10 契約、続行
ー/ー 晴れ渡った空の下。
今日も、すこやか園は賑やかな声が溢れている。
ここ、土間でも――
「調子のんなよクソボケカスゴルァ!!!」
怒号とともに、善夜は顔面に強烈な平手打ちを食らった。
衝撃に顔を歪めながら、ドサリと地面に倒れる。
「なぁ~にが『ごめん、宿題があるんだ』だ!! お前が口答えしていいと思ってんのか、ああ!?」
お下がりのジャージに身を包んだ、やや体格のいい女子児童が手にした箒の先を善夜の身体に押し付け、まくし立てる。
その丸みを帯びた顔には鬼のような形相が張り付いていた。
あれから数日。
時間固定が解除された直後にちょっとした騒ぎはあったものの。
善夜が相変わらず無害だったからか、今日になってついに話しかけられた。
だから、試してみた――自分の意志を大事にすることを。
しかし、結果はご覧の通り。
何一つ変わっていない状況に、善夜はただただ目を丸くするばかりであった。
「いたっ……」
そんな彼女の顔に、箒が投げつけられる。
手で鼻を押さえつつ見上げると、女子児童の血走った目と合った。
「このゴミクズまじで今から死ぬほどシメてやるからな」
彼女の足が軽く上がる。
善夜目がけて降りてきた靴底が止まった。
音が消えた。風も、声も。
全てが停止した光景の中に、どこかで見たことのある扉が出現する。
「お取り込み中のところ失礼いたします」
「オフィサーさん……!」
現れたオフィサーに、善夜は嬉しそうに駆け寄った。
「思いついたことは試されましたか?」
「全っ然ダメでした」
あっけらかんとして答える。
「少しは変わると思ったんですけど……そう簡単には上手くいかないですね」
「そうですか」
オフィサーは短く相づちを打つと、
「では――約束どおり、消してさしあげましょう」
「へっ!?」
剣帯から無彩剣を抜き放ち、善夜の喉元に突きつけた。
「待って!! ちょっと、待ってください……!」
慌てて両手をかざし、彼女は首を激しく横に振る。
「大丈夫です! もう消さなくても! 大丈夫ですから……!」
「そうですか」
オフィサーはすんなりと無彩剣を剣帯に納めた。
善夜はそっと胸を撫で下ろす。
「考えを改められたようで幸いです」
「それが……」
淡々とコメントを述べる彼に、善夜は言葉を選びつつ続ける。
「あれからなぜか死にたい気持ちが消えちゃって……ほんと、不思議ですよね」
見上げた空の青が、眩しい。
ふと思い至ることがあり、彼女は視線をオフィサーに移した。
「――もしかしてオフィサーさん、わたしのアニマ食べました?」
「いいえ。断りもなく摂取することはありません」
「え……」
即答する彼と、外れた予想に驚く彼女が無言で見つめ合うことしばし。
「……あなたの性格的なものではないでしょうか」
(わたしが能天気ってこと……!?)
簡単に結論づけたオフィサーにモヤっとしながらも、納得するところもあった。
今までこうして耐えてこられたのは、自分の性格のお陰だったのかもしれない。
「――何か愉快なことでもありましたか?」
気付かぬうちに顔がにんまりとしていたようだ。
オフィサーがまじまじと見つめてくる。
「な、なんでもありません! それよりっ……」
善夜は慌てて俯き視線から逃れつつ、話題を変えた。
「オフィサーさん、わたしに何か用があったんじゃないんですか?」
時間固定された――ということは。
「不法滞在者の取締に、ご協力ください」
「すみませんけど、できません」
案の定の答えに、善夜は即答した。
自分には荷が重すぎる。
しかし、
「いえ、あなたとはすでに契約を交わしています」
オフィサーは身に覚えのないことを言う。
「……けい、やく?」
善夜は記憶をサッと辿り、
「交わしてないですよ!」
猛然と抗議した。
強引に丸め込もうとする彼の手段に、怒りが湧いてくる。
「わたしだって、ここまでバカじゃないですからね! もう騙されませんから……」
そんな彼女の顔の前に、オフィサーは懐から取り出した黒いカードを突きつけた。
初めて出会った時に渡された、名刺の裏面である。
「あなたの印が、この特別臨時契約書にあります」
カードの裏面には『特別臨時契約書』というタイトル。
善夜の指先が、微かに冷たくなった。
続く細かな文字列の上に、善夜の指紋が、人差し指から小指まで白く押捺されていた。
「こんなの……さ、詐欺じゃないですか……!」
契約とは、双方の同意が必要なはずである。
名刺のフリをしたカードに触れただけで、成立するはずがない。
「いいえ」
オフィサーは平然と言い切る。
「私の『内容を確認したか』という問いに対し、あなたは『はい』と答えました」
善夜の勢いが、落ちた。
