表示設定
表示設定
目次 目次




三十六話 蓮見千佳 回想⑫

ー/ー



「もうアイドルを続けることはできません」

 蓮見は事務所へ行き、社長とマネージャーにそう告げた。
 自分が目指していた理想への道は、もう断たれている。
 数多の石が投げられ、通行することは不可能だ。
 “自分と同じような人たちを変えたい”
 そんな想いで今日まで続けてきた。
 だが自分と同じような人間は、こんなアイドルなど嫌悪するだろう。
 何一つ悪いことなどしてはいないが、表の印象ですべて判断されてしまう。
 たとえ天使だったとしても、悪魔のような格好をしていれば誰も近づきはしないし、耳を貸すこともないから。

「今回のことはアイドルとして致命的だが、時間が経てばほとぼりも冷める。今は耐えよう」

 社長の言葉は耳には入っているが、心までは届いていなかった。
 アイドルとしての価値が無くなった今、続ける意味が何一つ見つからない。
 道なき道をどう進めばいいのかも分からないし、目的地すら作ることもできない。
 選択肢は一つしかなかった。
 それ以外、残されていないから。

「無理です。私が目指してきたものは、二度と掴むことすらできないから。それと、他人のために何かを犠牲にするってことをしたくないんです。腐った人間に笑顔を作ることも嫌だし、道徳も分からないクズに人生を左右されることも許せない。もう蓮見千佳は死にました。これからは自分を守るために生きていきます」

 社長とマネージャーは口を半開きにして驚いていた。
 今までの蓮見だったら「クズ」なんて言葉は使わなかっただろう。
 でも今は息を吐くように言える。
 思考や生き方が変われば、それは言葉にも影響する。
 どう生きていくか、何を守りたいか、何をされたくないか。
 心に置いているもので、使う言葉は変わる。

「千佳ちゃん、今は苦しい時期だけど自暴自棄になってはダメ。まだやり直せるし、頑張ればまた振り向いてもらえる」

「誰にですか? ファンにですか? あいつらはアイドルを自分のおもちゃだと思ってる。なんでそんな奴らに、私の人生を捧げなければいけないんですか?」

「全員が悪い人ってわけじゃないでしょ? 千佳ちゃんのことを今も応援してくれる人もいるし……」

「そんなの分からない! いつ手のひらを返すかも分からない人間をどう信じたらいいの? ファンなんて所詮は他人だし、善人ぶってるだけかもしれない。『私はこんなときにでも推しを励ます良い人ですよ』っていうアピールの可能性だってある。誰も信じたくないし、裏切られるのも、利用されるのも嫌。二人だって私を稼ぐための駒としか思ってないんでしょ? アイドルはビジネスの道具でしかないんでしょ? もう他人のために生きたくないの! 解放されたい。こんな腐った世界から。優しく生きようとする自分からも」

 自分が自分ではないみたいだった。
 でも何も気にせず言葉を吐けることは楽だった。
 初めからこんな生き方ができていたら、きっと違う道に進んでいたのかもしれない。

「でも他の仕事はどうするんだ? 今辞めるなんてことはできないぞ」

「今入ってる仕事はこなします。でも新しい仕事は入れないでください。ていうか、もうオファーも来ないと思うけど」

「辞めちゃダメだよ。千佳ちゃんは才能があるから絶対にやり直せる」

 マネージャーは必死になって止めてきた。
 だが、選択肢など蓮見にはない。

「お金のことしか考えていない人たちに指図されたくないんです。二人は信念の意味すら分からないでしょ?」

「ちゃんと“みんな”のことを考えてる。どうやったら知ってもらえるのか、どうやったらファンを増やせるのかって」

「そこに“アイドルとしての意味”が入ってないんですよ。結局売れれば正解だと思ってる人間に、私の気持ちなんて理解できない。それと、みんなのためを考えてるなら、あのクズ共をちゃんと教育した方がいい。努力すらできない人間に、人の心は掴めない。掴めたとしても、そいつらは表面でしか人を見れないクズだし、そんな奴らはすぐに離れていく。もっとビジネス以外のことも考えた方がいいですよ。だからこの事務所は大手になれない」

「蓮見、誰に言ってるのか分かってるのか? 俺は事務所の社長だぞ」

「もう辞めるので、ただの他人です」

 蓮見はそう言い残して事務所を出て行った。
 社長の言う通り、言い方は失礼だし、あまりに態度が悪すぎる。
 でも、こうでもしないと自分を守ることなんでできない。
 一度舐められたら、骨の髄までしゃぶられる。
 弱さを見せたら恣意的に振る舞われ、心が折れるまで貪り尽くされる。
 もうそんな生き方などしたくない。
 この考えが間違っているかどうかなど、蓮見には関係なかった。
 ただ、楽になりたい。
 何者にも縛られない、そんな自由が欲しかった。


