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三十一話 蓮見千佳 回想⑦

ー/ー



 MVの撮影が終わり、メンバーたち共とロケバスで都内へと帰っていた。
 その間、蓮見はSNSでドラマの反応を確認する。
 ドラマの内容よりも役者に対してのコメントが多く、特に中村を賞賛する声が目立った。
 その中には蓮見のことも書かれており、『あの可愛い子誰?』『ヒロインの子、めっちゃタイプ』など、主に容姿のことをつぶやかれた。
 本当はお芝居の意見を聞きたかったが、認知されていると考えると嬉しさが込み上げる。
 実際、ドラマが始まってからの二ヶ月でフォロワーが二十万を超えた。
 ショート動画で上げている歌やダンスの再生数も日々増えている。
 コメント欄には『ライブに行きたい』という声も散見し、千人集客することも現実味を帯びてきた。
 だが、すべてがいい反応とは限らない。
 中には、『クラスの男子全員とやってた』『男好きで、頼んだらすぐらせてくれた』など、虚言を撒き散らすアカウントもあった。
 フォロワー数もいいねの数も少ないため影響はほとんどなかったが、信用してしまう人間がいると思うと心が苦しい。
 こんなくだらないことで事務所の手を煩わせることも嫌だし、逆恨みされることも怖かったので、ブロックで我慢することにした。

「千佳、これ何?」

 隣に座る坂井が眉間に皺を寄せながらスマホの画面を見せてきた。
 その表情は苛立っているように見える。
 スマホに視線を移すと、ドラマの宣伝用に作ったショート動画が流れており、蓮見と中村が踊っているものだった。
 特段おかしな部分はないし、坂井が苛立っている理由が分からなかった。

「これがどうしたの?」

「距離が近いんじゃない?」

 ダンスは手を合わせる箇所もあり、その部分のことを言っているのかなと蓮見は思った。

「仕事でやってることだし、自分の意志で触れてるわけじゃないから」

「仕事と言えど、もっと気を付けた方がいいよ。顔だって嬉しそうにしてるし、ファンの人は勘違いするんじゃないかな?」

「嬉しそうにしてるわけじゃない。スタッフさんに笑顔で踊ってと言われただけ。ファンの人だって、そこは理解してると思う……」

「してないよ! こんなベタベタしてたら、お互い好きなのかなって思うし、心配にだってなる。蓮見はグループのセンターなんだから、もっと自覚を持って! それに裕樹は今が大切な時期なの。映画のオーディションも近いし、来月には写真集も出す。千佳のせいで、全部台無しになるかもしれないんだよ。邪魔するようなことしないで!」

 坂井は鬼のような顔で怒声を響かせた。
 バスの中は静まり返り、重たい空気が漂っている。

「どうしたの美沙ちゃん?」

 三ヶ月前から就いた女性マネージャーが、心配そうな顔で問いかけた。

「すいません。グループのことを考えてたらつい」

 坂井は我に返ったのか、表情を戻して答える。

「千佳ちゃんも仕事でやってることだし、そこまで怒ることはないんじゃない」

「ごめんなさい……」

 噴出した怒りは萎れた花の如く、窄んでいった。
 今まで恋愛のことで坂井から何かを言われたことはなかったし、『アイドルだから〜』というような理由で、何かを咎められるようなこともなかった。
 なぜ急にそんなことを言うのかを考えたが、まったく見当もつかない。
 一番気になったのは、中村のことを下の名前で呼んでいたことだ。
 同じ事務所なので友達という可能性もあるが、まるで彼氏であるかのような言い回しだ。
 蓮見は聞くか迷ったが、先ほどの剥き出した怒りを思い浮かべると聞くことができない。
 不透明な言葉にモヤモヤとしたものが残るが、それ以上に坂井の心情が心配になった。


