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四十話  泥中に差す光

ー/ー



 バーベキューの準備を終え、葉山たちはテーブルを囲んで蓮見を待っていた。
 夜を見上げると、散りばめられた星々が空を彩っている。
 たぶん来ない。
 そんな空気が五人の間に流れており、それが少し寂しく感じる。
 でも来たところで蓮見とどう話していいか分からない。
 夕方に持っていた勇気は萎れ、時間が経つにつれて臆病さが顔を覗かせてきた。
 そんな自分に嫌悪する。
 命の恩人を救いたいと思ってるのに、どこかで自分を守ろうとしているような気もする。
 これ以上傷つきたくないという防衛本能が、臆病という名の盾を差し出してきているように、葉山は感じていた。

「ねえ、レタス減ってる」

 莉亜が樹を睨みながら言った。

「俺じゃねえよ」

「樹くん以外につまみ食いする人いないじゃん」

「お前がいるだろ」

「私はしないよ」

「トマト食ってただろ」

「それはもう解決したでしょ。今はレタス事件の犯人を探してるの」

「変な名前付けるなよ」

「誤魔化さないでよ。レタス返して」

「だから俺じゃねえよ」

「白状したら許してあげる」

「だからやってねえよ」

「分かってるから、正直に……」

「食べたの蘭だぞ」

 竜一がそう言うと、蘭は無表情で顔を俯かせた。

「誰が犯人だって?」

 莉亜は困った表情を浮かべながら瞳を泳がせる。

「犯人呼ばわりしたんだから、なにか言うことあるだろ」

「来るかな、蓮見さん」

「おい、誤魔化すな」

「そうだ! お肉焼いて、匂いでおびき寄せよう」

「動物じゃねえんだよ。それより謝れ」

「蘭ちゃんお腹空いたよね。もっとレタス食べていいよ」

「食べていいよじゃ……」

「あっ」

 莉亜がコテージの方を見ながら声を上げた。

「だから誤魔化すんじゃ……あっ」

 樹も同様にコテージの方を見ながら声を上げる。
 葉山は振り返り、一同の視線が集まるところに目をやった。
 そこには、どこか気まずそうに歩いてくる蓮見の姿があった。

「蓮見さん……」

「良かったね、葉山くん」

「絶対喧嘩するなよ」

「それは樹くんでしょ。私はしないもん」

「してたろ」

 樹と莉亜が言い合いをしていると、蓮見が葉山の目の前で立ち止まった。
 葉山は立ち上がって、蓮見を迎える。
 彼女は何かを言いたそうにしているが、喉元で突っかかっているように感じた。
 言葉を待つか、自分から言うかと迷っていると、蓮見の声が鼓膜に触れる。

「ノート読んだ。なんていうか……その……」

 何かを伝えようとしている。でもその先の言葉をどう言えばいいのか分からない。
 そんな表情だった。
 今の蓮見がどんな気持ちを抱いているのかは知らない。
 でもここで勇気を出さなければ、ずっと変わらないような気がした。

――あなたのおかげで変わることができた

 そう伝えるためにも、自分から足を踏み出さなければと葉山は思った。

「信用してとは言わない。でも、信用してもらうために全力を尽くす。鬱陶しいかもしれないけど力になりたいんだ。あの日の言葉がなければ、僕はきっと命を絶っていた。でも、蓮見さんのおかげで生きようと思えたし、人生に目的を持つことができた。だから今回は逃げたくない。たとえ苦しむ道が待っていようとも、新しい傷が付こうとも、もう恐れたりはしない。あなたがあなたのままで生きられるように、僕が居場所を作る」

 差し出した言葉を掴んでもらえるかは分からない。
 でも払われようが、背を向けられようが引くことはしない。
 いつでも掴めるように、泥の中でも見つけられるように。

「もうアイドルじゃないんだよ、私」

 蓮見の顔には不安が滲んでいた。
 感情を映し出した表情を見て、葉山は言葉に想いを込める。

「アイドルだから好きになったわけじゃない。蓮見千佳っていう一人の人間に惹かれてファンになった。だから肩書きなんてどうだっていい。アイドルを辞めたからって、気持ちが変わる理由にはならない」

