リーベンバウムの少女
ー/ー「おりゃあぁぁぁぁッ!!!!」
リネットの踏み込みが地面を抉り、鋭い蹴りがオークキングの顎へ走った。
踵が捉える。硬い骨の感触が足裏に返り、巨体の頭がわずかに跳ねる。
――なのに、倒れない。
オークキングは怯むどころか、ぎらりと双眸を光らせた。
次の瞬間。
腹の底を叩くような咆哮が、森の空気を押し潰す。
「わわっ……!」
圧が胸にのしかかり、リネットの足が半歩ぶん滑った。
視界が揺れた、その隙へ――拳が落ちてくる。
叩きつける一撃。
地面ごと砕く重さを、リネットは身体を捻って紙一重で躱した。
直後、横薙ぎ。
風圧が頬を掠め、髪がふわりと舞う。
「ッ……! 当たらないよ!!」
リネットの手のひらに、緑色の紋様が灯る。
そこから風が巻き起こり、彼女は低く滑り込んだ。
地を這うスライディング。
横薙ぎの射程を抜け、そのまま背後へ回り込む。
「こんのぉぉぉっ!!!」
オークキングが振り向く。
その“回り切った瞬間”を、リネットは逃さない。
回し蹴りが弧を描き、踵が顎へ叩き込まれた。
巨体の首が不自然に跳ね、脳まで揺さぶられたみたいにぐらりと沈む。
片手と膝が、地面へ落ちた。
(崩れたッ!!)
リネットは踵にも緑の紋様を走らせる。
風が噴射され、身体がふわりと浮き上がった。
浮いた一瞬を、叩き込む力に変える。
踵が下から顎をかち上げ、巨体がさらに沈む。
喉の奥を潰されたような呻きが漏れ、オークキングは地面へ倒れ込んだ。
(いまだッ!!)
リネットは勢いよく後方へ跳ぶ。
姿勢を前のめりにして、足裏へ魔力を溜めた。
ブーツの底が熱を帯び、細い火花が散りはじめる。
次の瞬間、彼女は跳んだ――獲物へ一直線に。
一歩、踏む。
足が地面を叩くたび、爆ぜる衝撃が推進力に変わり、速度が跳ね上がる。
二歩、三歩。加速、加速。
リネットの輪郭が熱に滲み、炎を纏った弾丸みたいに突き抜けた。
オークキングの目が見開かれる。
オークキングは抵抗しようとするが、──もう遅い。
「これでッ!!! 終わりッ!!!!!」
腹部へ、炎を纏った蹴りが炸裂した。
中心から破裂するような爆発が起こり、上半身が一瞬で消し飛ぶ。
残された下半身だけが、遅れて力を失った。
巨体は重く傾き、ゆっくりと地面へ崩れ落ちる。
「ふぅっ……」
リネットはつま先を軽く鳴らすように地面へ当てた。
まだ残る熱が、細い火花になって散る。
(どうにかオークキングは倒せたけど……)
彼女は息を整えながら、周囲へ視線を走らせた。
木々の間、草の揺れ、土の匂い――気配の流れを拾う。
(……うん。魔物の気配はもうないね)
「二人とも、もう大丈夫だよ。出ておいで」
リネットは振り返り、背後の茂みに向けて声を投げた。
がさごそと茂みが揺れて、まずアッシュグレーの髪の少年が顔を出した。続いて、茶髪の少女が恐る恐る続く。二人とも十歳くらい。泥と葉っぱをまとったままだ。
リネットは駆け寄り、視線を合わせるためにしゃがみ込む。
そっと二人の肩に手を置いた。
「二人とも、無事で良かった……」
そのまま、ぎゅっと抱きしめる。小さな背中が震えていた。
(よかった……どうにか間に合った)
少しだけ力を緩めて、顔を覗き込む。
「アラン、エンリ。どうしてオークキングなんかに追われてたの?」
「……それは」
アランの喉が詰まる。言葉が出ない。
エンリは唇を噛み、弱々しく首を振った。
「……アラン君……リネットさんを困らせちゃうから……言った方が……」
