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(二)

ー/ー



 「やい、貴様ら老いぼれども! よくも俺を騙しやがったな。自分たちでこの寺を荒らしたくせに、ぬけぬけと他人のせいにするとは、坊主の風上にも置けんやつらめ」
 地鳴りのような怒声とともに舞い戻ってきた智深の、その仁王のような様に、老僧たちは枯れ枝の如き体を震わせ互いに顔を見合わせた。
 「おまえさま、何故そのような戯言を」
 「戯言を申したのはお前たちのほうだろう。やつら、随分と筋の通った話をしていたぞ。お前たちこそが、やりたい放題をしてこの寺を荒らしていたんだとな」
 禅杖を構えながら怒鳴り散らす智深の剣幕に顔色を失いながらも、老僧たちはそろって首を振る。
 「おまえさま、騙されているのはあなたのほうですよ。やつら、あなたが禅杖を構えているのに自分たちは丸腰だったもんで、どうにかその場しのぎの嘘をこさえたのです。悪知恵だけは働く連中ですからな。試しにもう一度様子を見に行ってごらんなさい。そもそも、落ち着いてよく考えてもみてくだされ。あの連中は、攫った女子を侍らせて肉に酒にの大宴会、我々は今日ようやくありつけた粥を、おまえさまに奪われぬようにと必死。どちらの言うことが本物か」
 「ぬう……」
 髭をさすりながらよくよく考えてみれば、確かに、困っている方が豪勢に食事をし、困らせている方が粗末な食事をするとはおかしな話だ。
 そこで老僧たちに促されるまま、もう一度禅杖を手に先ほどの槐の樹を目指して引き返せば、なんとついさっきまでは開いていたはずの方丈の裏手の門が、ぴったりと閉じられている。
 「なんて野郎だ。やましいことがないのなら、なぜ俺を閉め出す!」
 かっと頭に血が上った智深は、太い脚を振り上げ一息に門を蹴破って押し入り、槐の樹の影から躍りかかってきた崔道成の朴刀を禅杖の柄で受け止めた。
 「ふん、馬鹿な坊主だ。こんな寺のことなんて放っておきゃあ、命拾いをしたのにな」
 「ふざけたことを!」
 崔道成の朴刀の太刀筋は決して洗練されていなかったが、さすが山賊まがい、人を殺し慣れた容赦のなさで繰り出される撃には、さしもの智深も手を焼いた。
 十四、五合と渡り合ったが、なにせ腹が減っていつもの力が入らぬ智深は必死に刀を受け流すのに精いっぱいで、なかなか攻め手に回れない。
 (くそ、今の俺では、まともにやりあえん)
 このまま馬鹿正直にやりあっていたのでは、すぐに智深の体力にも限界がくる。それよりは一度引いて、たらふく飯を食ったあとに再度挑んだほうが得策というものだ。
 崔道成が一息入れて間合いを取った隙をつき、さっと踵を返して逃げようとしたそのとき、
 「ふん、逃がさんぞ、糞坊主!」
 静かに背後から近づいていた丘小乙が構えた朴刀を視界の端に捕らえた智深は、「えい」と裂帛の気合いを吐き出した。
 その剣幕に、禅杖をまともにくらわされると思ったらしい崔と丘の両人が、はっと智深から距離を置く。
 (こんな小物相手に尻尾を巻くのは癪に障るが、今日のところは仕方がない)
 じりじりとにらみ合ったまま動かぬ二人から、智深もまた少しずつ距離を取り、
 「ふん、今日はこのあたりで勘弁してやるが、後日また来てお前たちをぶっとばしてやるからな」
 「あ、待て!」
 山門に至るまでに、二人の山賊まがいが振り回す朴刀をさらに十合ほどやり過ごした智深は、禅杖をひっこめ、巨体に似合わぬ脱兎のごとき素早さで走り去った。
 背後にはもはや追っ手の気配はなく、ちらりと振り返れば、崔も丘も苦々しい顔をしながら山門外の石橋の欄干に腰かけ、智深のことはすっかり諦めたようであった。
 「ふん……腹さえ減っていなけりゃ、お前らなんぞ、この禅杖の一振りで倒してやったんだ」
 息を切らしながらぶつくさと憎まれ口をたたいていた智深だったが、ふと、すっかり荷物を寺に忘れてきたことに気が付いた。
 食糧は元から持っていなかったが、そのうえ路銀や大事な手紙まで手放してしまうとは、つくづく今日は運がない。
 「戻れば奴らの餌食になるが、どうにか路銀を取り戻さなけりゃ店があっても飯も食えんし、手紙がなけりゃ東京についても身を落ち着けられん」
 困り果てはしたが、このまま悩んでいたところで名案が出てくるわけもなく、仕方がなしに、村か何かは見えぬものかと、智深はとぼとぼと歩き出した。