 蓮見は唇を噛み締めながら、グッと何かを堪えた。
 それが何かは分からないが、瞳は微かに潤んでいるように見える。

「蓮見さんがいなかったら、僕はこの世界にいなかった思う。あのときの言葉があったから別の道に逃げることができた。今もまだ弱い人間だけど、それでも誰かのために生きてみたい。この弱さが誰かの道標になってほしいから」

「あのときの言葉は無意識に出たものだった。自分でも覚えていない。でも、本心であることは間違いない。当時は精神が崩壊しかけていたときで、支えにできるものがなかったの。だから自分に言い聞かせてたんだと思う。本当は逃げたかったし、弱音も吐きたかった。でもそんな場所はどこにもなかった。涙まで見せて情けなかったけど、そのおかげで君と会うことができた。生きててくれてありがとう」

 名前を付けられないような感情が胸の中から溢れ出してくる。
 星を掴んだような感覚は、今が現実なのかさえも疑問を持たせた。

「いつか誰かを救ってみたい。そのいつかが今だと思う。蓮見さんからしたら大きなお世話かもしれないけど、苦しんでいるなら頼ってほしい。すべてを解決できるほどの力はないけど、支えになれるように全力を尽くす。この人なら信頼できるって思ってもらえるように」

「私、面倒くさいよ?」

「もう慣れた」

 葉山の返しに、蓮見は笑みを浮かべた。
 その瞬間、穏やかな空気が二人の間に流れる。

「本当に辛いときは手を差し伸べて。葉山くんが辛いときは、私が手を差し伸べるから。どちらかが負担を背負う関係性じゃなく、共に歩いていける人が欲しい。それでもいいかな?」

「分かった」

「あと、たくさん傷つけちゃってごめんなさい。純粋に応援してくれていたのに、私は裏切るようなことをしてしまった。孤独で苦しんでいる人に光を与えたかったはずなのに、それすらも忘れて楽になろうとしてた。言い訳をするなら、誰かを傷つけることでしか自分を守ることができなかったの。もし葉山くんのように強い人間だったら、この痛みを優しさに変えようとしてたと思う」

「僕は強くないよ。逃げることでしか自分を守れないから。でもこの弱さで誰かを救いたい。弱いからこそ理解できることがあると思うんだ」

「逃げることで救われる命があるなら、それは逃げたんじゃない。進むべき道だよ。私は“アイドルなんてしてなければ”と思うことがたくさんあった。でも、アイドルになって良かったこともある。あなたみたいな優しい人の命を、この世界に繋ぎ止められたこと。それだけで私は救われる」

 その言葉が嬉しかった。推しの言葉は光だ。

「いい人は人生を損することが多い。でもいい人が幸せになれる世界であってほしい。葉山くんみたいな人が笑えるような。だから私も全力を尽くす。孤独で苦しんでいる人が数われるように」

「うん」

 その後、肉を囲みながら蓮見の過去をみんなで聞いた。
 痛みが連なったバックボーンは、人の醜さと環境の重要性を知るには十分だった。
 葉山は静かに蓮見の話に耳を傾け、どうやったら救えるのかを懸命に考えた。
 信頼とは簡単にできることではない。
 だからこそ、相手の心に目を向けようとする意識が必要になる。
 何を求めているのか。
 どう生きようとしているのか。
 自分にできることはなんなのか。
 その意識はやがて優しさとなり、弱さを育てる水に変わる。
 誰かを変えるためには、まず自分に目を向けなければならない。
 自分を変えられない人間に、人を変えることはできないのだから。


