晴れ渡った空の下。
すこやか園の敷地に賑やかな声が溢れている。
「おーい、善夜~!」
学校から帰った善夜が土間に差し掛かろうとした時、お下がりのジャージに身を包んだやや体格のいい女子児童が走ってきた。片手に箒を抱えている。
女子児童は善夜の前で立ち止まり、懇願するように言った。
「遊ぶ約束があるからさ、掃除当番代わってくれない?」
善夜は、愛想笑いを浮かべて返事を待つ女子児童を見つめ、ひと呼吸おいた。
(ついに来た。この時が……!)
あの日――善夜とオフィサーが別れたあとすぐ。
時間固定が解除され、大騒ぎとなった。
――善夜の姿が屋上から地上に瞬間移動したことで。
目撃者は屋上にいた職員・高橋と高学年の児童達から、園庭にいた職員・年少の児童達まで多数。なおかつヒドゥンの能力『結紮』で操られていたことの後遺症か、一時的な記憶障害を引き起こしていた。
その事実が組み合わさった結果生まれたのが、『善夜の近くにいると知らない場所に瞬間移動する』『帰って来れたとしても記憶を失う』という怪情報だった。
大人はさすがに信じていなかったが、彼らも進んで善夜に関わろうとはしなかった。
彼女が屋上から地上に一瞬で移動したという高橋の目撃証言があったからだ。
それから数日経った今日。
噂が薄れたのか、それとも善夜が相変わらず無害だったからか。
職員や児童達が徐々に――試すように物理的な距離を縮めていき、ついに話しかけられることになった。
相変わらずの『頼まれ事』だったが、友好的に接してもらえて嬉しい。
心の中で意を決して、彼女は答えた。
「ごめん……わたしも宿題先にやりたいんだ」
正直に言ったものの、相手の反応を思うと胸がぎゅっとなる。
しかし、彼女はもう決めていた。自分を捨てないことに。
「そっかぁ……」
女子児童は残念そうに俯いた。怒ってはいないようだ。
緊張が、少しずつほぐれていく。
(良かった……)
善夜がほっとした、その時――
女子児童の表情が、変わった。俯いた顔が、ゆっくりと上がる。
その目には、鬼のような怒りが――そして、
「――調子のんなよクソボケカスゴルァ!!!」
怒号とともに、善夜は顔面に強烈な平手打ちを食らった。
「!!!?」
衝撃に顔を歪めながら、ドサリと地面に倒れる善夜。
頬の痛みというよりは、何一つ変わっていない状況に対する戸惑いで目を丸くしている。
そんな彼女の頬に、女子児童の飛ばした唾がドロリと落ちる。
「瞬間移動とか記憶喪失とかわけわかんねー嘘つきやがって! 何も起きねーじゃねーか! あ!?」
(それはっ……噂が勝手に広まっただけで……!)
女子児童は鬼のような剣幕で彼女を見下ろしまくし立て、
「このゴミクズまじで今から死ぬほどシメてやるからな」
軽く上げた足を、未だにフリーズしている善夜の顔面目がけて蹴り出そうとした、その足が不意に止まる。
一向に下りてくる気配のない足に気がついた善夜が、立ち上がりキョロキョロ辺りを見回すと。
全てが停止した状態の光景の中に、どこかで見たことのある扉が出現していた。
その扉が開き――中からオフィサーが現れる。
「お取り込み中のところ失礼いたします」
「オフィサーさん……!」
こちらに歩いて来るオフィサーを善夜は嬉しそうに駆け寄り、
「これも……扉、ですか……? 昨日もこうやって入って来たんですね」
彼の後方で消えかけている扉をチラリと見て質問する。
「ええ」
軽く頷くと、オフィサーは改めて善夜を見る。
「それで、思いついたことは試されましたか?」
「全っ然ダメでした」
彼女はあっけらかんとして答えた。
「ヒドゥンさんをやっつけて、少しは変わると思ったんですけど……」
頬の唾を制服の袖で拭い、彼女は苦笑混じりに続ける。
「やっぱり、そう簡単には上手くいかないですよね……」
「そうですか」
オフィサーは短く相づちを打つと、
「では――」
剣帯から|無彩剣《アーテル》を抜き放ち、
「へ……!?」
「――約束どおり、消してさしあげましょう」
驚き戸惑う善夜の喉元に突きつけて言った。
「待って!! ちょっと、待ってください……!」
慌てて両手をかざし、彼女は首を激しく横に振りながらまくし立てた。
「大丈夫です! もう消さなくても! 大丈夫ですから……!」
「冗談です」
言って、オフィサーはすんなりと漆黒の剣を剣帯に納める。
(冗談……!?)