 芸能界を辞めてから半年経ち、蓮見は意味もなく乗った電車の中で揺られていた。
 握手会の出来事や写真の件でいくつかの仕事が飛んだため、思ったよりも早くピリオドを打つことができた。
 グループは蓮見がいなくなってから人気が落ち、今は小さなライブハウスで活動しているようだ。
 辞めてからの半年はずっと無気力だった。
 就職する気も起きず、貯金を食い潰しながら部屋に引きこもる生活を続けている。
 このままではダメだと分かっていても、社会に溶け込む勇気が持てない。
 助けてほしい。
 これが今の正直な気持ちだった。
 でも誰でもではない。
 信頼できて、自分が自分でいられる人の側で花を育てたい。
 ただ枯れてゆく世界では、希望は咲かないから。
 平日の昼ということもあり、電車の中にはほとんど人がいなかった。
 蓮見は同じ車両に座る人たちを見ながら、『みんな何かを抱えて生きているのだろうか?』というような疑問を抱いた。
 目には見えないが、心に傷を負って苦しんでいる最中なのかもしれない。
 もしかしたら自分と同じように、生き方を見失ってしまったのかもしれない。
 そう考えると、どこか仲間意識が芽生えてくる。
 蓮見はスマホを取り出し、『人生を休みたい』と入力した。
 自分のことを知っている人が、誰一人としていない場所に行きたい。
 アイドルの蓮見千佳ではなく、一人の人間として見てくれる人たちと出会いたい。
 そんな想いで、検索ボタンに親指を置いた。
 スクロールしていくと、“人生の休憩所”という文字が目に入ってきた。
 そこには『コテージ・時の花』と書かれている。
 クリックすると詳細が記載されていた。
 苦しんでいる人、迷っている人、死にたいと思っている人など、人生に行き詰まった人が三ヶ月だけコテージに宿泊できるらしい。
 料金は無料で、登録なども不要。ホームページに表記されている電話番号に掛けるだけでいいみたいだ。
 怪しい。
 そう思ったが、何かに縋りたかった。
 普段なら目にも止めないが、彷徨っている蓮見からしたら神の手のようにも感じていた。
 何より、同じように人生に苦しんでいる人たちが集まっている。
 ここだったら自分という存在が認められるかもしれない。
 良き理解者に出会えて、共感して支えてくれる人が待っているかもしれない。
 電車が駅に着くと、降車して電話をかけていた。
 一人では歩くことさえもままならないため、力を貸してほしかった。
 閉ざされた道をこじ開けてくれるような人に会い、希望という光を差してほしかった。
 今なら神に縋る人の気持ちも理解できる。
 孤独の中では、幻想にしか頼ることができないのだから。

「もしもし」

 高齢の男性の声だった。優しい声が鼓膜に触れる。

「ホームページを見て……」

 それから一週間後、土屋という男性とコテージに向かった。
 そこには自分と同世代の人が三人おり、高校時代やアイドルをしていたときの記憶が蘇った。
 舐められてはいけない。
 弱さを見せてはいけない。
 また同じ道を歩んではいけない。
 付けられた傷が知らないうちに呪いに変わっていた。
 握手をしてこようとした女性、面倒な顔をしていた男性はメンバーを思い出させた。
 記憶は感情を煽り立て、コントロールできない呪縛は暴言となり、目の前の人たちに牙を向けた。
 でも仕方ない、自分を守るためだ。
 これ以上、心に傷を付けたくない。
 そんな想いが、誰も踏み込むことのできない境界線を引いてしまっていた。
 それと葉山の存在も大きい。
 自分のファンだと聞いて、すぐに片山の顔がよぎった。
 価値観を押し付けてきた醜いファン。
 近づけてしまったら、また心が蝕まれてしまう。
 過去の経験から防衛本能が過剰に働き、より強い言葉を使って遠ざけた。

――これでいい
――本当にいいの?
――だってあいつは私のファンだよ
――みんながみんな、そんな人じゃない
――下劣な人間だって知ってからじゃ遅いの。また傷を作りたいの?
――でも……

 アイドルになる前の蓮見千佳と、アイドルになってからの蓮見千佳が自分に語りかけてくる。
 どちらが正しいかなんて分かるはずもない。
 もう悩むことすら放棄したかった。
 いつになったら楽になれるのか、これだけが知りたい。
 蓮見は部屋の窓から見える水平線を瞳に映し、心に付いた傷をなぞっていた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 三十七話 泥で引いた境界線


