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月の下で獣のように

ー/ー



 安月と流が付き合い始めて早一週間ほど経つ。
 周囲に公表したわけでもないが、隠していたわけでもない。
 おおよそ女子のグループからもノーマークだった流が安月と付き合っている事実は色々な意味で周知されていくのも早かった。

 まさかあの陰キャと付き合うことになろうとは、などと口々に言われる。
 あらぬ噂もされることも多かったが、安月にとってはどうでもよかった。
 流と一緒にいるだけで他に関心を抱く意味もなかったからだ。

 伝承や御伽噺に過ぎなかった人狼についての話から、現代社会で人狼がどのように生きながらえているのかまでを教えてもらいつつも、安月は流と良好な関係を保ち、過ごしていた。

 流の顔も声もどれも不思議なくらいに魅力的で、何をしていても、何をしなくとも安月は流のそばにいることに幸せを覚えていた。
 それもまた人狼特有の性的なフェロモンによる作用なのだと頭では分かっていても拒む理由もなく、本能的に受け入れるほかなかった。

 流に聞くところによれば、相性の良い人狼というのは、本当に希少なものらしく、運命の人と言っても遜色なく、そのこともまた安月の感情を高ぶらせた。

 やがて満月の夜が近づいてくるにつれて、何かに呼応するかのようにその高ぶりは際限なく何処までも上昇していった。
 それを頃合いと見たのか、安月は母親に流のことを紹介する覚悟を決める。

 もっと早くてもよかったくらいだが、母親の眼鏡に適うかどうかの不安もあった。
 けして、厳しい母親ではないことは安月も分かっているつもりではあったものの、ことは将来の伴侶。これまで男っ気のなかった安月には打ち明けにくかった。

 ただ、さすがにいつまでも隠し通してしまうのも無理がある。

「今度の満月の夜、ママに紹介するって言っておいたからね」
「う、うん……なるべく、粗相のないようにするよ」

 親に紹介ともなれば緊張も高まる。
 厳しい人が出てきたらどうしたものかと流も冷汗が垂れる。

 そうでなくとも、流はあまり人とは関りを持とうとはしない気質。
 結婚を前提としたお付き合いに同意してくれるのかどうか、今の時点で既に脳内でシミュレーションが始まりつつあった。

 ※ ※ ※

 まだ月も見えない穏やかな昼下がり、静かな住宅街の端に何のことなく建っている一戸建ての前。安月と流は並んで立っていた。
 初めて安月の母親に挨拶にしきた流の緊張具合も然ることながら、現在も同居中の安月ですら玄関先で顔が強張るほど緊張していた。

「ただいま、ママ」
「おかえり、安月っ」

 玄関を開けてすぐ、母親が姿を現す。どうやら今か今かと待ち構えていたらしい。
 その一歩後ろにいた流も意表を突かれて思わずたじろいだ。

 いきなり安月の母親と対面したこともそうだったが、その母親が想像を上回る美女だったことにも驚いていた。話には聞いていたが、成人した娘がいるような年齢には到底思えないくらい、若々しい、を通り越して幼い。

「そちらが流くんね。いつも娘がお世話になっておりますぅ」
「い、いえ……」

 いやに黄色い声で言うものだから、流も言葉に詰まりかける。

「先日は娘を送り届けていただいて」
「そ、その節はど、どうも……」

 安月からしても流からしても触れづらい話題にもずかずかと踏み込んでいく。
 実の娘が裸で送り届けられたことについて思うところはなかったのだろうか。

「さあさ、立ち話もなんだから、どうぞどうぞ」

 二人の緊張感を脆いせんべいみたいに破って、持ち前の明るいテンションで家へと迎え入れる。安月も流も、すっかりペースを乱された調子だ。
 リビングからは美味しそうな匂いが立ち上っており、かなり豪勢なパーティ会場がそこに出来上がっていた。何なら、安月の誕生日よりも力が入っている。

 彼氏を紹介するとしか言っていないのにこの有様である。
 母親の浮かれっぷりが如実に表れている。
 一人で壁や天井に飾り付けしていたと思うと安月も恥ずかしさが込み上げてきた。

