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三十五話 蓮見千佳 回想⑪

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 この日は空が泣いていた。
 雲がかかった灰色の世界で、悲しさを纏いながら大粒の雫を地上に零す。
 蓮見も空と同様、不安定な感情を抱きながらステージに立っていた。
 ファン同士が揉めたことにより中止になった四周年のライブ。
 その振替として握手会が行われていた。
 会場は以前と同じ、小さなライブハウスだ。
 蓮見たちは一列に並び、ファン一人一人と握手をする。
 今回はお詫びを示す形で、一人あたり三十秒ほどの時間を設けた。
 マネージャーは写真の件もあったため反対したが、他のメンバーがどうしてもファンの人に誠意を見せたいと懇願したからだ。
 坂井たちに“ファンのため”という考えはない。
 ただ蓮見が暴言を吐かれる様子が見たいだけだ。
 今日は片山も来ており、険しい顔で列に並んでいるのが見える。
 きっと罵倒の言葉を整理しているのだろう。
 SNSでも毎日のように蓮見の批判を繰り返しており、彼のリプ欄には同士が集結していた。
 本音を言えば、ファンの前には立ちたくない。
 でもこのグループを支えているのは蓮見だ。
 八割は蓮見のファンであり、今日来ている人たちのほとんどが、蓮見のカラーである赤のグッズを身に付けている。
 だからこそ立たなければいけないし、笑顔を作らなければならない。
 精神的には限界を迎えていたが、ギリギリのラインでなんとか保たせていた。
 蓮見は中央に位置していた。左には高梨がおり、右には坂井だ。
 高梨と握手を終えたファンに手を差し出すと、相手はポケットに手を突っ込んだ。視線は次の坂井に向けられている。
 赤のタオルを肩にかけているため蓮見のファンだ。亀裂が入るような痛みを胸の辺りに感じた。
 坂井は別のファンと握手しているため、この三十秒は何もしない時間になる。
 蓮見は宙に浮いた手のひらを眺めながら、楽しそうにファンと話すメンバーの声を耳に入れていた。
 握手会も終盤に差し掛かり、残り五人となったときだった。
 蓮見は再度ファンに無視され、手持ち無沙汰になる。
 隣を見ると、高梨がファンの手を胸に当てて笑顔で対応していた。
 それはいつものことだが、いつも以上に押し付けている。
 祈るように手を握っており、大きな山の間に相手の指先を挟ませていた。
 ファンに視線を移すと片山だった。鼻の下を伸ばしてニヤけている。

「くるみはダンスが上手くなったね」

「本当ですか? 嬉しい」

 高梨は胸を揺らしながら、これ見よがしに喜んだ。

「片山さんが応援してくれるから、頑張っちゃった」

 実際はそこまで上手くはないし、努力など微塵もしていない。
 レッスンでは未だに「振りを覚えろと」奥寺に怒られているくらいだ。

「じゃあ、俺のおかげだな」

「そうだよ、片山さんのおかげ。でももっと私のこと推してほしいな。そしたらもっと頑張れるのに」

 高梨は上目遣いを駆使しながら、渓谷の奥へと片山の指先を導いた。

「今度、他のグループのファンたちとの交流会があるから、そのときにオススメしといてあげるよ」

「やった! 片山さん大好き」

「頑張ってるご褒美だ」

「ではお時間です。移動してください」

 剥がしの人が声を響かせると、蓮見の心臓が大きく胸を叩いた。
 不安が胸の中で渦巻き、全身を侵食していくように蝕んでいく。
 何を言われのだろうか、どんな言葉で傷を抉ってくるのだろうか。
 まるで死刑台で執行人を待つ罪人のような気分だ。
 鋭く磨いた罵倒は、きっと命にまで届く。
 それを理解していたからこそ、目の前に立った片山が悪魔のように見えた。
 蓮見は恐る恐る手を差し出すと、片山はアイドルとの結び目には興味を示さずに口を開いた。

「千佳はこのグループのセンターだよね?」

「はい……」

「じゃあもっと頑張らないとダメじゃん。他の子が努力してる間に男とイチャつくなんてアイドル失格だよ。俺がSNSで千佳のことを宣伝したから外の仕事も増えたんだよ。それなのにファンを裏切るなんて最低だと思わない? なんでもっとグループのために頑張らないの? くるみや美沙を見習いなよ。今日だってダンスの練習で寝不足なのに、ファンのために笑顔を振りまいてるでしょ」

