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軍人、ジャングルの奥地に消ゆ

ー/ー



「動けるか、サイ」
「驚くことにね」

 森の中、二人は生存していた。どのようにして、という理由は単純にして明快なものだ。受け身をとっただけに過ぎない。あの高所を受け身で耐えきれるのかという疑問もあるが、生きている彼らこそがその証明である。

 二人が追い詰められたのは事実だが、それだけが真実ではなかった。

 新薬によってサイとバギンは肉体を蝕まれていったが、そのままでは犬死は避けられない。だからこそ、バギンは提案したのだ。この戦場から逃げ出すその手段を。

 戦場で死んだことにすればこの不条理から解放される。あの無謀な作戦こそ、そのための布石。少なくとも味方に死亡したと強く印象付けられたことだろう。

 しかし、ここはまだ敵地。死体を確認しに来るかもしれない。それを危惧して、二人は身を隠すべく移動する。すると、そこには廃屋らしきものがそこにあった。

 今は使われていない武器庫だろうか。何にしても、二人は小屋へと急ぐ。
 ふと、気配を殺すことを考慮しての匍匐前進かと思われたが、二人は四つ足で動いていた。それも自然な形で。

 新薬の副作用も深刻なのだろうか。骨格ももはや人間離れしてきている。
 廃屋の中、荒い息遣いだけが聞こえる。

「はぁー……、はぁー……、サイ」
「どうした……、バギン」
「弱音は吐きたくない……だが私もそろそろ人間の部分が消えてしまいそうなんだ」

 見ると、露出した肌に虎のような毛が見えていた。ますます肉体は虎に変わりつつあるのだろう。それはサイの方も自覚しつつあった。

「この期に及んで世迷言と思われるかもしれないが、この感情が消え去る前に告白させてくれ」

 呼吸を整えながら、バギンは言葉を吐き出す。

「これまで母国のため尽くしてきたが、どんな戦場でも生き抜いてこれたのはサイ。お前がいたからでもあるんだ。め、女々しいか?」

 慌てふためいた様子のバギンを見て、サイはフッと笑みをこぼす。

「女々しくて何が悪い。俺はそんなバギンに惹かれていたんだ」
「え、それって……」

 少しずつ、少しずつ、形が変わっていく二人は、その瞬間を惜しむように、距離を詰める。

「――お願いだ、サイ。このまま私が私でなくなっても、私のことを――愛してくれないか?」
「勿論だ」

 正面を切って、サイは答えた。そして、その返事は口づけで返された。
 ほんの短い時間のようでありながら、永遠にも等しいひと時が二人を包む。

 唇が離れたとき、一筋の糸が橋を渡した。バギンは顔を赤らめ、目を伏せるようにし、そそくさと距離をとる。外から誰かこないかを警戒するそぶりを見せつつ。刹那、サイに背を向けていた、そのときだった。

「ぐるるぅ……――」

 低い獣の唸り声。バギンの背に重く伸し掛かる巨体。その正体はサイだと分かっていたが、バギンは反応に遅れてしまっていた。既に理性は潰える寸前だったのだ。最後の変化が訪れる。

 肉体が膨張していくかのように、二人が身にまとっていた服がちぎれて破けていく。その下の肌があらわとなる。一糸まとわぬ姿ではあったが、もはやそれは人間のものではなかった。

 全身がもう虎の毛皮に覆われており、二人の肉体は殆ど虎のそれと変わらない。そこにいるのは軍人のサイではない。ただの獣だ。

 やがて、変化が終わりを迎えようとしていた。
 中途半端に生えていたしっぽは立派にふさふさと伸びきり、うねるように動く。

 顔つきも変貌し、虎に相応しいものへと変わり、耳も頭の上へと移動し、今度こそちゃんとした虎の耳となる。生えそろっていた歯も鋭い牙へと置き換わっていき、獰猛な虎以外の何物でもない。

 さっきまで抱き合おうとしていたその腕さえも人間の形から大きく逸脱していく。猫のような肉球も形成されていき、その手の中に刃物を思わせるような鋭い爪が収められていた。