「じゃあママに改めて紹介するわ。こちら私と同じ大学に通ってる灰蓮流くん」
「ども……」

 高身長ながらパッと冴えない姿勢を見せる流に、母親は小動物でも見るような目で関心深く眺める。それでもって何を見定めているのかは不明だ。

「改めてみると、いい体つきしているじゃない。下宿に住んでいるって言ったけど、そこで一人暮らしなのかしら」
「え、ええ、まあ。大学のために実家を離れてきた感じで」

 まるで面接官の会話だ。どちらかといえば、母親はふざけ半分の態度にも見えた。
 一方の流はといえば、本格的に面接を受けているような応対をしている。

「一応聞いておくけど、流くんは狼男、なのよね?」
「はい、そう、です。一般的に言う、狼男、になります」

 流の返答は緊張もあるのか、やはりたどたどしい。
 そんな流をよそに、母親は流の二の腕を触りだしたり、胸板を撫で始める。
 あまりの馴れ馴れしさに安月は硬直する。
 当の流本人もどう反応すべきか迷っているようで、ポカンとしている。

「いいわねぇ、若い男の子って。ちゃんと筋肉もがっしりしてるわ」

 見ず知らずの中年女性ならまだしもスタイル抜群でまだ二十代でも通用するような美貌を持つ美女に言い寄られては流の視線も泳いでしまう。
 下手したら娘の彼氏を横取りしかねない風貌も、目のやり場も困っている様子だ。

「変な子だったらどうしようかと思ったけど、あなたなら安月を任せられるわ」

 そういって、母親はポンと流の肩を叩く。
 意表を突かれて流もハッとした表情を浮かべた。

「これからもうちの娘をよろしくお願いします」

 茶化すような態度から打って変わって、深々と頭を下げ、頼み込む。
 これには安月もパァっと明るくなる。

「それじゃあご飯が冷めちゃうから、どうぞ召し上がって」

 切り替え早く、母親はポツンと突っ立っている二人に夕食の席へと促す。
 あまりの調子っぱずれに振り回されつつも、三人そろって食卓についた。

 ※ ※ ※

 食事を済ませた頃合い、時間はもう夜更け。外は暗く、月明かりが照らしてくる。
 今は分厚いカーテンで殆どが遮られているが、何ともないとまではいかない。
 現に、安月もうずうずとした気持ちでしきりに窓に何度も視線が泳ぐ。

 今夜は満月。人と狼の狭間である人狼にとって、特別な意味を持つ。
 誕生日のときは、理性を失って暴走してしまった安月だったが、今は流がいる。

 母親に紹介する日を今日に選んだのも、前回のような失敗をしないため。
 少しずつ慣らしていけば、満月を浴びても理性を保つことができるのだという。
 ともなれば母親公認の下、人狼としてのレクチャーを受けるのが適当と判断した。

 まさか満月の夜に家にも帰らず、知らない男の家で過ごしたなどと言ってしまえば母親に心配かけてしまうのは目に見えている。
 だからこそ、流を紹介する名目も兼ねて、安月の家に呼んだのだ。

「……大丈夫。落ち着いて」

 ボーっとした面持ちで窓辺に釘付けになった安月の横、流がそっと肩を抱く。
 さしもの流も、満月の光に何も動じていないというわけでもない。
 少しでも安月の母親の前で彼氏としての面目を保つために堪えていた。

 そんなときだ。
 何処か、嬉しそうな、あるいは楽しそうな表情を浮かべて母親が近寄る。
 もとより、幼さを残した顔つきだからか、遠足前の女児にも見える純朴な笑み。

「うふふ、ねえ、二人とも。せっかくだから、一緒に変身してみるのはどう?」

 お酒でも入っているのか。いや、今夜の食卓にそんなに酒はなかったはず。
 そう思ってしまうくらいに、ふわふわとした言い回しで、母親がニタつく。

 窓辺の分厚いカーテンに手を掛け、思いっきり引く。
 その窓の外には大きな遮蔽物などない。壁も木々も避けて、月明かりが差し込む。
 そのとき安月も流も意表をつかれたのは満月の光が飛び込んできたからではない。