 バーベキュー後、各自部屋に戻り、それぞれの時間を過ごしていた。
 蓮見は水を飲むためにリビングに降りると、ウッドデッキでタバコを吸う竜一の姿が見えた。

「もっと早くノートのこと言ってくれたら良かったのに」

 声をかけると、竜一は足元に置いていた灰皿でタバコを消した。
 まだ半分くらいは残っていたが、気を遣ってくれたのだろう。

「どのタイミングで言うかが大事なんだよ」

 蓮見が隣に座ると、竜一はそう言った。

「どん底にいるとき、這いあがろうとしてるとき、乗り越えた後。同じ言葉でも、そのときの心境で捉え方は変わる。蓮見は全部を疑ってるように見えた。苦しんでるときは隙間がないから、まずは楽にしてやるところから始めないといけない。一度落ち着けば心に隙間ができるから、言葉も受け入れやすくなったりする。本当はもう少し様子を見てからノートを見せようと思ってたんだけど、薫が自らの足で一歩踏み出そうとしてたから、それを止めてはいけないと判断した」

 竜一の言う通り、もう傷を作りたくないとすべてを疑っていた。
 コテージに来た当初にノートを読んでいたら、今とは感じ方も変わっていたかもしれない。
 他人を傷つけてしまったという罪悪感。
 このままではいけないという焦燥感。
 色んな想いが錯綜していたときだからこそ、葉山の言葉に安心できたのかもしれない。
 一人じゃないと。

「『心が強かったら上手に生きられたのに』って何度も思った。周りのことなんて気にせず、自分を貫けるような強さ。私が私であることにもっと胸を張れていたら、夢を手放すことはなかったのかもしれない」

「心の強さっていうのは受け止め方だ。真面目な人間は全部背負おうとする。そして耐えられなくなって壊れていく。時には逃げてもいいし、言い訳もしていい。心に余裕ができたらもう一度向き合って、再度苦しくなったら、逃げると言い訳を繰り返す。受け止めるタイミングを間違えるから余計に辛くなるんだ。自分でタイミングを作れるようになれば軽減できる。性格悪くて図太く生きてる奴がいるだろ? ああいう人間は周りに責任を負わせらるから、不自由なく生きていけるんだ。真っ当な人間が自分の分まで背負ってくれるからな。なにか不都合なことがあっても、『私は悪くない』で済ませられるから痛みを知らない。そういう意味では心が強いって言ってもいいかもしれないが、その分成長はしない」

 何もかも詰め込んでいたような気がした。
 捨てるべきものと拾わなければいけないものの区別もせずに。
 環境が悪ければゴミ箱のようになってしまい、心が汚れていくのは必至だ。
 蓮見はそれも気づかずにゴミを拾い続けてしまった。
 その結果、心が耐えきれなくなり、希望が枯れたのだろう。

「私がいた世界はそんな人間ばかりだった。やっかいなのは悪い人間ばかりに目がいってしまうようになったこと。たった一点のシミでも全部が汚れているかのように感じて、綺麗なものすら判断できなくなる。環境は最悪だったけど、線引きはしないといけなかった。でもそんな余裕はなかったんだと思う。自分を保つのに必死で」

「お互い違うルールで生きてるとき、それを尊重できる人間と自分のルールを押し付けてくる人間がいる。これは価値観の幅で決まるんだと思う。絶対的に自分が正しいと思ってる奴は幅が狭いから選択肢も少ない。少数から選ぶから、それが“正解”だと断定しやすくなるんだ。でも幅が持てれば答えは一つでないことを知れる。その分許容範囲も広くなりやすい。俺はその差だと思ってる。価値観の幅を広げるには相手を理解しようとする意識が必要だが、狭い人間は正解と不正解の二択で物事を判断してしまう。だから我慢する側のほうが苦しくなるし、声がでかい奴の方が幸せを享受する」

 グループの中では高梨たちが常識で、蓮見が異端だった。
 不真面目な人間からしたら、真面目な人間は悪だ。
 自分たちから”楽をする“ということを奪う存在になるから。
 だから排除するのだろう。
 異端児に領域を荒らされる前に。

