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少女の決意

ー/ー



――「勇者」。

 それは、かつて世界が闇に覆われた時、何の前触れもなく現れたとされる“人類の守護者”の呼び名だ。

 現れて、救って、そして去る。

 そう語り継がれてきたのは、おとぎ話の中だけの伝説だったはずだ。

 その単語が部屋に落ちた途端、鉛のような沈黙が場を支配した。

 誰も言葉を持てない中で、アランがおずおずと小さく手を挙げる。

「……わ、分からないことがあるんだけど」

「なんだね?」

 オーウェンは視線だけで続きを促した。

「お姉ちゃんが世界を救うって……旅に出たら、そういう危ないことに巻き込まれる……ってこと?」

「その通りだね。だが、心配はいらない」

 オーウェンは胸を張る。

「リネットは私が教えた魔法を使いこなせるようになった実力者だ。剣術もヴェルナー譲りで、魔物の生態にも詳しく、そして……」

「ご、ごめん。お姉ちゃんが強いのはずっと見てきた事だから知ってるんだ。でも……」

 アランが言葉を遮り、潤んだ瞳で訴える。

「僕が言ってるのは……お姉ちゃんが危ない目に遭うのは嫌だってことだよ……」

「アラン……」

(……そっか。私の強さとかじゃなくて、ただ心配してくれてるんだ)

 胸が締め付けられるような愛おしさを感じて、リネットは弟を見つめた。

 そんな空気を読めないエルフに対し、ヴェルナーがため息をつく。

「……オーウェンさんよ、ちょっとズレちまったなぁ」

「ふむ、そのようだ。人間の機微というのは難しい」

「オーウェンさん。私が世界を救うなんて言うけど……私はただの村娘だよ? 世界を救うとか、守るとか……そんな大それた目的は持てないと思う」

 それは、リネットの偽らざる本心だった。

 自分は英雄の器じゃない。

 だが、「世界を救う」という言葉を千年以上生きた賢者が口にした事実が、その逃げ道を塞いでいく。

(オーウェンさんの予言的中率は九割を超える……。それが『ただの妄言』ならどれだけよかったか)

 未来予知の域にあるその言葉は、呪いのように重かった。

「そうだね。それが当然だとも」

「……え?」

「だが、勘違いはして欲しくない」

 オーウェンは諭すように人差し指を振った。

「リネット、君は世界を救うが……君自身がなにか特別な志を持つ必要はないのだ」

「……と、いうと?」

 ヴェルナーが眉をひそめて割り込む。

「つまり……リネットは勇者のように『この世界を救ってやるぞ』とか、そういう気負いはしなくていいってことか?」


「その通り。彼女が内に秘めた熱……世界を見たい、知らないものを知りたいという渇望。その感情のままに歩むことこそが、世界を救う鍵となるのだから」

「……リネット。誕生日の祝い話からは随分と逸れちまったが、お前はどうしたい?」

 ヴェルナーが真剣な眼差しを向けてくる。

「予言だの世界平和だの言われても、俺はお前の『意志』を尊重したいんだ」

(私の……意志……)

 世界を見たい。まだ見ぬ地平、肌を焦がす未知の空気、味わったことのない料理――その憧れは、幼い頃から胸の奥で燻り続けてきた。

 けれど、現実は冷たく重い。

 自分はこの村で一番の実力者であり、守りの要だ。自分が抜けた穴を、誰が埋めるというのか。

(……止められるわけない。でも……)

 幾度も夢見ては、責任という名の鎖で自身を縛り付け、諦めてきた夜がある。

 だからこそ、今ここで即答できない。

 そんなリネットの迷いを見透かしたように、オーウェンが口を開いた。

「そういえばリネット、最近魔物が強いと言っていたね」

「え? ……ああ、うん」

「俺も今朝聞いた。だから編隊を組んで、パトロールを強化しようって話してたところだ」

「はっきり言うが……今後、魔物はますます強くなっていくだろう」

「えっ……?」

 心臓が早鐘を打つ。

 魔物が強くなる。ならば尚更、自分がこの村を離れるわけにはいかない。

(やっぱり、私が残らなきゃ……)