 安月の母親が服を脱ぎ始めていたからだ。

「ちょ、ちょっと、ママ!?」

 その動きに躊躇いはなく、月光を素肌に浴びるその姿は神秘的にも見えた。
 火照る体を冷たいシャワーで治めるみたいに、窓辺に四肢が揺れる。

 理解するより早く、安月の母親に魅了されたかのように、あるいは誘われるように二人はソレに釘付けになる。何より窓辺の向こうからは眩いくらいに月光が照らし、それは安月にとっても流にとっても、たまらないものだった。

 服を脱ぐという行為は、凡そ理性がなければなりたたないようなもののはずだが、二人は釣られるようにして服を脱ぎだし始めていた。
 本能的なものに近かったと思われる。肌に密着する衣服が煩わしいと感じていた。
 だからこそ、自然と脱ぎ捨てる。そうとしか言いようがなかった。

 安月の母親の白い素肌が銀色に輝き始める。それは見間違いではない。
 皮膚の下からせり上がるように、体毛が姿を現してきたのだ。
 次第に、プロポーションの良い裸体がシルエットを変えていき、見る見るうちに、二足で立つくびれのついた雌狼がそこに立っていた。

 その真正面で、安月は酷い立ち眩みのようなものを覚え、立つのも辛いくらいに、よれよれとしながらも必死に体制を整える。
 心臓の高鳴りは最高潮で、あたかも自分の肉体が粘土のように歪んでいるような、そんな錯覚さえあった。

 それは以前の満月のときよりもマシだったのかもしれない。
 血液が沸騰して全身をめぐって溶かしていくような感覚の後、安月はようやくして自分が両足で真っすぐ立つのも難しい体躯になっていることに気付く。
 体中を濃い体毛で覆われ、骨格も人間のソレとは違うものに変形しており、何処か夢心地といった浮遊感の中にいた。

 そんなふらついた安月の身体を横から支えていたのは流だ。
 普段、あまり見る機会のなかった裸体は思うよりも筋肉質で、それが現在進行形で膨張していた。肉体とは風船のように膨らむものだったのだろうか。
 ふわふわ心地の安月の思考がまとまるより前にその流の肉体の変化は続いていき、灰色の体毛が波を打つように足先から頭の先へと覆っていった。

 流の様を見ていなければ、おそらくはソレを流と判断するのは難しかっただろう。
 二足歩行の大柄な狼が、優しい瞳をして安月を眺めていた。

 月明りを浴びて何十秒と経たぬ間に、家の中には三体の人狼が立っていた。
 その奇妙な光景に真っ先に疑問の声を上げたのは安月だ。

「どうして? ママも、狼だったの?」
「あら、言わなかったかしら。うふふ」

 イタズラっぽく笑みを浮かべて、小柄な雌狼が言う。
 その面影はまさに母親のものだ。

「ウェアウルフと交わると、その人もウェアウルフになるというのはよくあること。吸血鬼に噛まれて吸血鬼になるのと一緒で。でもボクの知る限りではレアケース」

 代わりに大きな狼が答える。
 その優しい瞳は流そのもので、何処も変わっていないようにさえ見えた。

「まあ、私の場合は純粋な狼とは違うらしいから変身もある程度制御できるのよね。安月はパパの血を引いてるからコントロールも大変と聞いたけど、どう?」

 小柄の雌狼がおちゃらけた感じで言い放つ。
 そう言われて、安月は意識がはっきりしていることを自覚できていた。
 前回のときはあまりに唐突で、理性も保てていなかった。
 母親がリードしてくれたおかげか。それとも流が見守ってくれたおかげか。