「美しい花を咲かす種を持っていても、土が悪ければ咲くことすらできない。迎合すれば咲くかもしれないが、美しいかどうかは別だ。そこでは汚れたものが綺麗だと認識されるから。だから環境を変えることが大事なんだ。今まで見てきた世界が本当に正しいのかどうかを知るために。そのためにここがある」

 世界は汚れている。
 そんな考えが頭の隅にあったが、今は間違っていたと知れた。
 大きな球体には数多の境界線があり、その仕切りの中の人間たちが色を決めていく。
 第三者からしたら常識を外れたルールでも、その線の中では絶対的な正義となっていることもある。
 悪人が跋扈するような場所で生きることになれば、世界は穢れていると錯覚するだろう。
 どこから見るかで景色の見え方が変わるから。
 周りの人間次第で、他人という存在の測り方が変わるから。

「だいぶ曇ってたと思う。だから全員がくすんでいるように見えてた。全体を曖昧に見るのではなく、個人で線引きできるようにならないとね。でないと、綺麗な手すら汚れて見えてしまう。色んなことに背を向けてきたけど、そろそろ前を向かなきゃ。私が私でいられるように」

「前を向こうが、下を向こうが、どちらも間違いではない。そのときにしか見えないものを探せ。上を見れば空の高さが知れるし、下を見れば足元の美しい花を知れる。背を向けたことで気付けたこともあるはずだ。苦しさの中で何かを拾ってくたび、人は少しずつ大人になっていく。他の奴が見えないものを今見てるんだ。それも大事にしてやれ」

「うん」

 付いた傷は無駄ではない。
 そう言ってくれているような気がした。
 後悔ばかりの記憶に意味を付けられたら、いつか笑える日が来るかもしれない。
 蓮見はそんな想いで星を見上げた。
 何億光年経っても闇を照らす、過去から贈られた夜空の花々を。


