第6話 支配者の天秤
ー/ー巨大な正門をくぐり抜けた先には、冷たく研ぎ澄まされた静寂が待っていた。 外の生徒たちの喧騒が、嘘のように遮断されている。
俺、七夕 双は、スカーレットの背中を追いかけながら、アカデミーの本部塔――通称『セントラル・スパイア』の広大なエントランスホールを見渡した。 高い。高すぎる天井。 見上げれば、吹き抜けの遥か上空に、幾何学模様の光のリングがいくつも浮遊し、ゆっくりと回転している。
『……うわぁ。なにここ、お城みたい』
脳内で、リクの声が響いた。 さっきまで外の視線に怯えていた彼だが、今は好奇心が勝っているようだ。
『ねえソウ。ここ、すごく「綺麗」だけど……なんか変だよ』 (変って、何が?) 『静かすぎるんだ。人の気配がしないのに、視線だけ感じる。……壁とか、天井とか、至るところから見られてる気がする』
リクの言葉に、俺は背筋が寒くなった。 確かに、監視カメラらしきものは見当たらないが、空間そのものが俺たちを観察しているような圧迫感がある。
「……なぁ、スカーレットさん」 「何かしら」 「ここ、本当に学校なのか? すれ違う人が誰もいないんだけど」 「ここは管理棟よ。この塔には、アカデミーの運営機能、中央戦術スパコン、そして最上階には『彼ら』がいるわ」
スカーレットは足を止めず、コツ、コツと規則正しいリズムで歩を進める。
「この学園の、そして第3階層の支配者たちよ」
彼女はホールの奥にある、扉のないエレベーターの前で立ち止まった。 ピ、という電子音と共に、青白い光に満ちた箱が現れる。
「乗りなさい。最上階、『天上の間』へ行くわ」
乗り込んだ瞬間、浮遊感が胃を襲った。 外の景色が見えるシースルーのエレベーター。第3階層のサイバーパンクな夜景が、ぐんぐん遠ざかっていく。
『……ソウ、怖い』
リクの声が震え出した。
『上に行くほど、空気が重くなってる。……すごいのがいるよ。この上に、化け物みたいなのが二人』 (化け物って……学園長たちのことか?) 『うん。片方は氷みたいに冷たくて……もう片方は、存在自体がぼやけてる。……逃げたい。今すぐ降りようよ、ソウ』
リクの「勘」は百発百中だ。彼がここまで怯えるなんて、一体どんな奴らが待っているんだ。 俺の心臓の鼓動が早くなる。
「……顔が引きつってるわよ」
スカーレットがガラス越しに夜景を見ながら言った。
「怯えるのは悪いことじゃないわ。危機管理能力が高い証拠よ。……食われないように気をつけなさい」 「食われないようにって……比喩ですよね?」 「どうかしらね」
チン、という軽快な音が鳴った。 最上階に到着する。 扉が開いた瞬間、ドッと濃密な空気が流れ込んできた。重力そのものが強くなったような、肌にまとわりつく圧迫感。
『ひっ……!』
リクが悲鳴を上げ、脳内の奥底へ引っ込んでしまった。
「失礼します。スカーレット・ヴァーミリオン、帰還しました」
スカーレットが凛とした声で告げ、部屋へと足を踏み入れる。俺も震える足を押さえつけ、その後に続いた。
そこは、部屋というよりは「宇宙」だった。 壁も天井もなく、全方位が巨大なスクリーンになっており、無数のデータストリームが滝のように流れている。 その情報の奔流の中心に、二つの影があった。
一つは、巨大な執務机に座る、軍服のようなスーツを着た銀髪の女性。 もう一つは……空中に「浮いて」いた。
「遅かったな、ヴァーミリオン」
鋭い声が飛んできた。 机に座っていた女性だ。銀縁のメガネの奥にある瞳は、爬虫類のように細く、冷たい。 彼女が書類から目を離し、俺を睨みつけた。
「それで? その薄汚い鼠が、例の『検体』か」
検体。 その単語に、俺は息を呑んだ。
「言葉を慎んでください、ヒルダ副学園長。彼は検体ではありません。新たな『適合者』です」 「適合者? 笑わせるな」
