夜の先触れ
ー/ー 夜の街灯は、いつもより静かに揺れていた。
路面に落ちる自分の影が、妙に重い。
足元にまとわりついていたはずのそれは、ふとした拍子に私を追い越し、一歩先へと踏み出した。
「……待って」
小さく声をかける。だが影は振り返らない。
街のはずれ、普段なら決して選ばない古い道へと、迷いなく歩き続ける。廃屋の影、苔むした急坂。そこは地図からも、人々の記憶からも、こぼれ落ちてしまったような小道だった。
街灯の光が届かなくなると、代わりに青白い月明かりが、道路の輪郭を淡く浮き上がらせる。影は時折、肩を揺らして笑うような気配を見せながら、私を案内する。
風に混じる冷たい匂いは、湿った土のそれではない。鉄と、埃と、遠い日の街が持っていた「時間の残滓」の匂いだ。
坂を下りきった先、かつての広場には、涸れ果てて久しい噴水がひっそりと鎮座していた。
石像の瞳が、月を映して一瞬だけ鈍く光る。影がその前で立ち止まった。
ふいに、右肩に柔らかな重みを感じた。温かい。だが、そこにいるのは私の影だけなのだ。
「行くよ」
声は聞こえない。けれど、影の輪郭がそう囁いた気がした。
抗う術はなかった。広場の奥、苔に覆われた古い鉄扉が、重い口を開けて待っている。昼間なら見落としてしまうような倉庫の入口が、今は異界への門に見えた。
街はいつもと同じ夜を演じている。だが、私の足元だけは、別の時間を刻み始めている。
アスファルトから伝わる冷たさに、現実と幻の境界がじわじわと溶け出していく。
この影の先には、何があるのか。
振り返る勇気は、まだない。
影は静かに、けれど確かな足取りで暗闇へと消えていく。私はただ、自分の一部であったはずのその後姿を、必死に追いかけ続ける。
夜の灯りの下で、影だけが先に歩き出す。
それは、忘れられた時間へと招かれる、戻れない合図だった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
夜の街灯は、いつもより静かに揺れていた。
路面に落ちる自分の影が、妙に重い。
足元にまとわりついていたはずのそれは、ふとした拍子に私を追い越し、一歩先へと踏み出した。
「……待って」
小さく声をかける。だが影は振り返らない。
街のはずれ、普段なら決して選ばない古い道へと、迷いなく歩き続ける。廃屋の影、苔むした急坂。そこは地図からも、人々の記憶からも、こぼれ落ちてしまったような小道だった。
街灯の光が届かなくなると、代わりに青白い月明かりが、道路の輪郭を淡く浮き上がらせる。影は時折、肩を揺らして笑うような気配を見せながら、私を案内する。
風に混じる冷たい匂いは、湿った土のそれではない。鉄と、埃と、遠い日の街が持っていた「時間の残滓」の匂いだ。
坂を下りきった先、かつての広場には、涸れ果てて久しい噴水がひっそりと鎮座していた。
石像の瞳が、月を映して一瞬だけ鈍く光る。影がその前で立ち止まった。
ふいに、右肩に柔らかな重みを感じた。温かい。だが、そこにいるのは私の影だけなのだ。
「行くよ」
声は聞こえない。けれど、影の輪郭がそう囁いた気がした。
抗う術はなかった。広場の奥、苔に覆われた古い鉄扉が、重い口を開けて待っている。昼間なら見落としてしまうような倉庫の入口が、今は異界への門に見えた。
街はいつもと同じ夜を演じている。だが、私の足元だけは、別の時間を刻み始めている。
アスファルトから伝わる冷たさに、現実と幻の境界がじわじわと溶け出していく。
この影の先には、何があるのか。
振り返る勇気は、まだない。
影は静かに、けれど確かな足取りで暗闇へと消えていく。私はただ、自分の一部であったはずのその後姿を、必死に追いかけ続ける。
夜の灯りの下で、影だけが先に歩き出す。
それは、忘れられた時間へと招かれる、戻れない合図だった。