 ドラマの撮影が終わってから半年経ち、周りの状況は目まぐるしく変わっていた。
 蓮見はアイドル以外の仕事も増え、バラエティやドラマなど多岐にわたる活動をこなしている。
 SNSでも自身の名前を見ることが多くなり、認知されてきたことを実感していた。
 何より嬉しかったのはライブの集客数だ。
 来月予定されているライブ会場のキャパは七百なのだが、チケット発売後即完した。
 売れ行きに勢いを感じた事務所の社長は、「次のライブは千人入れる」と張り切っている。
 それは蓮見も同様だった。
 約束した千という数字が現実味を帯び、やっとグループ全体で同じ方向に進めると思ったからだ。
 レッスンもいつも以上に気合いを入れて挑むが、周りはいつも以上に士気が低い。
 高梨たちのダンスはまるで学芸会かのような拙さで、坂井に至っては振りすら頭に入っていなかった。
 坂井は最近病んでいるように見える。
 蓮見がドラマの撮影を終えた頃から様子がおかしく、心配して声をかけても無視されていたため、原因がまったく分からなかった。

「いい加減にして! 来月ライブって分かってる?」

 奥寺がラジカセを止め、レッスン場に怒号を響かせた。

「一番忙しい蓮見ができてるのに、なんで四人はできてないの? 美沙は振りすら入ってない。こんなんじゃ、来てくれたお客さんに失礼。お金と時間をかけて来てくれるんだよ? その意味をちゃんと考えて」

 高梨たちは不貞腐れた顔を浮かべていた。
 なんでそんな顔ができるのかが分からない。
 奥寺と同様に、蓮見も苛立ちを覚えていた。
 坂井は無表情で、心ここに在らずという感じだ。
 怒りが湧くというより心配が勝る。

「三十分休憩入れるから、その間に振りの確認をしといて。これじゃあ練習にもならない」

 奥寺がレッスン場から出ていくと、蓮見の溜まっていた不満が高梨たちに向けられた。

「ねえ、もっとちゃんとやってほしい。今は大事な時期なの。こんなパフォーマンスでは恥をかくだけ。なにより、来てくれたファンの人たちに失礼だよ」
「うるせえな。千人集めてから言えよ」

 三井はスマホを見ながら気怠そうに返した。
 その態度に蓮見の怒りが倍増する。

「次は千人入る会場を押さえるって言ってた。約束したよね、集められたら本気で向き合ってくれるって」

「てかさ、ほとんど千佳のファンでしょ? なんで私たちが頑張らないといけないの。これじゃあバックダンサーじゃん」

「それな」

「私が頑張ったからだよ。千人集めたら真剣に取り組んでくれるって言ったから、今日まで努力し続けた。その結果が数字に出たの。みんなだってこれから頑張ればファンもたくさん付く。初めは人前に出ることも苦手だったけど、今では普通に話せるようにもなった。人って頑張れば変われるの。だから……」

「何言ってるの?」

 高梨は語尾を喰らい、不機嫌そうな顔を蓮見に向けてきた。

「努力とかそんなの関係ない。ただ顔が良いからファンが付いたの。その顔でさ『人は頑張れば変われる』なんて言われても説得力ないんだよね。もし千佳がブスだったら、誰も見向きもしないでしょ? ドラマにだって出れてない。所詮アイドルなんて顔でしか見られてないんだから」

「みんなだって可愛いよ」

 蓮見が言うと、三井はわざとらしく大きなため息を吐いた。

「二十万のフォロワーを抱えてる人間が、三千にも満たないアイドルに言っても嫌味にしか聞こえないんですけど。私たちが頑張ってもね、千佳に全部持ってかれるの。なら頑張る意味なくない?」

「マジ、それな」

「頑張る意味はある。ファンは容姿だけじゃなくて、他の部分も見てるの。キャラだったり、パフォーマンスだったり、その人の言葉に惹かれたり、人生に影響を与えてくれる何かがあれば付いてきてくれる。だからアイドルって光なんだよ。容姿だけなら、わざわざお金と時間をかけてライブにまで来てくれない。ネットで画像を漁ればいいだけだから。応援したいって気持ちがあるから、人生の一部を捧げてくれるんだよ」

 蓮見は必死に訴えるが、彼女たちの顔を見る限り、心にまでは届いていない様子だった。

「アイドルなんてただの娯楽でしょ? 誰も人生に影響を与えてほしいなんて思ってない。暇つぶしで消費して、自分が気持ちよくなるためのおかずを探してるだけ。卒業した後も付いてきてくれる人がどれだけいる? ほとんどが他の子に移っていくでしょ? みんなアイドルって肩書きが好きなだけなの。その人を応援してるわけじゃない」