ヒルダと呼ばれた女性は、鼻で笑って立ち上がった。
「報告書は読んだぞ。魔力ゼロ、身体能力Eランク、学力偏差値40。ただの無能な民間人だ。偶然、あの雨の日に現場に居合わせ、バグの捕食から逃げ延びただけのラッキーボーイ」
ヒルダがコツ、コツと俺に歩み寄ってくる。 長身だ。俺より頭一つ分高い。彼女が見下ろす視線には、明確な殺意があった。
『ソウ! この女の人、本気だよ! 殺される!』
リクの警告が脳裏を走る。わかってる、でも動けない。蛇に睨まれた蛙のように体が硬直している。
「そんな不確定な存在を『生徒』として迎え入れろだと? リスク管理もできないのか、お前は」 「彼には可能性があります」 「可能性? ゼロだ。私の判断は『廃棄』。今すぐその腹を切り裂いてシードを回収し、この鼠の記憶を消して第1階層へ送り返せ。……脳が壊れなければな」
廃棄。腹を切り裂く。 彼女は事務処理のように、俺の死を宣告している。
「お待ちください。それは決定事項ではありません」 「黙れ小娘。私は副学園長として、合理的かつ論理的な判断を下している」
ヒルダの手が伸びてくる。俺の首を掴もうとした、その時だった。
「――まあまあ、そうカリカリしなさんな、ヒルダ君」
部屋の空気が、ふわりと緩んだ。 今まで沈黙を守っていた「もう一つの影」が、ゆっくりと降りてきた。
それは、老人だった。 白衣を羽織った小柄な老人だが、その体はテレビのノイズのように絶えず揺らぎ、時折半透明になって向こう側が透けて見える。
『……っ! ソウ、この爺さん、ヤバい』
リクの声が、今までで一番低く、警戒したトーンになった。
『人間じゃない。……こいつ、データ? 幽霊? わからないけど、僕たちのこと……「中身」まで見えてる!』
「学園長……」 ヒルダが不快そうに手を止めた。 学園長と呼ばれた老人は、重力がないかのようにふわふわと俺の周りを漂い、興味深そうに覗き込んできた。
「ほっほっほ。これが例の少年か。なるほど、なるほど」
老人の目が、怪しく光った。その瞳の中には、瞳孔の代わりに複雑な魔法陣が回転している。
「名前は?」 「……た、七夕 双です」 「七夕君か。星を繋ぐ架け橋かね。……して、七夕君。君の腹の中、随分と賑やかだねぇ」
老人が俺の腹に手を伸ばす。 その手は俺の服をすり抜け、皮膚も筋肉もすり抜けて、直接「胃の中」を撫でたような奇妙な感覚が走った。
「うぐっ……!?」 『ひゃああっ!? な、なでられた! 僕まで触られた!』
リクが悲鳴を上げる。物理的な接触じゃない。魂に直接触れられたような不快感。
「ほう……美しい。実にカオティックだ。バグの『破壊衝動』と、君たちの『生存本能』が、螺旋を描いてダンスを踊っておる」 「ヴォイド学園長。戯れはおやめください」 「ヒルダ君、君の言う『合理性』は退屈だ。我々が相手にしているのは、理屈の通じないバグどもだぞ? 毒を制するには毒が必要じゃよ」
ヴォイド学園長は、くるりと宙返りをして、空中にあぐらをかいた。
「それに、この少年には『資格』がある」
ヴォイド学園長のノイズ混じりの指が、俺の胸元を指した。
「彼は『バグ』から生き延びた。あの絶望的な捕食の中で、自我を保ち、生きて帰ってきた。……スカーレット君が連れてきた理由は、そこだろう?」
スカーレットが無言で頷く。
「そうだわ。彼がシードを持っていること以上に、あの状況下で『死ななかった』こと。その生存能力こそが、これからの戦いに必要だと判断しました」
「ならば、チャンスを与えてやるのが教育者の務めというものじゃ」
ヴォイド学園長はパチンと指を鳴らした。 空間に巨大なウィンドウが出現し、そこに「入学願書」のような書類が表示される。 ただし、一番下には血のように赤い文字で『同意書』と書かれていた。
「七夕 双君。君をアカデミーに受け入れよう」 「ほ、本当ですか?」 「ああ。ただし――条件がある」
