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二頭の狼

ー/ー



 よそよそしく乱れた着衣を直し、ヒスイは汗ばんだ額を拭いながら、師匠の方に視線を合わせないように伏せていた。

「どうですか、ヒスイ」
「なっ、なにが、でしょうか」

 優しい問いかけに、ヒスイはうわずった声で返す。

「あなたからは魂の変化を感じます。今なら狼の力を引き出すことができるのではないですか?」

 いつも通りのおっとりとした師匠の言葉に、ヒスイは何処か理不尽さを覚えつつ、自分の手のひらを眺め、なぞってみる。そして力を込めてみるが、何の変化もない。

「自分の意思で狼になれるはずですよ」

 師匠は腕を伸ばし、その手の先だけを毛皮で覆われた狼のものに変える。かと思えば手のひらを返した途端、その手は人間のものへと戻る。

 そんな実演を見せるも、ヒスイの肉体は狼になる気配もなかった。

「すみません……師匠。オレ……」
「焦ることはありません。まだ慣れていないだけでしょう。少しずつ覚えていけばいいのです」

 そういって師匠はヒスイの背中から肩を抱き、優しく抱擁する。

 結局その日、ヒスイは狼に変身することはないまま、日が暮れてしまい、師匠の家を後にしてとぼとぼと山道を降りていくのだった。

 ※ ※ ※

 それから幾日か経ち、ヒスイの修行はいつも通りに続けられていた。しかし、相変わらずヒスイは狼に変身することはできず、稽古にもあまり身が入らないことが多くなっていた。

 そんな小さな背中を見ながらも、師匠は厳しい言葉も掛けなかった。

 それはかえって、ヒスイにとって余計に辛いことでもあった。何せ、ヒスイが稽古を終えて村に帰る度に、村人たちの怯える様を目の当たりにする。

 今のところは新たな襲撃は来ていないが、おそらく師匠が対処しているのだと思うとヒスイは胸が締め付けられるような思いだった。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

 明くる日。

 ヒスイは早朝を告げる小鳥の囀りよりも早く、はたまた日の明かりが窓から射し込むよりも早くに家を飛び出していった。

 その方角は、かつて戦場があったとされる山のある方角。まだ日の出から間もなく、薄暗い道だったが、それでも急かされるように足を速める。

 すると、それはヒスイの目の前に立ちはだかった。あのときと同じ、猪頭の化け物と大ガラスの群れ。またしても村を襲撃しにきていたのだ。

 だが、その数はあのときよりも遙かに多かった。まるで一国の軍勢のよう。
 こんなものが村に来たのでは今度こそ一溜まりもない。

「掛かってこい! 今度こそ撃退してやる!」

 ヒスイがそう吼えた、その矢先のことだった。

「早いですね、ヒスイ」

 背後の方から声が聞こえ、振り向こうとする前にそれはヒスイの眼前に立っていた。紛れもなく師匠だった。あっと驚いている間にも、師匠は疾風のような身のこなしで宙を舞い、物の怪たちをなぎ倒していく。

「今日は前よりも数が多いようです。最初から本気を出さなければいけませんね」

 フーッと思いきり息を吸い、ハーッと吐く。完全に脱力しきったその直後、師匠の肉体が膨張していき、瞬く間に全身が銀色の毛皮に覆われていった。
 衣類は弾け飛び、肥大化していった手足からは鋭い爪が伸びる。

 ゴキゴキと骨格が変形していく音を立てて、次第に師匠の表情が、顔つきが、狼のものへと変化していき、とうとう口からは牙が突き出す。

「グルルル……ッ!」

 師匠だった狼は、先ほどまでの動きを遙かに凌駕する俊敏さで化け物どもに立ち向かっていった。瞬きしている間にも血飛沫が右から左から噴き出してくる有様だ。

「加勢します!」

 ぼんやり眺めている場合ではない。ヒスイも大地を蹴り、村へと進撃していく化け物の群れに立ち向かっていく。

 戦闘力という面では、ヒスイは銀の狼の足下にも及ばない。それでも猪頭の化け物と大ガラスを蹴散らせるほどの力はあった。

 だが、それでも状況は芳しくはなかった。倒しても倒しても、次から次へと沸いて出てくる。一匹たりとも村に近づけるわけにはいかないのに、相手の方が数では圧倒的に上だった。

