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(三)

ー/ー



 范陽帽の陰からじろじろとぶしつけな眼差しを送ってくる若者に向って、智深は尊大に顎をあげた。
 「ふん、油断させようとしたって、そうはいかん。俺の名を知りたければ、あと三百合やりあってからにするんだな」
 「なんだと?」
 智深の豪放な物言いに苛立ったのか面白味を覚えたのか、若者は再び怜悧な鴈翎刀を振り上げて、智深に応戦した。
 刃と禅杖の柄がぶつかる涼やかな音が太鼓のように拍子を刻み、その中に互いの力が逼迫する耳障りで甲高い長い音が混じる。
 どうせ若気の思い付きで追い剥ぎ稼業に手を染めたのだろうと舐めてかかっていたが、なかなかどうして、己の万力の攻めをもどうにか捉えて跳ね返す様に、知らず智深の心は弾み始めた。
 「くそ、坊主のくせに、なんて力だ」
 「お前こそ、若造のくせになかなかの腕前」
 それから四、五合やりあううち、若者が今度はあからさまに身を引いて、開いた手を突き出し智深の動きを止めた。
 「待ってくれ、あんた、本当に名前を教えてくれないか。どこかでその声を聴いたんだ、知り合いだったら目も当てられないよ」
 せっかくこの打ち合いを楽しみだしていたところに再び水を差され、内心むっとはしたのだが、このままでは埒が明かぬと諦めた智深は、禅杖を地に突き立て胸を張った。
 「しつこい野郎だ、そんなに知りたくば教えてやろう。俺の俗名は魯達、訳あって出家の身となり、今は法名を魯智深と申す」
 途端、おもしろいほどに目を丸くした若者は、あっという間の素早さで智深の足元に平伏した。
 「な、なんだ、気色が悪い」
 「まさか、こんなところで兄貴に出会うとは」
 己のことを「兄貴」と呼ぶ人間は、数えるほどしかいない――そして、黄色い首巻を顎まで下げてこちらを笑顔で見上げた若者は、その数えるほどしかいない人間の一人であった。
 「兄貴、俺のことを覚えているかい」
 銀の皿のようなつるりとした顔に、一片の粗野をみなぎらせた男ぶりを、見忘れるはずがない。
 「ハハ、なんだ、史大郎、史進じゃないか!」
 嬉しそうにこちらを三拝する九紋竜史進の腕を掴んで立たせ、肩を叩きあって再会を祝う。
 いったい誰が、こんな人寂しい林の中で、契りの盃を交わした義兄弟と出会うなどと思うだろう。
 「懐かしいじゃないか史進。いったい、渭州で別れてから、どこで何をしていたんだ?」
 林の中ほど、休息をとるのにちょうどよくひらけた場所に二人並んで腰を下ろせば、史進はきらりと目を輝かせながら話し出した。
 「あの時、兄貴と例の店の前で別れた次の日、俺も金父娘を助太刀するのに加わろうかと兄貴を探して街に出たら、たまたま噂話を小耳にはさんで、兄貴が鎮関西を殴り殺して姿を消したと聞いたのさ。おまけに、これは大変なことになったと思ってうろうろしていたら、捕吏たちが口々に俺と李忠の兄貴の名前を挙げて、この一件に関わりがあるから捕らえるとかなんとか……まったく、俺たちは困っている人を助けただけだってのに、仁義の一つもわからん役人たちだ」
 さも不愉快そうに肩を揺らし、史進は記憶をたどるように視線を上向かせた。
 「そんなわけで、俺は慌てて渭州を出て、元から目指していた延安府に王進師匠を探しに行ったんだが、結局師匠には会えずじまいでね。そのあとは、行く当てもなくなってふらふら延安の近くを歩きまわって、北京大名府やら、東昌府やら、あちこちを見物しているうちに路銀が尽きてしまったんで、ここでこうして路銀を稼ごうと追剥の真似事なんてしていたら、どういう縁か、こうして再び兄貴に出会ったというわけさ」
 智深は北京大名府にも東昌府にも行ったことはなかったが、仕事柄、地図を見ることはよくあったので、だいたいどのあたりにある街かはわかっていた。
 なので、なぜ延安府の近くを歩き回ったはずの彼が、遠く北京大名府まで行ってしまったのか、はたまたそれがどうして東昌府を経てこの東京開封府にもほど近い松林でうろついているのかについて一抹の疑問はあったが、それ以上深くは考えないことにした。考えるのは、苦手なのだ。
 「ところで兄貴、俺は驚いたよ。最後に会った時とまるで姿が違うんだから、一目見たってどうりでわからないはずだ。なんだって、和尚になんかなったんだい?」
 「……よくぞ聞いてくれた史大郎、これにはさまざま、訳があってな」
 提轄だったはずの己が渭州を追われ、金父娘と再会した後五台山で出家し、さらにはそこさえも追われて桃花山で李忠と再会した経緯を話せば、史進は驚くやら呆れるやら感心するやら、精悍な顔にくるくるとさまざまの表情を浮かべながら聞いていたが、李忠が元気にやっているというのを聞いて、安堵に胸を撫でおろしたようだった。