ヴォイド学園長の顔から笑みが消えた。 そこにあったのは、深淵よりも深い、底知れぬ闇だった。
「入学試験を受けてもらう。筆記でも面接でもない。もっと単純な、『生存証明』のテストだ」
「生存……証明?」 「君が本当にバグに打ち勝てる人間なのか。それとも、ただ運が良かっただけの餌なのか。それを証明したまえ」
ヒルダが冷ややかな笑みを浮かべ、補足した。
「明日の朝、第13演習場へ来い。そこで『適性検査』を行う。……もし不合格なら、その場で私がシードごと君を『処分』する。いいね?」
処分。 つまり、死だ。 不合格=退学ではなく、不合格=死。
『……ソウ』
リクが、震える声で囁いた。
『逃げ場はないよ。……やるしかない。この人たち、僕たちが「NO」って言ったら、今ここで殺す気だ』
ああ、わかってる。 俺は拳を握りしめた。後ろにはスカーレットがいる。前には二人の怪物がいる。 選択肢なんて最初からなかったんだ。
「……わかりました」
俺は声を絞り出した。
「受けます。そのテスト」 「結構!」
ヴォイド学園長が手を叩いて笑った。
「歓迎しよう、七夕 双君。死ぬ気で足掻いてみせたまえ。……我々の退屈を、君の『エラー』で破壊してくれることを期待しておるよ」
俺、七夕 双は、スカーレットの背中を追いかけながら、アカデミーの本部塔――通称『セントラル・スパイア』の広大なエントランスホールを見渡した。 高い。高すぎる天井。 見上げれば、吹き抜けの遥か上空に、幾何学模様の光のリングがいくつも浮遊し、ゆっくりと回転している。
『……うわぁ。なにここ、お城みたい』
脳内で、リクの声が響いた。 さっきまで外の視線に怯えていた彼だが、今は好奇心が勝っているようだ。
『ねえソウ。ここ、すごく「綺麗」だけど……なんか変だよ』 (変って、何が?) 『静かすぎるんだ。人の気配がしないのに、視線だけ感じる。……壁とか、天井とか、至るところから見られてる気がする』
リクの言葉に、俺は背筋が寒くなった。 確かに、監視カメラらしきものは見当たらないが、空間そのものが俺たちを観察しているような圧迫感がある。
「……なぁ、スカーレットさん」 「何かしら」 「ここ、本当に学校なのか? すれ違う人が誰もいないんだけど」 「ここは管理棟よ。この塔には、アカデミーの運営機能、中央戦術スパコン、そして最上階には『彼ら』がいるわ」
スカーレットは足を止めず、コツ、コツと規則正しいリズムで歩を進める。
「この学園の、そして第3階層の支配者たちよ」
彼女はホールの奥にある、扉のないエレベーターの前で立ち止まった。 ピ、という電子音と共に、青白い光に満ちた箱が現れる。
「乗りなさい。最上階、『天上の間』へ行くわ」
乗り込んだ瞬間、浮遊感が胃を襲った。 外の景色が見えるシースルーのエレベーター。第3階層のサイバーパンクな夜景が、ぐんぐん遠ざかっていく。
『……ソウ、怖い』
リクの声が震え出した。
『上に行くほど、空気が重くなってる。……すごいのがいるよ。この上に、化け物みたいなのが二人』 (化け物って……学園長たちのことか?) 『うん。片方は氷みたいに冷たくて……もう片方は、存在自体がぼやけてる。……逃げたい。今すぐ降りようよ、ソウ』
リクの「勘」は百発百中だ。彼がここまで怯えるなんて、一体どんな奴らが待っているんだ。 俺の心臓の鼓動が早くなる。
「……顔が引きつってるわよ」
スカーレットがガラス越しに夜景を見ながら言った。
「怯えるのは悪いことじゃないわ。危機管理能力が高い証拠よ。……食われないように気をつけなさい」 「食われないようにって……比喩ですよね?」 「どうかしらね」
チン、という軽快な音が鳴った。 最上階に到着する。 扉が開いた瞬間、ドッと濃密な空気が流れ込んできた。重力そのものが強くなったような、肌にまとわりつく圧迫感。