 決意が固まりかけた、その時だ。

 オーウェンの次の一言が、その理屈を根底から覆した。

「だがリネット。君が旅に出て世界を救えば……魔物の勢いは削がれ、かつての平和な村に戻るだろう」

「オーウェンさん、それってつまり……」

(この魔物の異変は、今の『世界の状態』が原因……? )

 点と点が繋がる。

「君の想像の通りだ。魔物の活性化、それは今、世界の根幹で何かが起ころうとしている余波に過ぎない」

 オーウェンは断言する。

「それはきっと、占いに出てきた『世界の滅亡』と関係していることだろう。ここで枝葉を払うよりも、根を断つ必要があると、そうは思わんかね?」

(つまり……私が旅に出て世界を救うことこそが、村を守ることに繋がるってこと……!? )

 「お姉ちゃん……」(アランが隣に来るとぎゅっとリネットの袖を握ってくる)

 「私は……」

 「……お前の意思を尊重するがよ、こんなきな臭い話になってきたんだ。ここはもうパーッと行ってきて旅を楽しんできたらどうだ? 」


「父さん……。そんな簡単には決められないよ」

「ふふふ、確かに。単純なヴェルナーとは違って、リネットは真面目にこの村の行く末を思慮しているからね」

「おい、オーウェンさんよ。それはあんまりじゃねぇか?」

「私は……」

 言葉を詰まらせるリネットを見て、ヴェルナーが静かに椅子から立ち上がった。

 そして、華奢な背中に優しく手を置く。

「村のことは気にするな。魔物が強くなるなら、こっちはこの『偉大な魔法使いオーウェン』をこき使ってやるまでだ」

 ヴェルナーがニカっと笑って親指を立てる。

「おや……これは予想外だ。私がこき使われるのかね?」

「とか言いながら、楽しそうじゃないか」

「ふふ、もちろん。私とてこの村を失う訳にはいかないからね。微力ながら、最大限協力させてもらうとも」

 オーウェンは涼しい顔で、しかし力強く頷いてみせた。

「……ということだ。リネット、お前の抜けた穴はオーウェンさんが埋める。お前以上の圧倒的な戦力だろ? これでもう、心配の種はなくなったんじゃないか?」

「っ……」

(確かに……。オーウェンさんが本気で防衛に加わるなら、私がいなくても戦力は落ちない。むしろ上がるくらいだ)

 最後の足枷が、音を立てて外れた気がした。

 村は大丈夫。みんなが応援してくれている。

 ならば、自分の答えはもう決まっている。

 顔を上げ、父と師匠を交互に見つめた。

「……父さん、オーウェンさん」

 吸い込んだ空気が、胸の内の火種を大きく燃え上がらせた。

「私……旅に出るよ」

(行って、世界を見て……そして、この村を救ってみせるんだ……!)