「…………」
「アラン? 言わないと分からないよ。オークキングがあんなに気が立ってたのには、理由があるはずなんだから」
「……っ」
「……ア、アラン君。言おう……?」
エンリに背中を押される形で、アランが観念したように頷いた。
「実は、エンリちゃんと森で遊んでたんだ」
「うん」
リネットは頷いて、先を促す。
「そしたらさ……森の奥に大きな穴があって……」
「……まさか、その中に入ったの?」
「……うん。中に何があるのか、気になったんだ」
アランの声が小さくなる。
「中には何もいなかったんだけど……その穴、魔物の巣だったみたいで……帰ってきたオークキングと、鉢合わせになって……」
(それで、自分の縄張りを荒らされたと思ったオークキングが怒ったってことね……)
リネットの指が、アランの額へすっと伸びる。
小さく弾く音がして、アランの体がびくっと跳ねた。
「いてっ……」
「アラン。何考えてるの? 森には魔物の巣がたくさんあるの、知ってたでしょ?」
「ご、ごめんなさい……!」
エンリが涙目で前に出て、慌てて頭を下げる。
「リネットさん……! 私も……私も気になって、入っちゃったんです……」
「……エンリも、ダメだよ?」
リネットの声は柔らかい。けれど、芯が硬い。
「いくら私たちが巡回してるとはいえ、狩りきれる魔物の数じゃないの。だから、森で遊ぶにしても……村の傍から離れない」
言い切ってから、二人の目を順番に見た。
逃げ道を作らない、まっすぐな視線。
「そういう、命を守るための決まりでしょ?」
「…………」
アランが俯いたまま黙り込む。
エンリが震える声で、リネットを見上げた。
「ご、ごめんなさい……リネットさん……」
「……今回は、たまたまオーウェンさんの占いのおかげで、間に合っただけ」
リネットは息を整えながら、言葉を選ぶ。
責めたいわけじゃない。けれど、ここは曖昧にできない。
「それは“運が良かった”からなの。次も同じとは限らない」
視線をアランへ戻す。
叱る目じゃない。約束を結ぶ目だ。
「アラン。ルールに縛られるのが嫌だって気持ち、わかるよ」
その上で、少しだけ声を落とす。
「でも……あなたはその行いで、エンリまで危険に晒したこと。忘れないで」
「っ……!!!!」
アランが、ばっとエンリの方を見る。
その顔が、みるみる崩れていった。
「……ご、ごめ……エンリちゃん……!」
言葉が喉につかえて、声が裏返る。
「お、俺……かっこいいところ、見せたくて……! うううっ……!」
大粒の涙が頬を伝って落ちる。
エンリが慌てて首を振りながら、うんうんと頷いた。
「うん……うん……!」
(……わかるよ。アランは弟だもん。気になる女の子に、かっこいいところを見せたかったんだよね。ルールに縛られるのが嫌になる、そういう年頃なのも)
リネットは小さく息を吐き、指先でアランの涙の落ちる先を遮るみたいに手を差し出す。
「アラン。本当に“かっこいい”って、なんだろうね?」
「……ゆ、勇敢で……怖いことから逃げない……」
リネットの指が、そっとアランの額へ伸びる。
軽く弾くと、柔らかい音がした。
「いてっ……」
「違うよ」
「本当にかっこいいのは……大切な人を危険な目に合わせないこと」
リネットは、エンリにも同じ視線を向けた。
二人まとめて、覚えてほしいから。
「無謀に立ち向かうんじゃなくて……逃げる勇気も持つこと。……だよ」
背後で、空気がきしむように鳴った。