「ぐるぅ……ぐぅ……」

 荒い吐息は唸り声に置き換わる。

 サイも一際大きな唸り声をあげたかと思えば、それに合わせるようにバギンも吠えんばかりに唸った。身体を大きく震わせ、力強く吠える。

 このとき、全ての変化が完了した。
 サイとバギンは身も心も、虎のものとなったのだ。

 こうして、二頭の虎は廃屋から抜け出ていき、そのまま密林の何処か奥地へと消えていった。

 のちに、敵兵がサイとバギンの死体を確認しに訪れたが、散乱していた武器や衣類に加え、虎のものと思わしき痕跡を見つけ、今度こそ二人の死は確実なものだったと報告するのだった……――――。


 ※ ※ ※


――――あれから、どれくらいのときが経っただろうか。

 かつて戦場であったその密林に、一陣の風が迷い込んでくる。
 そこに何やら一枚の紙きれが巻き込まれてきたようだった。

 黒いインクで印刷されたそのくしゃくしゃの紙切れはどうやら何処かの国の新聞紙らしい。
 泥にまみれ薄汚れていて殆ど読めないゴミだったが、その新聞の一面記事にはこう綴られていた。

『ルブンナ共和国、陥落。最終兵器を失った弱小国の末路。無謀な作戦の果てに戦場で散った優秀な戦士たちは浮かばれない』

 その記事の横には、国の指導者と思わしき人物が途方もない悲壮感を蓄えて処刑される様をありありと見せる写真が添えられていた。

 はたして、その記事が、その言葉が、文字の羅列が。
 一体どういうものだったのかを理解できたかどうかは定かではない。

 ただ、密林の奥に落ちてきたその新聞紙のきれっぱしを、大きな二頭のつがいの虎と、その後ろからひょっこりと現れた小さな二匹の虎が、何処か興味深そうな表情を浮かべて眺めていた。

