十八歳の誕生日
ー/ー
ここはファボリタ大陸。
その最北端――険しい山岳地帯の懐深くに、ひとつの村が息づいている。
名を、リーベンバウム。
天蓋を突き破らんばかりに聳え立つ巨大な神木。その根元に抱かれるようにして作られた、小さな集落だ。
悠久の時を生きる神木『天蓋樹』は、あらゆる災厄から村を庇護するという伝説を持つ。
長い歴史の淀みには、かつてこの地から世界を救う勇者が輩出された――世界を救った勇者は、旅の始まりも終わりも、この地に結びついていた――そんな伝承が、まことしやかに、しかし妙な現実味を伴って語り継がれていた。
だが、この村の本質は「平穏」ではない。
牧歌的な風景とは裏腹に、村人たちは日常的に魔物を狩り、その血肉を糧として生きている。
理由は単純。この土地が、魔物にとっても人にとっても、あまりに“栄養価が高すぎる”からだ。
大気に満ちる濃厚な魔素は、極上の食材と高純度の魔鉱石を育む。
その恵みを喰らった魔物は、往々にして通常の個体とは比較にならぬほどの脅威へと変貌を遂げてしまう。
そして、その脅威に対抗して生きる村人たちもまた、例外ではない。
彼らは、神木によって育まれたという伝承を誇りとし、自らを『木の守り人』と定義づける。
その証として、村の住民は皆、ミドルネームに「リーベンバウム」の名を背負っているのであった。
~*~*~*~
「……んぅ」
隙間から忍び込んだ冷気が、無防備な肌をなぞっていく。
「ふぁぁ~……」
(もう朝か……。起きないとね……)
大きな欠伸と共に、両腕をぐーっと天井へ突き上げる。
そのままベッドを降りて、ふらりと鏡の前へ。映り込んだのは、手ぐしではどうにもならないほど爆発した寝癖だった。
(……まぁいっか)
気にせず階段を下り、広間へ向かう。
「おっ。起きたか……って」
声を掛けてきたのは父、ヴェルナーだ。
村長補佐を務める彼は、立派な顎髭を指で梳きながら、湯気の立つコーヒーカップを傾けていた。
香ばしい匂いが、朝の意識を覚醒させる。
次いで父の視線が、呆れたように細められた。
「おいおい、すごい頭にすごい格好してるぞ? 年頃の女の子だろう……腹をしまえ腹を」
「ん……?」
言われて、何気なく視線を落とす。
その瞬間、思考が止まった。
寝間着の裾が、ありえない位置まで捲れ上がっていたのだ。
朝の光に白く浮かび上がるのは、しなやかなウエストの曲線と、無防備なへその窪み。
誰にも見せるつもりのない柔らかな素肌が、あろうことか父の目の前で完全に晒されている。
「……っ」
一瞬で耳まで熱くなるのが分かった。
リネットは弾かれたように裾を引ったくり、その白い肢体を慌てて隠した。
「通りで寒いと思った……」
「ったく……。そういえば、搾りたてのミルクを貰ってな。飲むか?」
「うん。飲む」
ふっと笑ったヴェルナーが、厨房へ消える。
やがて二人で食卓を囲むと、注がれたミルクの白さが、窓からの陽光でやけに眩しく見えた。
「そういえば、昨日はアランとエンリが危なかったんだって?」
「うん。結構ギリギリだったよ」
「……近頃、魔物共の動きがやけに活発だな」
ヴェルナーがカップを置き、太い腕を組む。
刻まれた眉間の皺が、事態の重さを物語っていた。
「そうだね……前より個体も強くなってる気がする」
リネットは指先で机をトントンと叩く。考えを整理するときの癖だ。
「昨日戦ったオークキングも、かなり老練な動きだったし」
「そうか。お前の実力をもってそう言うなら、間違いないんだろう」
「……父さん。森の巡回、もう少し編隊を強化した方がいいかも」
「……分かった。実力が付いてきた若手も増えてるしな。早速パトロールを再編しよう」
話がまとまりかけた時、頭上からドタバタと慌ただしい音が降ってきた。
階段を駆け下りる気配が近づき、勢いよく扉が開く。
「アラン、騒がしいぞ」
「ご、ごめん……」
「おはよ、アラン」
リネットが苦笑すると、弟のアランはバツが悪そうに肩をすくめた。