空間が、わずかに歪む。
反射で振り返る。
そこに立っていたのは――エルフのオーウェンだった。
「やぁ。どうやら間に合ったようだね」
「……ふむ」
オーウェンの視線が、アランとエンリの頭から足先へ、すっと落ちる。
指先がわずかに動いて、二人の立ち姿を確かめるみたいに止まった。
リネットも同じように見る。
泥と葉はついている。けれど、どこかを庇う仕草はない。
「幸い、怪我も無さそうだね」
「うん。オーウェンさんが慌てて巡回中の私のところに来てくれたから、そのおかげだよ」
そのまま、リネットは頭を下げた。
「オーウェンさん、ありがとう」
「なに、気にすることはない。私は占いしか出来ないからね」
(その占いが異常なくらい当たるから、村のみんなが頼るようになったんだけどね……)
オーウェンは子どもたちへ向き直る。
口調は柔らかいのに、言葉の芯が折れない。
「さて、二人とも」
アランとエンリの肩が、きゅっと縮こまった。
「リネットから怒られただろうが、今回の件はよく反省するのだよ。失われた命は戻ることがないのだから」
「うん……」
「はい……」
「うむ。よろしい。リネットのお灸が効いたようだ」
にっこり。
その笑顔が、妙に余裕たっぷりで腹立たしい。
「ちょっとオーウェンさん! それどういう意味!?」
「ふふふ。さぁね」
肩をすくめる仕草だけで、するりと逃げられる。
リネットの頬がむずむずする。
「ここにずっといると、また魔物が現れる。村に帰ろう」
オーウェンが、アランとエンリへ手を差し出す。
二人はぎゅっと、その大きな手を握った。
少し前まで震えていた指先が、ほんの少しだけ落ち着いて見えた。
「ちょっとオーウェンさん!」
リネットが抗議の声を投げても、オーウェンは振り返らない。
その背中が「ほら、置いていくよ」と言っているようだ。
リネットは息をひとつ吐いてから、二人の後ろに付いた。
森の出口の向こう、村へ続く道が見えた瞬間――胸の奥が、ようやくほどけていく。
リネットの踏み込みが地面を抉り、鋭い蹴りがオークキングの顎へ走った。
踵が捉える。硬い骨の感触が足裏に返り、巨体の頭がわずかに跳ねる。
――なのに、倒れない。
オークキングは怯むどころか、ぎらりと双眸を光らせた。
次の瞬間。
腹の底を叩くような咆哮が、森の空気を押し潰す。
「わわっ……!」
圧が胸にのしかかり、リネットの足が半歩ぶん滑った。
視界が揺れた、その隙へ――拳が落ちてくる。
叩きつける一撃。
地面ごと砕く重さを、リネットは身体を捻って紙一重で躱した。
直後、横薙ぎ。
風圧が頬を掠め、髪がふわりと舞う。
「ッ……! 当たらないよ!!」
リネットの手のひらに、緑色の紋様が灯る。
そこから風が巻き起こり、彼女は低く滑り込んだ。
地を這うスライディング。
横薙ぎの射程を抜け、そのまま背後へ回り込む。
「こんのぉぉぉっ!!!」
オークキングが振り向く。
その“回り切った瞬間”を、リネットは逃さない。
回し蹴りが弧を描き、踵が顎へ叩き込まれた。
巨体の首が不自然に跳ね、脳まで揺さぶられたみたいにぐらりと沈む。
片手と膝が、地面へ落ちた。
(崩れたッ!!)
リネットは踵にも緑の紋様を走らせる。
風が噴射され、身体がふわりと浮き上がった。
浮いた一瞬を、叩き込む力に変える。
踵が下から顎をかち上げ、巨体がさらに沈む。
喉の奥を潰されたような呻きが漏れ、オークキングは地面へ倒れ込んだ。
(いまだッ!!)