「そうだとしても、好きって気持ちがある間は見てもらえる。そのときに何を残せるかが大事なんだよ。くるみの言うように消費的に見るファンもいるかもしれない。でもみんながみんな、そんな人ってわけじゃない。アイドルに人生を支えてもらってる人もいるし、変わるきっかけを与えてもらった人もいる。この世界にはたくさんの傷がある。アイドルって存在は、その痛みを和らげてくれるんだよ。次は私が誰かを変えたいの。だからお願い、力を貸して」

 蓮見は深々と頭を下げた。
 正直に言えば、高梨たちには腹が立っている。
 自分を棚に上げて、努力することを否定しているから。
 でもアイドルを通して、自分と同じような人たちを救いたい。
 それが夢だから。
 心の底から叶えたいから。
 アイドルは光だと知ってほしいから。
 思い描いた理想のために、下げたくない頭を下げて懇願した。

「千佳」

 高梨の声に顔を上げると、彼女は優しく笑顔を浮かべていた。

「千佳がどんな思いでアイドルをやってたのか知らなかった。ごめんね、気付いてあげられなくて。ずっと苦しかったでしょ? 一人で無理させちゃってたよね」

 言葉が届いたのかもしれない。
 蓮見はそう思った。
 懸命な想いは人を変えることができるし、誰かを導く光となる。
 自分が信じていたことは間違いではなかった。これからはメンバーみんなで一丸となって夢へと進める。
 蓮見は目の前の希望を噛み締めた。
 ずっと思い描いていたものに近づけると。

「ううん、いつか本気で向き合ってくれると思ってた。時間はかかったけど、みんなで一緒に頑張っていこう。ダンスの振りとか、分からないことがあったらなんでも聞いて。私たちはチームだから」

「ありがとう千佳。これからも一人で頑張ってね」

「うん……え?」

 聞き間違いかもしれない。
 自分の言葉は伝わったはずだし、高梨は理解してくれたと思う。

 でも……
 いや……
 そんなはず……
 だけど……

 蓮見の脳は、たった一言に掻き回されて混乱していた。

「今、『一人で』って言った?」

「うん。『一人で』って言った」

「どういうこと?」

「そういうこと」

「何を言ってるか分かんないよ」

「なんで分からないの? 一人でアイドルごっこをしてろってこと」

 瞬刻の希望は手の中に収まる前に、無惨に散っていった。
 期待を抱いた分だけ、ショックは大きい。
 オアシスを見つけても、それが幻想と知れば人はより絶望を感じるだろう。
 蓮見はまさにそんな心境だった。
 もはや何かを考える余白もないほど、失望で埋め尽くされている。

「アイドルが人を変える? バカじゃないの。そんなことできるはずないでしょ。ただの娯楽に人生かけるなんて時間の無駄。部活みたいなものだよ、アイドルなんて。チヤホヤしてくれればそれでいいし、私のことを褒めてくれる人がいればいい。なんで本気でやらないといけないの? 自分の理想を勝手に押し付けないでよ。頑張りたいなら一人でやって。私たちはあんたのおこぼれを貰ってあげるから」

 蓮見の頭の中に描かれた絶望は、この先の未来までも黒く塗りつぶすほどのものだった。
 事務所を辞めようとも思ったが、他の仕事が入っている。
 アイドルを続けるにはここしかない。
 諦めたくなかった。夢を叶えたかった。
 アイドルの蓮見千佳でないと意味がなかった。
 グループの一体感こそがアイドルの強みだし、それに憧れて今日まで頑張ってきた。