そのまま隣に座り、膝の上の包みを差し出してくる。その指先が、どこか落ち着きなく遊んでいた。
「おはよう、お姉ちゃん。 はいこれ」
「……ん? なにこれ?」
「なにって……お姉ちゃん忘れたの?」
アランが目を丸くする。
「今日はお姉ちゃんの十八歳の誕生日だよ? そのプレゼント」
「…………あっ」
(……そっか。今日は私の誕生日だ。すっかり忘れてたなぁ)
「はぁ……普通自分の誕生日を忘れる?」
アランは額に手を当てて、わざとらしく大きなため息をついた。
「……あはは。アラン、開けてもいいかな?」
「……うん」
リネットは箱を丁寧な手つきで開け始める。
「っ……! これは!」
息を飲む。
箱の中に鎮座していたのは、見事な『カロルの実』だった。
「綺麗……」
そっと指先でつまみ上げ、光にかざす。
本来ならすぐに萎びてしまうはずの実が、特殊な樹脂でコーティングされ、まるで琥珀の宝石のように艶めいている。
「……しかもこれ、加工してあるんだね。腐らないように……」
「……そんなもので、良かったのかな……」
アランが不安げに上目遣いでこちらを見てくる。
その顔を見た瞬間、リネットの中で愛おしさが爆発した。
「何言ってるの! 嬉しいに決まってるじゃん! アランっ!」
「うわっ、お姉ちゃん!?」
座ったまま、アランの頭を胸元に引き寄せてぎゅうっと抱きしめる。
(あーもう、可愛いなぁ! )
「……アラン。それは随分と上等な加工だが、結構値が張ったんじゃないか?」
呆気にとられていたヴェルナーが、感心したように口を挟む。
「……そ、それなんだけど。お金はしっかり貯めてたんだ。でも、鍛治職人のゲンさんが……『お姉ちゃんに渡すなら半額でいい』って」
「……っ」
(ゲンさん……! )
胸の奥がじわりと温かくなる。
村の人たちにも、アランにも、こんなに想われている。
「……すっごく嬉しいよ! ありがとうアラン、一生大切にするね!」
腕を緩め、くしゃくしゃになったアランの髪を優しく撫で回す。
「えへへ……」
アランが嬉しそうに、はにかんだ笑みをこぼす。
リネットはその笑顔に癒やされつつ、くるりと視線を父へ転じた。
「……ところで、父さんは何をくれるの??」
「へっ??」
間抜けな声が漏れる。ヴェルナーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まった。
「『へっ』じゃなくて。可愛い弟のアランがくれたのに、まさか父さんがくれない……なんてことは、まさか無いよね~?」
「……自分の誕生日を忘れてた奴の言葉じゃないだろうに」
「えへへ」
痛いところを突かれて笑って誤魔化すと、ヴェルナーは大きく咳払いをした。
椅子に座り直し、少しだけ顎を上げて自信ありげな表情を作る。
「……まぁ、愛娘の誕生日だ。しっかり用意してあるぞ」
「えっ? そうなの? 意外……」
「…………」
目に見えてヴェルナーの肩が落ちた。
「うそうそ! 嘘だよ父さん、信じてたよ!」
慌ててフォローを入れると、ヴェルナーは気を取り直すように表情を引き締める。
先ほどまでの冗談めいた空気が、ふっと消えた。
「リネット、お前……ずっと前から旅に出たがってたろ」
「っ……!」
心臓が、とくんと跳ねる。
(旅……。うん……その気持ちは変わらない。ずっと鎮まることなく、この胸の奥で燻り続けてるもの)
「……うん」
短く肯定する。
ヴェルナーは真っ直ぐに娘の目を見つめ返した。
「村の皆がお前の夢を、知っている。そして応援しているんだ」
「え……」
ドクン、ドクンと、鼓動の音が耳の奥で加速していく。
ヴェルナーの低い声が、静まり返った広間に響いた。
「そこで、俺たちは村長に掛け合って……リネットが旅に出る許可をいただいてきた」
(……!! )
「リネット、お前の十八歳の誕生日に贈るもの。それは……」
ヴェルナーは一拍置き、力強く告げた。
「『旅の許可』だ。お前はもう、どこへ行ってもいいんだ」