リネットは勢いよく後方へ跳ぶ。
姿勢を前のめりにして、足裏へ魔力を溜めた。
ブーツの底が熱を帯び、細い火花が散りはじめる。
次の瞬間、彼女は跳んだ――獲物へ一直線に。
一歩、踏む。
足が地面を叩くたび、爆ぜる衝撃が推進力に変わり、速度が跳ね上がる。
二歩、三歩。加速、加速。
リネットの輪郭が熱に滲み、炎を纏った弾丸みたいに突き抜けた。
オークキングの目が見開かれる。
オークキングは抵抗しようとするが、──もう遅い。
「これでッ!!! 終わりッ!!!!!」
腹部へ、炎を纏った蹴りが炸裂した。
中心から破裂するような爆発が起こり、上半身が一瞬で消し飛ぶ。
残された下半身だけが、遅れて力を失った。
巨体は重く傾き、ゆっくりと地面へ崩れ落ちる。
「ふぅっ……」
リネットはつま先を軽く鳴らすように地面へ当てた。
まだ残る熱が、細い火花になって散る。
(どうにかオークキングは倒せたけど……)
彼女は息を整えながら、周囲へ視線を走らせた。
木々の間、草の揺れ、土の匂い――気配の流れを拾う。
(……うん。魔物の気配はもうないね)
「二人とも、もう大丈夫だよ。出ておいで」
リネットは振り返り、背後の茂みに向けて声を投げた。
がさごそと茂みが揺れて、まずアッシュグレーの髪の少年が顔を出した。続いて、茶髪の少女が恐る恐る続く。二人とも十歳くらい。泥と葉っぱをまとったままだ。
リネットは駆け寄り、視線を合わせるためにしゃがみ込む。
そっと二人の肩に手を置いた。
「二人とも、無事で良かった……」
そのまま、ぎゅっと抱きしめる。小さな背中が震えていた。
(よかった……どうにか間に合った)
少しだけ力を緩めて、顔を覗き込む。
「アラン、エンリ。どうしてオークキングなんかに追われてたの?」
「……それは」
アランの喉が詰まる。言葉が出ない。
エンリは唇を噛み、弱々しく首を振った。
「……アラン君……リネットさんを困らせちゃうから……言った方が……」
「…………」
「アラン? 言わないと分からないよ。オークキングがあんなに気が立ってたのには、理由があるはずなんだから」
「……っ」
「……ア、アラン君。言おう……?」
エンリに背中を押される形で、アランが観念したように頷いた。
「実は、エンリちゃんと森で遊んでたんだ」
「うん」
リネットは頷いて、先を促す。
「そしたらさ……森の奥に大きな穴があって……」
「……まさか、その中に入ったの?」
「……うん。中に何があるのか、気になったんだ」
アランの声が小さくなる。
「中には何もいなかったんだけど……その穴、魔物の巣だったみたいで……帰ってきたオークキングと、鉢合わせになって……」
(それで、自分の縄張りを荒らされたと思ったオークキングが怒ったってことね……)
リネットの指が、アランの額へすっと伸びる。
小さく弾く音がして、アランの体がびくっと跳ねた。
「いてっ……」
「アラン。何考えてるの? 森には魔物の巣がたくさんあるの、知ってたでしょ?」
「ご、ごめんなさい……!」
エンリが涙目で前に出て、慌てて頭を下げる。
「リネットさん……! 私も……私も気になって、入っちゃったんです……」
「……エンリも、ダメだよ?」
リネットの声は柔らかい。けれど、芯が硬い。
「いくら私たちが巡回してるとはいえ、狩りきれる魔物の数じゃないの。だから、森で遊ぶにしても……村の傍から離れない」
言い切ってから、二人の目を順番に見た。
逃げ道を作らない、まっすぐな視線。
「そういう、命を守るための決まりでしょ?」
「…………」
アランが俯いたまま黙り込む。
エンリが震える声で、リネットを見上げた。
「ご、ごめんなさい……リネットさん……」
「……今回は、たまたまオーウェンさんの占いのおかげで、間に合っただけ」
