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守りたいもの

ー/ー



 太陽が稜線の彼方へ溶け、世界が藍色に沈んでいく。

 村の端にある二階建ての家――ヴェルナー邸のリビングには、ささやかながらも温かいパーティの余韻が漂っていた。

「リネットが、いよいよ旅かぁ……」

 食後の茶を啜り、母のノーマンがしみじみと湯気の向こうで目を細める。

「ね。私もまだ信じられないよ……」

「でも良かったじゃない。皆、あなたの誕生日に向けて、一生懸命村長に働きかけてたんだから。特に――父さんがね」

「お、おい母さん……!」

「うん! 父さん、狩人の仲間たちに言ってたよ! 『頼む、交渉に付き合ってくれ』って!」

「ふふふ」

 アランの無邪気な暴露に、ノーマンが忍び笑いを漏らす。

 リネットはハッとして父を見た。

(父さんが、頭を下げて……私のために……)

「母さん、父さん……本当にありがとう」

「……お、おう」

 真っ直ぐな感謝を向けられ、ヴェルナーは気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 ガシガシと頭を掻くその仕草が、不器用な愛情を雄弁に物語っている。

 温かい。

 幸せだ。

(…………)

 だからこそ、切ない。

 この光景が愛おしければ愛おしいほど、胸の奥に冷たい隙間風が吹く。この温もりを置いて、自分は行くのだ。

 リネットは手の中のカップを見つめ、意を決したように立ち上がった。

「母さん、父さん。少し風に当たりたくなってきたから……散歩に行ってくるね」

「……そうか。今夜はよく冷える。なるべく早く帰ってくるんだぞ」

 ヴェルナーは引き止めない。

 娘の笑顔の裏にある迷いを察したのだろう。その声は短く、けれど手のひらみたいに優しかった。

「せっかく旅に出るんだから、風邪引かないようにするのよ」

「お姉ちゃん、気を付けてね!」

「うん。行ってきます」

 家族の声に背中を押され、リネットは夜の帳へと足を踏み出した。

~*~*~*~

 向かった先は、村を守る神木――『天蓋樹』だ。

 巨大な根が大地を鷲掴みにするその場所へ、リネットは吸い寄せられるように歩み寄った。

 そっと、粗い樹皮に掌を当てる。

――トクン。

 冷え切った夜気の中で、そこだけが不思議と温かい。

 いや、それだけじゃない。木の芯の奥から、もっと熱い命が脈打っている気がした。ドクン、ドクンと、遠い心臓の音が掌を通じて共鳴する。

(温かい……)

 幼い頃から慣れ親しんだ感触に、深く息を吐き出す。

 張り詰めていた肩の力が、ゆっくりと抜けていった。

「天蓋樹……どうか、私がいない間も、この村を守ってね……」

 祈りを捧げた、その時だった。

――キィィィィィィィン……。

 高く、澄んだ音が天蓋樹から響き渡る。

 耳障りなノイズではない。

 水晶を指でなぞったような、あるいは星の瞬きを音にしたような――美しく、神聖な響き。

 定期的に神木が鳴らすその音色は、リーベンバウムの村人たちを包む「守り」の証だ。

 だからこそリネットは、今も疑わない。これは門出への祝福なのだと。

「ふふ……返事をしてくれたのかな?」

 言葉は返らない。

 けれど、夜風にざわめく枝葉には、確かに見守るような“意志”が宿っている気がした。


「やぁ。散歩かな? リネット」

 夜気に溶け込むような穏やかな声が、思考を現実へ引き戻した。

 振り返ると、月の光を背負って、師匠であるオーウェンがいつもの涼しい顔で佇んでいた。

「あれ……? オーウェンさん」

 努めて明るく振る舞おうと、口角に力を込める。

 けれど月明かりの下、その表情はどうしても沈んでしまうようだった。

「ふむ。随分と浮かない顔をしているのだね」

「えっ……」

 指摘され、リネットははっとして自身の頬に触れた。

 指先が濡れている。

(……あれ? )

