影の席をあたためる
ー/ー 畳の上に、影がひとつ落ちている。
昼でも夜でもない、時間がほどけたみたいな影だ。朝の光にも、夕方の影にも似ていない。僕はそれを踏まないように、少しだけ遠回りをする。
そこは、あの人の席だった。
いつも同じ座布団に座り、新聞を広げ、紙の向こうから僕の名前を呼んだ場所。耳の後ろを撫でる手つきは、いつも少し不器用で、でも必ず温かかった。
今は座布団だけが敷かれたままで、新聞も、声も、もう戻ってこない。
それでも影は動かない。
陽の向きが変わっても、雲が流れても、影だけがそこに残る。まるで、帰り道を忘れてしまったみたいに。
僕は影のそばで丸くなる。
畳は少しだけ温かい。誰もいないはずなのに、誰かがついさっきまでいたような温度だ。
鼻を近づけると、ほのかに匂いがする。懐かしい匂い。もう洗われて、消えたはずの匂い。
夜になると、影は少し濃くなる。
その奥から、低い声が聞こえることがある。言葉じゃない。ただ、気配だけが揺れる。
「まだ、ここにいるよ」
そんな意味が、空気の中に溶けている。
僕は尻尾を振って返事をする。
鳴かない。鳴く必要はない。ここでは、音は重すぎるから。
ある朝、影は少し薄くなった。
畳の目がくっきりと見え、光がまっすぐ落ちている。
僕は影の上に座る。あたためるために。帰ってきたとき、冷たいのは嫌だろうから。
昼過ぎ、影はすっと消えた。
畳だけが残った。静かで、からっぽで、それでもやさしい場所。
僕はその席で眠る。
帰らぬ人のかわりに、今日も。
影が戻る日まで、ここを温めながら。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
畳の上に、影がひとつ落ちている。
昼でも夜でもない、時間がほどけたみたいな影だ。朝の光にも、夕方の影にも似ていない。僕はそれを踏まないように、少しだけ遠回りをする。
昼でも夜でもない、時間がほどけたみたいな影だ。朝の光にも、夕方の影にも似ていない。僕はそれを踏まないように、少しだけ遠回りをする。
そこは、あの人の席だった。
いつも同じ座布団に座り、新聞を広げ、紙の向こうから僕の名前を呼んだ場所。耳の後ろを撫でる手つきは、いつも少し不器用で、でも必ず温かかった。
今は座布団だけが敷かれたままで、新聞も、声も、もう戻ってこない。
それでも影は動かない。
陽の向きが変わっても、雲が流れても、影だけがそこに残る。まるで、帰り道を忘れてしまったみたいに。
僕は影のそばで丸くなる。
畳は少しだけ温かい。誰もいないはずなのに、誰かがついさっきまでいたような温度だ。
鼻を近づけると、ほのかに匂いがする。懐かしい匂い。もう洗われて、消えたはずの匂い。
夜になると、影は少し濃くなる。
その奥から、低い声が聞こえることがある。言葉じゃない。ただ、気配だけが揺れる。
「まだ、ここにいるよ」
そんな意味が、空気の中に溶けている。
僕は尻尾を振って返事をする。
鳴かない。鳴く必要はない。ここでは、音は重すぎるから。
ある朝、影は少し薄くなった。
畳の目がくっきりと見え、光がまっすぐ落ちている。
僕は影の上に座る。あたためるために。帰ってきたとき、冷たいのは嫌だろうから。
昼過ぎ、影はすっと消えた。
畳だけが残った。静かで、からっぽで、それでもやさしい場所。
僕はその席で眠る。
帰らぬ人のかわりに、今日も。
影が戻る日まで、ここを温めながら。