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「もうアイドルを続けることはできません」
 蓮見は事務所へ行き、社長とマネージャーにそう告げた。
 自分が目指していた理想への道は、もう断たれている。
 数多の石が投げられ、通行することは不可能だ。
 “自分と同じような人たちを変えたい”
 そんな想いで今日まで続けてきた。
 だが自分と同じような人間は、こんなアイドルなど嫌悪するだろう。
 何一つ悪いことなどしてはいないが、表の印象ですべて判断されてしまう。
 たとえ天使だったとしても、悪魔のような格好をしていれば誰も近づきはしないし、耳を貸すこともないから。
「今回のことはアイドルとして致命的だが、時間が経てばほとぼりも冷める。今は耐えよう」
 社長の言葉は耳には入っているが、心までは届いていなかった。
 アイドルとしての価値が無くなった今、続ける意味が何一つ見つからない。
 道なき道をどう進めばいいのかも分からないし、目的地すら作ることもできない。
 選択肢は一つしかなかった。
 それ以外、残されていないから。
「無理です。私が目指してきたものは、二度と掴むことすらできないから。それと、他人のために何かを犠牲にするってことをしたくないんです。腐った人間に笑顔を作ることも嫌だし、道徳も分からないクズに人生を左右されることも許せない。もう蓮見千佳は死にました。これからは自分を守るために生きていきます」
 社長とマネージャーは口を半開きにして驚いていた。
 今までの蓮見だったら「クズ」なんて言葉は使わなかっただろう。
 でも今は息を吐くように言える。
 思考や生き方が変われば、それは言葉にも影響する。
 どう生きていくか、何を守りたいか、何をされたくないか。
 心に置いているもので、使う言葉は変わる。
「千佳ちゃん、今は苦しい時期だけど自暴自棄になってはダメ。まだやり直せるし、頑張ればまた振り向いてもらえる」
「誰にですか? ファンにですか? あいつらはアイドルを自分のおもちゃだと思ってる。なんでそんな奴らに、私の人生を捧げなければいけないんですか?」
「全員が悪い人ってわけじゃないでしょ? 千佳ちゃんのことを今も応援してくれる人もいるし……」
「そんなの分からない! いつ手のひらを返すかも分からない人間をどう信じたらいいの? ファンなんて所詮は他人だし、善人ぶってるだけかもしれない。『私はこんなときにでも推しを励ます良い人ですよ』っていうアピールの可能性だってある。誰も信じたくないし、裏切られるのも、利用されるのも嫌。二人だって私を稼ぐための駒としか思ってないんでしょ? アイドルはビジネスの道具でしかないんでしょ? もう他人のために生きたくないの! 解放されたい。こんな腐った世界から。優しく生きようとする自分からも」
 自分が自分ではないみたいだった。
 でも何も気にせず言葉を吐けることは楽だった。
 初めからこんな生き方ができていたら、きっと違う道に進んでいたのかもしれない。
「でも他の仕事はどうするんだ? 今辞めるなんてことはできないぞ」
「今入ってる仕事はこなします。でも新しい仕事は入れないでください。ていうか、もうオファーも来ないと思うけど」
「辞めちゃダメだよ。千佳ちゃんは才能があるから絶対にやり直せる」
 マネージャーは必死になって止めてきた。
 だが、選択肢など蓮見にはない。
「お金のことしか考えていない人たちに指図されたくないんです。二人は信念の意味すら分からないでしょ?」
「ちゃんと“みんな”のことを考えてる。どうやったら知ってもらえるのか、どうやったらファンを増やせるのかって」
「そこに“アイドルとしての意味”が入ってないんですよ。結局売れれば正解だと思ってる人間に、私の気持ちなんて理解できない。それと、みんなのためを考えてるなら、あのクズ共をちゃんと教育した方がいい。努力すらできない人間に、人の心は掴めない。掴めたとしても、そいつらは表面でしか人を見れないクズだし、そんな奴らはすぐに離れていく。もっとビジネス以外のことも考えた方がいいですよ。だからこの事務所は大手になれない」
「蓮見、誰に言ってるのか分かってるのか? 俺は事務所の社長だぞ」
「もう辞めるので、ただの他人です」
 蓮見はそう言い残して事務所を出て行った。
 社長の言う通り、言い方は失礼だし、あまりに態度が悪すぎる。
 でも、こうでもしないと自分を守ることなんでできない。
 一度舐められたら、骨の髄までしゃぶられる。
 弱さを見せたら恣意的に振る舞われ、心が折れるまで貪り尽くされる。