 両隣では、坂井と高梨がファンと笑顔で会話している。
 坂井は昨夜の投稿で、ダンスの練習動画を上げた。
 『今日もこの時間までくるみと練習』というハッシュタグを付けて。
 時間は深夜帯だったため、ファンの人たちからは「こんな遅くまで偉い」というリプが多数書き込まれていた。
 だが実際は合コンに行っており、ダンスの練習などしていない。
 レッスンの休憩中に二人で撮って、さも努力しているように見せているだけだ。

「千佳がふしだらな行いをしてると、みんなの足を引っ張ることになるんだよ。推しを変えようと思えば変えられるんだからね。いいの? 最近の俺はくるみに傾きかけてるよ」

 蓮見は剥がしに助けを求めるように視線を送ったが、すぐに目を逸らされた。
 アイドルファンに影響を持っている片山に刃向かえば、悪評がついて回ることになる。
 きっと事務所のスタッフに言われてるのだろう。
 片山が蓮見に暴言を吐いても、ある程度は許容しろと。
 完全な孤独の中、何かが壊れる音がした。
 限界を迎えていた心を守るようにして、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
 何も知らない人間が表面だけを掬い取って善悪を判断する。
 真面目に生きてる自分が損をして、遊び呆けてる愚者が堂々と跋扈する。
 こんなのおかしい、絶対間違ってる。
 蓮見の思考は自責していた自分を捨て、外へと敵意を向けた。
 死の淵から足を踏み外さないようにと、防衛本能が働く。

「千佳はグループのセンターなんだから、みんなよりも努力しないといけない。忙しいっていうのは言い訳だからね。美沙もくるみも寝る時間を削って頑張ってるんだから、ドラマに出てる出てないは関係……」

「……さい」

「何?」

「うるさいって言ってんだよ!」

 蓮見が怒号を響かせると会場は静まり返り、視線が一点に集まった。

「ど、どうしたの千佳?」

 片山は狼狽えながら聞き返す。

「何も知らないくせに、なんでも知ってるみたいな口聞かないで。その説教もうんざりなの」

「俺は千佳のために言ってるんだよ。今が一番大切な時期だから、もっと頑張った方がいいって……」

「私が一番頑張ってるんだよ! ずっと真面目にやってきた。他のメンバーが遊んでる間に一人で努力して、ファンを増やすために色々と考えてきた。裏でも表でもアイドルとして生きてきたのに、なんで表だけでぜんぶ決めるの? それに写真の人は彼氏でもない。何度も説明したでしょ? ファンだったら信じてよ」

「そ、そんなこと言うなら、お、推しを変えるよ」

「じゃあ変えろよ! 脅し文句みたいに使えばこっちが下手(したて)に出ると思った? ファンていうことを盾にすれば、なんでも言っていいと思ってる? 勝手に自分の価値観押し付けないで」

 言下、マネージャーがステージの裏から飛び出してきた。

「千佳ちゃん、落ち着いて。一回()けよう」

 マネージャーが肩を掴んでステージの裏へと足を向けさせようとするが、蓮見は振り解いて坂井を睨む。

「ち、千佳、ファンの人を不安にさせちゃうから、一回戻ろ」

 坂井は写真のことを言われると思ったのか、慌てた様子で言った。

「なんで私がぜんぶ背負わないといけないの? 一人で必死に頑張って、誰よりもアイドルを全うしてきた。誰の助けもなく、ここまで耐えてきたんだよ。あとは何をすればいいの? どれだけやったら褒めてもらえるの? どうやったら頑張ったって言ってもらえるの? なんで遊んでるだけの人間が褒められて、真面目にやってる人間が罵倒されなきゃいけないの? おかしいよこんな世界。もう全員死ねばいい」

 蓮見は怒りを撒き散らした後、ステージの裏へと下がった。ファンのどよめきが鼓膜に触れる。
 坂井に嵌められたと言えなかった。
 言えば状況は変わるかもしれないが、坂井の立場が悪くなってしまう。
 勘違いから生まれた歪みで、根っからの悪人ではない。
 まだそんな想いが頭にあった。
 蓮見自身も甘い考えだと分かっているが、過去の恩人に対し、優しさを捨てることができないでいる。
 そんな自分を嫌悪した。
 優しさなど持っていても意味はないし、自分にだけ傷をつける行為だ。
 徐々に悔しいという感情が溢れ出してくると、言えなかった自分に恨みを抱いた。
 もう捨てよう。
 夢も希望も優しさも。
 この穢れた世界では、真面目に生きる人間は真っ先に餌にされる。
 自分を守るためには舐められてはいけない。
 平気で他人を傷つける人間に屈したくない。
 そのためには強くなる必要がある。
 誰もがすぐに判断できるような、分かりやすい形で。
 人は表だけで、すべてを決める生き物だから。