 そうして十数体ほど撃墜したところで、ヒスイは気付いた。化け物たちはあまりヒスイに方に注意が向いていないと。

 それどころか、村とは違う方角に集中しているようだった。
 そこでハッとする。そちらの方に注意を向けてみると、あろうことか銀色の狼――師匠が化け物たちに取り囲まれて集中攻撃を受けていた。

 どうやらヒスイには目もくれず、一番の脅威から潰していくつもりらしい。

 さすがの師匠とはいえど、その数での集中攻撃は多勢に無勢すぎた。

 猪頭の化け物の一匹がその巨大な棍棒を大きく振りかぶり、勢いよく空に向けて振り切った。すると血まみれの狼が弾き出されて飛んでくる。

 そのまま狼は地面を跳ね返り、無残な姿を晒していた。惨いなどという言葉で推し量れるようなものではない。その狼を中心に据えて、血溜まりができていく。

 ブチッ。不意にそんな音が聞こえたような気がした。

「お前ら……よくも師匠を……、よくもオレの大事な人を……」

 風はそれほど吹いていなかったが、ヒスイの周囲は激しく震えていた。それはヒスイの持つ気の流れによるもの。未だかつてないほどの感情の奔流がヒスイの気を暴走させていたのだろう。

 次第に、炎の如く熱気をまとい、ヒスイの肉体にも変化が訪れる。

 膨張と形容していいのか、ヒスイの筋肉が弾けんばかりに巨大化していき、腕も脚も丸太のように太く大きく、そして鋼鉄のように硬くなっていった。

 その全身を覆い尽くすように銀色の毛皮が津波の押し寄せるようにザザァと生えていき、見る見るうちにヒスイの身体は変わり果てていく。

 ゴキュ……ベキッ……、と岩石を破砕するかのような轟音を立てて、ヒスイは四つん這いの体勢となり、ますますの巨大化を果たす。

 先ほどまでは猪頭の化け物も大ガラスも、ヒスイの背丈の倍以上はあった。それが今では、ヒスイの方が見下ろすほど。

 それを狼と呼べたのだろうか。
 膨張しきった筋肉の塊のようなソレが忽然と姿を現した。

「グガアアアアァァァァ――――ッ!!」

 吼えるだけで化け物の群れは動きを止める。猪頭の化け物は尻餅をつき、空を舞っていた大ガラスどもも燻された羽虫のように地面に墜落していく。

 その豪腕な腕を振るえば、そこに転がっている物の怪どもはいとも容易く切り裂かれ、ただの肉塊へと変貌していく。

 ヒスイは、師匠を凌ぐ圧倒的な狼男へと成っていた。そこからはもう瞬く間に一掃され、後に残るは無数の化け物の死骸と、今となっては小さく感じる狼女のみ。

 こちらは息があるようで、見る見るうちに傷も塞がっていき、一命を取り留めたよう。

 その様子を確認し、巨大狼も安堵したのか、力が抜けていくように、どんどん萎んでいき、気付いたときには元のヒスイの姿へと戻っていた。

「はぁー……、はぁー……、はぁー……」

 力を使い果たしたのか、師匠に駆け寄る余力もなく、ヒスイは地面に倒れ込む。





「おぅい、大丈夫かぁ?」

 しばらくして、すっかり日も昇ってきた頃合い。
 何があったのかと警戒していた村人たち数人は無数の化け物の死骸の山と、その直ぐ近くに血まみれで倒れる全裸の男女の姿を確認する。

「あ、ああ……なんとか、大丈夫だ。村の方は、無事、か?」

 息も絶え絶えにヒスイが答える。

「ヒスイさんか。こんなボロボロになって、村を守ってくれたんだな」

 村人が涙ぐんで言う。確かに今のヒスイたちの格好は酷い有様ではあった。ほとんどが物の怪たちの返り血ではあるものの、その様子からどんな死闘が繰り広げられたのかは容易に想像できた。