『ひっ……!』
リクが悲鳴を上げ、脳内の奥底へ引っ込んでしまった。
「失礼します。スカーレット・ヴァーミリオン、帰還しました」
スカーレットが凛とした声で告げ、部屋へと足を踏み入れる。俺も震える足を押さえつけ、その後に続いた。
そこは、部屋というよりは「宇宙」だった。 壁も天井もなく、全方位が巨大なスクリーンになっており、無数のデータストリームが滝のように流れている。 その情報の奔流の中心に、二つの影があった。
一つは、巨大な執務机に座る、軍服のようなスーツを着た銀髪の女性。 もう一つは……空中に「浮いて」いた。
「遅かったな、ヴァーミリオン」
鋭い声が飛んできた。 机に座っていた女性だ。銀縁のメガネの奥にある瞳は、爬虫類のように細く、冷たい。 彼女が書類から目を離し、俺を睨みつけた。
「それで? その薄汚い鼠が、例の『検体』か」
検体。 その単語に、俺は息を呑んだ。
「言葉を慎んでください、ヒルダ副学園長。彼は検体ではありません。新たな『適合者』です」 「適合者? 笑わせるな」
ヒルダと呼ばれた女性は、鼻で笑って立ち上がった。
「報告書は読んだぞ。魔力ゼロ、身体能力Eランク、学力偏差値40。ただの無能な民間人だ。偶然、あの雨の日に現場に居合わせ、バグの捕食から逃げ延びただけのラッキーボーイ」
ヒルダがコツ、コツと俺に歩み寄ってくる。 長身だ。俺より頭一つ分高い。彼女が見下ろす視線には、明確な殺意があった。
『ソウ! この女の人、本気だよ! 殺される!』
リクの警告が脳裏を走る。わかってる、でも動けない。蛇に睨まれた蛙のように体が硬直している。
「そんな不確定な存在を『生徒』として迎え入れろだと? リスク管理もできないのか、お前は」 「彼には可能性があります」 「可能性? ゼロだ。私の判断は『廃棄』。今すぐその腹を切り裂いてシードを回収し、この鼠の記憶を消して第1階層へ送り返せ。……脳が壊れなければな」
廃棄。腹を切り裂く。 彼女は事務処理のように、俺の死を宣告している。
「お待ちください。それは決定事項ではありません」 「黙れ小娘。私は副学園長として、合理的かつ論理的な判断を下している」
ヒルダの手が伸びてくる。俺の首を掴もうとした、その時だった。
「――まあまあ、そうカリカリしなさんな、ヒルダ君」
部屋の空気が、ふわりと緩んだ。 今まで沈黙を守っていた「もう一つの影」が、ゆっくりと降りてきた。
それは、老人だった。 白衣を羽織った小柄な老人だが、その体はテレビのノイズのように絶えず揺らぎ、時折半透明になって向こう側が透けて見える。
『……っ! ソウ、この爺さん、ヤバい』
リクの声が、今までで一番低く、警戒したトーンになった。
『人間じゃない。……こいつ、データ? 幽霊? わからないけど、僕たちのこと……「中身」まで見えてる!』
「学園長……」 ヒルダが不快そうに手を止めた。 学園長と呼ばれた老人は、重力がないかのようにふわふわと俺の周りを漂い、興味深そうに覗き込んできた。
「ほっほっほ。これが例の少年か。なるほど、なるほど」
老人の目が、怪しく光った。その瞳の中には、瞳孔の代わりに複雑な魔法陣が回転している。
「名前は?」 「……た、七夕 双です」 「七夕君か。星を繋ぐ架け橋かね。……して、七夕君。君の腹の中、随分と賑やかだねぇ」
老人が俺の腹に手を伸ばす。 その手は俺の服をすり抜け、皮膚も筋肉もすり抜けて、直接「胃の中」を撫でたような奇妙な感覚が走った。
「うぐっ……!?」 『ひゃああっ!? な、なでられた! 僕まで触られた!』
リクが悲鳴を上げる。物理的な接触じゃない。魂に直接触れられたような不快感。