 重たくなる足を引きずりながらしばらく進めば、目の前に迫ってくるのは、村どころか鬱蒼とした松林である。
 赤い大蛇のような枝が曲がりくねりながら幾重にも伸びるその光景は、さながら地獄の番人の燃え立つ髭のようでもあった。
 「薄気味の悪い林だな」
 このあたりの土地に明るいわけでもない己がこんな林の中に迷い込めば、食糧も得られぬまま飢えてのたれ死ぬだけだ。どこか別の道を探そうかと、立ち去りかけたそのとき、
 「なんだ、坊主か」
 松林を吹き抜ける生温い微風にさえかき消されそうな小さな呟きが、不思議と鮮明に智深の耳を打った。
 じい、と目を凝らせば、近くの木陰からちらりと覗いたつば広の白い范陽帽の主が、小さく首を振り、唾を吐いて顔をひっこめたところであった。
 (ふん、追剥め、坊主と見て儲けにならんと引っ込んだか)
 こんな人通りの少ない寂れた林で商売をするとは、気が長いのか愚かなのか分からぬが、どうやら追剥のほうも、ようやく巡り合った客が僧侶と見て気分を害しているようだ。
 (くそったれ、気分が悪いのはこちらも同じ、いっそあべこべにあいつの着物をはぎ取って、酒代にでも替えてやろう)
 先ほどは相手が二人いたが、今度は相手は一人。いくら腹が減っていようが、追剥の一人くらいならば軽くぶちのめす自信があった。
 「やい、そこの追剥野郎、こそこそ隠れていないでこっちへ出てきやがれ」
 徐々にずしりと重く感じるようになっていた禅杖を握りなおし、大股に林に踏み入りながら吼えれば、太い松の幹の影に潜んでいた男の軽やかな笑い声が返ってくる。
 「はは、せっかく引っ込んでやったのに、あんたの方からやってくるとはね」
 ぎろりと声の方を睨めば、白い范陽帽の下の顔を小粋な黄色い首巻で半分ほど隠した長身の若者が、きらりと光る鴈翎刀を手に躍り出た。
 「でぶの糞坊主め、ちょうどいい、何もないよりはましってもんだ。あんたの身ぐるみ剥いで、すっかり銀子に替えてやろう」
 「ふん、若造が生意気を!」
 長い髪をなびかせて切りかかってくる若者に応えようと、智深もまた気力を振り絞って禅杖を振り回し、おう、と唸り声を響かせながら鴈翎刀を受け止める。
 ただの追剥にしては、先ほどの崔や丘とは比べものにならぬほど洗練された太刀筋だったが、力で負ける智深ではない。
 さらに両腕に力を込めて男をやりこめようと、一歩を踏み出す智深にしかし、若者は何やら怪訝そうに眉をよせて、反撃の手を止めた。
 「おい待て坊主。なんだか、あんたの声には聞き覚えがあるぞ。和尚の知り合いなんていないはずだけど、あんた、何という名だ?」



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 「おまえさま、何故そのような戯言を」
 「戯言を申したのはお前たちのほうだろう。やつら、随分と筋の通った話をしていたぞ。お前たちこそが、やりたい放題をしてこの寺を荒らしていたんだとな」
 禅杖を構えながら怒鳴り散らす智深の剣幕に顔色を失いながらも、老僧たちはそろって首を振る。
 「おまえさま、騙されているのはあなたのほうですよ。やつら、あなたが禅杖を構えているのに自分たちは丸腰だったもんで、どうにかその場しのぎの嘘をこさえたのです。悪知恵だけは働く連中ですからな。試しにもう一度様子を見に行ってごらんなさい。そもそも、落ち着いてよく考えてもみてくだされ。あの連中は、攫った女子を侍らせて肉に酒にの大宴会、我々は今日ようやくありつけた粥を、おまえさまに奪われぬようにと必死。どちらの言うことが本物か」
 「ぬう……」
 髭をさすりながらよくよく考えてみれば、確かに、困っている方が豪勢に食事をし、困らせている方が粗末な食事をするとはおかしな話だ。
 そこで老僧たちに促されるまま、もう一度禅杖を手に先ほどの槐の樹を目指して引き返せば、なんとついさっきまでは開いていたはずの方丈の裏手の門が、ぴったりと閉じられている。
 「なんて野郎だ。やましいことがないのなら、なぜ俺を閉め出す!」
 かっと頭に血が上った智深は、太い脚を振り上げ一息に門を蹴破って押し入り、槐の樹の影から躍りかかってきた崔道成の朴刀を禅杖の柄で受け止めた。
 「ふん、馬鹿な坊主だ。こんな寺のことなんて放っておきゃあ、命拾いをしたのにな」
 「ふざけたことを!」
 崔道成の朴刀の太刀筋は決して洗練されていなかったが、さすが山賊まがい、人を殺し慣れた容赦のなさで繰り出される撃には、さしもの智深も手を焼いた。