「大丈夫、かも……」
「そう。それはよかったわ」

 ふと、安月の脳裏に過ぎる。
 母親がいつまでも若々しく幼く見えるのは、人狼だったからなのでは。
 考え至るが、言葉にはしなかった。

「これからも少しでもコントロールしやすくするために定期的に息抜きガス抜きして発散してらっしゃい」

 そういって小柄な雌狼はガラス戸を開く。
 その先にあるのは外界――森だ。

「娘をよろしくね、流くん」

 改めて小柄な雌狼はそういうと、小さく会釈を添えた。
 それに返事をしたのかどうかは判断しづらかった。
 何故なら、今もこうして月明りを浴びているから、二人とも興奮が冷めない。

 今にも駆け出したい気分でいっぱいだった。
 家の外には広大な森も広がっている。こんなにウキウキすることもない。

「夜の散歩に行こう」
「うん」

 ほどよく曖昧な受け答えだった。何故なら、既に三人は開け放たれた窓に向かい、駆け出していたから。固いアスファルトの感触も分からないくらい狼の脚力をもって弾むように走り抜ける。
 まんまるの月明かりの下、森の香りに誘われるよう三人の足取りはそこへ向かう。

 安月と流がアスファルトから舗装されてない土の道に移り森の奥へ奥へと入るのを見届けた後、そこで小柄な雌狼は踏みとどまる。ここから先は若い二人を邪魔しないようにしよう。そう決めて、踵を返した。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

 柔らかで穏やかな日差しが差し込むリビング。
 ソファに腰を掛ける二人は、仲睦まじく寄り添っていた。
 テレビはついているものの集中している様子もなく、ニュースが垂れ流しの状態。

「うふふ……」

 何か言葉を交わすというわけでもなく、密着したまま笑みを見せ合う。
 どちらもまんざらではないといった様相で、時間だけが過ぎていく。

 どうやら二人の相性は本当にピッタリだったよう。
 付き合い始めてどれくらい経ったかは定かではないが、狼の時もそうでない時も、このようにしてイチャイチャとしてばかりだ。