「ほう……美しい。実にカオティックだ。バグの『破壊衝動』と、君たちの『生存本能』が、螺旋を描いてダンスを踊っておる」 「ヴォイド学園長。戯れはおやめください」 「ヒルダ君、君の言う『合理性』は退屈だ。我々が相手にしているのは、理屈の通じないバグどもだぞ? 毒を制するには毒が必要じゃよ」
ヴォイド学園長は、くるりと宙返りをして、空中にあぐらをかいた。
「それに、この少年には『資格』がある」
ヴォイド学園長のノイズ混じりの指が、俺の胸元を指した。
「彼は『バグ』から生き延びた。あの絶望的な捕食の中で、自我を保ち、生きて帰ってきた。……スカーレット君が連れてきた理由は、そこだろう?」
スカーレットが無言で頷く。
「そうだわ。彼がシードを持っていること以上に、あの状況下で『死ななかった』こと。その生存能力こそが、これからの戦いに必要だと判断しました」
「ならば、チャンスを与えてやるのが教育者の務めというものじゃ」
ヴォイド学園長はパチンと指を鳴らした。 空間に巨大なウィンドウが出現し、そこに「入学願書」のような書類が表示される。 ただし、一番下には血のように赤い文字で『同意書』と書かれていた。
「七夕 双君。君をアカデミーに受け入れよう」 「ほ、本当ですか?」 「ああ。ただし――条件がある」
ヴォイド学園長の顔から笑みが消えた。 そこにあったのは、深淵よりも深い、底知れぬ闇だった。
「入学試験を受けてもらう。筆記でも面接でもない。もっと単純な、『生存証明』のテストだ」
「生存……証明?」 「君が本当にバグに打ち勝てる人間なのか。それとも、ただ運が良かっただけの餌なのか。それを証明したまえ」
ヒルダが冷ややかな笑みを浮かべ、補足した。
「明日の朝、第13演習場へ来い。そこで『適性検査』を行う。……もし不合格なら、その場で私がシードごと君を『処分』する。いいね?」
処分。 つまり、死だ。 不合格=退学ではなく、不合格=死。
『……ソウ』
リクが、震える声で囁いた。
『逃げ場はないよ。……やるしかない。この人たち、僕たちが「NO」って言ったら、今ここで殺す気だ』
ああ、わかってる。 俺は拳を握りしめた。後ろにはスカーレットがいる。前には二人の怪物がいる。 選択肢なんて最初からなかったんだ。
「……わかりました」
俺は声を絞り出した。
「受けます。そのテスト」 「結構!」
ヴォイド学園長が手を叩いて笑った。
「歓迎しよう、七夕 双君。死ぬ気で足掻いてみせたまえ。……我々の退屈を、君の『エラー』で破壊してくれることを期待しておるよ」
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
巨大な正門をくぐり抜けた先には、冷たく研ぎ澄まされた静寂が待っていた。 外の生徒たちの喧騒が、嘘のように遮断されている。
俺、七夕 双《たなばた そう》は、スカーレットの背中を追いかけながら、アカデミーの本部塔――通称『セントラル・スパイア』の広大なエントランスホールを見渡した。 高い。高すぎる天井。 見上げれば、吹き抜けの遥か上空に、幾何学模様の光のリングがいくつも浮遊し、ゆっくりと回転している。
『……うわぁ。なにここ、お城みたい』
脳内で、リクの声が響いた。 さっきまで外の視線に怯えていた彼だが、今は好奇心が勝っているようだ。
『ねえソウ。ここ、すごく「綺麗」だけど……なんか変だよ』 (変って、何が?) 『静かすぎるんだ。人の気配がしないのに、視線だけ感じる。……壁とか、天井とか、至るところから見られてる気がする』
リクの言葉に、俺は背筋が寒くなった。 確かに、監視カメラらしきものは見当たらないが、空間そのものが俺たちを観察しているような圧迫感がある。
「……なぁ、スカーレットさん」 「何かしら」 「ここ、本当に学校なのか? すれ違う人が誰もいないんだけど」 「ここは管理棟よ。この塔には、アカデミーの運営機能、中央戦術スパコン、そして最上階には『彼ら』がいるわ」