リネットは息を整えながら、言葉を選ぶ。
責めたいわけじゃない。けれど、ここは曖昧にできない。
「それは“運が良かった”からなの。次も同じとは限らない」
視線をアランへ戻す。
叱る目じゃない。約束を結ぶ目だ。
「アラン。ルールに縛られるのが嫌だって気持ち、わかるよ」
その上で、少しだけ声を落とす。
「でも……あなたはその行いで、エンリまで危険に晒したこと。忘れないで」
「っ……!!!!」
アランが、ばっとエンリの方を見る。
その顔が、みるみる崩れていった。
「……ご、ごめ……エンリちゃん……!」
言葉が喉につかえて、声が裏返る。
「お、俺……かっこいいところ、見せたくて……! うううっ……!」
大粒の涙が頬を伝って落ちる。
エンリが慌てて首を振りながら、うんうんと頷いた。
「うん……うん……!」
(……わかるよ。アランは弟だもん。気になる女の子に、かっこいいところを見せたかったんだよね。ルールに縛られるのが嫌になる、そういう年頃なのも)
リネットは小さく息を吐き、指先でアランの涙の落ちる先を遮るみたいに手を差し出す。
「アラン。本当に“かっこいい”って、なんだろうね?」
「……ゆ、勇敢で……怖いことから逃げない……」
リネットの指が、そっとアランの額へ伸びる。
軽く弾くと、柔らかい音がした。
「いてっ……」
「違うよ」
「本当にかっこいいのは……大切な人を危険な目に合わせないこと」
リネットは、エンリにも同じ視線を向けた。
二人まとめて、覚えてほしいから。
「無謀に立ち向かうんじゃなくて……逃げる勇気も持つこと。……だよ」
背後で、空気がきしむように鳴った。
空間が、わずかに歪む。
反射で振り返る。
そこに立っていたのは――エルフのオーウェンだった。
「やぁ。どうやら間に合ったようだね」
「……ふむ」
オーウェンの視線が、アランとエンリの頭から足先へ、すっと落ちる。
指先がわずかに動いて、二人の立ち姿を確かめるみたいに止まった。
リネットも同じように見る。
泥と葉はついている。けれど、どこかを庇う仕草はない。
「幸い、怪我も無さそうだね」
「うん。オーウェンさんが慌てて巡回中の私のところに来てくれたから、そのおかげだよ」
そのまま、リネットは頭を下げた。
「オーウェンさん、ありがとう」
「なに、気にすることはない。私は占いしか出来ないからね」
(その占いが異常なくらい当たるから、村のみんなが頼るようになったんだけどね……)
オーウェンは子どもたちへ向き直る。
口調は柔らかいのに、言葉の芯が折れない。
「さて、二人とも」
アランとエンリの肩が、きゅっと縮こまった。
「リネットから怒られただろうが、今回の件はよく反省するのだよ。失われた命は戻ることがないのだから」
「うん……」
「はい……」
「うむ。よろしい。リネットのお灸が効いたようだ」
にっこり。
その笑顔が、妙に余裕たっぷりで腹立たしい。
「ちょっとオーウェンさん! それどういう意味!?」
「ふふふ。さぁね」
肩をすくめる仕草だけで、するりと逃げられる。
リネットの頬がむずむずする。
「ここにずっといると、また魔物が現れる。村に帰ろう」
オーウェンが、アランとエンリへ手を差し出す。
二人はぎゅっと、その大きな手を握った。
少し前まで震えていた指先が、ほんの少しだけ落ち着いて見えた。
「ちょっとオーウェンさん!」
リネットが抗議の声を投げても、オーウェンは振り返らない。
その背中が「ほら、置いていくよ」と言っているようだ。
リネットは息をひとつ吐いてから、二人の後ろに付いた。
森の出口の向こう、村へ続く道が見えた瞬間――胸の奥が、ようやくほどけていく。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「おりゃあぁぁぁぁッ!!!!」
