四十九話 ピリオドの先へ
ー/ー 樹と莉亜は蘭の誕生日プレゼントを買いに本屋に来ていた。
みんなでお金を出し合い、予算内で樹たちが選ぶことになった。
みんなでお金を出し合い、予算内で樹たちが選ぶことになった。
「あー、これ懐かしい」
絵本コーナーに来ると、莉亜は『はらぺこあおむし』を指差した。
「一度は通るよな」
「あと、ぐりとぐら」
「俺は『てぶくろ』が好きだった」
「おじいさんが落とした手袋の中に動物が住むやつだっけ?」
「そう」
「私も読んだな……あっ! これ知ってる?」
莉亜は『三びきのやぎのがらがらどん』を手に取って見せてきた。
「うん」
「橋のところで出てくる妖怪みたいなのが怖くてさ……」
「茶色の鼻が長いやつ」
「そう! 結構トラウマだった」
「確かに」
樹は本棚を見渡していると、一冊の絵本が目に入った。
棚からそっと取り出し、表紙を眺める。
「蘭ちゃんが持ってる絵本だね」
『ネコに生まれたかったネコ』。蘭が最後のページを破り捨てた本だ。
「このタイトルの意味ってなんだろうね。すでに猫なのに、猫に生まれたいっておかしいよね」
「主人公の猫は自分を猫だと思ってなかったのかも。産まれてすぐに捨てられたし、他の野良猫にはいじめられた。そのうえ群れにも入れてもらえなければ、『自分は周りとは違う生き物だ』って感じてもおかしくない。まだ自我のない段階でそういった環境に放り込まれれば、自分の存在が何かすらも分からない。だから猫になりたいって思ったんじゃないかな」
「もしかしたら、太々しい猫といるときだけは自分も猫であると思えたのかもね。みんなと同じだって」
「そういう意味では俺たちも似てるかもな」
「似てる?」
「社会の中に放り込まれると、ほとんどの人間が正常を保とうとするだろ? だから悩みがあっても、自分だけなんじゃないかって不安になる。でも他人の心の中を知ることで世界の見方が変わった。俺は一生、社会には馴染めないって思ってたけど、同じような考えを持ってる奴も、実は結構多いのかなって。こんなクズみたいな俺でも、まともに生きてきた人間と重なる部分があるのかもしれない。その共通する部分が誰かとの結び目になり、存在意義に変わるような気がするんだ。人は欠点があるからこそ、自分を見つけられる」
樹は自身を歪な存在だと思っていた。
社会にも溶け込めない、最下層の不適合者。
だが正規ルートで歩いてきた人間だって、誰にも見られない部分では苦しんでいる。
今まではそれを見ようとも思わなかった。
重なる部分などないと思っていたから。
多くの人間は善と悪を備えているし、金持ちと貧困層でも同じ悩みを持つことだってある。
自分の想像だけで境界線を引いてしまえば、それこそ世界に溶け込めなくなる。
クソみたいな人間だけではない。
そのことを知っていなければ、世界の景色は歪んでしまう。
「綺麗に生きられる人って、そうそういないんだよね。どんな人間にも汚れた部分があって、それを飲み込んだり、言い訳に変えながら不器用に進んでいく。私は人を傷つけたことを受け入れたくなかった。どうやったら罪悪感から逃げられるかって思考だったから。それがさ、ものすごく醜かった。全部自分が悪いって分かってるのに、押し付けたものを正しいと錯覚させる。そのうえ、私はまともだなんて言い聞かせてた。本当にクソみたいな人間。今もさ、言い訳しようとする自分が心の中にまだいるの。離れてほしいのに、痛みが怖くて縋り付いてくる」
「俯瞰して自分を見れてるなら大丈夫だよ。汚れた人間ほど、自分は綺麗だと思い込むから。社会に嫌悪してるときって、歪んだ自分を正しいと認識したがる。こっちがひん曲がってるのに、お前らがズレてるんだって。元はさ、真っ直ぐに夢を追いかけてた子供だったけど、他人に見下されてから考えが歪み始めた。雑音なんて気にせずに生きてたら、叶えられてたかもしんないのに。俺は自分の手で、大事なものを捨てた。蘭には、そうなってほしくない。この世界には、綺麗な場所もあるって教えてやらないと」
そうだね、と莉亜は肯定してくれた。まるで背中を押すように。
「なあ、誕生日プレゼントこれでもいい?」
「これ持ってるじゃん?」
「こっちは最後のページが破れてないだろ?」
莉亜は一考したあと、「樹くんに考えがあるなら任せる」と言い、微笑みを灯した。
真っ白なクリームの上には半分にカットされたいちごが満遍なく並べられ、五本のロウソクが等間隔で円状に立てられていた。
中央のホワイトチョコでできたプレートには『happy birthday 蘭』と書かれている。
莉亜がロウソクに火を付けると、「いいよ、吹いて」と勧めた。
蘭は頬を膨らませ、一本一本、灯された火を消していく。