「そうか……。いよいよ、決めたんだな」

 ヴェルナーは目を細め、どこか遠くを見るような表情で呟いた。

 その瞳には、寂しさと、それ以上に大きな誇らしさが滲んでいるように見える。

「なら、今夜は仕事に出ている母さんも帰ってくる。盛大にパーティといこうじゃないか」

「本当!? やったぁ!」

「アラン、これを使って市場で一番新鮮な肉と野菜を買ってきてくれ」

 言いながら、ヴェルナーが腰の革袋を放り投げる。

 アランが慌てて受け止めると、ジャラリと重たい銀貨の音が鳴った。

「うわっ、重っ……! こんなにいいの?」

「門出の祝いだ。ケチケチするなよ」

「分かった! 任せて、一番いいやつ買ってくる!」

 アランは弾かれたように飛び出し、パタパタと軽快な足音を響かせて玄関を飛び出していった。



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――「勇者」。
 それは、かつて世界が闇に覆われた時、何の前触れもなく現れたとされる“人類の守護者”の呼び名だ。
 現れて、救って、そして去る。
 そう語り継がれてきたのは、おとぎ話の中だけの伝説だったはずだ。
 その単語が部屋に落ちた途端、鉛のような沈黙が場を支配した。
 誰も言葉を持てない中で、アランがおずおずと小さく手を挙げる。
「……わ、分からないことがあるんだけど」
「なんだね?」
 オーウェンは視線だけで続きを促した。
「お姉ちゃんが世界を救うって……旅に出たら、そういう危ないことに巻き込まれる……ってこと?」
「その通りだね。だが、心配はいらない」
 オーウェンは胸を張る。
「リネットは私が教えた魔法を使いこなせるようになった実力者だ。剣術もヴェルナー譲りで、魔物の生態にも詳しく、そして……」
「ご、ごめん。お姉ちゃんが強いのはずっと見てきた事だから知ってるんだ。でも……」
 アランが言葉を遮り、潤んだ瞳で訴える。
「僕が言ってるのは……お姉ちゃんが危ない目に遭うのは嫌だってことだよ……」
「アラン……」
(……そっか。私の強さとかじゃなくて、ただ心配してくれてるんだ)
 胸が締め付けられるような愛おしさを感じて、リネットは弟を見つめた。
 そんな空気を読めないエルフに対し、ヴェルナーがため息をつく。
「……オーウェンさんよ、ちょっとズレちまったなぁ」
「ふむ、そのようだ。人間の機微というのは難しい」
「オーウェンさん。私が世界を救うなんて言うけど……私はただの村娘だよ? 世界を救うとか、守るとか……そんな大それた目的は持てないと思う」
 それは、リネットの偽らざる本心だった。
 自分は英雄の器じゃない。
 だが、「世界を救う」という言葉を千年以上生きた賢者が口にした事実が、その逃げ道を塞いでいく。
(オーウェンさんの予言的中率は九割を超える……。それが『ただの妄言』ならどれだけよかったか)
 未来予知の域にあるその言葉は、呪いのように重かった。
「そうだね。それが当然だとも」
「……え?」
「だが、勘違いはして欲しくない」
 オーウェンは諭すように人差し指を振った。
「リネット、君は世界を救うが……君自身がなにか特別な志を持つ必要はないのだ」
「……と、いうと?」
 ヴェルナーが眉をひそめて割り込む。
「つまり……リネットは勇者のように『この世界を救ってやるぞ』とか、そういう気負いはしなくていいってことか?」
「その通り。彼女が内に秘めた熱……世界を見たい、知らないものを知りたいという渇望。その感情のままに歩むことこそが、世界を救う鍵となるのだから」
「……リネット。誕生日の祝い話からは随分と逸れちまったが、お前はどうしたい?」
 ヴェルナーが真剣な眼差しを向けてくる。
「予言だの世界平和だの言われても、俺はお前の『意志』を尊重したいんだ」
(私の……意志……)
 世界を見たい。まだ見ぬ地平、肌を焦がす未知の空気、味わったことのない料理――その憧れは、幼い頃から胸の奥で燻り続けてきた。
 けれど、現実は冷たく重い。
 自分はこの村で一番の実力者であり、守りの要だ。自分が抜けた穴を、誰が埋めるというのか。