リネットの踏み込みが地面を抉り、鋭い蹴りがオークキングの顎へ走った。
踵が捉える。硬い骨の感触が足裏に返り、巨体の頭がわずかに跳ねる。
踵が捉える。硬い骨の感触が足裏に返り、巨体の頭がわずかに跳ねる。
――なのに、倒れない。
オークキングは怯むどころか、ぎらりと双眸を光らせた。
オークキングは怯むどころか、ぎらりと双眸を光らせた。
次の瞬間。
腹の底を叩くような咆哮が、森の空気を押し潰す。
腹の底を叩くような咆哮が、森の空気を押し潰す。
「わわっ……!」
圧が胸にのしかかり、リネットの足が半歩ぶん滑った。
視界が揺れた、その隙へ――拳が落ちてくる。
視界が揺れた、その隙へ――拳が落ちてくる。
叩きつける一撃。
地面ごと砕く重さを、リネットは身体を捻って紙一重で躱した。
地面ごと砕く重さを、リネットは身体を捻って紙一重で躱した。
直後、横薙ぎ。
風圧が頬を掠め、髪がふわりと舞う。
風圧が頬を掠め、髪がふわりと舞う。
「ッ……! 当たらないよ!!」
リネットの手のひらに、緑色の紋様が灯る。
そこから風が巻き起こり、彼女は低く滑り込んだ。
そこから風が巻き起こり、彼女は低く滑り込んだ。
地を這うスライディング。
横薙ぎの射程を抜け、そのまま背後へ回り込む。
横薙ぎの射程を抜け、そのまま背後へ回り込む。
「こんのぉぉぉっ!!!」
オークキングが振り向く。
その“回り切った瞬間”を、リネットは逃さない。
その“回り切った瞬間”を、リネットは逃さない。
回し蹴りが弧を描き、踵が顎へ叩き込まれた。
巨体の首が不自然に跳ね、脳まで揺さぶられたみたいにぐらりと沈む。
巨体の首が不自然に跳ね、脳まで揺さぶられたみたいにぐらりと沈む。
片手と膝が、地面へ落ちた。
(崩れたッ!!)
(崩れたッ!!)
リネットは踵にも緑の紋様を走らせる。
風が噴射され、身体がふわりと浮き上がった。
風が噴射され、身体がふわりと浮き上がった。
浮いた一瞬を、叩き込む力に変える。
踵が下から顎をかち上げ、巨体がさらに沈む。
踵が下から顎をかち上げ、巨体がさらに沈む。
喉の奥を潰されたような呻きが漏れ、オークキングは地面へ倒れ込んだ。
(いまだッ!!)
リネットは勢いよく後方へ跳ぶ。
姿勢を前のめりにして、足裏へ魔力を溜めた。
姿勢を前のめりにして、足裏へ魔力を溜めた。
ブーツの底が熱を帯び、細い火花が散りはじめる。
次の瞬間、彼女は跳んだ――獲物へ一直線に。
次の瞬間、彼女は跳んだ――獲物へ一直線に。
一歩、踏む。
足が地面を叩くたび、爆ぜる衝撃が推進力に変わり、速度が跳ね上がる。
足が地面を叩くたび、爆ぜる衝撃が推進力に変わり、速度が跳ね上がる。
二歩、三歩。加速、加速。
リネットの輪郭が熱に滲み、炎を纏った弾丸みたいに突き抜けた。
リネットの輪郭が熱に滲み、炎を纏った弾丸みたいに突き抜けた。
オークキングの目が見開かれる。
オークキングは抵抗しようとするが、──もう遅い。
「これでッ!!! 終わりッ!!!!!」
腹部へ、炎を纏った蹴りが炸裂した。
中心から破裂するような爆発が起こり、上半身が一瞬で消し飛ぶ。
中心から破裂するような爆発が起こり、上半身が一瞬で消し飛ぶ。
残された下半身だけが、遅れて力を失った。
巨体は重く傾き、ゆっくりと地面へ崩れ落ちる。
巨体は重く傾き、ゆっくりと地面へ崩れ落ちる。
「ふぅっ……」
リネットはつま先を軽く鳴らすように地面へ当てた。
まだ残る熱が、細い火花になって散る。
まだ残る熱が、細い火花になって散る。
(どうにかオークキングは倒せたけど……)
彼女は息を整えながら、周囲へ視線を走らせた。
木々の間、草の揺れ、土の匂い――気配の流れを拾う。