「なんで……」

 拭っても拭っても、視界が滲んでいく。

 まぶたの裏が焼けるように熱くて、うまく息が入ってこない。泣いていることに、彼女は今の今まで気づいていなかったのだ。

「それはきっと、寂しさだよ。リネット」

「………っ」

 寂しさ。

 その言葉が、胸の奥の柔らかい場所をきゅっと締め付けた。

(そっか……私、寂しいんだ……)

「無理はない。長年過ごした故郷を離れ、君は旅に出る。それは一種の別れだ」

 オーウェンは静かに歩み寄り、隣に並ぶ。

 二人で天蓋樹を見上げると、枝葉の隙間から覗く夜空が、やけに広く、遠く感じられた。

「旅とはね。出る者も、見送る者も……どちらも深く寂しい思いをするものさ」

「うん……」

 静かな夜の時間が流れる。

 リネットは小さく鼻をすすり、隣の師を見上げた。

 オーウェンは一歩前へ出ると、天蓋樹の幹にそっと掌を当てる。

――キィィィィィィィン……。

 まるで旧友に応えるように、美しく、哀しいほど澄んだ音が夜空へ伸びていった。

 オーウェンは目を閉じ、その音色に愛おしそうに耳を傾ける。

「ふむ。今日は天蓋樹もよく声を聞かせてくれる。きっとこの木もまた、君の旅立ちを応援しているのだろう」

「……ほんと?」

「もちろんだとも」

 オーウェンが片目をつぶり、悪戯っぽく微笑んでみせた。

 音色が消えたあとの静寂が、逆に鼓動を大きく響かせる。

 リネットは一度深く息を吐いて呼吸を整えると、意を決して口を開いた。


「……実は、村のこともなんだけど、それより引っかかってることがあって……」

 ずっと胸につかえていた棘。

 それは、「世界を救う」という大義名分とは程遠い、ある種の“わがまま”に近い本音だった。

「私が世界を救うって……言ってたよね。でも……自分の目で世界を見たい、知らないことや知らない人に出会いたいっていう……ただの好奇心が、旅の理由なんだ」

 言いながら、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。

 指先に力が入り、歪んだ布地が悲鳴を上げているようだった。

「うむ、知っているとも」

「……世界を救うなんて。そんな重いもの、背負えない。私が守りたいのはこの村なんだ」

 それを聞いたオーウェンは、ほう、と白い息を夜気に溶かした。

 見上げた瞳には、無数の星が映り込んでいる。

「そうだね。たった一人の村娘が世界を救う。なんて馬鹿らしくも壮大で、夢のある話だろうか」

「……」

「だがリネット。君が世界を救う。これは事実だ」

「で、でも……」

「同時に、君がそれを負担に思う理由も正当だ。故に、私は君の意志を尊重する」

 予想外の言葉に、リネットは勢いよく顔を上げた。

 目の縁に残った涙が、月明かりを拾ってキラリと光る。

「えっ……?」

(怒られないの……? )