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 バーベキューの準備を終え、葉山たちはテーブルを囲んで蓮見を待っていた。
 夜を見上げると、散りばめられた星々が空を彩っている。
 たぶん来ない。
 そんな空気が五人の間に流れており、それが少し寂しく感じる。
 でも来たところで蓮見とどう話していいか分からない。
 夕方に持っていた勇気は萎れ、時間が経つにつれて臆病さが顔を覗かせてきた。
 そんな自分に嫌悪する。
 命の恩人を救いたいと思ってるのに、どこかで自分を守ろうとしているような気もする。
 これ以上傷つきたくないという防衛本能が、臆病という名の盾を差し出してきているように、葉山は感じていた。
「ねえ、レタス減ってる」
 莉亜が樹を睨みながら言った。
「俺じゃねえよ」
「樹くん以外につまみ食いする人いないじゃん」
「お前がいるだろ」
「私はしないよ」
「トマト食ってただろ」
「それはもう解決したでしょ。今はレタス事件の犯人を探してるの」
「変な名前付けるなよ」
「誤魔化さないでよ。レタス返して」
「だから俺じゃねえよ」
「白状したら許してあげる」
「だからやってねえよ」
「分かってるから、正直に……」
「食べたの蘭だぞ」
 竜一がそう言うと、蘭は無表情で顔を俯かせた。
「誰が犯人だって?」
 莉亜は困った表情を浮かべながら瞳を泳がせる。
「犯人呼ばわりしたんだから、なにか言うことあるだろ」
「来るかな、蓮見さん」
「おい、誤魔化すな」
「そうだ! お肉焼いて、匂いでおびき寄せよう」
「動物じゃねえんだよ。それより謝れ」
「蘭ちゃんお腹空いたよね。もっとレタス食べていいよ」
「食べていいよじゃ……」
「あっ」
 莉亜がコテージの方を見ながら声を上げた。
「だから誤魔化すんじゃ……あっ」
 樹も同様にコテージの方を見ながら声を上げる。
 葉山は振り返り、一同の視線が集まるところに目をやった。
 そこには、どこか気まずそうに歩いてくる蓮見の姿があった。
「蓮見さん……」
「良かったね、葉山くん」
「絶対喧嘩するなよ」
「それは樹くんでしょ。私はしないもん」
「してたろ」
 樹と莉亜が言い合いをしていると、蓮見が葉山の目の前で立ち止まった。
 葉山は立ち上がって、蓮見を迎える。
 彼女は何かを言いたそうにしているが、喉元で突っかかっているように感じた。
 言葉を待つか、自分から言うかと迷っていると、蓮見の声が鼓膜に触れる。
「ノート読んだ。なんていうか……その……」
 何かを伝えようとしている。でもその先の言葉をどう言えばいいのか分からない。
 そんな表情だった。
 今の蓮見がどんな気持ちを抱いているのかは知らない。
 でもここで勇気を出さなければ、ずっと変わらないような気がした。
――あなたのおかげで変わることができた
 そう伝えるためにも、自分から足を踏み出さなければと葉山は思った。
「信用してとは言わない。でも、信用してもらうために全力を尽くす。鬱陶しいかもしれないけど力になりたいんだ。あの日の言葉がなければ、僕はきっと命を絶っていた。でも、蓮見さんのおかげで生きようと思えたし、人生に目的を持つことができた。だから今回は逃げたくない。たとえ苦しむ道が待っていようとも、新しい傷が付こうとも、もう恐れたりはしない。あなたがあなたのままで生きられるように、僕が居場所を作る」
 差し出した言葉を掴んでもらえるかは分からない。
 でも払われようが、背を向けられようが引くことはしない。
 いつでも掴めるように、泥の中でも見つけられるように。
「もうアイドルじゃないんだよ、私」
 蓮見の顔には不安が滲んでいた。
 感情を映し出した表情を見て、葉山は言葉に想いを込める。
「アイドルだから好きになったわけじゃない。蓮見千佳っていう一人の人間に惹かれてファンになった。だから肩書きなんてどうだっていい。アイドルを辞めたからって、気持ちが変わる理由にはならない」
 蓮見は唇を噛み締めながら、グッと何かを堪えた。
 それが何かは分からないが、瞳は微かに潤んでいるように見える。
「蓮見さんがいなかったら、僕はこの世界にいなかった思う。あのときの言葉があったから別の道に逃げることができた。今もまだ弱い人間だけど、それでも誰かのために生きてみたい。この弱さが誰かの道標になってほしいから」