「アンタらは英雄だよ」

 その嬉しそうな言葉を聞いて、ヒスイは笑みを浮かべながらもようやくして意識を飛ばした。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

 それからまたしばらく経って、村の復興が進んできた頃合い。元よりも立派になったそんな村のやや外れで、小さな結婚式が行われていた。

 村を救った英雄たちのささやかな催しだ。あれから村を襲撃する物の怪はいなくなったようで、長年見守っていた狼女も自分の役目が終わったことを悟ったらしい。

 それが分かるや否や、直ぐさま腰を落ち着かせることにしたそうだ。

「何も結婚までしなくても……」
「私は長年独身でしたからね。番――伴侶がほしいとかねがね思っていたのですよ」

 今まで見せたことのないような笑みを浮かべ、ヒスイの腕に抱きついた。満更でもないという表情を見せつつ、ヒスイは小さくフゥと息をつく。

 村人たちに祝福される中、二人の英雄は手に入れた平穏と幸せをただただ噛みしめるのだった。





 村はずれの切り立った崖の近く、雲をも見下ろせる山の端。そこには一軒家があった。

「えいっ! やぁっ!」
「とぉっ! たぁっ!」
「筋がいいぞ。その調子だ」

 村の少年少女たちの拳をいなしながら武芸の稽古をしていたのはヒスイだった。あれから村の将来のためを考え、今ではヒスイが師匠として稽古をする立場になっていた。

 英雄に稽古をつけてもらえるとあっては、村人たちも安心というもの。
 評判を呼び、隣の村にまでその噂が囁かれているほどだ。

「さあ、そろそろ休憩にしませんか?」
「はぁーい!」
「つかれたぁー!」

 稽古している傍らで、お腹を大きくした女性が優しく微笑み、ヒスイも笑顔で返す。のちに、この村の近辺では銀色の狼の伝説がまことしやかに囁かれることになるのだが、それはまた別のお話――……。