 説教が来ると思っていた。

 背中を叩かれ、「甘えるな」と無理やり走らされると覚悟していたのに。

「私が……旅に出ても、世界を救わなくてもいいの??」

「うむ。愛弟子が世界を救うとなれば、師匠として鼻が高いのも事実だが……」

 オーウェンは肩をすくめ、さらりと告げた。

「君が世界を救わず、その役目を拒否した場合。それは終わりではない」

「……」

「またその先に、世界を救う者が生まれるだけのことだ」

「つまり……? 私じゃなくても……」

「そう。君じゃなくとも、世界は他に『代理』を用意する」

 淡々とした声が、夜風に乗って響く。

「起きなかった未来は修正され、辿るべき歴史へと整えられる。世界の仕組みとは、そういうものだよ」

「……っ」

 残酷なくらい、冷徹で優しい説明だった。

 自分は特別じゃない。唯一無二の英雄なんかじゃない。

 けれど同時に――“唯一じゃなくていい”と、許された気がした。

「……はは。あはははっ!」

 数瞬の呆気のあと、リネットは堪えきれずに吹き出した。

 肩が揺れ、喉の奥から笑いが込み上げてくる。それは絶望ではない。胸に絡みついていた糸が、ぷつりと切れたような軽やかな音色だった。

「なんだぁ……。私てっきり、自分じゃないとダメ!! って、勝手に付け上がってただけじゃん」

 乱暴に目尻を拭い、吹っ切れた笑顔を向ける。

「そっか……。私じゃなくても大丈夫、っていうのは少し寂しい気もするけど……あの重圧を抱えるよりは、遥かにマシかも」

「ありがと、オーウェンさん! つまり、私が旅に出て世界を救えなくても、世界は勝手に代わりを用意するって事だよね?」

「ああ。その解釈で間違いないよ」

「よかったぁ……」

 リネットは両手を夜空へ突き上げ、ぐーっと背中を反らせた。

 背骨が伸びると同時に、全身にまとわりついていた見えない鉛の鎖が、ぱらぱらと砕け散っていく気がする。

「……君の重荷は取れたかな?」

「うん! おかげさまで!」

 元気よく答える弟子を見て、オーウェンは目を細めた。

「君は、君の心に従うといい。見たいものを見る。こうしたい、あれをしたい……旅に出れば様々なことを思うだろう」

「だが、その『したい』こそが、君にとっての真実だ」

「うん! これなら心置きなく、旅に出れそう」

「それは良かった。さて……今夜はよく冷える。そろそろ戻るとしようか」

 促されると、リネットは弾むように一歩踏み出し、躊躇なくオーウェンの手を取った。

「うん! あっ、そうだ! まだパーティの食べ物が残っててね……! オーウェンさんも食べてってよ!」

「おや、それは役得だ」

 子どもみたいに手を引いて歩き出す。

 その声は明るく、地面を蹴る足取りは何よりも軽い。

 二人の背を見送るように、天蓋樹の枝葉が夜風にざわりと揺れた。

――キィン。

 今度は小さく、確かめるような音が、遠い空へと溶けていった。


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みんなのリアクション

 太陽が稜線の彼方へ溶け、世界が藍色に沈んでいく。
 村の端にある二階建ての家――ヴェルナー邸のリビングには、ささやかながらも温かいパーティの余韻が漂っていた。
「リネットが、いよいよ旅かぁ……」
 食後の茶を啜り、母のノーマンがしみじみと湯気の向こうで目を細める。
「ね。私もまだ信じられないよ……」
「でも良かったじゃない。皆、あなたの誕生日に向けて、一生懸命村長に働きかけてたんだから。特に――父さんがね」
「お、おい母さん……!」
「うん! 父さん、狩人の仲間たちに言ってたよ! 『頼む、交渉に付き合ってくれ』って!」
「ふふふ」
 アランの無邪気な暴露に、ノーマンが忍び笑いを漏らす。
 リネットはハッとして父を見た。
(父さんが、頭を下げて……私のために……)
「母さん、父さん……本当にありがとう」
「……お、おう」
 真っ直ぐな感謝を向けられ、ヴェルナーは気恥ずかしそうに視線を逸らした。
 ガシガシと頭を掻くその仕草が、不器用な愛情を雄弁に物語っている。