安堵に一息つくのも忘れ、善夜は呆然とオフィサーを見つめた。
「考えを改められたようで幸いです」
「それが、あれからなぜか死にたい気持ちが消えっちゃって……」
気を取り直し。善夜はすっきりとした青を湛える空を見上げ、
「ほんと、不思議ですよね……」
言いかけて、何かに思い至ったようにオフィサーを見る。
「もしかしてオフィサーさん、わたしのアニマ食べました?」
「いいえ」
「え……」
即答する彼と、外れた予想に驚く彼女無言で見つめ合うことしばし。
「……では、あなたの性格的なものかもしれませんね」
(わたしが能天気ってこと……?)
簡単に結論づけたオフィサーにモヤっとしながらも、
「あ……そうなんですね、あははは……」
そんな感情を飲み込み、善夜は愛想笑いで誤魔化しながらも――
(……たしかに)
内心では渋々認めていた。
17年間こうして耐えてこられたのは、自分の性格のお陰だったのかもしれない。
(わたし……けっこう強いかも……!)
「――何か愉快なことでもありましたか?」
気付かぬうちに顔がニンマリとしていたようだ。
オフィサーがまじまじと見つめてきた。
「な、なんでもありません!」
慌てて俯き視線から逃れる善夜。
とりあえず言い切ることで乗り切って、さらに――
「――そういえば!」
話題を変えた。
「ヒドゥンさんはどうなったんですか……?」
ずっと気になっていたことを尋ねる。
「あの最後の一撃で魔界でも実体を維持できないほど|身体《アニマ》を削ってしまい、調書を取ることができませんでした」
「あ……」
「ですがあなたの証言がありますので、捜査は動くと思われます」
「!」
彼の言葉で善夜の脳裏に浮かんだのは――甘い香りを放つ、カラフルにデコレーションされたプレゼントのような箱。
「あの、プレゼントの……」
この事件が起こる数日前。
児童たちとの共同部屋――罵詈雑言の彫られた善夜の机の上に、いつの間に『それ』が置かれていた。
他の児童たちによって荒らされることもなく。
家族からのプレゼントだと思った善夜が、人目を忍んで開封したところ――箱の中には一式の書類が入っていた。ヒドゥンと契約し招聘するための、契約及び招聘申請書であった。
「ひとまずそのまま『ギフトボックス』と呼んでいます」
「ギフトボックス……」
オフィサーから告げられた公称をオウム返しに善夜は呟く。
「対象者の抱える深刻な悩みに対応する魔人の招聘方法が記された手紙と、その招聘に必要な道具と書類の入った――甘い香りを放つ小箱。――あなたが巻き込まれたのはまさに、我々が追っている案件です」
「そうだったんですね……」
「売り込む手段は自由ですが、故意に誤った方法を伝えるというやり方は看過できません」
はっきりと断言する彼から、善夜は目をそらすように俯いて、
「ごめんなさい……あの箱、開けると同時に粉々になっちゃって……わたしがもっと気をつけてたら……」
「いえ、はじめから消えるようになっていたはずです。その証言だけでも、相手についてうかがい知ることができました」
その言葉に善夜は顔を上げ、
「えへへ……ありがとうございます」
照れくさそうに笑った。
「それはそうと、不法滞在者の通報がありました」
笑顔に陰が差す。
「宿題……と、掃除の代行があります」
命懸けの公務代行なんか、二度としたくはない。
「時間固定がありますので、問題ありません」
「もうあんな怖いの嫌です!」
善夜は精一杯の勢いで拒否した。
「他の人に頼めばいいじゃないですか! わたしなんかより、もっとちゃんとした人のほうが……」
「私はあなたに依頼をしています」
明確に告げるオフィサーの目を、善夜は揺れる瞳で見つめる。
やがて困ったように溜息をつくと、
「……わかりました」
照れて緩んだ目元・口元を隠すように俯き、続きを述べた。
「そこまで言われたら、協力しますよ……!」
「ご協力感謝します。では、こちらへ」
顔を上げると、先ほどの扉が再び出現していた。
向こうには見知らぬ風景が広がっている。
「! 待ってください!」
背を向け歩き出したオフィサーに善夜は慌てて追いつくと、2人並んで扉をくぐった。