――人は変われる

 絶望に触れはしたが、枯れた思考の隅にはまだ小さな一輪が咲いている。
 最後の花びらが散ってしまわないようにと、蓮見は力強く自分に言い聞かせた。

「疲れたし、一服しよう」

「それな。この時間なら公園行こう」

 三人が扉の方に足を向けると、蓮見は縋るように言葉を投げた。

「お願い。ずっと夢見てたことなの。グループでアイドルというものを完成させたい。だから……一緒に頑張ってほしい」

 最後の希望だった。
 もしかしたら振り向いてくれるかもという、微かな希望。
 彼女たちにも良心はあるはずだし、訴えかければ響くかもしれない。
 ずっと仲が悪かったとはいえ、一緒にやってきたメンバーだ。
 散りかけた花を握りしめながら蓮見は祈った。
 他に何も望まないから、アイドルだけにはならせてほしいと。

「ダルいんだよ、そういうの」

 高梨は蓮見を一瞥した後、そう言い残してレッスン場を去っていった。
 三井と木本も続き、この場には蓮見と坂井だけが残った。
 坂井はどんな表情で聞いていたのだろう。
 どんな思いで言葉を受け取っているのだろう。
 孤独の中を彷徨っている蓮見は、何かに縋りたい気持ちだった。
 一人でもいいから味方が欲しかったし、理解せずとも寄り添ってくれるような人が欲しかった。
 希望があるから走ってこれたが、この先に何もないと知れば、どこに向かっていいのか分からない。
 目的地を示してほしい。
 走り続ける意味を教えてほしい。
 そんな想いで坂井を見ると、視線がぶつかった。
 坂井はゆっくりと蓮見に近づいてくる。
 もしかしたら、慰めてくれるのかもしれない。
 一人じゃないと言ってくれるのかもしれない。
 まだ微かに残る希望を胸に、蓮見は坂井の言葉を待った。

「泥棒。絶対に許さないから」

 その目は狂気に満ちていた。
 二度ほど見た憎悪の滲む表情が、今は蓮見に向けられている。
 戦慄を覚えた体は何かに縛られているように硬直し、背筋には冷や汗が流れた。

「どう言う意味? 泥棒ってなに?」

 震える唇を強引に動かして聞くと、坂井の目は鋭さを増して蓮見を刺してきた。

「あんたが一番分かってるでしょ? 人のモノを盗んでおいて綺麗事言ってんじゃねえよ、クソ女。ぜんぶ壊してやるから。アイドルなんて二度と口にできないほどに」

 厭悪(えんお)を残して、坂井は去っていった。
 もはや呪いのようだった。
 蓮見はまったく身に覚えがなかったため、どうしていいかも分からない。
 一つだけ分かるのは、このグループに味方はいないということだ。
 叶えることのできない夢は、想像するだけで痛みが走る。
 どこから道を逸れたのだろう。
 答えが見つからない問いは、蓮見の胸を握りしめるように掴んだ。