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 よそよそしく乱れた着衣を直し、ヒスイは汗ばんだ額を拭いながら、師匠の方に視線を合わせないように伏せていた。
「どうですか、ヒスイ」
「なっ、なにが、でしょうか」
 優しい問いかけに、ヒスイはうわずった声で返す。
「あなたからは魂の変化を感じます。今なら狼の力を引き出すことができるのではないですか?」
 いつも通りのおっとりとした師匠の言葉に、ヒスイは何処か理不尽さを覚えつつ、自分の手のひらを眺め、なぞってみる。そして力を込めてみるが、何の変化もない。
「自分の意思で狼になれるはずですよ」
 師匠は腕を伸ばし、その手の先だけを毛皮で覆われた狼のものに変える。かと思えば手のひらを返した途端、その手は人間のものへと戻る。
 そんな実演を見せるも、ヒスイの肉体は狼になる気配もなかった。
「すみません……師匠。オレ……」
「焦ることはありません。まだ慣れていないだけでしょう。少しずつ覚えていけばいいのです」
 そういって師匠はヒスイの背中から肩を抱き、優しく抱擁する。
 結局その日、ヒスイは狼に変身することはないまま、日が暮れてしまい、師匠の家を後にしてとぼとぼと山道を降りていくのだった。
 ※ ※ ※
 それから幾日か経ち、ヒスイの修行はいつも通りに続けられていた。しかし、相変わらずヒスイは狼に変身することはできず、稽古にもあまり身が入らないことが多くなっていた。
 そんな小さな背中を見ながらも、師匠は厳しい言葉も掛けなかった。
 それはかえって、ヒスイにとって余計に辛いことでもあった。何せ、ヒスイが稽古を終えて村に帰る度に、村人たちの怯える様を目の当たりにする。
 今のところは新たな襲撃は来ていないが、おそらく師匠が対処しているのだと思うとヒスイは胸が締め付けられるような思いだった。
 ※ ※ ※
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 明くる日。
 ヒスイは早朝を告げる小鳥の囀りよりも早く、はたまた日の明かりが窓から射し込むよりも早くに家を飛び出していった。
 その方角は、かつて戦場があったとされる山のある方角。まだ日の出から間もなく、薄暗い道だったが、それでも急かされるように足を速める。
 すると、それはヒスイの目の前に立ちはだかった。あのときと同じ、猪頭の化け物と大ガラスの群れ。またしても村を襲撃しにきていたのだ。
 だが、その数はあのときよりも遙かに多かった。まるで一国の軍勢のよう。
 こんなものが村に来たのでは今度こそ一溜まりもない。
「掛かってこい! 今度こそ撃退してやる!」
 ヒスイがそう吼えた、その矢先のことだった。
「早いですね、ヒスイ」
 背後の方から声が聞こえ、振り向こうとする前にそれはヒスイの眼前に立っていた。紛れもなく師匠だった。あっと驚いている間にも、師匠は疾風のような身のこなしで宙を舞い、物の怪たちをなぎ倒していく。
「今日は前よりも数が多いようです。最初から本気を出さなければいけませんね」
 フーッと思いきり息を吸い、ハーッと吐く。完全に脱力しきったその直後、師匠の肉体が膨張していき、瞬く間に全身が銀色の毛皮に覆われていった。
 衣類は弾け飛び、肥大化していった手足からは鋭い爪が伸びる。
 ゴキゴキと骨格が変形していく音を立てて、次第に師匠の表情が、顔つきが、狼のものへと変化していき、とうとう口からは牙が突き出す。
「グルルル……ッ!」
 師匠だった狼は、先ほどまでの動きを遙かに凌駕する俊敏さで化け物どもに立ち向かっていった。瞬きしている間にも血飛沫が右から左から噴き出してくる有様だ。
「加勢します!」
 ぼんやり眺めている場合ではない。ヒスイも大地を蹴り、村へと進撃していく化け物の群れに立ち向かっていく。
 戦闘力という面では、ヒスイは銀の狼の足下にも及ばない。それでも猪頭の化け物と大ガラスを蹴散らせるほどの力はあった。
 だが、それでも状況は芳しくはなかった。倒しても倒しても、次から次へと沸いて出てくる。一匹たりとも村に近づけるわけにはいかないのに、相手の方が数では圧倒的に上だった。
 そうして十数体ほど撃墜したところで、ヒスイは気付いた。化け物たちはあまりヒスイに方に注意が向いていないと。
 それどころか、村とは違う方角に集中しているようだった。
 そこでハッとする。そちらの方に注意を向けてみると、あろうことか銀色の狼――師匠が化け物たちに取り囲まれて集中攻撃を受けていた。
 どうやらヒスイには目もくれず、一番の脅威から潰していくつもりらしい。
 さすがの師匠とはいえど、その数での集中攻撃は多勢に無勢すぎた。
 猪頭の化け物の一匹がその巨大な棍棒を大きく振りかぶり、勢いよく空に向けて振り切った。すると血まみれの狼が弾き出されて飛んでくる。