「はぁー……やれやれ。仲良きことは美しきかな」

 呆れた顔を見せ、安月の母親はフフと鼻で笑う。その期待のこもった眼差しは、孫の顔を心待ちにしているようにも見えた――……。




みんなのリアクション

 安月と流が付き合い始めて早一週間ほど経つ。
 周囲に公表したわけでもないが、隠していたわけでもない。
 おおよそ女子のグループからもノーマークだった流が安月と付き合っている事実は色々な意味で周知されていくのも早かった。
 まさかあの陰キャと付き合うことになろうとは、などと口々に言われる。
 あらぬ噂もされることも多かったが、安月にとってはどうでもよかった。
 流と一緒にいるだけで他に関心を抱く意味もなかったからだ。
 伝承や御伽噺に過ぎなかった人狼についての話から、現代社会で人狼がどのように生きながらえているのかまでを教えてもらいつつも、安月は流と良好な関係を保ち、過ごしていた。
 流の顔も声もどれも不思議なくらいに魅力的で、何をしていても、何をしなくとも安月は流のそばにいることに幸せを覚えていた。
 それもまた人狼特有の性的なフェロモンによる作用なのだと頭では分かっていても拒む理由もなく、本能的に受け入れるほかなかった。
 流に聞くところによれば、相性の良い人狼というのは、本当に希少なものらしく、運命の人と言っても遜色なく、そのこともまた安月の感情を高ぶらせた。
 やがて満月の夜が近づいてくるにつれて、何かに呼応するかのようにその高ぶりは際限なく何処までも上昇していった。
 それを頃合いと見たのか、安月は母親に流のことを紹介する覚悟を決める。
 もっと早くてもよかったくらいだが、母親の眼鏡に適うかどうかの不安もあった。
 けして、厳しい母親ではないことは安月も分かっているつもりではあったものの、ことは将来の伴侶。これまで男っ気のなかった安月には打ち明けにくかった。
 ただ、さすがにいつまでも隠し通してしまうのも無理がある。
「今度の満月の夜、ママに紹介するって言っておいたからね」
「う、うん……なるべく、粗相のないようにするよ」
 親に紹介ともなれば緊張も高まる。
 厳しい人が出てきたらどうしたものかと流も冷汗が垂れる。
 そうでなくとも、流はあまり人とは関りを持とうとはしない気質。
 結婚を前提としたお付き合いに同意してくれるのかどうか、今の時点で既に脳内でシミュレーションが始まりつつあった。
 ※ ※ ※
 まだ月も見えない穏やかな昼下がり、静かな住宅街の端に何のことなく建っている一戸建ての前。安月と流は並んで立っていた。
 初めて安月の母親に挨拶にしきた流の緊張具合も然ることながら、現在も同居中の安月ですら玄関先で顔が強張るほど緊張していた。
「ただいま、ママ」
「おかえり、安月っ」
 玄関を開けてすぐ、母親が姿を現す。どうやら今か今かと待ち構えていたらしい。
 その一歩後ろにいた流も意表を突かれて思わずたじろいだ。
 いきなり安月の母親と対面したこともそうだったが、その母親が想像を上回る美女だったことにも驚いていた。話には聞いていたが、成人した娘がいるような年齢には到底思えないくらい、若々しい、を通り越して幼い。
「そちらが流くんね。いつも娘がお世話になっておりますぅ」
「い、いえ……」
 いやに黄色い声で言うものだから、流も言葉に詰まりかける。
「先日は娘を送り届けていただいて」
「そ、その節はど、どうも……」
 安月からしても流からしても触れづらい話題にもずかずかと踏み込んでいく。
 実の娘が裸で送り届けられたことについて思うところはなかったのだろうか。
「さあさ、立ち話もなんだから、どうぞどうぞ」
 二人の緊張感を脆いせんべいみたいに破って、持ち前の明るいテンションで家へと迎え入れる。安月も流も、すっかりペースを乱された調子だ。
 リビングからは美味しそうな匂いが立ち上っており、かなり豪勢なパーティ会場がそこに出来上がっていた。何なら、安月の誕生日よりも力が入っている。
 彼氏を紹介するとしか言っていないのにこの有様である。
 母親の浮かれっぷりが如実に表れている。
 一人で壁や天井に飾り付けしていたと思うと安月も恥ずかしさが込み上げてきた。
「じゃあママに改めて紹介するわ。こちら私と同じ大学に通ってる灰蓮流くん」
「ども……」
 高身長ながらパッと冴えない姿勢を見せる流に、母親は小動物でも見るような目で関心深く眺める。それでもって何を見定めているのかは不明だ。
「改めてみると、いい体つきしているじゃない。下宿に住んでいるって言ったけど、そこで一人暮らしなのかしら」
「え、ええ、まあ。大学のために実家を離れてきた感じで」
