は付け足した。
 祢墨になぜ迷いがないのか分かったような気がした。
 迷わずに殺せるからだ。
 たとえこの先向かう深桜山に兵がいようとも、全員殺す気なのだ。
 人を殺す覚悟ができているから、こんなにも平然としているのだ。
 彼について行くということは、血濡れの道を進むことになるのだと悟りあぐりは愕然とする。すでに昨日今日で五人も殺した。自らの血の中に沈む義兄たちの顔は、ふとしたとき唐突に頭をよぎるし、目の前で死んでいる盗賊夫婦の顔も一生忘れることはできないのだろう。
 こんな思いを、この先何度も経験しなければならないのか。
 得体の知れない恐怖が足元から背中を這うように襲い、あぐりはぶるりと体を震わせる。
「……できれば、殺さないでほしい」
 あぐりはやっとのことで声を出す。人を殺す覚悟など、あぐりにできるはずがなかった。
「分かってるよ。人が死ねば役人が動くし、騒ぎが大きくなれば動きづらくなる。必要最小限しか殺さないよ。殺すにしても、他殺とばれないようにするって。ここは人通りも少ないし、この死体に誰かが気付くまで時間がかかるだろうから大丈夫でしょ。森も近いし、獣が死体を食べに来てくれれば都合がいいんだけどな」
 いや、そういうことじゃないんだけど……、とは思ったが、あぐりは口にしなかった。単純に人が死ぬところを見たくないだけなのだが、祢墨は理解してくれないような気がしたのだ。
 祢墨は家の中の物色に戻り、ようやく震えが落ち着いてきたあぐりは横目で男の死体を見る。先ほど体に覆いかぶさり窒息させようとしてきたこと思い出し、あぐりは恐怖がぶり返してきた。
「……さっきはありがとう。でも、よく目覚められたね」
「寝たふりしてただけだよ。僕、あんまり毒が効かないんだよね」
「そうなんだ……すごいね」
 夜目が利く上に毒が効かないとなると、いよいよ彼が人間ではないような気がしてきた。
「……さっきはなんで私のことを『ねーちゃん』って呼んだの?」
「身長的に僕の方が弟に見られるかなって思ったから。それと、あぐりの名前を出さない方がいいと思って。国はあぐりのことを捜しているはずだから、この先は偽名を使おう。僕のことは墨でいいよ。あぐりは花子にする?」
「う、うん」
 偽名を使うことにはあぐりも賛成である。そして、初めて会ったときから疑問に思っていたことを訊いてみることにした。
「……墨って何歳なの?」
「十九歳」
「十九……⁉ 私より四つも上なの⁉」
 あぐりは目を丸くする。自分と同じくらいかと思いきや、まさか四つも年上だとは思わなかった。少年かと思いきや、普通に青年であった。「そんなに驚く?」と祢墨は眉を寄せてあぐりを見る。
「驚くよ……。どうが……若々しい顔をしているから」
「まぁ、確かに十代前半に見られるかな。暗殺には都合がいいんだよ。相手が僕を子供だと思って油断するから」
「そうなんだ……」
 小柄であることも、童顔であることも、祢墨にとって取るに足りないことらしい。それどころか、自分の武器としている。なんてたくましいのだろうとあぐりは感心してしまう。
「さて、行こう」
 室内を物色し終えた祢墨はあぐりに声をかける。
「え、夜なのに行くの?」
「夜だから行くの。あぐりも充分休めたでしょ?」
 確かに、薬を飲まされたとはいえ正午から夜までぐっすり眠ったので、頭の重さは取れている。体のだるさもだいぶいい。しかし、寝たふりをしていたという祢墨は昨晩から一睡もしていないことになる。
「墨は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
 祢墨はなんてことないように言い、蝋燭の火を消して燭台を床に置いた。急に室内が暗くなり、目が慣れずあぐりは瞬きする。
「手を引くよ」
 そう言うと同時に、祢墨はあぐりの左手を握ってゆっくり歩き出した。あぐりは少し驚いたが、昨晩森の中を歩いたときも同じように手を引かれていたので慣れてはいた。
 外に出ると、雲が空を覆っており月明かりが遮られ暗かった。
 それでも祢墨は全てが見えているようでどんどんと進んで行く。
「……こんな夜に町に行ってどうするの? 店は全部閉まってると思うよ」
 あぐりの問いに、「大丈夫だよ。静かにしてて」とだけ祢墨は答えた。一体どこに向かっているのか分からずあぐりは不安になるが、祢墨の言う通り黙って彼についていくことにした。