「あのときの言葉は無意識に出たものだった。自分でも覚えていない。でも、本心であることは間違いない。当時は精神が崩壊しかけていたときで、支えにできるものがなかったの。だから自分に言い聞かせてたんだと思う。本当は逃げたかったし、弱音も吐きたかった。でもそんな場所はどこにもなかった。涙まで見せて情けなかったけど、そのおかげで君と会うことができた。生きててくれてありがとう」
 名前を付けられないような感情が胸の中から溢れ出してくる。
 星を掴んだような感覚は、今が現実なのかさえも疑問を持たせた。
「いつか誰かを救ってみたい。そのいつかが今だと思う。蓮見さんからしたら大きなお世話かもしれないけど、苦しんでいるなら頼ってほしい。すべてを解決できるほどの力はないけど、支えになれるように全力を尽くす。この人なら信頼できるって思ってもらえるように」
「私、面倒くさいよ?」
「もう慣れた」
 葉山の返しに、蓮見は笑みを浮かべた。
 その瞬間、穏やかな空気が二人の間に流れる。
「本当に辛いときは手を差し伸べて。葉山くんが辛いときは、私が手を差し伸べるから。どちらかが負担を背負う関係性じゃなく、共に歩いていける人が欲しい。それでもいいかな?」
「分かった」
「あと、たくさん傷つけちゃってごめんなさい。純粋に応援してくれていたのに、私は裏切るようなことをしてしまった。孤独で苦しんでいる人に光を与えたかったはずなのに、それすらも忘れて楽になろうとしてた。言い訳をするなら、誰かを傷つけることでしか自分を守ることができなかったの。もし葉山くんのように強い人間だったら、この痛みを優しさに変えようとしてたと思う」
「僕は強くないよ。逃げることでしか自分を守れないから。でもこの弱さで誰かを救いたい。弱いからこそ理解できることがあると思うんだ」
「逃げることで救われる命があるなら、それは逃げたんじゃない。進むべき道だよ。私は“アイドルなんてしてなければ”と思うことがたくさんあった。でも、アイドルになって良かったこともある。あなたみたいな優しい人の命を、この世界に繋ぎ止められたこと。それだけで私は救われる」
 その言葉が嬉しかった。推しの言葉は光だ。
「いい人は人生を損することが多い。でもいい人が幸せになれる世界であってほしい。葉山くんみたいな人が笑えるような。だから私も全力を尽くす。孤独で苦しんでいる人が数われるように」
「うん」
 その後、肉を囲みながら蓮見の過去をみんなで聞いた。
 痛みが連なったバックボーンは、人の醜さと環境の重要性を知るには十分だった。
 葉山は静かに蓮見の話に耳を傾け、どうやったら救えるのかを懸命に考えた。
 信頼とは簡単にできることではない。
 だからこそ、相手の心に目を向けようとする意識が必要になる。
 何を求めているのか。
 どう生きようとしているのか。
 自分にできることはなんなのか。
 その意識はやがて優しさとなり、弱さを育てる水に変わる。
 誰かを変えるためには、まず自分に目を向けなければならない。
 自分を変えられない人間に、人を変えることはできないのだから。
 バーベキュー後、各自部屋に戻り、それぞれの時間を過ごしていた。
 蓮見は水を飲むためにリビングに降りると、ウッドデッキでタバコを吸う竜一の姿が見えた。
「もっと早くノートのこと言ってくれたら良かったのに」
 声をかけると、竜一は足元に置いていた灰皿でタバコを消した。
 まだ半分くらいは残っていたが、気を遣ってくれたのだろう。
「どのタイミングで言うかが大事なんだよ」
 蓮見が隣に座ると、竜一はそう言った。
「どん底にいるとき、這いあがろうとしてるとき、乗り越えた後。同じ言葉でも、そのときの心境で捉え方は変わる。蓮見は全部を疑ってるように見えた。苦しんでるときは隙間がないから、まずは楽にしてやるところから始めないといけない。一度落ち着けば心に隙間ができるから、言葉も受け入れやすくなったりする。本当はもう少し様子を見てからノートを見せようと思ってたんだけど、薫が自らの足で一歩踏み出そうとしてたから、それを止めてはいけないと判断した」
 竜一の言う通り、もう傷を作りたくないとすべてを疑っていた。
 コテージに来た当初にノートを読んでいたら、今とは感じ方も変わっていたかもしれない。
 他人を傷つけてしまったという罪悪感。
 このままではいけないという焦燥感。
 色んな想いが錯綜していたときだからこそ、葉山の言葉に安心できたのかもしれない。
 一人じゃないと。
