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三話 四王の島

ー/ー



 昨晩あぐりが祢墨(ねずみ)と出会ってから、祢墨はあぐりの手を引いて夜通し森を歩いた。
 驚いたことに祢墨は本当に夜目が利くらしく、暗い森の中を祢墨はすいすいと歩いて行った。獣の気配も分かるらしく、祢墨の言う通りに歩けば大きな獣に遭遇することもなく、朝方には広い沢へと出ることができた。

 夜通し歩き続けたので、あぐりは心身ともに疲れ果てていた。渇き切った喉は少し言葉を吐くだけで痛みが走る。川が目に入ったあぐりはすぐに川へ近づいて行き、清らかな川の水で喉を潤した。冷たい水はひどく甘露に感じ、それだけで生き返ったような心地がする。
 思うまま水を飲んだあと白み始めた空を見上げ、あぁ、私は生き延びたのだとあぐりはぼんやりと思った。

「休憩にしようか」

 祢墨はそう言って川の水を飲み、瓢箪の水筒を取り出して川の水を入れた。そして懐から巾着を取り出し、中から黒い塊を一つ取りだして「はい」とあぐりに差し出した。

「な、なんですかこれ……」

 あぐりは恐る恐るそれを受けとる。

「兵糧丸。栄養はあるよ。あとこれも」

 祢墨は巾着からさらに木の実をいくつか取り出してあぐりに渡す。小ぶりで深い紫色のそれは何の実か分からなかったが、祢墨が平気で食べているのを見てあぐりも口に入れた。
 甘さよりも渋さが勝る味であったが、空腹で疲れ切った体にはとても美味しく感じる。

「虚色の王って、この島の南側を支配しているんだよね」
「は、はい。かつてこの四王島(しおうとう)を支配していたとされる四王の一人です」

 急な祢墨の問いに、あぐりは木の実を飲み込んで話し始めた。

「現在この島に住む民たちは、五百年ほど前に北にある大地から新天地を求めて移住してきた人々の末裔です。彼らはこの島を見つけ上陸しようとしたのですが、遥か昔にこの島を支配していた四人の王の亡霊に阻まれました」

 四王の話は、この四王島に住む民であれば誰もが知っている話であり、あぐりも幼い頃今は亡き母からよく聞かされていた。
「それは知ってるよ」と祢墨に言われ、「す、すみません」とあぐりは反射的に謝ってしまう。「いや、別に怒ってないけど」と祢墨は表情を変えず淡々を言った。

「北に『夢見(ゆめみ)の王』、東に『美食(びしょく)の王』、西に『奏音(そうおん)の王』、そして南の『虚色の王』でしょ。王たちはやって来た人間たちに対して、この島に住みたいのなら自分たちが望みを叶えろって言ったんだよね」
「そうです。夢見の王は『この先ずっと良い夢を見たい』、美食の王は『今まで味わったことがないほど美味いものを食べたい』、奏音の王は『今まで聞いたことのない音を聞きたい』、虚色の王は『誰も見たことの無い色を見たい』と望みました」
「なんだっけ、美食の王には遥か南の大陸から持ってきた香辛料で辛い料理を作って、奏音の王には人間には聞こえない声で鳴く虫の声を聞かせて、夢見の王には毒を飲ませて殺して成仏させたんだっけ?」
「はい、地域によって話の細部は少し違うものの、大体の内容はその通りです」
「亡霊って言うからにはもう死んでるんでしょ? どうやって料理を食べさせたり、毒を飲ませて殺したりできるの?」
「さぁ……、それは私にも分かりません」

 祢墨の問に、あぐりは困惑して返した。確かにあぐりも亡霊をどうやって殺すのかと疑問を持っていたが、昔話は多少の矛盾を含んでいるものだと割り切っていた。
 
 美食の王は初めて食べる辛い料理に満足し、その料理を作った料理人を王にした。
 奏音の王は不思議な虫の音に感動し、その虫を捕まえてきた少年を王にした。
 夢見の王は『これでもう悪夢を見なくて済む』と礼を言い、毒を調合した医師を王にしたと言い伝えられている。