木々の間、草の揺れ、土の匂い――気配の流れを拾う。
(……うん。魔物の気配はもうないね)
「二人とも、もう大丈夫だよ。出ておいで」
リネットは振り返り、背後の茂みに向けて声を投げた。
がさごそと茂みが揺れて、まずアッシュグレーの髪の少年が顔を出した。続いて、茶髪の少女が恐る恐る続く。二人とも十歳くらい。泥と葉っぱをまとったままだ。
リネットは駆け寄り、視線を合わせるためにしゃがみ込む。
そっと二人の肩に手を置いた。
そっと二人の肩に手を置いた。
「二人とも、無事で良かった……」
そのまま、ぎゅっと抱きしめる。小さな背中が震えていた。
(よかった……どうにか間に合った)
少しだけ力を緩めて、顔を覗き込む。
「アラン、エンリ。どうしてオークキングなんかに追われてたの?」
「……それは」
アランの喉が詰まる。言葉が出ない。
エンリは唇を噛み、弱々しく首を振った。
エンリは唇を噛み、弱々しく首を振った。
「……アラン君……リネットさんを困らせちゃうから……言った方が……」
「…………」
「アラン? 言わないと分からないよ。オークキングがあんなに気が立ってたのには、理由があるはずなんだから」
「……っ」
「……ア、アラン君。言おう……?」
エンリに背中を押される形で、アランが観念したように頷いた。
「実は、エンリちゃんと森で遊んでたんだ」
「うん」
リネットは頷いて、先を促す。
「そしたらさ……森の奥に大きな穴があって……」
「……まさか、その中に入ったの?」
「……うん。中に何があるのか、気になったんだ」
アランの声が小さくなる。
「中には何もいなかったんだけど……その穴、魔物の巣だったみたいで……帰ってきたオークキングと、鉢合わせになって……」
(それで、自分の縄張りを荒らされたと思ったオークキングが怒ったってことね……)
リネットの指が、アランの額へすっと伸びる。
小さく弾く音がして、アランの体がびくっと跳ねた。
小さく弾く音がして、アランの体がびくっと跳ねた。
「いてっ……」
「アラン。何考えてるの? 森には魔物の巣がたくさんあるの、知ってたでしょ?」
「ご、ごめんなさい……!」
エンリが涙目で前に出て、慌てて頭を下げる。
「リネットさん……! 私も……私も気になって、入っちゃったんです……」
「……エンリも、ダメだよ?」
リネットの声は柔らかい。けれど、芯が硬い。
「いくら私たちが巡回してるとはいえ、狩りきれる魔物の数じゃないの。だから、森で遊ぶにしても……村の傍から離れない」
言い切ってから、二人の目を順番に見た。
逃げ道を作らない、まっすぐな視線。
逃げ道を作らない、まっすぐな視線。
「そういう、命を守るための決まりでしょ?」
「…………」
アランが俯いたまま黙り込む。
エンリが震える声で、リネットを見上げた。
エンリが震える声で、リネットを見上げた。
「ご、ごめんなさい……リネットさん……」
「……今回は、たまたまオーウェンさんの占いのおかげで、間に合っただけ」
リネットは息を整えながら、言葉を選ぶ。
責めたいわけじゃない。けれど、ここは曖昧にできない。
責めたいわけじゃない。けれど、ここは曖昧にできない。
「それは“運が良かった”からなの。次も同じとは限らない」
視線をアランへ戻す。
叱る目じゃない。約束を結ぶ目だ。
叱る目じゃない。約束を結ぶ目だ。
「アラン。ルールに縛られるのが嫌だって気持ち、わかるよ」
その上で、少しだけ声を落とす。
「でも……あなたはその行いで、エンリまで危険に晒したこと。忘れないで」
「っ……!!!!」
アランが、ばっとエンリの方を見る。
その顔が、みるみる崩れていった。
その顔が、みるみる崩れていった。
「……ご、ごめ……エンリちゃん……!」
言葉が喉につかえて、声が裏返る。