反論する言葉は思いつかず、唇が無意味にパクパクと開閉する。
「――しかし契約書の効力は24時間です」
「…………じゃあ契約切れてますよね!」
この人は、本当に何を考えているのかわからない。
「やはりあなたは代行者に向いています」
「扱いやすさを確認したんですか!?」
「素直さを評価しています」
善夜は頭をぎゅっと抱え、声にならない声を上げた。
憤りで爆発しそうだ。
「……宿題と、掃除の代行があります」
深く息を吐いて、本題を切り出した。
彼に振り回され続けているわけにはいかない。
「時間固定がありますので、問題ありません」
「もうあんな怖いの嫌です!」
淡々と逃げ道を塞ぐオフィサーに、善夜は本音をぶつけた。
あんなハードで命懸けの公務代行なんか、二度としたくはない。
それに、自分のような運動も勉強もできない人間がやるよりは――
「他の人に頼めばいいじゃないですか! もっとちゃんとした人のほうが……」
「――私はあなたに依頼をしています」
簡潔な言葉が、善夜を射貫いた。
呼吸を忘れ、その意味を反芻する。
ヒドゥンにとって、善夜は搾り取る相手でしかなかった。
すこやか園のみんなにとっては、都合よく使える存在でしかなかった。
でも、この人は――
善夜は揺れる瞳でオフィサーの目を見つめる。
彼の黒い瞳は、いつもと変わらない温度でこちらを見ている。
いつまでも返答を待っているかのように。
やがて善夜は困ったように溜息をつくと、
「……わかりました」
照れて緩んだ目元・口元を隠すように俯き、続きを述べた。
「そこまで言うなら、頑張ります……!」
「ご協力感謝します。では、こちらへ」
顔を上げると、閉じていた『扉』が開いていた。
向こうには見知らぬ風景が広がっている。
「! 待ってください!」
背を向け歩き出したオフィサーに善夜は慌てて追いつくと、2人並んで扉をくぐった。
今日も、すこやか園は賑やかな声が溢れている。
ここ、土間でも――
「調子のんなよクソボケカスゴルァ!!!」
怒号とともに、善夜は顔面に強烈な平手打ちを食らった。
衝撃に顔を歪めながら、ドサリと地面に倒れる。
「なぁ~にが『ごめん、宿題があるんだ』だ!! お前が口答えしていいと思ってんのか、ああ!?」
お下がりのジャージに身を包んだ、やや体格のいい女子児童が手にした箒の先を善夜の身体に押し付け、まくし立てる。
その丸みを帯びた顔には鬼のような形相が張り付いていた。
あれから数日。
時間固定が解除された直後にちょっとした騒ぎはあったものの。
善夜が相変わらず無害だったからか、今日になってついに話しかけられた。
だから、試してみた――自分の意志を大事にすることを。
しかし、結果はご覧の通り。
何一つ変わっていない状況に、善夜はただただ目を丸くするばかりであった。
「いたっ……」
そんな彼女の顔に、箒が投げつけられる。
手で鼻を押さえつつ見上げると、女子児童の血走った目と合った。
「このゴミクズまじで今から死ぬほどシメてやるからな」
彼女の足が軽く上がる。
善夜目がけて降りてきた靴底が止まった。
音が消えた。風も、声も。
全てが停止した光景の中に、どこかで見たことのある扉が出現する。
「お取り込み中のところ失礼いたします」
「オフィサーさん……!」
現れたオフィサーに、善夜は嬉しそうに駆け寄った。
「思いついたことは試されましたか?」
「全っ然ダメでした」
あっけらかんとして答える。
「少しは変わると思ったんですけど……そう簡単には上手くいかないですね」
「そうですか」
オフィサーは短く相づちを打つと、
「では――約束どおり、消してさしあげましょう」
「へっ!?」
剣帯から無彩剣を抜き放ち、善夜の喉元に突きつけた。
「待って!! ちょっと、待ってください……!」
慌てて両手をかざし、彼女は首を激しく横に振る。
「大丈夫です! もう消さなくても! 大丈夫ですから……!」
「そうですか」
オフィサーはすんなりと無彩剣を剣帯に納めた。
善夜はそっと胸を撫で下ろす。
「考えを改められたようで幸いです」
「それが……」
淡々とコメントを述べる彼に、善夜は言葉を選びつつ続ける。
「あれからなぜか死にたい気持ちが消えちゃって……ほんと、不思議ですよね」
見上げた空の青が、眩しい。
ふと思い至ることがあり、彼女は視線をオフィサーに移した。
「――もしかしてオフィサーさん、わたしのアニマ食べました?」
「いいえ。断りもなく摂取することはありません」
「え……」
即答する彼と、外れた予想に驚く彼女が無言で見つめ合うことしばし。
「……あなたの性格的なものではないでしょうか」
(わたしが能天気ってこと……!?)