 もうそんな生き方などしたくない。
 この考えが間違っているかどうかなど、蓮見には関係なかった。
 ただ、楽になりたい。
 何者にも縛られない、そんな自由が欲しかった。
 芸能界を辞めてから半年経ち、蓮見は意味もなく乗った電車の中で揺られていた。
 握手会の出来事や写真の件でいくつかの仕事が飛んだため、思ったよりも早くピリオドを打つことができた。
 グループは蓮見がいなくなってから人気が落ち、今は小さなライブハウスで活動しているようだ。
 辞めてからの半年はずっと無気力だった。
 就職する気も起きず、貯金を食い潰しながら部屋に引きこもる生活を続けている。
 このままではダメだと分かっていても、社会に溶け込む勇気が持てない。
 助けてほしい。
 これが今の正直な気持ちだった。
 でも誰でもではない。
 信頼できて、自分が自分でいられる人の側で花を育てたい。
 ただ枯れてゆく世界では、希望は咲かないから。
 平日の昼ということもあり、電車の中にはほとんど人がいなかった。
 蓮見は同じ車両に座る人たちを見ながら、『みんな何かを抱えて生きているのだろうか?』というような疑問を抱いた。
 目には見えないが、心に傷を負って苦しんでいる最中なのかもしれない。
 もしかしたら自分と同じように、生き方を見失ってしまったのかもしれない。
 そう考えると、どこか仲間意識が芽生えてくる。
 蓮見はスマホを取り出し、『人生を休みたい』と入力した。
 自分のことを知っている人が、誰一人としていない場所に行きたい。
 アイドルの蓮見千佳ではなく、一人の人間として見てくれる人たちと出会いたい。
 そんな想いで、検索ボタンに親指を置いた。
 スクロールしていくと、“人生の休憩所”という文字が目に入ってきた。
 そこには『コテージ・時の花』と書かれている。
 クリックすると詳細が記載されていた。
 苦しんでいる人、迷っている人、死にたいと思っている人など、人生に行き詰まった人が三ヶ月だけコテージに宿泊できるらしい。
 料金は無料で、登録なども不要。ホームページに表記されている電話番号に掛けるだけでいいみたいだ。
 怪しい。
 そう思ったが、何かに縋りたかった。
 普段なら目にも止めないが、彷徨っている蓮見からしたら神の手のようにも感じていた。
 何より、同じように人生に苦しんでいる人たちが集まっている。
 ここだったら自分という存在が認められるかもしれない。
 良き理解者に出会えて、共感して支えてくれる人が待っているかもしれない。
 電車が駅に着くと、降車して電話をかけていた。
 一人では歩くことさえもままならないため、力を貸してほしかった。
 閉ざされた道をこじ開けてくれるような人に会い、希望という光を差してほしかった。
 今なら神に縋る人の気持ちも理解できる。
 孤独の中では、幻想にしか頼ることができないのだから。
「もしもし」
 高齢の男性の声だった。優しい声が鼓膜に触れる。
「ホームページを見て……」
 それから一週間後、土屋という男性とコテージに向かった。
 そこには自分と同世代の人が三人おり、高校時代やアイドルをしていたときの記憶が蘇った。
 舐められてはいけない。
 弱さを見せてはいけない。
 また同じ道を歩んではいけない。
 付けられた傷が知らないうちに呪いに変わっていた。
 握手をしてこようとした女性、面倒な顔をしていた男性はメンバーを思い出させた。
 記憶は感情を煽り立て、コントロールできない呪縛は暴言となり、目の前の人たちに牙を向けた。
 でも仕方ない、自分を守るためだ。
 これ以上、心に傷を付けたくない。
 そんな想いが、誰も踏み込むことのできない境界線を引いてしまっていた。
 それと葉山の存在も大きい。
 自分のファンだと聞いて、すぐに片山の顔がよぎった。
 価値観を押し付けてきた醜いファン。
 近づけてしまったら、また心が蝕まれてしまう。
 過去の経験から防衛本能が過剰に働き、より強い言葉を使って遠ざけた。
――これでいい
――本当にいいの?
――だってあいつは私のファンだよ
――みんながみんな、そんな人じゃない
――下劣な人間だって知ってからじゃ遅いの。また傷を作りたいの?
――でも……
 アイドルになる前の蓮見千佳と、アイドルになってからの蓮見千佳が自分に語りかけてくる。
 どちらが正しいかなんて分かるはずもない。
 もう悩むことすら放棄したかった。
 いつになったら楽になれるのか、これだけが知りたい。
 蓮見は部屋の窓から見える水平線を瞳に映し、心に付いた傷をなぞっていた。