「お、俺……かっこいいところ、見せたくて……! うううっ……!」
大粒の涙が頬を伝って落ちる。
エンリが慌てて首を振りながら、うんうんと頷いた。
エンリが慌てて首を振りながら、うんうんと頷いた。
「うん……うん……!」
(……わかるよ。アランは弟だもん。気になる女の子に、かっこいいところを見せたかったんだよね。ルールに縛られるのが嫌になる、そういう年頃なのも)
リネットは小さく息を吐き、指先でアランの涙の落ちる先を遮るみたいに手を差し出す。
「アラン。本当に“かっこいい”って、なんだろうね?」
「……ゆ、勇敢で……怖いことから逃げない……」
リネットの指が、そっとアランの額へ伸びる。
軽く弾くと、柔らかい音がした。
軽く弾くと、柔らかい音がした。
「いてっ……」
「違うよ」
「本当にかっこいいのは……大切な人を危険な目に合わせないこと」
リネットは、エンリにも同じ視線を向けた。
二人まとめて、覚えてほしいから。
二人まとめて、覚えてほしいから。
「無謀に立ち向かうんじゃなくて……逃げる勇気も持つこと。……だよ」
背後で、空気がきしむように鳴った。
空間が、わずかに歪む。
空間が、わずかに歪む。
反射で振り返る。
そこに立っていたのは――エルフのオーウェンだった。
そこに立っていたのは――エルフのオーウェンだった。
「やぁ。どうやら間に合ったようだね」
「……ふむ」
オーウェンの視線が、アランとエンリの頭から足先へ、すっと落ちる。
指先がわずかに動いて、二人の立ち姿を確かめるみたいに止まった。
指先がわずかに動いて、二人の立ち姿を確かめるみたいに止まった。
リネットも同じように見る。
泥と葉はついている。けれど、どこかを庇う仕草はない。
泥と葉はついている。けれど、どこかを庇う仕草はない。
「幸い、怪我も無さそうだね」
「うん。オーウェンさんが慌てて巡回中の私のところに来てくれたから、そのおかげだよ」
そのまま、リネットは頭を下げた。
「オーウェンさん、ありがとう」
「なに、気にすることはない。私は占いしか出来ないからね」
(その占いが異常なくらい当たるから、村のみんなが頼るようになったんだけどね……)
オーウェンは子どもたちへ向き直る。
口調は柔らかいのに、言葉の芯が折れない。
口調は柔らかいのに、言葉の芯が折れない。
「さて、二人とも」
アランとエンリの肩が、きゅっと縮こまった。
「リネットから怒られただろうが、今回の件はよく反省するのだよ。失われた命は戻ることがないのだから」
「うん……」
「はい……」
「はい……」
「うむ。よろしい。リネットのお灸が効いたようだ」
にっこり。
その笑顔が、妙に余裕たっぷりで腹立たしい。
その笑顔が、妙に余裕たっぷりで腹立たしい。
「ちょっとオーウェンさん! それどういう意味!?」
「ふふふ。さぁね」
肩をすくめる仕草だけで、するりと逃げられる。
リネットの頬がむずむずする。
リネットの頬がむずむずする。
「ここにずっといると、また魔物が現れる。村に帰ろう」
オーウェンが、アランとエンリへ手を差し出す。
二人はぎゅっと、その大きな手を握った。
二人はぎゅっと、その大きな手を握った。
少し前まで震えていた指先が、ほんの少しだけ落ち着いて見えた。
「ちょっとオーウェンさん!」
リネットが抗議の声を投げても、オーウェンは振り返らない。
その背中が「ほら、置いていくよ」と言っているようだ。
その背中が「ほら、置いていくよ」と言っているようだ。
リネットは息をひとつ吐いてから、二人の後ろに付いた。
森の出口の向こう、村へ続く道が見えた瞬間――胸の奥が、ようやくほどけていく。
森の出口の向こう、村へ続く道が見えた瞬間――胸の奥が、ようやくほどけていく。