 「よかった、李忠の兄貴も無事に逃げていたんだな。俺は渭州を後にして少し経ってから、李忠の兄貴を置いてきたことを思い出したんだが、いかんせん戻るに戻れなくて」
 「案ずるな、あの時はそうするより仕方なかったと、あいつもちゃんと分かっているとも。まあ、そんなわけで桃花山をあとにしたはいいが、食糧もなし、この近くの寺に斎を求めて立ち寄ってみれば、境内は広大なのに寺は荒れ放題、いるのは干からびたような老僧だらけ、おまけに崔と丘と名乗る山賊まがいが、でかい顔をして寺を乗っ取っている始末。ぶっとばしてやろうと挑んだはいいが、情けないことに腹が減って力も出ず、こうして尻尾を巻いて逃げてきたところで、お前と会ったというわけさ」
 そうして先ほどの寺での出来事を詳しく話して聞かせれば、史進も老僧たちの窮状に思いを寄せて、苛立たしげに眉を寄せる。だが、ふと厳しい顔を崩して、
 「腹が減って力が出ない? 兄貴の体格じゃあ、そうは見えないな。でも、ほら、腹を減らしているなら、干し肉とおやきを持っているから遠慮せず食ってくれ」
 「はは、でかした! 悪いが、遠慮せず食わせてもらうぞ。このままじゃ岩でも食ってしまいそうだ」
 史進が荷物の中から取り出したおやきや干し肉を、まさに飢えた獣のごとき素早さで受け取れば、おかしそうに笑った史進が「喉をつまらせないでくれよ」と水筒を差し出す。
 「和尚になっても変わらず豪快な食べっぷりだな。なあ、荷物を寺に置いてきちまったんなら、俺が一緒に取りに行こう。そして、崔だか丘だか知らないが、その糞坊主どもを一緒に叩きのめしてやるのさ」
 「史大郎、お前がともに来てくれるなら百人力。老僧たちと、さらわれたお嬢さんを助けてやろうじゃないか」
 息巻く智深が喋るたびにぷっぷと飛び散る干し肉の欠片を器用によけながら、史進が尋ねた。
 「それにしても、そんな大きな寺がこの辺にあったかな? なんていう寺だい」
 「あいにく、俺は字が読めん。額が飾ってあったが、何という名の寺なのか、そういえば聞かずじまいだった」
 「まったく、兄貴は豪快だ」
 「廃墟とは言え、あんなにでかい寺が目に入らんお前もな」
 ひとしきり顔を見合わせて笑った二人の豪傑は、腹ごしらえを済ませて気力の満ちた体を携え、もと来た道を戻っていった。



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 「ふん、油断させようとしたって、そうはいかん。俺の名を知りたければ、あと三百合やりあってからにするんだな」
 「なんだと?」
 智深の豪放な物言いに苛立ったのか面白味を覚えたのか、若者は再び怜悧な鴈翎刀を振り上げて、智深に応戦した。
 刃と禅杖の柄がぶつかる涼やかな音が太鼓のように拍子を刻み、その中に互いの力が逼迫する耳障りで甲高い長い音が混じる。
 どうせ若気の思い付きで追い剥ぎ稼業に手を染めたのだろうと舐めてかかっていたが、なかなかどうして、己の万力の攻めをもどうにか捉えて跳ね返す様に、知らず智深の心は弾み始めた。
 「くそ、坊主のくせに、なんて力だ」
 「お前こそ、若造のくせになかなかの腕前」
 それから四、五合やりあううち、若者が今度はあからさまに身を引いて、開いた手を突き出し智深の動きを止めた。
 「待ってくれ、あんた、本当に名前を教えてくれないか。どこかでその声を聴いたんだ、知り合いだったら目も当てられないよ」
 せっかくこの打ち合いを楽しみだしていたところに再び水を差され、内心むっとはしたのだが、このままでは埒が明かぬと諦めた智深は、禅杖を地に突き立て胸を張った。
 「しつこい野郎だ、そんなに知りたくば教えてやろう。俺の俗名は魯達、訳あって出家の身となり、今は法名を魯智深と申す」
 途端、おもしろいほどに目を丸くした若者は、あっという間の素早さで智深の足元に平伏した。
 「な、なんだ、気色が悪い」
 「まさか、こんなところで兄貴に出会うとは」
 己のことを「兄貴」と呼ぶ人間は、数えるほどしかいない――そして、黄色い首巻を顎まで下げてこちらを笑顔で見上げた若者は、その数えるほどしかいない人間の一人であった。
 「兄貴、俺のことを覚えているかい」
 銀の皿のようなつるりとした顔に、一片の粗野をみなぎらせた男ぶりを、見忘れるはずがない。
 「ハハ、なんだ、史大郎、史進じゃないか!」
 嬉しそうにこちらを三拝する九紋竜史進の腕を掴んで立たせ、肩を叩きあって再会を祝う。
 いったい誰が、こんな人寂しい林の中で、契りの盃を交わした義兄弟と出会うなどと思うだろう。