「それで美食の王の土地は『紅味国(こうみこく)』に、奏音の王の土地は『響国(きょうこく)』に、夢見の王の土地は『幻日国(げんじつこく)』になりました。そして、五百年経った今もなお残っているのが虚色の王です」
「最初に美食の王を成仏させて、次が奏音の王で、次が夢見の王だよね。夢見の王が成仏してから四百年くらい経ってるのに、虚色の王の願いだけは未だに叶えられないなんて不思議だよ」
「はい……。歴代の色見たちは、誰も見たことの無い色、すなわち虚色を示すことができなかったんです」

 あぐりは暗い声になって返す。
 虚色の王を除く三人の王たちはすでに成仏したというのに、五百年経った今でも虚色の王だけが残っている。それはすなわち、誰も虚色の王の願いを叶えられていないということだ。
 この五百年の間、各国は虚色を躍起になって探しているというのに、まだ見つかっていないのだ。それなのに、自分に見つけられるわけがないと、あぐりは暗澹とした気持ちで思っていた。

「色見は二十五年に一回選ばれるんだっけ」

 祢墨は兵糧丸を全て食べ終えて尋ねてきた。あぐりは自分が全く食べていないことに気付くが、食べることよりも祢墨の問いに返答することを優先した。

「そうです。今年がその年で、私が選ばれました」
「どうやって色見に選ばれたの?」
「……矢が飛んできたんです。三日前、陽が沈んだころ、急に空から白く光る矢が降って来て、家の屋根も壁をすり抜けて私の胸元に刺さりました。でも、不思議と痛くはなくてすぐに消えてなくなりました。その瞬間、頭の中に誰かの声が響いてきて、私が色見に選ばれたと告げました」
「へぇ、本当に矢が降って来るんだ。しかも脳内に直接語りかけてくるんだね」
「……はい。近くにいた義家族も驚いていて、すぐに村長がやって来て国に私が色見に選ばれたことを知らせました」

 三日前の夕暮れ、それは本当にいきなりやって来た。
 いつも通り家事の些細なことで義母に怒鳴られている際、急に天井から白い矢が降ってきてあぐりの胸に刺さった。
 そして急に頭に誰かの声が響き、お前を色見に選んだと告げたのだ。

 義家族は驚き、すぐさま村長を呼んであぐりが色見に選ばれたことを伝えた。村長も慌てて役所へ使いを出し、すぐに家へ役人がやって来て、あぐりと義家族を保護するため三日後に国から部隊が来ることを告げた。
 そこからは常に数人の兵士が家を見張り、あぐりは一切外出できなくなった。

 義家族たちは役立たずだったあぐりが金のなる木になったかのように喜び、あぐりのことをさらに支配しようとした。

 必ず王になれ。
 王になったら財産も特権も全て自分たちのために使え。
 お前のような穀潰しを今まで育ててやったんだ、自分たちに恩を返せることを感謝しろ。
 王になれなかったらどうなるか分かっているな。

 義家族たちは洗脳するようにあぐりにそう言い続けた。
 このままでは一生義家族の言う通りに生きていかなければならなくなると悟ったあぐりは、決死の思いで昨晩家を逃げ出したのだ。

 まさかその後暗殺者の少年に助けられるとはまったく思っていなかったが、今となってはあのとき逃げてよかったと、あぐりは胸を震わせながら思っていた。

「色見は何人選ばれたの?」

 あぐりははっとして顔を上げ祢墨を見る。

「わ、分かりません……」
「そっか。確か色見に選ばれたら、何個か試練を乗り越えなきゃいけないんだっけ」
「はい、三つの試練があるらしいです。その試練を全て乗り越えることができれば、虚色の王への道が開かれます」

 虚色の王のもとへ行くには、試練を乗り越えなければならないというのはよく聞く話だが、どのような試練なのか、試練の場所はどこなのかは知られていなかった。

「最初の試練の場所はどこなの?」
「……深桜山(みおうざん)にある洞穴です。三日前、矢が胸に刺さって頭の中に誰かの言葉が響いたとき、最初の試練の場所も示されました」