 まるで面接官の会話だ。どちらかといえば、母親はふざけ半分の態度にも見えた。
 一方の流はといえば、本格的に面接を受けているような応対をしている。
「一応聞いておくけど、流くんは狼男、なのよね?」
「はい、そう、です。一般的に言う、狼男、になります」
 流の返答は緊張もあるのか、やはりたどたどしい。
 そんな流をよそに、母親は流の二の腕を触りだしたり、胸板を撫で始める。
 あまりの馴れ馴れしさに安月は硬直する。
 当の流本人もどう反応すべきか迷っているようで、ポカンとしている。
「いいわねぇ、若い男の子って。ちゃんと筋肉もがっしりしてるわ」
 見ず知らずの中年女性ならまだしもスタイル抜群でまだ二十代でも通用するような美貌を持つ美女に言い寄られては流の視線も泳いでしまう。
 下手したら娘の彼氏を横取りしかねない風貌も、目のやり場も困っている様子だ。
「変な子だったらどうしようかと思ったけど、あなたなら安月を任せられるわ」
 そういって、母親はポンと流の肩を叩く。
 意表を突かれて流もハッとした表情を浮かべた。
「これからもうちの娘をよろしくお願いします」
 茶化すような態度から打って変わって、深々と頭を下げ、頼み込む。
 これには安月もパァっと明るくなる。
「それじゃあご飯が冷めちゃうから、どうぞ召し上がって」
 切り替え早く、母親はポツンと突っ立っている二人に夕食の席へと促す。
 あまりの調子っぱずれに振り回されつつも、三人そろって食卓についた。
 ※ ※ ※
 食事を済ませた頃合い、時間はもう夜更け。外は暗く、月明かりが照らしてくる。
 今は分厚いカーテンで殆どが遮られているが、何ともないとまではいかない。
 現に、安月もうずうずとした気持ちでしきりに窓に何度も視線が泳ぐ。
 今夜は満月。人と狼の狭間である人狼にとって、特別な意味を持つ。
 誕生日のときは、理性を失って暴走してしまった安月だったが、今は流がいる。
 母親に紹介する日を今日に選んだのも、前回のような失敗をしないため。
 少しずつ慣らしていけば、満月を浴びても理性を保つことができるのだという。
 ともなれば母親公認の下、人狼としてのレクチャーを受けるのが適当と判断した。
 まさか満月の夜に家にも帰らず、知らない男の家で過ごしたなどと言ってしまえば母親に心配かけてしまうのは目に見えている。
 だからこそ、流を紹介する名目も兼ねて、安月の家に呼んだのだ。
「……大丈夫。落ち着いて」
 ボーっとした面持ちで窓辺に釘付けになった安月の横、流がそっと肩を抱く。
 さしもの流も、満月の光に何も動じていないというわけでもない。
 少しでも安月の母親の前で彼氏としての面目を保つために堪えていた。
 そんなときだ。
 何処か、嬉しそうな、あるいは楽しそうな表情を浮かべて母親が近寄る。
 もとより、幼さを残した顔つきだからか、遠足前の女児にも見える純朴な笑み。
「うふふ、ねえ、二人とも。せっかくだから、一緒に変身してみるのはどう?」
 お酒でも入っているのか。いや、今夜の食卓にそんなに酒はなかったはず。
 そう思ってしまうくらいに、ふわふわとした言い回しで、母親がニタつく。
 窓辺の分厚いカーテンに手を掛け、思いっきり引く。
 その窓の外には大きな遮蔽物などない。壁も木々も避けて、月明かりが差し込む。
 そのとき安月も流も意表をつかれたのは満月の光が飛び込んできたからではない。
 安月の母親が服を脱ぎ始めていたからだ。
「ちょ、ちょっと、ママ!?」
 その動きに躊躇いはなく、月光を素肌に浴びるその姿は神秘的にも見えた。
 火照る体を冷たいシャワーで治めるみたいに、窓辺に四肢が揺れる。
 理解するより早く、安月の母親に魅了されたかのように、あるいは誘われるように二人はソレに釘付けになる。何より窓辺の向こうからは眩いくらいに月光が照らし、それは安月にとっても流にとっても、たまらないものだった。
 服を脱ぐという行為は、凡そ理性がなければなりたたないようなもののはずだが、二人は釣られるようにして服を脱ぎだし始めていた。
 本能的なものに近かったと思われる。肌に密着する衣服が煩わしいと感じていた。
 だからこそ、自然と脱ぎ捨てる。そうとしか言いようがなかった。
 安月の母親の白い素肌が銀色に輝き始める。それは見間違いではない。
 皮膚の下からせり上がるように、体毛が姿を現してきたのだ。
 次第に、プロポーションの良い裸体がシルエットを変えていき、見る見るうちに、二足で立つくびれのついた雌狼がそこに立っていた。
 その真正面で、安月は酷い立ち眩みのようなものを覚え、立つのも辛いくらいに、よれよれとしながらも必死に体制を整える。