 そのまま狼は地面を跳ね返り、無残な姿を晒していた。惨いなどという言葉で推し量れるようなものではない。その狼を中心に据えて、血溜まりができていく。
 ブチッ。不意にそんな音が聞こえたような気がした。
「お前ら……よくも師匠を……、よくもオレの大事な人を……」
 風はそれほど吹いていなかったが、ヒスイの周囲は激しく震えていた。それはヒスイの持つ気の流れによるもの。未だかつてないほどの感情の奔流がヒスイの気を暴走させていたのだろう。
 次第に、炎の如く熱気をまとい、ヒスイの肉体にも変化が訪れる。
 膨張と形容していいのか、ヒスイの筋肉が弾けんばかりに巨大化していき、腕も脚も丸太のように太く大きく、そして鋼鉄のように硬くなっていった。
 その全身を覆い尽くすように銀色の毛皮が津波の押し寄せるようにザザァと生えていき、見る見るうちにヒスイの身体は変わり果てていく。
 ゴキュ……ベキッ……、と岩石を破砕するかのような轟音を立てて、ヒスイは四つん這いの体勢となり、ますますの巨大化を果たす。
 先ほどまでは猪頭の化け物も大ガラスも、ヒスイの背丈の倍以上はあった。それが今では、ヒスイの方が見下ろすほど。
 それを狼と呼べたのだろうか。
 膨張しきった筋肉の塊のようなソレが忽然と姿を現した。
「グガアアアアァァァァ――――ッ!!」
 吼えるだけで化け物の群れは動きを止める。猪頭の化け物は尻餅をつき、空を舞っていた大ガラスどもも燻された羽虫のように地面に墜落していく。
 その豪腕な腕を振るえば、そこに転がっている物の怪どもはいとも容易く切り裂かれ、ただの肉塊へと変貌していく。
 ヒスイは、師匠を凌ぐ圧倒的な狼男へと成っていた。そこからはもう瞬く間に一掃され、後に残るは無数の化け物の死骸と、今となっては小さく感じる狼女のみ。
 こちらは息があるようで、見る見るうちに傷も塞がっていき、一命を取り留めたよう。
 その様子を確認し、巨大狼も安堵したのか、力が抜けていくように、どんどん萎んでいき、気付いたときには元のヒスイの姿へと戻っていた。
「はぁー……、はぁー……、はぁー……」
 力を使い果たしたのか、師匠に駆け寄る余力もなく、ヒスイは地面に倒れ込む。
「おぅい、大丈夫かぁ?」
 しばらくして、すっかり日も昇ってきた頃合い。
 何があったのかと警戒していた村人たち数人は無数の化け物の死骸の山と、その直ぐ近くに血まみれで倒れる全裸の男女の姿を確認する。
「あ、ああ……なんとか、大丈夫だ。村の方は、無事、か?」
 息も絶え絶えにヒスイが答える。
「ヒスイさんか。こんなボロボロになって、村を守ってくれたんだな」
 村人が涙ぐんで言う。確かに今のヒスイたちの格好は酷い有様ではあった。ほとんどが物の怪たちの返り血ではあるものの、その様子からどんな死闘が繰り広げられたのかは容易に想像できた。
「アンタらは英雄だよ」
 その嬉しそうな言葉を聞いて、ヒスイは笑みを浮かべながらもようやくして意識を飛ばした。
 ※ ※ ※
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 それからまたしばらく経って、村の復興が進んできた頃合い。元よりも立派になったそんな村のやや外れで、小さな結婚式が行われていた。
 村を救った英雄たちのささやかな催しだ。あれから村を襲撃する物の怪はいなくなったようで、長年見守っていた狼女も自分の役目が終わったことを悟ったらしい。
 それが分かるや否や、直ぐさま腰を落ち着かせることにしたそうだ。
「何も結婚までしなくても……」
「私は長年独身でしたからね。番――伴侶がほしいとかねがね思っていたのですよ」
 今まで見せたことのないような笑みを浮かべ、ヒスイの腕に抱きついた。満更でもないという表情を見せつつ、ヒスイは小さくフゥと息をつく。
 村人たちに祝福される中、二人の英雄は手に入れた平穏と幸せをただただ噛みしめるのだった。
 村はずれの切り立った崖の近く、雲をも見下ろせる山の端。そこには一軒家があった。
「えいっ! やぁっ!」
「とぉっ! たぁっ!」
「筋がいいぞ。その調子だ」
 村の少年少女たちの拳をいなしながら武芸の稽古をしていたのはヒスイだった。あれから村の将来のためを考え、今ではヒスイが師匠として稽古をする立場になっていた。
 英雄に稽古をつけてもらえるとあっては、村人たちも安心というもの。
 評判を呼び、隣の村にまでその噂が囁かれているほどだ。
「さあ、そろそろ休憩にしませんか?」
「はぁーい!」
「つかれたぁー!」
 稽古している傍らで、お腹を大きくした女性が優しく微笑み、ヒスイも笑顔で返す。のちに、この村の近辺では銀色の狼の伝説がまことしやかに囁かれることになるのだが、それはまた別のお話――……。