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 フォロワー数もいいねの数も少ないため影響はほとんどなかったが、信用してしまう人間がいると思うと心が苦しい。
 こんなくだらないことで事務所の手を煩わせることも嫌だし、逆恨みされることも怖かったので、ブロックで我慢することにした。
「千佳、これ何?」
 隣に座る坂井が眉間に皺を寄せながらスマホの画面を見せてきた。
 その表情は苛立っているように見える。
 スマホに視線を移すと、ドラマの宣伝用に作ったショート動画が流れており、蓮見と中村が踊っているものだった。
 特段おかしな部分はないし、坂井が苛立っている理由が分からなかった。
「これがどうしたの?」
「距離が近いんじゃない?」
 ダンスは手を合わせる箇所もあり、その部分のことを言っているのかなと蓮見は思った。
「仕事でやってることだし、自分の意志で触れてるわけじゃないから」
「仕事と言えど、もっと気を付けた方がいいよ。顔だって嬉しそうにしてるし、ファンの人は勘違いするんじゃないかな?」
「嬉しそうにしてるわけじゃない。スタッフさんに笑顔で踊ってと言われただけ。ファンの人だって、そこは理解してると思う……」
「してないよ! こんなベタベタしてたら、お互い好きなのかなって思うし、心配にだってなる。蓮見はグループのセンターなんだから、もっと自覚を持って! それに裕樹は今が大切な時期なの。映画のオーディションも近いし、来月には写真集も出す。千佳のせいで、全部台無しになるかもしれないんだよ。邪魔するようなことしないで!」
 坂井は鬼のような顔で怒声を響かせた。
 バスの中は静まり返り、重たい空気が漂っている。
「どうしたの美沙ちゃん?」
 三ヶ月前から就いた女性マネージャーが、心配そうな顔で問いかけた。
「すいません。グループのことを考えてたらつい」
 坂井は我に返ったのか、表情を戻して答える。
「千佳ちゃんも仕事でやってることだし、そこまで怒ることはないんじゃない」
「ごめんなさい……」
 噴出した怒りは萎れた花の如く、窄んでいった。
 今まで恋愛のことで坂井から何かを言われたことはなかったし、『アイドルだから〜』というような理由で、何かを咎められるようなこともなかった。
 なぜ急にそんなことを言うのかを考えたが、まったく見当もつかない。
 一番気になったのは、中村のことを下の名前で呼んでいたことだ。
 同じ事務所なので友達という可能性もあるが、まるで彼氏であるかのような言い回しだ。
 蓮見は聞くか迷ったが、先ほどの剥き出した怒りを思い浮かべると聞くことができない。
 不透明な言葉にモヤモヤとしたものが残るが、それ以上に坂井の心情が心配になった。
 ドラマの撮影が終わってから半年経ち、周りの状況は目まぐるしく変わっていた。
 蓮見はアイドル以外の仕事も増え、バラエティやドラマなど多岐にわたる活動をこなしている。
 SNSでも自身の名前を見ることが多くなり、認知されてきたことを実感していた。
 何より嬉しかったのはライブの集客数だ。
 来月予定されているライブ会場のキャパは七百なのだが、チケット発売後即完した。
 売れ行きに勢いを感じた事務所の社長は、「次のライブは千人入れる」と張り切っている。
 それは蓮見も同様だった。
 約束した千という数字が現実味を帯び、やっとグループ全体で同じ方向に進めると思ったからだ。
 レッスンもいつも以上に気合いを入れて挑むが、周りはいつも以上に士気が低い。
 高梨たちのダンスはまるで学芸会かのような拙さで、坂井に至っては振りすら頭に入っていなかった。
 坂井は最近病んでいるように見える。
 蓮見がドラマの撮影を終えた頃から様子がおかしく、心配して声をかけても無視されていたため、原因がまったく分からなかった。
「いい加減にして! 来月ライブって分かってる?」
 奥寺がラジカセを止め、レッスン場に怒号を響かせた。
「一番忙しい蓮見ができてるのに、なんで四人はできてないの? 美沙は振りすら入ってない。こんなんじゃ、来てくれたお客さんに失礼。お金と時間をかけて来てくれるんだよ? その意味をちゃんと考えて」
 高梨たちは不貞腐れた顔を浮かべていた。
 なんでそんな顔ができるのかが分からない。
 奥寺と同様に、蓮見も苛立ちを覚えていた。
 坂井は無表情で、心ここに在らずという感じだ。
 怒りが湧くというより心配が勝る。
