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月曜日の落とし物郵便局 Episode 3

ー/ー





 青年の視線が、私の手元に落ちた。つられて自分の指先を見ると、何かを掴もうとして空を切るように震えている。


​ 私は、あのコンパクトをただの「お守り」としてポケットに放り込んでいただけだった。


 プチポワンのバラが、あんなに鮮やかな色をしていたこと。祖母が「あなた自身の音を聴きなさい」と言って手渡してくれたこと。


 今の私は、バラの色を思い出す余裕さえ失くしていたのだ。


​ ……私が落としたのは、鏡じゃない。

 鏡を見る時の、私の「心」だ。

​「……気づいたみたいですね」


​ 青年が、わずかに口角を上げた。その声は雨音に溶けるほど小さかったけれど、私の胸にははっきりと届いた。


​「この箱は、あなたが『本当になくしたもの』を認めた時にしか開きません。鈴音(すずね)さん、あなたはあの鏡で、本当は何を見たかったのですか?」


 本当は、何を見たかったのか。

​ 喉の奥が、少しだけ熱くなった。

 私は、カウンターに置かれた木箱に指を這わせた。

 雑貨店を開く前、会社員をしていた頃の私は、このコンパクトを開くたびに「いつか、自分の好きなものだけに囲まれて生きていくんだ」と、未来の自分を鏡に映して、小さく頷いていた。


​ でも、夢を叶えたはずの今はどうだろう。


 店に並べる雑貨の「物語」よりも、在庫の数や原価率を先に計算してしまう。鏡を覗いても、そこに映っているのは、疲れを隠すために厚く塗ったファンデーションと、不安そうに揺れる自分の瞳だけ。


​「……私は」


 絞り出すような声が、静かな局内に響いた。


​「私は、自信を持って笑っている自分を、見たかったんです。このバラの刺繍のように、古くなっても、少しずつ形を変えても、自分にしか出せない色で咲いている……そんな自分の顔を」


​ 嘘偽りのない、まっすぐな言葉。


 口にした瞬間、私の手の下で、重い木製の蓋が『カチリ』と、小さな音を立てた。まるで凍りついていた時間が、春の陽光に溶かされたかのように。


​ 青年は何も言わず、ただ静かに一歩下がった。


 開かれた箱の中から、雨上がりの午後のような、淡い光が溢れ出す。


​ そこには、あの銀色の縁取りと、薄紅色のバラのプチポワン。


 私の大切なコンパクトが、まるでおかえりと微笑んでいるかのように、そこに収まっていた。









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 青年の視線が、私の手元に落ちた。つられて自分の指先を見ると、何かを掴もうとして空を切るように震えている。
​ 私は、あのコンパクトをただの「お守り」としてポケットに放り込んでいただけだった。
 プチポワンのバラが、あんなに鮮やかな色をしていたこと。祖母が「あなた自身の音を聴きなさい」と言って手渡してくれたこと。
 今の私は、バラの色を思い出す余裕さえ失くしていたのだ。
​ ……私が落としたのは、鏡じゃない。
 鏡を見る時の、私の「心」だ。
​「……気づいたみたいですね」
​ 青年が、わずかに口角を上げた。その声は雨音に溶けるほど小さかったけれど、私の胸にははっきりと届いた。
​「この箱は、あなたが『本当になくしたもの』を認めた時にしか開きません。|鈴音《すずね》さん、あなたはあの鏡で、本当は何を見たかったのですか?」
 本当は、何を見たかったのか。
​ 喉の奥が、少しだけ熱くなった。
 私は、カウンターに置かれた木箱に指を這わせた。
 雑貨店を開く前、会社員をしていた頃の私は、このコンパクトを開くたびに「いつか、自分の好きなものだけに囲まれて生きていくんだ」と、未来の自分を鏡に映して、小さく頷いていた。
​ でも、夢を叶えたはずの今はどうだろう。
 店に並べる雑貨の「物語」よりも、在庫の数や原価率を先に計算してしまう。鏡を覗いても、そこに映っているのは、疲れを隠すために厚く塗ったファンデーションと、不安そうに揺れる自分の瞳だけ。
​「……私は」
 絞り出すような声が、静かな局内に響いた。
​「私は、自信を持って笑っている自分を、見たかったんです。このバラの刺繍のように、古くなっても、少しずつ形を変えても、自分にしか出せない色で咲いている……そんな自分の顔を」
​ 嘘偽りのない、まっすぐな言葉。
 口にした瞬間、私の手の下で、重い木製の蓋が『カチリ』と、小さな音を立てた。まるで凍りついていた時間が、春の陽光に溶かされたかのように。
​ 青年は何も言わず、ただ静かに一歩下がった。
 開かれた箱の中から、雨上がりの午後のような、淡い光が溢れ出す。
​ そこには、あの銀色の縁取りと、薄紅色のバラのプチポワン。
 私の大切なコンパクトが、まるでおかえりと微笑んでいるかのように、そこに収まっていた。