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その最北端――険しい山岳地帯の懐深くに、ひとつの村が息づいている。
名を、リーベンバウム。
天蓋を突き破らんばかりに聳え立つ巨大な神木。その根元に抱かれるようにして作られた、小さな集落だ。
悠久の時を生きる神木『天蓋樹』は、あらゆる災厄から村を庇護するという伝説を持つ。
長い歴史の淀みには、かつてこの地から世界を救う勇者が輩出された――世界を救った勇者は、旅の始まりも終わりも、この地に結びついていた――そんな伝承が、まことしやかに、しかし妙な現実味を伴って語り継がれていた。
だが、この村の本質は「平穏」ではない。
牧歌的な風景とは裏腹に、村人たちは日常的に魔物を狩り、その血肉を糧として生きている。
理由は単純。この土地が、魔物にとっても人にとっても、あまりに“栄養価が高すぎる”からだ。
大気に満ちる濃厚な|魔素《マナ》は、極上の食材と高純度の魔鉱石を育む。
その恵みを喰らった魔物は、往々にして通常の個体とは比較にならぬほどの脅威へと変貌を遂げてしまう。
そして、その脅威に対抗して生きる村人たちもまた、例外ではない。
彼らは、神木によって育まれたという伝承を誇りとし、自らを『木の守り人』と定義づける。
その証として、村の住民は皆、ミドルネームに「リーベンバウム」の名を背負っているのであった。
~*~*~*~
「……んぅ」
隙間から忍び込んだ冷気が、無防備な肌をなぞっていく。
「ふぁぁ~……」
(もう朝か……。起きないとね……)
大きな欠伸と共に、両腕をぐーっと天井へ突き上げる。
そのままベッドを降りて、ふらりと鏡の前へ。映り込んだのは、手ぐしではどうにもならないほど爆発した寝癖だった。
(……まぁいっか)
気にせず階段を下り、広間へ向かう。
「おっ。起きたか……って」
声を掛けてきたのは父、ヴェルナーだ。
村長補佐を務める彼は、立派な顎髭を指で梳きながら、湯気の立つコーヒーカップを傾けていた。
香ばしい匂いが、朝の意識を覚醒させる。
次いで父の視線が、呆れたように細められた。
「おいおい、すごい頭にすごい格好してるぞ? 年頃の女の子だろう……腹をしまえ腹を」
「ん……?」
言われて、何気なく視線を落とす。
その瞬間、思考が止まった。
寝間着の裾が、ありえない位置まで捲れ上がっていたのだ。
朝の光に白く浮かび上がるのは、しなやかなウエストの曲線と、無防備なへその窪み。
誰にも見せるつもりのない柔らかな素肌が、あろうことか父の目の前で完全に晒されている。
「……っ」
一瞬で耳まで熱くなるのが分かった。
リネットは弾かれたように裾を引ったくり、その白い肢体を慌てて隠した。
「通りで寒いと思った……」
「ったく……。そういえば、搾りたてのミルクを貰ってな。飲むか?」
「うん。飲む」
ふっと笑ったヴェルナーが、厨房へ消える。
やがて二人で食卓を囲むと、注がれたミルクの白さが、窓からの陽光でやけに眩しく見えた。
「そういえば、昨日はアランとエンリが危なかったんだって?」
「うん。結構ギリギリだったよ」
「……近頃、魔物共の動きがやけに活発だな」
ヴェルナーがカップを置き、太い腕を組む。
刻まれた眉間の皺が、事態の重さを物語っていた。
「そうだね……前より個体も強くなってる気がする」
リネットは指先で机をトントンと叩く。考えを整理するときの癖だ。
「昨日戦ったオークキングも、かなり老練な動きだったし」
「そうか。お前の実力をもってそう言うなら、間違いないんだろう」
「……父さん。森の巡回、もう少し編隊を強化した方がいいかも」
「……分かった。実力が付いてきた若手も増えてるしな。早速パトロールを再編しよう」
話がまとまりかけた時、頭上からドタバタと慌ただしい音が降ってきた。
階段を駆け下りる気配が近づき、勢いよく扉が開く。
「アラン、騒がしいぞ」
「ご、ごめん……」
「おはよ、アラン」
リネットが苦笑すると、弟のアランはバツが悪そうに肩をすくめた。