 あぐりは三日前のことを思い出す。頭の中で自分が色見に選ばれたと告げられたあと、急に視界が真っ白になり、その後見たこともない景色が目の前に広がった。どこかの山の景色で、木々には薄紅色の花が可憐に咲いていることが印象に残っている。木々に隠れるようにして山肌に穴が開いており、そこが最初の試練の場所だと頭の中で誰かの声が告げたのだ。

「深桜山か……。結構遠いね。歩いて四日はかかるかな」
「……場所が分かるんですか?」
「うん。僕、仕事柄色んな所に行ってたからね。幻日国の地理は頭に入っているよ」

「すごい……」とあぐりは羨望の眼差しで祢墨を見た。深桜山と言われてもいったいどこにあるのか分からなかったため、あぐり一人では確実に途方に暮れていただろう。彼と出会えて運が良かったと、あぐりは改めて思った。

「さっさと食べてよ。そろそろ出発したいからさ」
「は、はい」

 木の実しか食べていなかったあぐりは急いで兵糧丸を食べる。義家族からも食べるのが遅いとよく殴られたし、なんなら食べ物を与えられないことも多かった。
 暗殺者の彼の機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。
 あぐりは怯えながら兵糧丸を飲み込み、思わずむせてしまった。

「そんなにビクビクしないでよ、殺さないから。あと、敬語じゃなくてもいいよ。そんなに怯えながら敬語を使われたら、なんかうざったく感じる」
「あ、は、はい」

 あぐりは呼吸を整えながらなんとか頷く。祢墨の感情のない言葉に、あぐりの心は冷たくなっていくようだった。今まで何度もうざいだの消えてしまえだの言われ続けてきたが、慣れることはなく言われるたびに心が(やいば)で傷つけられていくようだ。
 彼に見放されたら私は終わってしまう。
 怯えるなと言われても、彼の冷たい瞳で見据えられるとどうしても心臓が震え体中に緊張が走った。

「食べた? じゃぁ行こうか」
「うん……」

 あぐりは緊張しながら頷く。今までため口で話した相手など実の母親以外いないので、どうも勝手が分からない。祢墨はさっさと歩き出し、あぐりは痛む体を動かして祢墨に着いて行った。
 夜通し歩いたというのに、祢墨には疲労の色が伺えない。一方のあぐりは義兄たちに暴行されたせいで体中が痛いし、夜通し歩いた疲れは少しの休憩で癒えるわけがなかった。
 あぐりはなんとか祢墨に着いて行こうとするが、二人の距離は徐々に開いて行く。

 不意に祢墨は立ち止まり、あぐりの方を向いた。

「疲れてる?」

 祢墨は淡々と問いかける。なんとか祢墨に追いついたあぐりは「だ、大丈夫……」と返した。

「いや、明らかに疲れてるじゃん。嘘吐かないでよ」

 祢墨は感情もなく言う。あぐりは居心地の悪さを感じながら祢墨から目をそらし、静かに口を開いた。

「……疲れてる。正直、今のあなたの歩く速度にはついていけない……」

 きっと、根性が足りない、いいから歩けなどと叱られるだろうとあぐりは思っていたが、そんな言葉は降ってこなかった。

「そっか。じゃぁ少しゆっくり行くよ」

 祢墨はそう言うと、本当にあぐりの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。拍子抜けしたあぐりは、思わず「え?」と祢墨を見つめてしまう。

「どうしたの?」

 祢墨は無表情にあぐりを見つめ返す。
 あぐりは人の声にも色がついて見えるが、祢墨の声には怒りの色も軽蔑の色も混ざってはいなかった。
 彼の色は、どこまでも静かな白銀だ。

「優しいなって思って……」

 あぐりは感じたことをそのまま口にする。すると、祢墨の魂の色がわずかに揺れた。

「優しい? 僕が?」

 祢墨は怪訝そうな声色であぐりに聞き返す。

「うん、ご飯も分けてくれるし、私の体調も気をつかってくれるから……」

 今までそんな扱いを実の母以外から受けたことなかったあぐりは、祢墨の行動に『優しい』という感情を持ったし、それ以外なんと言っていいのか分からなかった。

「いやまぁ、無理されて倒れられると困るし……。僕、あたり前の事しか言ってないと思うけどな」

 祢墨はあぐりから視線を外しゆっくりと森の中を歩いて行く。

「なんていうか、まともな人間に会ったことがないんだね」

 祢墨はそう言ったあと、「僕も人のこと言えないけど」と付け足した。「……そうかもしれない」とあぐりは祢墨の背中を追いながら答える。確かに、普通に考えれば人殺しの彼が優しいはずがない。それでも、あぐりは彼が優しいと思わずにはいられなかった。