スカーレットは足を止めず、コツ、コツと規則正しいリズムで歩を進める。
「この学園の、そして第3階層の支配者たちよ」
彼女はホールの奥にある、扉のないエレベーターの前で立ち止まった。 ピ、という電子音と共に、青白い光に満ちた箱が現れる。
「乗りなさい。最上階、『天上の間』へ行くわ」
乗り込んだ瞬間、浮遊感が胃を襲った。 外の景色が見えるシースルーのエレベーター。第3階層のサイバーパンクな夜景が、ぐんぐん遠ざかっていく。
『……ソウ、怖い』
リクの声が震え出した。
『上に行くほど、空気が重くなってる。……すごいのがいるよ。この上に、化け物みたいなのが二人』 (化け物って……学園長たちのことか?) 『うん。片方は氷みたいに冷たくて……もう片方は、存在自体がぼやけてる。……逃げたい。今すぐ降りようよ、ソウ』
リクの「勘」は百発百中だ。彼がここまで怯えるなんて、一体どんな奴らが待っているんだ。 俺の心臓の鼓動が早くなる。
「……顔が引きつってるわよ」
スカーレットがガラス越しに夜景を見ながら言った。
「怯えるのは悪いことじゃないわ。危機管理能力が高い証拠よ。……食われないように気をつけなさい」 「食われないようにって……比喩ですよね?」 「どうかしらね」
チン、という軽快な音が鳴った。 最上階に到着する。 扉が開いた瞬間、ドッと濃密な空気が流れ込んできた。重力そのものが強くなったような、肌にまとわりつく圧迫感。
『ひっ……!』
リクが悲鳴を上げ、脳内の奥底へ引っ込んでしまった。
「失礼します。スカーレット・ヴァーミリオン、帰還しました」
スカーレットが凛とした声で告げ、部屋へと足を踏み入れる。俺も震える足を押さえつけ、その後に続いた。
そこは、部屋というよりは「宇宙」だった。 壁も天井もなく、全方位が巨大なスクリーンになっており、無数のデータストリームが滝のように流れている。 その情報の奔流の中心に、二つの影があった。
一つは、巨大な執務机に座る、軍服のようなスーツを着た銀髪の女性。 もう一つは……空中に「浮いて」いた。
「遅かったな、ヴァーミリオン」
鋭い声が飛んできた。 机に座っていた女性だ。銀縁のメガネの奥にある瞳は、爬虫類のように細く、冷たい。 彼女が書類から目を離し、俺を睨みつけた。
「それで? その薄汚い鼠《ネズミ》が、例の『検体』か」
検体。 その単語に、俺は息を呑んだ。
「言葉を慎んでください、ヒルダ副学園長。彼は検体ではありません。新たな『適合者』です」 「適合者? 笑わせるな」
ヒルダと呼ばれた女性は、鼻で笑って立ち上がった。
「報告書は読んだぞ。魔力ゼロ、身体能力Eランク、学力偏差値40。ただの無能な民間人だ。偶然、あの雨の日に現場に居合わせ、バグの捕食から逃げ延びただけのラッキーボーイ」
ヒルダがコツ、コツと俺に歩み寄ってくる。 長身だ。俺より頭一つ分高い。彼女が見下ろす視線には、明確な殺意があった。
『ソウ! この女の人、本気だよ! 殺される!』
リクの警告が脳裏を走る。わかってる、でも動けない。蛇に睨まれた蛙のように体が硬直している。
「そんな不確定な存在を『生徒』として迎え入れろだと? リスク管理もできないのか、お前は」 「彼には可能性があります」 「可能性? ゼロだ。私の判断は『廃棄』。今すぐその腹を切り裂いてシードを回収し、この鼠の記憶を消して第1階層へ送り返せ。……脳が壊れなければな」
廃棄。腹を切り裂く。 彼女は事務処理のように、俺の死を宣告している。
「お待ちください。それは決定事項ではありません」 「黙れ小娘。私は副学園長として、合理的かつ論理的な判断を下している」
ヒルダの手が伸びてくる。俺の首を掴もうとした、その時だった。
「――まあまあ、そうカリカリしなさんな、ヒルダ君」
部屋の空気が、ふわりと緩んだ。 今まで沈黙を守っていた「もう一つの影」が、ゆっくりと降りてきた。