 翌日、蓮見がファンに対して怒りをぶち撒けたことがネットニュースになっていた。
 見出しには「蓮見千佳、握手会でファンを罵倒。熱愛写真を撮られたことが原因か?」と書かれている。
 罵倒したわけでもないし、熱愛写真でもない。
 閲覧数を稼ぐためとはいえ、印象操作するような見出しに腹が立った。
 他人の不幸で金を稼ぐ輩、タイトルだけですべてを判断して叩いてくる野次馬。
 芸能のスクープには、世の中の腐った人間が集まってくる。
 この記事が正しいかどうかも分からないくせに、「逆ギレも甚だしい」「アイドルなんて裏ではこんなもんよ」「プロ意識が低い」など、表面だけしか見れない人間たちの言葉が飛び交っていた。
 当然、毒が盛られた言葉たちは蓮見のアカウントにも塗りたくられる。
「アイドル失格」「清純派気取りの尻軽」「ファンにキレるのは違いますよね」「この短期間で二度もグループに迷惑かけてるのに、まだ辞めないの?」「好きだったけどファンを辞めます」
 中には励ましの言葉も見受けられた。
 だが傷を縫えたとしても、投下されてくる誹謗中傷によって解かれていく。
 抉られる傷口はだんだんと痛みを感じなくなり、どんな言葉も受け入れなくなっていた。
 そして心を守るため、すべてのものに敵意を向ける。
 自分のせいじゃない。
 ずっと正しいことをしてきた。
 間違ってるのは周りで、理解できないのは頭が悪いから。
 私が真面目に生きられないのは、世の中の人間が腐っているからだ。
 今の蓮見には善人と悪人の境界線を引く余裕がなく、すべての人間を一括りにしてしまった方が楽だった。
 ファンの中にも良い人たちはいるが、全員が片山のような下劣な人間のように思えてしまう。
 汚れた言葉というのは、どんなに美しいものでさえも醜くさせる。
 蓮見は“誰かのために”という気概を捨てた。でないと、自分という存在を保つことができなかったから。