 本当に綺麗な魂だと、あぐりは祢墨の纏う白銀を見つめながら思っていた。


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「休憩にしようか」
 祢墨はそう言って川の水を飲み、瓢箪の水筒を取り出して川の水を入れた。そして懐から巾着を取り出し、中から黒い塊を一つ取りだして「はい」とあぐりに差し出した。
「な、なんですかこれ……」
 あぐりは恐る恐るそれを受けとる。
「兵糧丸。栄養はあるよ。あとこれも」
 祢墨は巾着からさらに木の実をいくつか取り出してあぐりに渡す。小ぶりで深い紫色のそれは何の実か分からなかったが、祢墨が平気で食べているのを見てあぐりも口に入れた。
 甘さよりも渋さが勝る味であったが、空腹で疲れ切った体にはとても美味しく感じる。
「虚色の王って、この島の南側を支配しているんだよね」
「は、はい。かつてこの|四王島《しおうとう》を支配していたとされる四王の一人です」
 急な祢墨の問いに、あぐりは木の実を飲み込んで話し始めた。
「現在この島に住む民たちは、五百年ほど前に北にある大地から新天地を求めて移住してきた人々の末裔です。彼らはこの島を見つけ上陸しようとしたのですが、遥か昔にこの島を支配していた四人の王の亡霊に阻まれました」
 四王の話は、この四王島に住む民であれば誰もが知っている話であり、あぐりも幼い頃今は亡き母からよく聞かされていた。
「それは知ってるよ」と祢墨に言われ、「す、すみません」とあぐりは反射的に謝ってしまう。「いや、別に怒ってないけど」と祢墨は表情を変えず淡々を言った。
「北に『|夢見《ゆめみ》の王』、東に『|美食《びしょく》の王』、西に『|奏音《そうおん》の王』、そして南の『虚色の王』でしょ。王たちはやって来た人間たちに対して、この島に住みたいのなら自分たちが望みを叶えろって言ったんだよね」
「そうです。夢見の王は『この先ずっと良い夢を見たい』、美食の王は『今まで味わったことがないほど美味いものを食べたい』、奏音の王は『今まで聞いたことのない音を聞きたい』、虚色の王は『誰も見たことの無い色を見たい』と望みました」
「なんだっけ、美食の王には遥か南の大陸から持ってきた香辛料で辛い料理を作って、奏音の王には人間には聞こえない声で鳴く虫の声を聞かせて、夢見の王には毒を飲ませて殺して成仏させたんだっけ?」
「はい、地域によって話の細部は少し違うものの、大体の内容はその通りです」
「亡霊って言うからにはもう死んでるんでしょ? どうやって料理を食べさせたり、毒を飲ませて殺したりできるの?」
「さぁ……、それは私にも分かりません」
 祢墨の問に、あぐりは困惑して返した。確かにあぐりも亡霊をどうやって殺すのかと疑問を持っていたが、昔話は多少の矛盾を含んでいるものだと割り切っていた。
 美食の王は初めて食べる辛い料理に満足し、その料理を作った料理人を王にした。
 奏音の王は不思議な虫の音に感動し、その虫を捕まえてきた少年を王にした。
 夢見の王は『これでもう悪夢を見なくて済む』と礼を言い、毒を調合した医師を王にしたと言い伝えられている。
「それで美食の王の土地は『|紅味国《こうみこく》』に、奏音の王の土地は『|響国《きょうこく》』に、夢見の王の土地は『|幻日国《げんじつこく》』になりました。そして、五百年経った今もなお残っているのが虚色の王です」
「最初に美食の王を成仏させて、次が奏音の王で、次が夢見の王だよね。夢見の王が成仏してから四百年くらい経ってるのに、虚色の王の願いだけは未だに叶えられないなんて不思議だよ」
「はい……。歴代の色見たちは、誰も見たことの無い色、すなわち虚色を示すことができなかったんです」
 あぐりは暗い声になって返す。
 虚色の王を除く三人の王たちはすでに成仏したというのに、五百年経った今でも虚色の王だけが残っている。それはすなわち、誰も虚色の王の願いを叶えられていないということだ。