それは、老人だった。 白衣を羽織った小柄な老人だが、その体はテレビのノイズのように絶えず揺らぎ、時折半透明になって向こう側が透けて見える。
『……っ! ソウ、この爺さん、ヤバい』
リクの声が、今までで一番低く、警戒したトーンになった。
『人間じゃない。……こいつ、データ? 幽霊? わからないけど、僕たちのこと……「中身」まで見えてる!』
「学園長……」 ヒルダが不快そうに手を止めた。 学園長と呼ばれた老人は、重力がないかのようにふわふわと俺の周りを漂い、興味深そうに覗き込んできた。
「ほっほっほ。これが例の少年か。なるほど、なるほど」
老人の目が、怪しく光った。その瞳の中には、瞳孔の代わりに複雑な魔法陣が回転している。
「名前は?」 「……た、七夕 双です」 「七夕君か。星を繋ぐ架け橋かね。……して、七夕君。君の腹の中、随分と賑やかだねぇ」
老人が俺の腹に手を伸ばす。 その手は俺の服をすり抜け、皮膚も筋肉もすり抜けて、直接「胃の中」を撫でたような奇妙な感覚が走った。
「うぐっ……!?」 『ひゃああっ!? な、なでられた! 僕まで触られた!』
リクが悲鳴を上げる。物理的な接触じゃない。魂に直接触れられたような不快感。
「ほう……美しい。実にカオティックだ。バグの『破壊衝動』と、君たちの『生存本能』が、螺旋を描いてダンスを踊っておる」 「ヴォイド学園長。戯れはおやめください」 「ヒルダ君、君の言う『合理性』は退屈だ。我々が相手にしているのは、理屈の通じないバグどもだぞ? 毒を制するには毒が必要じゃよ」
ヴォイド学園長は、くるりと宙返りをして、空中にあぐらをかいた。
「それに、この少年には『資格』がある」
ヴォイド学園長のノイズ混じりの指が、俺の胸元を指した。
「彼は『バグ』から生き延びた。あの絶望的な捕食の中で、自我を保ち、生きて帰ってきた。……スカーレット君が連れてきた理由は、そこだろう?」
スカーレットが無言で頷く。
「そうだわ。彼がシードを持っていること以上に、あの状況下で『死ななかった』こと。その生存能力《サバイビリティ》こそが、これからの戦いに必要だと判断しました」
「ならば、チャンスを与えてやるのが教育者の務めというものじゃ」
ヴォイド学園長はパチンと指を鳴らした。 空間に巨大なウィンドウが出現し、そこに「入学願書」のような書類が表示される。 ただし、一番下には血のように赤い文字で『同意書』と書かれていた。
「七夕 双君。君をアカデミーに受け入れよう」 「ほ、本当ですか?」 「ああ。ただし――条件がある」
ヴォイド学園長の顔から笑みが消えた。 そこにあったのは、深淵よりも深い、底知れぬ闇だった。
「入学試験を受けてもらう。筆記でも面接でもない。もっと単純な、『生存証明』のテストだ」
「生存……証明?」 「君が本当にバグに打ち勝てる人間なのか。それとも、ただ運が良かっただけの餌なのか。それを証明したまえ」
ヒルダが冷ややかな笑みを浮かべ、補足した。
「明日の朝、第13演習場へ来い。そこで『適性検査』を行う。……もし不合格なら、その場で私がシードごと君を『処分』する。いいね?」
処分。 つまり、死だ。 不合格=退学ではなく、不合格=死。
『……ソウ』
リクが、震える声で囁いた。
『逃げ場はないよ。……やるしかない。この人たち、僕たちが「NO」って言ったら、今ここで殺す気だ』
ああ、わかってる。 俺は拳を握りしめた。後ろにはスカーレットがいる。前には二人の怪物がいる。 選択肢なんて最初からなかったんだ。
「……わかりました」
俺は声を絞り出した。
「受けます。そのテスト」 「結構!」
ヴォイド学園長が手を叩いて笑った。
「歓迎しよう、七夕 双君。死ぬ気で足掻いてみせたまえ。……我々の退屈を、君の『エラー』で破壊してくれることを期待しておるよ」