「おめでとう」
すべての火を消し終えると莉亜が笑顔で拍手し、他の四人も後に続いた。
だが当の本人はどこか寂しそうな顔をしており、祝福を素直に受け取れないといった様子だった。
「はい、これ」
莉亜が足元からラッピング袋を取り、蘭に手渡した。
「開けて」
蘭は金色の紐を解き、袋からプレゼントを取り出した。
ふっくらとしたフォルムに不機嫌そうな表情を描いた、猫のぬいぐるみだ。
「絵本の猫と似てるね」
「たまたま似てるのがあって、樹くんとこれにしようって即決した」
葉山の質問に莉亜が答える。
蘭はぬいぐるみに置いていた視線を樹に移した。まるで見比べるように。
「樹と似てるってよ」
竜一に言われ、樹は「似てねえよ」とぶっきらぼうに返す。
「似てる。素っ気ない感じが」
「うん」
蓮見と葉山も同意したため、恥ずかしさが込み上げてきた。
樹は頬に帯びた熱を誤魔化すように、グラスに入っている水を口に含む。
「蘭ちゃん、もう一つあるんだよ」
莉亜が視線を送ってきたため、樹は膝上に置いているラッピングされた本を手に取った。
「はい」
手渡すと、蘭は顔を俯かせながら受け取った。
目の前の少女は、どんな感情を心に描いているかは分からない。
だが、この一冊が人生を変えるものになってくれたらと樹は願った。
「それ、蘭ちゃんが持ってるやつじゃない?」
蘭がラッピングを破いて中から絵本を取り出すと、蓮見が問いかけてきた。
蘭も不思議そうな顔で樹を見ている。
「うん」
「同じのにしたの?」
「樹くんが、これがいいって」
一同の視線が集まると、樹は「最後のページ開いて」と蘭に向かって言った。
蘭が言われた通りに開くと、『笑顔を浮かべながら永遠の眠りにつく太々しい猫を、主人公の猫が泣きながら抱きしめる絵』が描かれていた。
その絵を見た蘭の表情は、悲しみが零れているように見える。
「最初は必要とされずに産まれてきたけど、生き方次第で最後は変わる。それがこの本の伝えたかったことだと思う。たとえいじめらても、たとえ群れの中に入れてもらえなくても、自分らしく生きていたら自分にとって大切な人と出会うことができる。世の中の全員に好かれる必要なんてない。たった一人だとしても、大切だと思える人に出会えれば、その人生には意味があったと言える。だから好きになってほしいとか、そんなことは考えなくていい。生まれてきたこと自体に意味なんてないんだから、自分の好きなように生きろ。それが生きる意味になるから」
蘭は樹をじっと見ている。正直、どう受け取ったかは分からない。
でも何かが届くと信じて、言葉を撚り合わせた。
最下層でうずくまり、嫌悪しながら青い空を見上げ続けた。
美しい世界に伸ばした手。
何度も希望を手放し、絶望を握りしめていた手。
誰かに痛みを与えることでしか自分を癒せなかった手。
その傷だらけの手が、今は目の前の少女へと向けられている。
クズであり、社会のゴミであり、最下層の野良犬だった男が、誰かの光になろうとしている。
言葉という花束を優しさで束ねて。
「言葉で誰かを傷つけることもあるし、誰かから傷つけられることもあるけど、目の前の人を笑わせたり、涙を拭うこともできる。『たかが言葉で』って言う人間もいるかもしれないけど、その言葉で人は救われるんだ。同じ悩みがあることを知れたり、他人の傷跡を知ることができたり、痛みの理由を知れたり、優しさも知れるようになるのは、言葉に想いを込められるからだと思う。でも言葉の使い方が分からないと、力に頼ったり、酷いことを言って、自分の感情を楽にしようとする。誰かを傷つける方が簡単だから」
蘭は真剣な表情で話を聞いていた。
すべての言葉を拾おうとするように。
「感情を出すから嫌われるんじゃない。人の痛みを知ろうとしないから嫌われる。言葉が悪いんじゃない。それは覚えといて」
蘭は絵本へと視線を移した。
かつて破り捨てたページに何を馳せているのだろうか。
その目には何が映っているのだろうか。
すべてのことを言葉では表せないが、ほんの一部でもいいから感情を知りたい。
彷徨う少女を見ながら、樹はそんなことを思っていた。
「とりあえずケーキ食べよっか」
長い沈黙は蓮見の声によって堰き止められた。
「じゃあ、切ってくるね」と、莉亜がケーキを持ってキッチンへと向かう。
蘭はその後も、見入るように最後のページを眺めていた。
目の前にケーキが置かれようとも、「食べないの?」という莉亜の声にも反応せず。
蘭はその後も、見入るように最後のページを眺めていた。
目の前にケーキが置かれようとも、「食べないの?」という莉亜の声にも反応せず。
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