 温かい。
 幸せだ。
(…………)
 だからこそ、切ない。
 この光景が愛おしければ愛おしいほど、胸の奥に冷たい隙間風が吹く。この温もりを置いて、自分は行くのだ。
 リネットは手の中のカップを見つめ、意を決したように立ち上がった。
「母さん、父さん。少し風に当たりたくなってきたから……散歩に行ってくるね」
「……そうか。今夜はよく冷える。なるべく早く帰ってくるんだぞ」
 ヴェルナーは引き止めない。
 娘の笑顔の裏にある迷いを察したのだろう。その声は短く、けれど手のひらみたいに優しかった。
「せっかく旅に出るんだから、風邪引かないようにするのよ」
「お姉ちゃん、気を付けてね!」
「うん。行ってきます」
 家族の声に背中を押され、リネットは夜の帳へと足を踏み出した。
~*~*~*~
 向かった先は、村を守る神木――『天蓋樹』だ。
 巨大な根が大地を鷲掴みにするその場所へ、リネットは吸い寄せられるように歩み寄った。
 そっと、粗い樹皮に掌を当てる。
――トクン。
 冷え切った夜気の中で、そこだけが不思議と温かい。
 いや、それだけじゃない。木の芯の奥から、もっと熱い命が脈打っている気がした。ドクン、ドクンと、遠い心臓の音が掌を通じて共鳴する。
(温かい……)
 幼い頃から慣れ親しんだ感触に、深く息を吐き出す。
 張り詰めていた肩の力が、ゆっくりと抜けていった。
「天蓋樹……どうか、私がいない間も、この村を守ってね……」
 祈りを捧げた、その時だった。
――キィィィィィィィン……。
 高く、澄んだ音が天蓋樹から響き渡る。
 耳障りなノイズではない。
 水晶を指でなぞったような、あるいは星の瞬きを音にしたような――美しく、神聖な響き。
 定期的に神木が鳴らすその音色は、リーベンバウムの村人たちを包む「守り」の証だ。
 だからこそリネットは、今も疑わない。これは門出への祝福なのだと。
「ふふ……返事をしてくれたのかな?」
 言葉は返らない。
 けれど、夜風にざわめく枝葉には、確かに見守るような“意志”が宿っている気がした。
「やぁ。散歩かな? リネット」
 夜気に溶け込むような穏やかな声が、思考を現実へ引き戻した。
 振り返ると、月の光を背負って、師匠であるオーウェンがいつもの涼しい顔で佇んでいた。
「あれ……? オーウェンさん」
 努めて明るく振る舞おうと、口角に力を込める。
 けれど月明かりの下、その表情はどうしても沈んでしまうようだった。
「ふむ。随分と浮かない顔をしているのだね」
「えっ……」
 指摘され、リネットははっとして自身の頬に触れた。
 指先が濡れている。
(……あれ? )
「なんで……」
 拭っても拭っても、視界が滲んでいく。
 まぶたの裏が焼けるように熱くて、うまく息が入ってこない。泣いていることに、彼女は今の今まで気づいていなかったのだ。
「それはきっと、寂しさだよ。リネット」
「………っ」
 寂しさ。
 その言葉が、胸の奥の柔らかい場所をきゅっと締め付けた。
(そっか……私、寂しいんだ……)
「無理はない。長年過ごした故郷を離れ、君は旅に出る。それは一種の別れだ」
 オーウェンは静かに歩み寄り、隣に並ぶ。
 二人で天蓋樹を見上げると、枝葉の隙間から覗く夜空が、やけに広く、遠く感じられた。
「旅とはね。出る者も、見送る者も……どちらも深く寂しい思いをするものさ」
「うん……」
 静かな夜の時間が流れる。
 リネットは小さく鼻をすすり、隣の師を見上げた。
 オーウェンは一歩前へ出ると、天蓋樹の幹にそっと掌を当てる。
――キィィィィィィィン……。
 まるで旧友に応えるように、美しく、哀しいほど澄んだ音が夜空へ伸びていった。
 オーウェンは目を閉じ、その音色に愛おしそうに耳を傾ける。
「ふむ。今日は天蓋樹もよく声を聞かせてくれる。きっとこの木もまた、君の旅立ちを応援しているのだろう」
「……ほんと?」
「もちろんだとも」
 オーウェンが片目をつぶり、悪戯っぽく微笑んでみせた。
 音色が消えたあとの静寂が、逆に鼓動を大きく響かせる。
 リネットは一度深く息を吐いて呼吸を整えると、意を決して口を開いた。
「……実は、村のこともなんだけど、それより引っかかってることがあって……」