 この五百年の間、各国は虚色を躍起になって探しているというのに、まだ見つかっていないのだ。それなのに、自分に見つけられるわけがないと、あぐりは暗澹とした気持ちで思っていた。
「色見は二十五年に一回選ばれるんだっけ」
 祢墨は兵糧丸を全て食べ終えて尋ねてきた。あぐりは自分が全く食べていないことに気付くが、食べることよりも祢墨の問いに返答することを優先した。
「そうです。今年がその年で、私が選ばれました」
「どうやって色見に選ばれたの?」
「……矢が飛んできたんです。三日前、陽が沈んだころ、急に空から白く光る矢が降って来て、家の屋根も壁をすり抜けて私の胸元に刺さりました。でも、不思議と痛くはなくてすぐに消えてなくなりました。その瞬間、頭の中に誰かの声が響いてきて、私が色見に選ばれたと告げました」
「へぇ、本当に矢が降って来るんだ。しかも脳内に直接語りかけてくるんだね」
「……はい。近くにいた義家族も驚いていて、すぐに村長がやって来て国に私が色見に選ばれたことを知らせました」
 三日前の夕暮れ、それは本当にいきなりやって来た。
 いつも通り家事の些細なことで義母に怒鳴られている際、急に天井から白い矢が降ってきてあぐりの胸に刺さった。
 そして急に頭に誰かの声が響き、お前を色見に選んだと告げたのだ。
 義家族は驚き、すぐさま村長を呼んであぐりが色見に選ばれたことを伝えた。村長も慌てて役所へ使いを出し、すぐに家へ役人がやって来て、あぐりと義家族を保護するため三日後に国から部隊が来ることを告げた。
 そこからは常に数人の兵士が家を見張り、あぐりは一切外出できなくなった。
 義家族たちは役立たずだったあぐりが金のなる木になったかのように喜び、あぐりのことをさらに支配しようとした。
 必ず王になれ。
 王になったら財産も特権も全て自分たちのために使え。
 お前のような穀潰しを今まで育ててやったんだ、自分たちに恩を返せることを感謝しろ。
 王になれなかったらどうなるか分かっているな。
 義家族たちは洗脳するようにあぐりにそう言い続けた。
 このままでは一生義家族の言う通りに生きていかなければならなくなると悟ったあぐりは、決死の思いで昨晩家を逃げ出したのだ。
 まさかその後暗殺者の少年に助けられるとはまったく思っていなかったが、今となってはあのとき逃げてよかったと、あぐりは胸を震わせながら思っていた。
「色見は何人選ばれたの?」
 あぐりははっとして顔を上げ祢墨を見る。
「わ、分かりません……」
「そっか。確か色見に選ばれたら、何個か試練を乗り越えなきゃいけないんだっけ」
「はい、三つの試練があるらしいです。その試練を全て乗り越えることができれば、虚色の王への道が開かれます」
 虚色の王のもとへ行くには、試練を乗り越えなければならないというのはよく聞く話だが、どのような試練なのか、試練の場所はどこなのかは知られていなかった。
「最初の試練の場所はどこなの?」
「……|深桜山《みおうざん》にある洞穴です。三日前、矢が胸に刺さって頭の中に誰かの言葉が響いたとき、最初の試練の場所も示されました」
 あぐりは三日前のことを思い出す。頭の中で自分が色見に選ばれたと告げられたあと、急に視界が真っ白になり、その後見たこともない景色が目の前に広がった。どこかの山の景色で、木々には薄紅色の花が可憐に咲いていることが印象に残っている。木々に隠れるようにして山肌に穴が開いており、そこが最初の試練の場所だと頭の中で誰かの声が告げたのだ。
「深桜山か……。結構遠いね。歩いて四日はかかるかな」
「……場所が分かるんですか?」
「うん。僕、仕事柄色んな所に行ってたからね。幻日国の地理は頭に入っているよ」
「すごい……」とあぐりは羨望の眼差しで祢墨を見た。深桜山と言われてもいったいどこにあるのか分からなかったため、あぐり一人では確実に途方に暮れていただろう。彼と出会えて運が良かったと、あぐりは改めて思った。