そのまま隣に座り、膝の上の包みを差し出してくる。その指先が、どこか落ち着きなく遊んでいた。
「おはよう、お姉ちゃん。 はいこれ」
「……ん? なにこれ?」
「なにって……お姉ちゃん忘れたの?」
アランが目を丸くする。
「今日はお姉ちゃんの十八歳の誕生日だよ? そのプレゼント」
「…………あっ」
(……そっか。今日は私の誕生日だ。すっかり忘れてたなぁ)
「はぁ……普通自分の誕生日を忘れる?」
アランは額に手を当てて、わざとらしく大きなため息をついた。
「……あはは。アラン、開けてもいいかな?」
「……うん」
リネットは箱を丁寧な手つきで開け始める。
「っ……! これは!」
息を飲む。
箱の中に鎮座していたのは、見事な『カロルの実』だった。
「綺麗……」
そっと指先でつまみ上げ、光にかざす。
本来ならすぐに萎びてしまうはずの実が、特殊な樹脂でコーティングされ、まるで琥珀の宝石のように艶めいている。
「……しかもこれ、加工してあるんだね。腐らないように……」
「……そんなもので、良かったのかな……」
アランが不安げに上目遣いでこちらを見てくる。
その顔を見た瞬間、リネットの中で愛おしさが爆発した。
「何言ってるの! 嬉しいに決まってるじゃん! アランっ!」
「うわっ、お姉ちゃん!?」
座ったまま、アランの頭を胸元に引き寄せてぎゅうっと抱きしめる。
(あーもう、可愛いなぁ! )
「……アラン。それは随分と上等な加工だが、結構値が張ったんじゃないか?」
呆気にとられていたヴェルナーが、感心したように口を挟む。
「……そ、それなんだけど。お金はしっかり貯めてたんだ。でも、鍛治職人のゲンさんが……『お姉ちゃんに渡すなら半額でいい』って」
「……っ」
(ゲンさん……! )
胸の奥がじわりと温かくなる。
村の人たちにも、アランにも、こんなに想われている。
「……すっごく嬉しいよ! ありがとうアラン、一生大切にするね!」
腕を緩め、くしゃくしゃになったアランの髪を優しく撫で回す。
「えへへ……」
アランが嬉しそうに、はにかんだ笑みをこぼす。
リネットはその笑顔に癒やされつつ、くるりと視線を父へ転じた。
「……ところで、父さんは何をくれるの??」
「へっ??」
間抜けな声が漏れる。ヴェルナーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まった。
「『へっ』じゃなくて。可愛い弟のアランがくれたのに、まさか父さんがくれない……なんてことは、まさか無いよね~?」
「……自分の誕生日を忘れてた奴の言葉じゃないだろうに」
「えへへ」
痛いところを突かれて笑って誤魔化すと、ヴェルナーは大きく咳払いをした。
椅子に座り直し、少しだけ顎を上げて自信ありげな表情を作る。
「……まぁ、愛娘の誕生日だ。しっかり用意してあるぞ」
「えっ? そうなの? 意外……」
「…………」
目に見えてヴェルナーの肩が落ちた。
「うそうそ! 嘘だよ父さん、信じてたよ!」
慌ててフォローを入れると、ヴェルナーは気を取り直すように表情を引き締める。
先ほどまでの冗談めいた空気が、ふっと消えた。
「リネット、お前……ずっと前から旅に出たがってたろ」
「っ……!」
心臓が、とくんと跳ねる。
(旅……。うん……その気持ちは変わらない。ずっと鎮まることなく、この胸の奥で燻り続けてるもの)
「……うん」
短く肯定する。
ヴェルナーは真っ直ぐに娘の目を見つめ返した。
「村の皆がお前の夢を、知っている。そして応援しているんだ」
「え……」
ドクン、ドクンと、鼓動の音が耳の奥で加速していく。
ヴェルナーの低い声が、静まり返った広間に響いた。
「そこで、俺たちは村長に掛け合って……リネットが旅に出る許可をいただいてきた」
(……!! )
「リネット、お前の十八歳の誕生日に贈るもの。それは……」
ヴェルナーは一拍置き、力強く告げた。
「『旅の許可』だ。お前はもう、どこへ行ってもいいんだ」