 ずっと胸につかえていた棘。
 それは、「世界を救う」という大義名分とは程遠い、ある種の“わがまま”に近い本音だった。
「私が世界を救うって……言ってたよね。でも……自分の目で世界を見たい、知らないことや知らない人に出会いたいっていう……ただの好奇心が、旅の理由なんだ」
 言いながら、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
 指先に力が入り、歪んだ布地が悲鳴を上げているようだった。
「うむ、知っているとも」
「……世界を救うなんて。そんな重いもの、背負えない。私が守りたいのはこの村なんだ」
 それを聞いたオーウェンは、ほう、と白い息を夜気に溶かした。
 見上げた瞳には、無数の星が映り込んでいる。
「そうだね。たった一人の村娘が世界を救う。なんて馬鹿らしくも壮大で、夢のある話だろうか」
「……」
「だがリネット。君が世界を救う。これは事実だ」
「で、でも……」
「同時に、君がそれを負担に思う理由も正当だ。故に、私は君の意志を尊重する」
 予想外の言葉に、リネットは勢いよく顔を上げた。
 目の縁に残った涙が、月明かりを拾ってキラリと光る。
「えっ……?」
(怒られないの……? )
 説教が来ると思っていた。
 背中を叩かれ、「甘えるな」と無理やり走らされると覚悟していたのに。
「私が……旅に出ても、世界を救わなくてもいいの??」
「うむ。愛弟子が世界を救うとなれば、師匠として鼻が高いのも事実だが……」
 オーウェンは肩をすくめ、さらりと告げた。
「君が世界を救わず、その役目を拒否した場合。それは終わりではない」
「……」
「またその先に、世界を救う者が生まれるだけのことだ」
「つまり……? 私じゃなくても……」
「そう。君じゃなくとも、世界は他に『代理』を用意する」
 淡々とした声が、夜風に乗って響く。
「起きなかった未来は修正され、辿るべき歴史へと整えられる。世界の仕組みとは、そういうものだよ」
「……っ」
 残酷なくらい、冷徹で優しい説明だった。
 自分は特別じゃない。唯一無二の英雄なんかじゃない。
 けれど同時に――“唯一じゃなくていい”と、許された気がした。
「……はは。あはははっ!」
 数瞬の呆気のあと、リネットは堪えきれずに吹き出した。
 肩が揺れ、喉の奥から笑いが込み上げてくる。それは絶望ではない。胸に絡みついていた糸が、ぷつりと切れたような軽やかな音色だった。
「なんだぁ……。私てっきり、自分じゃないとダメ!! って、勝手に付け上がってただけじゃん」
 乱暴に目尻を拭い、吹っ切れた笑顔を向ける。
「そっか……。私じゃなくても大丈夫、っていうのは少し寂しい気もするけど……あの重圧を抱えるよりは、遥かにマシかも」
「ありがと、オーウェンさん! つまり、私が旅に出て世界を救えなくても、世界は勝手に代わりを用意するって事だよね?」
「ああ。その解釈で間違いないよ」
「よかったぁ……」
 リネットは両手を夜空へ突き上げ、ぐーっと背中を反らせた。
 背骨が伸びると同時に、全身にまとわりついていた見えない鉛の鎖が、ぱらぱらと砕け散っていく気がする。
「……君の重荷は取れたかな?」
「うん! おかげさまで!」
 元気よく答える弟子を見て、オーウェンは目を細めた。
「君は、君の心に従うといい。見たいものを見る。こうしたい、あれをしたい……旅に出れば様々なことを思うだろう」
「だが、その『したい』こそが、君にとっての真実だ」
「うん! これなら心置きなく、旅に出れそう」
「それは良かった。さて……今夜はよく冷える。そろそろ戻るとしようか」
 促されると、リネットは弾むように一歩踏み出し、躊躇なくオーウェンの手を取った。
「うん! あっ、そうだ! まだパーティの食べ物が残っててね……! オーウェンさんも食べてってよ!」
「おや、それは役得だ」
 子どもみたいに手を引いて歩き出す。
 その声は明るく、地面を蹴る足取りは何よりも軽い。
 二人の背を見送るように、天蓋樹の枝葉が夜風にざわりと揺れた。
――キィン。
 今度は小さく、確かめるような音が、遠い空へと溶けていった。