「さっさと食べてよ。そろそろ出発したいからさ」
「は、はい」
 木の実しか食べていなかったあぐりは急いで兵糧丸を食べる。義家族からも食べるのが遅いとよく殴られたし、なんなら食べ物を与えられないことも多かった。
 暗殺者の彼の機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。
 あぐりは怯えながら兵糧丸を飲み込み、思わずむせてしまった。
「そんなにビクビクしないでよ、殺さないから。あと、敬語じゃなくてもいいよ。そんなに怯えながら敬語を使われたら、なんかうざったく感じる」
「あ、は、はい」
 あぐりは呼吸を整えながらなんとか頷く。祢墨の感情のない言葉に、あぐりの心は冷たくなっていくようだった。今まで何度もうざいだの消えてしまえだの言われ続けてきたが、慣れることはなく言われるたびに心が|刃《やいば》で傷つけられていくようだ。
 彼に見放されたら私は終わってしまう。
 怯えるなと言われても、彼の冷たい瞳で見据えられるとどうしても心臓が震え体中に緊張が走った。
「食べた? じゃぁ行こうか」
「うん……」
 あぐりは緊張しながら頷く。今までため口で話した相手など実の母親以外いないので、どうも勝手が分からない。祢墨はさっさと歩き出し、あぐりは痛む体を動かして祢墨に着いて行った。
 夜通し歩いたというのに、祢墨には疲労の色が伺えない。一方のあぐりは義兄たちに暴行されたせいで体中が痛いし、夜通し歩いた疲れは少しの休憩で癒えるわけがなかった。
 あぐりはなんとか祢墨に着いて行こうとするが、二人の距離は徐々に開いて行く。
 不意に祢墨は立ち止まり、あぐりの方を向いた。
「疲れてる?」
 祢墨は淡々と問いかける。なんとか祢墨に追いついたあぐりは「だ、大丈夫……」と返した。
「いや、明らかに疲れてるじゃん。嘘吐かないでよ」
 祢墨は感情もなく言う。あぐりは居心地の悪さを感じながら祢墨から目をそらし、静かに口を開いた。
「……疲れてる。正直、今のあなたの歩く速度にはついていけない……」
 きっと、根性が足りない、いいから歩けなどと叱られるだろうとあぐりは思っていたが、そんな言葉は降ってこなかった。
「そっか。じゃぁ少しゆっくり行くよ」
 祢墨はそう言うと、本当にあぐりの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。拍子抜けしたあぐりは、思わず「え?」と祢墨を見つめてしまう。
「どうしたの?」
 祢墨は無表情にあぐりを見つめ返す。
 あぐりは人の声にも色がついて見えるが、祢墨の声には怒りの色も軽蔑の色も混ざってはいなかった。
 彼の色は、どこまでも静かな白銀だ。
「優しいなって思って……」
 あぐりは感じたことをそのまま口にする。すると、祢墨の魂の色がわずかに揺れた。
「優しい? 僕が?」
 祢墨は怪訝そうな声色であぐりに聞き返す。
「うん、ご飯も分けてくれるし、私の体調も気をつかってくれるから……」
 今までそんな扱いを実の母以外から受けたことなかったあぐりは、祢墨の行動に『優しい』という感情を持ったし、それ以外なんと言っていいのか分からなかった。
「いやまぁ、無理されて倒れられると困るし……。僕、あたり前の事しか言ってないと思うけどな」
 祢墨はあぐりから視線を外しゆっくりと森の中を歩いて行く。
「なんていうか、まともな人間に会ったことがないんだね」
 祢墨はそう言ったあと、「僕も人のこと言えないけど」と付け足した。「……そうかもしれない」とあぐりは祢墨の背中を追いながら答える。確かに、普通に考えれば人殺しの彼が優しいはずがない。それでも、あぐりは彼が優しいと思わずにはいられなかった。
 本当に綺麗な魂だと、あぐりは祢墨の纏う白銀を見つめながら思っていた。