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 雲がかかった灰色の世界で、悲しさを纏いながら大粒の雫を地上に零す。
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 ファン同士が揉めたことにより中止になった四周年のライブ。
 その振替として握手会が行われていた。
 会場は以前と同じ、小さなライブハウスだ。
 蓮見たちは一列に並び、ファン一人一人と握手をする。
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 マネージャーは写真の件もあったため反対したが、他のメンバーがどうしてもファンの人に誠意を見せたいと懇願したからだ。
 坂井たちに“ファンのため”という考えはない。
 ただ蓮見が暴言を吐かれる様子が見たいだけだ。
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 きっと罵倒の言葉を整理しているのだろう。
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 本音を言えば、ファンの前には立ちたくない。
 でもこのグループを支えているのは蓮見だ。
 八割は蓮見のファンであり、今日来ている人たちのほとんどが、蓮見のカラーである赤のグッズを身に付けている。
 だからこそ立たなければいけないし、笑顔を作らなければならない。
 精神的には限界を迎えていたが、ギリギリのラインでなんとか保たせていた。
 蓮見は中央に位置していた。左には高梨がおり、右には坂井だ。
 高梨と握手を終えたファンに手を差し出すと、相手はポケットに手を突っ込んだ。視線は次の坂井に向けられている。
 赤のタオルを肩にかけているため蓮見のファンだ。亀裂が入るような痛みを胸の辺りに感じた。
 坂井は別のファンと握手しているため、この三十秒は何もしない時間になる。
 蓮見は宙に浮いた手のひらを眺めながら、楽しそうにファンと話すメンバーの声を耳に入れていた。
 握手会も終盤に差し掛かり、残り五人となったときだった。
 蓮見は再度ファンに無視され、手持ち無沙汰になる。
 隣を見ると、高梨がファンの手を胸に当てて笑顔で対応していた。
 それはいつものことだが、いつも以上に押し付けている。
 祈るように手を握っており、大きな山の間に相手の指先を挟ませていた。
 ファンに視線を移すと片山だった。鼻の下を伸ばしてニヤけている。
「くるみはダンスが上手くなったね」
「本当ですか? 嬉しい」
 高梨は胸を揺らしながら、これ見よがしに喜んだ。
「片山さんが応援してくれるから、頑張っちゃった」
 実際はそこまで上手くはないし、努力など微塵もしていない。
 レッスンでは未だに「振りを覚えろと」奥寺に怒られているくらいだ。
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 高梨は上目遣いを駆使しながら、渓谷の奥へと片山の指先を導いた。
「今度、他のグループのファンたちとの交流会があるから、そのときにオススメしといてあげるよ」
「やった! 片山さん大好き」
「頑張ってるご褒美だ」
「ではお時間です。移動してください」
 剥がしの人が声を響かせると、蓮見の心臓が大きく胸を叩いた。
 不安が胸の中で渦巻き、全身を侵食していくように蝕んでいく。
 何を言われのだろうか、どんな言葉で傷を抉ってくるのだろうか。
 まるで死刑台で執行人を待つ罪人のような気分だ。
 鋭く磨いた罵倒は、きっと命にまで届く。
 それを理解していたからこそ、目の前に立った片山が悪魔のように見えた。
 蓮見は恐る恐る手を差し出すと、片山はアイドルとの結び目には興味を示さずに口を開いた。
「千佳はこのグループのセンターだよね?」
「はい……」
「じゃあもっと頑張らないとダメじゃん。他の子が努力してる間に男とイチャつくなんてアイドル失格だよ。俺がSNSで千佳のことを宣伝したから外の仕事も増えたんだよ。それなのにファンを裏切るなんて最低だと思わない? なんでもっとグループのために頑張らないの? くるみや美沙を見習いなよ。今日だってダンスの練習で寝不足なのに、ファンのために笑顔を振りまいてるでしょ」
 両隣では、坂井と高梨がファンと笑顔で会話している。
 坂井は昨夜の投稿で、ダンスの練習動画を上げた。
 『今日もこの時間までくるみと練習』というハッシュタグを付けて。
 時間は深夜帯だったため、ファンの人たちからは「こんな遅くまで偉い」というリプが多数書き込まれていた。
 だが実際は合コンに行っており、ダンスの練習などしていない。
 レッスンの休憩中に二人で撮って、さも努力しているように見せているだけだ。
「千佳がふしだらな行いをしてると、みんなの足を引っ張ることになるんだよ。推しを変えようと思えば変えられるんだからね。いいの? 最近の俺はくるみに傾きかけてるよ」
 蓮見は剥がしに助けを求めるように視線を送ったが、すぐに目を逸らされた。
 アイドルファンに影響を持っている片山に刃向かえば、悪評がついて回ることになる。
 きっと事務所のスタッフに言われてるのだろう。
 片山が蓮見に暴言を吐いても、ある程度は許容しろと。
 完全な孤独の中、何かが壊れる音がした。