「三十分休憩入れるから、その間に振りの確認をしといて。これじゃあ練習にもならない」
 奥寺がレッスン場から出ていくと、蓮見の溜まっていた不満が高梨たちに向けられた。
「ねえ、もっとちゃんとやってほしい。今は大事な時期なの。こんなパフォーマンスでは恥をかくだけ。なにより、来てくれたファンの人たちに失礼だよ」
「うるせえな。千人集めてから言えよ」
 三井はスマホを見ながら気怠そうに返した。
 その態度に蓮見の怒りが倍増する。
「次は千人入る会場を押さえるって言ってた。約束したよね、集められたら本気で向き合ってくれるって」
「てかさ、ほとんど千佳のファンでしょ? なんで私たちが頑張らないといけないの。これじゃあバックダンサーじゃん」
「それな」
「私が頑張ったからだよ。千人集めたら真剣に取り組んでくれるって言ったから、今日まで努力し続けた。その結果が数字に出たの。みんなだってこれから頑張ればファンもたくさん付く。初めは人前に出ることも苦手だったけど、今では普通に話せるようにもなった。人って頑張れば変われるの。だから……」
「何言ってるの?」
 高梨は語尾を喰らい、不機嫌そうな顔を蓮見に向けてきた。
「努力とかそんなの関係ない。ただ顔が良いからファンが付いたの。その顔でさ『人は頑張れば変われる』なんて言われても説得力ないんだよね。もし千佳がブスだったら、誰も見向きもしないでしょ? ドラマにだって出れてない。所詮アイドルなんて顔でしか見られてないんだから」
「みんなだって可愛いよ」
 蓮見が言うと、三井はわざとらしく大きなため息を吐いた。
「二十万のフォロワーを抱えてる人間が、三千にも満たないアイドルに言っても嫌味にしか聞こえないんですけど。私たちが頑張ってもね、千佳に全部持ってかれるの。なら頑張る意味なくない?」
「マジ、それな」
「頑張る意味はある。ファンは容姿だけじゃなくて、他の部分も見てるの。キャラだったり、パフォーマンスだったり、その人の言葉に惹かれたり、人生に影響を与えてくれる何かがあれば付いてきてくれる。だからアイドルって光なんだよ。容姿だけなら、わざわざお金と時間をかけてライブにまで来てくれない。ネットで画像を漁ればいいだけだから。応援したいって気持ちがあるから、人生の一部を捧げてくれるんだよ」
 蓮見は必死に訴えるが、彼女たちの顔を見る限り、心にまでは届いていない様子だった。
「アイドルなんてただの娯楽でしょ? 誰も人生に影響を与えてほしいなんて思ってない。暇つぶしで消費して、自分が気持ちよくなるためのおかずを探してるだけ。卒業した後も付いてきてくれる人がどれだけいる? ほとんどが他の子に移っていくでしょ? みんなアイドルって肩書きが好きなだけなの。その人を応援してるわけじゃない」
「そうだとしても、好きって気持ちがある間は見てもらえる。そのときに何を残せるかが大事なんだよ。くるみの言うように消費的に見るファンもいるかもしれない。でもみんながみんな、そんな人ってわけじゃない。アイドルに人生を支えてもらってる人もいるし、変わるきっかけを与えてもらった人もいる。この世界にはたくさんの傷がある。アイドルって存在は、その痛みを和らげてくれるんだよ。次は私が誰かを変えたいの。だからお願い、力を貸して」
 蓮見は深々と頭を下げた。
 正直に言えば、高梨たちには腹が立っている。
 自分を棚に上げて、努力することを否定しているから。
 でもアイドルを通して、自分と同じような人たちを救いたい。
 それが夢だから。
 心の底から叶えたいから。
 アイドルは光だと知ってほしいから。
 思い描いた理想のために、下げたくない頭を下げて懇願した。
「千佳」
 高梨の声に顔を上げると、彼女は優しく笑顔を浮かべていた。
「千佳がどんな思いでアイドルをやってたのか知らなかった。ごめんね、気付いてあげられなくて。ずっと苦しかったでしょ? 一人で無理させちゃってたよね」
 言葉が届いたのかもしれない。
 蓮見はそう思った。
 懸命な想いは人を変えることができるし、誰かを導く光となる。
 自分が信じていたことは間違いではなかった。これからはメンバーみんなで一丸となって夢へと進める。
 蓮見は目の前の希望を噛み締めた。
 ずっと思い描いていたものに近づけると。
「ううん、いつか本気で向き合ってくれると思ってた。時間はかかったけど、みんなで一緒に頑張っていこう。ダンスの振りとか、分からないことがあったらなんでも聞いて。私たちはチームだから」