 心臓の高鳴りは最高潮で、あたかも自分の肉体が粘土のように歪んでいるような、そんな錯覚さえあった。
 それは以前の満月のときよりもマシだったのかもしれない。
 血液が沸騰して全身をめぐって溶かしていくような感覚の後、安月はようやくして自分が両足で真っすぐ立つのも難しい体躯になっていることに気付く。
 体中を濃い体毛で覆われ、骨格も人間のソレとは違うものに変形しており、何処か夢心地といった浮遊感の中にいた。
 そんなふらついた安月の身体を横から支えていたのは流だ。
 普段、あまり見る機会のなかった裸体は思うよりも筋肉質で、それが現在進行形で膨張していた。肉体とは風船のように膨らむものだったのだろうか。
 ふわふわ心地の安月の思考がまとまるより前にその流の肉体の変化は続いていき、灰色の体毛が波を打つように足先から頭の先へと覆っていった。
 流の様を見ていなければ、おそらくはソレを流と判断するのは難しかっただろう。
 二足歩行の大柄な狼が、優しい瞳をして安月を眺めていた。
 月明りを浴びて何十秒と経たぬ間に、家の中には三体の人狼が立っていた。
 その奇妙な光景に真っ先に疑問の声を上げたのは安月だ。
「どうして? ママも、狼だったの?」
「あら、言わなかったかしら。うふふ」
 イタズラっぽく笑みを浮かべて、小柄な雌狼が言う。
 その面影はまさに母親のものだ。
「ウェアウルフと交わると、その人もウェアウルフになるというのはよくあること。吸血鬼に噛まれて吸血鬼になるのと一緒で。でもボクの知る限りではレアケース」
 代わりに大きな狼が答える。
 その優しい瞳は流そのもので、何処も変わっていないようにさえ見えた。
「まあ、私の場合は純粋な狼とは違うらしいから変身もある程度制御できるのよね。安月はパパの血を引いてるからコントロールも大変と聞いたけど、どう?」
 小柄の雌狼がおちゃらけた感じで言い放つ。
 そう言われて、安月は意識がはっきりしていることを自覚できていた。
 前回のときはあまりに唐突で、理性も保てていなかった。
 母親がリードしてくれたおかげか。それとも流が見守ってくれたおかげか。
「大丈夫、かも……」
「そう。それはよかったわ」
 ふと、安月の脳裏に過ぎる。
 母親がいつまでも若々しく幼く見えるのは、人狼だったからなのでは。
 考え至るが、言葉にはしなかった。
「これからも少しでもコントロールしやすくするために定期的に息抜きガス抜きして発散してらっしゃい」
 そういって小柄な雌狼はガラス戸を開く。
 その先にあるのは外界――森だ。
「娘をよろしくね、流くん」
 改めて小柄な雌狼はそういうと、小さく会釈を添えた。
 それに返事をしたのかどうかは判断しづらかった。
 何故なら、今もこうして月明りを浴びているから、二人とも興奮が冷めない。
 今にも駆け出したい気分でいっぱいだった。
 家の外には広大な森も広がっている。こんなにウキウキすることもない。
「夜の散歩に行こう」
「うん」
 ほどよく曖昧な受け答えだった。何故なら、既に三人は開け放たれた窓に向かい、駆け出していたから。固いアスファルトの感触も分からないくらい狼の脚力をもって弾むように走り抜ける。
 まんまるの月明かりの下、森の香りに誘われるよう三人の足取りはそこへ向かう。
 安月と流がアスファルトから舗装されてない土の道に移り森の奥へ奥へと入るのを見届けた後、そこで小柄な雌狼は踏みとどまる。ここから先は若い二人を邪魔しないようにしよう。そう決めて、踵を返した。
 ※ ※ ※
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 柔らかで穏やかな日差しが差し込むリビング。
 ソファに腰を掛ける二人は、仲睦まじく寄り添っていた。
 テレビはついているものの集中している様子もなく、ニュースが垂れ流しの状態。
「うふふ……」
 何か言葉を交わすというわけでもなく、密着したまま笑みを見せ合う。
 どちらもまんざらではないといった様相で、時間だけが過ぎていく。
 どうやら二人の相性は本当にピッタリだったよう。
 付き合い始めてどれくらい経ったかは定かではないが、狼の時もそうでない時も、このようにしてイチャイチャとしてばかりだ。
「はぁー……やれやれ。仲良きことは美しきかな」
 呆れた顔を見せ、安月の母親はフフと鼻で笑う。その期待のこもった眼差しは、孫の顔を心待ちにしているようにも見えた――……。


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