(……止められるわけない。でも……)
 幾度も夢見ては、責任という名の鎖で自身を縛り付け、諦めてきた夜がある。
 だからこそ、今ここで即答できない。
 そんなリネットの迷いを見透かしたように、オーウェンが口を開いた。
「そういえばリネット、最近魔物が強いと言っていたね」
「え? ……ああ、うん」
「俺も今朝聞いた。だから編隊を組んで、パトロールを強化しようって話してたところだ」
「はっきり言うが……今後、魔物はますます強くなっていくだろう」
「えっ……?」
 心臓が早鐘を打つ。
 魔物が強くなる。ならば尚更、自分がこの村を離れるわけにはいかない。
(やっぱり、私が残らなきゃ……)
 決意が固まりかけた、その時だ。
 オーウェンの次の一言が、その理屈を根底から覆した。
「だがリネット。君が旅に出て世界を救えば……魔物の勢いは削がれ、かつての平和な村に戻るだろう」
「オーウェンさん、それってつまり……」
(この魔物の異変は、今の『世界の状態』が原因……? )
 点と点が繋がる。
「君の想像の通りだ。魔物の活性化、それは今、世界の根幹で何かが起ころうとしている余波に過ぎない」
 オーウェンは断言する。
「それはきっと、占いに出てきた『世界の滅亡』と関係していることだろう。ここで枝葉を払うよりも、根を断つ必要があると、そうは思わんかね?」
(つまり……私が旅に出て世界を救うことこそが、村を守ることに繋がるってこと……!? )
 「お姉ちゃん……」(アランが隣に来るとぎゅっとリネットの袖を握ってくる)
 「私は……」
 「……お前の意思を尊重するがよ、こんなきな臭い話になってきたんだ。ここはもうパーッと行ってきて旅を楽しんできたらどうだ? 」
「父さん……。そんな簡単には決められないよ」
「ふふふ、確かに。単純なヴェルナーとは違って、リネットは真面目にこの村の行く末を思慮しているからね」
「おい、オーウェンさんよ。それはあんまりじゃねぇか?」
「私は……」
 言葉を詰まらせるリネットを見て、ヴェルナーが静かに椅子から立ち上がった。
 そして、華奢な背中に優しく手を置く。
「村のことは気にするな。魔物が強くなるなら、こっちはこの『偉大な魔法使いオーウェン』をこき使ってやるまでだ」
 ヴェルナーがニカっと笑って親指を立てる。
「おや……これは予想外だ。私がこき使われるのかね?」
「とか言いながら、楽しそうじゃないか」
「ふふ、もちろん。私とてこの村を失う訳にはいかないからね。微力ながら、最大限協力させてもらうとも」
 オーウェンは涼しい顔で、しかし力強く頷いてみせた。
「……ということだ。リネット、お前の抜けた穴はオーウェンさんが埋める。お前以上の圧倒的な戦力だろ? これでもう、心配の種はなくなったんじゃないか?」
「っ……」
(確かに……。オーウェンさんが本気で防衛に加わるなら、私がいなくても戦力は落ちない。むしろ上がるくらいだ)
 最後の足枷が、音を立てて外れた気がした。
 村は大丈夫。みんなが応援してくれている。
 ならば、自分の答えはもう決まっている。
 顔を上げ、父と師匠を交互に見つめた。
「……父さん、オーウェンさん」
 吸い込んだ空気が、胸の内の火種を大きく燃え上がらせた。
「私……旅に出るよ」
(行って、世界を見て……そして、この村を救ってみせるんだ……!)
「そうか……。いよいよ、決めたんだな」
 ヴェルナーは目を細め、どこか遠くを見るような表情で呟いた。
 その瞳には、寂しさと、それ以上に大きな誇らしさが滲んでいるように見える。
「なら、今夜は仕事に出ている母さんも帰ってくる。盛大にパーティといこうじゃないか」
「本当!? やったぁ!」
「アラン、これを使って市場で一番新鮮な肉と野菜を買ってきてくれ」
 言いながら、ヴェルナーが腰の革袋を放り投げる。
 アランが慌てて受け止めると、ジャラリと重たい銀貨の音が鳴った。
「うわっ、重っ……! こんなにいいの?」
「門出の祝いだ。ケチケチするなよ」
「分かった! 任せて、一番いいやつ買ってくる!」
 アランは弾かれたように飛び出し、パタパタと軽快な足音を響かせて玄関を飛び出していった。