 「懐かしいじゃないか史進。いったい、渭州で別れてから、どこで何をしていたんだ?」
 林の中ほど、休息をとるのにちょうどよくひらけた場所に二人並んで腰を下ろせば、史進はきらりと目を輝かせながら話し出した。
 「あの時、兄貴と例の店の前で別れた次の日、俺も金父娘を助太刀するのに加わろうかと兄貴を探して街に出たら、たまたま噂話を小耳にはさんで、兄貴が鎮関西を殴り殺して姿を消したと聞いたのさ。おまけに、これは大変なことになったと思ってうろうろしていたら、捕吏たちが口々に俺と李忠の兄貴の名前を挙げて、この一件に関わりがあるから捕らえるとかなんとか……まったく、俺たちは困っている人を助けただけだってのに、仁義の一つもわからん役人たちだ」
 さも不愉快そうに肩を揺らし、史進は記憶をたどるように視線を上向かせた。
 「そんなわけで、俺は慌てて渭州を出て、元から目指していた延安府に王進師匠を探しに行ったんだが、結局師匠には会えずじまいでね。そのあとは、行く当てもなくなってふらふら延安の近くを歩きまわって、北京大名府やら、東昌府やら、あちこちを見物しているうちに路銀が尽きてしまったんで、ここでこうして路銀を稼ごうと追剥の真似事なんてしていたら、どういう縁か、こうして再び兄貴に出会ったというわけさ」
 智深は北京大名府にも東昌府にも行ったことはなかったが、仕事柄、地図を見ることはよくあったので、だいたいどのあたりにある街かはわかっていた。
 なので、なぜ延安府の近くを歩き回ったはずの彼が、遠く北京大名府まで行ってしまったのか、はたまたそれがどうして東昌府を経てこの東京開封府にもほど近い松林でうろついているのかについて一抹の疑問はあったが、それ以上深くは考えないことにした。考えるのは、苦手なのだ。
 「ところで兄貴、俺は驚いたよ。最後に会った時とまるで姿が違うんだから、一目見たってどうりでわからないはずだ。なんだって、和尚になんかなったんだい?」
 「……よくぞ聞いてくれた史大郎、これにはさまざま、訳があってな」
 提轄だったはずの己が渭州を追われ、金父娘と再会した後五台山で出家し、さらにはそこさえも追われて桃花山で李忠と再会した経緯を話せば、史進は驚くやら呆れるやら感心するやら、精悍な顔にくるくるとさまざまの表情を浮かべながら聞いていたが、李忠が元気にやっているというのを聞いて、安堵に胸を撫でおろしたようだった。
 「よかった、李忠の兄貴も無事に逃げていたんだな。俺は渭州を後にして少し経ってから、李忠の兄貴を置いてきたことを思い出したんだが、いかんせん戻るに戻れなくて」
 「案ずるな、あの時はそうするより仕方なかったと、あいつもちゃんと分かっているとも。まあ、そんなわけで桃花山をあとにしたはいいが、食糧もなし、この近くの寺に斎を求めて立ち寄ってみれば、境内は広大なのに寺は荒れ放題、いるのは干からびたような老僧だらけ、おまけに崔と丘と名乗る山賊まがいが、でかい顔をして寺を乗っ取っている始末。ぶっとばしてやろうと挑んだはいいが、情けないことに腹が減って力も出ず、こうして尻尾を巻いて逃げてきたところで、お前と会ったというわけさ」
 そうして先ほどの寺での出来事を詳しく話して聞かせれば、史進も老僧たちの窮状に思いを寄せて、苛立たしげに眉を寄せる。だが、ふと厳しい顔を崩して、
 「腹が減って力が出ない? 兄貴の体格じゃあ、そうは見えないな。でも、ほら、腹を減らしているなら、干し肉とおやきを持っているから遠慮せず食ってくれ」
 「はは、でかした! 悪いが、遠慮せず食わせてもらうぞ。このままじゃ岩でも食ってしまいそうだ」
 史進が荷物の中から取り出したおやきや干し肉を、まさに飢えた獣のごとき素早さで受け取れば、おかしそうに笑った史進が「喉をつまらせないでくれよ」と水筒を差し出す。
 「和尚になっても変わらず豪快な食べっぷりだな。なあ、荷物を寺に置いてきちまったんなら、俺が一緒に取りに行こう。そして、崔だか丘だか知らないが、その糞坊主どもを一緒に叩きのめしてやるのさ」
 「史大郎、お前がともに来てくれるなら百人力。老僧たちと、さらわれたお嬢さんを助けてやろうじゃないか」
 息巻く智深が喋るたびにぷっぷと飛び散る干し肉の欠片を器用によけながら、史進が尋ねた。
 「それにしても、そんな大きな寺がこの辺にあったかな? なんていう寺だい」
 「あいにく、俺は字が読めん。額が飾ってあったが、何という名の寺なのか、そういえば聞かずじまいだった」
 「まったく、兄貴は豪快だ」
 「廃墟とは言え、あんなにでかい寺が目に入らんお前もな」
 ひとしきり顔を見合わせて笑った二人の豪傑は、腹ごしらえを済ませて気力の満ちた体を携え、もと来た道を戻っていった。