講座を終えた後、樹は目黒川へと来ていた。
桜が灯す通りには、花を見に来た人たちで賑わっている。
「すごいね」
「うん。写真では見たことあるけど、来たのは初めて」
「私は前に住んでた場所が近かったから、毎年見に来てた」
樹の前を歩く、莉亜、葉山、蓮見が桜を見上げながら話している。
先週、莉亜から連絡があり、四人は再び集まることになった。会うのはコテージ以来だ。
「樹くん、それなに?」
莉亜は振り返り、樹が持っている封筒に視線をやった。
「小説書こうかなと思って、講座に通うことにした」
「樹くん、作家目指すの?」
「まあ……うん」
樹は照れくさそうに頭を掻きながら、視線の居所を探した。
「かっこいいじゃん」
莉亜は樹の隣に来ると、嬉しそうな顔で肩をぶつけてくる。
「うるせえ」
「褒めたんだよ」
「『いじりたい』って顔してるぞ」
「してないよ。そういう捻くれたところは変わってないな。もう一回、竜一さんに見てもらおう」
「医者みたいに言うなよ」
和やかな空気が四人の間に流れ、桜の下に笑みが咲く。
「あっ、あそこで桜撮りたい」
莉亜は桜橋を指した。
橋に来ると、四人は手すりに沿うように横一列に並ぶ。
川の両端を装飾するように、桜が景色を彩っている。
「見て」
莉亜はスマホで撮った写真を樹に見せてきた。
「うん、綺麗」
「でしょ?」
莉亜がドヤ顔を見せてきたため、樹は「最近のスマホはすげえな」と返す。
「私の技術だよ」
「スマホ作ってる人たちってすげえな」
「おい、私を褒めろ」
「そういえば、葉山くんって書店で働いてるよね?」
蓮見が言うと、樹と莉亜は葉山に視線を向けた。
「うん。これからどう生きようかって考えたときに、書店がいいかなって思って」
「なんで書店なの?」
莉亜が聞くと、葉山は通りを歩く人たちに目を向ける。
「みんなそれぞれ、見えない傷を抱えていると思うんだ。言いたくても簡単には言えない、でも誰かに見つけてもらいたい。そんなときに、その人に合った本を渡せたらなって思った。本ってストーリーを楽しむだけじゃなくて、処方箋になったりもする。自分と同じ痛みが物語の中にあって、吐き出せなかった想いを代弁してくれる。それだけで、抱えてるものが軽くなったりするでしょ? でも、自分に合った本って見つけることが難しい。だから僕が代わりに見つけられたらなって。今働いてるとこの店長がレイアウトに拘る人で、悩みごとにおすすめコーナーを作ってるんだ。『孤独で辛い人』『死にたいと思ってる人』『弱さを克服したい人』みたいに、その人に必要な本を探しやすくしてる。それを見て、ここで働こうって思ったんだ」
「いつか、樹くんの本も置いてもらえるといいね」
莉亜がそう言うと、「待ってる」と、葉山が言葉を繋げた。
「まだ……」
書いてもいないし、期待するな。
そう言おうと思ったが、樹は言葉を飲み込んだ。
井之川は臆することなく夢を語っていた。
そして自分もそうなりたいと思った。
もう折れない。そんな願いを込めて樹は言葉を変える。
「うん。いつか誰かの支えになるような本を書く。この本があったから、人生を変えられたって言ってもらえるような」
「できるよ。樹くんなら」
莉亜は疑いのない無垢な瞳を向けてきた。
樹は「ありがとう」と言葉を添える。
「蓮見さんは、アイドルのプロデューサーをやるんだっけ?」
「そうなの?」
莉亜の疑問符を、蓮見は頷いて返す。
「こっちに戻って来てから、たまたま私のファンの子と会ったの。急に街中で声かけられて、『ずっとファンでした』って言われた。中学生の女の子なんだけど、いつかアイドルになりたいらしの。それでね、最悪の辞め方をした私に『千佳ちゃんのこと信じてる。ネットの噂なんか信じてない。今も大好きだし、絶対に千佳ちゃんみたいなアイドルになる』って言ってくれた。その言葉が本当に嬉しかったの。葉山くん以外にも、こんな捻くれたアイドルを好きと言ってくれる人がまだいたんだなって。だから、この子が真面目に生きられるように、私自身が道を作ってあげようと思った。どんなに美しい花でも、土が悪ければ咲くことはできない。私みたいにならないように、居場所を作ってあげられたらなって」
「良いプロデューサーになると思う。蓮見さんなら」
「真面目な子が報われるようなアイドルグループを作りたい。それが、今の私の夢」
蓮見は、舞う桜に願いを込めるように言った。
流れ星のように散っていく花びらは、莉亜の手の中に落ちる。
「みんな夢があっていいね。私はまだ、どう生きたらいいかを考えてる途中」
「まあ、無理して見つけるものでもないだろ。”どう“生きたいかの延長線で拾えるものだから。それに、夢はただ持つだけではダメで、そこに何を込めているのかが重要だと思う。たとえ夢を見つけられても、中身がなければ少しの痛みで手を離してしまうから」
「そうだね。まずはどう生きたいかを決める。背負ったものを忘れてしまわないように」
風が吹くと、莉亜の手のひらにあった桜が舞った。
青い空に羽ばたいていくように、花びらがさよならを告げる。
花は散り際まで美しい。
咲くことだけに命を賭けるから。
人は余白にまで何かを詰め込んでしまう。
不必要なものを抱えて、必要なものを拾えなくなる。
この世界では、ただ生きるということは許されない。
どう生きるかを強いられ、傷を負いながら歩き続ける。
だからこそ痛みに意味を付けることが必要なのだろう。
人は花のような純粋な美しさを持ち合わせてはいないが、時に醜さが誰かの生きる道になったりもする。
最早、それが人の美しさと言えるのかもしれない。
樹は旅立つ花びらを見送りながら、その先にある空の果てを眺めた。
移り変わる未来を見据えて。
「空、綺麗だね」
「ああ、あの頃と何も変わってないけど、今は素直に綺麗だって思える」