「『心が強かったら上手に生きられたのに』って何度も思った。周りのことなんて気にせず、自分を貫けるような強さ。私が私であることにもっと胸を張れていたら、夢を手放すことはなかったのかもしれない」
「心の強さっていうのは受け止め方だ。真面目な人間は全部背負おうとする。そして耐えられなくなって壊れていく。時には逃げてもいいし、言い訳もしていい。心に余裕ができたらもう一度向き合って、再度苦しくなったら、逃げると言い訳を繰り返す。受け止めるタイミングを間違えるから余計に辛くなるんだ。自分でタイミングを作れるようになれば軽減できる。性格悪くて図太く生きてる奴がいるだろ? ああいう人間は周りに責任を負わせらるから、不自由なく生きていけるんだ。真っ当な人間が自分の分まで背負ってくれるからな。なにか不都合なことがあっても、『私は悪くない』で済ませられるから痛みを知らない。そういう意味では心が強いって言ってもいいかもしれないが、その分成長はしない」
 何もかも詰め込んでいたような気がした。
 捨てるべきものと拾わなければいけないものの区別もせずに。
 環境が悪ければゴミ箱のようになってしまい、心が汚れていくのは必至だ。
 蓮見はそれも気づかずにゴミを拾い続けてしまった。
 その結果、心が耐えきれなくなり、希望が枯れたのだろう。
「私がいた世界はそんな人間ばかりだった。やっかいなのは悪い人間ばかりに目がいってしまうようになったこと。たった一点のシミでも全部が汚れているかのように感じて、綺麗なものすら判断できなくなる。環境は最悪だったけど、線引きはしないといけなかった。でもそんな余裕はなかったんだと思う。自分を保つのに必死で」
「お互い違うルールで生きてるとき、それを尊重できる人間と自分のルールを押し付けてくる人間がいる。これは価値観の幅で決まるんだと思う。絶対的に自分が正しいと思ってる奴は幅が狭いから選択肢も少ない。少数から選ぶから、それが“正解”だと断定しやすくなるんだ。でも幅が持てれば答えは一つでないことを知れる。その分許容範囲も広くなりやすい。俺はその差だと思ってる。価値観の幅を広げるには相手を理解しようとする意識が必要だが、狭い人間は正解と不正解の二択で物事を判断してしまう。だから我慢する側のほうが苦しくなるし、声がでかい奴の方が幸せを享受する」
 グループの中では高梨たちが常識で、蓮見が異端だった。
 不真面目な人間からしたら、真面目な人間は悪だ。
 自分たちから”楽をする“ということを奪う存在になるから。
 だから排除するのだろう。
 異端児に領域を荒らされる前に。
「美しい花を咲かす種を持っていても、土が悪ければ咲くことすらできない。迎合すれば咲くかもしれないが、美しいかどうかは別だ。そこでは汚れたものが綺麗だと認識されるから。だから環境を変えることが大事なんだ。今まで見てきた世界が本当に正しいのかどうかを知るために。そのためにここがある」
 世界は汚れている。
 そんな考えが頭の隅にあったが、今は間違っていたと知れた。
 大きな球体には数多の境界線があり、その仕切りの中の人間たちが色を決めていく。
 第三者からしたら常識を外れたルールでも、その線の中では絶対的な正義となっていることもある。
 悪人が跋扈するような場所で生きることになれば、世界は穢れていると錯覚するだろう。
 どこから見るかで景色の見え方が変わるから。
 周りの人間次第で、他人という存在の測り方が変わるから。
「だいぶ曇ってたと思う。だから全員がくすんでいるように見えてた。全体を曖昧に見るのではなく、個人で線引きできるようにならないとね。でないと、綺麗な手すら汚れて見えてしまう。色んなことに背を向けてきたけど、そろそろ前を向かなきゃ。私が私でいられるように」
「前を向こうが、下を向こうが、どちらも間違いではない。そのときにしか見えないものを探せ。上を見れば空の高さが知れるし、下を見れば足元の美しい花を知れる。背を向けたことで気付けたこともあるはずだ。苦しさの中で何かを拾ってくたび、人は少しずつ大人になっていく。他の奴が見えないものを今見てるんだ。それも大事にしてやれ」
「うん」
 付いた傷は無駄ではない。
 そう言ってくれているような気がした。
 後悔ばかりの記憶に意味を付けられたら、いつか笑える日が来るかもしれない。
 蓮見はそんな想いで星を見上げた。
 何億光年経っても闇を照らす、過去から贈られた夜空の花々を。