 十四、五合と渡り合ったが、なにせ腹が減っていつもの力が入らぬ智深は必死に刀を受け流すのに精いっぱいで、なかなか攻め手に回れない。
 (くそ、今の俺では、まともにやりあえん)
 このまま馬鹿正直にやりあっていたのでは、すぐに智深の体力にも限界がくる。それよりは一度引いて、たらふく飯を食ったあとに再度挑んだほうが得策というものだ。
 崔道成が一息入れて間合いを取った隙をつき、さっと踵を返して逃げようとしたそのとき、
 「ふん、逃がさんぞ、糞坊主!」
 静かに背後から近づいていた丘小乙が構えた朴刀を視界の端に捕らえた智深は、「えい」と裂帛の気合いを吐き出した。
 その剣幕に、禅杖をまともにくらわされると思ったらしい崔と丘の両人が、はっと智深から距離を置く。
 (こんな小物相手に尻尾を巻くのは癪に障るが、今日のところは仕方がない)
 じりじりとにらみ合ったまま動かぬ二人から、智深もまた少しずつ距離を取り、
 「ふん、今日はこのあたりで勘弁してやるが、後日また来てお前たちをぶっとばしてやるからな」
 「あ、待て!」
 山門に至るまでに、二人の山賊まがいが振り回す朴刀をさらに十合ほどやり過ごした智深は、禅杖をひっこめ、巨体に似合わぬ脱兎のごとき素早さで走り去った。
 背後にはもはや追っ手の気配はなく、ちらりと振り返れば、崔も丘も苦々しい顔をしながら山門外の石橋の欄干に腰かけ、智深のことはすっかり諦めたようであった。
 「ふん……腹さえ減っていなけりゃ、お前らなんぞ、この禅杖の一振りで倒してやったんだ」
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 困り果てはしたが、このまま悩んでいたところで名案が出てくるわけもなく、仕方がなしに、村か何かは見えぬものかと、智深はとぼとぼと歩き出した。
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 赤い大蛇のような枝が曲がりくねりながら幾重にも伸びるその光景は、さながら地獄の番人の燃え立つ髭のようでもあった。
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 「なんだ、坊主か」
 松林を吹き抜ける生温い微風にさえかき消されそうな小さな呟きが、不思議と鮮明に智深の耳を打った。
 じい、と目を凝らせば、近くの木陰からちらりと覗いたつば広の白い范陽帽の主が、小さく首を振り、唾を吐いて顔をひっこめたところであった。
 (ふん、追剥め、坊主と見て儲けにならんと引っ込んだか)
 こんな人通りの少ない寂れた林で商売をするとは、気が長いのか愚かなのか分からぬが、どうやら追剥のほうも、ようやく巡り合った客が僧侶と見て気分を害しているようだ。
 (くそったれ、気分が悪いのはこちらも同じ、いっそあべこべにあいつの着物をはぎ取って、酒代にでも替えてやろう)
 先ほどは相手が二人いたが、今度は相手は一人。いくら腹が減っていようが、追剥の一人くらいならば軽くぶちのめす自信があった。
 「やい、そこの追剥野郎、こそこそ隠れていないでこっちへ出てきやがれ」
 徐々にずしりと重く感じるようになっていた禅杖を握りなおし、大股に林に踏み入りながら吼えれば、太い松の幹の影に潜んでいた男の軽やかな笑い声が返ってくる。
 「はは、せっかく引っ込んでやったのに、あんたの方からやってくるとはね」
 ぎろりと声の方を睨めば、白い范陽帽の下の顔を小粋な黄色い首巻で半分ほど隠した長身の若者が、きらりと光る鴈翎刀を手に躍り出た。
 「でぶの糞坊主め、ちょうどいい、何もないよりはましってもんだ。あんたの身ぐるみ剥いで、すっかり銀子に替えてやろう」
 「ふん、若造が生意気を!」
 長い髪をなびかせて切りかかってくる若者に応えようと、智深もまた気力を振り絞って禅杖を振り回し、おう、と唸り声を響かせながら鴈翎刀を受け止める。
 ただの追剥にしては、先ほどの崔や丘とは比べものにならぬほど洗練された太刀筋だったが、力で負ける智深ではない。
 さらに両腕に力を込めて男をやりこめようと、一歩を踏み出す智深にしかし、若者は何やら怪訝そうに眉をよせて、反撃の手を止めた。
 「おい待て坊主。なんだか、あんたの声には聞き覚えがあるぞ。和尚の知り合いなんていないはずだけど、あんた、何という名だ?」