 また風が舞い、汚い紙は空へ飛び去っていったが、その密林でひっそりと暮らすその虎の一家には、もう関係のないことだった――……。


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「動けるか、サイ」
「驚くことにね」
 森の中、二人は生存していた。どのようにして、という理由は単純にして明快なものだ。受け身をとっただけに過ぎない。あの高所を受け身で耐えきれるのかという疑問もあるが、生きている彼らこそがその証明である。
 二人が追い詰められたのは事実だが、それだけが真実ではなかった。
 新薬によってサイとバギンは肉体を蝕まれていったが、そのままでは犬死は避けられない。だからこそ、バギンは提案したのだ。この戦場から逃げ出すその手段を。
 戦場で死んだことにすればこの不条理から解放される。あの無謀な作戦こそ、そのための布石。少なくとも味方に死亡したと強く印象付けられたことだろう。
 しかし、ここはまだ敵地。死体を確認しに来るかもしれない。それを危惧して、二人は身を隠すべく移動する。すると、そこには廃屋らしきものがそこにあった。
 今は使われていない武器庫だろうか。何にしても、二人は小屋へと急ぐ。
 ふと、気配を殺すことを考慮しての匍匐前進かと思われたが、二人は四つ足で動いていた。それも自然な形で。
 新薬の副作用も深刻なのだろうか。骨格ももはや人間離れしてきている。
 廃屋の中、荒い息遣いだけが聞こえる。
「はぁー……、はぁー……、サイ」
「どうした……、バギン」
「弱音は吐きたくない……だが私もそろそろ人間の部分が消えてしまいそうなんだ」
 見ると、露出した肌に虎のような毛が見えていた。ますます肉体は虎に変わりつつあるのだろう。それはサイの方も自覚しつつあった。
「この期に及んで世迷言と思われるかもしれないが、この感情が消え去る前に告白させてくれ」
 呼吸を整えながら、バギンは言葉を吐き出す。
「これまで母国のため尽くしてきたが、どんな戦場でも生き抜いてこれたのはサイ。お前がいたからでもあるんだ。め、女々しいか?」
 慌てふためいた様子のバギンを見て、サイはフッと笑みをこぼす。
「女々しくて何が悪い。俺はそんなバギンに惹かれていたんだ」
「え、それって……」
 少しずつ、少しずつ、形が変わっていく二人は、その瞬間を惜しむように、距離を詰める。
「――お願いだ、サイ。このまま私が私でなくなっても、私のことを――愛してくれないか?」
「勿論だ」
 正面を切って、サイは答えた。そして、その返事は口づけで返された。
 ほんの短い時間のようでありながら、永遠にも等しいひと時が二人を包む。
 唇が離れたとき、一筋の糸が橋を渡した。バギンは顔を赤らめ、目を伏せるようにし、そそくさと距離をとる。外から誰かこないかを警戒するそぶりを見せつつ。刹那、サイに背を向けていた、そのときだった。
「ぐるるぅ……――」
 低い獣の唸り声。バギンの背に重く伸し掛かる巨体。その正体はサイだと分かっていたが、バギンは反応に遅れてしまっていた。既に理性は潰える寸前だったのだ。最後の変化が訪れる。
 肉体が膨張していくかのように、二人が身にまとっていた服がちぎれて破けていく。その下の肌があらわとなる。一糸まとわぬ姿ではあったが、もはやそれは人間のものではなかった。
 全身がもう虎の毛皮に覆われており、二人の肉体は殆ど虎のそれと変わらない。そこにいるのは軍人のサイではない。ただの獣だ。
 やがて、変化が終わりを迎えようとしていた。
 中途半端に生えていたしっぽは立派にふさふさと伸びきり、うねるように動く。
 顔つきも変貌し、虎に相応しいものへと変わり、耳も頭の上へと移動し、今度こそちゃんとした虎の耳となる。生えそろっていた歯も鋭い牙へと置き換わっていき、獰猛な虎以外の何物でもない。
 さっきまで抱き合おうとしていたその腕さえも人間の形から大きく逸脱していく。猫のような肉球も形成されていき、その手の中に刃物を思わせるような鋭い爪が収められていた。
「ぐるぅ……ぐぅ……」
 荒い吐息は唸り声に置き換わる。
 サイも一際大きな唸り声をあげたかと思えば、それに合わせるようにバギンも吠えんばかりに唸った。身体を大きく震わせ、力強く吠える。
 このとき、全ての変化が完了した。
 サイとバギンは身も心も、虎のものとなったのだ。
 こうして、二頭の虎は廃屋から抜け出ていき、そのまま密林の何処か奥地へと消えていった。
 のちに、敵兵がサイとバギンの死体を確認しに訪れたが、散乱していた武器や衣類に加え、虎のものと思わしき痕跡を見つけ、今度こそ二人の死は確実なものだったと報告するのだった……――――。
 ※ ※ ※
――――あれから、どれくらいのときが経っただろうか。
 かつて戦場であったその密林に、一陣の風が迷い込んでくる。
 そこに何やら一枚の紙きれが巻き込まれてきたようだった。
 黒いインクで印刷されたそのくしゃくしゃの紙切れはどうやら何処かの国の新聞紙らしい。
 泥にまみれ薄汚れていて殆ど読めないゴミだったが、その新聞の一面記事にはこう綴られていた。
『ルブンナ共和国、陥落。最終兵器を失った弱小国の末路。無謀な作戦の果てに戦場で散った優秀な戦士たちは浮かばれない』
 その記事の横には、国の指導者と思わしき人物が途方もない悲壮感を蓄えて処刑される様をありありと見せる写真が添えられていた。
 はたして、その記事が、その言葉が、文字の羅列が。
 一体どういうものだったのかを理解できたかどうかは定かではない。
 ただ、密林の奥に落ちてきたその新聞紙のきれっぱしを、大きな二頭のつがいの虎と、その後ろからひょっこりと現れた小さな二匹の虎が、何処か興味深そうな表情を浮かべて眺めていた。
 また風が舞い、汚い紙は空へ飛び去っていったが、その密林でひっそりと暮らすその虎の一家には、もう関係のないことだった――……。