「ありがとう千佳。これからも一人で頑張ってね」
「うん……え?」
 聞き間違いかもしれない。
 自分の言葉は伝わったはずだし、高梨は理解してくれたと思う。
 でも……
 いや……
 そんなはず……
 だけど……
 蓮見の脳は、たった一言に掻き回されて混乱していた。
「今、『一人で』って言った?」
「うん。『一人で』って言った」
「どういうこと?」
「そういうこと」
「何を言ってるか分かんないよ」
「なんで分からないの? 一人でアイドルごっこをしてろってこと」
 瞬刻の希望は手の中に収まる前に、無惨に散っていった。
 期待を抱いた分だけ、ショックは大きい。
 オアシスを見つけても、それが幻想と知れば人はより絶望を感じるだろう。
 蓮見はまさにそんな心境だった。
 もはや何かを考える余白もないほど、失望で埋め尽くされている。
「アイドルが人を変える? バカじゃないの。そんなことできるはずないでしょ。ただの娯楽に人生かけるなんて時間の無駄。部活みたいなものだよ、アイドルなんて。チヤホヤしてくれればそれでいいし、私のことを褒めてくれる人がいればいい。なんで本気でやらないといけないの? 自分の理想を勝手に押し付けないでよ。頑張りたいなら一人でやって。私たちはあんたのおこぼれを貰ってあげるから」
 蓮見の頭の中に描かれた絶望は、この先の未来までも黒く塗りつぶすほどのものだった。
 事務所を辞めようとも思ったが、他の仕事が入っている。
 アイドルを続けるにはここしかない。
 諦めたくなかった。夢を叶えたかった。
 アイドルの蓮見千佳でないと意味がなかった。
 グループの一体感こそがアイドルの強みだし、それに憧れて今日まで頑張ってきた。
――人は変われる
 絶望に触れはしたが、枯れた思考の隅にはまだ小さな一輪が咲いている。
 最後の花びらが散ってしまわないようにと、蓮見は力強く自分に言い聞かせた。
「疲れたし、一服しよう」
「それな。この時間なら公園行こう」
 三人が扉の方に足を向けると、蓮見は縋るように言葉を投げた。
「お願い。ずっと夢見てたことなの。グループでアイドルというものを完成させたい。だから……一緒に頑張ってほしい」
 最後の希望だった。
 もしかしたら振り向いてくれるかもという、微かな希望。
 彼女たちにも良心はあるはずだし、訴えかければ響くかもしれない。
 ずっと仲が悪かったとはいえ、一緒にやってきたメンバーだ。
 散りかけた花を握りしめながら蓮見は祈った。
 他に何も望まないから、アイドルだけにはならせてほしいと。
「ダルいんだよ、そういうの」
 高梨は蓮見を一瞥した後、そう言い残してレッスン場を去っていった。
 三井と木本も続き、この場には蓮見と坂井だけが残った。
 坂井はどんな表情で聞いていたのだろう。
 どんな思いで言葉を受け取っているのだろう。
 孤独の中を彷徨っている蓮見は、何かに縋りたい気持ちだった。
 一人でもいいから味方が欲しかったし、理解せずとも寄り添ってくれるような人が欲しかった。
 希望があるから走ってこれたが、この先に何もないと知れば、どこに向かっていいのか分からない。
 目的地を示してほしい。
 走り続ける意味を教えてほしい。
 そんな想いで坂井を見ると、視線がぶつかった。
 坂井はゆっくりと蓮見に近づいてくる。
 もしかしたら、慰めてくれるのかもしれない。
 一人じゃないと言ってくれるのかもしれない。
 まだ微かに残る希望を胸に、蓮見は坂井の言葉を待った。
「泥棒。絶対に許さないから」
 その目は狂気に満ちていた。
 二度ほど見た憎悪の滲む表情が、今は蓮見に向けられている。
 戦慄を覚えた体は何かに縛られているように硬直し、背筋には冷や汗が流れた。
「どう言う意味? 泥棒ってなに?」
 震える唇を強引に動かして聞くと、坂井の目は鋭さを増して蓮見を刺してきた。
「あんたが一番分かってるでしょ? 人のモノを盗んでおいて綺麗事言ってんじゃねえよ、クソ女。ぜんぶ壊してやるから。アイドルなんて二度と口にできないほどに」
 |厭悪《えんお》を残して、坂井は去っていった。
 もはや呪いのようだった。
 蓮見はまったく身に覚えがなかったため、どうしていいかも分からない。
 一つだけ分かるのは、このグループに味方はいないということだ。
 叶えることのできない夢は、想像するだけで痛みが走る。
 どこから道を逸れたのだろう。
 答えが見つからない問いは、蓮見の胸を握りしめるように掴んだ。