 限界を迎えていた心を守るようにして、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
 何も知らない人間が表面だけを掬い取って善悪を判断する。
 真面目に生きてる自分が損をして、遊び呆けてる愚者が堂々と跋扈する。
 こんなのおかしい、絶対間違ってる。
 蓮見の思考は自責していた自分を捨て、外へと敵意を向けた。
 死の淵から足を踏み外さないようにと、防衛本能が働く。
「千佳はグループのセンターなんだから、みんなよりも努力しないといけない。忙しいっていうのは言い訳だからね。美沙もくるみも寝る時間を削って頑張ってるんだから、ドラマに出てる出てないは関係……」
「……さい」
「何?」
「うるさいって言ってんだよ!」
 蓮見が怒号を響かせると会場は静まり返り、視線が一点に集まった。
「ど、どうしたの千佳?」
 片山は狼狽えながら聞き返す。
「何も知らないくせに、なんでも知ってるみたいな口聞かないで。その説教もうんざりなの」
「俺は千佳のために言ってるんだよ。今が一番大切な時期だから、もっと頑張った方がいいって……」
「私が一番頑張ってるんだよ! ずっと真面目にやってきた。他のメンバーが遊んでる間に一人で努力して、ファンを増やすために色々と考えてきた。裏でも表でもアイドルとして生きてきたのに、なんで表だけでぜんぶ決めるの? それに写真の人は彼氏でもない。何度も説明したでしょ? ファンだったら信じてよ」
「そ、そんなこと言うなら、お、推しを変えるよ」
「じゃあ変えろよ! 脅し文句みたいに使えばこっちが|下手《したて》に出ると思った? ファンていうことを盾にすれば、なんでも言っていいと思ってる? 勝手に自分の価値観押し付けないで」
 言下、マネージャーがステージの裏から飛び出してきた。
「千佳ちゃん、落ち着いて。一回|捌《は》けよう」
 マネージャーが肩を掴んでステージの裏へと足を向けさせようとするが、蓮見は振り解いて坂井を睨む。
「ち、千佳、ファンの人を不安にさせちゃうから、一回戻ろ」
 坂井は写真のことを言われると思ったのか、慌てた様子で言った。
「なんで私がぜんぶ背負わないといけないの? 一人で必死に頑張って、誰よりもアイドルを全うしてきた。誰の助けもなく、ここまで耐えてきたんだよ。あとは何をすればいいの? どれだけやったら褒めてもらえるの? どうやったら頑張ったって言ってもらえるの? なんで遊んでるだけの人間が褒められて、真面目にやってる人間が罵倒されなきゃいけないの? おかしいよこんな世界。もう全員死ねばいい」
 蓮見は怒りを撒き散らした後、ステージの裏へと下がった。ファンのどよめきが鼓膜に触れる。
 坂井に嵌められたと言えなかった。
 言えば状況は変わるかもしれないが、坂井の立場が悪くなってしまう。
 勘違いから生まれた歪みで、根っからの悪人ではない。
 まだそんな想いが頭にあった。
 蓮見自身も甘い考えだと分かっているが、過去の恩人に対し、優しさを捨てることができないでいる。
 そんな自分を嫌悪した。
 優しさなど持っていても意味はないし、自分にだけ傷をつける行為だ。
 徐々に悔しいという感情が溢れ出してくると、言えなかった自分に恨みを抱いた。
 もう捨てよう。
 夢も希望も優しさも。
 この穢れた世界では、真面目に生きる人間は真っ先に餌にされる。
 自分を守るためには舐められてはいけない。
 平気で他人を傷つける人間に屈したくない。
 そのためには強くなる必要がある。
 誰もがすぐに判断できるような、分かりやすい形で。
 人は表だけで、すべてを決める生き物だから。
 翌日、蓮見がファンに対して怒りをぶち撒けたことがネットニュースになっていた。
 見出しには「蓮見千佳、握手会でファンを罵倒。熱愛写真を撮られたことが原因か?」と書かれている。
 罵倒したわけでもないし、熱愛写真でもない。
 閲覧数を稼ぐためとはいえ、印象操作するような見出しに腹が立った。
 他人の不幸で金を稼ぐ輩、タイトルだけですべてを判断して叩いてくる野次馬。
 芸能のスクープには、世の中の腐った人間が集まってくる。
 この記事が正しいかどうかも分からないくせに、「逆ギレも甚だしい」「アイドルなんて裏ではこんなもんよ」「プロ意識が低い」など、表面だけしか見れない人間たちの言葉が飛び交っていた。
 当然、毒が盛られた言葉たちは蓮見のアカウントにも塗りたくられる。
「アイドル失格」「清純派気取りの尻軽」「ファンにキレるのは違いますよね」「この短期間で二度もグループに迷惑かけてるのに、まだ辞めないの?」「好きだったけどファンを辞めます」
 中には励ましの言葉も見受けられた。
 だが傷を縫えたとしても、投下されてくる誹謗中傷によって解かれていく。
 抉られる傷口はだんだんと痛みを感じなくなり、どんな言葉も受け入れなくなっていた。
 そして心を守るため、すべてのものに敵意を向ける。
 自分のせいじゃない。
 ずっと正しいことをしてきた。
 間違ってるのは周りで、理解できないのは頭が悪いから。
 私が真面目に生きられないのは、世の中の人間が腐っているからだ。
 今の蓮見には善人と悪人の境界線を引く余裕がなく、すべての人間を一括りにしてしまった方が楽だった。
 ファンの中にも良い人たちはいるが、全員が片山のような下劣な人間のように思えてしまう。
 汚れた言葉というのは、どんなに美しいものでさえも醜くさせる。
 蓮見は“誰かのために”という気概を捨てた。でないと、自分という存在を保つことができなかったから。