簡単に結論づけたオフィサーにモヤっとしながらも、納得するところもあった。
今までこうして耐えてこられたのは、自分の性格のお陰だったのかもしれない。
「――何か愉快なことでもありましたか?」
気付かぬうちに顔がにんまりとしていたようだ。
オフィサーがまじまじと見つめてくる。
「な、なんでもありません! それよりっ……」
善夜は慌てて俯き視線から逃れつつ、話題を変えた。
「オフィサーさん、わたしに何か用があったんじゃないんですか?」
時間固定された――ということは。
「不法滞在者の取締に、ご協力ください」
「すみませんけど、できません」
案の定の答えに、善夜は即答した。
自分には荷が重すぎる。
しかし、
「いえ、あなたとはすでに契約を交わしています」
オフィサーは身に覚えのないことを言う。
「……けい、やく?」
善夜は記憶をサッと辿り、
「交わしてないですよ!」
猛然と抗議した。
強引に丸め込もうとする彼の手段に、怒りが湧いてくる。
「わたしだって、ここまでバカじゃないですからね! もう騙されませんから……」
そんな彼女の顔の前に、オフィサーは懐から取り出した黒いカードを突きつけた。
初めて出会った時に渡された、名刺の裏面である。
「あなたの印が、この特別臨時契約書にあります」
カードの裏面には『特別臨時契約書』というタイトル。
善夜の指先が、微かに冷たくなった。
続く細かな文字列の上に、善夜の指紋が、人差し指から小指まで白く押捺されていた。
「こんなの……さ、詐欺じゃないですか……!」
契約とは、双方の同意が必要なはずである。
名刺のフリをしたカードに触れただけで、成立するはずがない。
「いいえ」
オフィサーは平然と言い切る。
「私の『内容を確認したか』という問いに対し、あなたは『はい』と答えました」
善夜の勢いが、落ちた。
反論する言葉は思いつかず、唇が無意味にパクパクと開閉する。
「――しかし契約書の効力は24時間です」
「…………じゃあ契約切れてますよね!」
この人は、本当に何を考えているのかわからない。
「やはりあなたは代行者に向いています」
「扱いやすさを確認したんですか!?」
「素直さを評価しています」
善夜は頭をぎゅっと抱え、声にならない声を上げた。
憤りで爆発しそうだ。
「……宿題と、掃除の代行があります」
深く息を吐いて、本題を切り出した。
彼に振り回され続けているわけにはいかない。
「時間固定がありますので、問題ありません」
「もうあんな怖いの嫌です!」
淡々と逃げ道を塞ぐオフィサーに、善夜は本音をぶつけた。
あんなハードで命懸けの公務代行なんか、二度としたくはない。
それに、自分のような運動も勉強もできない人間がやるよりは――
「他の人に頼めばいいじゃないですか! もっとちゃんとした人のほうが……」
「――私はあなたに依頼をしています」
簡潔な言葉が、善夜を射貫いた。
呼吸を忘れ、その意味を反芻する。
ヒドゥンにとって、善夜は搾り取る相手でしかなかった。
すこやか園のみんなにとっては、都合よく使える存在でしかなかった。
でも、この人は――
善夜は揺れる瞳でオフィサーの目を見つめる。
彼の黒い瞳は、いつもと変わらない温度でこちらを見ている。
いつまでも返答を待っているかのように。
やがて善夜は困ったように溜息をつくと、
「……わかりました」
照れて緩んだ目元・口元を隠すように俯き、続きを述べた。
「そこまで言うなら、頑張ります……!」
「ご協力感謝します。では、こちらへ」
顔を上げると、閉じていた『扉』が開いていた。
向こうには見知らぬ風景が広がっている。
「! 待ってください!」
背を向け歩き出したオフィサーに善夜は慌てて追いつくと、2人並んで扉をくぐった。
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